Neetel Inside ニートノベル
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 ちょっとしたベンチなどがある小休憩用の広場に二人はいた。誘拐犯と思しき女はへっぴり腰ながらもピンピンしていた。俺は叫んだ。
「やっつけてないのかよ!!」
 何を聞いていたのか佐倉のアホは。こっちの心を読んでくるから奇襲で倒そうねって言ったのに。なんなの? 俺はなにもかも嫌になってその場にコロンと寝転がった。体育座りしていたら隣のやつが血の気に目覚めて突き飛ばされた時のような格好である。
「もういやだ! 誰も俺の言うとおりに動いてくれない!」
「後藤ぉ――!! おい佐倉おまえのせいだぞ!!」
「なんであたしなのよ!! ちがっ、あのね、リハーサルもなしにいきなり人間を抹殺するのは気がとがめたっていうか」
「殺せなんていってないじゃん。気絶させるとかしろよ! 横井の生命が懸かってんだぞ!」
「それがなんだっていうのよ!!」
「えぇー……」本音怖すぎである。
 茂田がずいっと俺の前に出て拳を握った。言ってやれ茂田。
「俺にもそれがわからない!!」
 俺は水平蹴りで茂田のすねを蹴り飛ばした。
「いってえな何すんだ後藤!!」
「痛いくらいでは済まされない邪悪さをお前から感じたんだよ」
 俺は立ち上がってパンパンとズボンを叩いた。一張羅なので駄目にするとしばらく短パンで動く羽目になる。大事にしないと。
 誘拐犯は何をしているのかなと思ってそちらを見るとわなわなと震えていた。
「こ、この人たち本音で喋ってる……!!」
 怖いよね。俺もだよ。俺は向こうの仲間入りをしたくなった。すると誘拐犯の女が「うげぇっ」と顔を歪めた。
「嫌よ! 私、あなたみたいな顔は嫌いなの。昔轢き殺したタヌキに似ている」
 タヌキ轢くなよ。お山は大事に。ていうかいま俺のこと垂れ目って言ったかこの女。殺す。
 俺はとりあえずファイティングポーズを取った。
「ふんヌッ!!」
 恐らく見るものが見れば失笑もののジャブを繰り出す。が、やはり誘拐犯の女はドテラを着た身体を俊敏に動かして俺のジャブをかわしていく。ドテラで遊園地来る財政だったら誘拐もしたくなるわな。
「うるさいわよ!!」
 喋ってないのに……。
「くっ、後藤の平均的な身体能力をもってしても捉えることはできないのか……」
「茂田おまえ喧嘩売ってんのか? 文句あるならお前やれよ!」
「わかった」
 茂田が一歩前に出る。拳をめきめきと鳴らす。こほぉー……と深々とした呼吸を取りながら腕をパントマイムのように円環に動かす。何の拳法?
「後悔するがいい女よ……この俺を本気にさせてしまうとはな……」
「!? い、いったい何をする気……? 読めない、この男の気持ちが読めない!」
 何も考えてないからな。
「ほあタッ」
「嫌っ!!」
 茂田さんのカンフーじみた右掌底がものの見事に誘拐犯の左カウンターを誘発した。ぐわしゃあっ、と嫌な音を立てて拳をめりこませた茂田の頬が無様に歪み、どうっとその場に倒れこんだ。ぴくりとも動かない。何やってんだよ。
 俺は茂田にそっとハンカチを乗せて佐倉を振り返った。佐倉は俺たちのことをバカだと見下している顔を浮かべている。
「佐倉、やはりお前の出番のようだ」
「言っておくけど、あたしがやってもそのなんとか拳法の伝承者とさほど結果は変わらないわよ」
「この遊園地ごとぶっ壊せばいいじゃない」
「なんてこと言うのよ!! あたしがどれだけ重い腰を上げてココの面接に辿り着いたと思ってるの……!!」
 知らないよ。この出不精め。
「ココを失えばあたしの夏は終わりよ。絶対にココをぶっ壊して皆殺しになんてしないんだから!!」
「もっと大切な理由を思い出して欲しいな……まあいい、とにかくやってみてくれよ。蛇の道は蛇だぜ。頑張れ佐倉!」
 佐倉はしばらく悩んでいたが、これ以上職務放棄していると時給を減らされてしまうことに気づいたのだろう、深々とため息をついた。
「仕方ないわね……ねえ、あなた! 最後に聞きたいんだけど、降参する気はないの?」
「降参?」
 誘拐犯は両手を前に突き出し、ケツを後ろに張った姿勢のまま不適に笑った。なにかのゲームの魔王かお前は。
「するはずないでしょ。横井くんさえこっちの手にあれば、回り道にはなれどいつかは十億円に辿り着けるんですもの……!」
 壮大な夢である。
「交渉決裂、ね」
 佐倉はため息をついて、
「手加減しないからね」
 手をかざし、地面に敷かれたレンガをボコボコと不可視の異能で持ち上げた。おおー改めてみると雰囲気あるなあ。
「やっ!!」
 佐倉が手を振るとひゅんひゅんと浮いたレンガが弾丸のように撃ち出された。が、誘拐犯は巧みにでんぐり返しを繰り返してそれを避けていく。
「無駄よ、私にはあなたの心が見えるもの」
 誘拐犯は後頭部をさすりながら不毛な挑戦者を嘲笑った。佐倉はきっと歯軋りする。
「このっ、くそっ!!」
 子供たちの夢を支えていたはずのレンガが武力行使に用いられているさまは見ていてなんとも物悲しい。
「うるさいわよ後藤!!」
「だから喋ってねーだろ!!」
「顔でわかるのよ!!」
 なんだそれ。エスパーかお前は? ……エスパーか。
「あんたも何か手伝いなさいよ!!」
「ばっ、それどころじゃねーよ前見ろ前!」
「前?」
 振り返り切る前に佐倉は吹っ飛ばされていた。ゴロゴロと転がりながら受身を取って絡み付いていた慣性を蹴散らし体勢を整える。
「何!?」
「ふふふ」
 誘拐犯は手に持ったブツを構えて雄雄しい鼻息を吐いた。
「これで私の勝ちは決まったわね……」
 そう言って持ち直したのは、
「お前そのバス停どこから持ってきたんだよ返してこい」
 聖ククリ教会前とか書いてあるぞ。それ持ってきちゃ駄目なやつだろ。
 誘拐犯はブンブン首を振った。
「このエモノに恐れをなしたようね!! これで中距離から長距離まではもらったわ……一方的に攻撃を仕掛けていられた時間は終わりよ!!」
 どう見ても佐倉でさえ恐れをなしているのは相手の常識の無さにである。
「喰らいなさい!!」
 金の亡者が振るったバス停が地面に打ち下ろされて大穴を空けた。間一髪でよけた佐倉の身体にレンガの破片がぶつかって、額からつうっと一筋流れた。
「佐倉!!」
「だ、大丈夫よ。これくらい昔はしょっちゅうだったもの」
 佐倉は覚束ない足を呼吸を整え奮い立たせる。
「くっ……」
「ふっ、終わりのようね」
 誘拐犯がブンブン頭の上でバス停を振り回して柄を地面にドスッと叩きつける。人の頭を覗く前に地面の気持ちを考えろと言いたい。
 佐倉が苦しげに呻いた。
「亀裂が入ったわ……」
「ああ、業者呼ばないとな」
「地面じゃないわよ!! あたしのアバラのことよ!!」
 どっちも似たような硬度じゃねえか。
 とはいえ佐倉がもう戦闘不能に近いのは確かだ。無理やり戦ってもらうこともできるがそれはさすがに女の子の身体にさせることではない。なんとかこの状況を打破するべく、とりあえず俺は佐倉の首根っこを掴んでズルズルと後退した。
「痛い痛い痛い!! 骨がっ、骨に振動がっ」
「わりわり」
「絶対わざとでしょブッ殺すわよ!!」
「うわっ」
 佐倉の激怒に感応したのか俺の目の前で飛んでいた羽虫がバラバラになった。変な汁が飛び出て顔にかかった俺はもんどりうって倒れこんだ。
「ぎゃあああああ!! なんてもんブッかけやがるんだテメー変な病気になったら責任取ってくれるのかよ!?」
「変な言い方しないでよ……あうっ」
 くたっと佐倉の首が下がった。やっぱ本気で柔道整復師に見てもらわないといけない怪我のようだ。だが横井を見捨ててココを出て行くわけにもいかない。というか沢村妹のバリアもまだ効いてるみたいだし。ちくしょう、いいなあ沢村、あんな可愛い妹と今頃イチャコラチュッチュか。あーあ。空が青いや。
 その時、後退する俺の踵にゴツンと何かがぶつかった。邪魔だな殺すぞと思って振り返ると茂田だった。
「う、うーん……」
 茂田はまぶたをこすって身を起こした。目が回っている。その螺旋をぼんやりと見つめているうちに俺は爆発的にひらめいた。顔にかかった羽虫の汁を指ですくう。
 これじゃん。
「――っ!! や、やめなさい、そんな――」
 誘拐犯のボイスに脳内ミュートをかける。
「佐倉、逆転の策を思いついたぜ!」
「え、逆転の策?」
「ああ。それはな、こうするんだ」
 俺は茂田に耳打ちした。
 茂田の目がカッと見開かれた。
「ほんとかっ!!」
 そして脇目も振らずに右手を伸ばして、
 無防備な佐倉の胸を鷲づかみにした。
「…………」
「…………」
「…………」


 血塗れの沈黙の後、
 佐倉が、意外と着やせするタイプだということが判明した。


『ぎゃああああああああああ――――――ッ!!!!!!!!!!!!』


 佐倉が真っ青になって絶叫し、その余波で放たれた念動力が小型の爆発と化して周囲三六〇度にぶっ放された。レンガどころかその下に敷かれた基礎建築もろとも剥がし飛ばして何もかもが裏返った。俺は乱気流に突っ込んだような状態で目もロクに開けていられず茂田の腕を空中で掴むだけで精一杯だった。空気の千本張り手を喰らいながら茂田と一瞬目が合う。やつの目は悲しそうに、こう言っていた。
『触っていいって言ったじゃん』
 そんなわけあるか馬鹿が。
 でもちょっと、いやかなり、ああ、
 羨ましい――――……
 俺がやればよかったかなあ。



 後日談になる。
 ククリランドはその日を持って無事に三十年の歴史に終止符を打ち、閉園した。目玉アトラクションのほとんどが洗濯ばさみから逃れたパンツのようにどこかへ行ってしまってはさすがの園長も笑うしかなかったらしい。もちろん佐倉はクビになったが、クビで済んだだけマシだと思えと言ったら泣かれた。今度メシかケーキでも奢ってやろうと思う。
 誘拐犯は無事捕まった。瓦礫の中から発掘された時は俺と佐倉と茂田さらにはあの時あの場にいた人間全員のビックリをテレパシーでモロに受け止めてしまってものの見事に錯乱状態、ガタガタ震えていてモノも言えない様子だったとか。
 財布に入っていた免許証から素性が割れたのだが、
「遠山神流(とおやま かんな)……って俺のお隣さんじゃん!」
 そーゆーことなのだった。
 なんか最近お隣さんがうるせーなと思ったら俺の心が丸聞こえだったらしい。横井のことも俺から察したのではないかと事情聴取に来た紫電ちゃんが零していた。いやはやなんとも、お恥ずかしい限りである。今回の事件の余波で遠山さんの記憶から俺に関することすべてが消えていて欲しいと願うばかりだ。いやほんと恥ずかしい。
 ついでに、沢村兄妹のことはと言えば申し訳ないことに妹の方がちょっと怪我をしてしまったらしい。軽く額を切っただけなのだったが沢村は物凄く滅入ったらしくテーブルに乗せられた妹の手を握って何度も励ましてやっていた。
「ごめんな朱音……お兄ちゃんがもっと強ければ……」
 妹の手を額に当てていた沢村には、当の朱音ちゃんが舌なめずりして愛しい兄との触れ合いに大興奮しているのを知らぬまま、確か夜中の十時過ぎだったと思うが、兄妹揃って帰宅した。あと妹と遊園地に来たことは誰にも言わないでくれと頼まれたが、俺は月曜日になったらみんなに言うつもりだ。情報はちゃんと公開していかないと。
 そして。
 肝心要の横井はと言えば。
「後藤ぉぉぉぉぉぉ!!」
「やめろへばりつくな気色悪い」
 意識を取り戻して早々(ちなみにこいつも瓦礫に埋もれていた)、横井は俺にしがみついてオンオン泣いた。マジかと思った。鼻水は垂らすわ俺の股間に顔を埋めやがって絵面が嘔吐ものだわで俺こそ泣きたかった。佐倉も泣いてたし事情聴取のために用いられた近所の団地の集会室は阿鼻叫喚の有様だった。茂田はラーメンを食いに行っていた。
「おっ、おで、おで」
「落ち着け横井お願いだから鼻をかめ」
「うぐっ……えぐっ……」
 もはやなりふり構ってられずに俺は手近なティッシュを引っつかみ横井の鼻に当ててチーンさせてやった。生暖かいティッシュを丸めて掌に乗せて、思う。
 生きてるって何。
 少なくとも横井には分かっているらしい。
「俺っ、いきなり後ろから羽交い絞めっ、されて、暗いとこ、入れられ」
 ロッカーだったのではないかと言われている。横井は小柄だ。
「い、入れられてそれから、わけわかん、ぐす、なくなって……気づいたら、助けられてて」
「そうかそうか。大変だったな。俺はもっと大変だったよ」
 ポンポンと背中を叩いてやり、
「それもこれもお前に悪銭の相が出ているからなんだ……」
 横井は泣くのをやめて、ポカンと口を開けた。
「あくせん……?」
「ああ」俺は重々しい表情を作って言った。
「金には魔物が取り付くんだ。それも急に入ってきた泡銭なんかが危ない……そういう銭はお払いしてもらうのが普通なんだが、お前はそういうの疎そうだからな、知らないだろう。でもな? 今の時代までお寺や神社があるのはなんでだと思う?」
 横井はちょっと考えて、
「必要だから……?」
「そうだろう? やっぱり物理だ理屈だなんのと言ってもこの世にはまだ不思議なことがたくさんあって、悪銭もその一つ……横井、お前は幸か不幸か当たり屋の相に生まれているから、どうも銭についた悪霊も人一倍強いものらしい……いきなり誘拐になんて遭うくらいだからな……」
 横井はみるみる青ざめ始めた。
「ど、どうしよう。どうすればいい!?」
「簡単だよ……」俺は心からの笑みを浮かべた。
「お前が宝くじで当てたお金を全部俺に預けてくれればいいんだ……何、そのうち返すさ……悪霊がいなくなったとわかったらすぐ返す、みるみる返す、もちろん危ないままだと返すことはできない……お前に危険が降りかかったりするといけないからな?」
 俺はポン、と横井の両肩を叩いた。
「さあ、横井。俺に悪銭を渡すんだ。そうすればお前はもう何も悩まなくていいんだ」
 だが、横井は。
「ひゅー……? ひゅ、ひゅー……?」
 妙な呼吸を始めた。
 口笛のつもりらしい。
 視線を逸らして、
「た、宝くじ? 何のことか分からないなあ……そんなの知らないなあ……」
「横井」
「あ! お、俺の無事を母さんに知らせないと! じゃあ後藤あれだ俺は今日はこのへんで帰るから! マジで色々ありがとう! じゃあな!」
「ちょっ、待てコラ!! ……くそっ!!」
 あいつまだシラ切るつもりか。ったく。
 はあ。
 しかし、まあ。
 いいか、今日のところは。
 面白い休日になったのは確かだし、それで勘弁してやろう。
 ふわあっとデカイあくびをひとつ残して、紫電ちゃんに後を任せて(最近はすっかり異能者絡みになるとすぐ吹っ飛んでくる紫電ちゃんである)、俺は自宅に帰った。どっと疲れが降りかかってきて軽くシャワーを浴びたら人形のように力が抜けてしまい、すぐに寝ることにした。
 誰にも覗かれる心配のない部屋で眠るのは、やっぱりどうして心地よかった。


 そういえば。
 遠山さんが横井の金のことを口走った時に「相続」とかなんとか言っていたが……
 横井は、本当に宝くじを当てたのだろうか?
 遠山さんが洗脳室送りになった今、その真相を知ることはちょっとしばらくできそうになかった。

       

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Neetsha