Neetel Inside ニートノベル
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「あれか……」
「だろうな……」
 どれぐらい走っただろう。俺と茂田は遊園地のほぼど真ん中を闇雲に突っ走って、もう反対側まで来ていた。
 そして今、俺たちの目の前で些細な痴話喧嘩が起こっている。俺たちと同じ歳頃の男女がメリーゴーラウンドの前でモメていた。例によって女が帯電したみたいに怒り狂って男の方はオタオタしているばかり。よくある光景である。
「どうして兄さんは私の思いを受け止めてくれないの――――――っ!!!!」
 ……兄さんだからじゃね?
 そういうわけで沢村兄妹の登場である。まあ土曜だから学生カップルが遊園地に来ていてもあいつらは「一緒にいられればそれでいいんだモン」だから全然不思議じゃないのだが、この組み合わせに限っては兄貴の方が常に青ざめているのが特徴的である。よくもまあこんな具合の悪そうな兄貴を連れ出したもんだな朱音ちゃん。
 その朱音ちゃんの怒号と共に大気は揺れ、雲は吹き飛び、そして空にはステンドグラスのようなバリアーと思しき界面が小動物の呼吸のように明滅している。近くで家族連れのオッサンが写メを撮っていた。タフな野郎である。
「ちょっ、朱音、落ち着いて! スカートがめくれちゃうよ!?」
「今はそれどころじゃないんですよ――――っ!!!!」
 朱音ちゃんが地団太を踏みそれが古武術でいうところの震脚となって足元のレンガを粉々に砕いた。そしてそこから衝撃波が周囲三六〇度にぶっ放されて三歳ぐらいのガキがこける、それを見て茂田が一言。
「俺、気をためてる女子を初めて見たよ」
「気ためてるのあれ? 確かに土煙が波紋を作り出してはいるけど……」
 設置理由不明の茂みの陰から覗く俺たちにとってこの距離でも沢村妹には危険を感じる。さっき転んだガキが必死の形相で逃げ出し始めた。かわいそう。
「それにしても沢村妹まで能力者になるとはな。そのうち俺らも何かに目覚めそうだぜ」
「何の能力が目覚めても俺はあれに勝てる気がしないよ」
 俺はふうっとため息をつき、
「この謎の結界は沢村妹の仕業か……」
「やっぱそうなのかな?」
「恐らく沢村が帰りたがったか、何か性的な接触を求められてそれを拒否ったために妹が怒ってしまって発現したんだろう」
「性的な接触って?」
「手をつなぐとかだ」
「なるほど」
 俺たちは食い入るように沢村兄妹を見やった。
「朱音! ごめん、ほんと悪かった、俺もう二度とお前の手のこと湿ってるとか言わないから!」
 そんなこと言ったのか沢村……。
「そら怒るわ」さすがの茂田も訳知り顔である。
「兄さんはなんにもわかってない! 手から汗が出るのは心の優しい人のあかしなんです!」
「自分で言っちゃうのか朱音!?」
「ええ言いますとも、はっきり言わないと伝わるものも伝わらない……私はそれを後藤先輩から学んだんです!!」
 チャリに乗ろうとしたらサドルに鳥の糞が落ちてきた気分がした。
「くそっ、後藤の野郎! 元はと言えば全部あいつが悪いんだ! いつか丸焼きにしてやる!」
「なんてこと言うんですか! 兄さんはそんなこと言わない! この偽者!!」
「へぶっ」沢村妹のボディブローが沢村の肝臓をしたたかに打ちのめした。ぐったりとその場に跪く沢村。火炎で対抗しなかったのがせめてもの兄の矜持か。
 グロッキー状態の兄貴を妹がひょいとズタ袋同然に担ぎ上げた。
「兄さん……きっと兄さんは何者かの精神攻撃を受けているに違いありません。今日一日、私が付き添ってその呪いを解いてあげます!」
「やめて……誰か、誰か助けて……」
 沢村の懇願も空しく妹は雄雄しく空を向く。
「まずは名物ジェットコースター『スパイラルダウン』を十周するところから始めましょうか。今日はなんとかとかいうミスなんとかがどこかで愚民どもを集めているのでココ空いていますから待ち時間なんてきっとないです! やりましたね兄さん!」
「う、うわ、うわわ、うわわわああああああ――――っ!!!!」
 沢村は必死に妹の肩の上でジタバタともがくが鉄骨のような腕に絡め取られて身動きは最後まで出来なかった。さらば沢村。俺と茂田は綺麗なフォームで合掌してやった。後始末は神か仏がやってくれるだろう。
 さて。
「とりあえず、この結界は沢村妹の仕業だということが判明したな。尊い犠牲は出たが」
「また会えるさ、いつか」と茂田。そのセリフはもう会えない時に言うやつだと教えてやった方がいいのだろうか。
「で、どうするよ後藤。沢村と妹に協力を頼んでみるか?」
「あの状況で俺たちが横槍を入れたら俺たちは死ぬぞ」
 俺にいたっては兄貴の方にも恨みを買っている模様だったし。
「だが、まあ、そうそう悪いことばっかでもない。あの調子じゃ沢村妹は閉園まで結界を解除しないだろうし、その間は誘拐犯も横井もここから出られない」
「あ、そうか! そういえばそうだな!」
「うむ。後はどうやって誘拐犯を捕まえるかだ」
 茂田はぐっと握り拳を作った。
「虱潰し作戦だな?」
「言うと思ったぞ。だが残念ながら相手は俺たちのあんなことやこんなことまで見抜いてしまうテレパシストなので接近したらすぐバレちゃうから駄目だ」
「ずるくね?」
 俺に言われても。
「じゃあどうすんだよ後藤」
「さあな。ま、気長に待とうや。チャンスをさ」
「チャンスって……」
 ところがチャンスはいきなりやって来た。
「……あんたたち、何やってんの?」
「ん?」
 俺たちは振り返った。するとそこには遊園地のスタッフの女の子が腕組みをして立っていた。制帽の脇からサイドテールが一房溢れている。見覚えのある顔なのだが……
「……誰だっけ?」
「むかっ。へええええ、忘れちゃうんだ? あんたのせいであたしの人生メチャクチャになったんですけど?」
「おまえ何したんだよ!」茂田が物凄く嬉しそうな顔で言った。
「頼むから詳しく聞かせてくれ!」
 俺が聞きたいよ。あとお前が想像しているようなことは何もないよ。
 こっちがむすっとしているとその女子は自分から名乗った。
「佐倉よ。佐倉舞子」
「ああ、いたなあそんなの」
 確かちょっと前に沢村を仕留めに来た政府の超能力者で、うちの生徒会副会長の左を掻い潜れずに手先に落ちた女子だ。言ってしまえば男鹿の元同僚で、使える能力は念動力(サイコキネシス)。こいつのせいで生徒会室は一時的な文房具不足に陥ったらしい。
「そんなのって言うな!!」
 制帽をスパンとレンガに打ちつけて佐倉はわなわなと震えた。
「あんたのせいであたしは職を失い地味な高校生活を送る羽目になったのよ……!!」
「感謝しろよ。アダルトチルドレンに教育の機会を与えたのだ」
「なんでそうペラペラ喋れるのよ!! 口先だけは一級品なんだから!!」
 なんだこいつ。俺のこと好きなのかな?
「俺のこと好きなの?」聞いてみた。
「死ね!!」
 制帽についていた星型のバッヂが俺の頚動脈めがけて飛んできた。左のショートパンチで撃墜したが危なかった。能力者は怒ったりビックリしたりするとすぐ能力使ってくるから厄介である。
 茂田が俺と佐倉の間に割って入った。
「おいおい、今は身内で争っている場合じゃないぜ」
「はあ? じゃあどういう場合なのよ」
「実はな……」
 俺たちは佐倉に簡潔にこれまでのいきさつを語った。
「……横井が? テレパシストに? ふうん……」
 佐倉は口元に手を当てて何かを考えていた。
「能力者がいるなら放っておけないわ。立花先輩にもそういうのは取り締まれって言われてるし。いいわ、あたしも手伝う」
「マジか!!」と茂田。
「うん。でも悪いけどこっちの手を読んでくる相手にあたしの能力で何が出来るかはわからないわよ。そもそもどこに隠れているのかもわかんないわけだし……聞いてるの後藤?」
 俺は目の前にある遊具を見上げていた。遊具と言っていいものか迷うが、どこの遊園地にもひとつはある上下にスライドするベンチみたいなアレである。
 俺は言った。
「誘拐犯を釣り出すのは急げば多分簡単だぜ」
 茂田と佐倉が疑わしそうな目つきをした。おい信じてください。
「佐倉、そのトランシーバーってもう一個ある?」
「は?」
 佐倉は「いま気づいた」とでも言いたげな顔で自分の腰にある無線を見下ろした。スタッフ同士の連絡用のやつだろう。
「借りればあるけど……どうすんの?」
「いいから持ってきてくれ」
「しょうがないわね……寺西くーん!!」
 佐倉はそばを通りかかった男子スタッフに駆け寄ると、胸倉を掴んで何かを言いそいつからトランシーバーを奪って戻ってきた。
「これでいいの?」
「よくはないよ」かわいそうだろ寺西くん。すごい目でこっち見てるんだけど。
「横井の命がかかってるんでしょ。もったいぶってないで早くしなさいよ」
「へいへい」
 俺はトランシーバーを持って、ちょっと中空を見上げた後、佐倉に片手を上げた。
「じゃ、俺らはこれからこれに乗ってくるから」
 背後の遊具を指した俺に佐倉は物言いたげだったが、結局何も言わずに片手を振ってきた。
 疑問顔の茂田を連れて、俺たちは座席に収まり、ぐんぐんと上昇していった。
「おいおい後藤、この期に及んで遊んでどうするんだよ」
「遊んでるわけねーだろ」
「ええ? あ、わかったぞ、この高さから園内を見回して横井を探そうってんだな。バカだなー後藤、誘拐犯が上から見下ろせるところにボサッと突っ立ってるわけないじゃんかよ」
「うるせえなあもう」
 遊具が最高高度まで達した時点で、俺はトランシーバーをONにした。
「もしもし、佐倉か」
『なによ』
 俺は言った。
「いまからこの遊具をお前の能力で止めててくんない?」
『はあ!?』
「いいからいいから」
『なんでそんな……ああもういいわよやればいいんでしょやれば!! ったく立花先輩の言ってた通りね……』
 なんだか聞き捨てならないセリフが聞こえた気がするがスルー。
 一瞬の間を置いて、ぐうん、とシートが何か見えない力で押さえつけられる気配がした。ギシギシ言ってる。茂田が青ざめた顔で言う。
「これボルトとか取れるんじゃねーの?」
「そういうこと考えるのやめようぜ」
 しばらく、息の詰まるような沈黙が流れた。
 さて鬼が出るか蛇が出るか……
 すると、遥か下の地表で、転げまろびつ物陰から走り出してくる人影があった。女である。そいつはあっちこっちを見回して時折左手で額に触れながら、完全にパニック状態で園内をうろうろしていた。職質モンの不審者である。
 もちろん、あいつが誘拐犯だろう。
「おい、後藤、あれって!」
「たぶんな」
「なんで出てきたんだ? 慌ててるわりには俺たちにはなんにも言ってこないし……」
「そりゃあさっきからだろ。気づいてたか? 園内を半分横切ったくらいで、それまで流れてきてた『ざわつき』みたいのがなくなったの」
 茂田はポカンとしている。
「なくなったの」強調。俺は続ける、
「たぶんあいつのテレパシーには制限距離があるんだよ。俺たちが園内を半分突っ切ったときに一回外れて、それから追いかけてこっちまで来たのに、俺たちの気配がないからパニックになってるんだ。あいつの能力じゃこの高さまで能力を使うことはできないらしい」
 俺はため息をついた。
「賭けだったけどなんとかなったな」
 茂田はまだ心配らしい。
「ちょっと待てよ、下にいる佐倉から俺たちがここにいるのバレるんじゃ……」
「いずれバレるかもな。その前にこうする」
 俺はトランシーバーに口を近づけた。
「佐倉? そっちでも確認できるか、変な女」
『確認してる。あれがテレパシストなの?』
「そうらしい。まだお前には気づいてないと思うからひっそりとぶっ飛ばしてくれ」
『了解』
 トランシーバーがブツッという音を残して沈黙した。
 俺の横顔に茂田が尊敬のまなざしをぶつけてくるのを感じる。
「後藤、おまえ、使いどころのある男だなー」
 その褒め方おかしくねえ? モノみたいで嫌なんだけど。
 だがそのツッコミをする機会は永遠に俺から失われた。
 シートからそれまでかかっていた力が消えて、重力の魔の手が俺たちをがっしり掴んで引きずり下ろした。
「うわあああああああああああああ」
「いやあああああああああああああ」


 出口で係員さんが「すいませんね、ちょっと機材の調子が悪くて落ちるの遅くなって。はいこれ」と記念写真を渡してくれた。俺たちは数分前の自分を見ながら表へ出た。
 写真の中の俺たちは、どう見ても遊園地を満喫しているツラだった。
 俺は舌打ちしてインスタント写真を胸にしまった。
「佐倉のやつ、いきなり佐倉マジック切りやがって」
「とにかく追おうぜ」
 俺たちは脱兎のごとく駆け出し、佐倉と誘拐犯がいるはずの方角へ向かった。

       

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Neetsha