Neetel Inside ニートノベル
表紙

コーヒーはチョコレート・ブラウンで
――緑の絨毯に囲まれて

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 思えば遠くへ来た。
 道路も、その下の下水管も碁盤の目を二枚ずらして重ねたように張り巡る都会から、単車で気分のままに突き抜けていつの間にか左右緑の絨毯な一本道。見渡す限り実を結んでいない稲一色。レンガやコンクリの残りとか、ガラス片一つさえ、建物のたの字も転がっていない土地で、
「参ったなー」
 バイクのガソリンが空っぽに。
 リザーブで必死に周囲を走り回ってもそこは一度も来たことがない町。ガソリンスタンドあっちにあるかな、いややっぱ反対側のがありそうだ、と文字通り右往左往していたらあっさり底をつきて為す術もなくなった。
 電話で助けを呼ぼうにもココがどこだか分からないのだから困りものである。電信柱に地名とかないのかなと思って見てみても、よじ登るための横棒が刺さってるだけ。
 こんなとき友人の面々だったらどうしてたかな、なんて益体もないことを考える自分がいる。どうしようもないけどとりあえず行動しないことには、とこぼして最早足枷となった鉄塊のスタンドを蹴りあげた。両手でハンドルを掴んでバランスを取り、歩道に乗り上げて前を見ようと頭を持ち上げて、
「……え?」
 眼前に洋風な建物が見えた。
「な、なにこれ、こんなのさっきは」
 厳密には、現れたと感じたというのが正しい気がする。思わず目を疑う。何せ先ほど周りを見渡した時には本当に地平線の向こう側まで田んぼしかなかったのだから。
 思いつきで地元を飛び出して知らない土地にやってきて、そこでガソリンが付きてあまりのショックで見落としていたのか。いやしかしこんな目立つ一軒、どれだけ遠くにあっても気づかないわけはない。赤茶けたレンガ屋根を被るのは白いレンガの壁と、そこについてる観音開きのログウィンドウ。外国の童話の中に出てきそうな家だ。
「変……だけど、人がいるなら」
 ここがどこなのかとか、近くにガソリンスタンドはないかとか、ちょっと助けてもらいたい。多少不気味だが頼らない手はないので少しお邪魔させてもらおう。しかしまぁ自分は運に恵まれてるのか天から見放されてるのかよく分からないなと思いつつ、洋風の外壁にバイクを横付けする。
 回りこんでドアを見つけると、その上に装飾看板がぶら下がっているのが分かった。
「お店、なのかな」
 その予想通り、木製のドアを開くと頭の上でベルが鳴った。
 中を見ると、左右が奥に広がっていて、ドア側に出っ張っている向きにコの字型のカウンターが構えられている。ログウィンドウは出窓のようになっていて、鉢植えが置いてあったりした。天井には蕾の形をしたライトが数箇所から下がってる。色々考慮したところ、ココはカフェのようだ。冷房のお陰で外の陽気に当てられた身体が息を吹き返す。まだ春先とはいえバイク用のジャケットを着ていると服と身体の隙間が火照っていた。
 未踏の地へ一人旅、道中一休みするのもいいな、なんて状況理解も半ば脳天気に考えながら店員を探すと、カウンターに囲まれた内側に眩しい栗色の髪を見つけた。
「……」
「あのー……すいませーん」
 あろうことか突っ伏して寝ている。失礼だがよほど客が来ないお店なのだろうか。
 一服は二の次として借りたい手はたくさんあったので何とかこの方を頼りたいところだが、勝手にお邪魔しておいて睡眠まで妨害するのは悪い気がした。途端どうするべきか分からなくなって、何となくカウンターに座ってみる。
「おぉ……外もそうだけど、中も風情があって」
 鉢植えの他にも、人の背丈ほどある観葉植物が隅に置かれている。店内は薄暗いがそれがクラシカルな木製の調度品諸々を引き立たせてとてもいい雰囲気だ。空調を効かせてるからか窓は閉めてあったけど、開け放ったら光が筋状に差し込んで、そこから周りの田園風景が見られてそれもまたいいんだろうな、なんて感想を持った。
 珍しい雰囲気の店内にぐるぐる視界を動かしていると、観葉植物の葉の上、ライトからの光を吸って鈍く光っている物体があった。
「わ、凄い、鳥だ」
 針金細工の、恐らく猛禽類に寄った鳥だ。向こうが透けて見える身体はふくよかで、首と顔の区別がない丸みを帯びた頭部から生える、下向きに曲がった嘴が鋭い。丁寧に、精巧に羽毛の輪郭まで再現してある。
 よくこんな複雑なもの作ったなーと感心してしまう。全体的な可愛らしさに、ところどころ垣間見える雄々しさが目を惹きつけてやまない。じーっと見つめ合うように凝視していると――
「少年。若いな」
「……――?!」
 くりくりの目が、ぎょろりと動いた。
 嘴が、聞こえてくる音声と同期して開閉した。
「えっ……えっ、何」
「久々の客だというに運に恵まれないな。まぁ、来客があるだけマシと思うべきか」
 一度だけなら見間違いの耳間違いかと思ったのだが、立て続けに二度も驚愕すべきことをしでかされると受け止めざるを得ない。この針金鳥、喋る。音声もばっちり前から聞こえるし、相変わらず嘴がパクパクしてる。
 夢でも見てるのかと自分の頬をつねったり叩いたり、とにかく正気を確かめる。深呼吸して心臓を落ち着かせて、と懸命に平静を取り戻そうとしていたのに、目の前の針金は瞳と嘴だけじゃ飽きたらず、身体の両辺――翼を。上下にハタハタと動かして。
 飛んだ。
 ふよふよと不安定ながらも僕の目線の高さを保ったまま、飛んだ。
「おい客人だ。起きないか」
 どこに行くのかと思えば先ほど見つけた栗毛の人のところ。あぁ折角起こさないでいたのに。
「むぁっ、痛っ、痛い、痛いよぉ」
 頭の上でぴょんぴょん雀のように跳ねたり嘴でつついたりして、店主らしき人を起こしにかかる。夢じゃない。
「閑古鳥が鳴く店で接客の心も忘れたか。客が来たのに寝続けるとは何事か」
「痛い、痛いってばぁ馬鹿! やめてよもう起きたから!」
 閑古鳥って貴方のことでしょうか。個人的には客の目の前で寝る店員さんより人の言葉を話す針金細工の鳥の方が何事か訊きたいんですけど。なんて風に、一線超えて冷静な突っ込みが頭の中をよぎる。
「だからっ、いい加減頭から離れってっ……」
「うむ。出迎えなさい。我々の、客人だ」
「えっ……あっ」
 寝ぼけながらも鳥の発する言葉を飲み込んだようで、ようやくこちらに振り向いた。
「あら、あはははは、お見苦しいところを」
 お見苦しいとかそういうレベルの問題じゃないと思う。
「ん、コホン。うん。いらっしゃいませ。カフェ&バー、『eben Alles』へ」
 朗らかにそう言う店主と僕、不可思議な鳥の間に、白々しい空気が流れた。

       

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