Neetel Inside 月刊コミックニート
表紙

日本サッカー風雲録
日本サッカー略史

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【1870年代】
在留外国人よってサッカーが伝えられる。ラグビーと分裂前のサッカーか分裂後のサッカーだったかは不明。

【1880年代~1900年代】
1900年前後から全国でサッカー部の設立が始まった模様。

【1910年代】
第1次大戦のドイツ人捕虜からサッカーの指導を受ける。日本とドイツのサッカー交流の原点。
17年極東大会に初参加。結果は散々だったがサッカーが普及するきっかけとなる。

【1920年代】成長の時代
ミャンマー人留学生チョー・ディンの指導をきっかけに技術・戦術が飛躍的に成長。
大学が日本サッカーの最高位となる。それ以前は師範学校や中学校で盛んなスポーツであった。
27年極東大会でフィリピンに勝利し、日本代表初勝利を挙げる。

【1930年代】栄光の時代
30年極東大会で中華民国の引き分け、同時優勝。
36年ベルリン五輪で優勝候補スウェーデンを撃破。

【1940年代】断絶の時代
第2次大戦の影響で競技中断。技術・経験の伝承が断たれる。

【1950年代】苦難の時代
戦争の影響でレベル低下、復活を試みるも悪戦苦闘。

【1960年代】栄光の時代
長らく日本サッカーの頂点であった大学から実業団に覇権が移る。
64年東京五輪に向けた強化のために西ドイツに教えを請うことを決定。デットマール・クラマーがコーチになる。
クラマーの提言で旧態依然としていた日本サッカー界の改革開始。日本リーグが誕生したり、指導者のライセンス制度が整えられるなどする。
64年東京五輪ベスト8の快挙。杉山隆一が南米のプロからオファーを受ける。
68年メキシコ五輪銅メダルの快挙。釜本邦茂が大会得点王。
サッカーブーム到来。
過密日程がたたって釜本がウイルス性肝炎で倒れる。釜本を失った日本は70年W杯出場を逃す。

【1970年代】冬の時代
日本代表だけが強くなっただけであり、代表メンバーもほぼ固定した少数精鋭強化が仇となって世代交代に大失敗。サッカーブームも短命に終わり、冬の時代に突入。
奥寺康彦が西ドイツで日本人初のプロサッカー選手に。

【1980年代】続・冬の時代
86年W杯アジア予選で韓国に勝てばW杯出場となるも既にプロ化していた韓国に完敗。アマチュアの限界を痛感してプロ化へ動き始める。

【1990年代】
93年Jリーグ開幕。サッカーが一躍メジャースポーツとなり、環境が劇的に変わる。
98年W杯初出場。
99年ワールドユース準優勝の快挙。

【2000年代】
00年アジアカップで圧倒的な優勝。
02年W杯開催。日本代表はベスト16の快挙。
中田英寿を筆頭に海外のクラブで活躍する選手が増え始める。

【2010年代】
10年W杯ベスト16の快挙。
欧州の強豪クラブでプレーする日本人がいることが珍しくなくなり始める。

       

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