Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      



 旅館と大衆食堂と土産物屋をごた混ぜにしたような店が、バスから降りてすぐにあった。山ン中のド真ン中にきらきらと光っているその店を見ると
「科学ってすげえ」
 ……と、俺はしみじみ思ってしまった。逆光を浴びて真っ黒になった紫電ちゃんが俺を見ている。
「どうした」
「や、なんでも」
 そうか、と言って紫電ちゃんは歩き出した。俺は後ろからついていきはしたが、内心、この状況が信じられなかった。日没過ぎて、女の子と自分の家から何百キロ離れているかも分からん奥地をほっつき歩いている。うちの親父は「おまえが死んだら死体を取りにいけばいいだけだ」と常日頃から言ってくれているのでなんの連絡もしなくて構わんのだが、紫電ちゃんの方はどうなんだろう。
 食堂の脇に秘密っぽく開かれているエントランスから、俺たちは宿に入った。名前はなんだっか覚えていないが、難しい漢字を使っていたと思う。
 ぱたぱたぱたと競歩で出てきた女将さんっぽい女性が紫電ちゃんを見てぱあっと顔を明るくした。紫電ちゃんもテーブルを見たらハンバーグがあったガキみたいな顔になって、なにやらぺちゃくちゃと喋っている。俺は気まずいので家来のように紫電ちゃんの左斜め後ろで、壁にかけられた鹿の生首を見ていた。すぐ上でひげもじゃのおっさんが猟銃を構えてにっこり笑っている写真がある。すっげぇ田舎。
 女将さんが、紫電ちゃん越しに俺に笑いかけてきた。
「あんたがしーちゃんの彼氏?」
「はい」
 こういうときはとりあえずパチこいとくに限る。
 が、何も言わない紫電ちゃん。まるで何事もなかったかのようにうっすら笑いながら、
「いこうか」
 俺の指を引っ張って階段を上がり始めちゃった。俺はもうどうしていいのかわかんないので考えるのをやめた。ていうか泊まるの? 怖くてちょっと聞けない。がんばれ俺のピュアハート。
 襖を開けると、修学旅行などで御馴染みのいい感じのお部屋があった。窓の向こうが駐車場っていうのが風情を軒並みブッ殺してくれちゃっているが、まァ諦めずにその向こうを見れば真緑色のお山の連なりが夜の黒に沈んでいて、深海のようだと言えなくもない。というかそもそも山とか緑とか、その上に薄くかかった月どころでもなかったんだよ俺は。だってすぐそばに女神級の美少女いるし。え? いやいやマジだから。マジで東京ガールズコレクションを超越してるから。だって田村んちで紫電ちゃんのフィギュア見たもん俺。あれはガチだった。
「後藤? 今度は顔が赤いぞ」
「酸欠かな。海抜高そうだしこのへん」
 自分で言うのもあれだが、よくもまァ俺もこうペラペラペラペラ嘘が飛び出してくるもんだ。
「そんなことより紫電ちゃん」
 俺はどっかと上座っぽい掛け軸がある方の座布団に座って、テーブルの向こうにちょこんと女の子座りしている紫電ちゃんを見据えた。
「マジで泊まるのかここ」
「ああ。だってもうバスないし」
「そうか」
「……? いやなのか?」
「その逆だから困ってンだよっ! 察せよ!」
「……??」
 紫電ちゃんのビックリマークが増えた。くそっ、これだからチンコがついてねえやつは何もわかってねえってんだよ。ああやっべえお肉畑が見えてきた。振り払う。
「ちゃうねん。ちゃうねん」
「なんで関西弁」
「やかまCィ!! いいか、紫電ちゃん、こういうことを俺は恥ずかしいとは思わないからハッキリ言うが、……俺には金がねえ」
 紫電ちゃんはしばらく黙っていたが、やがてこう答えた。
「なるほど」
 なるほどじゃねーよ。どういうことだよ。俺はテーブルをばしばし叩いた。
「どうすんだよ紫電ちゃん。こんなとこ泊まる金ないぞ」
「ああ、それなら大丈夫だ。さっきの女将さんは私の親戚だからタダだぞ?」
「えっ」
「……話、聞いてなかったのか? このあたりは、私の父方の祖母の生家のすぐそばなんだ」
 紫電ちゃんがジト目で見てくる。俺は自分の頭を叩いてぺろりと舌を出して見せた。
「鹿見てて全ッ然お話を聞いていませんでしたぺろ」
「この馬鹿が」
 ありがとうございます! ああ~気持ちいいその目~もっと見て。俺をもっとそんな感じで見て。しかし紫電ちゃんはシベリア地方の鉄杭のような視線をすぐに溶かして、ふっと柔らかく微笑んでしまう。やめろよそういうの。俺ホントにグロッキーになっちゃうぞ。
「暑いな」
 紫電ちゃんはパタパタと手うちわで顔を扇いだ。さらっとした金髪が気まぐれを起こして舞踏する。
「ついて早々だが、風呂でも入るか? 温泉だぞ」
「何事かと思ったらここ火山なのかよ。あぶねえところに宿建てやがって。……あー、つーか着替えねーじゃん。どうしよ」
「ん」
 紫電ちゃんはおもむろに立ち上がると、俺の隣に座った。え、何? 私の身体がスポンジよってこと? そういうことなの?
 カシャリッ
 一瞬の早業だった。紫電ちゃんのスマホが俺と紫電ちゃんのツーショットを撮影した。さりげにチーズサインまで取っている紫電ちゃん。ノリノリである。俺はその画像を表示させたままのスマホを渡されて、呆然とした。
「この画像を見せればこの旅館の中では顔パスで、なんでもタダだ。簡単な下着とか、シャツとか、土産コーナーに置いてあると思うからもらっていけ。浴場にもそういうのあるかもしれないけど、自販機とかだと買えないしな」
「俺、久々に紫電ちゃんが生徒会だってことを思い出したよ」
「……どういう意味だ。手際がいいって言ってくれてるのか?」
「まァそんなとこだ」
「……ふん」
 紫電ちゃんはぷいっとそっぽを向いた。そのまましっしと手を振ってくる。
「早くいってこい」
「へいへい」
 俺は紫電ちゃんのスマホを片手に部屋を出た。襖を閉めて、灯りが煌々とついた廊下を見渡す。頭を低く下げて、窓の外からは見えないように移動した。
 何かの陰謀の可能性を俺は捨て切れていない。どうなる俺。あっ、紫電ちゃんの携帯の電池切れそう! 急いで、せめてパンツだけでもゲットせねば。待ってろよパンツ! 俺は廊下を勢いよく走り出し、たまたま居合わせた従業員の人に物凄く怒られた。廊下は走っちゃ駄目なんだって。初耳だわ。

       

表紙
Tweet

Neetsha