Neetel Inside 文芸新都
表紙

僕と神無月さんの事情
五日目

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 夜八時になるのを確認し、着替えを済ませて部屋を出るとちょうど階段を上ってきた沙紀と鉢合わせした。
「お兄ちゃんどこか行くの?」
「神無月さんの家にね」
「神無月さんの?」
 何で? と首をかしげる妹に僕は頷いた。
「今日は神無月家でパーティーなんだ」

 昨日、天草君への追及を終えたあとすぐにクラスメイト達が戻ってきた。ガックリと肩を落として。天草君は既に席についており、彼に気付く者は誰もいなかった。
「どうだったの?」
 大体想像はついていたが僕はあえて尋ねた。葛本さんは自分の席につくとゆっくりと顔を上げ、首を振る。完全に顔が死んでいた。
「駄目……完全に聞く耳持たずだったわ」
 もう終わりよ、絶望よと嘆く葛本さんの声に感化され、何人かすすり泣く声も聞こえる。
「吉崎先生を懲戒免職にしても良いって言ったけど効果なかったよ……」
 葛本さんの机に腰掛けて宮下さんが言う。僕は完全に人柱にされた先生を気の毒に思った。
「もう駄目だ」
「俺今回のテストたぶんゼロ点だよ」
「私も」
「まず勉強してなかったしな」
「初日の騒動に加えて若槻が騒ぐからなるべくしてなったな」
「俺のせいかよ」
「お前のせいだ」
「あなたのせいで皆が全教科ゼロ点なのかもしれないのよ」
「何だよ何で俺のせいなんだよ」
「若槻が暴れだしたぞっ」
「きゃあ助けて犯される」
「大声出しただけだよ! 暴れてねーよ! 葛本勝手に服脱ぐんじゃねーよ!」
 暗澹とした教室の空気はやがて狂気へと変貌し僕らの青春を食い尽くそうとしていた。騒ぐクラスメイトの姿を見ているとこいつら本当に落ち込んでいるのかと疑わしくなる。さっきから葛本さんがやたら「犯される!」と騒ぎながら服を脱いでいるのだが、果たしてこの人は若槻君に恨みでもあるのだろうか。ただの露出狂である。友達の宮下さんはと言えば無表情で服を脱ぐ彼女を眺めていた。
 とにかくこれ以上事が進めば収集がつかない。みんな切れていた。切れる若者だった。
「神無月さん、まずいよ。どうにかしないと」
「ええ、分かってますわ」
 神無月さんは胸を張って大きく頷くと、黒板の前に立ち教卓を叩いた。バンッ、と大きな音が響き一瞬で室内が静まり返る。神無月さんに注目が集まった。
「こんな、こんな酷い事があっていいものでしょうか」
 彼女は、静かに語りだす。
「私たちはこれから高校生活初めての夏休みを控える身。夏の太陽に、アスファルトに、海に、縁日に、花火大会に、そして淡い恋の期待に、私たちは心躍らねばならないはずですわ」
 そうだ! いいぞ神無月さん! どこからか野次が飛ぶ。お前ら国会議員かと突っ込むのを堪える僕をよそに、神無月さんは続ける。
「それなのに、どうしてたかがテストに躓いただけでこれほど鬱屈した気持ちにならねばならないのでしょう? 間違っている、そう思いませんこと? 皆さん」
 拍手が上がった。野次も飛ぶ。なんだこのクラス。再び騒がしくなる予兆を見せる中「そこで!」と彼女は一端言葉を切る。再び静寂が舞い戻る。
「そこで?」耐え切れずに、僕は尋ねた。彼女は頷く。
「そこで、明日のテスト終了後、我が神無月家でパーティーを行いましょう」
「神無月さんの家で? 最高だわ!」
 上半身裸で手ブラをしている葛本さんが叫び、わっと歓声が上がる。どうでも良いが彼女はいつになったら服を着るのだろう。周囲の人間が微塵も気にとめていない。神無月さんの先導力は確かにすごいが、それ以前に何かがおかしいとは思いませんか。

 家を出るとすっかり空が暗くなっており、晴れ渡った空には月が昇っていた。
 僕は神無月家の大きな門の前に立つ。こうして中に入るのは果たして何年ぶりだろうか。チャイムを鳴らすと、警備の人が門を開けてくれた。グゴゴゴ、と地獄の釜でも開くような音がする。重量何キロあるのか気になるところである。
 門から少し歩いたところにバス停がある。神無月家の敷地内は広すぎる為あちこち送迎バスが走っているのだ。従業員や外来者はそのバスに乗って各目的地に移動している。バス停に近づくと、そこに誰か立っていた。
「瀬戸さん、遅いですわ」
 まごう事なき神無月さんである。何故かまだ学校の制服を着ている。
「……待っててくれたの?」家主がこんなところに一人でいるとは想像しがたかった。「クラスのみんなは?」
「とっくに中に入ってますわ。瀬戸さんが最後です。瀬戸さん待ちですわよ」
「ああそっか、ごめん」
 だから迎えに来てくれたのか。僕が来なかったら直接呼びに来るつもりだったのだろう。所用があるときはいつも三枝さんがやってくるので神無月さんが直々に来るのは本当に珍しい。
「バスは後何分で来るの?」
「一分ですわ。このまま待ちましょう」
 僕らはバス停の傍に置かれている真新しい木製のベンチに腰掛ける。入り口横にある警備員室から少し明かりが漏れている程度で、あとは人の気配がまるでない。
「天草君も中に?」
「スタンバってますわ」
「石壁さんは?」
「みんなと一緒にいますわ」
「大丈夫なの?」
「任せてください」
 準備万端と言うところか。あとは作戦を決行するだけだ。
 そこでふと思い出して、僕はポケットから丸い小型のピンマイクを取り出した。
「そういえば神無月さん、これありがとう。返すよ」
 神無月さんは僕の手のひらに乗ったそれを眺めると、つまみ上げて僕の耳に突っ込んだ。予期せぬ行動と急な感触に「ひぁっ」と声が出る。
「ふふ、瀬戸さん女の子みたいですわ。失礼、女の子でしたわね」
「男だ」
 よく見ると神無月さんの耳にもピンマイクが入っていた。
「今宵は細やかな情報共有が必要になるかもしれませんわ。だからそのマイク、もう少し身につけておいて下さいませ」
「分かったよ」
 そのとき遠くからバスの光が見えた。
 僕達が立ち上がるのと、バスが僕らの前で止まるのはほぼ同時だった。ドアが開く。
「それじゃあ瀬戸さん、行きましょうか」
 神無月さんは先に乗り込むと、僕に手を伸ばす。
「夏休みの始まりですわ」
 夏休みはまだだ。

     

 十分ほどバスに揺られてようやく会場が見えてきた。神無月家の本館。その入り口に広がる庭で、バーベキューの準備が行われている。小さなバーベキュー用のコンロがいくつも置かれ、机の上には肉を山盛りに乗せた皿がいくつも置かれているのがわかった。
「すごいね、これ」バスの中から会場を眺める。まだ始まってはいないようだ。クラスのみんなが、机の上に並べられる食材を見て興奮しているのが見て取れた。
「バイキング形式のバーベキューですわ。中高生向きだと思いまして」
「まぁ上品なお食事を出すよりよっぽど喜ぶだろうね。でもお金とか大丈夫なの?」
 この人数分の食事を用意しようと思ったら相当資金がかかるはずだ。いくら大富豪の神無月家とは言え、各々から徴収したほうが良いのではないだろうか。
「大丈夫ですわ。我が家の畜産部が外来客用に育てていた牛の肉ですもの」
「今日さばいたの?」
「いえ、二、三日前にさばいたのがたまたまありまして。それにちょっと熟成させたほうが牛肉は美味しいですから」神無月さんはそこまで言うとふっと優しげな笑みを浮かべる。「処理される牛の姿は毎回覚えておくようにしています。私たちは生命の上に成り立っているのだと感じるために」
 相変わらず恐ろしい女である。ふいに見せる狂気に身が震える。
 そこでバスがガタンと揺れて停止し、ドアが開いた。
「さっ、着きましたわ。皆さん既に待ちくたびれてますわよ。行きましょう、瀬戸さん。念のため、通信機の電源も入れておいてください」
「わかったよ」
 神無月さんに続いてバスから降りるとクラスメイト達が僕に気付いた。遅いぞ瀬戸、重役出勤かよ、あなた社長ですか、掘るぞ、そんな出迎えの言葉をいただきごめんごめんと軽い謝罪を口にする。
「遅いじゃない瀬戸君。私たちに肉を食べさせない気?」
「葛本さん」
 夏らしいショートパンツの彼女を見て、そう言えばクラスメイトの私服を見るのは初めてだと気付く。
「ごめん。でもまだ開始時間は来てないんだし許してよ」
 予定では十九時半開始である。いまはその五分前だ。神無月家には時計塔があり、ここから月明かりに照らされ、時間がよく見える。
「まぁお腹が減ったほうが美味しさも増加するしね」
「そうだよ。ところで、宮下さんは?」
「それがさっきから姿が見えんのよ。男とシケこんでなきゃ良いけど」
「シケこむて……」
 でも、確かに夏休み前で、テストからも開放され、それに加えて神無月家でのパーティーだ。クラスの男女間でそろそろカップルが出来てもおかしくない状況ではある。
 辺りに照明が薄く点灯してはいるが、そこまで強烈な光じゃない。たぶん今日は月明かりが強いのでそれを考慮しているのだろう。
「まぁ、ムードはあるよね」
「うん。あるある。さっきちょっと探索したけどさ、所々にベンチがあるから二人きりになろうと思ったらいくらでもなれるのよ。さすが神無月家ってところかな。広いし綺麗だよね。庭でこれなんだから屋敷内もやばそう」
「実際広すぎて地図がいるよ」
 昔来た時に屋敷内の地図とコンパスを渡された記憶がある。
「なるほどねぇ。さっすが良く知ってますなぁ」
「神無月さんとは十年以上一緒にいるからね。仲良くて当然だよ」
 まぁ、彼女のそばにいると言う事は決して楽ではないが。
 勉強もスポーツも出来て、気立ても良く生徒からの人気も厚い。時々抜けている部分はあるけれども、それも愛嬌の一つとして捉えられている。クラスの同級生を全員呼んでも差し支えないくらい家が広く、財産も完璧。
 十年以上そんな人の横に付くと、当然のように比べられたり、妙な噂を立てられたり、馬鹿にされ笑われることもある。
 今までの友達はそれに耐えられなくて徐々に僕らから離れて行った。
 でも僕は、神無月さんを一人にすることは出来なかった。彼女は何も悪くないのだ。
 僕は、彼女の友達でいたかった。常に対等な位置で彼女のそばにいられる人間が、彼女には必要に思えたのだ。
「神無月さんは僕のことどう思っているかはわからないけど」
 呟いた直後、耳元でザッとノイズの走る音がした。その音で自分が通信機をはめている事を思い出す。そう言えば電源を入れっぱなしだった。周波数も合わせてあるので、もしかしたら神無月さんに聞こえたかもしれない。耳の感覚に慣れてしまっていたためにすっかり忘れていたのだ。慌ててスイッチを切る。
「どうしたのよ、瀬戸君」
 急に僕の顔が強張ったので葛本さんは首を傾げる。僕はそれには答えずにいた。
 聞かれていただろうか。
 そんな不安が脳裏をよぎる時、屋敷の玄関が開いた。

     

 仰々しい音と共に扉が開き、どこにあったのか照明が当てられる。なるほど、薄暗くしていたのはこのためか。一気に注目の的だ。
「皆さん、本日は我が神無月家に足をお運びいただき、誠にありがとうございます」
 扉の影から姿を現した神無月さんは先ほどとは違い私服を着ていた。薄手のパーティードレスでも着るのかと思いきやTシャツに薄手のパーカーを羽織い、デニムのスカートにスニーカーと言う簡素ないでたちだった。彼女にしては珍しい格好ではあるが、バーべキューを考慮しての事だろう。
「パーティーを始める前に、皆さんに紹介しておきたい人がいますの」
 その言葉に周囲がどよめき、葛本さんも怪訝な顔をした。
「ひょっとして神無月さんの婚約者? どうしよう、幼なじみってだけで優越感に浸ってる瀬戸君がかわいそう過ぎて私にはとても励ましきれないよ。だって人として終わってるもん」
「君、ちょっと黙ってくれないかな」
 僕が葛本さんを睨んでいると再び神無月さんの声が響く。
「私たちの新しい仲間になる方です。天草さん、出て来てくださいませ」
 神無月さんが振り返るのを合図に、扉へ皆の視線が集まる。
 やがてコツリと靴音を響かせ、一人の男性が姿を現した。
 どう見ても吉崎先生だ。
「みんな、今日は呼んでくれてありがとう」
 呆然とする僕らの前で嬉しそうに両手を掲げた吉崎先生は、神無月さんの指示によってSPに連行された。先生の姿が完全に消えたところでようやく天草君が玄関から姿を現した。会場からどよめきが起こる。
「この夏転校してきた天草さんです。テスト終了後から私たちと共に授業を受けることになっていますわ」
 神無月さんの紹介で天草君は軽く頭を下げる。髪の毛を切ったのか、短髪になった彼は随分爽やかになっていた。たぶん神無月さんの配慮だろう。転校生なのに不潔感を漂わせると悪印象を与える可能性がある。
「天草葉です。よろしく」
 パチパチと神無月さんが拍手をし、徐々に拍手が広がる。よろしくな、と声が上がり天草君は嬉しそうに笑みを浮かべた。ノリが軽いのもこのクラスの良いところだ。
 吉崎先生が玄関から出てきたのは、恐らく神無月さんが先生に相談していたのだろう。天草君のテスト結果は皆に内緒で吉崎先生からまとめて本人に返却してもらえないか、と。
 僕達は天草君がテスト後から加入する転校生として話を進める事に決めていた。そうするにあたって、もし彼のテストが皆の物と一緒に返却されてしまったら違和感を覚える生徒が出るかもしれない。吉崎先生に話をしたのは、それを考慮しての事だ。
 ただ、まだ石壁さんの事が残っている。僕たちを除くと事件の真相に気付いているのは彼女だけだ。彼女が神無月さんの話の矛盾に気付き、指摘する可能性はゼロではない。神無月さんは自分に任せてくれと言っていた。果たしてどうするつもりだろうか。
「さぁ、それではパーティーの始まりですわ。テスト打ち上げ、及び天草さんの親睦会も兼ねています。どうぞ皆さん楽しんでくださいませ」
 神無月さんはそう言うとぺこりと頭を下げた。拍手が起こり、それと同時に数人が焼肉に向かって駆け出す。
「あれ? 終わり?」
「何言ってるの瀬戸君。あなたの人生じゃあるまいし、終わりなわけないでしょ。パーティーは始まったの。食いに行くわよ、勝どきを上げにね」
 葛本さんは言うやいなや肉のほうへ向かって突進していった。あの女、いつも一言多い。
 一人取り残された僕は周囲にだれもいないのを確認してから、通信機の電源を入れた。
「神無月さん」
 すると神無月さんは玄関の壇上からチラリと僕をいちべつする。どうやら声は届いてるみたいだ。先ほどの事があったので少し気まずかったが、確認しておくべきだろう。
「石壁さんの事がまだ解決してないけどどうするの?」
 彼女はこちらに向かってにっこりと笑みを浮かべた。妙に自信ありげなその表情を見る限り、恐らく何らかの対策はしてあるのだろう。心配するなという事か。
 とりあえず問題は後回しにして、今はパーティーを楽しむことにしよう。取り皿はどこかと探していると、不意に肩を叩かれて紙の皿と割り箸を手渡された。
「持ってないんでしょ? あげる」
 宮下さんが立っていた。
「どこ行ってたの? 葛本さん探してたよ」
「トイレだよ。便座が気持ちよすぎて眠るって現象を初めて体験した。そもそも便座カバーが違うんだよ。絹で出来てるんだ。まるでムーニーマンのようにお尻をやわらかく包んでくれる。そこには愛が溢れてるんだ」
 どうでも良い話である。僕は聞くのをやめた。
 バーベキューは思ったより円滑に進んだ。神無月家の執事達が上手く場を仕切ってくれているのが理由だろう。和気藹々としたクラスメイト達の声が広がり、初夏の夜を彩る。
 こんなにみんなが幸せそうな笑顔で笑うのも、全て神無月さんのおかげなのだ。
「彼女には敵わないな……」
 何気なく呟くといつの間にか便所の話を終えた宮下さんが僕の肩にポンと手を置いた。
「そんな事ないさ。神無月さんにないものをあんたは持ってる」
「何さ」
「信頼だよ。あんたは学年の男女が性的に見ているランキングナンバーワンなんだ」
 なんだその意味不明なランキングは。少なくとも信頼とは全く関係ない。
「女子の彼氏にしたいランキングナンバーワンとは言われたことあるんだけど……」
「それもあるけど、あんた男子人気も高いから。男子の間で行った人気投票であんたが女子を抜いて一位だったんだって」たまらなく逃げ出したい。
 僕は近くのベンチに腰掛けた。隣に誰かが腰掛ける。宮下さんだろう。顔を上げる。
「瀬戸さん? どうかしまして?」
 神無月さんが横に座っていて飛び上がりそうになった。普段はすごい存在感の癖に、こう言う時はまるで忍者だ。僕は軽く咳払いをしてどうにか気持ちを落ち着ける。
「大丈夫ですの? 体調が悪いなら神無月家専属の医師を呼びますが……」
「いや、大丈夫だよ。宮下さんだと思ったからちょっとびっくりしただけ」
 見ると宮下さんは遠巻きに僕の方を見て親指を立てていた。彼女なりに気を遣ったらしいが、余計なお世話でしかない。そんな僕の気持ちにも気付かず、宮下さんは怪しげな笑みを浮かべるとバーベキューの集いへと身を消した。
 神無月家の執事に先導され、皆はおいしそうに肉を食べる。天草君はと言えば、クラスの男子と会話していた。上手く馴染めているようでホッとした。焼肉を食べる人の中には三枝さんの姿もあった。彼は執事の格好をしており、皆の為に肉を焼くフリをしながら、こそこそと肉を口にしていた。仕事しろ。
 賑やかな雰囲気の中、僕らの周りだけ静寂が満ちている。神無月さんは幸せそうな顔でバーベキューの光景を眺め、嬉しそうに目を細めていた。
「いい夜ですわね」
「最高のバーベキューだよ」
 僕は神無月さんに合わせて前を向く。聞くなら、今だろうか。何となくこの状況が僕の口を軽くした。
「実を言うと、ずっと疑問だったんだ」
「何がですの?」
「神無月さんみたいな何でも出来る人が、どうしてこの高校に通ったんだろうって」
 今までずっと心に引っかかっていた事だ。
「それはたぶん、僕にレベルを合わせてくれた為でしょ?」
 神無月さんほどの人なら、もっと上の進学校にだって通うことは出来たはずだ。彼女の両親もそれを望んでいるはず。それなのに、どうしてその期待を蹴ってまでここに来たのだろう。
「どうして、神無月さんみたいなすごい人が僕と一緒にいてくれているのか、今でも不思議で仕方ないんだ」
「瀬戸さんは?」
「えっ?」
「瀬戸さんはどうして私と一緒にいてくれますの?」
「どうしてって……」
 今まで色んな人に馬鹿にされ、比べられ、笑われたこともあった。それなのに何故だろう。
 彼女が友達だから?
 放っておけなかったから?
「分からないよ」
「教えてあげますわ。瀬戸さん」
 神無月さんは至極真面目な顔つきをする。
「瀬戸さんも私も、気持ちは一緒なのですわ」
「つまり?」
「こんな上玉、逃がしてなるものか、と」
「それはないな」
 僕が上玉? その事実は深く胸に突き刺さるものがあった。
「瀬戸さんと」
「うん?」
「瀬戸さんと私の関係は一体なんなのだろうと、一時期悩んだ時期がありましたわ。友達? 恋人? 体だけの関係?」最後に戦慄した。
「瀬戸さん、私たちはもう親友以上の関係だと思いますの。一心同体と言うか、相棒に近い何か」
「運命共同体って事?」
 彼女はゆっくりと頷く。
「私たちは何をするにしても一緒なのですわ。まぁ最終的には結婚すると思いますが」
「マジか」発言が重い。三十歳未婚女性並だ。
 僕が再び頭を抱えていると「ま、冗談はさておき」と神無月さんは立ち上がった。冗談かよ。僕は舌打ちをする。人生三本の指に入るくらい焦ったのだ。舌打ちくらいする。
「そろそろ私たちもバーベキューを食べましょう。お肉がなくなってしまいますわ」
 神無月さんは振り向くと僕に手を差し伸べてきた。その笑顔はまるで輝かんばかりの美しさだ。何だかんだ言って、彼女は憎めない。お茶目で、上品で、時々意味不明だが、そんな彼女と一緒にいるのが僕は好きなのだ。
 僕は神無月さんの手を取るとゆっくり立ち上がった。そのまま手を引かれ、皆のところへ歩いていく。
「でもね、瀬戸さん。私は──」
「えっ?」
 彼女の言葉は突然の轟音と光にかき消された。僕は思わず空を見る。
 大きな花火が上がっていた。綺麗な花火だ。
「あ、忘れていましたわ。今日は我が神無月家専属の花火職人が来ている事を」
「そう言えば毎年この時期になると花火が上がってるよね」
 花火がまたあがる。音が体にぶつかってくる。歓声が上がった。
「神無月さん、さっきの言葉だけど……」
 僕が言おうとすると神無月さんは慌てたようにぶんぶんと首を振って「いいんです」と言った。
「聞こえなくて正解ですわ。下らない妄言ですもの。気にしないでくださいませ」
「そう……」
 僕は頷いた。神無月さんはそれを見てホッと安堵すると、再び僕の手を引く。
 実を言うと彼女の言葉はしっかり耳に届いていた。彼女は気付いていないのだ。耳にはめた通信機の電源が入れっぱなしになっていたことに。
 でもそれは、彼女には内緒にしておこう。
 花火がドン、ドン、ドン、と連続して空を埋め尽くした。
 何発も、何発も空に放たれる。何十、何百、何千。空が光で満たされていく。
 光以外見えなくなる。世界が光に包まれる。火の粉が降り注ぐ。会場がパニックになる。
 やりすぎだ。

       

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Neetsha