Neetel Inside ニートノベル
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 やってらんねえ。
 この俺が天ヶ峰に謝るだ? へっ、思い出しただけで反吐が出らァ。
 俺が何度そう言っても佐倉はちっとも取り合ってくれずに「わかったわかった」と言いながら俺に綾鷹を注ぎまくった。おかげで俺は三分に一回トイレに立って廊下で女子とすれ違うたびに気まずい思いをする羽目になってしまった。べつにお前らが座った便座とか興味ねーよ! なんなんだよそのドングリをかじる力すら失ったリスを見るような目。そこまで哀れむなら助けろよ。
 くそっ。なんかむしゃくしゃする。
「後藤、ピザばっかり食べないでチキンも減らしてくんない?」
「ごめん」
 俺は素直に謝って深夜一時過ぎに脂っこいものを食べる作業に戻った。
 つーかよーそもそもなんで零時始まりなんだよこのクソパーリィ。天ヶ峰が起きるのが遅かったのが悪いのかゾウでも殺せる強力な毒薬を弾薬に用いた桐島が悪いのか。ゴリラくらいを殺せるレベルでよかったんじゃないの? 握力とかたぶん同じくらいだし。
 俺は冷えてきてちょっと固くなってきたチキンをもぐもぐやりながら、カラオケセットの前で吠え立てている人間によく似た女子高生たちを眺めた。天ヶ峰はマイクを砕けんばかりに握って愛は地球を救うと叫びながらちょっと自分で泣いている。紫電ちゃんはもう眠くなってきているらしくうつらうつらと無防備なお顔を晒していて、男鹿はマイクを噛んでる。なんで? みんな眠いの? 俺は怖くなってカラオケ方面から視線を切った。つーか本当に金持ちだなこの家。あのカラオケセット一式、床からスーパーロボットみたいに出てきたんだけど。
「後藤、酔ってんの? お酒飲んでないよね?」
 俺が酔ってる? 何言ってんだコイツ。
「ばかやろー。俺ァな、俺ァ、酔ったりしねえんだ。お前らとは違わァ」
「うわあ。場酔いって始めて見た」
 くそっ、誰だこいつは。俺は両手を必死で伸ばしてその女子の顔を遠くにやろうとした。
「ぬわーっ! 何すんのよ!」
 俺は命からがらリビングから逃げ出した。これ以上、見渡す限り女子しかいない空間には耐えられない。ていうか眠い。朝から生きるか死ぬかの修羅場を潜って、もう俺の身体はおねむなんだよ。もう駄目だ親父さんの部屋とスウェット借りて寝ちまおう。俺は廊下をずるずると這いずっていってパパさんの部屋を目指した。
 ちなみに天ヶ峰のパパさんは現在海外に出張中である。娘に似ずに温厚で嫌なことがあるとすぐお腹を壊して会社を休んでしまう残念な人だが、平常時の仕事ぶりが常人の三倍なので許されているという。どこが赤いのかと言えばネクタイが赤い。
「うう……歯あ磨く元気が湧かない」
「じゃあ磨いてあげよっか?」
 俺は咄嗟にコロンと転がって、頭上から降り注いできた謎の声に防御体勢を敷いた。
「誰だ!」
「後藤くん、さすがにお姉さんもいきなりそんなポーズを取られたら照れてしまうよ」
「なんだ練山さんか」
 俺は構えを解いた。練山さんは俺の前で、腰に手を当てて笑っている。
 練山さんは前にも言ったと思うが、俺たちが普段からお世話になっている接骨院の人である。戸籍上は二十八歳らしいが普通に女子大生くらいにしか見えない。他人の血でも吸っているのかスッポンを生きたまま喰っているのかどっちかだと柔肌には目がない木村が言っていた。俺もそうだと思う。さらりとしたショートカットは元ムエタイの選手に相応しい活発さを見るものに感じさせ、きゅっと軽く釣りあがったアーモンド形の目は琥珀に近い茶色の光を湛えている。ちなみにムエタイは蹴りもあれば肘鉄もあるので、全盛期の練山さんを怒らせると天ヶ峰より性質が悪かった。
 俺は立ち上がって顔をごしごしこすった。
「遅ぇッスよ。仕事ナメてんじゃねッスよ」
「あはは、後藤くん相変わらず自分の生命を軽く扱うねー」
 ただの軽口に大げさな返しをされてしまった。……軽口の軽いってそういうニュアンスだったのか。
「メシでも喰ってたんですか? すぐ来てってメールしてから五時間経ったんですけど」
「寝てた」
 それが社会人の言うことか。何時に連絡したと思ってんだよ。日没だぞ。
 俺が軽蔑の目で見ると練山さんはぽっと頬を赤らめて身をよじった。
「ああん……年下の男の子に馬鹿にされてるぅ……!」
 ストレスたまってるんだろうなァ。
「練山さん俺ぶっちゃけもう眠いんでチャチャッと済ませましょう。そしたら向こうでメシが待ってますよ」
「任せろ」
 メシの話になった途端にキリッと顔が引き締まる。軍人じみた氷の眼差しで周囲を見回す。
「で、大事な大事なあたしのクライアントは?」
「こっちです」
 俺たちは城のような螺旋階段を下りて、一階に出た。勝手しったる他人の家で、俺は練山さんを書斎へと案内した。ちなみに練山さんは無地のTシャツの上から浴衣を羽織っているだけの軽装。パンツはいてるのかどうかは知らん。安産型のケツだからあんま興味ない。
「何か言った?」
「まさか。上の連中の馬鹿騒ぎが聞こえたんでしょ。……見てください、これです」
 俺がドアを開けて中に入ると、沢村がじゅうたんの上に直に座っていた。俺は沢村におもむろに近づくとその頭をがしっと掴んで捻った。
「ぎゃああああああ」
「見てください練山さんこれが天ヶ峰に前衛芸術にされてしまった沢村です」
「お前がいま俺をそうしようとしてるんだよ!! 痛いやめろ後藤、俺が何か悪いことしたか!?」
「いきなり出てくんじゃねーよビックリしたわ」
 俺は沢村を離した。沢村はひしゃげた首根っこを、耳に入った水を抜こうとするように振り回して元に戻した。そして今気づいたが、どうもこいつ風呂上りっぽい。下水の匂いを落としてきたらしい。
「おー痛て」
「なんでお前がここにいるんだよ」
「あたしが呼んだの」と言ってVサインしたのは練山さん。
「最近、沢村くん沢村キネシストになったでしょ」
 その呼び方やめてくれませんか、と沢村が朝起きたら学校だったみたいな顔をした。
「でね、これから自分の人生は戦いに次ぐ戦いになるだろうから、もっと強くなりたいし、人の役に立てる大人になりたいんだって。偉いよねー」
 俺がしげしげと沢村を見ると、野郎は真っ赤になって俯いた。まァ世界平和のために立ち上がりたいとか前世で死に別れた宿敵に復讐するためとか言い出さないだけまだマシか。
「偉いじゃん沢村」
「……練山さん、人には言わないって約束したじゃないスか」
 練山さんはアッハッハと笑ってそれで済ました。
「そういうわけで、沢村くんは最近うちの接骨院の手伝いしてくれてるんだよね。実際、人の骨とか関節とか繋げられると便利じゃん? こういうときとか」
「まァ、やってもらう身なんで文句は言えないッスわ。……おい沢村、俺らここに茂田たち置いておいたんだけどどこやった?」
「ああ、こっち。テーブルの上に並べてみた」
 そう言って沢村が指差したのは、俺の背後。俺は振り返った。
 うわあ……
 改めて見ても悲惨である。折り紙をやっていて、鶴が折れないことにこの世への絶望を見出した幼稚園児がグッチャグチャにした色紙みたいなことになっている肉塊が全部で十三はあるだろう。制服の名残と思われる切れっぱしが血を染みこませてぺったりと貼りついているのが生々しい。俺はこんなこともあろうかと事前に用意しておいたバケツにしこたま吐いた。
「おえーっ」
 さっき喰ったチキンとかが出る。もったいねえ。練山さんが背中をさすってくれた。
「大丈夫、後藤くん?」
「吐いてからが本番ッスよ」
「偉い! それでこそ男の子だよ」ぐっと親指を立ててくる練山さん。本当に褒める気があるならそのFカップ触らせろよ。殺すぞ。
 俺は口元をぐいっと拭って、改めて肉塊を見た。
「で、治せますかこれ。いつもより二〇パーセント増しくらいでぶっ壊されてますけど」
「うーん」
 練山さんは肉塊に近づいて、それを寝ている犬の耳でも触るように扱った。
「だーいぶ壊されてるねえ。美里ちゃんもお転婆だなァ」
「本当に困りますわ。あいつにもそろそろ大人になってもらわないと」
「そうだよねえ。壊すなら治すまで覚えないと駄目だよね」
 そういうことじゃねーよ。なんで壊すのはセーフなんだよ。ぐちゃぐちゃになった肉の隙間から覗く茂田の目が見えないのか練山さん。
「んー。沢村くんにもやって欲しいけど、ちょっとまだ難しいかな。あたしがやっちゃうから、沢村くんと後藤くんは動かないように茂田くん押さえといて」
「ちょっと、俺もやるんスか?」
「あったりまえでしょー? 友達のピンチを助けないで何が友達よ」
「めんどくせえなあ」
 しかしこのままみんながミートボール状態だと俺は世にも恐ろしいハーレムを構築してしまう羽目になる。地獄に一人ぼっちとかマジごめんなので俺はぐちゃぐちゃになった茂田の足らしきものを押さえた。反対側に沢村が回る。
「じゃ、いっくよー。えいっ」
 ぶちゅりっ
 練山さんは一声かけると、肉塊の中から茂田の腕を引っ張り出した。ぴぎい、とどこからともなく豚の鳴き声が聞こえた。俺は沢村に囁いた。
「なんか聞こえたよな」
「茂田の悲鳴だろ……」
 なんだそうか。ごめんごめん茂田、屠殺される家畜のそれにしか聞こえなかったよ。あはははは。
 笑ってねえと気が狂いそう。
「よっと」
 練山さんが茂田の左腕を引っ張り出した。俺の見覚えがあるそれよりもちょっと伸びている。
「ん? ここどうなってるんだろ……あ、そうか三番と四番が混ざってて……あー絡まっちゃってるな……いいや折っちゃお」
 ぼぎぃっ
「ピギー」
 頑張れ茂田、もうすぐ人間に戻れるぞ。俺は涙と一緒に、練山さんの一挙手から跳ねてきて茂田の血液を手の甲で拭った。
「沢村くん、ここの傷口にアビテン塗っといて」
「はっ、はい!」
 新兵のごとき威勢のよさで沢村がポケットからアビテンのビンを取り出してそれをどっばどば茂田に振りまき始めた。
「けほー、けほー」茂田だったものが激しく咳き込む。
「ああ駄目だよ沢村くん、粉が気管に入っちゃってる。茂田くんがラクに死ねなくなっちゃう」
 殺そうとしてんの?
「すっ、すいません。くそっ、茂田、頑張れよ茂田! 俺も頑張るからな……!!」
 無駄な熱さを振りまく沢村。こういうソツのないとこが普通に就職決まりそうなタイプに思えて死んで欲しくなるね。
「えいしょ」
 ぶぎりっ
「ぎあー、ぎあー」
 少しずつ人間の形を取り戻してきた茂田がたわんだ手足を振り回し始めた。俺と沢村は跳ね返されそうだ。
 練山さんはさすがに練達している。
「はい、茂田くん頑張ろうねー。もうすぐよくなるからねー。えっとこれは……あっ。うわっ、やだ、ええっ? うっそ……こんなんなってるんだ……へえー。まあいいや、えいっ」
 ぶちっ
「――――!!」
 声にならない悲鳴を上げて茂田が動くのをやめた。痛覚でも目覚めない深い眠りに落ちたらしい。だが、一応、人間の形には戻っている。
 練山さんはすっかり血の花柄になった浴衣の袂にぱたぱたと手で風を扇ぎ込んだ。
「一丁上がり、っと。あっ、やだもー手が血でベトベトになっちゃったあ後藤くんなんとかして?」
「血は血で洗うに限りますよ。ほら、さっさと黒木たちも組み立てちまいましょうよ。俺もうさっきから眠くて」
「後藤……お前この状況が平気なんだな……」
「さっき吐いたけどな。まァ昔取ったなんとかだよ。オラ沢村、黒木の足持て足」


 十三個のミートボールを蘇生させきった頃にはもう、俺たち三人は汗だくになっていた。だが手を血と油で真っ赤に染めながらもなんとかやりきった。もう明け方である。
「ふうっ。これで終わりっと」
 全員にタオルケットをかけ終えて男の子としての尊厳を取り戻してあげると、練山さんは額を腕で拭った。流血沙汰みたいな顔面になっている。
「終わりましたね……」
 俺はちょっと迷ったが結局付け足しておいた。
「ありがとうございます。助かりました。いつもすいません、タダでこんな」
 いいのよぅ、と練山さんは苦笑いした。
「またなんかあったら呼んでよ。あたしもおじいちゃんの腰叩いてるだけじゃ人生に華がなくって」
「今度ばあちゃんちからスイカ届くんで持っていきますよ」
「あ、ほんと? ありがと、楽しみ。じゃね」
 土地柄か、この町の女性は帰り際が鮮やかだ。軽く振った手の残像を残して練山さんが帰ると、俺と沢村は顔を見合わせた。なんだか妙な寂しさがあった。
「……帰るか」
「そだな」
 あっちゃんママは恐らくもうベッドの中だろうし、上は横井を除けば女子しかいない。寝ているやつもいるだろうし、わざわざ顔を出して騒ぎにでもなったら面倒だ。俺たちはそのまま天ヶ峰の家を出た。朝焼けの中、俺と沢村は真っ白な天ヶ峰の家を振り返った。
 長い一日が、こうして終わりを告げたのである。

       

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Neetsha