Neetel Inside ニートノベル
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 横井んちマンションに着くと、いつもは「オートロックとかマジで生意気だし超めんどくせえ」としか思わないその八階建ての建物が、なぜか急に魔的な空間に思えた。
「なんだろうな、この無駄な緊張感」と茂田。
「たかが横井んちなのになあ」と俺。
「これがカネの為せる業か……」
 俺はエントランスで横井んちのナンバーを押して返事を待った。かちゃり、と受話器を取る音がして、
『はい、横井ですー』
 横井のお母さんの声である。俺は咳払いして言った。
「こんちわ、後藤です。いつもお世話になってます」
「あら、後藤くん? ごめんねえ、純のやつ、ちょっといまいないのよ。さっき一度帰ってきたんだけどね、またどっか行っちゃって」
「帰ってきたって……どうやって?」
「どうやってって……変なこと聞くのねえ後藤くん」
 横井のお母さんは不思議そうにこう言った。
「水菱重工のMH4800で屋上に乗り付けて帰ってきたに決まってるじゃないの」
「お邪魔しました」
 俺はインターフォンの接続を切った。
「横井のお母さんはもう駄目だ、貨幣経済の闇に飲み込まれている」
「いつかまた元気な姿で焼きそば作ってくれる日が来てほしいな……」
「そうだな……」
 俺と茂田は横井んちを後にした。
「つか、酒井さんについては聞かなかったけどいいのか?」
「いたら代わってくれただろ。あの言い方と雰囲気はどっちもいねえってことだよ」
「じゃ、これからどうすんの?」
「酒井さんのいそうな場所を片っ端からしらみつぶしにするしかないな……」
「いそうな場所って……俺たちそんなに酒井さんと仲良くないじゃん」
「こういうとき横井がいねえと不便だ」
 俺と茂田は信号待ちの間、重苦しい沈黙に耽った。
「酒井さんとなかよしっていうと誰かな」
「その質問は間接的に俺たちが頼れる女子は誰かっていうことになるな」
「確かに」
「ふむ……よし」
 俺は携帯電話を取り出してアドレス帳を呼び出した。女子の知り合いというと二人しかいないので探すのがラクである。
 呼び出し音を聞いていると茂田が不思議そうな顔で見上げてきた。
「誰に電話してんの?」
「天ヶ峰」
 ダンクシュートもふいになる見事なハエ叩きが俺の携帯を吹っ飛ばした。
「おまえ何すんだよ!!」
「それはこっちのセリフだよ!!」茂田はわざわざ吹っ飛んだ携帯を追いかけて足で踏み潰しやがった。てめえ!!
「天ヶ峰がこのことを知ったら明日にはこのマンションはねえぞ!?」
「知ってるよ! だから逆に俺があいつに電話する時はさほど重要じゃねえんだってイメージを持たせられるだろうが!!」
「ゴキブリだって学習すんだぞ!! おまえはあいつの愚鈍さにあぐらをかきすぎだよ!!」
 俺たちは怒鳴りあって体力を消耗した。ぜいぜいと肩で息をする。
 ぐぬぬ……確かに俺は天ヶ峰を幼稚園児相当として扱っている節が多々あるので、やつが水面下で成熟している可能性はなきにしもあらずだ。仮に大した用事ではないことが向こうに伝わってもヒマしていれば「あたしもそっちいく」とか言い出しかねない。そうなればすべてがご破算である。ほんとめんどくせえ。
「茂田……確かにお前の言い分もわかる。俺が性急だった。すまねえ」
「わかってくれればいいんだ」
「ああ。それとな」
 俺は粉々になった携帯電話を見下ろした。夏のアリが運ぼうとしている。アメじゃねーよそれ。
「やりすぎじゃね?」
「ごめん」
 謝罪に対する応報は鉄拳のみ。俺は茂田の倫理観を信じて拳を振り上げたが、そこでとぅるるるるると着信音。
「なに?」
「俺のだ」だろうな。
 ポケットから携帯を取り出して画面を見る茂田。
「ヒィッ」
 絞められた鶏みたいな声を出してぶるぶる震え始めた。心なしか頭上に雲までかかり始めた。
「……どうした?」
「…………」
 茂田は黙って、俺に携帯の画面を見せた。

『天ヶ峰美里』

 俺は天を仰いで慟哭した。
「さっきのアレ、イタ電だと思われてる……!!」
「ど、どうする……出た方がいいのか!?」
「いや待て落ち着け。冷静になれ」
 俺たちは深呼吸した。すーはーすーはー。
「まずひとつ確認しておこう。天ヶ峰には『ゴメン』が通じない」
「おまえにもな」
 うるせえ。
「もし出たら厳しい追求が待っているだろう。なまなかな理由じゃやつは俺たちを許さん。あいつは一度ネットの掲示板に馬鹿正直にメアド乗っけて携帯が鳴り止まなくなってから若干テレフォンアレルギー気味なんだ」
「携帯解約すればいいのに……」
「あいつは意外と夢見がちだからな……」
 携帯は鳴り止まない。俺は決断を下した。
「だから……こうするのが一番いいんだっ!!」
 俺は打ち下ろしの右(チョッピングライト)で茂田の携帯を粉砕した。
「ああーっ!! お、俺の携帯がーっ!!」
 俺は拳から立ち昇る不可視の紫煙をふっと吹き消した。
「生命には代えられまい」
「バッテリー抜けばいいだろ!!」
 茂田、賢い。俺は舌をぺろりと出してすっとぼけることにした。
「ゴメーンネ」
「お前、絶対にただやり返したかっただけだろ……」
「そんなことないよ? ヒトを疑うのよくない」
「もういいよ……そろそろ行こうぜ。つーか暑いわ」
 夏休み直前の七月中旬である。今年もアスファルトで目玉焼きが喰えそうだ。
「どうする。ひょっとして俺たちには明日がないのか」
「そんなバッドエンドで終わりそうなセリフはやめろ。こうなったら酒井さん締め上げて横井のことも締め上げて、謎のカネをふんだくるか横井が乗って帰ったヘリ奪うかして、南の島へ逃げるしかねえ」
「お前と?」
「俺と」
 茂田はううっと目を覆った。
「十七の夏を前にして、せっかく逃避行というシチュエーションまで辿り着いたのに相手がお前か……。なんでお前が女の子じゃないんだろう……」
 いや、その考え方はどうかと思う。茂田おまえペットの犬にも似たようなこと言ってたよな? なんかすげー背筋が寒いんだけど。
 こんな暑い中にも頑張って夕刊を配達しているおばさんにぷっぷーとクラクションを鳴らされてしまったので、俺と茂田はとりあえず移動することにした。

       

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