Neetel Inside ニートノベル
表紙

横井、宝くじ当てたってよ
第五部

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「横井ぃぃぃぃぃぃてめぇぇぇぇぇぇ!!」
 俺はなんとか肉だけでも救わんと碗を遠ざける横井を張っ倒した。碗は奪い取って中身は喰った。もぐもぐやりながら言う、
「こんな美味いもん一人で喰いやがって、ぶっ飛ばすぞ!」
「もうぶっ飛ばしただろ!」横顔を平手で押さえつけられているので横井は豚みたいなツラになっている。
「放せよ後藤!! 俺のスキヤキの邪魔すんな!!」
「うるせえ!! てめーごまダレだと? 馬鹿なんじゃねーのか? 普通はとかしたタマゴだろ!! 謝れ、スキヤキの神様に謝り申し上げろ!!」
「俺の勝手だろうがあああああ!!」
 横井はぐりんぐりん気持ち悪い三回転半を地面スレスレにやってのけて俺の魔の手から逃げた。タコかてめーは。俺はさっと拾った箸をカチカチやりながら碗を庇った。
「貴様に肉を喰う資格はねえ。大人しく白滝でもすすってろ」
「そんなスキヤキ全然楽しくねーよ!!」
「馬鹿野郎が! 一人で喰うスキヤキ自体がそもそもなあ……」
 そこで俺たちは大切なことに気づいた。戦闘姿勢を解く。面と向かって卓に座り合い、笑みをかわす。そうとも。一人ぼっちの夕餉なんて楽しくない。ここは休戦して二人で仲良くスキヤキを喰う。それでいいじゃないか。確かに肉(えもの)は半分になってしまうが、それよりも大切なことがきっとこの世にある。俺は横井に碗を返した。
「喰えよ」
「後藤……」
「ごまダレも悪くなかったぜ」もしゃもしゃ。
「おまえさっきの肉まだ喰ってたのか」
 噛み切るのが苦手でな。
 俺と横井は仲睦まじく鍋を突きあった。横井が幸せそうな顔で肉を取りながら、横目で倒れている紫電ちゃんを見やった。
「立花さん撃たれた人みたいになってるけどいいの?」
「紫電ちゃんまで起きたら数少ない具が減ってしまうだろうが。早いとこ喰っちまおうぜ」
「おまえ最低だな後藤。大好きだぜ」
「ああ、俺もだ」
 それにしてもうめえなこの肉。国産百二十パーセントって感じだ。噛むたびに染み渡った肉汁とそれを優しく包むごまダレの俗っぽくてキャッチーな味わいがマックの月見バーガー食ってる時と同じ幸福感を俺に与えてくれる。
「おいマジかよこのシイタケ超うめえ」
「いやシイタケは普通にいつも美味いじゃん」
「馬鹿かおまえ俺の舌は貴族のそれだから普段はあんな菌類大嫌いなんだよ」
「おまえ謝れ! 山の幸に謝れ!」
「いいんだよこれは美味いから。おいやべーなちょっとした肉だぞこれ……」
「あ、後藤その下に豆腐あるよ」
「おまえマジいいやつだな。やっべー豆腐もうめーよ田舎って凄い。なあ紫電ちゃん」
「そうだな」
 紫電ちゃんは真っ赤な目で俺の隣に座っている。
 超怖い。
 超怒ってる。
「後藤」
「紫電ちゃん、落ち着いて。肉はもうないけどシイタケが物凄く美味しいよ」
「知ってる」
「そっか、そうだよね! 夏のたびに来てるみたいな話してたもんね! よかったーわかってもらえて」
「ああ、シイタケもよく食べたぞ?」
 そしてコツンと俺の肩に金色の頭蓋を乗せた。
「肉もな」
 ひ。
 ひいいいいいいいいい。
 俺はドバドバと流れ出る冷や汗をどうすることもできなかった。ちょっとした滝行である。横井に助けを求めようとしたが、あいつはすでに生贄のうどんをスタンバっていた。手際のいい処置で魔王に許しを乞うつもりらしい。畜生、化物騒動が終わったら今度は魔王の断罪を受ける羽目になるとは。後藤一生の不覚。こんなことならシイタケも全部喰っておけばよかった。
「横井」
 俺の肩に頭を乗せながらギロリと紫電ちゃんのレーザーポインターみたいな目が横井を貫いた。
「妙なもの入れたら殺すぞ」
「う、うどんは妙なものでしょうか……」
「うどんならいい。だが上海ラーメンは駄目だ」
 むしろ入れないだろそんなもん。どこ文化だよ。
 横井は「ハハッ、わかってますよ」みたいな愛想笑いを浮かべてドバドバとうどんを鍋の中に放逐した。自由を得たうどんたちが汁の中を泳いでいく。なんか自発的に動いてる麺があるような気もするが田舎だとそういうことも時々あるのかもしれない。とりあえず横井は気にせず喰っている。
「し、紫電ちゃんも食べる?」
「…………」
 無言で手を中空に掲げる紫電ちゃん。俺は疾風迅雷の手さばきでそのお手の中にうどんをたんまり詰め込んだ碗をお供えした。紫電ちゃんは大仰な手さばきでうどんを食い始めた。まァスキヤキに出遅れてうどんしか喰えないっていうのはものすごく可哀想なのでこれぐらいの横暴は仕方あるまい。俺が逆だったら憤怒の鬼と化すし。どんぐらいキレるかっていうと詩とか書いちゃうぐらいキレる。
 そうして三人で、のんびりとうどんをすすりあった。美味い。なんだかこれを喰いにこんな田舎まで来たような気が……ん?
 そうだった。
 俺は汁を跳ね飛ばしながら三条のうどんを口の中に吸い上げ、横井をビシィッ! ……っと指差してやった。
「おい横井! てめえなんでここにいる!」
 横井は「ちょっと待って」のポーズを取って三十秒ぐらいもぐもぐやっていた。早く喰えよ。ようやく「ごっくん」すると勢いこんで突っかかり返してきた。
「それはこっちのセリフだよ! なんで後藤が立花さんと一緒にいるんだ!? おまえは天ヶ峰と付き合ってるんじゃないのかよ!!」
「どこで頭打ったらそんなセリフが出てくるんだ。あんな化物にチンコ突っ込んだら千切れちゃうだろ」と言ってからすぐそばに女子がいることを思い出して死にたくなった。紫電ちゃんも真っ赤になっていてちょっと言葉が出ないらしい。ホントゴメン。それにしてもチンコ見たり猥談に巻き込まれたり今日の紫電ちゃんはおシモなイベントが目白押しである。……おい誰だ俺とデートしたことも一種の下ネタだよなみたいな目ぇしたやつ。出て来い。ケツを掘ることも辞さんよそういう舐めた輩には。
「ふっふっふ、聞いて驚け」横井は腕組みをしていわくありげに目を閉じた。ぶっ殺してえ。
「俺はな、なんと……許婚に会いに来たんだ!」
 勝利のガッツポーズを取る横井。紙ふぶきがあれば自分から舞ったであろう。だが、俺と紫電ちゃんのテンションは上がらなかった。特に紫電ちゃんに至っては車酔いみたいな顔になっている。赤くなったり青くなったり忙しいな。
「……なんだよ?」横井が怪訝そうに眉をひそめた。
「もっと驚けよー、俺の許婚だぜ? どんな子なのかまだ見てないんだけどさ、明日来るんだって朝一番で! 超楽しみだわ」
「そうか、よかったな。願いが叶ったぞ」
「は? 何を言ってんだよ後藤」
 俺は黙って紫電ちゃんのほっぺを突いた。紫電ちゃんは抵抗する気力もなく俯いている。
 一拍の間、ぽかんとしていた横井がいきなり鼻からうどんを噴いた。
「うげぇ、きったねえ!! おいばかふざけんな!!」
「ごっ、ごめん」横井が鼻をかむ。
「で、でもビックリするだろ普通!? なんだよなんだよどーゆーこと!? 紫電ちゃんが……俺の許婚だって!?」
 ラノベのタイトルみてーなビックリ仕方してんじゃねーよ。
「そんな……だって、苗字も違うし」
「めんどくせーからそのへんカットしていい? いろいろあったんだよ血筋的大魔術が。どうせお前も似たようなもんなんだろ? 俺にはわかってきたよ。おまえのじいちゃんか何かが死んで、その遺言でとある女の子と結婚しろって言ってきた。その通りにしたら遺産は全部もらえる。そうだな?」
「な……な……」
「でもお前の方は紫電ちゃんとは違って、最初にもう遺産を前金みたいな感じでもらったんだろ。それがここ最近お前の話題で持ちきりだった『宝くじ』の正体ってわけだ」
 横井はわけわかんなくなったのか意味もなくテーブルをぶっ叩いた。
「なんで知ってんだよ!」
「だからいま分かってきたって言っただろ!! ったくよォ、推察だよ推察ゥ。君らとはココのデキが違うのだよココの」俺はトントン額を叩いてみせたが横井は紫電ちゃんの方を向いていて意識がお留守である。殺す。
「立花さん! 俺、俺たち本当に結婚すんの!?」
 テンパってるのは分かるが横井が分からないことが紫電ちゃんに分かるはずもないと思う。紫電ちゃんは横井と視線を合わすのも嫌なのか顔を背けたまま喋った。
「……そうなる、らしいな。遺言に従うと」
「マジか……俺、紫電ちゃんが俺の苗字になるのなんか想像したこともなかったよ……」
 横井は呆然として両膝の前に手を突っ込んだ。
「横井紫電……なんかバランス悪いよな……」
「そうだな。後藤紫電の方がいいな」
「もっと悪いな……」
「そうでもねえだろ百歩譲ってかわらねえよお前と! 人を傷つけるようなことを簡単に言うんじゃないよボケがとっとと死んでしまえ」
「お前の方がひどいぞ!?」
「うるせえ口答えしてんじゃねええええええ」俺は横井の頬を引っつかむと鍋の残り汁をドバドバと注ぎこんでやった。紫電ちゃんが慌てて裾がはためくのも気にせず俺を羽交い絞めにした。
「やめろ後藤、汁が飛ぶだろ!」
「そこかよ! 紫電ちゃんには横井の生命よりも畳の染みの方が気になるってのか! これだから資本主義なんて大嫌いだ! 物質礼賛主義反対!」
「私はお前の殺人未遂に反対だ!」
「ごぼっ……ぶぶっ……」横井の口はすでに茶色いスープでいっぱいいっぱいである。死ぬがよい。
「後藤、しっかりしろぉ! お前が落ち着かなくて、いったい誰が落ち着くんだ!」
「!!」
 紫電ちゃんの一言で咄嗟に納得してしまったが、よくよく考えれば滅茶苦茶である。なんで俺がお前らの安全装置みたいになってんだよ。俺この件に全然関係ない人なんですけど……。
 紫電ちゃんの必死な心臓マッサージという名の打ち下ろしの右(チョッピング・ライト)が横井の息を復活させた。ぷはっと頬を打たれたように目覚める横井。すぐに泣き始めたのは心臓へのダメージのせいだろう。おもいっきり撃ってたからな紫電ちゃん。ドスッて変な音してたし。
 当の紫電ちゃんは肩でぜいぜい息をしながら、耐え切れなくなったように叫んだ。
「話が全然進まない!!」
 ごもっともである。俺たちいつまでふざけあってんだよ。
 ちゃんと正座して、とりあえず場を仕切り直してみた。
「で、お互いが許婚であることが判明したわけだが」
 俺は二人と二等辺三角形のていを取って、言った。
「感想は?」
 横井が爽やかな笑顔で親指を立てた。
「金髪美少女って最高だよね!」
「私はいますぐ操を守って死ぬことにする」
 紫電ちゃんが自分の喉元に手刀を撃ち込もうとしたので俺は足下の座布団を投げてそれを防いだ。紫電ちゃんはバランスを崩して背中から倒れこみ、座布団の向こうでシクシク泣き始めた。
「もう嫌だ……よりによって横井なんて……後藤でも無理だったのに……」
「おまえはいま二人の男子の真心をなんの意味もなく傷つけたよ」
「立花さん、あのさ、俺と立花さんってそんなストレートな言葉を交わしあうほどの仲じゃないと思うから、もう少し気を遣ってもらえる?」
 うわあ、横井も横井でスゲーこと言ってるな。まったくもって悪気がないのが大物の香りがする。
「とりあえず紫電ちゃんが無理ってことだな。さてどうするか。横井を殺すか、もしくは横井を殺す、さもなければ大事を取って横井を殺すかだな」
「大事を取っても殺すのかよ……俺だって生きてるんだぞ!」
「知らん」
「くっ、なんて冷たい目……! あのなあ後藤、はっきり言っておくぜ? ……俺だって立花さんとは無理だから!」
 紫電ちゃんが希望に目を輝かせて座布団を跳ね除けた。
「本当か!? なんか金髪美少女をエロ同人みたいに陵辱したいとか言っていたが!」
「言ってねーよ!! ふざけんなよ立花さん、いまの君はなんらかの薬物をやってるとしか思えないよ」
「すまん……今日は暑かったから少し疲労がたまっていてな」
 額に手をやりつつ、ほっと安堵の吐息をもらす紫電ちゃん。
 俺は横井に疑わしげな目を向けた。
「……おい横井、強がるなよ。こんな金髪美少女を縛り上げてシャンデリアみたいに寝室の天井から吊るしたいと思わないわけがないだろう」
「思わねーよ!? 紫電ちゃんじゃなくても思わねーよ!! なんだよシャンデリアって。家具かよ。アグレッシブなプレイすぎんだろ」
「じゃあなんでだ。少なくとも俺ならこんな美少女をお嫁さんにしてお金持ちにもなれるなら絶対に拝み倒してでも結婚するぞ。こんな可愛いんだぞ?」
 俺は紫電ちゃんを手で指し示した。紫電ちゃんは落としたパンツを道端で拾われた小学生みたいな顔になっている。
 横井はあーとかうーとか言いながら頭をガシガシかきまくっていたが、しょうがねえなとばかりに何かをポツリと呟いた。が、聞こえなかった。
「え、なんて?」
「だ、だから…………いんだよ」
「にゃんちゅうがどうしたって?」
「ちげーよ!! どう聞き間違えたんだよ。だからあ、……俺には好きな人がいんの!! だから紫電ちゃんとは無理!!」
 そう言って横井は、「べっ、べつにお兄ちゃんのことなんか好きでもなんでもないんだからね!」とばかりに顔を真っ赤にしてぷいっとそっぽを向いた。誰だよこいつに頬を膨らませる方法教えたやつ。不愉快で仕方ねーよ。
 俺はなかば呆れ返って笑ってしまった。
「おいおい、誰だよ誰だよ。名前を聞かないことには引き下がれないな」
「教える必要ないだろ」
「まァ酒井さんだろうけどな」
「なんで知ってっ……あっ」横井はぱっと口を覆った。
 ふっふっふ、墓穴を掘りやがった。まァでも前から横井は「それとなく後藤とか茂田には気づいて欲しいわーそういうお話したいわー」みたいな感じで酒井さんの名前をチマチマチマチマ振ってきてたから別に驚くには値しない。なにせ家族ぐるみで同棲してた仲だしな。
 紫電ちゃんを見ると、
「ど、どうしよう後藤。たいへんな秘密を知ってしまった。私は生徒会として彼との守秘義務を守れるだろうか? うわあ、たいへんだ、たいへんだ」とやたらと慌てている。面白いのでほっとく。
「ってことは、両者の意見は一致してるわけだ。お互い絶対にありえねーと」
 二人はこくん、と頷いた。そして希望に満ちた目で俺を見てくる。俺は物凄く嫌な予感がしたので二人からずりずりと後ずさった。
「……なんだよ。言っておくが俺は関係ないぞ? お前らが困ろうと知ったことか。勝手にやりやがれ」
「後藤……」
 くっ、なんだよその目は……。
 はあ。
 ったく、しょうがねえな。
 俺はすっくと立ち上がった。
「どうするんだ?」と紫電ちゃん。俺は空になった鍋を持ち上げて、言った。
「逃げるしかねえだろ」
「逃げる、か……そうしたいがな、後藤、いろいろと私たちには地方的しがらみというものがあってだな」
「そんなもん関係ねーよ。地元戻っちまえばこっちに分があるだろ。紫電ちゃんのところの変態親戚どもが押しかけようが、横井の方が文句言ってこようが、どうにでもなる。最悪、天ヶ峰を三日間オヤツ抜きにして町へ解き放てば生きとし生けるものはすべて死に絶えるしな。その間、練山さんちでスマブラでもやってれば何もかも静かになるだろ」
「そんな! これ以上、美里の手を血に染めるなんて!」
「……ま、まァ戦力は他にもいるし? 最近、テレパシストが手駒に入っただろ紫電ちゃん。……なんだその顔、忘れてんの? 遠山さんだよ遠山さん。あの人に頼めば親戚が地柱町に潜伏してても一発で分かるだろうし。あとはもう男鹿でも佐倉でも引っ張ってくればいいさ。俺にはなんの力もねーから、助けにはなれないけど、あの町に戻れさえすれば、俺たちは負けねーよ」
「……それでいいのだろうか」
 紫電ちゃんはまだ思案げである。横井はやる気マンマンのようだが。
 俺はため息をついて紫電ちゃんに言った。
「他人のこと考えて、自分が犠牲になってちゃ世話ないっしょお。人間ってのはな、他人に迷惑かけて、かけられていく生き物なの。そうじゃなきゃおかしいの。だからいいんだよ。いつか別の誰かが紫電ちゃんにおんなじくらいすっげぇ迷惑かけてくるだろうけど、そんときに文句ぶーたれながらでも世話してやれば、それで世の中回っていくのさ」
 俺たちは外に出た。月明かりが眩しい。あたりは騒然となっている。そりゃあ家一軒吹っ飛ばされた直後だからなあ。どうやら住人たちは反対側を調べにいっているらしい。声がそっちの方面から聞こえる。横井のいる離れに誰も様子を見に来ていないのは、恐らく完全に忘れ去られているからだろう。哀れ横井、だがその影の薄さが今は役に立ったぜ。
「よし、これから連中の動きを制限する」
「なんだって!? そんなことができるのか後藤!!」
 大げさに驚く横井に俺はふふんと笑う。
「当たり前だ。見てろ、凍りつかせてやる。紫電ちゃん、この鍋を持って」
「……? わかった」
 紫電ちゃんは異国の石器を見るような目で鍋を見下ろした。ただの鍋である。
「これをどうすればいい?」
「いいからいいから。その場でグルグル回ってくれる?」
「グルグル? こうか?」
 紫電ちゃんはくるくるその場で回転し始めた。砂埃が竜巻みたいになっている。よく靴が壊れないもんである。
 そうして紫電ちゃんが唸りを上げる独楽にまで昇華したところで、俺は腹の底から叫んだ。

「あっ、鍋にゴキブ」

 リ、まで言えなかった。




「いやあああああああああああああああああああああああ!!」



 紫電ちゃんが鍋から手を放してその場にしゃがみ込んだ。事実上、砲丸投げの要領でぶっ放された鍋が一軒の家屋の白塗りの壁にぶち当たって貫いた。またその周辺で「であえ、であえーっ!」が始まり、俺と横井はゲラゲラ笑いながら紫電ちゃんを引っ張ってその場からおさらばした。走りながら紫電ちゃんに文句を言われた。
「ひどいぞ後藤、いきなりあんな嘘をつくなんて!!」
「はっはっは、嘘も方便って言うだろ」
「方便ってなんなんだろうね」横井が余計なことを言う。
「とにかく」俺は紫電ちゃんから手を放して、走る速度を上げた。
「いけるとこまで逃げちまおう。駅まで行くころには始発が出てるだろ。それに乗ればさよならさ」
「ええっ!?」横井が目を丸くして叫んだ。
「そんな走るの!? 俺イヤなんだけど!!」
「じゃあ歩けば? 捕まると思うけど。あの家、忍者いるらしいぜ」
「マジかよ。道理で人が仕掛け扉で移動してると思ったぜ……」
 見られてる時点で忍者としてはアウトな気がする。
「噂をすればなんとかだな」紫電ちゃんが憂鬱そうに言った。
「後藤、後ろから追手だ」
「なんだと、俺の陽動が通用しなかったっていうのか」
「たぶん、遠縁の葉暮(はぐれ)だ。凄腕の忍者で、水の上を歩ける」
「じゃあ俺たちは水の上を歩かないようにしよう」
「そうだな。……ん? そういうことなのか?」
 紫電ちゃんが小首を傾げて俺の言葉遊びに惑わされている。超可愛い。シャンデリアにしたいなー。
 道は、一本道だ。ゆるやかなアスファルトの道路を俺たちは走る。するとどこからともなく影の中から手裏剣が飛んできた。横井の頭に刺さった。
「痛っ! なんか当たった! 気をつけろ後藤!」
 どうやら刺さったことに気づいていないらしい。どくどく血が出ているが黙っておく。毒とか塗られていたら助からないだろうが、その時は介錯してやるまでである。
 俺は周囲を見回した。左のガードレールの向こうには崖になっていて、その下には鬱蒼とした森が広がっている。俺は紫電ちゃんに耳打ちをした。
「下に忍者を突き落とせれば勝負がつきそうだな。この高さじゃ助かるまい」
「でもどうやって?」
「一芝居打とう。ちょっと失礼」
「え?」
 思い立ったら吉日である。
 俺は紫電ちゃんを羽交い絞めにして、その首元に手刀を当てた。
「動くな、追手!」
 無論、俺の爪に殺傷能力はない。ちゃんと切ってあるし。
 俺はぐふふふふと笑いながら、どこかの夜陰の中にいる忍者に叫んだ。
「この頭の中までプリン構造の女をかどわかし、身代金を要求しようと思ったが気が変わった! 俺たちを見逃してくれればこの女を返してやろう。だがその前に姿を見せい!」
 いきなり俺は横からタックルを喰らった。横井だった。
「後藤、見損なったぞ!」
 馬鹿かてめーは! ちょっと黙ってろ!
 俺は視線で横井を黙らせた。こういうとき、ツーと言えばカーの中だと助かる。
 気を取り直して、口上を続けようとしたら、すでに忍者が闇の中から出てきていた。真っ黒な装束に、鉢金を締め、頭巾を被って顔を覆っている。典型的な忍者である。ゆるい風の中で、鉢金を縛っている布の端が揺れていた。
「……姫様を放せ」
 俺が不思議そうに紫電ちゃんを見るとおしっこ漏らしたところを見られたような顔になっていた。姫様て。
「この外道が! 六道輪廻から外れるがいい!」
 外道ってことはもう外れてるんじゃないですかね。まァいいけど。
 俺は紫電ちゃんの首を軽く締め上げた。
「ぐっ……」
「ふふふ、その前に俺とこの横井を許してもらおうか」
「……ムコ(仮)殿、これはどういうことです!」
「……いまはまだ、言えない」
 横井が「くっ、これも運命か」みたいな顔で目を逸らした。お前そういう何も考えてない伏線張るのやめろよ。忍者が「どういうことなんだろう」みたいな目してるぞ。
「よくわからんが……とにかくお前が悪いんだな、外道!」
「あーはいはい俺が悪いです俺のせいですぜーんぶ俺が悪いんですー」
「……許さん!」
「いや許してくれよ。紫電ちゃん返すからさあ。それでチャラってことにしようぜ? さ、こっち来いよ。愛しいお姫様が王子様を待ってるぜ?」
 よし、ちゃんと言えた! 決まった。これはなかなかの名悪役だわ俺。
「……姫様は無事に返してくれるんだな?」
「そうだよ。だから早く取りに来いって」
 ちょいちょいと俺が手招きすると、忍者がホイホイ近づいてきた。闇に生きるものが他人を信用しちゃならんぜよ。というわけで、
「隙ありっ!」
「なっ……!?」
 俺は忍者に掴みかかると、ガードレールから突き落とすべく突進した。まァ忍者なら死にはすまい。そう思って割りと強い力で押したのだが、甘かった。
 俺って、運動神経、悪いんだよね。
 案の定、足を滑らせて勢いが余ってしまった。忍者の胸に頭突きをする形で突っ込んでしまった俺はやすやすと忍者と共に眼下の森へと落ちていった。
「後藤ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
 二人分の悲鳴がどこかから降ってくる。俺はわけがわからないまま重力に滅茶苦茶に揉みくちゃにされ、ゴン、という音を聞いた。後から思えば頭を打った音だったのだろう。
 意識がブラックアウトした。



「……んん?」
 目が覚めると、なんだか現代アートみたいな緑が目の前に広がっていた。ちょっとくどい構図と色彩である。などと格好つけてぼんやり眺めていると、それが森の木の葉であることが分かってきた。俺はがばりと起き上がった。背中から葉っぱと土がぱらぱらと落ちる。
「気がついたか」
 見ると、葉っぱのカッターで粉々に砕けた陽光を全身に浴びながら、例の忍者が切り株に腰を下ろしていた。
「おお、忍者。久しぶり!」
「……読めん男だな、お前」忍者は呆れたように言う。
「よく言われる。……えーと、俺たちなにやってたんだっけ」
「落ちたんだ、崖から」
「そういえば、そんなこともあったね」
「軽く言ってくれる」
「よく、俺が気づくの待っててくれたな」
 忍者は肩をすくめた。
「いまさら、だったからな」
「いまさら?」
「もう助からないということだ。我々二人は」
「マジかよ」
「マジだ。……ここは迷いの森。一度落ちたら、出ることは叶わん」
「そんな土地を放置しとくとか国は何をしてるんだし」
「忍者の里は治外法権だからな。国家権力は介入してこない……ゆえに、助けも期待できない」
「何を馬鹿な」俺は浴衣の袂を探った。
「携帯電話さえあればこんなところからはおさらば」
 できそうになかった。
 なんでドコモショップ行くの先延ばしにしてたんだ俺は……その場にへたり込んで頭を抱えた。
「マジで出る手段ないんすか」
「上から助けが来るならともかく、下からはないな。結界が張ってあって、どの木もお風呂場のタイルみたいになっている」
「リアルで生々しく、それでいて分かりやすい説明をありがとう。おかげで絶望できたよ」
「それはよかった」
 はあ、と忍者がため息をつく。
「生涯最後の語り相手がお前のような外道とはな……それがしも落ちたものだ」
「いろんな意味でね」
「は?」
「ごめん。俺が悪かった」
「……やれやれ」忍者は怒る気力もないらしい。俺はその場であぐらをかいて、頬杖を突いて忍者を眺めた。
「血筋かね」
「……何がだ?」
「そのすぐ憂鬱そうになるとこ」
「誰だってこの状況なら、落ち込みもするだろう。死ぬんだぞ? これから。それも餓えて死ぬんだ。この森には食べられる植物は一個も生えていない」
「死なないさ」
「その根拠はなんなんだ」
「俺にもわからん」
「……は?」
「死なないって気がする。そんだけ。だから、俺は怖くない」
 忍者はゆるゆると首を振った。
「のん気なものだな。羨ましいよ」
「それ、いつだったか、紫電ちゃんにも言われた気がするなァ。でもやっぱり得だと思うぜ? 俺みたいな性格」
「死ぬまでの間に、そう思ってみたいものだな」
「もうすぐ分かると思うよ。聞こえない?」
「え?」
「俺には聞こえる」
 俺は指を天空に向けて立てた。いつの間にか、木の葉が揺れていた。自然の風じゃない。
 音がする。
 ばらばらばらばらばら……
 風が、俺たちがいた空き地を吹き抜ける。
「この音は……」
 忍者の問いをかき消すように、声がした。
「後藤ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ助けにきたぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 俺はぱん、と膝を叩いて立ち上がった。上を見上げて、手で庇を作って、ドアから身を乗り出している馬鹿を見つけて、呆然としている忍者に嘘をついた。
「いや、実は最近、俺の友達がさ――」




















            横井、宝くじ当てたってよ


                FIN



       

表紙

顎男 [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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