Neetel Inside ニートノベル
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SF、短編
姥捨てハイウェイ

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『姥捨てハイウェイ』



「お婆ちゃん一人が八千万!?」


 青年の驚嘆の声に、初老の男は頷く。
「有り得ねぇだろ?」
 初老の男は片方の眉を上げてそう言うと、短くなったタバコを大きく吸い、カウンターの上の灰皿に押し付けた。断末魔の煙が細く上がり、渦を巻いて消えていった。
 青年は眉間にシワを作った。それは知り合いのタクシードライバーがする凄惨な話の不快感からというより、
「でも高速道路ですよね?」
 話の違和感からだった。
「しかもトラックが急に車線変更して避け切れなかったんだから、不可抗力じゃないですか。普通に裁判したら被害者、って言ったら何か変ですけど、死んだお婆ちゃんの方が悪いんだから、何とかなるでしょ」
「ならねぇ」
 青年が話している間に、初老の男はラーメン屋に来て四本目のタバコを取り出していた。
「居ちゃいけねぇ場所に人が居ようと、巻き込んじまった奴の責任ってのはある」
 初老の男は訳知り顔で語る。
 新しいタバコを大きく吸い、溜め息に乗せて吐き出すと、手元の餃子無料券に視線を下げた。

「えー、でも……じゃあ例えば、例えばですけど、信号無視の歩行者跳ねても百ゼロ?」
 納得のいかない青年は、悟り切ったように落ち着いた男を少しでも困らそうと無い知識を絞った。
 結果、業界仲間との雑談では出てこない質問でもって、初老の男の首を少し捻らせる事には成功した。
「百ゼロはねぇな、割と軽い方で歩行者が五割もつ」
 初老の男はそう答えると、青年の次の台詞が流れで判り、クックと笑った。
「なら今回だって半分以上はそのお婆ちゃんの所為なんじゃない!」
 笑われた恥ずかしさか、多少の怒気を込めて、青年は用意していた台詞を吐いた。

 初老の男はそれを待ってましたと顔を上げ、目を見開く。
「とは言うがよ、まともに裁判してみろオメェ、相手が比較的悪いったって何割かは轢いた方が喰らうんだぜ。しかも裁判してる間は仕事出来ねぇから食いっぱぐれる。それだけじゃねぇ。判決が出たら、その日から、刑罰が始まんだ。裁判でさんざ待たされた挙句よ、禁錮刑でも喰らってみろ。キツイなんてもんじゃねぇぜ。生活が狂う以前に人格が狂っちまうよ……」
 素潜りでもしてきたかのように、タバコで深呼吸をする。
「前輪に巻き込まれたお婆ちゃんを想像しただけで、十分狂いそうですよ」
 とは言うものの、実際は想像していなかった。事実、餃子が喉を通った。

「そっか、それで示談か」

「そ、さっさと示談にして和解した方が運転手には良い。会社は運転手守んなきゃなんねぇから、この手の事故は殆ど示談で済ませるのよ」

「それで八千万円」

 青年はしみじみと言ってみせたが、その金の重さをまだ理解していないと初老の男は感じた。
「いやぁしかし凄いですね」
 と青年は一転して明るい口調で言う。
「モウロクしてても高速道路に侵入出来たんですね」

「そりゃ違う。徘徊して入れる場所じゃねぇ」
「そうなんですか?」
「警察が言ってんだ、間違いねぇ。婆さんが居た場所から前後十数キロは健常者でも入れる場所はねぇって話よ」
「え、じゃあどうして?」

「おめぇなら判るだろ……」
 初老の男はニヤリと笑い、謎々を仕掛けてきた。青年は渋い顔で答える。
「えー……誘拐ぃ?」
 初老の男が鼻で笑う。
「米寿過ぎたモウロク婆さん掻っ攫って誰が得するんだよ」
「得する……、あっ家族!」
 白髪交じりの頭が小さく上下動した。

「実際に警察は何度も同じ場所で婆さんを保護してるそうだ」
「くわー……、殺人じゃない」
 つまり、示談金目当ての親族が、敢えて事故が起こるようにと、老婆を高速道路に何度も放置していた、というのが、どうやらこの事故の真相らしい。
 恐ろしい話である。
「それでも警察にゃアゲられないのよ」
「状況証拠だけで、確固たる証拠がないから……」
 小さく聞こえてくる「そーそーそー」に合わせて頭が上下動する。
「それでよぉ、八千万貰った時、家族がなんつったと思う?」

          ***

 事故が起こる数時間前。

「やった! 成功じゃ!」

 しわがれた男性の声が密室に響いた。
 老人は年甲斐もなくガッツポーズをする。

 その老人の目の前には実験台があり、女性が二人寝そべっていた。
 一人はやたらと若作りな格好をした老婆、そしてもう一人は老婆のような格好をした若い女性だった。
 二人とも着ている服のサイズが合っていない。まるで服を交換したようだ。

「婆さん! 婆さんやったよ!」
 老人は若い女性の肩を抱くと、歓喜の声を上げた。その声で漸く二人は目を覚ました。
「あら、あなた、どうしたの?」
 若い女性が落ち着いた声で返事をした。
「婆さん! 婆さんったら! 気付かないのかい!?」
「何がですか?」

 老人は尚も若い女性を婆さんと呼んでいる。
 そして若い女性も、自分を老婆と思っているようであった。
 その様子を老婆がぼんやりと眺めている。

「あーもーコレ見ぃ!」
 老人が差し出したそれは鏡。
 老婆であるはずの自分が若返って見える不思議な鏡。

「違う、違うぞ、鏡に細工したんじゃない、体に細工したんじゃ!」
 夫の言う通りだった。

「静江や、聞いておくれ。この女の悪行を! こやつはお前を殺そうとしとったんじゃ! 道路に放置して、車に轢かれるようにと。モウロクしてるから。手間が掛かるから。いっそのこと事故にでも合わせて換金してやろうという恐ろしい事を考えておったんじゃ。そして何度も実行しておった! 静江、許しとくれ。ワシは今までその事に気付かんかった。じゃが、今日気付いた。 問い詰めて吐かせてやった! それから……それ……から……」

 老人は一気に捲くし立てたものだから、過呼吸を起こしてしまった。
「すま……ちょっ……休憩……」
 老人は紙袋を口にあて、丸椅子に座り込んだ。
 静江は老人から視線を外し、自分の横に座っている老婆に視線を移した。
 そして、自分と老婆の間にあるポリバケツに気付いた。

「若返り装置……」

 ポリバケツの中には青い蛍光色の液体が満たされ、その上には小ぶりなポンプが乗っかっていた。
 そこから二本の細いパイプが延びていて、それぞれ二人の腕に繋がっている。
「完成しなかったのですね……」
 静江は静かに腕に刺さった針を抜き取った。

「そして、息子の嫁を使って私を若返らせたのですね」

 隣に座っている、かつての老いた自分の姿そっくりな嫁を眺めながら、静江は言った。
「そうじゃ、その通りじゃ。知っての通りこのポンコツは、人から人へ若さを移す程度の能力しかない欠陥品じゃった。じゃが、そこが幸いした! この人非人に復讐してやるには、持って来いの壊れ方じゃ! お前の顔は嫁に似とったから、若さを移した後も気付かれんと思ったんじゃが……。予想は外れた。嫁なんかより、よっぽど美人だ!」
 と最後に惚気た。
「まぁ、お爺さんったら……」
 静江もまんざらではなかった。

「さぁ、着替えて。そんな格好をしておると怪しまれるよ」
 夫は既に年老いた嫁を脱がしに掛かっていた。
 二人の着替えが済み、ようやく歳相応の格好になったその時、息子がやってきた。

「あ、婆ちゃんこんな所に居たのか!」

 老婆の姿をした嫁をすっかり自分の母親と勘違いしている。
「さ、お散歩行こう、お散歩!」
 そう言うなり嫁の萎びた細腕をむんずと掴むと、無理やりに部屋から連れ出して行った。
 部屋を出る直前に息子が静江に投げたウィンクが、着地点を失い、静寂な部屋にぷかぷかと浮かんだ。

 一瞬の出来事だった。

「な……なんじゃありゃ」
「一体、なんのウィンクなんでしょ?」
 ハッと気付く。
「高速道路に連れて行く気じゃ!」
「あの子もグルだったのね!」
 二人は顔を見合わせた。
 二人とも寂しいような、可笑しいような、なんとも言えない表情をしていた。

          ***

「――なんつったと思う?」
 初老の男の二度目のクイズ。
 しかし今回は真顔だ。青年もつられて真顔になる。
 年配者に特有の振り、答えなくて良い前振り。
 青年は一応考えるフリをしてから、慣れた顔つきで答えた。
「判りません」
「“ありがとうございました”ってよ……」
「お婆ちゃんをお金に換えてくれて、ありがとうございましたぁ!?
 それもう確信犯だよ、確信犯!」
「ただな……」
 タバコを一服。
「その次の台詞が不思議なんだ……」
 灰皿に押し付ける。
「なんて言ったんですか?」




「“爺さんボケるのが待ち遠しい”」





灰皿から立ち上る断末魔の煙が、お焼香の煙のように細く、渦を巻いて消えていった。

       

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