Neetel Inside ニートノベル
表紙

コーヒーはチョコレート・ブラウンで
――碁盤の目、そこは鼠の通り道

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 碁盤の目街道、中央街。
 ショッピングに娯楽、観光にライブやイベント何でもござれな中央密集型のパイプタウン。
 何となく外出したくて駅伝いにやってきて、大した用もないのに時間は刻々と流れていく。高かった日差しはもう見る影もなく、代役を並び立つビル棟からのライトが担っている。
 誰も彼もいつも通りの日常を過ごしている。傍目から見たって明らかなことだった。
 ――先日見たあのお店は何だったのだろう。数日経った今でもそんな疑問は変わることなく心にこびりついている。無理もない。かなり衝撃的だったのだから。
 もしかしたら自分の気付いていない内にあの時のような光景が皆の常識として親しまれているのかな、なんてことを思いながら外界の様子を確かめに来てみたのだ。勿論どこに行ったって目線の高さを飛ぶ針金細工なんてないし、店は前から見知った物ばかりで変わっている様子もない。こうまで普段通りだとあの時の現象全てが嘘だったのではと思えてくる。
 ガソリンスタンドまで送り飛ばされた(?)僕はその後無事に自宅へ帰ることができた。時間にして十五も上回らない子供めいた自分探しの旅。その顛末は誰に打ち明けることもできなくて、頭の中にはもやもやがずっと燻っている。
 別に、あの日遭遇した出来事が摩訶不思議なだけなら気のせいだとか夢だったとかで済むのだけれど、どうしても忘れ切れない原因がある。
『多分またどこかで会うことがあると思うから』
 店に入った時、選ばれた、なんてことも言われた。理由はよく分からないが、つまり僕はあの店に行くべくして行って、今後再び利用する可能性があるらしい。
 確かに、フクロウを象ったとは言え所詮針金にすぎない物体が空を飛んで喋ったり、見渡す限り地平線まで何もない土地の目の前に急に現れたと思ったら、お暇するときは見知った場所に建っていた滅茶苦茶なお店、怖くはある。けれど反面、店主さんの優しい笑顔に崩れぬ口調、交わした雑談と纏う雰囲気に心癒されたこともまた確かなのだ。
 もう一度あの店に訪れたいかと聞かれて、迷わず首を縦に振るであろう自分が今ここにいる。諸々の真偽を問いたい思いは、しかし今回は不振だったようだ。
 尤もどこかで、なんて曖昧な単語を鵜呑みにして適当に歩いた先で出会えると思っている時点で考えが甘い。行くならば前と同じ田舎道を辿るのが一番だろうが、そう言えばこの街のどこからどう抜けだしたらあそこに出られるか、全然記憶になかった。
「帰ろうかな」
 街中で夕食を済ませてひとりごちる。アテもなく彷徨い歩いて、お腹がすいた頃に引っ掛けたつけ麺屋だったが、一定量までは麺の大盛りが無料なので、満腹になるにはちょうどいい。少し贅沢をするならココだ。
 立ち上がり会計をして、そう言えばチョコレート・ブラウンを頂いた代金を支払ってないな、なんてことが気にかかった。勢いで退店しちゃってあれじゃ食い逃げだと後悔する。
 やっぱり、もう一度あのお店に行かないとなと気を改めたところでつけ麺屋から出て、
「……うん?」
 この通り道、こんな風景だっただろうかと違和感を覚えた。
 普通、道を歩いていると路上に立って先を見通す形になる。だから店を出て道の横側から向かいを眺めると、別の角度からの視点になりいつもと違った景観が広がるのだ。こう錯覚したことは何度かあった。
 だが今回は心構え、前提が違う。見知らぬ田舎道での一件を体験し、あの吃驚さを再び、と望んでいた身としては、コレは前兆なのではと期待してしまう。
 その期待が外れでないことを実感したのは、背後を確認した時だった。
「違う」
 ついさっきまで食べていたつけ麺屋じゃない。向かいの店も高いビルに入るテナントも、通い慣れた都市主要道路の記憶から全部遠のいている。よく見れば道幅だって小さいし、全体的に建物が古ぼけている。
「どこ、だろう」
 僕も長い間この碁盤都市に触れてきたが、その道という道を全て網羅しているわけではない。だから僕の行ったことのない、盤上の端辺りなのかもしれないが、ともかく少なくとも僕はここを、知らなかった。
 似ている。ほんの数日前にバイクで飛び出したあの日の出来事を追体験しているかのようだ。ガソリンに困った僕は、見知らぬ場所で途方に暮れていた。状況は全く同じ。
 突然その場に現れただろう僕を不審に見る様子の人はいない。恐らく背後の何とも知れない店から何気なく出てきた一般人だと思われているのだろう。今ここにありえない現象が起こっていることに、誰も気づいていない。その事実と、奇怪な現象を身をもって味わっている自分に多少の恐怖を覚えつつ、心のどこかで喜んでいる。
 こんな時はどうすればいいんだろう。考えて、僕はとりあえず右か左か歩き出してみる、という選択肢を迷いなく採用した。ほどなくして見つけた覚えのある看板に、いよいよ気分は高揚する。
「アレだ。あんな感じだったはずだ」
 遠目からだと幾何学文様にも見える透かし細工の鉄看板。先日はお洒落だな、なんて適当な感想をそこそこに観察を止めたが、少し冷静になってよく眺めてみると、文様に見えたそれが、自分に認識できる文字であることが分かる。
「店名なのかな。何て言ったっけ、えっと」
 平行線が二本。その横棒を利用しながら、上には正しい向きでeben、下には逆向きでAllesと書かれていた。ちょうど文字の底辺が平行棒によって引かれていて、見方によっては地面からオブジェが生えてるようにも見える、面白い作りだ。
 二度目に見る木製のドア。それは同じなのに建物は高層ビルの地階で、特徴的だった白壁とログウィンドウは見当たらない。本当にあの時の店なのか、と多少の不安を感じつつ引き開くと、一目見たらしばらく印象に残る落ち着いたレイアウトの店内が飛び込んできた。
 正真正銘、あの時のあの店。人通りのある地階テナントという立地でも、やはり不思議な事にお客さんはいなかった。
「真実を突き止めんとする探究心が、我々を引き寄せたか」
 入って左手に変わらず存在する背の高い観葉植物。葉と葉の中腹に留まっていた例の針金細工、ロイエが出迎えの代わりとばかりに喋り出す。
「或いは、その探究心を見出して我々が誘い入れたのか」
 針金製のフクロウは形ばかりでなく、その翼を大いに広げて、雄々しい格好とは裏腹にふよふよと不安定な高さを飛行する。
「どちらにせよ、また選ばれたようだな。少年」
 僕の目の前を通りすぎて、正面のカウンターに着地。小さな体躯を透かして見えたのは、
「やっほ。いらっしゃい」
「……また、来ちゃいました」
 店の裏から出てきたこれまた背の低い、栗毛の店主、美奈さんだ。

       

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