Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      



 俺と茂田は酒井さんを探して町をうろつき回った。女子が行きそうなケーキ屋さんや小物屋さん、洋風なファミレス、ゲームセンター、ユニクロ、青山、ホームセンター、二郎。特に二郎はかなりいい線いっていると思ったのだが、ガラス戸から覗き込んだ店内はもやしを掘るかどんぶりを噛み砕くかの激戦区で、沸き立つ湯気の中、男たちの汗と汗が麺と絡みあっていた。ちなみに俺は初二郎で見事に未完食だったのでやんわりと退去をうながされ、それから自主的に出入り禁止を己に課している。あの時はほんとすみませんでした。
「いねーなー酒井さん」
「もう完全に打つ手なしだな。歩き回りすぎて時間喰ったしもう家に帰ってんじゃねえか?」
「なんだよ、つまんねえな」
 茂田はぷうっと頬を膨らませた。やめて。
 俺はポン、と茂田の肩を叩いた。
「まあいいじゃねーか。どの道、酒井さん探し出してもどうなるってもんでもねえしさ」
 宝くじ当たったんだって、と言われてもそうですか、としか答えられないし。
「じゃあ何? 俺ら横井のヘリに心躍らされた哀れなドリーマーってこと?」
 ずいぶんと薄汚れたドリームである。まったくこれだからけだものは困るよ。
 俺はアタマのうしろで手を組んで、少し赤くなり始めた夏の夕日を見上げた。
「あーあ……せめてもの希望は、横井が宝くじを当てたんじゃなくって、酒井さんがブルセラでパンツ売ったとかだったら、それをネタに脅して南の島にいけるってことくらいかぁー」
「その説を取ると酒井さんの使用済みパンツには三億円近い値が張る計算になるけど、いいのか?」
「いいじゃん」
「いいのか……」
 茂田は貨幣経済の闇に向って目を細めた。
「……帰るか」
「そうだな」
 俺たちはとぼとぼと家路に着いた。完全に負け犬二人組である。
「あーほんと、天ヶ峰どうしよう」
 茂田がボヤくので俺は静かに首を振った。
「助かろうとしないことだけが、助かるかもしれない道だ」
「なんで普通に生きててそんな状況に追い込まれなければならないんだよ……」
 俺と茂田は駅前に出た。二人とも徒歩で家に帰れるので、わざわざ駅前に来るのは遠回りになるのだが、なんとなく最後にこの町で生きたということを胸に刻んでおきたい気持ちだった。
 ふと、茂田が足を止めた。
「なあ、カラオケいかねー?」
 見上げると、カラオケ『絶望』の入った雑居ビルがちょうど俺たちの前にあった。
「いつ見てもひっでえ名前だな……よく登記できたもんだ」
「子供に悪魔ちゃんとかつけるセンスとなんら変わらねーよな」
 そのビルに入っている店もまあ、軒並みひどい。二階は喫茶店『闇』が下ろしきったブラインドの向こうに見てはいけないものを孕んでいそうだし、三階は雀荘『千年の一撃』が麻雀の歴史が千年も続いていないという事実を覆い隠している。四階は『絶望』、五階は満を持してのプールつきホストクラブ『よしお』という有様である。ていうかこの規模のビルの最上階によくプールとか作ろうと思ったな……万一、水で床が抜けても四階から一階までぶち抜きでゴミしかいなさそうだから?
 俺はウーンと背伸びをして、言った。
「歌ってくかァ」
「歩き回って疲れたしな、さっぱりしようぜ」
「この国での最後の宴になるかもしれないしな」
「なあやっぱ亡命しかねえの? ほんとにそうなの? 俺マジでヤなんだけど」
 ぶつくさ言いながら、俺と茂田はビルに入って通路奥のエレベーターを待った。ちなみに一階は空きテナントになっている。前はおもちゃ屋さんがあったのだが、ミニ四駆の衰退とユザワヤの底力の前に店を畳んだ。店主のじいさん、まだ生きてっかな。
 やってきたエレベーターに乗って、四階のボタンをポチンコ。
 ぐんぐん上がっていくエレベーターケージの中、俺は壁に背中を預け、茂田は階数ボタンに鼻をくっつけんばかりに接近している。
 茂田が言う。
「……後藤くんはお父さんのことが嫌いなの?」
 俺は髪を振り乱して叫んだ。
「好きになれるわけないよォ、あんなやつゥ!!」
「自分から逃げてるのね」
「好きなことやって、そればっかりやってて、何が悪いんだよぉ!! うわあああああ!!!!」
「綾波ぃーっ!! 来いーっ!!」
 いやお前はいま綾波だろ茂田。
 チン。
 電子レンジのそれとまったく同じ音がして、エレベータが四階に着いた。がららららと開いていくドア。
 俺と茂田はツタヤにいく時と同じくらいの心地いいテンションでエレベーターを降りようとした。
 が。
 目の前に、小柄な女子が立っていた。
「?」
 茂田は「誰だこいつ」みたいな顔して早くどけよオーラを出している。が、俺にはわかっていた。何度か紫電ちゃん越しに面識がある。ああ、なんてこった。
 男鹿(おが)である。
 姓に男とあるのに女という、男でいうと早乙女みたいなやつで紛らわしいことこの上ない。身長一五〇センチ弱。ウェーブがかった脱色気味の髪。ガキがクレヨンで描いたのかと思えるほどのパッチリとした両目。
 そして、沢村や佐倉某と同じく超能力者で、例の沢村事変の際に政府から送られてきた対沢村用決戦女子である。ちなみに、俺は事変中には男鹿と面識がなく、あの忌々しい結末――遊び疲れて眠りやがった天ヶ峰を俺が自宅まで運んだ――を迎えたキャンプファイアーが終わった後に知り合った。
 性格はというと、
「ぐわああっ!!」
 いきなり茂田が誰に触られたわけでもないのに宙を浮いて床に叩きつけられた。見ると透明な手が男鹿の背中から伸びて茂田の耳を床と挟んでいる。
「助けてくれっ、ごとっ、ごとおおおおおおおお!!!!」
 無理に決まってんだろ。馬鹿か。
 俺はエレベータの閉めるボタンを押した。が、男鹿の足払いがエレベータードアを止めた。
「後藤」
「なんでしょう、男鹿さん」蹴られたエレベーターケージがヘコんでるんだけど。
 男鹿はふうっとため息をつき、大人びた仕草で髪を払った。ナメたことしてんじゃねーぞ貧乳。
「困ったことになった」
「俺もいま困ってるところなんですよ」
 後藤ォォォォ――!! と叫んだまま動けない茂田も大変お困りのご様子ではあったが、いまは捨て置く。
「実は今日、私はヒトカラに来ている」
「でしょうね」
「ところが、いざ支払いの段階になって、財布を開けてみると……」
 男鹿はくっと口惜しそうに顔を払って涙を切った。
「二十円ほど足りなかったっ……!!」
「なんでそんな切羽詰った財政でカラオケに来ちゃうの?」
「足りると思った」
 しれっと言い返す男鹿はコンマ数秒前まで涙を見せていたとは思えぬ鉄仮面である。
「なので」
 ちっちゃなお手々を俺に差し出し、
「慈悲を」
 優しさって暴力を背景にチラつかせて得てもいいものなのかな……?
「男鹿、実は俺も今日、お金が」
「財布を見せてくれれば信用する。もしくは飛んで」
 完全にカツアゲである。この町の警察は何をしているんだ……
 俺はふっと肩から力を抜いた。
「わかりましたよ。ですから男鹿さん、その足をどけてください」
「うん」
 男鹿が乗せていた足をどけた。俺は笑顔で、閉めるボタンを押した。作戦名『天丼』である。
「さようなら」
「後ッ……藤ゥゥォォォォォォォォ!!!!!!!!」
 親友の血が噴出すような絶叫が聞こえたが、無視する。優しい時間の流れがきっといつか俺の中から茂田という存在を忘れさせてくれるだろう。予想としてはこのエレベーターが一階に着く頃くらいには。
 俺は万感の思いと共にエレベーターが閉まるのを待った。
 が、
 閉まらない。
 俺はだらだらと冷や汗を流した。
 男鹿は笑っても睨んでもいなかったが、さっきより顔が近い。
「後藤?」
「えっと」
 がんばれ俺。いままで自分が潜り抜けてきた修羅場のことを思い出してなんとかがんばれ。
「いや、ちょっとATMで金を下ろそうかなと思って」
「二十円のために?」
「……あの……ちがくて……これは……だから……えっと……」
 泣きそう。
 男鹿は、ふっと目を閉じ、
 カッと見開いた。
 瞬間、下段の水平蹴りが俺の身体を宙に浮かせた。物理学的必然による蹴り上げが発生したが、男鹿は俺の足首を掴んでブゥンと振った。
 片手で、である。
 俺はぶん投げられて茂田の上に折り重なった。
「ギャフン」
「あべし」
 真っ白に燃え尽きた俺と茂田の前に仁王立ちした男鹿が、ぶいっと指を立てた。
「正義は、勝つ」
 どこが正義? なにが正義? カウンターの中で真っ青になってるお前の会計を待ち続けている店員さんの目を見ても同じことが言える?
「言える」
「心を読むな」
「後藤の思考は単純」
 そう言って、制圧完了を認めた男鹿が、茂田を押さえつけていた透明な――というよりも、紺碧の大海原をその形に切り取ったような――腕を出所である背中付近まで下げた。そして、消える。腕がなくなると、男鹿の制服の首元がだるんとゆとりを持った。
 俺の下で茂田が呻く。
「ご、後藤。なんなんだよこの女子」
 俺は腕を組んで鼻息を荒くしている私TUEEEE状態の女子を見上げ、
「こいつは男鹿。超能力者で、紫電ちゃんの下っ端だ。能力は、透明な手を肩甲骨の間から招じさせる男鹿ハンド」
「男鹿ハンド言うな」
 また男鹿がにゅっと男鹿ハンドを背中から伸ばして俺らを威嚇した。そう、こいつの能力は背中からダイレクトに出るので、服がだるんだるんになってしまうのである。そのせいでいつも貧しい胸の気配をかもし出す鎖骨があらわになっている。かわいそう。
「後藤、なにか失礼なことを考えてる」
「まさか! この状況で自分の身の安全以外に思いを馳せる余裕なんて俺にはないよ」
(よく言うぜ)
(うるせえ黙ってろ茂田)
「それより二十円が欲しいんだろ。ほら持っていけ」
 俺はケツを振って自分の財布を差し出した。男鹿は財布を拾って、中から百円玉を取り出した。しくった、十円は切らしていたんだった……
「ついでにマックのクーポン券ももらっていく」
「それで俺たちの生命が助かるなら致し方もねえ」
 男鹿はだいぶ待たされた店員さんに謝罪と共に二十円を支払っていた。支払いの遅滞よりもエレベーター壊したことを謝れよ。
「助かった。ありがとう、後藤、モブ」
「モブって俺のこと? ねえ俺のこと?」
 喰っていたラーメンのナルトにハエが止まったような顔をする茂田。
 男鹿はかくんと小首を傾げた。
「二人もカラオケ? 仲がいい」
「ああ……」
 と答えかけて、俺はハタと気づいた。男鹿もこれでも多少は女子である。酒井さんが行きそうなところに心あたりがあるかもしれない。
 俺は言った。
「なあ男鹿、酒井さん見なかった?」
「かおりちゃん? 見た」
「そうか見てないか……うぇぇ!? 見たの!?」
 茂田が俺を哀れそうな目で見上げてきた。
「後藤、おまえリアクションのセンス古いな……」
「ふんヌッ!」
 俺のエルボーが茂田の意識を叩き潰した。
「それで? 男鹿。どこで見たんだ」
「このビル」
「酒井さんもカラオケに来てんの?」
 だが、男鹿はブンブン首を振った。そして、指をピシリと天井に向ける。
「うえ」
「うえ?」
 俺はきったねえ煙草のヤニがへばりついた天井を見上げて、そして気づいた。
 上って……
「酒井さんは、ホストクラブ『よしお』にいるのか?」
「うん」男鹿は頷いた。
「エレベーターの中で会った」
 そこで男鹿は悲しそうに俯いた。
「気まずかった」
「だろうな……」
 女子高生がホストクラブにいくって……大丈夫なのか? 法律とか、条令とか。
「気がはやるのはまだ早いぜ!」
 モブがむくりと目を覚ました。日本語だいじょうぶか?
 茂田は俺の冷たい視線にも気づかずに続ける。
「ひょっとしたら酒井さんの兄弟が働いているのかもしれないぜ。酒井さんはきっとお弁当とかを届けに来たけなげな妹に違いない」
「まあ、そうかもな……確かに酒井さんがホスト相手に酔っ払ってるザマは想像できねーし」
 男鹿も頷いた。
「人を疑うのはよくない」
 最初から決め付けてたのはおまえです。
 俺と茂田は立ち上がって、階段に向った。
「待って、後藤」
「なんだ男鹿。おまえは古巣に帰るがいい」
「どうしてかおりちゃんを探しているの?」
 俺はふっと髪をかき上げた。
「実は俺は酒井さんに惚れててな……これから告白しにいくところなんだ。告げてやるぜ、俺の愛と悲しみのラプソディー」
 茂田が万感の思いを込めた感じで天を見上げた。
「かっけえ! 後藤さんマジかっけえっす!」
「フフ……」
 俺はチラッと男鹿の方を見やった。さてこのネタ、ちょっと怒られそうだが反応はいかに――
 だが、
 男鹿の反応は俺の外角高めをぶち抜いた。
 ばしり。
 いきなり両手を掴まれて、俺は二の句が告げなくなった。
 視界一杯に、頬を赤くした男鹿の顔が広がる。
「応援する……!!」
「はい?」
「後藤がかおりちゃんのことが好きだなんて知らなかった……」
 男鹿はまるで自分に何らかの責任があるかのように唇を噛み締め、
「似合ってると思う……二人は……!!」
「……あのー?」
「がんばれ、後藤……!!」
 男鹿は握った俺の両手をぶんぶん振って、むふぅと鼻息を荒くした。
「私は、後藤の味方……!!」
「あー……ははは。それは、どうも、ありがとう?」
「いこう……綺麗な愛と遥かな未来が後藤を待ってる……!」
 ずんずんと前をいく男鹿。その堂々とした後ろ姿を見ていると、むしろこいつの前にこそ遥かな未来がある気がしてならない。
 呆然とする俺のわき腹を、茂田が肘で突いた。
「どうすんだよ」
 俺が知るかあ……!!




『登場人物紹介』

 後藤…悲しみのラプソディー
 茂田…いつ男鹿に自己紹介するべきかタイミングをうかがっている
 男鹿…本屋さんのえっちなコーナーは目を逸らして歩く
 酒井さん…五階にいるらしい
 雀荘『千年の一撃』…常連客がふざけて書いたサインがいくつも置いてある。
 カラオケ『絶望』…閉店

       

表紙
Tweet

Neetsha