Neetel Inside ニートノベル
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 ことり、とステンレスのコップが俺の前に置かれた。俺は軽く会釈してそのコップに口をつけた。ホットレモンティーとかいうらしいが俺からすればやたらと緊張する味である。だいたいちょっとお金持ち風のお宅にお邪魔するとこれが出てくる。あとテレビがでかい。
 そういうわけで天ヶ峰んちに俺たちはいた。面子は俺以外には桐島と横井と、その他大勢の女子が集まっている。佐倉、男鹿、紫電ちゃん、寺島さん、酒井さん、手芸部の近藤さん遠藤さん新藤さん。ニコニコしているのが近藤さんで寒そうにしているのが遠藤さん(夏だぞ?)、新藤さんは熱心なことに毛糸と編み棒を持参してソファの上で編み編みやっている。前髪が長すぎて顔が見えないので、どことなく黒魔術な気配が立ちこめている。ちょっと怖い。
 そして今、俺にレモンティーを置いてくれたのが通称あっちゃんママ――天ヶ峰のお袋さんだ。俺とはもう十年近い付き合いがあるが、いまでも丁寧に扱ってくれる。だがそれでもやはり、普段自宅に友達を呼んだりすることがない娘の友達がガサ入れのごとく押し寄せて来ているのが珍しいのか、頬を紅潮させていつになく興奮をあらわにしている。かわいい。
「みんな、お菓子食べてね。うちにあっても誰も食べないから――」
「ああ、いえ、お構いなく。これからもあるので」
 今回の策略の発案者である桐島が代表してクッキーの大盤振る舞いを辞退した。そもそもすでにテーブルの上にはケンタッキーとドミノピザと31アイスクリームから直送されたご馳走でいっぱいである。アイスちょっと溶けてる。
「そう? そうね、そうよね。ふふ」
 あっちゃんママは肩甲骨のあたりから軽やかな8分音符を湯水のように湧き立てさせながらキッチンに引っ込んだ。なんでもケーキを作ってくれているのだという。男衆が悲しい事件によって再起不能でなければ喜んだであろうに……数少ない生き残りの俺と横井はさっきから含み笑いが止まらない。マジざまぁだわー。特に茂田がざまぁ。
 ちなみに、例によってテーブルに出ている料理は財布忘れたフリで横井がすべての支払いを持ってくれた。一万円札を輪ゴムでまとめてるやつ俺初めて見たよ。
「さて……」
 桐島が手首にはめた細い腕時計をちらりと見やった。色っぽい見方しやがって。
「そろそろ起きる頃かな」
 そういって、俺たちがいるリビングから続くスライド式の引き戸を見やった。その向こうが通称地獄、またの名前を天ヶ峰の部屋とも言う。むかし無断で入ったらぶっ殺された。小四はそういうことしてもセーフじゃんね。
「それでは後藤、夜這いといこうか」
 桐島は白衣をはためかせて猛将のように立ち上がった。
「俺かよ! ふざけんなよ、猛獣の飼育は専門家じゃなきゃ無理なんだよ。あとお前その発言は俺たちにとってもセクハラだよ」
「女の子の部屋に入るなんて俺たちできないよ桐島さァん!」と横井は顔を覆ってはしゃいでいる。馬鹿が。
 俺はため息をついて、助けを求めるべくアイスのにおいをかいでいる紫電ちゃんを振り返った。ていうか何してんだよ。嗅ぐなよ。猫かお前は。
「おい紫電ちゃん。俺たちは今、眠っている女子の部屋に入り込もうとしている。生徒会として止めてくれ」
「え? ああ……後藤なら構わんぞ」
 構わんぞじゃねーよ。なんだその「信じてるぞ」みたいな目。いらねーんだよ今そういうの。
「おい、佐倉、男鹿! 仕方ないからお前らも止めろ。いいか、俺と横井を暗い部屋に放り込んだらな、あれだ、その、……狼になるんだぞ?」
「ぷっ!」
 うわあ。
 思いっきり、女子たちに笑われた。ひっでえ。俺はソファに埋めた身体をくの字に折って顔を塞いだ。
「お前らには、お前らには男の子の気持ちなんか何にもわかっちゃいないんだ!」
「ごめんごめん。狼ね狼」ポンポンと肩を叩いてくる佐倉。うるせーさわんなマジで。そのうっすい胸を借りて泣いてもいいのかド畜生めが。
「まァ二人なら安心だしさ。ほらほら、料理冷めちゃうじゃない。早く天ヶ峰先輩を起こしてきてよ」
「死んだら恨むからな」
 俺は立ち上がった。何食わぬ顔でそっぽを向いている横井の首根っこを引っつかむ。
「いやだああああ!! 死にたくない、死にたくないよお」
「それはもうわかったって」
 俺と横井は女子一同の何の責任能力もない「がんばってねー」に後押し、もとい突き飛ばされて天ヶ峰の部屋の戸をそろりと開けた。開けてしまった。
 暗い。
「ばいばーい!」
「うおっ!?」
 血も涙もない佐倉にケツを蹴り込まれてバン! と戸を閉められてしまったので真っ暗だ。何も見えない。くそ、これが女の子のやることかよ。
「心配するな、私もいる」
 ぬっと暗がりで何か動く気配がした。
「桐島か?」
「ちがう、私。立花」
 おっ、紫電ちゃんか。
「何やってんだ。桐島はどうした」
「風に当たりにいった」
 なんだトイレか。あいつタイミング悪いやつだなー。それで紫電ちゃんが紛れ込んできたってわけか。よく頑張ってあの瑞々しいバニラアイスの誘惑から目を切ってきたもんだぜ。
 ま、なんだかんだで天ヶ峰の一番の親友である紫電ちゃんはお目付け役にしておこうという女子連中のとっさの機転だったのかもしれないが。紫電ちゃんがいれば天ヶ峰そのものに対抗できるしな。
「ていうか、どこにいるんだ紫電ちゃん。なんも見えねえ」
 俺は無造作に手を伸ばしてみた。何か柔らかいものに触れた。うちにある低反発枕みたいな感じだった。
「あっ……」
「ん? ああ悪い紫電ちゃん、なんか触っちゃった。めんごめんご」
「…………」
「どうした?」
「うぐっ……」
 ばっ、馬鹿泣くなっ! 天ヶ峰ならともかく女子からも人気の高い紫電ちゃんに手を出したとなったら外にいる連中が悪鬼と化して俺と横井はそれこそ『前門の虎、後門の狼』状態になって生きては帰れなくなる。俺はなんとか暗闇をまさぐって見つけた紫電ちゃんの口を塞ぐと横井に囁いた。
「おい横井、電気つけろ!」
「え、どこ? わかんないんだけど」
「そのへんにあんだろ? パチってするやつだよパチって!」
 俺の言った通りパチっという音がして天ヶ峰の部屋の電気がついた。
 おそらく、知らないやつが想像しているよりも綺麗である。部屋の中央からサンドバッグが吊り下げられているのは悪趣味なホラーだが、それ以外はカーペットとか、フリルのついたカーテンとか、全体的にピンクっぽくまとめられていて、箪笥の上にはぬいぐるみが並んでいたりする。よくモノを壊すくせにああいうものは大事にしていると見えて、十年近く前から見覚えのあるぬいぐるみも残っているが、古さを少しも感じない。俺は紫電ちゃんを羽交い絞めにして床に座らせた。
「いいか、大声を出したりこれ以上泣いたりしたらわかってるな?」
 俺は横井にあっち向いてろこっち聞くなと顎で合図して、紫電ちゃんの耳元に囁いた。
「静かにしなければ……お前が中学の修学旅行で湯あたりして倒れたところを先生に全裸で担ぎ出されたことを生徒会の連中と人の噂話に疎い男子にバラす」
「っ!!」
「クールなイメージを大事にしたいんだったら胸のひとつやふたつで大騒ぎしないことだ……」
 手を口から放してやると紫電ちゃんは恨めしそうに俺を睨んだ。
「……よくそんな昔のことを覚えているな、貴様」
「この町で生き残るためには知識と経験の裏地が必要なんだよ。それより……」
 と俺がいいかけた時、ベッドの上で、
 もぞり、
 と何か重たいものが動く気配がした。俺たち三人はそろりとベッドに近づいた。真っ黒いベルトが五つ、ベッドに絡み付いている。天ヶ峰はその下にいた。口には猿轡を噛まされている。その眉根がうざったそうに寄ったかと思うと、
 ばちっ
 と両目が見開かれた。その艶々した黒目が俺を捉えて、燃えた。
「むっぐォォォォォォォ――――――――――――!!!!」
 何者だよマジで。天ヶ峰は俺を見るやいなやドッタンバッタン身体を跳ねさせてベッドを壊しかねない勢いで狂いに狂った。むぐっ、むぐっ、と猿轡越しにも荒い息が透けて見えそうだ。桐島が言うには天ヶ峰を拘束しているベルトは戦闘機とかで使われているものを使用しているらしいが、千切れそうだ。
 くそっ、予定とは少し違ったが仕方あるまい。シナリオを決行しよう。俺は背後を振り返って叫んだ。
「起きたぞおおおおおおおおおおお!!」
 俺の合図を受けてドカドカドカドカと隣の部屋から女子どもが入ってきた。あっちゃんママまで紛れ込んでいる。人間の形をした猪のような女子一同は俺と横井を押し潰し、紫電ちゃんを抱きかかえると、硬直している天ヶ峰の顔に向かって手の中のクラッカーをぶっ放した。
 説明が遅れたが、もちろん、クラッカーの代金も横井が持った。


「美里ちゃん、十七歳の誕生日おめでとぉ――――――――――――!!」


 一瞬の間があって。
 天ヶ峰は、ぱちぱちと瞬きをして、全身から力を抜いた。その目が壁にかけてある毎月ごとに違うチワワに浮気できるカレンダーに向く。今日は七月十六日。だが、すぐその上にかけられている壁時計の針がコチリと午前零時を打った。今日は七月十七日。
 天ヶ峰は、十七歳になった。
「全部サプライズだったの」
 猿轡を外してやりながら手芸部の近藤がニコニコして言った。
「あっちゃんに秘密にしておこうと思ってたんだけど、後藤くん? だっけ? ……がね、サプライズなのにあっちゃんに電話しようとしちゃって」
 何か言おうとする天ヶ峰を遮って遠藤さんが、
「そうなの。後藤って人、バっカだよねー。その後もちゃんと事情説明すればいいのに逃げ回ったりするから美里、怒ったんだよね。当然だよ! ったくもう、後藤ってやつは!」
 遠藤さん、あんたがいま紫電ちゃんとの間に挟んで圧殺しようとしてるのがその後藤ってやつです。痛いんだけど。……ちなみに、俺と手芸部の連中の関係は全然知らない人同士と思ってもらって問題ない。友達の友達とは合わないというが、どうも俺はこの手芸部の方々が苦手だ。
「美里ちゃん、はいこれ」
 どこから現れたのか新藤さんがさっきまで断片だった毛糸のスライム帽を天ヶ峰の頭に乗せた。
「誕生日プレゼント」
 はにかむ彼女の足元では横井が呼吸困難に陥っている。あっ、でもこいつ頭上の女子どものパンツ見えるじゃん! くそったれが、道理で楽しそうだと思ったぜ。満員電車状態の俺の左右は紫電ちゃんの肘と遠藤さんの肘で少しもいいところがない。
「ほら、後藤謝って」
 どんと誰かに背中を押されて俺は天ヶ峰のベッドの前に突き出された。勢いあまってベッドの上に乗ってしまったので、身を起こした天ヶ峰のすぐそばに正座する形になってしまった。まともに目が合う。
 俺は目を逸らした。
「……悪かった。携帯が壊れてさ、連絡できなかった」
「…………」
 天ヶ峰は答えずに布団の裾を摘んでいる。その手だけが俺からは見える。
 天ヶ峰の声が微動だにできない俺に言う。
「……ばーか」
 返す言葉がちょっとない。

       

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