Neetel Inside ニートノベル
表紙

横井、宝くじ当てたってよ
第四部

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 そして、夏休みが始まった。
 来るべき退廃の時が始まったわけである。誰もが喜んでいるこの夏の到来に、俺は早くも殺気を増した猛暑でエアコンはぶっ壊れるわ冷蔵庫はコンセントが抜けてて中身がムスペルヘイムと化しているわで散々だった。
 親父はマジで泣きが入ってて、お袋の古い知り合いだという電器屋に泣きついて旧式の家電を譲ってもらえないかと交渉している。
 が、どうもこの不景気に昔馴染みにかける情けはないとばかりにおねだりは難航している模様。
 ゆうべなんぞは居間で納豆ご飯をもぐもぐやっていた時に親父がぽつりと「痛いのかな」と呟いた時はどうしようかと思った。
 人間には守るべき聖域があるとはいえ、それよりも我が家の家電を優先してくれようとしている親父にはさすがに頭が上がらない。
 そういうわけで、俺たち一家は打ち首獄門より辛い生殺しで夏休み初日の朝を迎えたわけである。俺の部屋なぞは蔵書の海と化しているが、そのうち熱を保ちすぎて不審火を起こす気がする。
 ああ、せめてカーテンがあるだけでもマシか……。
 朝日が真っ黒なカーテンをぶち抜いて起き抜けの俺の目玉を焼く。これが本当の目玉焼き。
 電話が鳴った。家電(いえでん)だ。服を着たままひとっ風呂浴びた人のようになりながら、俺は電話に出た。
「ゴシゴシ?」
 ボケたわけでなく、喉がやられているだけだ。やめろよその目。なんだしマジで。
 電話は、最初しばらく黙っていた。
「……後藤?」
 俺は居住まいを正した。誰も見ていないのに前髪をかき上げる。ガラス戸に映ったデコが最近マジで後退してきてて死にたい。
「紫電ちゃん? おお、どうした」
 実際問題、いきなり女子から電話が来たってテンションが上がるどころかビビるだけである。なんか不味いことをしでかしたような気がしてくる。パトカー見た時と似てる。
 電話の向こうの紫電ちゃんは、珍しく覇気がなかった。
「あの……な? べつに用、ってわけじゃないんだが……」
「ほほう」
「その……急、急だよな。ごめん」
 いきなり謝られた。悪くない気分である。
「うん、いいよ紫電ちゃん。俺が許す」
「あ、うん……ありがとう。でな、後藤。いいか?」
 どうぞどうぞ、と俺は爪先で膝の裏をかきながら答えた。あとであせもの薬ぬっとかねえとなあ。
 そして、電話口の紫電ちゃんはとんでもないことを口走った。
「今日、デートしないか?」
「…………」
 デッドしないか、の聞き間違えの可能性が結構ある。
 俺はわけもなく周囲を見回しながら声を潜めた。
「……マジか」
 ボケるガッツがない。
「……マジだ」と紫電ちゃんが言う。
「できれば……遠出になると思うから、あの、交通費とかかかっちゃうんだが、平気、か?」
「問題ないぜ」行きがけに誰かを叩き起こして金を借りればなんとかなる。
「そうか? よかった……じゃあ、十二時に駅前で。それでいい?」
 俺は答える代わりに聞いた。
「紫電ちゃん」
「ん?」
「……本気か?」
 紫電ちゃんはやっぱりこう答えた。
 本気。


 俺は電話をがちゃんと下ろした。鉛のように重い気がする。
 マジかあ……
 俺と紫電ちゃんが? ええ? そういう展開? いつの間にフラグを立てていたのかまったく覚えていない。
 悪戯の可能性はないと見ていい。紫電ちゃんは理由もなくそういうことをする子じゃない。そういうことをする子は桐島とか寺島さんとか、あと佐倉とかだ。紫電ちゃんは男心をもてあそべるような子じゃない。それはそこそこ幼馴染の俺が保証できる。
 ということは……
 …………
 俺は自分の部屋に戻り、真っ黒なカーテンをバッと開け放った。真っ白な太陽が俺をぶっ殺そうとその実を熱く熱く燃やしている。俺は手でひさしを作って人でなしの太陽を見上げた。
 何もかも、この白い太陽のせいだと思った。


 横井んちに突撃して軍資金をかっぱらおうとしたが留守だった。
 ので、ロードワーク中の黒木をうしろから羽交い絞めにしてヘッドロックをかけてみた。この暑い中、試合を控えて雨合羽を着こんで減量に励んでいるボクサーを苦しめるのは忍びなかったが、こいつがロードワーク終了後に古本屋のお姉さんと長話した挙句に読みもしない古書を買っては通ぶっているのを俺は知っている。この野郎、買っては俺に投げてよこしやがった。嬉しいけど床が抜けたらどうすんだ。古書と女性と俺んちのために、黒木が余らせている泡銭は俺が頂く。だいたいちょっとロードワークには遅いんだよ。寝坊しやがったなてめえ。
 意識を失った黒木を公園の木にもたれかけさせ、俺は財布をあらためた。なんと五千円も入っている。これじゃ貸してる一万円の利子にもならねえ。俺は空っぽの財布を黒木に投げて返した。俺から金を借りる方が悪いのだ。
 ふふふふ、と黒い笑みを浮かべながら俺は駅前に直行。流れるようにしまむらに入って新品のシャツの内外一組とジーパンを買った。裾上げせずにサイズぴったり。めまいがするようなチェック柄のシャツも大概だが、ジーパンがケミカルウォッシュなのもベターなコケ方をしていると我ながら思う。シャレオツなピーポーからすると失笑ものだろうが、そういうやつは紫電ちゃんのセンスをわかっていない。馬鹿め、あの子には悪手こそ正着手なのだよ。
 トドメに真っ赤なバンダナを額に巻いて指貫グローブもはめ込み、俺は後光を漂わせながら大通りを突き進んだ。周囲の視線など紙くず同然。そこで不意に知り合いと出くわした。
「あら、後藤くん。久しぶ――」
「ふんヌァッ!!」
 コンビニから出てきた旧知・紺碧の弾丸さんを俺はラリアットで地面に叩きつけた。面白いようにひっくり返った紺碧さんは、目玉を風車のようにして薄ら笑いを浮かべている。お前と喋っていると紫電ちゃんとの約束に間に合わないんでな。残念だが紺碧さんの出番はカットだ。
 尊い犠牲を分厚い背中に、その奥の燃えるハートに閉じ込めて、俺はいく、駅前へと。その向こうで待っているはずの、金色の女神を求めて――
「――後藤?」
 最初、気がつかなかった。俺は周囲を見渡して、俺のそばに超かわいくてシャレオツでパイオツな女の子が立っているのを確かめると、とっととその場を通りすぎようとした。だって紫電ちゃんがこんなお洒落なわけないし。
「ちょ、ちょっと後藤! どこいくんだ!」
 がしっと腕を掴まれて、ようやくその美少女の顔を俺はまともに見た。
「うわっ、マジかよ。紫電ちゃんだ」
「マジってなんだ……」
 紫電ちゃんはちょっと悲しそうな顔をして、一歩下がった。
 真っ黒なタンクトップ姿である。左の胸元に銀の幾何学模様をしたバッヂをつけ、腰のそばにはそれを線対称にした金のバッヂが輝いている。ベルトは男顔負けのゴツさだが、細い紫電ちゃんの腰がそれでさらに締まって見えるのが殺人的だ。タイトなジーンズは七分丈で、足元はとても便所に履いていこうとは思わないだろうサンダル。素足だ。ちっちゃな足の指の爪が綺麗に切り揃えられている。そして顔はおなじみの金髪碧眼、心なしかいつもより毛艶がよくて目が大きい。
 やべー。
 俺は鼻を押さえた。つーんとする。感動でだ。
「紫電ちゃん、俺を殺す気なんだな?」
「これ以上、おまえが私の格好をからかったらそうする」
 紫電ちゃんは俺を睨んでいる。おいおい、どこをどう取ったら俺の反応が悪く見えるんだ。メガネ貸そうか?
「いやいやいや。で、それは誰の入れ知恵?」
「酒井」
 やるじゃねーか浪費魔。伊達に金の使い方知ってねーな。
 俺と紫電ちゃんは言葉の接ぎ穂を失って三秒近く見詰め合った。それからふいっとお互いに顔を逸らした。周囲には早くも人だかりが出来つつある。どうやら紫電ちゃんを待たせたわけではないらしい。ていうか誰だいま「隣のキモオタなんなの」って言ったやつ! それほどオタではねえよ! ゲーセンいってもコイン飲まれるだけだし。
「じゃ、いこうか」
 紫電ちゃんはちょっと俯きがちに俺の指を取って引っ張り出した。野次馬から歓声が上がる。気持ちはわかる。俺もやばい。
「し、紫電ちゃん……アグレッシブだな」
「え? ……べつに、指を引っ張っただけだ」言って、拘束具みたいな腕時計を構え、
「もうすぐ電車が出るしな。切符は買っておいた」
「あ、悪い俺チャージなんだけど」
「……今日は切符にしておけ」
 そうします。
 俺は背後を振り返ってモテない諸君と便所コオロギみたいな顔した女どもにひらひらと手を振ってお別れいたした。はっはっは、これも日頃の行いってやつ?
「それにしても後藤……」
 紫電ちゃんがちらっと流し目を俺に振ってきた。
「その格好……」
 お、気づいてくれました? 黒木からかっぱらった金であつらえた対紫電ちゃん用決戦兵装っすよ。どう? どう?
 紫電ちゃんは、遠くを見るような目で言った。
「格好悪いな」
 他人を見る時は普通のセンスなのかよ……


 で、どこへ連れていかれるのか完全にお荷物気分で電車に揺られていたら、二度の乗り換えを経て、都会とは反対方向の終着駅まで連れていかれた。ここまでで三時間半。フルラウンド打ち合ったしりとりがお互いにネタを撃ち尽くし判定にもつれ込んだ。「後藤は言葉をたくさん知っててずるい」というワガママ丸出しの意見が本人によって採用され、俺は逆転負けを喫した。マジかよ。
 着いた駅がすでに緑萌え萌えの僻地であるが、そこからバスでさらに奥地へいくという。正気かコイツ。初デートでいくところじゃないだろ。遊園地とか水族館とかは? 俺イルカ見る気満々だったんだけど。
「紫電ちゃん、俺のイルカは?」
「は?」
 紫電ちゃんはちょっと男の子が傷つく感じの目つきになった。
「イルカってなんだ。あ、さっきのしりとりの続きか? イルカはもう言ったから駄目」
「ちがうわ。そんなにしりとり好きか。子供め。いいか俺が言いたいのはだな、初デートというものは」
「後藤」
 紫電ちゃんが俺の言葉を遮った。
 バスの中には、誰も乗っていない。生きているかどうかも定かでない運転手が気乗りしない声で次の停車駅の名を告げる。
 シートが小刻みに揺れている。紫電ちゃんの顔がすぐ目の前にある。
「顔」
「え?」
「青いな――」
 そう言って、紫電ちゃんは俺の額にぺとりと自分のそれをくっつけた。
「――――」
「ん、熱はないな。……どうした? 酔っちゃったのか?」
 そう言って小首を傾げる紫電ちゃんのタンクトップから、淡いピンクのブラが覗いている。
「――えと」
「もうすぐ着くからな。それまで頑張れるか? それとも下りるか?」
 俺は紫電ちゃんの目を見つめた。真夏の空を繰り取ったようなブルーアイズを見ていると、何が正しいのかが、感染する細菌のようにこの身体に移ってくるような気がした。俺は言った。
「下りる」


 真夏の日差しが赤くなり始めている。
 俺たちが下りる駅は、菖蒲峠、という。
 帰りのバスは、もう無いそうだ。

       

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