Neetel Inside ニートノベル
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俺の妹がこんなに正しいわけがない
第四話「雑草」

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 ――例えば、それは俺の世界だった。そして野霧の世界でもあったと思う。
 小さい頃は野霧たちと叢を走り回り、一緒に夜遅くなるまで遊んだ。
 小学校の帰り道の時に林や近所の小さな森の草を良く摂って、食べた。
 俺はこれを「薬草判別家」と呼んでいた。
 何でも口に入れてみたりした。何が食べられる草で、何が食べられない草なのか。
 それを実際に試すのは本当にワクワクした。
 知らない事が知っている事に体験して、世界が変わっていくその様が楽しかったんだろう。
 勿論、新しい草を毒味するのは俺だった。野霧はあくまでも隊員の一人である。
 いつだって危険な任務に先陣切っていくのが隊長の義務なのである。

 ある日、野霧が一番最初に食べたい、食べたいとせがむので、試しに一回食べさせた時に「苦い~」と言ってそのままぺっとはき出してしまった。その後暫く林を駆け回っているうちに、「お兄ちゃん、気持ち悪い……」と言って野霧はぐったりしてしまった。
 その時俺は「いかん。野霧に危険な毒草を食わせてしまった」と思った。ランドセルを放り捨てて、慌てて野霧を連れて家に帰ると、お袋が急いで野霧を病院に連れて行った。
 医者の結論としては、特に毒とかそういう事はなかったらしく、要するにまずくて気持ち悪くなっただけということらしい。

 その日の夜、親父に激怒された。
 しかしながら、親父の野太い声のお説教や石ころのような大きなゲンコツも、俺は大して痛みも感じなかった。
 俺は子供の頃から鈍かったのかもしれない。
 ただそれでも、俺の胸にはちくりと注射針を突き立てられたような痛みがあった。
 それは布団で寝込んで看病されている野霧を見ると、一層強くなった。
 ――「薬草」と「毒草」の判定などと言う大それた任務は野霧隊員にはまだ難しかったのであろう。
 恐らくこの胸の痛みの原因は、その後俺も隊長として責任を持って毒草を食べたからかもしれない。うん、そうに違いない。確かに胸がムカムカするまずさだった。
 通り一辺倒怒られた俺は最終的には一晩物置に閉じ込められた。親父殿容赦なし。
 ちなみにその時は夏だった。蚊に刺されまくったら嫌だなとか思っていたのだが、ふと隅を見ると電池式のベープマットが置かれていた。
 【虫さされに注意しろ。火事対策の為蚊取り線香は控えておいた】と達筆な字が書かれた紙が脇に据えられている。
 親父の字である。おまけに脇にはラップされた握り飯の夜食。懐中電灯。非常事態用のベル。救急セット。悲惨どころかむしろ俺の冒険心をかき立てるものばかりだった。親父の気遣いは謎である。



 翌朝は普段と違い、聞き慣れない金属同士が交わる硬質な音で目が覚めた。
 マットだけは敷いてある、薄暗い場所。
 ――そうだ、ここは物置だった。そう認識すると同時に音を立てていた場所から縦の光が差した。
 鍵の掛かっていた扉をこじ開け、溢れる光の中で得意げになった野霧がいた。
「お兄ちゃん! おとーさんから鍵奪ってきた! ついでに背中にパンチしてきた! すごい痛そうだったよ!」
「そうか偉いぞ!」
「うん! 『ぐおおおお、娘に殴られるとは……』とか言ってたし!」
 野霧の力なんて強くない筈なんだけどなあ……? まあいいか。
「おう。ありがとな。まあ腹にパンチだったらもっと良かったが」
「すごいでしょ!」
「ああ。俺なら速攻で殴り返されてる」
 それを聞いて野霧がしゅんとする。しまったと思った時はもう遅い。
「お兄ちゃん……ごめんね、わがまま言ってごめんなさい……お母さんから聞いた。私のせいで沢山叱られたって……私、もう隊員やめた方がいいのかな……」
「うーん。別にやめなくてもいいんじゃないか? 別に野霧は悪くないしな」
「でも……だって……」
 野霧が言葉を詰まらせて俯く。小さく嗚咽する。
「ほんと昨日、大変だったよね。……それでも、物置とか、酷いよ! 警察の人に訴えてやる!」
 野霧がピンクのサンダルで庭の土をぐりぐりと踏んで怒る。思わず苦笑する。
「いやいや、そもそも親父が警察の人だからな。それに野霧、別にオマエのせいじゃねえよ。昨日なんて隅にいたアリをずっと観察してたらいつの間にか眠っちゃってたから全然大丈夫だったぜ?」
「えっ?」
 野霧が目を丸くする。
「アリって面白いしな! 実はアリには働いていないアリが居るらしいんだぜ? それをフリーライダーという……ふふ……この理論知りたいか?」
 俺は親指を立てて得意げに言った。
「す、すごーい……! うん、知りたい、知りたいよ!」
 野霧は感心したように目を輝かせた。
「薬草判別家は虫研究家でもあったわけだ。最強だろ?」
「うん、最強!」
 野霧が笑った。
「でもな、実は隊員やめる奴には教えられないんだよ。最強の称号って言うのはそう簡単には得られない」
「ええーーーーーーーっ! じゃあやめない! 続ける! 隊員やる!」
「そうか。んじゃまた今度行くか。でも最初に草を食べるのは隊長だぞ?」
「分かった!」
 野霧は満面の笑みを浮かべた。野霧が喜んだ。良かった。

 そして俺はとりあえず風呂に入りたかった。
 何故かって、そりゃあ親父の防災グッズに制汗剤はなかったからさ。

**

「――って言うことが昔あったよな」
「ふふ、懐かしいね。野霧ちゃんあの時大変だったよね。でも、きょーちゃんがそんなに怒られてたって言うのは初耳だったかなあ」
 マミナがふんわりとした声で返す。
 体から畳の匂いをさせ、ゆるゆるとした空気をまとっている。
 眼鏡の奥の人懐こそうな瞳はひょっとして他人を安心させる効果があるのかもしれない。
 何だかゆったりとした気分になる。

 ネコクロ達と別れた後、俺はマミナと一緒に下校中していた。丁度委員会があったらしく帰り際に出会したのだ。俺は図書館に用事があったので先に帰ってくれと言ったんだが、「一緒に探すよー」と言ってくれたので手伝ってもらった。何だかんだでマミナには本当に世話になっている。
「俺、ほんとオマエに頼りっぱなしだなあ。……ありがとな」
 やっぱりちゃんとお礼は言っておかないとな。マミナは赤面して鞄をぱたぱたとさせる。コイツは喜んでる時こんなこと良くしてる気がする。多分。
「う、うん。っていうか、さっきの昔話だけど……わたしその時だって大変だったんだからね! 何で話に全然出てこないのー?」
「えっ?」
「えってーーー! きょーちゃん。『ランドセルを頼む!』って言って野霧ちゃんを連れてわたしをほっぽって帰ったんじゃないー」
「え? そうだっけ?」
「そうだよー! ぷんすか」
 ぷんすかという単語に意味はない。マミナはオノマトペ大好き人間なのである。
「っていうか、よくよく考えてみればわたしも薬草判別家の結成時点で居たよ。わたしもメンバーの一人だったじゃない! よく考えてみると今の思い出話って一瞬も私出てきてないよね? 完全に忘れてたよね。酷いよー。ぷんぷん」
「あ、ああ。すまん。そういやあの日出掛ける前に食ったオマエの婆ちゃんが作った和三盆うまかったよ」
「和菓子より印象薄いのわたし!?」
「す、すまん。それと、今日はやらなきゃいけないことがあったんだ。わざわざ付き合ってくれてありがたいけど、これ以上は悪いから」
「……うん」
 マミナからすとんと表情が抜ける。こいつはいつもにこにこしているから、真剣そうな顔になると何を考えているのかちょっと掴めない。いや他の奴らもほとんど掴めないんだけど。
「きょーちゃん。わたしは今のまま、不器用なきょーちゃんのままでいいと思うの」
「いきなりなんだよ? 不器用とか。事実かもしれんが」
「ううん。聞いてきょーちゃん。誰かの生き方を縛る権利なんて、誰にもないと思う」
「別に縛られてないぞ俺は」
「……。きょーちゃんは助けられてばかりって言ってたけど、それは違うんだよ。助けられている人は必ずどこかで助けている」
 それを聞いて俺はため息をついた。自嘲気味に、
「いやさ。実際俺、何も出来てねえみたいだし……そもそも今家がヤバイって事すら最近知ったわけだし……流石にアホすぎだろ」
 マミナは強く首を振った。
「違うの。……きょーちゃんはね、『気づかないことが出来る』んだよ。それは他の多くの人には出来ない。だからわたしはきょーちゃんのことが好きなんだよ」
「え? いきなり何いってんだマミナ」
「この世界には色んな人が居る。でも、無条件で強い人なんていない。強く見える人は、強がってるだけだよ。わたしも、きょーちゃんも、みんな同じ。ずるいし、弱いんだよ。逃げ場がある限り、人は逃げる。そしてそれは悪いことじゃないんだよ」
「……? まあ難しい話だから俺が全部わかんねーって事を分かっている前提か?」
「うん」
 マミナは瞳を閉じて、にっこりと笑う。
「忘れないで。わたしはいつでもきょーちゃんの味方だよ。だから……無理に変わろうとしないで」
 手を振ってマミナと別れた。

 ――適当に会話を合わせることには慣れているつもりだが、今回は特に会話が噛み合ってない気がした。普段はもう少し分かりやすいことを言う奴なんだけどなあ。
 そして何となくゼナとネコクロのやりとりを思い出した。服とか、プログラムとか。
 目に見えるモノを作るって、すごいな。努力家って言うのはあいつらみたいな奴のことを言うんだろう。

       

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