Neetel Inside ニートノベル
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 土産物屋で「この紋所が目に入らぬか」をガチでやってみせた俺は見事着替えをゲットしていた。紫電ちゃんってすげえ。
 そういうわけで浴場に俺はいた。
 全裸である。
 のちの全裸である。
 いや何言ってるかわからねえわ。普通に全裸です。露天風呂で全裸。気持ちいいね。
 お客は俺だけだった。
 蛇口を捻って桶に軽くお湯を入れて頭からかぶる。今日一日の疲れと垢が排水溝へと消えていく。いいねえ。これマジでタダでいいの? 金銭感覚壊れそうだから逆に何か払っておきたい気分だ。
 石鹸でゴッシゴッシと身体を擦りつつ、ぼーっと月を見上げる。いまごろみんなどーしてんだろ。まさか俺がこんなところで二の腕を洗っているとは思わないだろーな。
 そういえば横井はどうなったんだっけ。天ヶ峰とリアル鬼ごっこした後も学校で会いはしていたが何を話していたかまるで覚えていない。まァそれもこれも茂田が拾ったウサギを校舎裏で飼い出したので、横井どころじゃなかったのである。ウサギは茶色で、まだ生まれたてだ。名前は一橋慶喜。怒られそうである。
「ふんふんふふん、ふんふふん」
 鼻歌まじりにボディを禊ぎ果たすと、俺はいよいよ温泉に片足を突っ込んだ。ほどよい熱さでじんわりと癒しの気配が立ち昇ってくる。そのままドボンと落ちるように湯に浸かった。
 おお……
 思わず眠って溺死してしまたくなるような心地よさ。なんじゃこりゃ。全身がマシュマロか何かになっちまった気がする。俺は意味もなくへへへへと笑った。この夏の疲労がすべて溶けていく気分だ。
「やっべー……死にそう」
 思わずこぼれた独り言に返事があるとは考えてなかった。
「そうだな」
「そうでしょ……って、ええ!?」
 至近距離に紫電ちゃんの顔があった。俺は水面にアッパーカットを喰らわせて水魔法を使った。
「ぶふぉっ!? ちょっ、やめ」
「何してんだ紫電ちゃん! ここは男湯だぞ!」
「え?」
 紫電ちゃんは湯気の中に埋もれている。くそっ、よく見えない! でもなんか髪をかき上げている気配がする。
「ああ……そうか。いや、十分前までは女湯だったんだ。ここ、時間制だから」
 そういう大事なことは早めに教えてくれよ! あと中にお客がいないか確かめてくれ従業員さん! なんか一階で宴会やってて忙しいみたいなのはわかってたけど! ほんとお疲れ様です! あれ?
 俺はくらくらっと来てしまった。ガキの頃、初めて紫電ちゃんと会った時のことを思い出す。公園のジャングルジムを制圧していた紫電ちゃんからみんなの遊び場を取り戻すための鉄砲玉になった俺はものの見事にカウンターを喰らって一メートルくらいの高さから落下して頭を打ったが、あの時と同じ感じがした。くらくらする。しゅわしゅわする。なんだこれ……
「後藤? ……後藤!」
 そもそもツッコミが追いつかないのである。先に風呂入ってこいって言ってたのになんでお先に失礼してるんだよ。いやすぐ出るつもりだったかな……なんか、なんか、ヘンだ。今日は一日、最初からヘンだ。そもそもなんで俺こんなところで紫電ちゃんと……夢かこれ? 夢落ち? 超微レ存。
「後藤ーっ!」
 ああこれ湯あたりか。何か肌色で柔らかいものがすぐそばにある気がするが、わかったところでもう遅い。俺の意識はレジ点検の時に掌から滑り落ちていく小銭のようにどこかに消えた。月が丸い。



 ――気がつくと布団の上で寝ていた。あかりを受けて黒い影になった紫電ちゃんが俺を見下ろしている。
「大丈夫か?」
「ああ……」
「水飲むか?」
「うん」
 俺は紫電ちゃんに後頭部を支えてもらって、水を飲んだ。うめえ。
「ぷはっ……俺は一体……」
「いきなり倒れたんだ。湯あたりだろう」
 湯あたり?
 そういえばそんな目に遭ったような気がする。
 ていうか……。
 俺は布団をかるくはぐって自分の姿を見下ろした。
 浴衣着ている。
 知らないパンツの履き心地がする。
 瞑目して天を仰いだ。紫電ちゃんがたじろいでいる気配がする。仕方ない、不可抗力だ。
 元気を出そう、と俺は自分に言い聞かせた。
 チンコを見られたくらいで、人生は終わらねー。
 だが、それはともかく言っておくべきことがあった。
「紫電ちゃんが悪い」
「は?」
「お前な、いきなり全裸の女子が現れたら男の子は卒倒しちゃうんだよ」
 これ、豆知識な。襲ったりできないから。倒れちゃうから。
 紫電ちゃんの白目だけがなぜかくっきり見えた。
「……それが、べつに好きでもない女子でも?」
「残念ながらな」
「……そうか」
 紫電ちゃんはちょっと寂しそうに言った。俺は額に手をやり、乗せられていた冷シボをひったくってテーブルの上に投げた。べちゃり。
「さて、どういうことか説明してもらおうか」
 身を起こして、ぎろり、と紫電ちゃんを睨む。見ると紫電ちゃんも浴衣を着ていた。紫色のラインが入った、俺にはわからない花の柄が染め上げられている。
「……説明? だから、うっかり男湯との切替寸前に入ってしまったんだ。それで……」
「まだ寝ているつもりはないぜ」
「……なに?」
「風呂に入ったらかえってサッパリして頭が冷えた。俺ァな紫電ちゃん、あんたに好かれるようなことをした覚えもないし、あんたに好かれるほど自分がイイモンだとも思ってねえ」
 紫電ちゃんと俺の間にある空気がピシリと凍った。
「……だから?」
「白状しろよ。何が目的なんだ? 白黒はっきりつけようぜ」
「そんな……私はただ」
「ただ?」
 俺は笑った。
「その先が言えるのか?」
 紫電ちゃんは黙った。俺は目を逸らさなかった。でもすぐにビックリした。
 紫電ちゃんの青い目にふつふつと涙がこみ上げてきたもんだから。
 俺はちょっとスカしすぎたと思ってスゲー後悔した。へんなムード出すもんじゃないわマジで。慌ててごめんごめんラッシュをしようとしたら、紫電ちゃんがふいっと顔を背けた。袖で目元を隠す。
「すまない、泣くのは卑怯だな。見なかったことにしてくれ」
「いや紫電ちゃん、俺はそんな」
「いいんだ。少しだけ、時間をくれ。すぐに全部話すから」
 そういって紫電ちゃんは、ティッシュで鼻を二回かんでから話し始めた。
「……どこから話せばいいかな。この間、祖母の兄が亡くなったんだ」
 俺はなんとなく居住まいを正した。
「それは……ご愁傷様」
「どうもありがとう。それで……祖母の兄、というよりも祖母を含めた私の血縁は、このあたり一帯を取り仕切っている地主でね」
「え、地柱町を仕切ってるんじゃ」
「それは祖父の方」
 ははあ、と俺は納得した。お金持ち的サラブレッドってやつか。
 紫電ちゃんはちょっと笑ってから続けた。
「祖母と祖母の兄にはよく遊んでもらった……ただやっぱり、お家としては私のママがアメリカ人だということはあまり受け入れられてなくて、親戚の中には冷たくしてくる人もいたんだが、あの二人だけは別だった……零おじいちゃん、葉子おばあちゃん、と幼かった私はよくなついていたものだ」
 なるほどな……ってか、葉子はともかく零おじいちゃんって、当時にしてはアグレッシブな名前だなオイ。
「その零おじいちゃんが亡くなって……遺産の分配の話になった。遺書がなければ法律で定められた分け方に従って分配されるはずだったんだが、いきなり零おじいちゃんの遺書が遺品の中から出てきたんだ」
「ほう」
 血筋を遡れば盗賊に戻ると言われている俺んちとしては、相続の話なんててんでピンと来ない。
「その遺書にはこうあった。――妹の孫娘、紫電には、ぜひとも私、火泉零(ひずみ・ぜろ)の遺産をすべて分け与えたい。ただ、ひとつ条件がある。それは私の親友の孫と紫電が結婚することだ。これは、私が青春時代を共に過ごした友人との口約束から始まったことで、紫電には何の関係もないことだ。こんな因縁を押しつけてしまう羽目になるとは、孫の紫電にはなんと言ってお詫びしたらいいかわからない。だが、友人との約束を破るわけにはいかぬ。私は私として義理を通さなければならない」
 俺はいつの間にか掴んだ膝を強く握っていた。
 紫電ちゃんは朗々と語る。きっと何度も、その遺書を読み直したのだろう。覚えてしまうほどに。
「――紫電がやつの忘れ形見と結婚すれば遺産はすべて紫電に譲る。もっとも優しいあの子のことだから、遺産のほとんどは私の直系である火泉家に戻してくれるだろうが。そして、もし、紫電が結婚を拒めば。――私の遺産はすべて、ある施設へと寄付されることになっている」
 話し終えた紫電ちゃんは、俺の目を見た。
「……私は、その会ったこともない男と結婚するつもりだ」
「マジか」
「ああ。冷たくされたこともあったが、この土地に住む親戚たちを路頭に迷わせるわけにはいかない。でも、――でも、私には自信がなかった。会ったこともない人間を、『愛さなければならない』という理由だけで愛せるのか、どうか」
 重たい沈黙が下りた。
 紫電ちゃんは目を伏せている。どうでもいいがその視線の先は俺の股間なのでジロジロ見るのはやめてもらいたい。
「……これが、私がお前を誘った理由だ」
「……なるほどね。俺は実験台(テストショット)だったってわけだ」
「……そうだ」
 合点がいった。それなら佐倉んとこの喫茶店で好きだのなんだのショートケーキみたいに甘ったるい話題を振ってきたのもわかる。
「ずっと悩んでたってわけだ。一人で」
「……許されるとは思っていない。殴ってもらっても構わない」
 俺はしばらく腕組みをして紫電ちゃんを睨みながら、言った。
「その男は、いまどこにいるんだよ」
「え? ……ここからちょっといった先に、火泉の本家がある。そこに来ているらしい。……本当なら、お前には何も言わず、私は明日一人で本家にいって、彼と結婚してしまうつもりだった」
「いまでもそうするつもりなのか?」
「…………」
 紫電ちゃんは黙っている。俺はため息をついて立ち上がった。
「いこうぜ」
「え?」
「黙ってたって何も解決しないだろ」俺は時計を見て、
「夏の夜は動きやすいしな。いまからその本家ってところに殴りこみをかけようぜ」
「そんな! みんなを殺したくなんてない!」
「誰が殺せっつったよ! お前らの殴りこみ重たいよ! ったく……とにかくその男のツラ見ないことには話が始まらねえだろ。善は急げだ」
 言って、もう出て行こうとする俺に紫電ちゃんが取りすがるように言った。
「怒らないのか!?」
「はあ?」
「だって、だって私は……お前を騙したのに……お前を利用してただけなのに……」
 紫電ちゃんは不整脈を起こしたように胸元を押さえて、顔をゆがめている。
「いいよべつに」
 俺はマジだった。紫電ちゃんが見えない壁にぶつかったような顔をしている。
「ま、今日はなんだかんだ言って楽しかったしな。これで終わりってのが残念っちゃ残念だけど。紫電ちゃんもさ、急にそんなメロドラマが始まっちゃってテンパってたんだろ? しかたねーじゃん」
「そんな……後藤、おまえ神か?」
 そこまで凄いか俺。
 がしがしと髪をかきむしった。
「あー、その、なんだ。あれだよ。男っていうのはさあ……」
 さすがに恥ずかしいので目を見て言えなかった。
「……女のワガママ聞いてやって一人前なんだよ」
「後藤……」
「親父の受け売りだけどな」
 言って、俺は笑った。
 これだけ恩を着せておけば俺の股間のプライバシーは守られるはずだ。

       

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