Neetel Inside ニートノベル
表紙

コーヒーはチョコレート・ブラウンで
――真実、泡沫と消ゆ

見開き   最大化      

「ふふっ。少し凛々しくなったんじゃない?」
「えっ」
 出会い頭の唐突な褒め言葉に、上手く反応ができない。それは自分が褒められ慣れてないのもあるが、凛々しいという言葉がそれ以上に聞き馴染まないせいだった。
 凛々しく。数日前にちらりと会って、今回が対面二度目の相手に言う言葉だろうか。
「本当の自分、みたいなものの片鱗でも掴んだのかもね」
「いや、そんなのまだまだですよ」
「ううん。何となーくバイクで出かけて、何となーくウチに来た時よりかは、芯がある」
 あぁ、確かに今回はここに来たくてやってきたんだった。ロイエの堅苦しい口調で言うならば探究心。初めてこの店にやってきた時のこと、引いてはこのお店のことについて、知りたいと思って探し歩いていた。
「自分の意志で行動する。ガソリンが無くなって誰ならどうすると考えた以前の自分よりは、色付いて見えるよ」
「あ……ありがとうございます」
 色付いて、という言葉選びは僕の苗字を指してのことだろう。白空。白く空っぽな様を連想させるこの文字列を肯定的に見せてくれたのが、前回の出来事だった。
 先日僕が来店したからか、カウンター内側のシンク台はいつ客が来ても大丈夫なように予め大体の準備が整っていた。今日はそこにはサイフォンと呼んでいた仰々しい道具も、コーヒー豆も置かれていない。まだ自分に出してくれる飲み物が決まってないようだ。
 訪れたお客さんが、一番に望むオーダーが分かるという店主さん。一度しか来たことのない僕にはそれが事実か分からないし、そも店主さん自らがそれが一番だと勝手に決め付けるなんて曖昧なことを言うものだから信用はできないが、やっぱり来訪者には決定権が無いようで、メニューも用意されてはいなかった。
「でもまー、その色はちょっと私としては受け入れがたいかなぁ」
「……えっ! えっと、それって」
 つまり、来店理由が気に食わない、ということかな……。
 前回もちらほら見受けられた、人の心を読んでいるのではないかという店主さんの発言。こちらが一から十まで喋ったわけでもないのに、名前にあたる漢字が分かったり、言葉にしていない疑問を先出しで答えられたり。極度に人間観察が上手いのか、はたまた本当に読心術でも心得ているのか。それも僕が問いただしたかった疑問の一つ。
「気持ちはねー、分からんでもないけどねー」
 腕を組んで悩ましげに首を傾げるその仕草を、童顔で背の低い店主さんがやると見た目に反するギャップが著しい。
「僕がどうしてこのお店を探していたのか、分かるんですか?」
「まぁ、そりゃねぇ。ロイエが目の前で動いちゃうからだよー。あー一番ヤバイのバレたーって思ってあの後も色々してあげたけど」
「我のせいにするか」
「ぜーんぶロイエのせいだっ。久々のお客さんで振る舞い方忘れたのはどっちの方ですかーっ」
「言ってくれる」
 ちょこちょこと飛び跳ねるようにして店主さんに向き直り、両翼を広げたロイエと対峙するのはシンク台に両手を付いてジト目で叱責する店主さん。あぁそんな、まるで僕が争いの種みたいになるなんて。
「やっ、やめて下さいっ。そこまで言うなら何も聞きませんからっ」
 飛んで跳ねて喋りもして、加え人格っぽいものを持って人間と臨戦態勢に入る針金細工のフクロウなんて今まで見たことないし好奇心が尽きないところではあるけれども、二人(?)がいがみ合うなら無理に聞き出したくはない。
「……あ、あら。おほほほ」
「むぅ」
「御免なさいね、またお見苦しいところを」
 前回といい、妙に大人っぽくなる美奈さんも見るのは心苦しいところだ。ロイエはまだ煮え切らないといった様子だが、この点店主さんは大人である。
「やだなー私ったら。学生さん相手にこんなんなっちゃって」
「え、何で学生って」
「分かるんだ。大学生だから、成人もしてるでしょ?」
「はい、してますけど……」
 名前の次は身分まで見破られちゃうとは。どうして分かるのか、と訊いたらまた薮蛇になりそうで、何となくロイエの方を見ると、
「……美奈の、人間観察能力の賜物だ。顔つきとか背格好、雰囲気でな」
 確かにジャケットにジーンズで平日の夜を出歩いているのなんてまず社会人とは思われないだろう。アパレル関係にしたってもう少しアクセサリーなどで遊ぶだろうし、夜のお仕事関係に見られるのは心外だ。
 だがそれにしても迷いなく学生だと言い当てる店主さんの口振りに、人間観察以外のどこかに確信を得ているような気がして、やはりこの人は不思議でならない。
「時間も時間だし、一杯引っかけていく?」
「え、あ、僕あんまり強いのは……」
「あーそうだねー。そこらの要望は普段聞かないんだけど、今回作ろうとしてたのは偶然弱いのだったから安心してよ。よかったねー」
 いつの間にか決められていた本日のオーダーに、どこに決定する要素があったのかなと振り返り何も思い当たらない。そういえばこのお店に来る人は何か悩みを抱えている人だと以前言っていたけど……。
「今日は残念ながら君の悩みを解消してあげられそうにないからねぇ。代わりにすっきりしないだろう気持ちを晴らすようなお話を、ドリンクと絡めつつしよっか」
 どんな形になるのかは分からないが、僕の胸のもやもやは吹き飛ばしてくれるらしい。初めてこのお店に来たときの心安らぐ感じを思い出して、既に気分はリラックスモードに入っていた。
 危惧すべきは、僕はあまりお酒に強くないことなのだが。

 シンク台の下、足下の棚を手前に開くと、ガラゴロと音が鳴る。そこに小さなスコップを突っ込んで掬い出したのは角氷だった。そのまま彼女から見て右手にある細めのロンググラスへいっぱい詰め込む。二つ分用意した点、店主さんも同じく飲むらしい。
 グラス二つに氷を敷き詰めて、最後に一つ冷凍庫から氷を摘みロイエに弾いて与えた後、カウンター内奥へと下がっていく。ロイエは何ともなしにその氷をつついていたが、弾き方が結構な勢いだったので実はまだ根に持ってるのかもしれない。美奈さんを怒らせるのだけはよそう。
 二十年と数ヶ月しか生きてない僕のお酒遍歴はと言うと、飲み会に誘われて行ったのが数回と、家で親の飲む酒を少々拝借したことがある程度。親は結構な酒好きで、日本酒を買う度ラベルの名前が変わっていて、それぞれどう違うのかとか聞かされたことがあるがさっぱり理解できない。僕の舌では飲みやすいか飲みづらいかぐらいしか判別できない。
 友人と飲み屋に行ったときはメニューに並ぶ横文字に圧倒され何がどれだか全然分からずいちいち隣の人にどんな味かを訪ねていた記憶が新しい。全て把握してるかのような友人の注文速度によからぬものを感じたのも覚えてる。
 つまり、ものすごく疎いんです僕。
「触らぬ神に祟りなし。知らぬが仏。昔の人はいい言葉を後世に残したものだね」
 奥から戻ってくるがてら、取ってきたものを整然と並べ始める。一つは黒みがかった橙色の液体が入った瓶。その隣にあるボトルの中身は真っ赤でなんだかドロドロしている。暖色系で同系統とはいえ色から連想されるイメージは決してよくはないし、なにより赤いやつの粘性がアルコール度数の高さを暗示しているようでいよいよこの後出されるドリンクが恐ろしくなってきた。
 他にもまだ何か使うようで、店主さんはまた裏へと引っ込んでしまう。様々な材料を用意する辺り提供されるのはカクテルなんだろうなと想像つくし、作る行程を目の前で見せてもらうのが初めてなのでその珍しさに多少の好奇心は湧くのだが、同時に抱える恐怖のせいで楽しみ半分怖さ半分と言ったところ。
 コーヒーの件もそうだったけど、店主さんオーダーに関し、容赦ないからなぁ……。
「知らないことは無理に知ろうとしない、関わらない。その方が身のためだー……ってやつ。私も、同じ事を思うの」
 両手に今度は紙パックと瓶を持って帰ってくる店主さん。パックの方は表面にグレープフルーツが描かれていてそれと分かった。英語表記のラベルが張られている栓閉じの古風な瓶は透明で、見る限りただの水に思える。
「昔話の、鶴の恩返しは知ってるよね。絶対に見るなと言われている部屋を開けてみたら、助けた鶴が機を織っていた。知られたからにはここにいられないといって鶴は出ていってしまうよね」
「はい」
「知らない方がいいこともあるんだよ。下手に首を突っ込まなければ、鶴が入り込んだ一家はその後も幸せに暮らせたろうに」
 この前に来たときは晴れた日の昼間だったが、外の光が差し込まない夜のeben Allesは花型のライトが柔らかく店内を照らして、向こうまでがぼんやり滲んで見える。光を吸い込んだログハウスの木材は色合いも暖かく、蝋燭で照らされた教会を連想させられた。
 この雰囲気と和らぐ空気が、懺悔し教訓を学び、説教をする場として……カウンセリングルームとして最適なんだろうな、と思った。
「女性に体重と年齢は訊くな、秘密を持った方が美しくなる、って言いますもんね」
「あら、フォローしてくれるんだ? えへー」
 いい子いい子、なんて呟きながら、僕へ手が届かない代わりにロイエを撫でる店主さん。本当にカフェとバーの経営主とは思えない。
 まぁ、言われて振り返ればお店の不思議な雰囲気とか店主さんの言うこととか、ロイエの存在とか、その真相を聞き出すためだけに再度来店しようとする気持ちは不純だったかも。美奈さんに撫でられて目を細めてるロイエはやっぱり気になるを通り越して最早怖いぐらいだけど。
「……でも」
 あまりこの言葉は現実離れしすぎて使いたくなかったけど、店にまつわる出来事全部、魔法みたいだ。気にならない方がおかしい。店主さんの例示は僕の疑問に対する答えとして当てはまるようで実は全然違う話なんじゃないか。
 だからこそ美奈さんは言おうとしないし、来店してすぐ難色示したりロイエと言い合いになったのだろうけれども。
「やっぱり気になっちゃう? もー、仕方ないなー」
「あ、いえもう、無理に聞こうとは思ってませんからっ」
「ううん。元はといえばボロだしちゃった私も悪いからさ」
 ボロを出した、という口振りからすると、やっぱりお店のことあれこれを喋るつもりはなかったんだろうなと察せる。
 ロイエを撫でる手を止め、橙色の瓶を開ける。CAMPARI、とラベルに書かれているのに気付いて、
「カンパリ……?」
 どこかで耳に、というか目にしたことがあるかも。
「場所によるけど、カクテルを主体にしてるお店ならまずおいてあるメジャーなリキュールだね」
 これがアルコールの部分なのか……と感心して眺める。コップの下の下、五分の一ぐらいまで注がれたオレンジの液体がお酒には見えなかった。
「……時期、ってものがあるんだよね。きっと」
 いよいよカクテル作りに着手したところで、店主さんが話し始める。
「私ね。自分が知るべきことは自ずと耳に入ってくるし、知るべきでないことは聞き耳を立ててもなかなか入ってこないものだと思ってるんだ」
「知るべきこと……」
「うん。普通に暮らしてるときのことだけどね。誰が誰と付き合ってるらしいとか、どこのお店がおいしいよとか。ぱっと聞きどうでもいいことでも、知るべきか知らざるべきかの分類はされてて、自然の摂理みたいなものによって、情報の統制がされてるの」
 オカルトめいたことを言う店主さんにピンと来るものがなく、何となく頷くことしかできない。自分が見聞きして知った情報は持っているべきで、それ以外は知らない方がいい、ということだろうか。
「例えば、とある女の人を好きな男性がいたとして、でも女の人にはまた別に好きな人がいるの。しかしまだ付き合ってはいません。こういう時、男性は女性の思いを知るべきだと思う?」
「僕は……どうでしょう。両者の気持ちを知っていたなら、多分何も言わないと思います」
「うん。ちょっと微妙な例だから反対に考える人もいるかもしれないけど、そうやって、情報が統制されるんだよ」
 カンパリを注ぎ終えて次に取り出したのはグレープフルーツジュース。丸キャップを回して開けて、上から同じぐらいの量を入れていく。
「だから自分の知らないことは、知るべきではないことなんだなーって私は考えるんだ。だって人が隠したり、ふとした拍子で知っちゃったりしないように話題そのものを避けられたりするんだもの。無理に口を割らせようとは思わないし、きっとそういうのは、知ったら後悔したり、嫌な気持ちになるから」
「あー……」
 最後の部分は少し、分かる気がする。確かに隠し事を暴いた時って大抵気分が落ち込む。知らされた情報そのものに対しての落胆もそう、情報を隠されていた事実にも。
 だけど、
「ものすごく、大人な考えですね。僕多分、気になり始めたら知りたくて知りたくて仕方なくなると思います」
「というか、そうだったよね」
「そうでしたね」
 僕に限らず、人って隠し事をされるとますますそれが知りたくなる生き物だと思う。何か話そうとしている人が途中で口ごもったりしたら、一体何なのかはっきりさせたがるものじゃないかな。
 そもそも、店主さんは情報の統制、なんて難しい言葉を使っていたけれど、挙げられた例は人の意志だ。自然の摂理やら何やら言っても、結局規制しているのは人間そのものじゃないか。つまり、店主さんが言いたくないからそう言ってるだけじゃないか。
「でもね、隠されたり規制された情報は、いつかその内知ってしまう時が来る」
 グレープフルーツジュースも注ぎ終わり、次に手を付けたのは透明な瓶。しかし栓抜きが見当たらないようで、あちこち探しては棚を開いたりしている。
「機密性は、ナマモノみたいでさ。時間が経てば緩くなったりするものなんだよね、経験上」
 ようやく見つけた栓抜きを王冠に噛ませて引き抜くと、カシュ、と気の抜ける音が台詞に重なって聞こえた。どうやら炭酸飲料だったらしい。
 情報の機密性。今までの人生で思い当たることはないが、何となく想像することはできる。さっきの例も、時間が経ったあとで聞かされたら、笑い話とか、或いは上手く行った未来でなら英雄譚にでもなりそうなモノ。そういうことを言っているのだろうか。
「勢い任せにその場で無理矢理聞いたら不快な話だったりして、情報に急いで生活すると疲れちゃうんだ」
「確かに……仰る通りかもですね」
「あまりピンと来ないかな。無理もないけどね、人間は好奇心の生き物だから」
「でも好奇心一つで身を滅ぼすのは御免だな、って気持ちは分かります」
 このお店に来づらくなるのは嫌だな、と思っている自分がいる。
 こんな雑談を交わしつつ、目の前でオーダーが出来上がるのを眺める今の時間を、僕は気に入っているようだ。店主さんのお話はどこか心が軽くなって癒されて、出されるドリンクはどんなものかと期待に胸が膨らませられる。
「全部、飽くまで私の考え方だから、同じ事考えて生きろーなんて強制はできないけど。でも訊かれると困っちゃうってことは、理解してくれたらいいな」
「……えぇ、大丈夫です」
 シュワシュワと気泡を弾かせつつ、先ほどの二つとは変わり今度はグラス目一杯まで注がれた炭酸水。八分目の高さで止めると、横に準備していた棒を取り出す。先端がスプーンになっていて、柄の部分が捻れている。変な形をしているな、と思っていると、
「コレも珍しいかな。バースプーンって言うんだ。便利なんだよーコレ」
 氷の詰まったグラスの端からそれを差し込むと、救い上げるように動かして上下に混ぜ合わせている。なるほど、先に入れた材料がまだ底の方で沈殿してるからだ。
 上澄みのようになっていた炭酸水が全部オレンジ色に染まる。透明度が高くて、炭酸水の気泡が氷やグラスの縁に付着している様までよく見える。今度はバースプーンを氷同士の隙間を縫うように差してくるくる回す。柄の捻じれとスプーンの皿に引っかかった氷も釣られて回ることによって、ドリンク全体がかき混ぜられた。あの捻れは指先で摘んでも回しやすいように付けられているんだ。
「普通のレシピだとコレで完成なんだけど、今回は最後にですね、こちら、入れようと思いまーす」
 バースプーンを抜いて、水だけを張ったグラスに突っ込んでから陽気な声で手に掴んだのは、見るも禍々しい赤い色をしたボトル。
 きた、と心構えるよりも早く、店主さんが慣れた手つきでそれを氷伝いに少しだけ加えた。

       

表紙
Tweet

Neetsha