Neetel Inside ニートノベル
表紙

横井、宝くじ当てたってよ
第二部

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 それから結局、俺たちは亀になったまま動かない酒井さんをもてあまし、どうするか茂田と緻密な打ち合わせを経た結果、彼女を田中くんちのおばあちゃんに漬物石として贈呈することで無事決着がついた。横井もどこいったのかわからんし、瓦礫の闇に飲み込まれた男鹿の行方も見当たらなかったし、なし崩しに解散という運びになって俺は自宅へ帰った。
 その晩のことである。
 俺が桐島から借りた少女マンガをほくほくしながら読んでいると家電が鳴った。いまどき家電引いてるのって意味あるのかなあと思ってマンガをペラペラしているうちに、さっき携帯をぶっ壊したことを思い出した。横井か茂田がかけてきているのかもしれない。俺は本を読むのを中断し、ベッドの縁にはみ出している本の海を泳いで電話のところまでいった。
「もしもし、後藤ですが」
『あのさ、なんでおまえんちに電話かけるといつもザブザブ音がするの?』
 横井だった。俺は本の海をぷかぷか浮きながら答えた。
「浮いてるからだよ。で、どうした」
『メールしても返事くれないし携帯かけても出ないからさー。どしたの?』
「ああ、ちょっといろいろあってな……」
 ちっ、こいつではなく俺に泡銭が転がり込んでいれば俺の携帯も路傍の露と消えずに済んだというものを。くそったれめ、ドコモショップいくの超めんどくせえ。
「で、どうする。何する? カラオケいってブックオフいってサイゼでミラノ風ドリア喰って帰るか」
『俺たちもうそれ三千回くらい繰り返してね?」
 どんだけ生きてんだよ。
「だってほかにやることねーじゃん。俺もうビリヤードはしないって決めたんだ」
『あの店の店員さんは確かにチャラかったけど、飲み物持ってきてくれたりして超いい人だったじゃん』
「うるせー。俺は嫌なの。口答えするな。だいたいお前あれだよ、たまには自分から企画立てろよ」
『うん、実はそうしようと思ってさ」
 何、予想外の展開。こいつが自発的に行動することがトイレにいく以外にあるなんて……
『九栗橋にさ、遊園地あるじゃん。ククリランド』
「ああ、あったな。夏休みに金の亡者と化した連中がよくバイトしてるとかいう」
『そうそう。そこいこーぜ!』
「男三人で? 牧瀬と山田でも誘えよ」
『そんなことになったら俺はもうお婿にはいけないよ』
「最初からいけないよ」
『ひどいな……まあ、とにかくさ、たまにはいいじゃん? 俺一回でいいからあそこのアイス食ってみたかったんだよね』
 そういえば、ククリランドは大手のアイクリーム屋のチェーンと提携していて、割りと安めにいろんな種類のアイスを食べられるので夏は盛況らしい。では混むのかと言えば、客のさばき方が手錬れのそれで、不思議とどこを見ても長蛇の行列というものは見当たらないという。まあ日本人は並んだ方が達成感があっていいなどとぬかすマゾの集まりなので、たぶんそのうち潰れたりするんだろうし、そうなる前に一度いってみるのもいいかもしれない。小学校の頃の町内は電車に乗れる環境じゃなかったから九栗あたりはまだ俺や茂田にとっては人跡未踏の地である。南小のゲリラが厳戒態勢を取って遠足が中止になった時はさすがにビックリした。
「まあ、いってもいいか」
『やたっ』
「でもさあ、遊園地って高いんだろ? フリーパスとか数千円するじゃん。いちいち切符買ったりとかも面倒っぽいし……そのへん大丈夫なのかよ?」
 ああ、と横井は笑ってあっさり答えた。
『奢るよ』
「殺すぞ」
『なんでっ!?』
 いやなんかビックリして口走っちゃった。ごめん横井。そうだ忘れてた、こいついま金あるんだったな。
「えーと、そうか、うん……横井、お前もしかして金持ち?」
『え? そんなことないけど』
 横井はどういうつもりなんだろう。金があるのがバレたくなければ奢るなんて言わないだろうし、かといって今の様子からすると金があることを喧伝したいわけでもなさそうだ。ただの馬鹿なのか? それが一番ありうる。
「じゃあ、明日、十時くらいに九栗駅の改札にするか」
『オッケー。あ、茂田に伝えといて。あいつも連絡つかないんだよ』
「携帯は確実に不通だろうからお前が電話しろよ」
『やだ』
「なんでだよ! お前らいっつも俺を中継役にしやがって、めんどくせえんだよ!」
『えー……だって後藤そういうの似合ってるじゃん』
「おまえいま俺のことパシリつったか」
『言ってない言ってない! いやほんともう、後藤がいないとこの町の平和は続かないって感じに思うくらいリスペクトしてるよ』
 少しも嬉しくねーよ。
「とにかく茂田にはお前から言っとけ。俺はもうやだ」
 俺はため息をついて、あばよ、と言い残し電話を切った。裏手から親父の声が聞こえてきた。
「おまえ、友達との電話であばよとか言っちゃうの?」
「おい親父、実の息子になんて冷たい声を出しやがる」
「実の息子が柳沢慎吾のマネもできないのに無茶な言葉使ってたら心配もするわ」
 親父が正しい気がしてきた。なんだかそれで俺はどっと気が抜けて、ベッドに戻りぼすんとその身を沈めた。
 その晩は、隣人が死んだように静かだったのでよく眠れた。


 翌日。
 快晴だった。
 流れで九栗駅集合になっていたはずだったが、どいつもこいつも地柱駅周辺に生息しているので自然と合流してしまった。これだから地元は嫌である。
「おい聞いたか。今日は市民プールにミス地大の辻村さんが来るんだってよ」
 茂田の声に切符を買おうとしていた俺の手が止まった。
「マジかよ。それじゃあ今すぐ方向転換しなくっちゃじゃねえか。ミス地大といえばこの貧しい土地に舞い降りたJカップだってその筋じゃ有名だぜ。なあ横井」
「いや知らないよ……美人なのその人?」
 足音と一緒に睾丸までどこかに落としてきたのではなかろうかと思えるほどの冷めた態度を見せる横井。
「バカヤロー。今年のミス地大は例年通りのお情け王座決定戦とはちょっといくらかワケが違ったんだ。見た目だけは人間の茂田の姉貴とか、江戸川の姉貴とかを押さえての一位だからな。俺も一目見たことあるが、ありゃあ天使か何かだ」
「へー。じゃあみんなその人を見に行ってて、九栗の方は空いてるかもね」
「そうそう、それが言いたかったんだよ」と茂田。
「あ、そういえば話変わるけどさ」
 と横井。
「ウチの学校ってそういう女子の美人コンテストとかしないよね」
「言われてみればそうだな」
「ウチのクラスだと二人は誰が好きなわけ?」
「寺嶋さん」
 茂田はゆがみねーなー。こないだ肩がぶつかりあったときに接触箇所をファブリーズされたって落ち込んでたのは記憶からもう抹消されちゃったの?
「後藤は?」
 横井が下から俺の顔を覗き込んでくる。そのアングルやめろ。ぶっ殺すぞ。
「同じクラスじゃねーけど、紫電ちゃんとかいいよな」
「あざといなー」横井は鬼の首を取ったように嬉しそうである。
「後藤あざとい」
「俺かよ」
「でもなんか安牌だよね紫電ちゃんだとさ。金髪だし学ランだし強いし」
「ていうかさ」と茂田が首をぐりんと捻って俺を見た。
「おまえ素人っぽい女が好きだって言ってたろーが」
「そうだっけ?」
「そうだよ。沢村の妹とかさ、お前って昔からイモっぽいのが好きじゃねえか。紫電ちゃん? いやいやないね、俺にはわかる。おまえは紫電ちゃんだけはない」
「なにその自信? 怖いわあ」
「ふふふふふ」
 意味深に笑う茂田。こいつ夏の暑さでぶっ壊れたんじゃねーのか。だから帽子かぶってこいって言ったんだよ。
 俺は話をとっとと変えるべく横井に振った。
「で、お前は誰よ」
 うーん、と横井はしばらく窓の外を眺めていたが、
「かおりちゃん、かな」
「…………」
「…………」
「…………」
 なんかリアルで、突っ込めなかった。
 俺たちはそのまま九栗駅につくまで靴を脱いで膝で座席に乗っかり過ぎていく街の景色を眺めていた。
 いつの間にかファーストネーム呼びだしよォ。


 それから間もなくして、電車は九栗駅に到着した。改札で茂田のパスモがチャージ切れを起こしていたのでちょっと手間取ったが、俺たちは無事にククリランド正門前に辿り着いた。
「まあ、無事にも何も敵なんていねーけどな」
「俺は月曜を迎えた時、天ヶ峰の機嫌を見てもお前が同じことを言えるかどうか心配だよ茂田」
「やっぱ怒ってんのかなあ、天ヶ峰」
「あいつちょっかい出されてほったらかしってのが一番嫌がるんだよ。昔のこともあるし。まあ、昨夜俺の家に特攻かまして来なかったあたりからして、そんなじゃねーと思うけど」
「ちなみに特攻かまされるとどうなるの?」
「うちの扉って三代目なんだぜ」
「……………………」
「まあまあいいじゃん!」と横井が朗らかに言った。
「今日が最後だと思ってパァっと楽しもうぜ!」
「そんな男気を求められる休日ってなに?」
 いいからいいから、と横井は俺らの背中を押すようにしてチケット売り場へ進んだ。
「フリーパス、おひとりさま五千円になりまあす」
「やっぱ結構するなあ」
「江戸川が馬車馬みたいにバイトする気持ちがわかったぜ」
「え、なんで江戸川?」
「いやあいつ彼女いるし」
「マっジかよ! くそったれ、女子はボールしか見てねえのか」
「黒木がモテないところから察するにそうかもな」
「やっぱ格闘技は顔のかたち変わるからじゃん?」
「かもなあ」
 などと世間話に耽っているように思えるかもしれないが水面下で俺と茂田は生唾ごくりで緊張していた。それというのも前言通りに俺たちにフリーパスを買い与えてくれた横井の、財布の中身がさっき一瞬チラリと見えたからである。
 諭吉がスタメンもベンチも総動員してスクラムを組んでいた。
 俺と茂田はひっそりと顔を付き合わせた。
「やっぱ面と向かって諭吉見ると気分変わるな」
「ああ、やっぱ何がなんでもって気になるぜ」
「俺、イタリアあたりで情熱的な子とパン屋か何かを経営したい」
「悪くねえな」
 俺たちは何も知らずに酔っ払いのごとくトテチテと歩いていく横井の背中を睨んだ。
「なあなあ、どれに乗るよ!? えーちょっと待ってよ俺あのピカピカ光るモノレールみたいなやつ小学生以来なんだけどーっ!! うっわあこっちにもあったのかやっべえ漲ってきたおいお前らおせーよ! 早く! 何を犠牲にしてでも早く!」
「うるせーなー」
 とは言うものの、まあせっかく来たことだし、楽しんでおくか。
 大人になったら、きっと遊園地にも来なくなるんだろうし。

     



「しかしあれだな」
「ああ」
「あいつ無敵だな……」
「そうだな……」
 俺と茂田はブランコを大型化した船みたいやつに乗って逆さになっている横井を見上げていた。横井は実に幸せそうに三半規管を痛めつけている。馬鹿じゃねーの?
「なんでジェットコースターみたいな絶叫系ばっか乗るんだよあいつ……」
「横井にこんな才能があったとはな……くそっ、この遊園地、いったい何個ジェットコースターあるんだよ……多すぎだろ……!」
 青ざめたツラを貼り付けた俺たちにどこからともなく「じゃあ乗るなよ」というツッコミが入った気がするがそんなもんは糞喰らえである。男の子としてツレより先に音を上げるのは絶叫系コースターだろうと女子にボールぶつけたときだろうと許されないのだ。ほんと許されない。
「おえーっ」俺は嘔吐した。
「吐くなよ……」
 しかしゴミ箱と同じくらいの頻度でエチケット袋とその成れの果てである使用済みの地獄をぶち込むダストシュートがあるあたり、この遊園地は人を殺す気なんじゃないかと思う。
「うぇっぷ。へっ、吐いてからが本番って言うしな」
「その考え方が毎年悲劇を生むんだよ」
 俺と茂田はげっそりとしたまま、回転する巨大船から舞い戻ってきた横井を睨んだ。
「いやー楽しかったァ! お前らも乗ればよかったのに」
「俺たちは横井の嬉しそうな顔が見れただけで充分だよ」
「そう?」
 なんだそのツラ。ぶち殺すぞ。
 幸せだァ、幸せだァ、と安っぽい満足感に浸る横井に引き寄せられる鉄拳を俺と茂田はなんとかぐっとこらえた。
 ため息をひとつ、
「で、次はどうするんだよ」
「ああ、もう一周するのもいいよね」と横井。
「もう一周って……今まで通ったコースを? このスっカスカの園内で?」
「うん」
 なんなんだそのつぶらな瞳は。俺が間違っているのか? 俺は思わずよろめいて近くにあったベンチに倒れ込むようにして座った。
「ううっ」
「後藤! お前っ、だから帽子被って来いって言ったんだよ」
「言われてねーよ!! 言ったのは俺だよこのボケ!! てめえさっきからアクエリ飲んでねえみたいだが倒れたって知らねえぞ」
 夏場の水分補給は人間には重要である。茂田はおとなしく自販機で調達したスポーツドリンクをごくごくやり始めた。
「どうしたんだよー熱射病?」
 それと三半規管の消耗だよ。くそがあ。
「まあ俺ばっかハシャいでる感じはしてたよ」
 ウンウンと頷く横井。てめえ分かっててやってたの?
「お詫びにアイスクリーム買ってくるよ。おまえら何がいい?」
「ハーゲンダッツ」
「ブラックサンダー」
「アイスクリームだって言ってんだろ! それにブラックサンダーはアイスじゃないよ、攻撃だよ!」
 お菓子だよ。
「もうなんでもいいから買ってきてやるよ」
「当然おごりなんすよね? 横井兄さん」
「誰が兄さんだ誰が! まあ、いいよ。アイスくらい」
 この野郎、去年と言ってることが全然違うぞ。カラオケいった時のワリカンで二〇円まで俺に請求した糞野郎と同一人物とは思えねえ。
「金ってすげえ……」俺は思わず呟いていた。横井の背中がつれないあの子のように遠のいていく。そのまま戻ってこなくてもいいぞ。
「くそったれが……遊びに来てるのにどうして俺たちは体力を失っているんだ」
「それが遊ぶということなのかもしれねえ」
 茂田が妙に深いことを言いやがった。うん……って感じ。
「で、どうするよ。これ以上付き合ってたら生命が持たんぜ」と茂田。
「って言ってもなあ……まあ無料だしいいんじゃねーか? もう二度と来る機会がないと思えば」
「さっき吐いてたやつの言うセリフかよ?」
 そうだね。
「仕方ない。戻ってきたらあいつの耳の裏をぶん殴って強制的に俺たちと同じ気分にさせ、お化け屋敷で涼むコースに乗るしかない」
「ずいぶんと好戦的だな、後藤よ」
 お前がおととい姉貴のプリン勝手に喰って手首傷めてなければ伝家の当身ですべてのことは済んだんだよ茂田。
「おっ、横井が戻ってきたぜ」
「あの野郎バカなんじゃねーか? なんだあの積み重なったアイスは」
「そういえば、無闇に世界一高いビルとか建て始めた社会は遠からず破綻するらしいぜ」
「それが横井のアイスだったらあいつはいったい何者なんだよ」
 俺たちはガクリとこうべを垂れた。
「あのアイス、あいつ全部食いきれると思うか後藤」
「どう見ても七割がた余らせて俺らに食わせる気だ」
「ちくしょうっ……もうあいつにゲロをぶっかけてやりたい」
「それはどうかと思うよ茂田」
 そっくりなため息をつきつつ、俺たちが顔を上げると、
「あれ?」
 横井がいなくなっていた。それまでいた地点からワープ級で消失していた。俺たちはあたりを見回し、
「いまのいままでいたよな? あのバカどこいった」
「あれか? 後ろ向きに歩いて横に飛びのいて足跡を消すっていう」
「それで消えるのは足跡であって横井ではねーよ」
 俺たちは立ち上がって横井を探し始めた。
「おーい、横井やーい」
「ちょっと気分よくなってきたからアイス食いたいぞーい」
 だが俺たちがいくら呼んでも横井は出てこなかった。周囲にまばらにいる親子連れからの視線がちょっと辛くなってきた。
「迷子センターいくか?」
「男二人が男一人を求めて呼びかけるって死人が出るんじゃねーかな」
 とはいえフリーパスをまとめて持っているのがあのバカなのでこのままでは退園する以外に道がなくなってしまう。俺たちは重い腰と進まない気を働かせることにした。
「ったくよーもう高校生だってことを自覚しろよなァ」
 そして俺たちが迷子センターへと進む第一歩を踏み出しかけた時、きぃんと妙な音がした。
 アタマの中で。
「……?」
 茂田を見るとやつもカキ氷を食ったガキみたいなツラになっている。
「なんだ……?」
 と、やはりアタマの中に響くものがあった。
 今度は音は音でも声だった。それも女の。
『聞こえてるかしら……?』
「いや、聞こえないっすねー」
『ふふっ、冗句は結構よ』
 なんだこいつ。
 隣で茂田が「う、うわぁーっ!! アタマの中で声があーっ!!」と恐れおののきガードマンの耳目を集めている。バカが。
「あんた……ほんとに俺たちのアタマの中に喋りかけてるのか?」
『そうよ。本当は電話で済ませたかったのだけれど……あなたたち携帯電話を持っていないようだから。どうかと思うわ』
 すんません。
 ん? ちょっと待てよ?
「あんたどうして俺らが携帯持ってないことを知ってるんだ? ツレってわけでもねーよな。俺らが携帯ぶっ壊したのはまだ昨日のことなんだぜ」
『ふふ……』
 俺は声を出すのをやめた。
『あんた、そっちの声を伝えてくるだけじゃなくて俺らのアタマん中も覗けるらしいな』
『あら? 気づかれちゃった? その通りよ。つまりあなたたちが何をしようと私には通用しないってこと……手の内が読めるのだから』
『なるほど。最近流行の超能力者ってやつか』
『そうよ。いい、あなたたちは私の言うとおりにするしかないのよ』
『それはどうかな』
 俺は思い切りえっちなことをアタマの中に大展開した。
『ギャーッ!!!!』
 犬のウンコ踏んだ幼女みたいな声が頭蓋の中にこだました。
『さっ……最っ低!!!!!!』
『うるせえ!! 人のアタマの中を覗くやつに言われたくねえよ!! オラオラどうした男子高校生の妄想力なめんなよ。俺たちゃ加減を知らないからどこまでだってやっちゃうんだぜ!!』
『ギャアアアアアアッ!!!!』
 アタマの向こうで、跪きながら地面をかきむしるような気配を感じた。
『こっ、この外道……今すぐその破廉恥な妄想をやめなさい!! こっちには人質がいるのよ……!!』
『人質? 横井のことか。……なるほど読めたぞ。てめー、どっかで横井のアブク銭についてテレパシーで知ったな? それで誘拐に踏み切ったってわけだ』
『話が早いわね』
『まあな』俺は警備員に連れて行かれようとする茂田の首根っこを引っつかみながらニタリと笑ってみせた。
『で? どうしようってんだテレパシストさん。目的は横井のカネなんだろ?』
『そうよ。いい? 横井くんの生命が惜しければ、今すぐ横井くんの家に行ってありったけのお金をお母さんから調達してくるのよ。分かったわね?』
『いやだと言ったら?』
『横井くんは……死ぬことになるわ』
『ふーん』
『さあ、何を迷っているの? 選択肢なんてないはずよ。友達の生命が惜しければ……私の言うとおりにするしかないわ。早くお金を持ってきなさい!』
 俺は考えた。
『やだ』
『な……んですって……!?』
『そんな義理は横井にはない。ドジったやつの後始末まで出来るかよ。今日は暑いし俺たちはもう帰る。あとは勝手にやってくれ。そうだ、うまくいったら分け前くれよな』
『正気なの!? 友達の生命が懸かってるのよ!?』
『人質を取った誘拐犯に諭されてもなあ』
『くっ……!! あっ、ちょっと、何、ほんとに帰るの!? バカじゃないの!? あたしひどいことするわよ!! 横井くんの心に思念波を送って発狂させることだってできるんだから!!』
『そのバカが人の思念(はなし)を聞くようなタマだといいけどな』
 俺は喉を鳴らして茂田に言った。
「行こうぜ茂田」
「っ!? ちょっと待ってくれ後藤、いま俺のアタマの中で変な声がするんだ!! そいつは誰かと喋ってるみたいで」
「俺だよ!!」
「なんだと!! そういうことは最初に言ってくれよ!!」
「流れで悟れよ……まあいい、いこうぜ」
「横井はいいのか?」
 俺はできるだけ無心になって誤魔化そうとしたがバレた。
『はっはーん。助けを呼びにいくのね。待って、もうちょっと……ああ、見えた。あまがみね? とかいう人を呼びにいけば解決すると思ってるのね後藤くん。ふふ、甘いわ。他者の心を読み抜く能力者である私に物理攻撃が通用するわけないじゃない!!』
 俺は舌打ちした。
「だったらどうする。横井の爪でも剥ぐか?」
『そんなことはしないわ。一枚一枚衣服を剥いでいって、最後には全裸で幼女うずまく遊園地のど真ん中に放り出すだけよ。……名前と住所を記した看板を首から提げさせてね!!』
「……っ!!」
「おい後藤、この女マジでイカれてやがるぜ!! いくら横井にだって守られるべきプライベートはあるはずだろ!?」
 俺の胸にハンマーでぶっ叩いたような芯に残る痛みが走ったが、構わない、俺はここを出て行く。
 アタマの中の声の主に向って、吐き捨てるように言う、
「天ヶ峰を敵に回して引越しせずにいられると思うなよ」
『ふふっ、この子が相続した十億円さえ手に入ればこっちから出て行ってやるわ、こんな街』
「そうかよ」
 俺は迷わずに退園への第一歩を踏み出した。
「後藤っ!!」
「……」
「後藤……」
 俺だって辛い。だが、この状況を打破するには天ヶ峰を呼ぶのが一番いいんだ。あとは沢村とか……誰でもいいが、とにかく、俺たちは能力者じゃない。ただの高校生に何ができる?
 ただの高校生は、友達の全裸が衆目の下に晒されるとしても何一つ手が打てない時があるんだ……!!
「横井、俺はお前のカネだけは守ってみせるからな……」
 そして、退園のゲートを出ようとした時、
 ベチッ!
 俺は見えない壁にぶつかって鼻をしたたかに打った。
「くそがあーっ!!」
「後藤ぉーっ!!」
 俺と茂田はひとしきり喚いた後に、何もない空間に手を伸ばした。冷たいガラスのような感触がしたが、そこには何もあるようには見えない……まさに透明な壁だった。
「どういうことだ? おいテレパシー女、あんたの仕業か?」
『違うわよ!! どういうこと……? あんたたちの能力でもないみたいだし……ちょっと待って、これって……遊園地全体にバリアが……!?』
「ああ? どういうことだよ。おい!」
 だがそれっきり女の声は聞こえなくなった。時々、パニックめいた声にならない『ざわつき』だけが伝わってはきたが。あまり精度のよくない能力なのかもしれない。まだ目覚めたばかりとか……?
 茂田がローファーの踵をレンガ敷きの地面に打ち付けた。
「どうするよ、後藤」
「どうするもこうするも……出れないってんなら仕方ないだろ」
 俺は首をごきりと鳴らして、
「俺たちでどうにかするしかない」
 それを聞いて茂田は笑った。
「待ってました。そう来なくっちゃな」
「何も考えるつもりがないやつは気楽でいいなあ」
「わかってんじゃん。で、どうする?」
「ひとまずこのバリアの正体を探ろう。あの女の仕業ってわけでもないんなら、この遊園地に別の能力者がいるってことだ。もしかしたら別件で能力者同士の揉め事でも起こっているのかもな」
「マジか。やべえな」
「ああ、やべえよ。ちょっとな」
 俺はとりあえず遊園地内を一周することにして、駆け出した。後ろから茂田がついてくる。それにしても――と思う。他の能力者が園内にいることに気づかなかったということは、横井を誘拐した女は――
 いずれにせよ、今はバリアの能力者を探すのが先だ。

     



「あれか……」
「だろうな……」
 どれぐらい走っただろう。俺と茂田は遊園地のほぼど真ん中を闇雲に突っ走って、もう反対側まで来ていた。
 そして今、俺たちの目の前で些細な痴話喧嘩が起こっている。俺たちと同じ歳頃の男女がメリーゴーラウンドの前でモメていた。例によって女が帯電したみたいに怒り狂って男の方はオタオタしているばかり。よくある光景である。
「どうして兄さんは私の思いを受け止めてくれないの――――――っ!!!!」
 ……兄さんだからじゃね?
 そういうわけで沢村兄妹の登場である。まあ土曜だから学生カップルが遊園地に来ていてもあいつらは「一緒にいられればそれでいいんだモン」だから全然不思議じゃないのだが、この組み合わせに限っては兄貴の方が常に青ざめているのが特徴的である。よくもまあこんな具合の悪そうな兄貴を連れ出したもんだな朱音ちゃん。
 その朱音ちゃんの怒号と共に大気は揺れ、雲は吹き飛び、そして空にはステンドグラスのようなバリアーと思しき界面が小動物の呼吸のように明滅している。近くで家族連れのオッサンが写メを撮っていた。タフな野郎である。
「ちょっ、朱音、落ち着いて! スカートがめくれちゃうよ!?」
「今はそれどころじゃないんですよ――――っ!!!!」
 朱音ちゃんが地団太を踏みそれが古武術でいうところの震脚となって足元のレンガを粉々に砕いた。そしてそこから衝撃波が周囲三六〇度にぶっ放されて三歳ぐらいのガキがこける、それを見て茂田が一言。
「俺、気をためてる女子を初めて見たよ」
「気ためてるのあれ? 確かに土煙が波紋を作り出してはいるけど……」
 設置理由不明の茂みの陰から覗く俺たちにとってこの距離でも沢村妹には危険を感じる。さっき転んだガキが必死の形相で逃げ出し始めた。かわいそう。
「それにしても沢村妹まで能力者になるとはな。そのうち俺らも何かに目覚めそうだぜ」
「何の能力が目覚めても俺はあれに勝てる気がしないよ」
 俺はふうっとため息をつき、
「この謎の結界は沢村妹の仕業か……」
「やっぱそうなのかな?」
「恐らく沢村が帰りたがったか、何か性的な接触を求められてそれを拒否ったために妹が怒ってしまって発現したんだろう」
「性的な接触って?」
「手をつなぐとかだ」
「なるほど」
 俺たちは食い入るように沢村兄妹を見やった。
「朱音! ごめん、ほんと悪かった、俺もう二度とお前の手のこと湿ってるとか言わないから!」
 そんなこと言ったのか沢村……。
「そら怒るわ」さすがの茂田も訳知り顔である。
「兄さんはなんにもわかってない! 手から汗が出るのは心の優しい人のあかしなんです!」
「自分で言っちゃうのか朱音!?」
「ええ言いますとも、はっきり言わないと伝わるものも伝わらない……私はそれを後藤先輩から学んだんです!!」
 チャリに乗ろうとしたらサドルに鳥の糞が落ちてきた気分がした。
「くそっ、後藤の野郎! 元はと言えば全部あいつが悪いんだ! いつか丸焼きにしてやる!」
「なんてこと言うんですか! 兄さんはそんなこと言わない! この偽者!!」
「へぶっ」沢村妹のボディブローが沢村の肝臓をしたたかに打ちのめした。ぐったりとその場に跪く沢村。火炎で対抗しなかったのがせめてもの兄の矜持か。
 グロッキー状態の兄貴を妹がひょいとズタ袋同然に担ぎ上げた。
「兄さん……きっと兄さんは何者かの精神攻撃を受けているに違いありません。今日一日、私が付き添ってその呪いを解いてあげます!」
「やめて……誰か、誰か助けて……」
 沢村の懇願も空しく妹は雄雄しく空を向く。
「まずは名物ジェットコースター『スパイラルダウン』を十周するところから始めましょうか。今日はなんとかとかいうミスなんとかがどこかで愚民どもを集めているのでココ空いていますから待ち時間なんてきっとないです! やりましたね兄さん!」
「う、うわ、うわわ、うわわわああああああ――――っ!!!!」
 沢村は必死に妹の肩の上でジタバタともがくが鉄骨のような腕に絡め取られて身動きは最後まで出来なかった。さらば沢村。俺と茂田は綺麗なフォームで合掌してやった。後始末は神か仏がやってくれるだろう。
 さて。
「とりあえず、この結界は沢村妹の仕業だということが判明したな。尊い犠牲は出たが」
「また会えるさ、いつか」と茂田。そのセリフはもう会えない時に言うやつだと教えてやった方がいいのだろうか。
「で、どうするよ後藤。沢村と妹に協力を頼んでみるか?」
「あの状況で俺たちが横槍を入れたら俺たちは死ぬぞ」
 俺にいたっては兄貴の方にも恨みを買っている模様だったし。
「だが、まあ、そうそう悪いことばっかでもない。あの調子じゃ沢村妹は閉園まで結界を解除しないだろうし、その間は誘拐犯も横井もここから出られない」
「あ、そうか! そういえばそうだな!」
「うむ。後はどうやって誘拐犯を捕まえるかだ」
 茂田はぐっと握り拳を作った。
「虱潰し作戦だな?」
「言うと思ったぞ。だが残念ながら相手は俺たちのあんなことやこんなことまで見抜いてしまうテレパシストなので接近したらすぐバレちゃうから駄目だ」
「ずるくね?」
 俺に言われても。
「じゃあどうすんだよ後藤」
「さあな。ま、気長に待とうや。チャンスをさ」
「チャンスって……」
 ところがチャンスはいきなりやって来た。
「……あんたたち、何やってんの?」
「ん?」
 俺たちは振り返った。するとそこには遊園地のスタッフの女の子が腕組みをして立っていた。制帽の脇からサイドテールが一房溢れている。見覚えのある顔なのだが……
「……誰だっけ?」
「むかっ。へええええ、忘れちゃうんだ? あんたのせいであたしの人生メチャクチャになったんですけど?」
「おまえ何したんだよ!」茂田が物凄く嬉しそうな顔で言った。
「頼むから詳しく聞かせてくれ!」
 俺が聞きたいよ。あとお前が想像しているようなことは何もないよ。
 こっちがむすっとしているとその女子は自分から名乗った。
「佐倉よ。佐倉舞子」
「ああ、いたなあそんなの」
 確かちょっと前に沢村を仕留めに来た政府の超能力者で、うちの生徒会副会長の左を掻い潜れずに手先に落ちた女子だ。言ってしまえば男鹿の元同僚で、使える能力は念動力(サイコキネシス)。こいつのせいで生徒会室は一時的な文房具不足に陥ったらしい。
「そんなのって言うな!!」
 制帽をスパンとレンガに打ちつけて佐倉はわなわなと震えた。
「あんたのせいであたしは職を失い地味な高校生活を送る羽目になったのよ……!!」
「感謝しろよ。アダルトチルドレンに教育の機会を与えたのだ」
「なんでそうペラペラ喋れるのよ!! 口先だけは一級品なんだから!!」
 なんだこいつ。俺のこと好きなのかな?
「俺のこと好きなの?」聞いてみた。
「死ね!!」
 制帽についていた星型のバッヂが俺の頚動脈めがけて飛んできた。左のショートパンチで撃墜したが危なかった。能力者は怒ったりビックリしたりするとすぐ能力使ってくるから厄介である。
 茂田が俺と佐倉の間に割って入った。
「おいおい、今は身内で争っている場合じゃないぜ」
「はあ? じゃあどういう場合なのよ」
「実はな……」
 俺たちは佐倉に簡潔にこれまでのいきさつを語った。
「……横井が? テレパシストに? ふうん……」
 佐倉は口元に手を当てて何かを考えていた。
「能力者がいるなら放っておけないわ。立花先輩にもそういうのは取り締まれって言われてるし。いいわ、あたしも手伝う」
「マジか!!」と茂田。
「うん。でも悪いけどこっちの手を読んでくる相手にあたしの能力で何が出来るかはわからないわよ。そもそもどこに隠れているのかもわかんないわけだし……聞いてるの後藤?」
 俺は目の前にある遊具を見上げていた。遊具と言っていいものか迷うが、どこの遊園地にもひとつはある上下にスライドするベンチみたいなアレである。
 俺は言った。
「誘拐犯を釣り出すのは急げば多分簡単だぜ」
 茂田と佐倉が疑わしそうな目つきをした。おい信じてください。
「佐倉、そのトランシーバーってもう一個ある?」
「は?」
 佐倉は「いま気づいた」とでも言いたげな顔で自分の腰にある無線を見下ろした。スタッフ同士の連絡用のやつだろう。
「借りればあるけど……どうすんの?」
「いいから持ってきてくれ」
「しょうがないわね……寺西くーん!!」
 佐倉はそばを通りかかった男子スタッフに駆け寄ると、胸倉を掴んで何かを言いそいつからトランシーバーを奪って戻ってきた。
「これでいいの?」
「よくはないよ」かわいそうだろ寺西くん。すごい目でこっち見てるんだけど。
「横井の命がかかってるんでしょ。もったいぶってないで早くしなさいよ」
「へいへい」
 俺はトランシーバーを持って、ちょっと中空を見上げた後、佐倉に片手を上げた。
「じゃ、俺らはこれからこれに乗ってくるから」
 背後の遊具を指した俺に佐倉は物言いたげだったが、結局何も言わずに片手を振ってきた。
 疑問顔の茂田を連れて、俺たちは座席に収まり、ぐんぐんと上昇していった。
「おいおい後藤、この期に及んで遊んでどうするんだよ」
「遊んでるわけねーだろ」
「ええ? あ、わかったぞ、この高さから園内を見回して横井を探そうってんだな。バカだなー後藤、誘拐犯が上から見下ろせるところにボサッと突っ立ってるわけないじゃんかよ」
「うるせえなあもう」
 遊具が最高高度まで達した時点で、俺はトランシーバーをONにした。
「もしもし、佐倉か」
『なによ』
 俺は言った。
「いまからこの遊具をお前の能力で止めててくんない?」
『はあ!?』
「いいからいいから」
『なんでそんな……ああもういいわよやればいいんでしょやれば!! ったく立花先輩の言ってた通りね……』
 なんだか聞き捨てならないセリフが聞こえた気がするがスルー。
 一瞬の間を置いて、ぐうん、とシートが何か見えない力で押さえつけられる気配がした。ギシギシ言ってる。茂田が青ざめた顔で言う。
「これボルトとか取れるんじゃねーの?」
「そういうこと考えるのやめようぜ」
 しばらく、息の詰まるような沈黙が流れた。
 さて鬼が出るか蛇が出るか……
 すると、遥か下の地表で、転げまろびつ物陰から走り出してくる人影があった。女である。そいつはあっちこっちを見回して時折左手で額に触れながら、完全にパニック状態で園内をうろうろしていた。職質モンの不審者である。
 もちろん、あいつが誘拐犯だろう。
「おい、後藤、あれって!」
「たぶんな」
「なんで出てきたんだ? 慌ててるわりには俺たちにはなんにも言ってこないし……」
「そりゃあさっきからだろ。気づいてたか? 園内を半分横切ったくらいで、それまで流れてきてた『ざわつき』みたいのがなくなったの」
 茂田はポカンとしている。
「なくなったの」強調。俺は続ける、
「たぶんあいつのテレパシーには制限距離があるんだよ。俺たちが園内を半分突っ切ったときに一回外れて、それから追いかけてこっちまで来たのに、俺たちの気配がないからパニックになってるんだ。あいつの能力じゃこの高さまで能力を使うことはできないらしい」
 俺はため息をついた。
「賭けだったけどなんとかなったな」
 茂田はまだ心配らしい。
「ちょっと待てよ、下にいる佐倉から俺たちがここにいるのバレるんじゃ……」
「いずれバレるかもな。その前にこうする」
 俺はトランシーバーに口を近づけた。
「佐倉? そっちでも確認できるか、変な女」
『確認してる。あれがテレパシストなの?』
「そうらしい。まだお前には気づいてないと思うからひっそりとぶっ飛ばしてくれ」
『了解』
 トランシーバーがブツッという音を残して沈黙した。
 俺の横顔に茂田が尊敬のまなざしをぶつけてくるのを感じる。
「後藤、おまえ、使いどころのある男だなー」
 その褒め方おかしくねえ? モノみたいで嫌なんだけど。
 だがそのツッコミをする機会は永遠に俺から失われた。
 シートからそれまでかかっていた力が消えて、重力の魔の手が俺たちをがっしり掴んで引きずり下ろした。
「うわあああああああああああああ」
「いやあああああああああああああ」


 出口で係員さんが「すいませんね、ちょっと機材の調子が悪くて落ちるの遅くなって。はいこれ」と記念写真を渡してくれた。俺たちは数分前の自分を見ながら表へ出た。
 写真の中の俺たちは、どう見ても遊園地を満喫しているツラだった。
 俺は舌打ちしてインスタント写真を胸にしまった。
「佐倉のやつ、いきなり佐倉マジック切りやがって」
「とにかく追おうぜ」
 俺たちは脱兎のごとく駆け出し、佐倉と誘拐犯がいるはずの方角へ向かった。

     



 ちょっとしたベンチなどがある小休憩用の広場に二人はいた。誘拐犯と思しき女はへっぴり腰ながらもピンピンしていた。俺は叫んだ。
「やっつけてないのかよ!!」
 何を聞いていたのか佐倉のアホは。こっちの心を読んでくるから奇襲で倒そうねって言ったのに。なんなの? 俺はなにもかも嫌になってその場にコロンと寝転がった。体育座りしていたら隣のやつが血の気に目覚めて突き飛ばされた時のような格好である。
「もういやだ! 誰も俺の言うとおりに動いてくれない!」
「後藤ぉ――!! おい佐倉おまえのせいだぞ!!」
「なんであたしなのよ!! ちがっ、あのね、リハーサルもなしにいきなり人間を抹殺するのは気がとがめたっていうか」
「殺せなんていってないじゃん。気絶させるとかしろよ! 横井の生命が懸かってんだぞ!」
「それがなんだっていうのよ!!」
「えぇー……」本音怖すぎである。
 茂田がずいっと俺の前に出て拳を握った。言ってやれ茂田。
「俺にもそれがわからない!!」
 俺は水平蹴りで茂田のすねを蹴り飛ばした。
「いってえな何すんだ後藤!!」
「痛いくらいでは済まされない邪悪さをお前から感じたんだよ」
 俺は立ち上がってパンパンとズボンを叩いた。一張羅なので駄目にするとしばらく短パンで動く羽目になる。大事にしないと。
 誘拐犯は何をしているのかなと思ってそちらを見るとわなわなと震えていた。
「こ、この人たち本音で喋ってる……!!」
 怖いよね。俺もだよ。俺は向こうの仲間入りをしたくなった。すると誘拐犯の女が「うげぇっ」と顔を歪めた。
「嫌よ! 私、あなたみたいな顔は嫌いなの。昔轢き殺したタヌキに似ている」
 タヌキ轢くなよ。お山は大事に。ていうかいま俺のこと垂れ目って言ったかこの女。殺す。
 俺はとりあえずファイティングポーズを取った。
「ふんヌッ!!」
 恐らく見るものが見れば失笑もののジャブを繰り出す。が、やはり誘拐犯の女はドテラを着た身体を俊敏に動かして俺のジャブをかわしていく。ドテラで遊園地来る財政だったら誘拐もしたくなるわな。
「うるさいわよ!!」
 喋ってないのに……。
「くっ、後藤の平均的な身体能力をもってしても捉えることはできないのか……」
「茂田おまえ喧嘩売ってんのか? 文句あるならお前やれよ!」
「わかった」
 茂田が一歩前に出る。拳をめきめきと鳴らす。こほぉー……と深々とした呼吸を取りながら腕をパントマイムのように円環に動かす。何の拳法?
「後悔するがいい女よ……この俺を本気にさせてしまうとはな……」
「!? い、いったい何をする気……? 読めない、この男の気持ちが読めない!」
 何も考えてないからな。
「ほあタッ」
「嫌っ!!」
 茂田さんのカンフーじみた右掌底がものの見事に誘拐犯の左カウンターを誘発した。ぐわしゃあっ、と嫌な音を立てて拳をめりこませた茂田の頬が無様に歪み、どうっとその場に倒れこんだ。ぴくりとも動かない。何やってんだよ。
 俺は茂田にそっとハンカチを乗せて佐倉を振り返った。佐倉は俺たちのことをバカだと見下している顔を浮かべている。
「佐倉、やはりお前の出番のようだ」
「言っておくけど、あたしがやってもそのなんとか拳法の伝承者とさほど結果は変わらないわよ」
「この遊園地ごとぶっ壊せばいいじゃない」
「なんてこと言うのよ!! あたしがどれだけ重い腰を上げてココの面接に辿り着いたと思ってるの……!!」
 知らないよ。この出不精め。
「ココを失えばあたしの夏は終わりよ。絶対にココをぶっ壊して皆殺しになんてしないんだから!!」
「もっと大切な理由を思い出して欲しいな……まあいい、とにかくやってみてくれよ。蛇の道は蛇だぜ。頑張れ佐倉!」
 佐倉はしばらく悩んでいたが、これ以上職務放棄していると時給を減らされてしまうことに気づいたのだろう、深々とため息をついた。
「仕方ないわね……ねえ、あなた! 最後に聞きたいんだけど、降参する気はないの?」
「降参?」
 誘拐犯は両手を前に突き出し、ケツを後ろに張った姿勢のまま不適に笑った。なにかのゲームの魔王かお前は。
「するはずないでしょ。横井くんさえこっちの手にあれば、回り道にはなれどいつかは十億円に辿り着けるんですもの……!」
 壮大な夢である。
「交渉決裂、ね」
 佐倉はため息をついて、
「手加減しないからね」
 手をかざし、地面に敷かれたレンガをボコボコと不可視の異能で持ち上げた。おおー改めてみると雰囲気あるなあ。
「やっ!!」
 佐倉が手を振るとひゅんひゅんと浮いたレンガが弾丸のように撃ち出された。が、誘拐犯は巧みにでんぐり返しを繰り返してそれを避けていく。
「無駄よ、私にはあなたの心が見えるもの」
 誘拐犯は後頭部をさすりながら不毛な挑戦者を嘲笑った。佐倉はきっと歯軋りする。
「このっ、くそっ!!」
 子供たちの夢を支えていたはずのレンガが武力行使に用いられているさまは見ていてなんとも物悲しい。
「うるさいわよ後藤!!」
「だから喋ってねーだろ!!」
「顔でわかるのよ!!」
 なんだそれ。エスパーかお前は? ……エスパーか。
「あんたも何か手伝いなさいよ!!」
「ばっ、それどころじゃねーよ前見ろ前!」
「前?」
 振り返り切る前に佐倉は吹っ飛ばされていた。ゴロゴロと転がりながら受身を取って絡み付いていた慣性を蹴散らし体勢を整える。
「何!?」
「ふふふ」
 誘拐犯は手に持ったブツを構えて雄雄しい鼻息を吐いた。
「これで私の勝ちは決まったわね……」
 そう言って持ち直したのは、
「お前そのバス停どこから持ってきたんだよ返してこい」
 聖ククリ教会前とか書いてあるぞ。それ持ってきちゃ駄目なやつだろ。
 誘拐犯はブンブン首を振った。
「このエモノに恐れをなしたようね!! これで中距離から長距離まではもらったわ……一方的に攻撃を仕掛けていられた時間は終わりよ!!」
 どう見ても佐倉でさえ恐れをなしているのは相手の常識の無さにである。
「喰らいなさい!!」
 金の亡者が振るったバス停が地面に打ち下ろされて大穴を空けた。間一髪でよけた佐倉の身体にレンガの破片がぶつかって、額からつうっと一筋流れた。
「佐倉!!」
「だ、大丈夫よ。これくらい昔はしょっちゅうだったもの」
 佐倉は覚束ない足を呼吸を整え奮い立たせる。
「くっ……」
「ふっ、終わりのようね」
 誘拐犯がブンブン頭の上でバス停を振り回して柄を地面にドスッと叩きつける。人の頭を覗く前に地面の気持ちを考えろと言いたい。
 佐倉が苦しげに呻いた。
「亀裂が入ったわ……」
「ああ、業者呼ばないとな」
「地面じゃないわよ!! あたしのアバラのことよ!!」
 どっちも似たような硬度じゃねえか。
 とはいえ佐倉がもう戦闘不能に近いのは確かだ。無理やり戦ってもらうこともできるがそれはさすがに女の子の身体にさせることではない。なんとかこの状況を打破するべく、とりあえず俺は佐倉の首根っこを掴んでズルズルと後退した。
「痛い痛い痛い!! 骨がっ、骨に振動がっ」
「わりわり」
「絶対わざとでしょブッ殺すわよ!!」
「うわっ」
 佐倉の激怒に感応したのか俺の目の前で飛んでいた羽虫がバラバラになった。変な汁が飛び出て顔にかかった俺はもんどりうって倒れこんだ。
「ぎゃあああああ!! なんてもんブッかけやがるんだテメー変な病気になったら責任取ってくれるのかよ!?」
「変な言い方しないでよ……あうっ」
 くたっと佐倉の首が下がった。やっぱ本気で柔道整復師に見てもらわないといけない怪我のようだ。だが横井を見捨ててココを出て行くわけにもいかない。というか沢村妹のバリアもまだ効いてるみたいだし。ちくしょう、いいなあ沢村、あんな可愛い妹と今頃イチャコラチュッチュか。あーあ。空が青いや。
 その時、後退する俺の踵にゴツンと何かがぶつかった。邪魔だな殺すぞと思って振り返ると茂田だった。
「う、うーん……」
 茂田はまぶたをこすって身を起こした。目が回っている。その螺旋をぼんやりと見つめているうちに俺は爆発的にひらめいた。顔にかかった羽虫の汁を指ですくう。
 これじゃん。
「――っ!! や、やめなさい、そんな――」
 誘拐犯のボイスに脳内ミュートをかける。
「佐倉、逆転の策を思いついたぜ!」
「え、逆転の策?」
「ああ。それはな、こうするんだ」
 俺は茂田に耳打ちした。
 茂田の目がカッと見開かれた。
「ほんとかっ!!」
 そして脇目も振らずに右手を伸ばして、
 無防備な佐倉の胸を鷲づかみにした。
「…………」
「…………」
「…………」


 血塗れの沈黙の後、
 佐倉が、意外と着やせするタイプだということが判明した。


『ぎゃああああああああああ――――――ッ!!!!!!!!!!!!』


 佐倉が真っ青になって絶叫し、その余波で放たれた念動力が小型の爆発と化して周囲三六〇度にぶっ放された。レンガどころかその下に敷かれた基礎建築もろとも剥がし飛ばして何もかもが裏返った。俺は乱気流に突っ込んだような状態で目もロクに開けていられず茂田の腕を空中で掴むだけで精一杯だった。空気の千本張り手を喰らいながら茂田と一瞬目が合う。やつの目は悲しそうに、こう言っていた。
『触っていいって言ったじゃん』
 そんなわけあるか馬鹿が。
 でもちょっと、いやかなり、ああ、
 羨ましい――――……
 俺がやればよかったかなあ。



 後日談になる。
 ククリランドはその日を持って無事に三十年の歴史に終止符を打ち、閉園した。目玉アトラクションのほとんどが洗濯ばさみから逃れたパンツのようにどこかへ行ってしまってはさすがの園長も笑うしかなかったらしい。もちろん佐倉はクビになったが、クビで済んだだけマシだと思えと言ったら泣かれた。今度メシかケーキでも奢ってやろうと思う。
 誘拐犯は無事捕まった。瓦礫の中から発掘された時は俺と佐倉と茂田さらにはあの時あの場にいた人間全員のビックリをテレパシーでモロに受け止めてしまってものの見事に錯乱状態、ガタガタ震えていてモノも言えない様子だったとか。
 財布に入っていた免許証から素性が割れたのだが、
「遠山神流(とおやま かんな)……って俺のお隣さんじゃん!」
 そーゆーことなのだった。
 なんか最近お隣さんがうるせーなと思ったら俺の心が丸聞こえだったらしい。横井のことも俺から察したのではないかと事情聴取に来た紫電ちゃんが零していた。いやはやなんとも、お恥ずかしい限りである。今回の事件の余波で遠山さんの記憶から俺に関することすべてが消えていて欲しいと願うばかりだ。いやほんと恥ずかしい。
 ついでに、沢村兄妹のことはと言えば申し訳ないことに妹の方がちょっと怪我をしてしまったらしい。軽く額を切っただけなのだったが沢村は物凄く滅入ったらしくテーブルに乗せられた妹の手を握って何度も励ましてやっていた。
「ごめんな朱音……お兄ちゃんがもっと強ければ……」
 妹の手を額に当てていた沢村には、当の朱音ちゃんが舌なめずりして愛しい兄との触れ合いに大興奮しているのを知らぬまま、確か夜中の十時過ぎだったと思うが、兄妹揃って帰宅した。あと妹と遊園地に来たことは誰にも言わないでくれと頼まれたが、俺は月曜日になったらみんなに言うつもりだ。情報はちゃんと公開していかないと。
 そして。
 肝心要の横井はと言えば。
「後藤ぉぉぉぉぉぉ!!」
「やめろへばりつくな気色悪い」
 意識を取り戻して早々(ちなみにこいつも瓦礫に埋もれていた)、横井は俺にしがみついてオンオン泣いた。マジかと思った。鼻水は垂らすわ俺の股間に顔を埋めやがって絵面が嘔吐ものだわで俺こそ泣きたかった。佐倉も泣いてたし事情聴取のために用いられた近所の団地の集会室は阿鼻叫喚の有様だった。茂田はラーメンを食いに行っていた。
「おっ、おで、おで」
「落ち着け横井お願いだから鼻をかめ」
「うぐっ……えぐっ……」
 もはやなりふり構ってられずに俺は手近なティッシュを引っつかみ横井の鼻に当ててチーンさせてやった。生暖かいティッシュを丸めて掌に乗せて、思う。
 生きてるって何。
 少なくとも横井には分かっているらしい。
「俺っ、いきなり後ろから羽交い絞めっ、されて、暗いとこ、入れられ」
 ロッカーだったのではないかと言われている。横井は小柄だ。
「い、入れられてそれから、わけわかん、ぐす、なくなって……気づいたら、助けられてて」
「そうかそうか。大変だったな。俺はもっと大変だったよ」
 ポンポンと背中を叩いてやり、
「それもこれもお前に悪銭の相が出ているからなんだ……」
 横井は泣くのをやめて、ポカンと口を開けた。
「あくせん……?」
「ああ」俺は重々しい表情を作って言った。
「金には魔物が取り付くんだ。それも急に入ってきた泡銭なんかが危ない……そういう銭はお払いしてもらうのが普通なんだが、お前はそういうの疎そうだからな、知らないだろう。でもな? 今の時代までお寺や神社があるのはなんでだと思う?」
 横井はちょっと考えて、
「必要だから……?」
「そうだろう? やっぱり物理だ理屈だなんのと言ってもこの世にはまだ不思議なことがたくさんあって、悪銭もその一つ……横井、お前は幸か不幸か当たり屋の相に生まれているから、どうも銭についた悪霊も人一倍強いものらしい……いきなり誘拐になんて遭うくらいだからな……」
 横井はみるみる青ざめ始めた。
「ど、どうしよう。どうすればいい!?」
「簡単だよ……」俺は心からの笑みを浮かべた。
「お前が宝くじで当てたお金を全部俺に預けてくれればいいんだ……何、そのうち返すさ……悪霊がいなくなったとわかったらすぐ返す、みるみる返す、もちろん危ないままだと返すことはできない……お前に危険が降りかかったりするといけないからな?」
 俺はポン、と横井の両肩を叩いた。
「さあ、横井。俺に悪銭を渡すんだ。そうすればお前はもう何も悩まなくていいんだ」
 だが、横井は。
「ひゅー……? ひゅ、ひゅー……?」
 妙な呼吸を始めた。
 口笛のつもりらしい。
 視線を逸らして、
「た、宝くじ? 何のことか分からないなあ……そんなの知らないなあ……」
「横井」
「あ! お、俺の無事を母さんに知らせないと! じゃあ後藤あれだ俺は今日はこのへんで帰るから! マジで色々ありがとう! じゃあな!」
「ちょっ、待てコラ!! ……くそっ!!」
 あいつまだシラ切るつもりか。ったく。
 はあ。
 しかし、まあ。
 いいか、今日のところは。
 面白い休日になったのは確かだし、それで勘弁してやろう。
 ふわあっとデカイあくびをひとつ残して、紫電ちゃんに後を任せて(最近はすっかり異能者絡みになるとすぐ吹っ飛んでくる紫電ちゃんである)、俺は自宅に帰った。どっと疲れが降りかかってきて軽くシャワーを浴びたら人形のように力が抜けてしまい、すぐに寝ることにした。
 誰にも覗かれる心配のない部屋で眠るのは、やっぱりどうして心地よかった。


 そういえば。
 遠山さんが横井の金のことを口走った時に「相続」とかなんとか言っていたが……
 横井は、本当に宝くじを当てたのだろうか?
 遠山さんが洗脳室送りになった今、その真相を知ることはちょっとしばらくできそうになかった。

       

表紙

顎男 [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha