Neetel Inside ニートノベル
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SF、短編
蠢く雪原

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蠢く雪原


 殖民星へ着陸する宇宙船から見た地表は一面が白く、そびえ立つビル郡が白く塗りつぶされた様は、まるで氷河期を迎え滅亡した文明の遺跡の様であった。アスファルトでぽっかりと黒い港に宇宙船が降り立つ。宇宙船の外へ出ると強烈な陽光に目が眩んだ。蒸し暑い風が体を包み込む。居ても立っても居られず、ターミナルへと駆け込んだ。

 昨年、故郷の叔母が他界した。彼の地に居た最後の親類だった。私は部族の務めを済ませ、殖民星へ移住した親類を慕って此の地を訪れていた。カウンターの職員に渡来の理由を簡潔に述べ、荷物を受け取り、外へ出た。

 ターミナルの外の光景は想像を絶していた。

――蠢く雪原の星とはよく言ったものだ。

 真っ白いビル郡が僅かに揺れている。いや、良く見るとビル自体は動いていない、表面が波の様にうねっている。地表も同じくうねっている。そのうねりの中をある者は驚き楽しみながら、ある者は平然と煩わしげに行き交っている。靴が地を鳴らす音は聞こえず、代わりに何かが潰れる音がそこら中から聞こえる。私の足に白い物が這い上がってくる。手を伸ばすとあっさりと捕まえられた。サイズは掌大、六本足の甲虫であった。宇宙船から見えていた白い雪の様な物の正体は、この白い虫であった。

 この星に雪は降らない。その代わり虫が降る。足元には踏み潰された虫の死骸が積もり、清掃員が虫を道の横へ掃き出している。私は足元から這い上がる虫を掃い、足元の柔らかな感触に不快感を抱きながら駅へと進んだ。

 駅の構内はすこぶる綺麗だった。入り口にある水の堀の為に虫は入って来れない様子だった。私は森行きの急行に乗り込んだ。冷房が良く効いていて快適だ。首筋の汗を拭いながら、外の景色を眺める。視界の殆どが白い以外は彼の地の都会との差異は少ない。次第に虫に埋め尽くされる車窓を洗う、ビルの屋上から放たれる放水の衝撃を除けば、これと言って驚くことは無かった。

 やがて電車は都心から市街地へ、市街地から田舎へと進んだ。平行して景色も変わった。乱立するビルは減り、空が広くなった。住民の数が減るのに反比例して、ペンギンやラクダの数が増えた。しかし、やたらとペンギンが多い。この数は異常だ。もしかしたら儀式が上手く行っていないのかもしれない。

 気付くと車掌が目の前に居た。どうやら居眠りをしてしまっていたらしい。終点だと言うので降ろされた。ここからは歩きだ。

 駅から出ると一面赤く染まっていた。背中に夕日を受けた虫達がキラキラと輝いている。都会の喧騒で気付かなかったが、虫達の波はうねりながら微かに音を発していた。その小さな音の重なりは、風に吹かれる枯葉に似ている。私は私の親戚が何故この地に移住したのかが、何となく判った気がした。

 この光景を何時までも眺めていたかったが、どの星の夕方も沈むのは早い筈だ。見知らぬ森での野宿は危険だ。夜が来る前に部落へ着かなければならない。

 私はロッカーを探し、服を脱いだ。持参した下着に替えると、服をロッカーに入れて鍵を閉め、道端へ鍵を投げ捨てた。虫達が鍵に群がり、白いコブを作る。コブは波打ちながら森の中へと消えていった。コブが消えた方向に一礼し、森へ入る。虫を踏み潰す感触が気持ち悪い。

 歩いて数分すると目印を見つけた。青い紐が樹の幹に、目の高さに縛り付けられている。どうやら私の部族は直ぐ近くに居るらしい。呼び声を掛けると返事が返ってきた。森の奥から娘が出てくる。私の幼馴染のよっちゃんだった。私はよっちゃんに案内され、部落へ辿り着いた。

 知った顔、知らない顔が交互に挨拶をしてくる。私は挨拶をそこそこで済ませ、部落の儀式の進捗状況を聞いた。あの街の様子では、余り上手くいっていないのだろうと思っていた。

 娘が足りない、と叔父が答えた。若い娘は都会に出て行ってしまう者が多く、処女が足りないという。私は部落を見渡してみた。よっちゃんを含め、年頃の娘は五人、儀式に必要な人数の丁度五人だった。

 叔父がよっちゃんを一瞥する。その目線を受けて、よっちゃんは気まずそうに頭を垂れた。それは私にとって衝撃だった。心臓が締め付けられる様な息苦しさを感じた。つまり、私の幼馴染は、既に誰かに手を付けられた後だと言う事だ。

 と、私が沈んでいると、隣から甥が否定した。都会の病院で検査をしたのだという。結果は不妊、よっちゃんは生まれながら妊娠出来ない体だったというのだ。私は短い言葉で納得したことを告げた。しかし、幼馴染へ掛ける気の利いた言葉はついぞ言えなかった。
 
 私の部族は代理の娘を探したが、一向に見付からなかった。みな古い迷信だと一蹴し、まともに取り合ってくれる者は居なかった。

 何も出来ぬまま、無為に二ヶ月が過ぎたある日、族長と私の従兄がペンギンに襲われた。族長は腹を割かれ、中身だけを綺麗についばまれている。従兄は体中をついばまれ瀕死であった。族長を担いで部落へ戻って来れたが、三日うなされて息絶えた。この森でさえ襲われる状況だ、都会の惨状が容易に想像できた。

 叔父が新しい族長に選ばれた。この部落には最早選択肢などなかった。遅れている儀式を今すぐ行うと、叔父は決断をした。賛成の声も非難の声も上がらなかった。只みな黙々と準備を始めるのみだった。それは葬式の様な静けさだった。実質これは別れの儀式だった。

 娘が子を孕む前の生娘ならば問題はない。只の通過儀礼の様なものだ。だがそうではない女が儀式に加われば、その女の安全は保障出来ない。

 私はその晩、よっちゃんがよっちゃんで居られる最後の晩に彼女の寝床に忍び込んだ。逃げよう、とそっと囁いた。君が犠牲になる必要は無い。君が居なくなれば、部落は代わりを必死で探すだろう。そうすればきっと代わりは見付かる。私と一緒に逃げよう、と。

 彼女は静かに首を横に振った。もういい、彼女の言葉には生きる気力が感じられなかった。私はついカッとなって、彼女の横っ面を張った。子供が産めなくたって良い、死ぬ必要はない。生きているだけで良い。生きているだけで、生きているだけ以上の何物かを生み出す事が出来るのだ。死は死でしかない。しかし、生は生それのみに止まらないのだ、と私は自然と声が大きくなっている事にも気付かずに捲し立てていた。

 自らの声の大きさに気付き、私は黙った。この時は全意識が彼女に向いていた為に考える余地が無かったが、この一騒動は部落中に聞こえていたのだと思う。そして、みな聞こえていながら、黙っていてくれたのだ。

 沈黙を破る彼女の泣き声は、子供のそれではなかった。返しの付いた針の様な一言一言を涙と共に絞り出す。私の従兄と恋仲であった事。婚約していた事。子供を産めない体でも、受け入れてくれていた事。

 出て行って。それを最後の言葉に、彼女はうんともすんとも言わなくなった。私は衝撃的過ぎるこれら事実を両手に抱え込み、よちよちと自らの寝床へと帰った。虫達のさざ波に紛れて、彼女は夜通し泣いていた。

 翌日、儀式が行われた。ペンギンの羽帽子にラクダのマントを羽織った五人の乙女達が華麗に舞う。やがて空が暗雲に覆われ、雪が降った。白い、粉の様な、幼虫の雪だ。よっちゃんは虫の雪が降り始めると、見る見る縮んでいった。小さくなったよっちゃんがマントに隠れる。そのマントから、もぞもぞと一匹のペンギンが出てきた。よっちゃんの両親が顔を背け、咽び泣いている。ペンギンは私達を見渡すと、一礼し、森の中へ消えていった。

 私はその日の内に部落を抜け出した。一刻も早くこの星から逃げ出したかった。

 駅の手前で虫を呼んだ。白いコブがうねりながら近づいて、鍵を手渡してくれた。私は素早くロッカーを開けて着替えた。都会行きの電車に揺られながら、昨夜の事を思い出す。何故、あの時、私は強引に彼女を連れ去らなかったのか。臆病者め。むざむざと彼女をペンギンに変えてしまったではないか。

 車窓から見える町並みにペンギンの死骸が点々と赤く、虫達の波に乗って揺らめいている。ペンギンは人を喰らう。そのペンギンを幼虫が喰らう。雪が降った後には、ペンギンの殆どは喰われてしまう。よっちゃんも、恐らくは……。

 私は嫉妬していたのだろうか? 私の恋心も知らず、従兄と恋仲になっていた彼女が憎かったのだろうか? 心に問うても、得心のゆく理由に辿り着けずにいた。

 気付くと車掌が目の前に居た。どうやら居眠りをしてしまっていたらしい。終点だと言うので降ろされた。ビルが揺らめいている。外は一面の雪景色だった。靴越しに虫を踏み潰す感触が気持ち悪い。

 清掃員が喰われたペンギンを道の脇へと掃き出している。服を着ていると一段と暑く感じる。首元のボタンを外し、汗を拭った。

 荷物を預け、カウンターの職員にビザを見せる。職員が私の顔を覗き込んでくるので、私の顔に何か着いているかと訪ねると、失恋したのかと不躾に聞いてきた。その時に気付いた。私は失恋すらしていない。自分の想いさえも伝えていない。

 勝てない。そう思ったのだ。このちっぽけな私の想いでは、従兄を想う彼女の絶望に打ち勝つことは出来ないと、そう思ったのだ。ならば言わずに内に秘めておこうとでも思ったのだろうか? なんという卑怯者だろう。自分の負けが明白だから、負けを認めたくない為に、保身で、彼女を見殺しにした。

 私は自身が、人を愛するに足る人物で無い事を痛感した。

 宇宙船が暗雲を抜ける。幼虫のつぶてが窓に当たり視界が白く遮られる。何も見えなくて良い。私はもう何も見たくないのだから。
 
 



       

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