Neetel Inside 文芸新都
表紙

お題短篇企画
関の戸/橘圭郎

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   『関の戸』

 まだまだ残暑を感じる時節について、六人の男女が、三重県は伊勢へと参っておった。彼らは同じ文学サークルに所属する学生達であり、長い夏休みを利用して遠征に来たのである。
 部長の六本松という男が「みんなで合宿っぽいことしたい」と提案したのを皮切りに、次々と賛同者が現れて、最終的には彼と同学年にして副部長でもある一之瀬という女が「じゃあ、お伊勢参りに行こう」と言って取りまとめたのだ。彼女の祖母と縁のある土地なので、そこなら自分が皆を案内できるからという。
 もちろん合宿とはいっても名ばかりで、実状は、創作そのものよりも創作談義のほうに力を入れがちな緩い仲間内での観光旅行であった。

 新幹線と在来線を乗り継いで伊勢市駅に到着すると、さして人も多からず、大都心から初めて来た者にとっては、とても慎ましやかな印象の町並みに思えた。一之瀬が小さい頃にはまだ駅前に大きな百貨店があって、もっと沢山の人が行き交っていたそうだが。
 しかしそれはあくまで流行り廃りのはげしい俗世の出来事。一晩泊まってから神の社に向かえば、朝のうちからバスさえ満員で、降りれば参詣観光者の往来がはげしく、特に大きな神事や催しの無い時期にも関わらずこの賑わいはさすが、天津神のなかで最も気高き神様のおわしますところだと感服の至り。
 そして六人はお参りを済ませて、お守りを買ってから、当初の予定通りに遊び歩いた。おかげ横丁に繰り出して、酒蔵できりっとした日本酒を試飲してすぐさま買い込んだり、縁ある俳人の記念館で感嘆の息を漏らしたり。あれやこれやと食べ歩いたり。

 さて、そんな彼らが立ち寄った食事処のひとつにて、メニューを眺めていた六本松が疑問の声を上げた。
「なあ、この『関の戸』って何なんだろうな?」
 多くの場合、名前とは物の体を表すものである。だからその名を知れば大抵は、それが如何なるものか想像がつくものだ。
 例えば「伊勢海老」といえば、名に伊勢を負うだけあって、もう言わずと知れた伊勢湾の名海産物である。歯ごたえあり、旨み充分、さらには見た目にも格好良しと非の打ちどころがない。他にも「伊勢うどん」は伊勢のうどん。箸で簡単に切れるほどくたくたになるまで茹でた麺を、甘辛いタレに絡めて食べるものだ。揚げたての天ぷらが一緒だとサクサクの食感が程よいアクセントになって飽きが来ない。また「松阪牛」といえばもちろん松阪で育った牛のことであり、香り高い脂と肉のやわらかさは極上の一言に尽きよう。「かた焼き」は伊賀忍者の携帯食が元になったとされる、日本一硬いせんべい。緑茶に漬けたり口の中で転がしたりしてふやかせば、じんわり甘みが身体に染み入ってくる。「さめたれ」は鮫の干物。凝縮された肉の旨みとみりんの風味が、ご飯のお供に、酒のつまみにとても合う。
 だが、こればかりは想像が及ばない。
「『関の戸』……?」
「ああ、それ? この辺ではけっこう有名なお菓子よ。そういう名前の、お餅みたいなの」
 六本松が改めて眉をひそめると、一之瀬がそれに答える。
「一之瀬。それって『赤福』とは違うのか?」
「うん。『赤福』はさ、こう、餅の上にこしあんを塗った感じでしょ? でも『関の戸』は、こしあんを求肥(ぎゅうひ)で包んで、その上に和三盆をまぶしてあるのね」
「へぇ、先輩、それは美味しそうですね」
 一之瀬が手振りを交えて解説すると、六人のなかでは最も後輩の背高男・五条が関心を示してきた。
「美味しいよ。五条くん、後で食べてみたら?」
「でも俺、これどっちにしようか迷ってるんですよね」
 今は甘味の『関の戸』について話していたはずだにも関わらず、そう言って五条が広げて見せたのは、麺類のページであった。
「俺としては、温かいにゅうめんが食べたいんですけど、こっちの、極細のそうめんも捨てがたいんですよ……」
「僕もね、それは思ってた」
 腕を組んで頭をひねる五条に、対面に座っていた男・四谷が同意する。
「どっちにしましょうかねぇ~」「どっちにしようかなあ……」
「四谷くん。五条くん。両方を頼んじゃえばいいんじゃないかな?」
 メニューを決めかねて、うんうん唸っている男二人。それを遠巻きに眺めてツッコミを入れたのは、四谷と同期の女・三井であった。
「そうか、その手があったか!」
「あ、じゃあ四谷。それ、俺も貰っていい?」
 その指摘で目からウロコが落ちたような四谷に、OBの二木が便乗し、極細のそうめんは男三人で分け合うことに相成った。

 こうしてそれぞれ注文したものを食べ終え、やや雑談を進めると、今度はデザートが欲しくなってくる。
「次、なにか甘いもの食べようか。ほら三井。季節のアイスなんてのもあるよー」
「先輩。私もそれ食べたいです」
 一之瀬と三井の女性陣がアイスクリームに心惹かれていると、同じくメニューを開いていた五条が身を乗り出してきた。
「そうだ。一之瀬先輩?」
「なあに、五条くん?」
「この、デザートのところにある『関の戸』ってどういうのか分かります?」
「……はぁっ!?」
 後輩からの質問に、思わず一之瀬は声を上ずらせた。
「いや、だから私、説明したじゃん。こしあんを求肥で包んで、上から和三盆をまぶしたやつだって」
「へぇ、先輩、それは美味しそうですね」
「五条。全く同じ台詞をさっきも言ってなかったか?」
「え、そうでしたっけ?」
「ちゃんと話を聞いてろよ! ってか、自分の発言を憶えてろよ!」
 素っ頓狂なことを口走る五条には、四谷からの厳しい注意が飛んだ。
「なあ三井。五条って、いっつもあんな感じなの?」
「ええ、まあ、大体こんな感じです」
 他方で、二木が三井に耳打ちをしていたりもした。
「本当だよ。温厚な四谷くんがここまで言うのって、相当だよ? ねえ、四谷くん?」
「そうですよ。毎度のことながらこいつ、五条はもう――」
 五条へのお小言に一之瀬も加わると、呆れていた四谷の顔が不意に引き締まる。
「ところで先輩……『関の戸』って、何ですか?」
 そして一拍の沈黙の後、爆笑が起こった。
「四谷くんまで! だーかーら、こしあんを求肥で包んで、和三盆をまぶしたやつだってば。っていうか、分かってて言ってるでしょー。このタイミングでぶちこんでくるかー」
「面白い。四谷、面白いよそれ。座布団一枚」
「繰り返しの妙だね。四谷くん。これは小説のキャラの掛け合いに使えるね」
 一之瀬が卓に突っ伏し、二木と三井が笑いながら感心した。
 対して当の四谷は、つられたように微笑みを湛えているだけだった。
「へぇ、先輩、それは美味しそうですね」
 五条は再びこの台詞を言い、六本松はひとしきり笑ってからは特に何も発言しなかった。

 宿に戻ってひと休み。すると程なく夕食の時間が迫ってくる。
 予約していた小料理屋に到着すると、それまで和気あいあいと話し込んでいた六本松、五条、四谷の男三人が、何故か急に会話を止めた。だが一之瀬は、三井ときゃいきゃいはしゃぎながら、美味しいお酒と料理への期待で胸をふくらませていたので、六本松たちの様子には注意を払っていなかった。
 座敷に案内され、六人で食卓を囲む。
「さーて、なに食べようか。三井、気になるのある?」
「そおですねえ……」
 一之瀬から手渡されたメニューをぱらぱら開き、やがて三井は、あるページに目を留めた。
「あの、先輩?」
「なあに、どれ? 美味しそうなのあった?」
「はい。あ、この……」
 そして一之瀬にもそれが見えるよう指差し、不思議そうに口を開いた。
「この『関の戸』って、何ですか?」
「……えっ?」
 一之瀬の動きがぴたりと止まる。
 彼女は今日だけで、もう三回も『関の戸』について訊かれていた。
 一回目は何もおかしなところの無い、ただの質問だった。
 二回目は、あまり話を聞かない人間の物忘れだった。
 三回目は、コントじみた天丼のギャグだった。
 ではこの四回目には、どんな意図があるんだろう。何のつもりで、彼女はこれを訊ねてくるんだろう。
 一之瀬はその真意を窺うように、三井の顔を覗き込む。眼鏡の奥にある彼女の瞳には、冗談らしいものは映していないように思えた。だからこそ返答に困った。
「えっと、その『関の戸』っていうのはね。こしあんを、求肥で包んで、和三盆を……まぶしたやつだよ」
 さっき言ったでしょと無下にすることもはばかられ、探りさぐり、一之瀬は同じ説明の四回目を口にする。
「へぇ、先輩、それは美味しそうですね」
 五条の反応も全く同じく四回目であった。
「うん。美味しい、よ?」
「おいおい、なんだよこれ。全然笑えねえぞ」
 まだ戸惑っている一之瀬に代わって、文句を言ったのは二木である。
「繰り返しってのはな、やっぱ三回が限度なんだよ。それより多くやっちゃうと、しつこいだけなんだよ。その辺りをさあ、空気ってものを読まないとダメなんだよな」
 それから彼の半ば説教めいた創作論が展開されるのだが、それを受けている六本松、五条、四谷、三井の四人は、その間ずっと、何を言われているのか分からないとばかりにきょとんとしていた。
「なあ、一之瀬。三井って、いっつもあんな感じなの?」
「いえ、あの子は普段から気遣いができて、変な冗談を言ったり人を困らせたりする子じゃないんですけど……」
「でもなんか、変な感じだよな?」
「はい……」
 落ち着いてから二木は一之瀬に耳打ちし、彼女は自分が思うように答えた。それからずっと、一之瀬の胸の内には妙な不安感が湧いていた。
 やがて酒と料理が運ばれてくると、二木は気持ちを切り替えたらしく、以降は『関の戸』の話題に触れようとはしなかった。他の四人も、何事も無かったかのように振舞っていると一之瀬の目には見えた。

 翌日になると、朝食は旅館が用意したものだったから問題無かったとして、昼頃に一之瀬の嫌な予感は的中してしまう。
 レストランのドアを開けて中に入ると、六本松、五条、四谷、三井らの話し声がぴしゃりと止んだ。そして全員が席に着くなり、メニューを手にした二木が当然の如く言うのだ。
「なあ、一之瀬?」
「は、はい」
「この『関の戸』って、どういうのなんだ?」
「え、っと……。二木さん? ウソですよね?」
「何が?」
「何って、その……」
 言いよどむ一之瀬に助け舟を出す者はいない。
「あれ私、昨日、説明しましたよね? っていうか、みんな食べてましたよね?」
 同意を求めても、誰も首を縦に振らない。ただただ静かに、皆が彼女の答えを待つのみだ。
「だから、その、あれですよ……こしあんを、ですね。求肥で、包んで……和三盆をまぶした、もの、ですよ?」
 一之瀬が目を泳がせながら言い終えると、毎度の通りに五条が続く。
「へぇ、先輩、それは美味しそうですね」
「う、うん。美味しい……よね? ってこれ、みんな、わざとやってるんだよ、ね?」
 段々と状況がおかしくなっていることを察した一之瀬が「分かったから、もうふざけるのは止めてよ」と請うのだが、五人は顔を見合わせて「わざとって、何の話?」「さあ……?」と小首をかしげるだけだった。
 このときの昼食は、一之瀬には嫌な胸騒ぎが大きくなり続けていたので、何を食べても味気なく感じられて仕方がなかった。何を食べたのかもよく覚えていなかった。その一方で、他の五人は差し障り無く食事を楽しんでいたようだった。

 店を出てから少しして、一之瀬はおずおずと皆に提案をした。
「あのさ。この合宿、明日までの予定なんだけど、一日早めて、今日のうちに帰っちゃわない?」
「え、でもさ、帰りの新幹線、明日のチケット取っちゃってるんだろ?」と訝しげに二木。
「はい……じゃあせめて、今日の晩ご飯は、外へ行かずに済ませません? 出前をとるか、コンビニで何か買うかして」
「先輩、具合でも悪いんですか?」と心配そうに三井。
「そうじゃ、ないんだけど……」
「ひょっとして、お金が無いんですか?」と哀れんで四谷。
「違うよ。あるよ。あるけど……」
「だったら今夜こそ伊勢海老食べましょうよ、伊勢海老!」とやかましげに五条。
「もう……分かったよ。でもどうしてもっていうんなら、行くお店は私に決めさせてよ」
「なんだ。やっぱり乗り気なんじゃないか」と嬉しそうに六本松。
 こうして話しているうちは、本当に彼らに変わった様子はなく、むしろ一之瀬は、自分はさっきまで何を恐れていたのだろうという気にさえなってきた。

 夕食時に一之瀬が選んだ海鮮料理屋ののれんを潜ると、それを堺に、やはり彼女以外の全員が揃って口を閉じた。一之瀬が「この店、いい感じだねー」などと話しかけても返事をせず、皆は無言のまま、ぞろぞろと席に着いた。
「何……食べよっか?」
 一之瀬が問うと、六本松は黙って開いたメニューを滑らせてくる。
「えっ……なんで……?」
 そのページを見て、彼女は愕然とした。
 席の予約をする前に、空いた自由時間でわざわざこの店に足を運んだ。そうまでして、ここにはそれが無いことを確かめたはずだったのに、目の前にはしっかりと、あの銘菓の名が書かれているからだ。
「『関の戸』……」
 ぼそりと一之瀬がつぶやいた瞬間、五人の視線がぞろりと彼女へ向いた。肩を縮めて顔を上げれば、彼らの瞳は一様に淀んだドブ川の底を彷彿とさせるものと見えた。
「あ、あの、さ……私、みんなに何かした?」
 誰も答えない。
「私……気づかないうちに、みんなを怒らせるようなこと、しちゃってた?」
 何も動かない。
「それとも、あれ? もしかして、伊勢に来たくなんかなかった?」
 否定も肯定もされない。
「ねえ。ねえってば」
 じっと見詰められている。
「……何か言ってよ!」
 堪らず怒鳴り、机をたたいて立ち上がった。
 そんな一之瀬に、他の客や店員さえもが、無感情に徹した目を向けてくる。
「…………」
 ここに至って一之瀬は、ひとつの諦めと共に力無く腰を下ろし、膝の上で拳を作った。
「あの、みんなにちょっと訊きたいんだけど、さ」
 そして、震えながら唇を開く。
「ねえ……『関の戸』って……なあに?」

 すると数拍置いて、五人の顔が一斉に、にこりと綻んだのだ。



  おしまい

       

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