Neetel Inside ニートノベル
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コーヒーはチョコレート・ブラウンで
――コーヒーはチョコレート・ブラウンで

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「ふふ、久しぶりのお客さんだね本当に」
 憂いた色のない声で嬉しそうに言って、栗毛の店員さんはパタパタとカウンター奥で何やら取り出したりそれらを並べたりしている。とりあえず僕は客人として迎えられているようだ。
 狭いスペースの中でちょこまかと動きまわるその姿は、小柄な方の自分より更に背が低い。栗色の髪をうなじまで下ろした先を内側に跳ね、そこから下は群青色のエプロンワンピース。
「もー緊張感もなくなっちゃっててね。ごめんね、今準備するから。好きなとこ座ってくださいな」
 思えば店に入る前からこの建物の存在に始まり奇っ怪なことの連続で正直怖いし失礼したい。のに、店員さんのごく普通な振る舞いと笑顔に何となく安心感を得てしまって、促されるままカウンターに座った。なるほど、さっき勝手に腰掛けたときは気付かなかったが、店主に合わせてちょっとテーブルが低めだ。
 寝姿では分からなかった小柄な体型の彼女を理解すると、様々な違和感がふと湧き上がってくる。顔つきも自分よりは幼く見えるし、年齢も然り。とても店を一つ構えるような人には思えなかった。
 不躾に人間観察なんてしてると、僕の視線に気付いたのか、店員さんも身を乗り出して顔を近づけてきた。
「わっ」
「ふふ。うーん……うふふ、へーぇ」
 急に至近距離で覗きこまれてたじろいでしまう。品定めするような目線と呟きを受けて、少し自分の行動を省みた。ちょっと失礼だっただろうな。
 一抹の気まずさを紛らわそうと、何を頼むべくかメニューを見ようとして、そういえば当のそれがカウンターのどこにもないことに気がついた。
「あの……」
「メニューはね、置いてないんだ」
 言おうとしたことを実際発言する前に、それに対する答えが返ってくる。外見の特徴しか目につかない自分より人間観察が得意らしい。
「そのお客さんに何を出すといいか、分かっちゃうんだー。ココはね、そういうお店なの」
「そう、いう?」
「お客さん皆、それぞれ何かしらを抱えてウチに来るの。ある人は不安や悩み、ただの愚痴だったりするし、始まりだったり終わりだったり、もう色々。そういうの全部に答えてあげるのがウチのお店で、ウチのメニューなんだね」
 答えてあげるというか、私の方で勝手にそれだと決めちゃうことも多いけど、と締めくくる店員さん。手は一切休まず、しかし口調は穏やかに喋るのを聞いてもいまいちピンと来なかった。メニューのない店と言えば格式とか敷居とかが高いバーなんかを連想するけど、そういうものとは違うらしいのでとりあえずは安心する。
「君も、ウチのお店に来たるべくしてやって来てる。よかったね、選ばれたんだよー」
 言葉の端々に不可解さが残る。何かしらを抱えて、とか選ばれてとか、何かサイケチックなモノを所々に感じるが、来たるべくして、と言う単語は言い得て妙だ。行き着いた見知らぬ土地でガソリンが尽きて万事休すのところだったのだから。
 しかし彼女の言葉の真意は、そんなものではなかったようだ。
「よく分かりませんけど、確かに困ってたんですよ。適当にバイクでぶらついてたら、燃料切れ起こしちゃって」
「あー、燃料はウチじゃ出してないから御免だけど、まぁ出るときに解決してるよきっと。そんなことよりさ」
 全ての前準備が終わったようで、忙しなかった小振りの手が落ち着いてパン、とカウンターを叩いた。
「もっと根本的に困ってることとか、悩んでること、あるんじゃないかなぁ。お姉さんにはそう見えるよ」
 あどけない顔つきの店員さんがお姉さんを自称しつつ、身を乗り出して尋ねる。不思議な事ばかり口にする変な人だというイメージはこの時点からもう確立していた。
「いや、急にそんなことを言われても」
「えへー強情だねー。まぁ、大抵喋りづらいモンだよねそういうの」
 にっこり笑ったかと思うと、寄りかかったカウンターから身を引く流れでまた内側で何やら用意をし始めている。
「でも恥ずかしがることでもないよ。特にお客さんみたいな悩みは誰もが抱えるようなモノだから。大袈裟に言うならば人類の永遠の命題だね、あっはは」
 顔にも雰囲気にも似合わない単語が出てきて、いよいよ自分に思い当たる節がなくて寧ろどうしたものかと悩んでしまう。人類の永遠の命題なんて僕は抱えているつもりはなかった。
「まーまー、そんな難しく考える必要もないの。もしかしたら本人にとっては大した問題じゃないかもしれないし、だから気づかないかもしれない」
 事実僕の身の上に覚えがないことを見破ったかのようなタイミングで指摘されると、心を読まれたのかと錯覚する。掴み所がない喋り方も相まって、実際本当に読めていそうで少し怖い。
「けどねー。表面に現れてなくてもやっぱりどこか裏でその人を蝕んでたりするんだ。何かの折にふと都合よく浮いてきちゃって、その代わりその人を陥れちゃうの。そういうのがこの先なくなるように、気を楽にしてあげる。ココは、そういうお店」
 結局言わんとしていることはまだ掴み切れないが、
「つまり、カウンセリングみたいなことやってるお店なんですか」
「おぉ、分かるじゃん。へへ」
 そんな認識で合ってたようだ。
「なーんか怪しー、って思ってる顔だね」
「えっ、いやそんなこと」
「無理もないけどね。悩みを抱えてない人なんていないし、何か悩んでるでしょって尋ねて本当に何も悩んでない人は珍しい。君みたいに自覚症状のない人もいるし、目に見えて危ない人もいる。そういうのを無理矢理掘り返すようでちょっと心が痛むこともあるけど、コレも、私の商売だから」
 事実怪しいとも思うし、商売って人のためになることを進んでやるべきなんじゃないかなと考えればわざわざ傷に塩を塗るような真似なんて、どうなんだろう。と余計なことを思っていると、
「美奈。少し喋りがすぎるんじゃないか」
「あは、御免御免。口滑ってたかな。本当に久々のお客さんでやっぱりちょっとテンパってるのかもね」
 店主を起こした針金の鳥が思い出したように嘴を動かした。
「……あの、アレ、やっぱり」
「あーそうだ。紹介してなかったね。フクロウを象って作ってみたんだ。名前、ロイエって呼んだげて」
 準備で忙しくなってたシンクから避難するようにカウンターの上へ乗っていたフクロウらしい針金に向き直ると、礼儀正しくお辞儀をされた。訊きたいのは名前とかじゃなかったのに。フクロウって賢さの象徴らしいけれど、そうはいいましても、限度とか。
「私は二山 美奈。こんなカフェのオーナーです。あ、年齢は訊かないでね。答えられないから」
 そんな僕の心の底から抱く疑念を読み取る素振りは見せず、自己紹介をされた。
「さて、君は……どんな人間なのかな」
 自分にも自己紹介を促されたはいいが、それよりも先にもっと訊きたいことが山ほどあった。何で鳥が、というか針金が喋るのかとか、カフェなのにカウンセリングまでやってるのかとか、そもそも悩みを抱えているのが分かったり、そんな人達が来る店だったりすることも不可解。事実かどうかだって怪しい。そういえばこの店を見つけた時の違和感だってある。中途半端にしか説明されないで完全な納得がいったモノのないまま話が進められて、胸のつかえとかモヤモヤが拭い切れない。
 はずだった。
 じぃっ、と店主――美奈さんに目を見つめられていると、そういった不信感や、隙間だらけの空想めいた話が、段々気にならなくなってきた。そういうものだ、と無理矢理頷かされるのではなく、あぁそうなんだ、と自分から理解を示すような心の余裕がどことなく生まれ出てくる。
 感覚的に言うと、頭が軽くなって難しいことがどうでもよくなるような、ちょっと力の抜けた気持ちに似ている。勿論疑問そのものが晴れたわけでも、まして消え去ったわけでもない。瞼のパッチリとした、少し色素の抜けた綺麗な瞳に射抜かれて、それら全てが意識から外されたみたいだった。
「僕、白空 明良って言います」
 ふっ、と気分が良くなって、気がかりなモノもとりあえずはなくなって、促されるまま名乗ることができた。
 しらそら あきら。二十年付き合ってきた名前だが、読みも漢字も好きになれない忌まわしい呼称だったりする。
「白に空。明白な様はなお良し、か。苗字から繋がるようつけられたんだね。ご両親は良いセンスを持ってらっしゃるよ」
「……そうでしょうか」
「そうですとも。空白であること、とても良いことだよ」
「僕は……そうは思いません」
 フルネームを名乗りはしたが、当たる漢字は明確に伝えていない。それなのにあまつさえ名に込められた願いまで読み取られたことにも、気が回らなかった。
「そんなことないのに」
「空白なんですよ? 真っ白で空っぽで、まるで自分がないみたいじゃないですか」
 自分の名の由来を知ろう、みたいな取り組みがどの地域の小学校にもあったと思う。僕が通っていた学校も例に漏れずそんな課外があり、自分の名前の意味を親に尋ねたことがあった。
 クラスメイトの前で発表するときは特に何とも思わなかった。こどもは空白であって然りだ。だが、成長してこの年にまでなってみるとどうだろう。これほど惨めで情けない名前もない。
「友達は皆、芯が通っていてしっかりとそこに自分があるのに、僕だけが僕が何か分からない馬鹿な人間みたいで」
「良い友人に恵まれたんだね」
「そうじゃなくて! こんな僕だけ、みっともないじゃないですか」
 忘れようと努めていた嫌な感情が、軽くなった頭の隙間に入り込むようにして、再び浮かび上がってくる。そんな僕の気を知ってか知らずか、のほほんとした口調と感想を薄い笑みで浮かべる美奈さんを見て、ますます苛立ちが募ってきた。
「進学とか趣味とか、色んな事全部周りに流されて生きてきて、いつもこんなことでいいのかなってどこか腑に落ちないままでした。けどこれといった答えも見つけられないで今まで来たんです。今回だって」
 そう。今回だって。碁盤の目の街路を逃げ出そうとバイクに乗った瞬間、内に抱えていた自分の気持ちが舞い戻ってくる。
「親に言われるまま始めたバイト先でとか、友人と話してる時とか、学校で授業受けてる時も、全部そこに違う僕がいるんです。何となくぼんやりしてその場にいるだけの自分だったり、友人には見せたことない顔でへりくだってる自分だったり、そのどっちでもない僕が席に座ってたりして」
「うんうん」
「それで……僕って何なんだって、ふと疑問になって」
「アレに乗ってやってきたんだ」
 まるで一昔前の少年漫画だ。自分探しの旅とか言って北の国辺りまで行っちゃうような、訳の分からない逃げ口上。そんなもので自分が見つかるのかなんて分からないし、現に僕なんてガソリンが無くなって行き倒れの一歩手前だ。
 そういえばあのバイクも、友人に感化されて乗り始めたんだったな、なんてことを思い出して、ますます惨めな気持ちが滲み出てくる。
「馬鹿らしいですよね。変なこと不思議に思って、何か落ち着かないから飛び出してきた、なんて。本当、頭が空っぽみたいな感じ」
「そう卑下することもないよ。もうちょい前向きに、さ。ホラ、何か自分みたいなの、見つかりそうにないの?」
「さっぱりですよ。見たこともない土地に来て困り果てて、他の人間ならどうするのかな、なんてことばっかり考えちゃって、やっぱりそこに自分はなかったです」
「……そっか」
 自己紹介を促された時に感じた心の軽さは、もうすっかり鈍重な空気に押しつぶされていた。
 店主さんだけは話し初めからずっと崩さない優しい笑顔で、終始僕の馬鹿な愚痴を聞いてくれていた。自分より年下に見える女の人に何をこんな話ばかり、と急に恥ずかしくなって、頬の辺りがじわっと熱くなる。
「ご、御免なさい。こんな下らない話、初めて来た癖にぐだぐだと喋っちゃって」
「あら、いいのいいの。ウチは、そういうお店だからね。さて」
 前置きはここまでに、という具合に一息ついた美奈さんは、
「決ーめた」
 パン、と両手を叩いて思いついたようにこぼす。浮かべる笑顔は何か珍しいモノを見つけた子供のような好奇心に満ち溢れた輝き方をしている。嬉しくて嬉しくて仕方がないというような、そんな純粋な笑みだった。

       

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