Neetel Inside ニートノベル
表紙

横井、宝くじ当てたってよ
第三部その2

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「うおおおおおおおおおおっ!!」
 戦況は、沢村の優勢である。
 果敢に絶え間なく撃ち出される火球がどっかんどっかん天ヶ峰のガード前で爆発して衝撃の霧に転じていた。天ヶ峰の足元がふらつく。瞬間、そのガードが跳ね上がった。
 よくもまァ飛び込む気になったものだと沢村を褒めてやりたい。一世一代の万引きを成し遂げて自動ドアをぶち破るかのごとき勢いで突進した沢村の肘鉄には炎が宿っていた。
 土嚢を蹴りつけたような鈍い音。
 水月にモロにエルボーをもらった天ヶ峰は反重力的加速で後方へ吹っ飛んだ。俺たちの視界から消える。後には勝利者のように沢村だけが残り、ぜえぜえと荒い息をこぼしていた。
 脇から横井が突いてくる。
「……やった、のか?」
 知るか。
 沢村が顔を上げて脱兎のごとく駆け出した。俺たちはばあちゃんに挨拶してから団子屋をホフク前進で飛び出し、商店街に長く這った。
 プールひとつ分の距離を挟んだ向こうで、天ヶ峰が大の字に伸びている。沢村はそれをへっぴり腰で見下ろしていた。ケツ拭いてもらうガキじゃないんだからよ。
 沢村がそばに落ちていた鉄パイプで天ヶ峰をツンツン突いた。
 天ヶ峰は動かない。横ざまに構えられた顔に深く赤茶けた髪がかかっていて意識があるのかどうかも分からない。さすがに能力者の肘鉄制裁は効いたようである。
「沢村のやつ、無茶しやがって……相手次第じゃ死んでたぞ」
「あれ喰らって死なないやつとかいるの……?」
 いたようである。
 沢村がおめおめとすがっていた鉄パイプをがしっと天ヶ峰の腕が掴んで、
 べきり、
 へし折った。砂糖細工のような鉄パイプの欠片が宙を舞う。
「うわああああああああああ!!」
 ビックリしたのは沢村である。まずしりもちを突いて天ヶ峰の左ストレートをダッキング(頭を下げて相手のパンチをかわす防御法)してからケツで必死にあとずさって続く左右連打の低空フックをかわしていく。見るに耐えない。レフェリーストップコンテストものである。
「がんばれ……がんばれ沢村……!!」
 横井の痛切な願いが通じたのか、沢村はたたらを踏みながら立ち上がって、そしてそのまま背中から風の翼を出して上空二メートルほどに飛びあがった。
「沢村ウイングか……!!」
「だからもうちょっと格好いい名前をつけてやろうぜ!?」
 そんなものは紅葉沢さんにでも頼んでくれ。俺は門外漢。
 沢村ウイングを噴出させて空に浮かび上がった沢村は肩で息をしながら、旋回して俺たちの方を向いた。天ヶ峰が振り向く。これで沢村の表情が見える形になったわけである。
 そのフツメン丸出しの顔がハタと何かに気づいたようである。
 天ヶ峰が何もせずに突っ立っている。それもそのはず、天ヶ峰には空を飛ぶことなんてできないのだ。カウンターも糞もない。上から集中砲火してやればそれで天ヶ峰の勝ちはない。
「天ヶ峰……お前を、倒す!!」
 おお、でっかく出たなァ。
 天ヶ峰は首をもたげて沢村を仰いだまま動かない。
「喰らええええええええええ!!」
 茂田の、黒木の、木村の田中くんの悲しみを詰め込んだ炎の沢村玉が雨あられと降り注いだ。
 商店街は大パニックである。
 家財道具一式を背負った八百屋の鉄崎さんが俺に向って怒鳴った。
「後藤ンとこのせがれよォ!! 市街戦やる時は事前に通告しろって言ってんだろうが!!」
 俺は片手拝みに謝った。べつにやりたくてやってるわけじゃないんだけどな。ていうか俺たち見てるだけだし。
「頼むぞ本当に! おい母ちゃん、通帳持ったか」
「うう、こんな町に嫁がなければよかった」
「今更言っても始まらねえだろ。おい後藤ンとこの、終わったら経路Dで連絡網回せや」
「わかってますよ」
「じゃ、よろしくな。……おい鹿野さんその箪笥は持ってけねえから諦めろって!!」
 鉄崎さんとその一家は去っていった。俺は鉄崎火波/六歳に手を振って別れを告げてから、戦況を目視する作業に戻った。
 削岩しているかのような大騒ぎだった。
 天ヶ峰の姿はもはや爆炎で見えない。ただ空に浮かんで両手を交互にピストンさせる沢村の姿だけが黒煙に揉まれて悪魔的である。
「だららららららららららららららァ!!」
 そして特大の沢村玉を撃ち下ろすと、そのまま沢村は身を捻って飛び蹴りの姿勢を取って急降下した。
 まず、沢村玉が鈍い角度で跳ね返された。その炎が煙を喰って周囲がはらりと晴れる。
 天ヶ峰は、まだ立っていた。
 その制服は破れ果てて見る影もない。ブラウスは完全にボロ切れと成り果てて天下無敵のスポーツブラが急所だけを辛うじて守っている。針金入りのスカートは乱暴に扱われた傘のようにあちこちから銀針を突っ張らせ、生身の肌はどこもかしこも煤けていた。
 だが、立っていた。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
 綺麗事の生皮が剥げて本音を漏らした沢村の飛び蹴り。いくら天ヶ峰でもパンチの三倍はあると言われる蹴り技を、それも能力者のそれを受け止めればガードの上からでも持ちこたえられまい。
 けふ、と黒煙を吐き出す。
 たぶん、その両目は輝いていたのだと思う。
 その場で反転、革靴の底をすり潰すかのような急速旋回、そのスピードの意味するところはバックステップ。距離を取った天ヶ峰の鼻先を沢村の蹴り足が通り過ぎる。
 そのまま、天ヶ峰は宝箱のように固く閉じた右拳をアスファルトに落下させた。
 灰色の波飛沫が上がる。それに飲み込まれる沢村。
「うわああああああああああああ!!」
 あとには。
 天ヶ峰のチョッピングライトが作り出した大穴と、それを作り出した張本人だけが残った。
 俺は顔を覆った。
「あのバカ……格好つけて白兵戦になんて持ち込むから……!!」
「え? え?」
 横井はまだあの戦いを目視するだけの眼球を作り上げていないらしい。
「どうなっ、え? 沢村は?」
「落ちたよ」
「落ちたって……あの穴にか!?」
「天ヶ峰の野郎、この土壇場でアタマ使いやがって……。後方に下がって距離を作ってから相手を誘い込む穴を開けやがったんだ」
「じゃあ、沢村は……」
「下水に落ちた」
 横井はパシッと口元を覆って涙をこらえた。汚泥に飲み込まれた友人のことを思いやったのか、それともその悪臭を考えて気分を害したのかは俺にもわからん。
 俺はかぶりを振って目の前の状況を見やった。天ヶ峰はいまはしゃがみこんで大穴を見下ろしているがそれもいつまでも続くまい。またぞろ俺を探して動き出すはずだ。どうしよう……スゲー怖い。
 だが、なんとかしなければならない。天ヶ峰は刻一刻と人間の皮を脱ぎ捨てて昔のような悪鬼に戻りつつある。この町の平和のため、天ヶ峰には手芸部のくせに不器用な女子高生でいてもらわなければならない。どうでもいいがあいつが壊したミシンの苦情が俺に来るのは本当に迷惑だ。請求書、じゃねーよふざけんな破いて捨てたわ。本人に言えしマジで。
「なあ横井、俺たちどうしたらいいと思……」
 横を向いた俺はピタリと固まってしまった。
 というのも、横井がショットガンを突きつけられたウサギのように震えながら、スマホを耳に押し当てていたからだ。
「横井……」
「後藤っ、後藤っ……俺っ……死にたくないっ……」
「いや、それはわかってるが、おまえどこに連絡してんだ?」
「死にたくないんだ……後藤……俺っ……!!」
「だからそれはわかってるって……なんだこの音?」
 幻聴に似ている。
 あるいは怪鳥の雄叫びか。
 俺は動物的直感に基づいて振り返った。
 紺碧の青空に、一点、影がある。それが灼熱の太陽から寵愛を受けてキラリと光った。
「おまえあれ……」
 俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
「戦闘機ってやつじゃねーのか……」
 俺は横井の胸倉をひっつかんでガッタンガッタン揺さ振った。
「ばっかやろ、ありゃあテメーの仕業か!?」
 横井は首が千切れそうになるくらい俺から顔を背けている。背けすぎだろ。
「あんなんがミサイルでも撃ち込んで来た日にはこの町も終わりだぜ!! わかってんのかよ!?」
「知らない、俺、俺あんなF-72知らない」
「知ってるじゃねーか!! よくわかんねーけど強そうだなそれオイ!!」
「死にたくないよお……怖いんだよお……!!」
「女の子か!!」俺はひっつかんでいた横井を突き飛ばすようにして放すと刻一刻と迫ってくる戦闘機を見上げた。
 ばしゅっ
 それこそ俺も目を背けたかったが、現実である。
 ミサイルが発射された。
 マジかよ……
 いま、この状況でただの男子高校生にできることなどたかが知れていた。俺は横井の襟首を掴むと脱兎のごとく駆け出した。夏の日差しの中へと向かって。
 振り返り、叫んだ。
「天ヶ峰――!! 逃げ――」
 最後に、あいつがこっちを見たような気がした。
 瞬間、コマ飛ばしのような速度で地柱銀座商店街の大通りに仰角百二十度でミサイルが突っ込んでその役目を爆裂させた。
 小さな太陽が商店街に出現し、
「――――!!」
 俺たちは、白い光の中に飲み込まれた。





     





 ………………
 …………
 ……
「重っ!!」
 俺は自分の上に覆いかぶさっていた瓦礫やら廃材やらを蹴飛ばして新鮮な空気の下へ戻った。怒り心頭するところ滅却知らずで、そばでごそごそ動いていた木材の隙間から横井の胸倉を掴んで引きずり出した。
「こンの野郎、ミサイルなんかぶっ放しやがって……殺す気か!!」
「うーん……」
 まだ目ぇ回してやがる。俺は横井をおっぽり出してあたりを見やった。
 それほどの被害ではなかった。爆心地付近の家屋は粉々になっているし、俺と横井が咄嗟に飛び込んだ団子屋も半壊の憂き目にあっていたがその程度だ。ミサイルというわりには大したことない。その破壊力は1.7Aというところか。
「1.7AのAってなんだよ」
 横井が額を押さえながら立ち上がった。俺はそれをちらりと横目で見やり、答えてやった。
「AMAGAMINEのことだ」
「なんか横文字にされると世界規模で危険な気がして嫌だね」
 そうだね。
「うっ」
「どうした後藤?」
「なんか膝が痛い」
 見ると俺の制服のズボンが破れて膝小僧がすりむけていた。血がじわっと滲んでいる。
「ちっ、俺としたことが」
「団子屋半分吹っ飛んでそれぐらいで済んでよかったね」
「うるせえ、おまえなんで怪我してねえんだよ。おまえも化け物か? ……いってーこれマジでやばいわ消毒しないと。そのへんにマキロンとか落ちてない?」
「あるよ」
 あったのかよ。早いな。たぶん団子屋のばあちゃんのだな。
「貸して。俺これから自分の痛みと真剣に向き合うわ」
「うん。……あ、待って後藤。確か消毒薬って使うと傷が残るって聞いた」
「嘘マジで? 俺すっげーガキの頃から使ってたんだけど。トン単位で」
「おまえどんだけ怪我してきたんだよ……なんかね、消毒薬使うと傷口の細胞も殺しちゃうから治りが悪くなるんだって」
「どこ情報だよそれ」
「練山さん」
 練山さんは俺たちが懇意にしている接骨院の人である。二十八歳の独身で女の人。こないだ自分ちのそばに自販機を素手で移動させてスッゲー怒られてた。
「練山さんて、あの人は骨の人であって肉の人ではないじゃん」
「いやでも練山さんそういう学校出てるって聞いたし、そもそも俺ググって確かめたし」
 そういうことは早く言えよ。グーグル先生の言うことなら素直に聞いたわ。
「じゃあそのマキロンどうするんだよ」
「これはポイして」横井はマキロンをポイした。あたりをゴソゴソと探り。
「あったあった。じゃじゃん! ミネラルウォ~タ~」
 うっぜえ。
 横井は俺の冷たい視線にも気づかずミネラルウォーターのペットボトルのキャップを捻り、「ちょっと染みるよ」などと知ったようなことを抜かして俺の傷口を洗い始めた。
「うっ。もっと優しく」
「いや物理的に無理だろ。……よし、これで傷口のばい菌は洗い流した。後はこの菜種油を塗って……」
「おい! それ調理用じゃねーか。大丈夫なのかよ? ちゃんとネットで確認した?」
「確認した確認した」ぜってー嘘だろその顔。おまえいくらネット万能時代だからって匿名掲示板のささやかな1レスとかが情報ソースだったらそれはゆとりにもほどがあるよ?
「油を塗るのは傷口が乾燥しないようにするためなんだって」
「湿ってないとダメなの?」
「湿地帯とかって変な生き物たくさんいるじゃん? そういうことなんだと思うよ」
 どういうことだよ。つかテメー俺の膝小僧が汚泥っつったか今。殺す。
 横井はまた瓦礫をゴソゴソやって今度はサランラップを取り出した。お前モノ見つけるの得意すぎるだろ。エスパー?
「で、これで膝をぐるぐる巻きにして……と。よし、これで完成だ! よかったね後藤、これで傷物にならないで済むよ」
 お嫁にいく予定ないからべつにマキロンでもよかったんだけどね。まァいいや、とりあえず横井に礼を言って俺はズボンについたホコリをパンパン叩いた。
「ったく痛ぇーな。これじゃ命がいくつあっても足りないぜ」
「後藤さりげに耐久力低いよね。……そういや拳治ったの?」
 拳というのは、ちょっと前にいろいろあってバス殴った時の拳のことである。実はあれヒビ入ってて練山さんのところで治療してもらっていたりする。沢村のヤローめ、いつか貸しは取り立てさせてもらうぜ。
「結構重くて、もうボクサーにはなれないって言われた」
「十六の身空で未来のひとつが潰れるとかマジドン」
 マジドンって何? マジでドンマイのこと? とりあえずその顔やめてくれないかな俺のすべてを賭けてもう一度あの右ストレート撃ちたくなるから。
「ていうかボクサーになる気とかねえし。そういうのは黒木がやるから俺はいいの」
 言って、俺は爆心地へそろそろと近づいていった。そろそろ現実と目を合わせないとな。
 見るとかなりデカイ穴が空いている。天ヶ峰がメガトンパンチで空けた穴は後からミサイルで作られた穴に飲み込まれて跡形もない。沢村どこいったんだろ。沢村ウイングで出てこないってことは濁流に飲み込まれたってことなんだろうけど。肝心なところで出力足りねーなーあいつは本当にもう。
「天ヶ峰……生きてるかな?」
「気絶してればいい方だな」
「女子高生がミサイル喰らって粉々にならないとか……驚きの物理法則すぎるだろ」
「お前がまだそんなもの信じていたことが俺は驚きだよ」
 俺たちは穴を覗き込んだ。
 すると、
 がっ
「うわあああああ!!」
 ぬっと中から伸びてきた白い腕に横井のくるぶしが掴まれた。
「ひィッ、ひっ、やめ、やめてぇっ!!」
 横井は尾っぽに火のついた野良犬もかくやの抵抗を見せてスニーカーを脱ぎ天ヶ峰の手から脱出した。俺も後退してへっぴり腰のファイティングポーズを取る。くそ……せめてやつの三半規管がやられていることを祈る羽目になるとはな……!
 ずるり
 そんな粘りのある音を想起させる動きで天ヶ峰がクレーターの中から這い出てきた。半裸である。スポブラにぼろぼろのスカートってお前は現代に蘇りしアマゾネスか。
「眼光が常人じゃねえ……!!」
 そんなことはわかってるよ横井。
 天ヶ峰は、ゆらり、と一歩俺たちに踏み出した。さすがに膝が震えているのは自分のパンチより少しばかり重たいミサイルの直撃を被ったせいか。
 こほー……こほー……
 天ヶ峰がゆっくりと呼吸している。だが、俺は気づいた。気づいてしまった。
 その呼吸が、俺の名前を呼んでいることに……。
「ごとー……ごとー……」
「うわやべえマジで怖ぇ」
 どうしよう。走ったら逃げ切れるかな。やっぱ本州はもう危ないから親父の軽トラ借りて九州で余生を過ごそう。
 俺が横井に、博多で一生俺とラーメンを喰いながら過ごさないかと声をかけかけた時だった。
 ぷしゅっ
 空気を軽く刺す音がして、天ヶ峰がよろめいた。見るとその首筋から一本の注射針が生えている。……おお?
「くっ……何……?」
 天ヶ峰は卵黄のように揺れた瞳で彼方を睨んだが、ふっと、誕生日ケーキに立てられたロウソクの火ようにその眼光がかき消えた。横倒しになる。
 俺と横井はあっけに取られて身動きできなかった。
 お、終わった……?
「ずいぶん手間取っていたようじゃないか、え、後藤?」
 む。何奴。
 見るとそこに立っていたのは科学部部長の桐島晴海だった。相変わらずの白衣姿に赤べっこうのおしゃれ眼鏡。ふふん、と得意げな顔をしているのが腹立つので絶対に褒めてやらないと心に誓う。
「なんだ桐島。余計な真似を。お前の手を借りずとも天ヶ峰ごとき俺たちで下せたものを」
「本気で言っているのか」
「本当にごめんなさい」
「よろしい」桐島はくすくす笑って、倒れた天ヶ峰の額にかかった髪を払い、自分の白衣をかけてやった。
「天ヶ峰が暴れているというから見に来てみれば……また相当怒らせたらしい。君らは学習しないのかね?」
「いろいろ複雑な事情があったんだ」
 横井が俺の背中から、おそるおそる桐島に言う。
「き、桐島さん。助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
「それでさ……だ、大丈夫なの?」
「うん? なにが」
「天ヶ峰……起きたりしない? てか何したの?」
 桐島は肩をすくめた。
「何って、麻酔銃で狙撃したんだよ。それしかこれを止めるすべはあるまい? ふっふっふ、今度のは強力だぞ。前のは三日も経ったら効かなくなってたが、いま撃ったやつならゾウでも殺せる」
 毒じゃんそれ。
「さて……それじゃあ事態を解決するとするか」
「探偵かおめーは。……で? 賢い賢い桐島さんはどうやってこの状況をまとめてくれるんだ。天ヶ峰は起きたらまたこの世界を火の七日間にするぜ」
「天ヶ峰が口からビームを出し始めたら私でもどうしようもないが、幸いにも今は夏だ。それが僥倖だった」
「僥倖?」
「とりあえず、彼女を自宅へ運ぼうじゃないか。よっと」
 言って、桐島は天ヶ峰の身体の下に手を入れた。
 うんっと力を入れる。
 動かない。
「…………」
 うんっと力を入れる。
 動かない。
 桐島が俺をつぶらな瞳で見上げてきた。なんだその目。
 ……天ヶ峰の名誉のために言っておくが、やつの体重がその攻撃力と比例して人間離れしているというわけではなく、単純に桐島の腕力が無さ過ぎるのだ。こいつはスクールバッグを台車で運んで登校してくるやつである。去年の冬はダッフルコートに潰されているところを俺が助けてやったこともある。スゲービックリしたよ隣のクラスの女子が雪道で行き倒れてるんだもん。
「しかたねーな。おい横井、足持て」
「え、あ、わかった」
 俺と横井は分担して天ヶ峰を持ち上げた。かくんと首が垂れる。男なら女一人ぐらいお姫様だっこでカタをつけたいところなのだが、最近俺も横井も運動不足が目覚しいのでちょっとつらい。
「……五十キロちょいか?」
「なまなましい数字は言わないでおいてあげようぜ……」
 さすがの横井も気の毒そうである。俺はお前の足の持ち方の方が天ヶ峰を哀れにしていると思うよ。なんで足広げて持つんだよ。パンツ丸見えじゃねーか。
「……君たちは女性をなんだと思っているのかね?」
 桐島が女性陣として不評を述べた。
 俺もこいつがもうちょっと女らしくしてくれれば、大事にしてやる気持ちが湧かないでもないんだけどね。

     




 ことり、とステンレスのコップが俺の前に置かれた。俺は軽く会釈してそのコップに口をつけた。ホットレモンティーとかいうらしいが俺からすればやたらと緊張する味である。だいたいちょっとお金持ち風のお宅にお邪魔するとこれが出てくる。あとテレビがでかい。
 そういうわけで天ヶ峰んちに俺たちはいた。面子は俺以外には桐島と横井と、その他大勢の女子が集まっている。佐倉、男鹿、紫電ちゃん、寺島さん、酒井さん、手芸部の近藤さん遠藤さん新藤さん。ニコニコしているのが近藤さんで寒そうにしているのが遠藤さん(夏だぞ?)、新藤さんは熱心なことに毛糸と編み棒を持参してソファの上で編み編みやっている。前髪が長すぎて顔が見えないので、どことなく黒魔術な気配が立ちこめている。ちょっと怖い。
 そして今、俺にレモンティーを置いてくれたのが通称あっちゃんママ――天ヶ峰のお袋さんだ。俺とはもう十年近い付き合いがあるが、いまでも丁寧に扱ってくれる。だがそれでもやはり、普段自宅に友達を呼んだりすることがない娘の友達がガサ入れのごとく押し寄せて来ているのが珍しいのか、頬を紅潮させていつになく興奮をあらわにしている。かわいい。
「みんな、お菓子食べてね。うちにあっても誰も食べないから――」
「ああ、いえ、お構いなく。これからもあるので」
 今回の策略の発案者である桐島が代表してクッキーの大盤振る舞いを辞退した。そもそもすでにテーブルの上にはケンタッキーとドミノピザと31アイスクリームから直送されたご馳走でいっぱいである。アイスちょっと溶けてる。
「そう? そうね、そうよね。ふふ」
 あっちゃんママは肩甲骨のあたりから軽やかな8分音符を湯水のように湧き立てさせながらキッチンに引っ込んだ。なんでもケーキを作ってくれているのだという。男衆が悲しい事件によって再起不能でなければ喜んだであろうに……数少ない生き残りの俺と横井はさっきから含み笑いが止まらない。マジざまぁだわー。特に茂田がざまぁ。
 ちなみに、例によってテーブルに出ている料理は財布忘れたフリで横井がすべての支払いを持ってくれた。一万円札を輪ゴムでまとめてるやつ俺初めて見たよ。
「さて……」
 桐島が手首にはめた細い腕時計をちらりと見やった。色っぽい見方しやがって。
「そろそろ起きる頃かな」
 そういって、俺たちがいるリビングから続くスライド式の引き戸を見やった。その向こうが通称地獄、またの名前を天ヶ峰の部屋とも言う。むかし無断で入ったらぶっ殺された。小四はそういうことしてもセーフじゃんね。
「それでは後藤、夜這いといこうか」
 桐島は白衣をはためかせて猛将のように立ち上がった。
「俺かよ! ふざけんなよ、猛獣の飼育は専門家じゃなきゃ無理なんだよ。あとお前その発言は俺たちにとってもセクハラだよ」
「女の子の部屋に入るなんて俺たちできないよ桐島さァん!」と横井は顔を覆ってはしゃいでいる。馬鹿が。
 俺はため息をついて、助けを求めるべくアイスのにおいをかいでいる紫電ちゃんを振り返った。ていうか何してんだよ。嗅ぐなよ。猫かお前は。
「おい紫電ちゃん。俺たちは今、眠っている女子の部屋に入り込もうとしている。生徒会として止めてくれ」
「え? ああ……後藤なら構わんぞ」
 構わんぞじゃねーよ。なんだその「信じてるぞ」みたいな目。いらねーんだよ今そういうの。
「おい、佐倉、男鹿! 仕方ないからお前らも止めろ。いいか、俺と横井を暗い部屋に放り込んだらな、あれだ、その、……狼になるんだぞ?」
「ぷっ!」
 うわあ。
 思いっきり、女子たちに笑われた。ひっでえ。俺はソファに埋めた身体をくの字に折って顔を塞いだ。
「お前らには、お前らには男の子の気持ちなんか何にもわかっちゃいないんだ!」
「ごめんごめん。狼ね狼」ポンポンと肩を叩いてくる佐倉。うるせーさわんなマジで。そのうっすい胸を借りて泣いてもいいのかド畜生めが。
「まァ二人なら安心だしさ。ほらほら、料理冷めちゃうじゃない。早く天ヶ峰先輩を起こしてきてよ」
「死んだら恨むからな」
 俺は立ち上がった。何食わぬ顔でそっぽを向いている横井の首根っこを引っつかむ。
「いやだああああ!! 死にたくない、死にたくないよお」
「それはもうわかったって」
 俺と横井は女子一同の何の責任能力もない「がんばってねー」に後押し、もとい突き飛ばされて天ヶ峰の部屋の戸をそろりと開けた。開けてしまった。
 暗い。
「ばいばーい!」
「うおっ!?」
 血も涙もない佐倉にケツを蹴り込まれてバン! と戸を閉められてしまったので真っ暗だ。何も見えない。くそ、これが女の子のやることかよ。
「心配するな、私もいる」
 ぬっと暗がりで何か動く気配がした。
「桐島か?」
「ちがう、私。立花」
 おっ、紫電ちゃんか。
「何やってんだ。桐島はどうした」
「風に当たりにいった」
 なんだトイレか。あいつタイミング悪いやつだなー。それで紫電ちゃんが紛れ込んできたってわけか。よく頑張ってあの瑞々しいバニラアイスの誘惑から目を切ってきたもんだぜ。
 ま、なんだかんだで天ヶ峰の一番の親友である紫電ちゃんはお目付け役にしておこうという女子連中のとっさの機転だったのかもしれないが。紫電ちゃんがいれば天ヶ峰そのものに対抗できるしな。
「ていうか、どこにいるんだ紫電ちゃん。なんも見えねえ」
 俺は無造作に手を伸ばしてみた。何か柔らかいものに触れた。うちにある低反発枕みたいな感じだった。
「あっ……」
「ん? ああ悪い紫電ちゃん、なんか触っちゃった。めんごめんご」
「…………」
「どうした?」
「うぐっ……」
 ばっ、馬鹿泣くなっ! 天ヶ峰ならともかく女子からも人気の高い紫電ちゃんに手を出したとなったら外にいる連中が悪鬼と化して俺と横井はそれこそ『前門の虎、後門の狼』状態になって生きては帰れなくなる。俺はなんとか暗闇をまさぐって見つけた紫電ちゃんの口を塞ぐと横井に囁いた。
「おい横井、電気つけろ!」
「え、どこ? わかんないんだけど」
「そのへんにあんだろ? パチってするやつだよパチって!」
 俺の言った通りパチっという音がして天ヶ峰の部屋の電気がついた。
 おそらく、知らないやつが想像しているよりも綺麗である。部屋の中央からサンドバッグが吊り下げられているのは悪趣味なホラーだが、それ以外はカーペットとか、フリルのついたカーテンとか、全体的にピンクっぽくまとめられていて、箪笥の上にはぬいぐるみが並んでいたりする。よくモノを壊すくせにああいうものは大事にしていると見えて、十年近く前から見覚えのあるぬいぐるみも残っているが、古さを少しも感じない。俺は紫電ちゃんを羽交い絞めにして床に座らせた。
「いいか、大声を出したりこれ以上泣いたりしたらわかってるな?」
 俺は横井にあっち向いてろこっち聞くなと顎で合図して、紫電ちゃんの耳元に囁いた。
「静かにしなければ……お前が中学の修学旅行で湯あたりして倒れたところを先生に全裸で担ぎ出されたことを生徒会の連中と人の噂話に疎い男子にバラす」
「っ!!」
「クールなイメージを大事にしたいんだったら胸のひとつやふたつで大騒ぎしないことだ……」
 手を口から放してやると紫電ちゃんは恨めしそうに俺を睨んだ。
「……よくそんな昔のことを覚えているな、貴様」
「この町で生き残るためには知識と経験の裏地が必要なんだよ。それより……」
 と俺がいいかけた時、ベッドの上で、
 もぞり、
 と何か重たいものが動く気配がした。俺たち三人はそろりとベッドに近づいた。真っ黒いベルトが五つ、ベッドに絡み付いている。天ヶ峰はその下にいた。口には猿轡を噛まされている。その眉根がうざったそうに寄ったかと思うと、
 ばちっ
 と両目が見開かれた。その艶々した黒目が俺を捉えて、燃えた。
「むっぐォォォォォォォ――――――――――――!!!!」
 何者だよマジで。天ヶ峰は俺を見るやいなやドッタンバッタン身体を跳ねさせてベッドを壊しかねない勢いで狂いに狂った。むぐっ、むぐっ、と猿轡越しにも荒い息が透けて見えそうだ。桐島が言うには天ヶ峰を拘束しているベルトは戦闘機とかで使われているものを使用しているらしいが、千切れそうだ。
 くそっ、予定とは少し違ったが仕方あるまい。シナリオを決行しよう。俺は背後を振り返って叫んだ。
「起きたぞおおおおおおおおおおお!!」
 俺の合図を受けてドカドカドカドカと隣の部屋から女子どもが入ってきた。あっちゃんママまで紛れ込んでいる。人間の形をした猪のような女子一同は俺と横井を押し潰し、紫電ちゃんを抱きかかえると、硬直している天ヶ峰の顔に向かって手の中のクラッカーをぶっ放した。
 説明が遅れたが、もちろん、クラッカーの代金も横井が持った。


「美里ちゃん、十七歳の誕生日おめでとぉ――――――――――――!!」


 一瞬の間があって。
 天ヶ峰は、ぱちぱちと瞬きをして、全身から力を抜いた。その目が壁にかけてある毎月ごとに違うチワワに浮気できるカレンダーに向く。今日は七月十六日。だが、すぐその上にかけられている壁時計の針がコチリと午前零時を打った。今日は七月十七日。
 天ヶ峰は、十七歳になった。
「全部サプライズだったの」
 猿轡を外してやりながら手芸部の近藤がニコニコして言った。
「あっちゃんに秘密にしておこうと思ってたんだけど、後藤くん? だっけ? ……がね、サプライズなのにあっちゃんに電話しようとしちゃって」
 何か言おうとする天ヶ峰を遮って遠藤さんが、
「そうなの。後藤って人、バっカだよねー。その後もちゃんと事情説明すればいいのに逃げ回ったりするから美里、怒ったんだよね。当然だよ! ったくもう、後藤ってやつは!」
 遠藤さん、あんたがいま紫電ちゃんとの間に挟んで圧殺しようとしてるのがその後藤ってやつです。痛いんだけど。……ちなみに、俺と手芸部の連中の関係は全然知らない人同士と思ってもらって問題ない。友達の友達とは合わないというが、どうも俺はこの手芸部の方々が苦手だ。
「美里ちゃん、はいこれ」
 どこから現れたのか新藤さんがさっきまで断片だった毛糸のスライム帽を天ヶ峰の頭に乗せた。
「誕生日プレゼント」
 はにかむ彼女の足元では横井が呼吸困難に陥っている。あっ、でもこいつ頭上の女子どものパンツ見えるじゃん! くそったれが、道理で楽しそうだと思ったぜ。満員電車状態の俺の左右は紫電ちゃんの肘と遠藤さんの肘で少しもいいところがない。
「ほら、後藤謝って」
 どんと誰かに背中を押されて俺は天ヶ峰のベッドの前に突き出された。勢いあまってベッドの上に乗ってしまったので、身を起こした天ヶ峰のすぐそばに正座する形になってしまった。まともに目が合う。
 俺は目を逸らした。
「……悪かった。携帯が壊れてさ、連絡できなかった」
「…………」
 天ヶ峰は答えずに布団の裾を摘んでいる。その手だけが俺からは見える。
 天ヶ峰の声が微動だにできない俺に言う。
「……ばーか」
 返す言葉がちょっとない。

     


     



 やってらんねえ。
 この俺が天ヶ峰に謝るだ? へっ、思い出しただけで反吐が出らァ。
 俺が何度そう言っても佐倉はちっとも取り合ってくれずに「わかったわかった」と言いながら俺に綾鷹を注ぎまくった。おかげで俺は三分に一回トイレに立って廊下で女子とすれ違うたびに気まずい思いをする羽目になってしまった。べつにお前らが座った便座とか興味ねーよ! なんなんだよそのドングリをかじる力すら失ったリスを見るような目。そこまで哀れむなら助けろよ。
 くそっ。なんかむしゃくしゃする。
「後藤、ピザばっかり食べないでチキンも減らしてくんない?」
「ごめん」
 俺は素直に謝って深夜一時過ぎに脂っこいものを食べる作業に戻った。
 つーかよーそもそもなんで零時始まりなんだよこのクソパーリィ。天ヶ峰が起きるのが遅かったのが悪いのかゾウでも殺せる強力な毒薬を弾薬に用いた桐島が悪いのか。ゴリラくらいを殺せるレベルでよかったんじゃないの? 握力とかたぶん同じくらいだし。
 俺は冷えてきてちょっと固くなってきたチキンをもぐもぐやりながら、カラオケセットの前で吠え立てている人間によく似た女子高生たちを眺めた。天ヶ峰はマイクを砕けんばかりに握って愛は地球を救うと叫びながらちょっと自分で泣いている。紫電ちゃんはもう眠くなってきているらしくうつらうつらと無防備なお顔を晒していて、男鹿はマイクを噛んでる。なんで? みんな眠いの? 俺は怖くなってカラオケ方面から視線を切った。つーか本当に金持ちだなこの家。あのカラオケセット一式、床からスーパーロボットみたいに出てきたんだけど。
「後藤、酔ってんの? お酒飲んでないよね?」
 俺が酔ってる? 何言ってんだコイツ。
「ばかやろー。俺ァな、俺ァ、酔ったりしねえんだ。お前らとは違わァ」
「うわあ。場酔いって始めて見た」
 くそっ、誰だこいつは。俺は両手を必死で伸ばしてその女子の顔を遠くにやろうとした。
「ぬわーっ! 何すんのよ!」
 俺は命からがらリビングから逃げ出した。これ以上、見渡す限り女子しかいない空間には耐えられない。ていうか眠い。朝から生きるか死ぬかの修羅場を潜って、もう俺の身体はおねむなんだよ。もう駄目だ親父さんの部屋とスウェット借りて寝ちまおう。俺は廊下をずるずると這いずっていってパパさんの部屋を目指した。
 ちなみに天ヶ峰のパパさんは現在海外に出張中である。娘に似ずに温厚で嫌なことがあるとすぐお腹を壊して会社を休んでしまう残念な人だが、平常時の仕事ぶりが常人の三倍なので許されているという。どこが赤いのかと言えばネクタイが赤い。
「うう……歯あ磨く元気が湧かない」
「じゃあ磨いてあげよっか?」
 俺は咄嗟にコロンと転がって、頭上から降り注いできた謎の声に防御体勢を敷いた。
「誰だ!」
「後藤くん、さすがにお姉さんもいきなりそんなポーズを取られたら照れてしまうよ」
「なんだ練山さんか」
 俺は構えを解いた。練山さんは俺の前で、腰に手を当てて笑っている。
 練山さんは前にも言ったと思うが、俺たちが普段からお世話になっている接骨院の人である。戸籍上は二十八歳らしいが普通に女子大生くらいにしか見えない。他人の血でも吸っているのかスッポンを生きたまま喰っているのかどっちかだと柔肌には目がない木村が言っていた。俺もそうだと思う。さらりとしたショートカットは元ムエタイの選手に相応しい活発さを見るものに感じさせ、きゅっと軽く釣りあがったアーモンド形の目は琥珀に近い茶色の光を湛えている。ちなみにムエタイは蹴りもあれば肘鉄もあるので、全盛期の練山さんを怒らせると天ヶ峰より性質が悪かった。
 俺は立ち上がって顔をごしごしこすった。
「遅ぇッスよ。仕事ナメてんじゃねッスよ」
「あはは、後藤くん相変わらず自分の生命を軽く扱うねー」
 ただの軽口に大げさな返しをされてしまった。……軽口の軽いってそういうニュアンスだったのか。
「メシでも喰ってたんですか? すぐ来てってメールしてから五時間経ったんですけど」
「寝てた」
 それが社会人の言うことか。何時に連絡したと思ってんだよ。日没だぞ。
 俺が軽蔑の目で見ると練山さんはぽっと頬を赤らめて身をよじった。
「ああん……年下の男の子に馬鹿にされてるぅ……!」
 ストレスたまってるんだろうなァ。
「練山さん俺ぶっちゃけもう眠いんでチャチャッと済ませましょう。そしたら向こうでメシが待ってますよ」
「任せろ」
 メシの話になった途端にキリッと顔が引き締まる。軍人じみた氷の眼差しで周囲を見回す。
「で、大事な大事なあたしのクライアントは?」
「こっちです」
 俺たちは城のような螺旋階段を下りて、一階に出た。勝手しったる他人の家で、俺は練山さんを書斎へと案内した。ちなみに練山さんは無地のTシャツの上から浴衣を羽織っているだけの軽装。パンツはいてるのかどうかは知らん。安産型のケツだからあんま興味ない。
「何か言った?」
「まさか。上の連中の馬鹿騒ぎが聞こえたんでしょ。……見てください、これです」
 俺がドアを開けて中に入ると、沢村がじゅうたんの上に直に座っていた。俺は沢村におもむろに近づくとその頭をがしっと掴んで捻った。
「ぎゃああああああ」
「見てください練山さんこれが天ヶ峰に前衛芸術にされてしまった沢村です」
「お前がいま俺をそうしようとしてるんだよ!! 痛いやめろ後藤、俺が何か悪いことしたか!?」
「いきなり出てくんじゃねーよビックリしたわ」
 俺は沢村を離した。沢村はひしゃげた首根っこを、耳に入った水を抜こうとするように振り回して元に戻した。そして今気づいたが、どうもこいつ風呂上りっぽい。下水の匂いを落としてきたらしい。
「おー痛て」
「なんでお前がここにいるんだよ」
「あたしが呼んだの」と言ってVサインしたのは練山さん。
「最近、沢村くん沢村キネシストになったでしょ」
 その呼び方やめてくれませんか、と沢村が朝起きたら学校だったみたいな顔をした。
「でね、これから自分の人生は戦いに次ぐ戦いになるだろうから、もっと強くなりたいし、人の役に立てる大人になりたいんだって。偉いよねー」
 俺がしげしげと沢村を見ると、野郎は真っ赤になって俯いた。まァ世界平和のために立ち上がりたいとか前世で死に別れた宿敵に復讐するためとか言い出さないだけまだマシか。
「偉いじゃん沢村」
「……練山さん、人には言わないって約束したじゃないスか」
 練山さんはアッハッハと笑ってそれで済ました。
「そういうわけで、沢村くんは最近うちの接骨院の手伝いしてくれてるんだよね。実際、人の骨とか関節とか繋げられると便利じゃん? こういうときとか」
「まァ、やってもらう身なんで文句は言えないッスわ。……おい沢村、俺らここに茂田たち置いておいたんだけどどこやった?」
「ああ、こっち。テーブルの上に並べてみた」
 そう言って沢村が指差したのは、俺の背後。俺は振り返った。
 うわあ……
 改めて見ても悲惨である。折り紙をやっていて、鶴が折れないことにこの世への絶望を見出した幼稚園児がグッチャグチャにした色紙みたいなことになっている肉塊が全部で十三はあるだろう。制服の名残と思われる切れっぱしが血を染みこませてぺったりと貼りついているのが生々しい。俺はこんなこともあろうかと事前に用意しておいたバケツにしこたま吐いた。
「おえーっ」
 さっき喰ったチキンとかが出る。もったいねえ。練山さんが背中をさすってくれた。
「大丈夫、後藤くん?」
「吐いてからが本番ッスよ」
「偉い! それでこそ男の子だよ」ぐっと親指を立ててくる練山さん。本当に褒める気があるならそのFカップ触らせろよ。殺すぞ。
 俺は口元をぐいっと拭って、改めて肉塊を見た。
「で、治せますかこれ。いつもより二〇パーセント増しくらいでぶっ壊されてますけど」
「うーん」
 練山さんは肉塊に近づいて、それを寝ている犬の耳でも触るように扱った。
「だーいぶ壊されてるねえ。美里ちゃんもお転婆だなァ」
「本当に困りますわ。あいつにもそろそろ大人になってもらわないと」
「そうだよねえ。壊すなら治すまで覚えないと駄目だよね」
 そういうことじゃねーよ。なんで壊すのはセーフなんだよ。ぐちゃぐちゃになった肉の隙間から覗く茂田の目が見えないのか練山さん。
「んー。沢村くんにもやって欲しいけど、ちょっとまだ難しいかな。あたしがやっちゃうから、沢村くんと後藤くんは動かないように茂田くん押さえといて」
「ちょっと、俺もやるんスか?」
「あったりまえでしょー? 友達のピンチを助けないで何が友達よ」
「めんどくせえなあ」
 しかしこのままみんながミートボール状態だと俺は世にも恐ろしいハーレムを構築してしまう羽目になる。地獄に一人ぼっちとかマジごめんなので俺はぐちゃぐちゃになった茂田の足らしきものを押さえた。反対側に沢村が回る。
「じゃ、いっくよー。えいっ」
 ぶちゅりっ
 練山さんは一声かけると、肉塊の中から茂田の腕を引っ張り出した。ぴぎい、とどこからともなく豚の鳴き声が聞こえた。俺は沢村に囁いた。
「なんか聞こえたよな」
「茂田の悲鳴だろ……」
 なんだそうか。ごめんごめん茂田、屠殺される家畜のそれにしか聞こえなかったよ。あはははは。
 笑ってねえと気が狂いそう。
「よっと」
 練山さんが茂田の左腕を引っ張り出した。俺の見覚えがあるそれよりもちょっと伸びている。
「ん? ここどうなってるんだろ……あ、そうか三番と四番が混ざってて……あー絡まっちゃってるな……いいや折っちゃお」
 ぼぎぃっ
「ピギー」
 頑張れ茂田、もうすぐ人間に戻れるぞ。俺は涙と一緒に、練山さんの一挙手から跳ねてきて茂田の血液を手の甲で拭った。
「沢村くん、ここの傷口にアビテン塗っといて」
「はっ、はい!」
 新兵のごとき威勢のよさで沢村がポケットからアビテンのビンを取り出してそれをどっばどば茂田に振りまき始めた。
「けほー、けほー」茂田だったものが激しく咳き込む。
「ああ駄目だよ沢村くん、粉が気管に入っちゃってる。茂田くんがラクに死ねなくなっちゃう」
 殺そうとしてんの?
「すっ、すいません。くそっ、茂田、頑張れよ茂田! 俺も頑張るからな……!!」
 無駄な熱さを振りまく沢村。こういうソツのないとこが普通に就職決まりそうなタイプに思えて死んで欲しくなるね。
「えいしょ」
 ぶぎりっ
「ぎあー、ぎあー」
 少しずつ人間の形を取り戻してきた茂田がたわんだ手足を振り回し始めた。俺と沢村は跳ね返されそうだ。
 練山さんはさすがに練達している。
「はい、茂田くん頑張ろうねー。もうすぐよくなるからねー。えっとこれは……あっ。うわっ、やだ、ええっ? うっそ……こんなんなってるんだ……へえー。まあいいや、えいっ」
 ぶちっ
「――――!!」
 声にならない悲鳴を上げて茂田が動くのをやめた。痛覚でも目覚めない深い眠りに落ちたらしい。だが、一応、人間の形には戻っている。
 練山さんはすっかり血の花柄になった浴衣の袂にぱたぱたと手で風を扇ぎ込んだ。
「一丁上がり、っと。あっ、やだもー手が血でベトベトになっちゃったあ後藤くんなんとかして?」
「血は血で洗うに限りますよ。ほら、さっさと黒木たちも組み立てちまいましょうよ。俺もうさっきから眠くて」
「後藤……お前この状況が平気なんだな……」
「さっき吐いたけどな。まァ昔取ったなんとかだよ。オラ沢村、黒木の足持て足」


 十三個のミートボールを蘇生させきった頃にはもう、俺たち三人は汗だくになっていた。だが手を血と油で真っ赤に染めながらもなんとかやりきった。もう明け方である。
「ふうっ。これで終わりっと」
 全員にタオルケットをかけ終えて男の子としての尊厳を取り戻してあげると、練山さんは額を腕で拭った。流血沙汰みたいな顔面になっている。
「終わりましたね……」
 俺はちょっと迷ったが結局付け足しておいた。
「ありがとうございます。助かりました。いつもすいません、タダでこんな」
 いいのよぅ、と練山さんは苦笑いした。
「またなんかあったら呼んでよ。あたしもおじいちゃんの腰叩いてるだけじゃ人生に華がなくって」
「今度ばあちゃんちからスイカ届くんで持っていきますよ」
「あ、ほんと? ありがと、楽しみ。じゃね」
 土地柄か、この町の女性は帰り際が鮮やかだ。軽く振った手の残像を残して練山さんが帰ると、俺と沢村は顔を見合わせた。なんだか妙な寂しさがあった。
「……帰るか」
「そだな」
 あっちゃんママは恐らくもうベッドの中だろうし、上は横井を除けば女子しかいない。寝ているやつもいるだろうし、わざわざ顔を出して騒ぎにでもなったら面倒だ。俺たちはそのまま天ヶ峰の家を出た。朝焼けの中、俺と沢村は真っ白な天ヶ峰の家を振り返った。
 長い一日が、こうして終わりを告げたのである。

       

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Neetsha