Neetel Inside ニートノベル
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「しかしホストクラブか」
 茂田が腹痛を起こしたような顔をしている。
「どう思う? 後藤」
「帰りたい」
「怖い金髪のお兄さんたちにいきなり胸倉掴まれたりしたら、俺……」
 茂田は階段を登りながらひゅんひゅんと左のジャブを空に放った。
「びっくりして倒してしまうかもしれない」
 なんでそんな好戦的なんだよ。あたたかい牛乳でも飲んでろ。
 俺はため息をついた。
「手荒なマネをするのはやめとけ。勢い余って酒井さんが覚醒したりしたらどうする」
「いやいや覚醒って」茂田がにやけ顔の前で手を振った。
「マンガかよ」
「その甘さが命取りにならなければいいがな……」
 俺は置物のように静かになっている男鹿をちらっと見た。
「何かあった時は手を貸せよ」
「うん」
 返事だけは素直なやつ。
 階段が終わって、踊り場にある扉を俺と茂田が肩で跳ね飛ばすようにして開けた。両手を顔の前で交差させて部屋の中へと飛び出して、叫んだ。
「伏せろ、伏せろーっ!!」
「警察だあ動くなあ!!」
 紺色の生徒手帳を振りかざし、俺たちはプールサイドを地獄に変えた。
「何やってんの?」
「あっ」
 茂田の言ったとおり、金髪のお兄さんたちがぬっと現れて、俺たちの手を掴んできた。わりと痛い。
 ちなみにみんな海パン一丁、日サロばっちりで小麦色に焼けている。マーガリンとか塗ったら美味しそう。
「離してください、警察を呼びますよ!」俺は叫んだ。
「ぼくたちにひどいことするつもりなんでしょう!? エロ同人みたいに!!」茂田の悲鳴。
 金髪の兄ちゃんが茂田の馬鹿を聞いて「おえっ」と舌を出してえずいた。
「そんなわけあるか。ちょっとね、お客さんに迷惑だからやめてもらえる? 君たち西高の生徒だよね。これ罰ゲームか何か?」
「いじめられてるなら相談に乗るよ」とコメカミに傷のある兄ちゃんが爽やかな笑顔を見せた。やっべえケツがむずむずする! あーっ、逃げたい!
「実はここにクラスメイトがいると聞きまして、未成年なので連れ戻して注意するようクラス委員に頼まれたんです」
 ちなみにここにいるはずのやつがクラス委員である。狂ってる。
 俺は怒られながらも酒井さんを探して周囲を見渡した。
 ホストクラブ『よしお』はいったいなんでそんな純和風な名前をつけたんだと責任者を呼びたくなるほど綺麗なところだった。簡単に言うとでかいプールがあって両サイドにカクテルバーがある。あちらこちらにはパラソルつきのベンチがあって、どこもかしこも中年を越えたセレブなオバサン方が若い男と水をかけあったりパフェを食べたりしている。吐きそう。
「その子は酒井と名乗っているはずなのですがご存知ないですか」
「どうしてそんなちゃんとした理由があるのにあんなふざけたことしたの? お客さんビックリしちゃうでしょ」
 どう見てもババアの目にはあんたらのケツしか映ってねーよ。微動だにしてなかったもん。
 しかし反論したらマンガとか小説とかでよくある風に腕をねじ上げられてますます怒られそうなので、俺は大人しくすることにした。
「すみません、実は横井ってやつが俺たちのこといじめてきてて……」
「ちゃんとふざけないとエロ同人みたいなことするって言うんです」と茂田も便乗。お前さっきからそれしか言ってねーな。
「それで、酒井のやつはいますか」
「ああ、酒井さんなら……」
 と金髪さんが振り返りかけた時、ガラスが砕けるような悲鳴が上がった。
「なななななな、なんで後藤くんと茂田くんが!? それに男鹿ちゃんまで……!!」
 そこにいたのは、トイレから手をふきふき出てきた酒井さんだった。正気の沙汰とは思えない極彩色のビキニを着て、アップにした頭のてっぺんにグラサンを乗っけている。
 俺はつかつかつかと酒井さんに近寄ってその胸倉を掴み上げた。
「おまえここどこだと思ってんだ? ハワイか? グアムか? それともフィリピンじゃないだろうな」
「ぎゃああああああどこ掴んでるのよこのバカ放して!! ヒモが、ヒモが」
 放すわけがない。俺は怒りに駆られた野獣のフリをして手にもっと力を――
 背骨の軋む音。
 気づけば、俺はプールサイドに大の字に伸びていた。採光ガラスから降り注ぐ光の粒が美しい。
 その暖かな光景を男鹿の顔がアップで遮った。
「人でなし」
 ぐうの音も出ない。
「わざとじゃないんです」
「よくもペラペラと」
「ぐう」
 そこで男鹿は声を潜めて囁いた。
「告白は?」
 俺も声を潜めて囁き返した。
「実は俺ってツンから始まってデレで終わるアレなんだ」
 男鹿はガラパゴスかどこかの珍妙な生き物を目にしたようなツラをした。
「なるほど」
 なるほどじゃねーよバカか。ちょろい女だな。まあいい。
 俺は立ち上がり、生意気にも胸元を押さえている酒井さんに再び詰め寄った。
「ない胸を見てやろうって言うのにその態度はなんだ?」
「さ、最低すぎてどこからもツッコめない……!! けど、けど、負けてたまるもんかあ……!!」
「こんなところにいるところを見られたのがすでに負けだと気づけ」
「えっ。あっ」
 酒井さんはその場にうずくまって頭を抱えてしまった。ぶるぶると震えながら言う。
「違うんです」
 何がだよ。俺と茂田は顔を見合わせて肩をすくめあった。
「ネタはあがってるんだ。さあ吐け。ここで何をしていた? あの筋骨うるわしい細マッチョのお兄さんに何をしてもらっていた?」
「なっ、何もしてもらってないっ! 仮にされてても言うわけないでしょ!!」
 涙目で叫んでくる酒井さん。俺はふんふん頷きながら、金髪兄さんに意見を聞いてみた。
「……と申しておりますが実際のところどうなんでしょう」
「足揉んだり手を繋いで泳いだりとかですね」
「ギャーッ!!」
 酒井さんが頬に手を当てて絶叫しぶっ倒れた。だがすぐに起き直って、
「そ、そういうのって守秘義務とかあるんじゃないの、リョウ! これはあたしたちだけの秘密だねって、リョウ言ってくれたじゃない!!」
 金髪兄さん、リョウって名前なんだ。
 そういうわけでリョウ兄さんは満面の笑顔で、
「仕事ッス」
 答えた。
「ギャーッ!!」
 今度は後頭部から危ない角度で床に落ちていった酒井さん。座っている状態から床に落ちるってすげーな。どんだけテンパってんだよ。
 そのまま額を床に押し付けてしくしく泣き始めた。
「ひどい……いくらお金だけの関係でも節度ってものがあるよ……」
「店側に切られるって酒井さん相当厄介な客だったんじゃないかな」
 ちらっとリョウ兄さんを見るとどうもそんな感じだ。
「頻繁にメールしたり所構わず電話を要求したり、しまいには兄さんの薬指にある指輪跡について追求したりしたんだろう」
「なんで知ってるの!? さては後藤くん、きみ、私のことストーカーしてるんでしょう!?」
 脳内シナプスが焼ききれてんじゃねーかこのアマ。
「自意識過剰女め。あぶく銭を得て正気を失ったか」
「くっ、やはり金の魔力」やはりってなんだよ茂田。
「あ、あぶく銭ってなんのこと……?」
 途端に酒井さんはもぞもぞと身じろぎし始めた。
「えーと私なにか忘れているような……あっ、男鹿ちゃん! いいところに、私これから帰るの。一緒に帰ろう? そうしよう?」
 ゾンビのように突き出された酒井さんの手を男鹿がパシリと振り払った。
「男鹿ちゃん……!?」
「現実と向き合うべき」
 男鹿はたぶん何か誤解しているのだろうが、いまは好都合だ。俺はガシリと酒井さんのアタマを掴んで逆アイアンクローをかました。
「ふんヌッ」
「放してっ! 髪の毛にさわんないでよ!」
 効果がない。俺は泣く泣く手を放した。
「握力が欲しい」
「おまえリンゴを前にするといつもそれ言うよな」
 黙ってろ茂田。
「とにかく、酒井さん、ネタはあがってんだ」
「な、なんのことやら……」
「今日、横井が放課後ヘリに乗って帰った」
「あのバカあああああああ!!」
 酒井さんはその場に跪いて滂沱の涙を流した。
「なんってバカなの……横やん……!!」
「それは俺たちも思った」
「だから俺たちはここにいる」
 俺と茂田は酒井さんを取り囲んで仁王立ちになった。
「白状しろ。横井に何があった? 宝くじを当てたのか。埋蔵金でも掘り出したのか。それとも血統的あみだくじに勝ってどこぞの大富豪の遺産でも相続したか?」
 酒井さんはなりたての未亡人のような悲哀を漂わせて、俺たちを見上げてきた。
「それを知ってどうしようというの……」
「あわよくば獲る」
「……大きな野望(ゆめ)だね。大きすぎるよ、後藤くん」
「男ってのはそういうもんだ。……ん?」
 視界の端で、何を勘違いしたか男鹿が爆発しそうになっている。茂田がプールから汲んだ水をぶっかけているが湯気が止まらない。なに考えてんだよ。
「で、結局のところどうなんだよ」
「どうもこうも」
 酒井さんは腰巻にしていた布をぎゅーっと絞って水を吐き出させながら、
「私はなんにも聞いてないよ。ただ、こないだ急にさ、家がなくなって大変そうだからって三千万円ぽんっと渡されて、これで新居でも買ってくださいって」
「マジ?」
「マジマジ」酒井さんはもう隠しきれねえと腹をくくったのかヒートしてきた。
「でね? 実はうちのおじいちゃんがもう知り合いから中古の一軒家を借りる手はず整えちゃっててさ、私それ知ってたから、だからこの三千万べつにいらないなーって思って。でも別に言う必要もないなーって思って」
「あるだろ」
「ないよ?」
 目が死んでる。もうやだこのひと。
「それでね? 家族にも言う必要ないなーって。そしたらこの三千万ムダだなーって。ムダなら使っちゃえばいいかって」
「ならねえよ」
 茂田が青ざめている。
「ちょっと待ってくれ酒井さん、そしたら何か、マジで使っちゃったの? 三千万? ここで?」
 酒井さんは空ろな笑い声を立てた。
「リョウがいけないんだあ、リョウがね、『どんぺり』が飲みたいなって言うから。そしたらあたしね、リョウにどんぺり飲ませたいなーって思って。気づいたらお金払ってて。リョウどんぺり飲んでて。うっ……うううう」
 酒井さんはまた亀のように丸くなって泣き始めてしまった。さすがに可哀想になって俺はリョウ兄さんを振り返った。
「マジすか。マジでここで三千万円キャッシュでドン! ……すか?」
「うん」
「ええー……止めてあげてくださいよ」
「いやだってドンペリ回さないと店も回らないし」
 なにその「上手いこと言ったし俺は正しいよ?」みたいな顔。やっぱイケメンだな。クズが!
 俺はため息をついて、茂田に目線で合図、一発で理解してくれた相棒と共に酒井さんを亀状態のまま持ち上げた。
「今日の支払いはまだっすよね。悪いっすけど、この子連れて帰りますよ」
「ちょっとちょっと」
 それまで友好的な雰囲気だった『よしお』の面々の顔色がどす黒くなってきた。
「困るよ、そういうの。もう今日は二本ドンペリ開けてるんだから」
「でも、飲んだのはこの子じゃないでしょ?」
「そういう問題じゃないんだよ」
「じゃあ、どういう問題ですか」
「こういう問題だよっ!!」
 リョウ兄さんの右フックが飛んできた。俺は鮮やかなスウェーをしたがやや届かずしたたかに顎に右をもらってもんどりうって倒れた。酒井さんは落とした。
「ぐふっ」
「おい後藤、できないことはするなよ!」
 茂田はいま物凄く正しいことを言っている気がする。くそう。俺は酒井さんの背中に手を預けて立ち上がりながら、回っている目と震えている膝の回復に努めた。
「お、男鹿」
「ん?」
 見ると男鹿はバーのカウンターに座って、届かない足をぷらぷらさせながら、バーテンのお兄さんにおごってもらったとおぼしきリンゴジュースを飲んでいた。くそっ、可愛いは正義か!
「助けてくれ。口の中が切れちゃった」
「んー……」
 男鹿は悪いやつではないのだけれど、グラスに残ったリンゴジュースの方が俺よりも大事そうな目つきをしていた。ひどいよ。
「頼むっ!! 俺と酒井さんの恋路のためだ!!」
「……わかった」
 ぴょこん、と降りて。
 男鹿はお兄さんたちの前に敢然と立ちはだかった。
「いって、後藤」
「恩に着る」
「おまえのことは忘れないぜ!」と茂田が元気に言う。男鹿はそれを見て悲しそうに首を振った。
「……やめてモブ。私にはあなたを受け入れる優しさがない」
「セリフと心が一致しすぎだよ……」
「泣いてないでいくぞ茂田。じゃ、男鹿、あとよろしく」
「ん」
 俺たちは現実を見るのをやめた酒井さんを運搬しながらその場を後にした。
「大丈夫かな」
 と茂田が言うので、俺は首を振って見せた。
「すぐわかる」
 そして狙っていたかのように、頭上で悲鳴が聞こえ始めた。
 ひとつ……ふたつ……みっつ……
 恐ろしい破壊音と共に大の男たちが上げる情けない絶叫が雑居ビルに響き渡った。
 茂田がぼそりとこぼした。
「ホラーだな」
「この町に住んでて女に素手でケンカ売る方が悪いよ」
 俺たちが酒井さんを無事に日の下に連れ出しておっぽり出すと同時に、魔王のいびきのような音がして、背後の雑居ビルが地面に吸い込まれていった。いや、違う。倒壊を起こして崩れ始めたのだ。ずるずると消滅していく雑居ビルを見ながら、俺と茂田は訳もなく敬礼していた。その頬に冷たい涙が光る。
 これで死人が出ないんだから地柱町は今日も平和である。




『用語説明』

 どんぺり…正式名称は『ドン・ペリニヨン』最高級になると一本10万。それに『リョウお兄さんの酔った拍子にしか出ない一発芸』をオプションでつけると値段がおおよそ十倍まで跳ね上がる。

 リョウ兄さんの右フック…脇を絞める力がリョウ兄さんにはないため、力が分散し、虚弱な後藤でもノックダウンせずに済んだ。ちなみに天ヶ峰のデコピン(小指)に相当する。

 雑居ビル…いろんな事業主が一発当てるために借りるビル。壊すときは業者に頼むか、男鹿ハンドを無闇に振り回すと壊れる。



       

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