Neetel Inside 文芸新都
表紙

お題短篇企画
田舎におけるコンビニの有用性とそれに携わる作業員の人間関係の個人的分析とその結果/只野空気

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『田舎におけるコンビニの有用性とそれに携わる作業員の人間関係の個人的分析とその結果』
 
 24時きっかりで閉まるようなよく分からない名前のスーパーしか存在していなかったこの町では、それはそれは大きな開店セレモニーが行われた。たかだかコンビニのオープンだけで町長が式辞も送る。俺としてはそんなものゴミ同然だったのだが、捨てるわけにも行かずとりあえず店の一角をつかってその式辞を飾ったりしてみた。今はもうない。たぶんどっかに片付けたと思う。
 基本的に年中無休の24時間営業。現代文化だ、ヤックデカルチャーが町に来たぞ。と押し寄せた町民はまるで万博で外国人を見た時のように意味も無くシャッターを切り、それを自慢して歩いていた。
 話題沸騰のわが店舗の売り上げは、龍のごとく天を突く勢いだった。おかげ様で新米店長が仕切る当店舗は、半期エリア売り上げトップ。なんて表彰状をもらう羽目になった。
 店長の俺としては業績が高くてうれしい。と、思いたいところだが、変に好成績を残したものだから今から来期末の事で頭が痛い。それに、加えて出来てすぐトップを掻っ攫った俺の手腕を一目見ようと本部の人間がたまに査察しに来たりもしてしまう。
 びしっとしたスーツの他店店長どもは一様に何を盗んでやろうかと目を皿にして俺の店を物色するのだが、結局皆、狐につままれたような間抜け面で唸りながら帰っていく。
 当然だ。なにせ、工夫らしい工夫はない。むしろ、スーパーみたいに野菜やら卵を頑張って仕入れるわけでもなければ新しいセールをやるわけでもなく、元気よく店頭で呼び込み。なんてのも無駄だ。強いて言うならばよりコンビニらしく振舞っていると言ったところか。
 だいたい、夢半ばにして敗れ、ヘロヘロとサラリーマン。上司にうだつの上がらない毎日に嫌気が差して、脱サラ。心機一転で30過ぎの雇われ店長ジョブチェンジした俺に何を期待すると言うのだ。
 それでも何とか秘訣をと引き下がるしつこい奴には、「餅まきとかしましたよ。パートさんの希望だったので」と言ってやると目を点にして苦笑いを浮かべた。
「あ、店長。おはようございます」
「あー樹<いつき>君。おはよー」
 夜勤明けのぼんやりとした頭に透き通ったハスキー目の声が心地よく響く。
 身長があまり変わらないと言う事でふとした瞬間でぶつかる生き生きとした目線が俺には辛かった。
「今日も眠そうですね」
「まーねー」
 あふと欠伸をかみ殺す中年とは対照的に、田舎の子というのはすこぶる素直だった。オープンからバイトとしてこの店に勤めている岩代<いわしろ>樹君も例に漏れず、とても良い若者といった感じで怠惰と惰性で生きてきた俺にはちと眩しい存在ではある。
 今日も朝早くから出勤した樹君は、その実大学生らしいのだが、毎日のようにシフト内に存在している。もっというとシフト外にも存在していたりする。試しに一週間観察してみたのだが、どうやら深夜を除いてほぼ毎日のように顔を出していた。勤務時間はもちろんバイトの中で一番。一体いつ学校に通っているのだろうか。
「すぐに着替えますね」
 そう言ってニコリとそこいらのモデル顔負けの爽やか物質を放出しながら真っ白な歯を覗かせた樹君は、そのままバックヤードへと消えてゆく。
「お待たせしました」
「んー」
 わずか数分でバックヤードから出てきた樹君はそのまま店内のチェックを開始する。まだバイト開始の時間じゃないというのに熱心な事である。
 俺はというとそんな樹君をぼんやりと眺める。なにせ仕事はあまりしたくないのだ。
 それにしても樹君は今日もパンツルックがよく似合っている。黒の制服は地味だが、かえってそれが着ている人間の素材を生かすようめいいっぱい目立っているし、初めは染め直すように指導しようと思った明るめのブラウンの髪も逆に、気さくそうな雰囲気を演出している。事実、樹君に言い寄っている女性は多い。
「いらっしゃいませー」
「おー樹ちゃん。今日も元気じゃね」
「ありがとうございます。治五郎<じごろうさん>もお元気そうで何よりですね」
 入店チャイムが聞こえると同時にニコニコと品出しの手を止め、入店したご老人と談笑。
 見よこの接客態度を。都会だったら談笑どころか客の名前を覚えている事などありえるはずがない。
「おや。またごろーさんは樹ちゃんに会いに来たのかい?」
「あ、佐々木のおじさんもいらっしゃいませ」
「おーおー樹ちゃんの出勤と重なるなんて今日はラッキーデイじゃのう」
 ピロリローンピロリローンと次々ご老体が入店してくる。もちろん皆、樹君狙いだ。駐車場では淡白い制服を身に纏った付き添いの介護士連中が苦笑いを浮かべ、ペコリと申し訳なさそうに頭を下げる。何人かは樹君に視線が釘付けである。
 毎度の事なので、俺も帽子を取って頭を下げる。
 えっと、あの人の名前はなんていったか。よく見るような気もするし何度か話した覚えがあるのだが、どうも覚えられない。
「あれ? 清子<きよこ>さん。今日はお越しになってないんですか?」
 それに比べどうだろう樹君は。この老人達の顔と名前をしっかりと覚えている。
「清子さんなら今日は腰の具合が悪いからって朝から寝てるよ」
 老人の一人が答えた。たぶん、なんとか五郎さんだろう。
「まぁ、それは心配ですね」
 ふむふむと顎に手を当て考え込む樹君。どちらかと言えばかわいいよりカッコいいに分類される整った顔立ちは、それだけで絵になった。ああ介護士さんが携帯を取り出している。いいのかそれは。
「今日は近くのドラッグストアでシップが安売りだったと思いますから、ぜひ買っていくといいと思いますよ。治五郎さん」
 意味ありげに笑う樹君。外から黄色い声が上がった。
 それにしても、一応近くに老人ホームがあるからってわざわざシップを並べたと言うのに、それは無いと思うよ樹君。
「い、樹君。ほら、うちにもシップあるよ」
「あ、そ、そうでした」
 ハハハと困ったような笑顔を浮かべる樹君だが、そもそも俺が薬剤師の免許を持っているというのをどこからとも無く嗅ぎつけ、無理やりシップを店頭に並べられるようにしたのは他ならぬ樹君なのだから忘れてたなんてことはないだろう。
「ま、いいけどさー」
「す、すいません」
 本当に気にしてはいなかったのだが、店長と言う体面上一応形だけはとっておかないとまずい。なにせ、それくらいしか俺にこの店での存在価値を見出す事ができないのは甚だ<はなはだ>もって遺憾なのだが、レジから始まり仕入れまで覚えてしまった樹君にかなう場所がもう数えるほどしか見つからない。
 辛うじて雇用者と被雇用者の関係に収まっているが、いつ追い抜かれてしまうかと考えるとその頑張りに戦々恐々としてしまうのは確かだ。
「こりゃ。この糞店長! 樹ちゃんをいじめちゃいかんよ」
「そうだそうだ! このボンクラ!」
「ろくでなし」
「ごくつぶし!」
「けちんぼ!」
「あーさよですかさよですか」
 はいはいと再び欠伸をかみ殺しながら、今日もいい天気だなと外を眺める。
「ほ、ほら! 皆さんも来店なさったんだから買い物して行ってくださいね」
「えーでもわし等樹ちゃんに会いにきただけじゃし」
 そうじゃそうじゃの大合唱。ま、わからんでもない。なにせ樹君はかなりの美形である。髪の毛も、田舎では珍しい人の目を引く少し明るめのブラウンだ。物珍しさもあるのだろう。
「で、でもほら、売り上げが落ちると僕も店長も困っちゃいますし」
 そうですよねと目で訴える樹君にまあねと相槌をうちながらその光景を眺める。
「あの店長はどうでもいいが樹ちゃんが困るなら買い物しないとな!」
「そうじゃな!」
 しゃがれたじじいの声が響く。そういえば樹君の人気は女性だけにはとどまらない。と、言うより女性より男性のほうがコアなファンがいるだろう。逆に女性ファンがいる事が以上なのだ。なにせ、樹君は女だ。
 俳優顔負けの男前な顔とは別に、女性らしい丸みを帯びた体のラインは地味な黒い制服の上からでも分かるくらいにほんのり膨らんでいる。
 それに、本人はあまりうれしくないようなのだが、ご老人方からは安産型と名高いすこし大き目のヒップは、細いウエストとのコントラストでどうしても雌として男の目を引く。
 実際、地元の中高生はパツパツに張った樹君のジーンズのヒップを獣の眼で凝視している。俺が確認しただけで、両手両足では数え切れない数の若造がその携帯にはち切れんばかりの丸みを納めんと奮闘していた事か。
 無論、それ以外にも人気の理由はある。なにより、先ほどの老人達とのやり取りでも分かるように気遣いができる。気立てがいい。しかも美形。それも男前。と、なれば自然と女性人にも羨望のまなざして見られるようになり、今では業務中でもお構い無しに年端も行かぬ少女達が人生相談と銘打って雑談をしにやってくる。耳にしたところによると樹君は樹様で王子様らしい。
 始めは少数だったので目をつぶっていたのだが、日に日に増えていく女子達に、痺れを切らした俺は設置したくもない椅子やらテーブルを用意させられ、プチカフェなるものまで始めさせられる始末。一応そこは会計済みなら持込可能としているのだが、うちはホットスナックやコーヒーも扱っている。雰囲気を重視するオンナノコは多少割高であってもショバ代として喜んでお金を落としてくれる。と、いうことで今では大切な収入源となっていた。なので、俺もたまにチラッと彼女のご本尊を拝ませていただいているのは内緒だ。
「これ、新商品の飴なんですよ!」
 品出しも放り出し、熱心に新商品のPRをする樹君。普段はしっかり者なのだがこういったところの詰めが甘いところも人気の理由なのかもしれない。
 と、「どうですか」なんてニコリと白い歯を添えれば、ばあさん連中の黄色い声がこだまするあたり、やはり違うのかもしれない。そもそも、樹君がミスしたりするのは客とは関係ないところばかりで、そんなドジな一面を知るのは店員のみに許された特権だった。
 しかし朝からあんまり楽しそうなので、徹夜明けで多少イラつき気味だった俺にもふと笑みが漏れた。
「す、すいません久保<くぼ>さん」
「いえ、お客様は神様ですから」
 ふわりと女性特有の甘ったるい香りを振りまきながらぺこぺこと申し訳なさそうに頭を下げる介護士さんは顔なじみで、毎回こうして律儀に謝りに来る。名前を教えた覚えはないが名札を見て覚えたのだろう。身長はやや小さく俺の胸くらいといった所か、上目使いのそれがまた保護欲をそそる。
「ほら、皆さん。お店の邪魔になりますし、そろそろ帰りますよー!」
 ええじゃないかええじゃないかと店内の老人達は駄々をこねたが、介護士さんの「明日は買い物無しにしますよ」の一声で老人達はピシリとレジに整列した。
「105円になります」
「ほらよ」
 やたら不機嫌そうに10円やら5円で形成された105円をレジにバンっ押し付けると、ご老人はレジ袋をひったくって行く。態度が悪いったらありゃしない。
「ワシも樹ちゃんがよかったわい」
 俺もそうだよと次のご老体にやたらと細かい小銭の集合体で支払いを済まされ。レジに小銭を分けていく。すこぶる面倒である。
「105円になりまーす」
 隣では一人の老人が支払いをしていた。驚く事に支払いは万札である。
「一万円入りまーす」
 樹君の声に老人達の間に電撃が走る。皆、血走った目で……えと、佐々木を睨む。
「ふぉっふぉ」
 俺なら泣き出してしまうだろうその剣幕の中にあっても、佐々木は心地よさそうにその嫉妬を浴びていた。
「お釣りの9,895円円になりまーす」
「ありがとさんな」
 分かりやすい数の暴力という手段で自分の優位性を見せた佐々木は、にやりとあたりを一瞥しながら、鼻を膨らませて財布の中へとお釣りをすべりこませる。
 いや、ドンペリ開け合戦じゃないんだから。と一人心の中で突っ込んだが、どうやら俺の考えも、佐々木の優越感も間違っていたようで、そのほくほくとした表情は一瞬のうちに凍りつく事となる。
「すまんの樹ちゃん。千円札しかなかったわい」
「いえいえ。いいんですよ。はい、お釣りの895円」
 そう言って渡された小銭と手を挟むようにしてなんとか五郎は手をぎゅっと握り返し、「ありがとうな」と微笑んだ。
 なるほど。小銭のほうが手との接触面積が増えるんだな。
 佐々木もそれに気がついたのか、しまったと舌打ちをしながら、鬼の形相でその光景を目に焼き付けていた。やるな、なんとか五郎も。
「店長。小銭が切れちゃったんでそっちから貰ってもいいですか?」
「いいよ」
 ご自由に持っていきたまえ。生憎と当方には小銭の準備が整っておる。むしろお札が寂しいくらいだ。
 早朝、樹君のシフトが開始する時刻。狙い済まして訪れるこの老人ラッシュを、俺は天国への会談を名づけた。
「また来てくださいね」
 一撃必殺の笑顔ビームで手を振る樹君と、それに答える老人達と介護士さん。何人かの目がハートになってきたような気がするが、俺はそそくさと放置してあった品出しに手をつけ始める。まったく、どっちが模範的な店員か分かったもんじゃない。
「あ、店長すいません」
 ほっぽりだしていた品出しの存在を思い出したのか、あわててカートに駆け寄ってくる。「いや、いいんだ。君は休んでいたまへ」などと言えたらよかったのだが、しゃがみ作業は地味に腰へダメージが蓄積しやすい。
「じゃ、頼むよ」
 それに、俺がやるより樹君がやったほうが何倍も早いので任せてしまったほうが店の為なのだ。と自分に都合の言い訳を見繕い、すごすごとバックヤードから椅子を取り出して仕事をする樹君のご本尊を眺める。監督業務ってやつだ。
 はたから見ればサボる店長とこき使われる店員の図なのだが、実際に俺が動くと張り切る店長と後片付けに追われる店員の図が出来上がってしまうので、悲しいかなこれがベストなポジションである。
 俺の仕事? 監視業務含め樹君がやらない、できない事全部だ。
 と、言うわけで今日も今日とて深夜勤務であった。
 なんでも、樹君はその容姿もあり夜に出歩こうものならすぐ善からずに声をかけられたり、変な人間につきまとわられたりと大変らしい。
 なので面接の際に「深夜だけは何があっても無理だ」と言われている。
 樹君には気の毒だと思うのだが、こちらとしては居場所がなくならないですむので願ったりかなったりだったりする。
「店長、この機械どうやって使うんですか?」
 深夜勤務であった。
「店長?」
 どうしましたかと床を掃除するウォッシャー片手に首を傾げる樹君。
この女は、 唯一の俺が存在しえる理由であった深夜帯シフトにまで食い込んでくると言うのかっ。
「あ、後で教えるよ」
「はーい」
 急遽、深夜シフトの人間が事故で出られなくなり、交代を要請したらしい。一応、事故った本人からはシフトを交代してもらったのでその人が来るとは言われていたのだが、どうして樹君なのか。と、言うより絶対に入らないんじゃなかったのか。それより、彼女は今日何時間働くつもりなんだろう。俺があがった後も少し入っていたし、昼覗いた時は私服で人生相談を開いていた。夕方は知らないが俺より先に働いていたので本日の最長時間勤務者に違いない。
 せっせと深夜の魚無を覚えようとマニュアル片手に奮闘する樹君だったが、生憎と業務と言えば人の往来がない深夜帯を狙ってやってくる強盗の撃退と商品搬入の手続きに床掃除くらいで、来客は滅多にない。だからこそ俺にも勤まるのだが、これは田舎に限った事ではない。都会でもたぶん来客は少ないだろう。なにせ、深夜なんて全うな人間なら寝ている時間だ。来る客層は限られている。
 深夜勤務者か悪ガキである。
「いらっしゃいませ」
 ピロリローンピロリローンと軽快なチャイムをかき消すようにやたら五月蝿い三人組が入店した。携帯片手にペタペタとクロッカスだか味噌っかすだかいうサンダルを引っ掛け、ぼろぼろになったジャージの裾を引きずり、髪は控えめ程度の金髪スタイル。これはアレだ。昔ながらのヤンキーってやつだ。
 困った事に、夜営業する店がスナックだとかそんなものばかりなので、田舎のコンビニは誘蛾灯のように行き場をなくした深夜の不良達を呼び寄せる。
「お、いつもは見ないかわいい娘じゃーん。どう? これから一緒に遊びに行かない?」
 早速獲物だといわんばかりの勢いで歩きづらそうに腰履きのジャージを引きずり樹君に声をかける。
「こ、困ります。僕仕事中なので」
「仕事? いいじゃんいいじゃん。サボっちゃおうよ」
 声をかけられた樹君はというと、驚く事に見て分かるほどに狼狽していた。顔色も青ざめているような気がする。男前の樹君がそんな反応をするのは以外だったが、よくよく見れば男の手が樹君のお尻に伸びていた。ここからでは視覚で触っているのかどうか分からないが、露骨な視線と下卑た笑いだけで十分だった。
「あー樹君。バックヤードの備品が切れていた気がするから確認してもらっていい? あと、そのまま発注もしといて」
「は、はい!」
 脱兎の如くバックヤードに駆け込んでいった樹君の背中をぼんやりと見送りながら、はて、先ほど目に涙がたまっていなかった。とそりの腰の残る無精ひげをジョリっと撫でる。
「ちっ。おっさんかよ」
 樹君がいなくなり不機嫌そうな不良ズと対峙する。くちゃくちゃとガム音が耳にこべりついて不快だ。
「なあおっさん。タバコくれよタバコ」
 ああおっさんだよ。30過ぎだよ。最近、枕からおかしな匂いがするしなんか黄色く染まっていくよ。髪の毛を洗ったとき驚くほど抜け落ちて生え際は全力で敗走するよ。疲れもなかなか取れなくなってきたよ。でもな、年齢の事を言って、傷つくのが女だけじゃないってことを忘れるなよ。
「タバコ」
「銘柄はどちらでしょうか?」
「タバコだよタバコ。タバコっつったらマルメンに決まってるっしょ?」
 その声に、「いやいや、セッタだから、竜ちゃんわかってないなー」だとか笑い声が聞こえてくる。
「マルボーロメンソールでよろしいですか?」
 一応確認だと箱を指差してそう聞く。
「そうそう。ほら、金。さっさとしろよな」
 そう言ってブランド物の長財布からしわしわの千円札を突き出される。
「では、年齢確認のできる、運転免許証、または身分証明証の提示をお願いします」
「は? んなもんもってねーし。金払ったんだからさっさとよこせよ」
「年齢確認のできないお客様におタバコを販売はできませんので……」
「俺は客だぞ!」
 ドンッと拳でレジカウンターに派手な音を立て、ヤンキーの一人が俺を睨む。
「あちゃー竜ちゃん怒らせるとまずいよー早く用意したほうがいいんじゃないのー?」
 隣に居た鶏冠<とさか>みたいな色をした髪の毛のチビがへらへらと笑っていた。
「客に物が売れねぇってのかよこの店は!!」
 ぐっ胸倉をつかまれ、そのまま踵が浮いてしまう。娯楽施設がないからか、田舎っ子というのはどうも頑丈で力強くていかん。
「年齢確認ができれば今すぐにでもお渡しできますよ?」
「俺は二十歳だっての。なんなら生年月日でも言ってやろうか? それとも干支を言えばいいわけ?」
 語尾を荒げ、口早にまくし立てる姿はなんだか餌をねだる雛鳥みたいだなと唐突に思った。
「もういいわ。釣りいらねぇから貰っていくな」
 反応しない俺を障害物と見なしたのか、そう言って乱暴に俺を突き飛ばすとカウンターから身を乗り出し、タバコを棚から引き抜いて満足げに懐にしまう。
 背中から壁にぶつかり、息をつまらせる俺を鼻で笑いながら三人は出口へと向かう。
「君、何をしているのかな?」
 ピロリローンピロリローンと、ものすごいタイミングで入店してきたのは警察官二人組み。俺はひりひり痛む背中をさすりながら、どうもお勤めご苦労様ですと軽めの挨拶をして意気揚々と経緯を説明する。
 出来すぎたタイミングだったが、本当のところはこのヤンキーズ、たびたびうちに訪れては年齢確認無しでタバコを購入しようとしては拒否され、その度にやかましく店員に絡んでいたのだ。それも、売ってくれないと見るや否やすばやく違う人間へとターゲットを移行し、次々と絡んでいたらしい。
 深夜帯の人間もいい加減うんざりとし、俺に陳情をもうし奉りますと直情届けですと深夜帯全員分のサイン入りの素敵な書面をくれた。
 何を隠そう、最近寝不足だったのは店長である俺自ら対処しようと頑張っちゃった結果だったりするのだ。
 監視カメラの映像とパート連中の話から大体の風貌の特徴はつかんでいたので、来店と同時に無音の警報を作動させ、警察へと通報した運びである。
「君達、いくつ?」
 駐車場では警官に挟まれたヤンキーズがあかべこみたいにカクカクと小さく首を震わせながら尋問されていた。
 これで少しは懲りてくれるだろうと思ったのだが、あいつ等タバコを置いていかずそのまま持って行ったらしい。これも報告しておこう。
 早速、外で警官に報告すると、ヤンキーズはサッと死人のように真っ青になった顔で俺を見上げ、震える手で奪っていったタバコを俺に差し出した。勿論、優しい俺はしわしわの千円を返してあげた。
「では、私達はこれで」
「お勤めご苦労様でした。あったかいコーヒーでもどうぞ」
「いえ、勤務中なのでそういったものは」
「そうですか」
 申し訳程度の誠意と社交辞令を並べると、ヤンキーズを乗せたパトカーは夜の闇へと飲まれるように消え去っていった。
「いやーこれで一件落着かな」 
 うーんと大きく伸びをする。張り切って毎日出張ってみたが、やはり深夜帯なんて面倒なものはやっぱり信頼できるバイト君達に任せるのが一番かもしれない。なにせ、ここ数日寝ても寝ても疲れが取れない。
「っと。樹くーん。大丈夫かーい」
 少し動揺していたがこれくらいの事なら男前の樹君だし、大丈夫だろうと高をくくっていたのがよくなかった。
 肝心の樹君はというと、店長用の机でへたって居た。
「だ、大丈夫?」
「っつ!」
 軽く肩をたたいただけだったのだが、ビクリと体を震わせ、そのままがたがたと震え始めてしまう。こまった。これはセクハラという奴なんだろうか。
「あの、樹君? 僕にやましい気持ちは無くてね。ただ大丈夫かなと思って肩をたたいただけなんだけども」
 こんなときにまで自己保身に走ってしまう自分が歯がゆかったが、年頃の女の子を慰める小粋なジョークなど知らない。昔ならそれこそ笑顔と白い歯を見せるだけでコロリとやれたものだが無精ひげの親父が微笑んだところでポリを呼ばれるだけだ。
「そ、そうだ。暖かいものでも飲むといいよ。僕のおごり。ほらっ」
 いくら男前だ男顔負けだといってみても、やはり中身は年相応の女の子だったのだろう。俺にまで過剰反応する樹君にそういって俺が持ってきたのは、レジ横にあったホットコーナーの缶コーヒーだった。否応が無く女の子と再認識させられてしまったので俺なりの気遣いで女の子なら甘いのがいいだろうと俺お気に入りの一番甘いカフェオレにしたのだが、はてさて声をかけただけでも肩を震わせる樹君にどうやってコレを渡そうか。
 青春ドラマよろしく頬っぺたにペタリ「ひゃっ」という場面ではないし、かといって近くに置いてあげてもきっと冷めさめてしまうのが関の山だ。
「ありがとうございます。でも、お気になさらないでください」
 わたわたとどうするか悩んでいると、机に突っ伏したままの樹君から声がかかる。机にうずくまっているからか、やけにこもった様な感じだったが。取りあえずは良しと見る。
「カフェオレ、ここ置いておくね。暖かいもの飲んだら心も落ち着くよ」
 言い終わるが早いか、樹君はいきなり起き上がると俺とカフェオレに交互に目をやり、机に置きかけたカフェオレを俺の手ごと押し返す。
「僕、コーヒーはブラック派なんですよ」
 案外さっぱりした表情で微笑むと樹君はそういった。
 やはり、先ほどの様子は実のところ俺をからかうための演技で、なんとも思っていないのではないか。そんな考えが頭をよぎったが、ふと俺の手に触れてた樹君の手は恐ろしいほど冷たく、小刻みに震えていた。
「ご、ごめん。俺はカフェオレ好きなんだけどな」
 しまった、ここは一人にしてあげるべきか。と考えを改め、新しくコーヒーをとるという名目で背中を向ける。もう少し一人にしてあげよう。
「それ、知ってますよ」
「い、樹君?!」
 何で知っているんだとかそんな事はどうでもよかった。それより今はトンっと背中に感じたこの人一人分の重みとふわりと漂う甘い桃のフレグランスのほうが問題だ。
「こ、これはどういう……」
 説明を求めようとしたのだが、胸に回されたままがっちりと組まれた両手からは、痛いほどの震えが伝わり、背中にぐりぐりと押し付けられる頭の感触に、喉がつまった。
 結局、気の利いた慰めの言葉も言えず、声を殺して泣いているだろう樹君に加齢臭に染まった背中を貸す事しか俺にはできなかった。
 
 
 
「ご、ごめんなさい」
「おちついた?」
 ふっと背中から名残惜しい暖かさが離れたかと思うと、開口一番樹君は謝った。そんな事は気にしなくていいよと俺は新しく取り出したブラックのコーヒーを樹君に差し出す。
「あ、ありがとうございます」
 うつむいたままとぎれとぎれに口を開く樹君は、ぎゅっと缶を握ったまま動かない。
 と、そこで俺は冷め切ってしまったカフェオレの存在を思い出す。コーナーに戻すわけにも行かないのでそのままプルタブを開けて飲んでしまう。
「うっ」
 なんというか、冷たいんだが冷たくない。先ほどまで背中に心地よいぬくもりを感じていたからか俺にはどうしてもこの生暖かさが許せず眉間にしわを寄せる。
「口直し口直し」
 早急に口直しだともう一本カフェオレを取り出し一口。うん。やっぱりコーヒーは甘いのに限る。冷えそうになった背中を暖めてくれる。
「内引きですよ。それ」
「だ、代金は後で払うから……」
 まだすこし鼻声だったが、冗談をいえるくらいには落ち着いてくれたらしい。
 冗談だよな?
「でもこれで、私も共犯ですかね」
 そう言ってはれぼったい顔で不器用な笑顔を浮かべつつ、樹君は小気味のいい音を立てコーヒーを開けた。
「あーなんだ。僕も前から言われてた問題解決したし、深夜のシフトに入る事は少なくなるだろうし、ここはほら、さっき言ってた機械の使い方覚える? なんなら、深夜の仕事もマスターしちゃう?」
 先ほどまでの笑顔を凍りつかせ、フルフルと短い髪を横に揺らされる。そりゃそうか。あんな怖い思いしたんならもう深夜は入りたくないだろうな。すこし、配慮が足りない事だったなと反省する。
「ま、そうだよね」
 とその場に同調するようにして急激に冷えていくカフェオレを急いで飲み干す。
「じゃ、じゃあ今日はおじさんがんばっちゃおう。樹君が見たことのな俺僕の本気をとくと見ているがいいさ」
 大げさに笑い、居たたまれない空気のバックヤードから逃げ出す。
 なんだか数日前まで憎らしくて仕方なかった機械が今はとても愛おしく感じた。
 若い子なんて繊細で割れやすいガラスのようだから。と触らず放置が一番だと黙々と仕事をするも、たまにレジ奥からちらちらとライトブラウンの髪が見え隠れしていた。しかし、どうすることも出来ない俺は、見てみぬフリを突き通した。
 
 だがその夜、いつまで待っても客が訪れる事は無かった。
 
 真面目にせっせと仕事をしてしまった俺はついに手持ち無沙汰。立ちっぱなしが辛いクソ老体は、必然とレジ奥の指定席に落ち着いた。
 夜の静けさが腰に響いた。
 
 
 
「おはようございます」
 提示5分前に朝のパートがやってきた。いつもなら口うるさいだけの小姑か何かだと思っていたのだが、今日は純白の羽が生えた天使に見える。
「おはよう! 今日もいい日だね! さて、張り切って引き継ぎ業務をしようか!」
「ちょ、ちょっと店長さんどうしたんですか?」
「どうと言う事はないよ。僕はいつも通り! ささ、交代が来た事だし樹君はもうあがっていいよ」
 多少無理があったが、さあさあと樹君をバックヤードに押し込む。
「あら? 店長さん。背中、どうしたの?」
「ん?」
 なんだろうと背中を見ると、なるほどなにやらシミがついている。なにやら冷たいなと思っていたのだが正体はコレか。
「なんか汚れてるわよ?」
「あっ」
 なんだろうと顔を覗かせた樹君が小さく口を押さえたが、俺は作業中に何か落としたのかもしれないな。と何か言いたそうな樹君を封殺して再びバックヤードに押し込んだ。
「ちょっとあんた」
「はい?」
 ひそひそろ小さな声で手招きされる。
「ちょっと。岩代さんに深夜帯まで頼むつもり?」
「いや、今日だけ特別。なんか事故ったらしいよ。金城<かねしろ>さん」
「金城さんが事故?」
「だから急遽、樹君が深夜帯のシフトに入ったんだよ」
「あの金城さんがねえ?」
 どこか腑に落ちないような表情のパートのおばちゃんに、いいから早く着替えてきなよと言うと、「若い娘と扱いが違う! セクハラだ」と怒鳴られた。なんとも堕天速度の速い天使さんだった。
「あの、店長。お疲れ様です」
「ん? ああ。お疲れ様」
「今日はその、ありがとうございました」
「いやいや。いいんだよ。気にしないで」
 お互いになんだか気まずくなって黙り込む。なんとなくむずかゆいそんな沈黙。
「さー今日も働くわよ!」
 ぶち壊しだった。
 それからはダラダラと作業をこなし、自分の交代の時刻を待った。正直、今日は疲れた。早く家に帰って眠りたい。
「おざーす!」
「挨拶はきちんとしなさい!」
「しゃーせん! おざす!」
「おはようございます。でしょ!」
「しゃっす。おざす!」
「もういいわよ……」
 高校中退のバイト君が今日も元気にやってきた。無遅刻無欠席の優良バイトの彼が来てくれたので、やっと俺の業務が終わる。
「あーじゃあ僕も帰りますかね」
「ちょっと」
 バックヤードに向かおうとしたところでばばあに捕まる。
「なんです?」
「なんです? じゃないわよ。例の件どうなってるのよ。私も他の人に突かれるんだからね」
「例の件?」
「例の件って言ったらあの不良の事よ。それくらい分かりなさいよ」
「あーあれですか。あれなら解決しましたよ。警察にお世話になりましたし、もう来る事もないでしょう。来たとしてもまた警察呼べばいいですよ」
「簡単に警察って……あなた、店長として警察沙汰は勘弁してほしいとかそういう考えはないの?!」
「いやいや、面倒な事は専門職に任せるべきですよ。ほら、餅は餅屋っていうでしょ?」
「そういうことじゃありません。ちょっとそこにすわってください。その服の汚れといい金城さんの怪我をしっかりと把握していなかったり、だいだいあなたと言う人は店長としての自覚が――」
 結局グダグダとお説教を食らい、優良バイト君の交代の時間まで拘束されてしまった。もしかしてストレスを発散したかっただけなんじゃなかろうか、あのおばちゃん。
「ってて……」
 大きく伸びをするとバキバキミシミシと背中がいやな音を立てる。
「っと、その前に仕事仕事っと」
 先ほどお説教を受けたので、早速金城さんに怪我の具合と復帰できそうな日を聞こうと思ったのだが、なんだか金城さんの歯切れが悪い。
 どうしたんですかと問い詰めてみると、実は事故は起こしてないと告げられる。
 ちんぷんかんぷんだったがとりあえず理由は聞かないでくれと懇願されてしまった手前、まあ次からはそういうことがないようにお願いしますねと釘を刺して業務終了とする。我ながら甘いと思う。
「さて、帰りますか」
 つぶやきながらわが愛車の水滴をはらう。
 ここまでの通勤手段はバイク。それもかっこいいのではなく普通に原付だ。
 冬も真っ盛り、身を切るような風吹き荒れる時期だったが、それでも文無しの俺はこのスタイルをやめる事ができないで居た。
「車でも買えればいいんだけどな」
 ぽつりとぼやく。
「買えばいいんじゃないですか?」
 声が返ってくる。
「あれはあれで維持費がかかって仕方ないんだよな」
「なるほど」
「それに、車庫も借りないとだし」
「出費はかさむばかり」
「そうそう」
 いやはや、年になると独り言が多くなって仕方ない。
 寒い寒いと身震いひとつ、ビニール袋には汚れてしまった制服をくしゃくしゃに丸め込み、ジャンパーのポケットをあさる。
「ふーんふーふーふん」
 勿論探していたのは原付のキーだ。
「あははん」
 帰ったら熱々の風呂を沸かそうと馬鹿みたいに体をくねらせながらイグニッションキーを差し込む。
「ちょっと!」
「ひうっ」
 ドンっといきなり横から衝撃を受け、あわてて両手でハンドルを握ってバランスをとる。
「い、樹君?!」
「樹君? じゃないですよ。さっき会話したのに無視ってどういうことなんですか」
「会話? ああ。さっきの樹君だったんだ」
 よかった。孤独をこじらせてとうとう妖精さんと会話できるようになったのかと思ったが、まだ俺はこっち側にいるらしい。
「そうですよ。シフトの終了時間過ぎてもちっとも出てこないし、いったい何をやってたんですか!」
「いや、ほら、世間話をね。……って樹君今までずっと外にいたの?!」
「いや、そ、それは」
 しまったと眉間にしわを寄せるが、樹君はやはり筆舌につくしがたい男前なので、それだけで何人か女の子を落とす光線みたいな物が出てそうだ。
「はあ……というかそれにも気づいてなかったんですね」
 沈黙後しかし観念したのか、ため息ひとつ。肩をがっくりと落とす。
 なにやら俺は彼女を傷つけてしまったらしい。
「あー、えと。ところで樹君?」
「なんです?」
 とてもしずんだ声のトーン。これはまずった。
「僕に何か用かな?」
「あっ」
 先ほどまでとは打って変わってうつむき加減に消え入るトーン。これは、恥ずかしがっているのか?
「そ、その……」
 もじもじと指先をあわせたりくるくる回したりし始める。
「あー」
 どうしたものか。
 沈黙が重い。ただ、こう、その沈黙は居心地が悪いのだが、辛くはなかった。
「その、ありがとうございました」
「いや、いいよ」
 やっとこさ口を開いたと思えばそれだけ口にしてまた黙り込んでしまう。
「き、金城さんも金城さんだよね。理由もいわずに休みだなんて」
 何とかしようとする俺の言葉にも、樹君は気まずそうにすいませんと謝る。
 いやいやまて。なんで樹君が謝るのだ。
「じ、実は、僕が無理を言って代わってもらったんです」
「は?」
 怪訝そうに眉をひそめたのが効いたのか、驚きの新事実を告げられる。なんと、樹君はまだ稼ぎたいらしい。しかも他人に嘘をつかせてまで入りたがるなんて、ほしがりさんだなあ。
「でも、樹君は深夜帯は入れない。入りたくないって話じゃなかったっけ?」
「そ、そうなんですけど、最近店長が入っているって話を聞いたので、これはチャンスかなと……」
「へ、へえそう。」
「でも、とんだ災難でしたよ。変な人に絡まれるし、そ、そのお尻。触られちゃったし」
 うつむいていても分かる形のいい耳が真っ赤に染まっていた。というかやっぱり触られてたのか。あいつ等、死なねえかな。
「なんかよくわかんないし、本当に怖かったんですからね!」
「あ、うん。ごめん。でもあいつ等警察に突き出したしもうこないんじゃないかな?」
 思い出して怖くなったのか、目にいっぱいの涙をためたまま俺を睨む樹君だったが、取りあえずはもう安心だろうとなだめてみる。
「ほ、本当ですか?」
「本当本当。警察の人が守ってくれるから大丈夫だよ!」
「俺が守ってやる。とは言ってくれないんですね……」
 蚊の鳴くような声で何か聞こえた気がするのだが、きっと俺の気のせいだろう。
「だから、もう深夜に入っても大丈夫だよ」
「は?」
「いや、深夜に入りたいんでしょ? そんなにお金が必要なの? 何ならもう少しシフトを考える?」
「分かってない!分かってない分かってない! 分かってない!」
 俺は本当に樹君の安全を考えて言ったつもりだったのだが、彼女にはお気に召さなかったようで顔を真っ赤にして睨まれた。目線が近いので迫力満点だ。
「いいですか。僕が突然深夜に入ったのはですね!」
「入ったのは?」
「その……」
「その?」
 途中まで威勢がよかったというのにとたんに黙り込んでもじもじし始めてしまう。
「どうしたの?」
「うわーっ! 馬鹿! 馬鹿! ニブチン!」
「え、なに。ちょっ」
 どすどすと拳が腹に刺さる。ポカポカとかポンポンとか可愛らしい音で収まらないのが実に樹君らしいが、普通に痛いのでやめてほしい。
「もう知りませんよ!」
 ぷいっとあさっての方向に頬を膨らませる樹君だったが、俺もここまで言われて気がつかないような唐変木ではない。他人に嘘をつかせても俺と入りたかった理由。そして、この俺が上がるまでひたすら待っていた健気さ。なによりこのやり取り。確実に恋する乙女って感じだ。
 しかし、ここはあえて唐変木で通すのが樹君の将来の為というものだ。
 こんな冴えないおっさんを捕まえて青春を棒に振るより、ひどいおやじだったと振り返って笑えるような思い出にしたほうがいいにちがいない。樹君ほどの容姿と器量があればそれこそお金を払ってでも嫁にしたがる人間が山ほどいるだろう。だから、俺は無理だ。君にはとてもつりあえそうにないし幸せにも出来ない。
「あーよく分からないけどそろそろ帰ってもいいかな?」
「こ、コーヒーの代金おば!」
 もう終わりだと背中を向ける俺に樹君は声を大にして勢いよく財布を取り出す。
 樹君の財布は男前な感じからは想像がつかない淡いピンクをベースにしたカラフルなストライプ柄でとても女性らしい。
「に、似合いませんかね。僕にはこういうの」
 あんまり財布をまじまじ見たものだから、樹君は恥ずかしそうにさっと財布を背中に隠してしまう。
「そんなことないよ。かわいらしい財布だよ。スカートもよくにあってる」
「に、に、あってるだなんてそんな」
 上ずった声でせわしなく視線をキョロキョロをさせながらスカートの裾をいじる姿はまさにかわいらしいの一言に尽きる。そういえば樹君のスカート姿というのは長い間一緒に働いているが始めて見た。退社のときはジーンズだったからもしかしたら着替えに帰ったのかもしれない。よくみれば上着も違うし、もしかして薄く化粧もしているのではなかろうか。
「て、店長は僕の事、君付けでよぶし、きっと女の子あつかいされてないのかなって思ってたから……ちょっと見返してやろうかなと思って……」
 なんだろうこの目の前でもじもじとしている娘は。超かわいいんですけど。俺はこんな子に好意を寄せてもらっているのか。ドッキリなのではなかろうか。
 それより、いつもはボーイッシュなイメージが強いせいか君付けで呼んでいたのだが、これからはちゃん付けで呼んだほうがいいのかもしれない。なんて考えが頭をよぎったが、俺はバイトを全員君付けで呼んでいる。さすがにおばちゃん相手にちゃん付けはきついものがあるのだ。なので樹君が気にしているような事はないはずだ。
「と、とりあえずコーヒー代。払いますから」
 そう言ってじゃりっと財布を鳴らした樹君だが、その動きがぴたりと止まる。
「ど、どうしたの?」
「て、店長」
「なに?」
「お、お釣りとかってありますかね?」
「ない。かな」
 と言う事で、コーヒー代は俺のおごりになった。別に、缶コーヒー一本くらいどうと言う事はない。それより、あのかわいらしい樹君がその値段で見れたと考えれば安い買い物だった。俺は得をした。そう。最高に得をしたのだ。
 
 
 
「はあ……」
 田園の広がる道を吹くかぜに吐く息が白くなる。
 缶コーヒーの代金を俺が持つと分かるや否や、樹君は俺の手からビニール袋を引ったくり、「これは僕が洗濯します」と言い始めたのだ。俺はいいよと抵抗したのだが、僕が汚したんだから僕が洗濯します。と徹底抗戦の構えを取る樹君にあれよあれよと言いくるめられ、洗濯したものを届けるからと住所を聞き出され、不在のときに行くのは失礼だからとプライベートの携帯番号とアドレスまで強奪されてしまった。
「まずったなあ」
 あきらめさせようと思ったのだが、予想以上にしつこく攻撃的な樹君のアプローチに、ただただ押される形となってしまった。これでは面倒な事になりそうだ。
「どうして断ろうか」
 考えながら赤に変わった信号でバイクをとめながら、ポケットで震える携帯に手を伸ばす。
「ほんと、困ったもんだよ」
 差出人を確認し、自然と緩んだ口元を引き締め、俺はただまっすぐと伸びる道をひた走った。

       

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Neetsha