Neetel Inside ニートノベル
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「あ? ……なんつった今」
 野霧がチンピラ宜しく声を荒げる。
 その声量を抑えた怒声に対しても、マミナは態度を変えることもなく、目を閉じてすうっと深呼吸して流れるように言う。
「野霧ちゃん。今までだったら黙ってたよ。でも状況が変わったから。野霧ちゃんのお義父さんはもうクビになったんだよね? パートに入っているお義母さんの給料だとせいぜい毎月の家のローン返済と食費だけで精一杯じゃない? わたしの家にムコ入りすればきょーちゃんは全く問題なく幸せに生きていけるんだよ? お義母さんだってそれを望んでいるからこそ、私のことをごり押ししているんじゃないかな? 野霧ちゃんはお義母さんの真意が分からないほど冷たい子じゃないよね?」
 言い切った後、可愛らしく小首を傾げるマミナ。今までにない反撃に、野霧は唖然としていた。その後ぶるぶると震えて顔を真っ赤にして言い返す。
「ア、……アンタは働いてないでしょうが! 狂介はアタシが養うッつーの。今だって読モの金の一部はお母さん経由でコイツのためのエロゲに使ってるんだから! んな高くて役に立たないモン見たくもないのに!」
「え? お袋の小遣いってお前経由だったの?」
「狂介は黙ってて!」
 黙ることにする。マミナは野霧の喧嘩腰の言い方に対しても優しい微笑みを崩さない。
「野霧ちゃん、きょーちゃんのためにゲームにあんまりお金使わない方が良いよ? そういうのを【貢いでる】って言うんだよ。稼げるのなんて今だけだから貯金しておいたら? ずっとモデルなんか出来る訳ないって自分でも分かってるでしょ? 現実を見ようよ。それに比べてうちなんかは自営業だけど地域の学校に十年来の繋がりがあるから年間売上高もすごく安定してる。家だって菓子屋だけど貸家じゃないよ。まあ、口で言っても同じだけどね」
「……そ、それなんかアンタの努力とかじゃないじゃん! 家がたまたまそうだったってだけでしょ! 何調子に乗ってんの!? ばっかじゃないの!?」
 言ってやったというように野霧は顎を上げてベッドの上のマミナを見下す。マミナはその批判の網をするりと抜けるように、
「そうだよ。たまたま恵まれていた。だから調子に乗るんだよ。それがどうかしたの?」「だ、だから……そういうのってズルいでしょ! 不公平じゃん!」
 胸の前で両手を握りしめて言う野霧に対して、マミナはきょとんとする。 
「ズルい? 何言ってるの? 世の中が不公平なのは当たり前じゃない。お金と親がそこにあるんだから活用するのは当然でしょ? 容姿や運動神経と同じように、与えられた環境だって実力のうちだよ。私は私の努力をしてる。野霧ちゃんには分からないかもしれないけどね。一体その何が悪いの?」
「……うるっさい!」
 これ以上聞きたくないと言ったように首を振る野霧をさして気にするふうでもなく、いつもと同じように柔和な微笑みをたたえたマミナが続ける。
「野霧ちゃんだって最初からもっとお金のない家に生まれたらお洒落なんて出来なかったんじゃない? お金がなかったらその自尊心だってなかったかもしれないね。猫背で暗ーい感じで歩いてたら読モでデビューなんて出来なかったんじゃないかな? 陸上部のスパイクは最初に誰が買ったの? 何かを出来るということは恵まれていたこそ出来ることだよ。自分の恵まれた環境や才能を棚に上げて他人を頭ごなしに批判するのは良くないよ」
 マミナの言い方は、子供に諭すようだった。野霧は歯ぎしりしながら顔を落とす。その表情は伺えない。
「……アタシより頑張ってないくせに。何もしてないくせに偉そうに……!」
「私は最低だと思われても別に構わないよ。……でも、きょーちゃんには幸せになって欲しいから。それは本当だよ」
「はっ。アンタは『自分のため』に言ってるだけでしょ!」
「私ときょーちゃん、お互い幸せになれれば一番だよね。野霧ちゃんはこれからどうするのかな? 芸能人でも目指すの? 努力で出来ることと出来ないこと、多少世間を知っている野霧ちゃんだったら『今の自分の立場』でどれだけそれが難しいことくらい分かるよね?」
 野霧は歯ぎしりをしながら、
「……くっ! 家なんか別にどうでもいいし! アパート借りて狂介と二人で暮らすから!」
 アパートを借りて俺と何で暮らすんだ? 俺は思ったが、マミナは人差し指を下唇に当てて考え込むようにした。
「ふうん。野霧ちゃんがどうでも良くても家族は大丈夫なのかなあ? 今頼られてるんじゃないの? これからもお義父さんの再就職先はまず見つからないと思うよ? 調べちゃえばすぐに分かっちゃうしね。ローンが残った家はどうするの? 組んだローンは固定、それとも変動なのかな? 土地ごと競売にでもかける? 忘れているのかも知れないけど、ここは千葉市だよ。世間的に地盤沈下が不安がられている現在じゃ地価の下落も激しいから、大方売り払っても借金しか残らないんじゃないかなあ……? 優しい野霧ちゃんは借金で一家離散してもいいのかなあ?」
「……」
「まあ、きょーちゃんのことは私に任せておいて、ね? そもそも半年間のきょーちゃんの受験勉強のための費用だけでも考えたら馬鹿にならないよ? その点、私がやってあげれば全部解決だから」
「べ、勉強くらい一人でやれば良いでしょ! アタシが見張ってるから!」
「ダメだよ。野霧ちゃん、きょーちゃんと二人きりでいたら何するか分からないじゃない」
 笑って言うマミナに、野霧は瞬間赤面し、眉を吊り上げて怒声で返す。
「ア、アンタに言われたくない!」
「まあそうかもしれないけど。どっちにしたってきょーちゃんに一人で勉強するほどの自制心なんてあるわけないじゃない。八月の公開駿台模試だって、きょーちゃんの第一志望の千葉大、普通にE判定で偏差値30だったよ。英語なんか名前書き忘れてたし。まあ書いたところで普通に0点だったけどね」
 ……ん? 俺、もしかして馬鹿にされていないか? マミナが淡々と続けるのを聞いていたが、多分酷く言われている気がする。E判定という単語が出てきたので分かった。流石にちょっと気になったので、マミナに確認する。
「お、おい……マミナ、お前一緒に志望校頑張ろうって言ってたじゃないか?」
「うん。私は余裕のA判定だからね。これから半年間、一日中手取り足取り教えてあげるよ。きょーちゃんは浪人前提だけどね」
「え!? 浪人前提だったの俺!? だってあと三十点くらいだろ!? 確か!」
 苦笑するマミナ。
「三十足りないのは得点じゃなくて五教科全部の偏差値だよ? ……っていうかね、別に勉強なんて出来なくていいんだよ? おいしい和菓子が作る方が遥かに難しいし、大変なんだから。あ、そうだ。来週からうちで職人の修行する? そしたら私も受験やめて一緒にいられるし」
 俺の両手をぎゅっと握り締めてくる。
「そ、そうか。勉強好きじゃないしな……。そういうのも悪くないかもな」
 ベッドの横で、「そうだよ」と言ってマミナがてへへと笑うのをみて、不覚にもなかなか可愛いなこやつと俺は思ってしまった。それを見たのか野霧は、
「でれでれしてんじゃないっ! アンタ、馬鹿にされてんのよッ……! うちが馬鹿にされてんの! 何で怒らないの!? 怒れっつーの!」
「す、すまん。話題が難しくてついていけなくて……」
「高校生でしょッ! ニュースくらい見ろッ! 馬鹿ッ!」
 野霧の飛んでくる怒号に俺はとりあえず謝ることにした。あんなつまらないもの誰が見るかと思ったが、またグダグダ言われるに違いない。三十六計黙るに如かずだ。確か。
「いい加減ベッドから出ろ! 一緒にいるんじゃないッ!」
「お、おい。うわっ!」
 野霧に腕を思い切り引っ張っられてベッドから引きずり下ろされる。
 それを止めもしないでにこにこして汗だくのマミナが続ける。この角度からだとマミナのパンツが見えそうなのだ。マミナがこっちを見て、
「……もう。きょーちゃんはえっちだね」
 マミナが顔を赤らめる。気づかれてる……だと?
「おい、別に見ようとしている訳じゃ」
「な、何? 何かしたのアンタ……?」
 困惑した表情で尻餅をついた俺を野霧が見る。
「いや。別に何も」
「……。まあ、あとで聞き出すからいいわ……。とにかく、狂介は和菓子職人になんてならないから! 大学に行くの。変な道に誘わないで!」
「変な道かどうか決めるのはきょーちゃんだよ。……話を続けるよ? で、警察官って言えば、普通の職業よりも犯罪者に対してずっと厳しいよね? 身内から出ちゃったんだもんね。体裁から考えて、お義父さんみたいな叩き上げに退職金なんか出たのかな? 話題が話題だけあって、相当ニュースにもなってたし。ちょっと厳しいかったんじゃないかな? 元々野霧ちゃんも散々ビッチだって2ちゃんで叩かれてたから、そういう情報がどれだけ実生活に影響が出るかは分かるよね?」
「! ……あんなの、有名税だから! 気にしてないし!」
「さて。野霧ちゃんが気にしなくても世間はどうなんだろう? セブンティーンもコンビニで一応チェックしてるんだけど、あれから数ヶ月は読モとして全く掲載されていなかったよね。それって野霧ちゃんじゃなくて事務所が自重してたんじゃないかな? ほとぼりが冷めたのか、……それとも誰かが手を回したのか、今ではちらほら見るようにはなったけど。まあ、そういう訳で現在家庭の大黒柱であるところの野霧ちゃんの収入源は生活費に充てた方が良いんじゃないかな? 私からはそんなところかなー」
 マミナ先生のクソ長い講義が一通り終わったらしい。こんなに喋るところなんて初めて見た。
 野霧は顔を青くして瞳に涙を溜めて。必死で何かをこらえているようだった。
 俺は一気呵成に喋る二人を見て思ったよ。

 ――難しくて訳分かんないって。

       

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