Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      




 本家、と紫電ちゃんが呼んでいる屋敷の門は固く閉ざされていたが、門を顔にたとえるとえくぼの位置にある通用門がぽっかり開いていたので俺たちはそこから侵入した。庭は縁石やら鹿威しやらがあって、粗相をすると吹き矢が飛んできそうな気配がする。
「いいか、呼吸をするな。ここから先は戦場だと思え」
 紫電ちゃんがしいっと人差し指を立てながら俺を振り返った。
「呼吸を止めて生きていくのは男子高校生にはちょっと無理なんですけど」
「いいか、自分の肺を信じろ。自分の呼吸器系を信じろ」
 なんだその「コツがあるんだよ」みたいな顔。ねーよ。でもやるわ。むんっ!
「ぐへえ」
「おい三秒も経ってないぞ」
「呼吸については諦めようぜ。それよりその婚約者ってのはどこにいるんだ?」
 屋敷の中では、宴会が張られているらしい。酒飲みのおっさんたち特有のガッハッハ笑いが響き渡っている。
「遠見のおじちゃんたちが飲んでいるらしいな……私の門出をお祝いしてくれているらしい……」
 紫電ちゃんが月明かりの下でちょっと寂しそうに眉尻を垂らした。複雑な心境なんだろう。
「でも好都合だ。うちの血筋はお酒が入ると弱くなるから」
「ヤマタノオロチみたいだね」
「ははっ、そうだな」
 笑い話じゃないんですけど。
 紫電ちゃんは急に真顔に戻って「ちょいちょい」と俺を手招きした。
「こっちだ。離れに、来客用の間がある。そこに『彼』はいるはずだ……縁側を通って向かおう」
「わかった。……でもその前にちょっといい?」
「ん?」
 俺は左手の方にある、納戸を指差した。
「あそこって何があるの?」
「えっと……」紫電ちゃんは虚ろなまなざしになって遠い記憶をほじくり返した。
「農作業用の器具などだな。あとはまァ、色々だ。使わなくなったガラクタが置いてある。それがどうした?」
 紫電ちゃんってさァ、と俺は言った。
「子供の頃に里帰りして親戚の子と花火とかしなかった?」
「した。とても楽しかった。いまでも懐かしい思い出だ」
「そりゃよかった。じゃあちょっと久々に花火大会とシャレこもうぜ」
「え?」
 俺はこそこそと納戸に近づいた。紫電ちゃんが「わけがわからないよ」と言いたげな顔でついてくる。
「後藤、おまえ」
「いいから。ちょっとここの鍵外してくれる?」
 ばキィッ
 南京錠が紫電ちゃんの手の中で、ブラックホールに飲み込まれた宇宙船のようにねじくれ曲がった。
「外したぞ」
「金持ちはやることが違うな。……うおっ、きたねえ」
 中は時代錯誤も甚だしい木造っぷりである。スコップやダンボールの中から、俺はひとつの木箱に目をつけた。危険、とマジックでデカデカと書いてある。俺はそれを開けてみた。
 黒々とした鋼鉄が、真綿の上に鎮座していた。水筒みたいな形をした炸薬と、それに繋がる導火線が揃えてある。砲身を指で触れてみると冷たく、肌に黒い煤がついた。それを指先で擦り潰しながら、俺はあらためてそれを見た。
 それは。
 大砲にしか見えない、花火だった。
「……後藤、おまえまさか」
「なんだい紫電ちゃん。その人でなしを見るような目は」
「いくらなんでも……おまえ……」
「これぐらいやらないと自分の気持ちって伝わらないよ」
「そ、そうなのか? いやそういうことじゃないだろ……あっ、おい、待て!」
 待つ馬鹿がいるか。俺は内心から沸きあがってくるうきうきした気分を抑えられずに、表へ飛び出した。ふふふふ、やると決めたら徹底的にだ。俺はもう一目見た段階で黒々とした砲身に惚れてしまっていた。俺はどうもガキの頃から、強いものが好きなのである。
 星が明るすぎて群青色に近い空の下で、どう見ても大砲にしか見えない花火を庭の草の中に設置する。
 砲塔は、屋敷の中に向いている。
 俺の手には、木箱から取り出した火打ち石が握られている。
 準備は万端。
「後藤! やっぱり駄目だ、こんなことまちが」
 うるさい紫電ちゃんの目を赤バンダナで後ろから縛り付けてやった。
「うわあ! なにも見えない、見えないぞ後藤!!」
 紫電ちゃんがゾンビのような挙動で、そばにあった燈篭を俺だと思って揺さ振っている。燈篭の丸石が「めきり」と嫌な音を立てて転がった。見なかったことにする。
 さてと。
 俺は火打ち石を弾いて、導火線に火を点けた。
 ジジジジジ……とやる気のないセミのような音を立てて縄が短くなっていく。俺は耳に手を当てて、三歩下がった。導火線の距離が零に等しくなる。
 考える。
 ――誰が悪いかと言えば、忍者がいるなんて口を滑らした紫電ちゃんが悪い。
 ぱっ、と砲塔が光った。
 すぐに壁のような音が炸裂し、砲塔から恐らく大砲であろう花火がぶっ放された。縁側から閉じられた雨戸をブチ破って屋敷へと突撃した砲弾は中で爆裂したらしい。
 特撮じみた大迫力で、紫電ちゃんの生家が粉々に吹っ飛んだ。屋根瓦が俺たちのそばにまで落ちてきた。俺は夜間ではあったが、右手を庇にしてそれを見た。
 いい眺めである。
「遠見のおじちゃん! 桜井のおばちゃん! うわーっ!!」
 紫電ちゃんが赤バンダナを顔からむしりとって地面に投げ捨てた。そのままその場にくず折れてうっうっと嗚咽を上げる。俺は額に浮かんだ汗を左手の甲で拭った。
「ふうっ、これで忍者がいようと関係なくなったぜ!」
「言わなければよかった! 言わなければよかったぁ!! おまっ、おまえ最低だぞ後藤!!」
 うるせー。お前にはわかるまい、もし本当に忍者が出てきたらどうしようかと考え続けた俺の苦しみを。あいつら夜目が利くからスニーキングミッションしても無駄だろうし、紫電ちゃんは戦闘力はあっても心根が土壇場で甘いので肉親相手じゃパンチの切れが鈍るかもしれないし。物凄く悩みに悩んでのコレなのだということはわかってほしい。男子高校生が非日常で生きていくには見敵必殺でも生ぬるい。出会う前に殺す。これが鉄則なのだ。
 ところがさすがに紫電ちゃんの血縁だけあって、崩れたジェンガみたいになった屋敷の中からおっさんたちのだみ声が復活してきた。
「何奴だァ――!?」
「であえ、であえ、敵襲なり、敵襲なり!」
「ここが火泉の縄張りと知っての狼藉かァ――!!」
 元気なおっさんたちである。まァ時間稼ぎぐらいにはなったろう。俺は紫電ちゃんの手を引っ張って駆け出した。
「いこうぜ。おい泣くなよ紫電ちゃん」
「うっ……ひぐっ……」
 現実の世知辛さに耐え切れず紫電ちゃんがベソかいてしまった。俺が悪い気配がする。
「大丈夫だって、死人は出てないさ」
「そうかなあ……」
「前向きに考えようぜ。おっ、あれか離れって?」
 裏庭にぽつんと茶室ような離れが建っている。中から灯りが漏れていた。俺たちは難破した末に陸地を見つけた船のように一目散にその離れへと突っ走り、障子を蹴破る勢いで中へ入った。こういうのは気魄が肝心である。俺はロクに中も見ずに叫んだ。
「てめえかあ!! 紫電ちゃんの婚約者ってのは!! ぶっ」
 殺しちゃうぞ、と言いかけた俺のセリフが途中で止まった。紫電ちゃんが俺のうしろで息を呑む気配。
 離れの中には、確かに若い男がいた。そいつは囲炉裏の上に鍋を置いて一人でスキヤキを食っていた。手元の碗とそいつの口を牛肉が繋いでいた。呆然とした目で、そいつは俺たちを見ている。道理で留守だと思った。
 横井だった。


「な――」
 その口から、ぽろっと肉が落ちて、ゴマだれの中に沈んだ。
「な、なんで……後藤がいんの? ていうか、紫電ちゃん……えっ、なに、なんで、どうして?」
 あたふたし始める横井と、ドサっという音を立てて気絶したらしい紫電ちゃんの間に挟まれて、俺は両目を瞑って天を仰いだ。
 そーゆーことなのだった。

       

表紙
Tweet

Neetsha