Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 見上げれば、今日も灼熱の真夏日和である。まァそれもあと一週間足らずでケリになる。夏休みに入ってしまえばこっちのものだ。野となれ山となれ高校二年の夏はエンジョイする以外に道はない。カラダがぶっ壊れるまで遊び倒すつもりだったが、しかし何をして遊ぶのかはまだ決まっていない。まァいい。おいおい誰かとつるんでいれば予定も決まるだろう。この町に住んでいてラクなのは、放っておいても厄介事が向こうから突っ込んできてくれることだ。
 俺はウーンと猫科の動物のように伸びをした。
 地柱町では一人で登校することはどこの学校でも校則で禁止されている。守らなくても別に怒られやしないのだが、数年前までこの町を覆っていた暗雲を思えば一人で行動したがるやつの方が少なく、今では俺と深い付き合いのある顔なじみ以外は軒並み誰かと一緒に毎朝えっちらおっちらアスファルトを噛んでいる。俺? いやなにせ俺のそばが一番危ない時期もあったし。
 ともかく、そういうわけで、俺はなんの変わり映えもしない一日の朝を踏み越えて学校へと辿り着いた。見ると、なにやら人だかりが出来ている。なんだなんだ事件か。俺はひょいと人垣に紛れ込んでそれを見た。なぜあの時に足元が血だらけだったことに気づかなかったのかと、俺はだいぶ後まで悔やむことになる。
 校庭のど真ん中に肌色のオブジェがあった。流木か何かかと思った。いくつもの節から伸びた枝のようなそれが紺碧の青空に突き刺さってゆらゆらと揺れていた。
 茂田だった。
「茂田ァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
 俺は人ごみを掻き分け掻き分け最前列に飛び出した。ぬるりと革靴が血だまりで滑る。そんなものに構ってはいられない。俺は震える手で茂田を、いや茂田だったそれを撫でさすった。
「嘘……だろ……しげっ、茂田お前っ、前衛芸術みたいになってるじゃねえか……!」
「……………………」
 茂田は答えない。答えてくれない……。俺の脳裏に走馬灯のように茂田との思い出が蘇ってきた。俺が英語の辞書を忘れた時、気前よく貸してくれて自分が忘れたことになった茂田。俺が体操着を忘れた時、許されると思って寺島さんのロッカーから体操服とブルマをかっぱらってきてくれた茂田。俺が携帯のバッテリーが無くなった時、携帯を机の上に置き忘れるという手順を踏んで俺にバッテリーを提供してくれた茂田。
「茂田ぁ……!!」
「後藤くん、その涙になんの誠意も見出せないのは私の気のせい?」
「何奴」
 振り返ると人垣の先頭に部活動でミントンを嗜んでいるという噂の寺島さんがいた。腕を組んで興味のない芸術品でも見るように茂田を見上げている。おい俺たちの茂田をレンブラント見るような目つきで見るなよ。
「後藤くんって独り言多いよね」
「なにそれ前から思ってたの? もっと早く教えて欲しかったよ」
 俺はとりあえず茂田だったものを横に倒して平たく寝かせた。関節が硬直しているらしくやたらゴツゴツしている。邪魔だなーコレ。野球部がものすごく鬱陶しそうな目で見てくる。ごめんね。
「で、寺島さん。これは一体どういうことなんだ。俺いま来たばっかでこの惨劇に戸惑うばかりなんだが」
「そんな風には見えないけど……まあ私も同じだよ。ただこんな目に遭うのも、遭わせられるのも、後藤くんグループのメンバーにしかできないと思うけどね」
 俺はごくりと生唾を飲み込んだ。茂田だったものを見れば凶器が素手による暴力であることは明らかである。指の食い込み跡みたいのが克明に残っちゃってるし。あいつリンゴ砕くからな……
「天ヶ峰か……」ていうか後藤くんグループとかやめろよ。
「だろうね」寺島さんはふっと肩をすくめて、
「また何か怒らせるようなことをしたんでしょう」
 俺は濡れ衣を着せられた義憤に駆られて拳を握った。
「ふざけないでくれ。俺たちは結果的にあいつにイタ電をかけてしまっただけだ!!」
「それだと思うけど……」
 俺はアタマを抱えた。
「わざとじゃなかったんだよ」
「言葉なんて大事な時にはなんの役にも立たないね」
 ロマンチックな死刑宣告やめてください。
「寺島さん、女子はこの件について俺たち側に着く気はないんですかね」
「その気があったら今のんびりと教室から手を振ってきてないと思うよ」
 見上げると我らが教室から女子のみなさんが笑顔を振りまいていた。「別」という刺繍が縫ってある木綿のハンカチーフをはためかせている小崎はあとで女だろうとぶっ飛ばしてやろうと思う。なに一方的に別れを告げてんだよ。死んだら枕元に立つからな。
 八つ当たりによって怒りパワーを溜めている俺にツンツンと寺島さんが肩を叩いてきた。振り向くと寺島さんは何も言わずに「見よ、あれが皇国の星だ」とばかりに天の一点を指し示していた。見上げる。
 屋上に何かいた。
 金網のこちら側にいるにも関わらず命綱なし、両の足で威風堂々と立つその様は天狗か夜叉か。横殴りの風がタテガミに似た髪を揺らめかせ、薄い胸の前で組んだ腕はしなやかな筋肉を今はまだ緩ませている。
 髪の隙間からまばゆく輝く眼光は、太陽よりも燃えていた。
 天ヶ峰美里だった。
「ひぃ」
「天ヶ峰さん、ああなったら止まらないと思うよ」
 寺島さんは両手を広げた。
「逃げるなら今の内。無事を祈ってるよ、後藤くん」
「くそっ、気取ってんじゃねーブース! ばーかばーか!」
「なっ!」
 俺は今生の別れになるかもしれないので寺島さんに精一杯の罵声を浴びせた後、一目散に逃げ出した。もちろん正門から逃げるなんて馬鹿はしない。目指すは裏門、駐輪場。ピロ下を潜ったところで、
 どズンッ……
 何か重いものが落ちる音と誰かの悲鳴が背後から響き渡った。構ってらんない。俺は半べそになりながら駐輪場に辿り着くと馴染みのチャリンコのそばに近寄った。隣のクラスの牧瀬のチャリである。見ると車輪に鍵がかかっていた。あたりを見回し、手頃な石を見つけた俺は細心の注意を払って鍵の部分に石を叩きつけた。
 べきいっ
 鍵が情けない音を立てて壊れた。俺は牧瀬のチャリにまたがるとギアを一段重くしてペダルを蹴りこみ裏門から勢いよく飛び出した。登校中の生徒たちから奇異な視線を受けつつ背後を振り返る。すまない牧瀬、入学してからこれでもうチャリ借りるの三度目だな。もう鍵とかつけるのやめろよ。
 心の中で牧瀬に十字を切り、俺は上り坂を選んでチャリンコを走らせた。べつに鍛錬のためではなく、裏山にいくためだ。ぜえぜえいいながら田中くんちのばあちゃんに「精が出るねえ」などと声をかけられつつ急な坂を上る上る上る。アスファルトが途切れたところで牧瀬のチャリンコをゴミ捨て場に乗り捨てて山に入った。夏の湿気でぬかるんだ土を踏みかけたところで、靴と靴下を脱ぎ、そばにあった納戸から高下駄をパクって履いた。ガキの頃何度もやった手順である。天ヶ峰はちゃんとモノを見ないので靴跡ならともかく高下駄なら足跡はバレにくいのだ。もっとも全盛期の頃は俺のにおいだけで追跡してきていたが、そこはやつが鼻風邪を引いていることに期待するしかない。
 俺はえっちらおっちら、裏山の中へと入っていった。真夏の裏山などはこれはもう日本ではない。ベトナムか何かである。分厚く光沢のある葉がもよおす草いきれにウンザリしながら、てっぺんを目指す。
 天ヶ峰が本気で怒ってしまった場合、取れる対応は引っ越すか死ぬかしか大まかにはない。ないが、あいつはおいしいご飯を食べると機嫌がよくなることが稀にあるので数日間、やつに見つからない秘密の基地に隠れることが俺らには昔からよくあった。ここもそのひとつで、最大の拠点となっているポイントだ。恐らくもう黒木や茂田……いや、茂田はもういないのだった。俺はぎゅっと目頭を押さえた。あいつ今週のはじめの一歩スゲー楽しみにしてたのに……ヴォルグさんどうなるんだろ。
 とにかく、あの場にいなかった男子メンバーは集まっているはずだ。どうも天ヶ峰は俺の知り合いというだけでぶち殺し始めているようなので、まあ黒木はいるだろう。田中くんはいないかもしれない。江戸川はむしろ死んでほしい。
「ぷはっ」
 俺はてっぺんに出た。といっても大した高さの山ではない。頂上も平場に背丈の長い草がぼうぼうと生えているだけで、ちょっとそのへんを探すと防空壕があったりなんかもするが、その程度のなんの変哲もない裏山である。
 そこが地獄と化していた。
 まず目についたのは人間の形を失った江戸川のそれである。死ねばいいと思いはしたが目の前でグロテスクな最期を迎えられているとそれはそれでビックリする。ツン、と突くとどさりと倒れこみそれきり動かなくなった。全治二ヶ月。
 首をぐるりと回して見ると、俺の知り合いの男子たちが雁首そろえて肌色の像と化していた。黒木もその中にいた。スーパーフェザー級のプロボクサーとしてデビューしたばかりの黒木が……こんな……こんな……関節増えてね黒木?
 俺がおそるおそる同胞たちの亡骸に触れようとしたとき、
 かさっ
 俺の耳が確かにそれを捉えた。
 思わずその場に腹ばいになって長く伸びる。呼吸も止めた。目を動かすこともできない。
 音は、静かに俺の背後から近づいてきた。
 かさっ……かさかさっ……
 ゴキブリだったらどんなによかったろう。
 人の足音である。
 かさっ……がさりっ……がさっ……
 がさり、
 俺の目の前に人の足があった。
 叫ばなかったのが奇跡に近い。
 シャブでもキメてんじゃねーのかと言いたくなるような強烈なまん丸おめめをした子猫の柄のソックス。
 天ヶ峰だった。
「………………」
 やつは、周囲を見回している。どうも黒木たちを始末したあとに学校へ来たらしい。それとも……もう昨日のうちに黒木たちは消されていたのか……
 それにしてもここがバレるなんて……!! 誰か間抜けがここを使ったに違いない。くそっ、誰だよ……
「………………」
 俺は身を固くした。下生えの草をぎゅっと握り締めて心の中で叫ぶ、ああ神様、今度会ったら絶対、ブッ飛ばしてやる――!!
 天ヶ峰は、……前へ進んでいった。俺はほっと安堵して、だが油断せず、少しだけ顔をあげて前を見た。
「………………」
 天ヶ峰は草を掻き分けながら進んでいた。途中で、くらり、とよろけた。俺は目をすがめた。天ヶ峰は何もないところで転ぶこともあるが、あれはいつものよろけ方とは違った。くんくん、と俺は空気のにおいを嗅いだ。
 睡眠薬だ。
 天ヶ峰用のトラップがこの裏山には多数仕掛けてある。落とし穴から仕込み矢、果ては落石からマムシ沼まで。その中に通過した天ヶ峰のアタマに睡眠薬を水に溶かしたものをぶっかけるものがあったはずだ。確か前に取り替えたのが半年くらい前なので、恐らく風雨によってとんでもない雑菌が繁殖し、もはやそれは睡眠薬と呼べるような代物ではなくなり、天ヶ峰をよろけさせるまでの劇物へと進化したのだろう。あいつほんと化け物だな。
 そのおかげかどうか、天ヶ峰はいまご自慢の鼻も効いていないらしく、しばらくあたりを捜索していたが、やがて山を下りて人里へと向かった。通行人を襲うことがないよう祈るばかりである。
 天ヶ峰の背中が見えなくなってからたっぷり五分間は経ってから、俺は、
「ぜはあっ……ぜはあっ……」
 極限まで抑えていた呼吸を解放した。心臓が烈しく痛む。
「生き残ったか……」
「らしいな……」
 横井がすぐそばからムクリと起き上がった。俺は横井を殴った。
「痛い! どうして殴るの!」
「うるせえ! 何やってんだてめえ!!」
「ま、待てって後藤。俺は悪くない」
「そんな言葉が世間で通用すると思っているのか。バラバラにしてやるぜ」
「怖っ!? 後藤、正気に戻って。いつものお前はもっと優しかったはずだ」
「犠牲になった茂田の霊が俺にお前を殺せと言ってる」
「なんでだよ!! そもそも俺こそ何がなんだかわかんねーんだよ!!」
 横井はその場にあぐらをかき、デコから上だけ草から出した状態で語り始めた。
「いきなり天ヶ峰が襲ってきて……黒木たちとここまで逃げてきたんだけどやっぱ駄目でさ。天ヶ峰が来るっていうまさにその時……みんなは一致団結して向かっていったんだ。そしたら……」
 うっ、と喉に声を詰まらせ、
「ごらんの有様……!!」
 血と肉によって織り成された青空美術館を右手で示して横井は咽び泣いた。
「頼みの綱の黒木まで膝蹴り一発で沈んじゃってさ……」
「ボクシングに蹴りはないからな……ていうか天ヶ峰の野郎、男相手に膝蹴りなんて使ったのか……なんてやつだ……!!」
 この町に住んでいるとネットの友達とかに「お前そのセリフおかしくね?」とよく言われる。何を言われているのかよくわからない。
「後藤、教えてくれよ。おまえなら知ってるんじゃないのか? 天ヶ峰があんなに怒ってる理由……」
「いや、わからん。なんでだろうな? まァあいつは朝の星占いが気に入らないだけで人に八つ当たりする女だしな」
 嘘というのは純度百パーセントに限る。
 俺はさりげなく立ち上がってバツの悪い話題を終わらせた。
「いこうか」
「どこへ……?」
「俺たちの明日へ……」
「あ、明日って」
 横井がつんのめりながら俺に言う。
「俺たちに明日なんてあるのかよ!!」
 俺は横井に向かって振り返り、
 息を吸い、
 まっすぐに目を見つめて、
 殴った――――……

「だから痛ぇよ!! すぐに殴るのやめて!! 誰もいないところでカラダ張ったネタやっても俺にメリットないんだけど!? あ痛い!! やめっ、やめてえ!!」
「うるさい。とにかく山から下りるぞ」
「だから下りてどうするのって。ていうか危なくない?」横井は俺の肩パンが当たったところを撫でさすっている。
「ここにいたっていずれは天ヶ峰にバレる。それなら逆張りでいこう」と俺は言った。
「逆張り?」
「こっちから打って出る。……天ヶ峰を、倒す」
 横井が息を呑んだ。
「……できるのかよ」
「殺るしかねえ」
「でも!!」
 俺は横井を制止した。
「俺たちが殺るんじゃない」
「え……?」
 俺は今度こそやつの目をまっすぐに見て、言った。
「沢村に殺らせる」



『用語説明』

・前衛芸術
1.独創的な芸術。過去に例のないスタイル。一見して理解しがたい抽象的な作品群。
2.血と肉によって形成された作品。生きているモノが望ましい。

       

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