Neetel Inside 文芸新都
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スカートの骨格
猫舌のこたつむり/疲れかけのポニーテール

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【猫舌のこたつむり】

 そろそろ初雪が舞い散りそうな季節、本屋のバックヤード兼休憩室には埃が乱舞する。
 返送分の雑誌を段ボール箱にまとめながら、俺は小さく咳払い、ひとつ。
「咳をしても一人」
 数回、軽く胸を叩きながら大きく息を吸い、そのままゆっくりと、溜息と間違われないように気をつけながら吐き出す。
 段ボールを数個分、一気に運んだせいか少々気道を通る息が熱い。今まとめている分は、箱の埋まり具合からいえば次に回されるだろう。
「いつも力仕事ばかりおまかせしちゃってごめんねぇ」
 不意に背後から声をかけられる。
「大丈夫っすよ。そろそろ終わりの時間っすか」
 そう返しながら振り向くと、案の定、香保がいた。しゃがんだまま見上げても、ちっちゃい人だ。
「今、終わったとこ」
 そう言い、香保は『んー』と背伸びをする。それでもちっちゃい。
「お疲れっした」
 作業を手仕舞いしようと箱に向き直ると、香保が正面に回り込み、しゃがんで視線を合わせてきた。
「山頭火とか、好きなん?」
 唐突にそう問われる。
「ラーメンっすか」
 俺のどこにラーメンの要素があったのかは疑問だが、反射的にそう応える。
「いいねえ、今度行こっか。奢るよ」
 揃えた膝の上に肘をつき、頬杖をついたまま小首を傾げゆっくりと微笑んだ。
 やばい。香保さん、可愛いっす。
 そう思ったのが表情でバレないよう下を向き、ゆっくりと段ボールの蓋を閉める。
「ごちっす」
「この季節、暖かい食べ物が恋しいのはいいんだけど、眼鏡が曇るのが難点よねえ」
「眼鏡っ娘なんすか?」
「うん」
 意外だった。なんというか、香保に抱いているイメージは『ちっちゃい分だけ元気娘』だったから。いや、元気と眼鏡は並立し得るのは承知の上だが。
「眼鏡っ娘、好き?」
 唐突な。
「そうでもないっす」
 本当に、そうでもない。場を誤魔化すなら『好きっす』とか『見てみたいっす』とか言えばいいのかもしれないけど。
「顔赤いよ?」
 それは、香保さんが可愛いからです。
 そう思っていると、香保の手が額に延びてきて、押し当てられた。
「熱、あるんじゃない?」
 ちょっと真面目っぽい声になって。
「さっき咳? 咳払い? してたし」
 あ、したかも。憶えてないけど。
「店閉めは私がやっとくから、帰って休んだ方がいいよ」
 畳み掛けられるように帰る方向に話が進められる。おかげで動揺が言葉に出る隙もないのが幸運か。
「それなら、お言葉に甘えます。あざっす」
 体がつらい訳ではないが、人間関係に無理をかけてまでする作業でもないし。
 そう思い、応える。すると何故か香保は誇らしそうに、
「そうそう。お姉さんのいうことは聞いておきなさい」
 えっへん、とばかりに胸を張ってみせる。あまりないけど。


         *


 そのまま急かされるように店を出て、帰路につく。
 鳥も通わぬ──というほどでもないが、一地方都市の商店街などペットショップのカナリアよりも閑古鳥の方が多いくらいだ。西部劇ならタンブルウィードの鬼ごっこのシーンだが、ここではそれが客引きのチラシになるくらいの違いしかない。
 そんな街中も冬へと向かい、ここ最近は心なしかカラスの姿も見かけないような気がする。
「カラスも啼かず、私は一人」
 放哉の歌に対する、山頭火の返歌をワケもなく改変する。
 そして、ただ誰もいないだけやないかい、と自分でつっこみつつ。
 ああ、山頭火か。今頃気付いた。香保はこれが言いたかったのだろうか。
 素直にデートの誘いだと勘違いした自分が照れくさい。そして、話をあわせてくれた香保に感謝するとともに、強引に奢ると言わせてしまったような状況を少し反省する。
 それとは関係ないが、肉まんでも買って帰ろう。


         *


 香保が言った通り、熱が出た。
 店長に休むと連絡し了承を得た後、気を失うように眠ったらしい。コタツで。
 ──『閉店後お邪魔します』
 香保からのメール。着信は既に閉店後の時間になっている。何故『今から』ではないのだろう? 仕事が忙しくなったが故なら悪いことをしてしまった。早く治さなければ。
 そうは思うものの、実際にできることは、そう多くはない。食欲がないのでインスタントのコーンスープを胃に流し込むくらい。ああ、香保が来るのなら掃除……といっても掃除してるところを見られたら、怒られそうなので断念。
 仕方がないのでコタツに入ったまま天板に顎を乗せて、だらしなく融ける。
 そうやっているうちに、玄関のほうから物音が聞こえ始め、呼び鈴が押された。
 鍵は開けておいたのだが、一応迎えに出る。
「具合は、どう?」
 そこにいたのは、リュックを背負い、両手にレジ袋を提げた香保だった。
「なんすか、その重装備は」
 せっかく見舞いに来てくれたのに失礼かとは思うが、正直、少し笑った。
 靴をつっかけ、一度ドアの外に出る。そして、開けたドアを保持。
「ちょっとそれ、ひどくなーい?」
 香保はそう言って少し頬を膨らまして、そして、微笑む。
「まあ、あがってください」
 そう言って目を反らしたのは、可愛くて体温が上がってしまいそうになったから。
「おじゃましまーす。意外と片付いてるのね」
 促されるまま部屋に入った香保は、そんな保護者のようなことを言う。
「物がないだけっすよ」
 なんとなくそう答え、ドアを閉め、一応、鍵はかけずにそのまま部屋へと戻る。
「ごはんは食べたの? 食欲は? って、こら」
 香保はますます保護者のようだ。わざわざ荷物を持ち替えてまでコーンスープの袋を指し示す。
「まさかこれだけで済ませたわけじゃない、わよ、ね?」
 何故、詰問口調か。
 そんな疑問が浮かび、それが全く解決しないうちに、香保は言葉を繋げた。
「ま、いいわ。作ったげる。うどんと蕎麦と、どっちがいい?」
「……え?」
 熱のせいで呆けている脳では処理が追いつかなく。
「うどんと、蕎麦。ラーメンは準備してないのよ。一緒に食べに行くんだから」
 それは俺の疑問の解決には全く役に立たない言葉だったのだけれど、何故だか心が温まってしまって。
「うどんでお願いします」
 そう答えていた。
「はい」
 見間違いでなければ、香保の目頭には僅かに涙が浮かんでいて。だけど、その理由には全く心当たりもなく、そして、それを確認する機会は失われた。
「準備するからお勝手借りるわね。その間はこれ飲んでてね」
 そう言って香保が下を向いてしまったから。香保はレジ袋からペットボトルと紙コップを取り出し、俺に手渡す。
 材料を確認しているのか、袋の中を覗き込んだまま、
「粉末もあるけど、置いてくから明日の朝にでも作って飲んでね」
 そう言い残し、香保は迷う様子もなく台所へと移動する。
 台所、片付けておいてよかった。香保にだらしないと思われるのは精神衛生上宜しくない。実際には料理が不得手なだけ、なのだけれども。
 なんか妙なことになったな。
 そんな埒もない感想を抱きつつ、コタツの定位置に腰を下ろし、スポーツドリンクを紙コップに注ぐ。
 何故、この人は俺の部屋で料理をしているのだろう。しかも、鼻歌交じりで楽しそうに。
 香保は実家暮らしだと聞いていたが、料理が好きなのだろうか。仕事中も手際がいい人だとは思っていたが、それは料理の手順でも変わらないらしい。
 それにしても、てきぱきと動く香保さんは可愛いな。
 右に左にステップを踏むたびに、疲れかけのポニーテールが楽しげに自己主張する。
 そんな香保をのんびりと眺めつつ、俺はコタツの上に融けるように顎を乗せる。仕事中はゆっくりと見る余裕はないけれど、変わらず楽しそうでいる香保を見て、なんとなく安心してしまったせいだ。そういうことにしておこう。
 責任を擦り付けつつボーっと香保のほうを眺めていると、香保がなにやら歩み寄ってくる。
「これ、鍋敷ね。もうすぐだから待っててね」
 融けた俺がコタツの天板上を占有していたせいか香保はちょっと鍋敷の置き場所に迷ったらしいが、紙コップの横の空いたスペースにそれを置き、またすぐに台所へと戻る。
 俺はなんとなく申し訳なく思い、上半身を起こし、天板の上を整理する。
 そして、
「どうぞ召し上がれ。あわてて準備したから超手抜きっぽいけど。ごめんね」
 台所から用心しながら歩いてきた香保が、スウェットの袖を伸ばした手で持った土鍋を置き、そのまま俺の左前の位置でコタツに入る。
 あれ?
「どもっす。でも、香保さんの分は?」
 香保は一瞬だけ動きを止め、そして
「……忘れてた」
 そう、真顔で言う。
「忘れてたのに、その大荷物っすか」
 思わず指摘してしまうくらいに、あの姿は印象に残ったから。
「忘れてたのにね」
 ちょっとむくれた香保さんも可愛いっす。
 でも、店では見られないそんな香保の姿が妙に面白く、吹き出してしまった。香保に悪いかと思い様子を窺おうとしたら、香保も笑っていたので俺もなんとなく笑い続ける。
 そして、一息ついて。
「何を持って来てたんすか、そんなに」
 あの大荷物は、うどん一杯には少々大袈裟すぎるだろう。
「えっとね、ちょっと待っててね」
 香保は立ち上がり、台所からレジ袋をふたつ持ってきて、また元の位置に座った。
「リュックは家から持ち出し。レジ袋のは途中で買ってきたの」
 レジ袋を渡された。そのまま香保は言葉を続ける。
「苦手なのがあったら無理しないで言ってね」
 中には菓子やレトルト食品など、手軽で保存の利くものが主で。
 元々それほど偏食があるわけでもなく、全て問題なくいただけるだろう。
 そう考えつつ、香保にむけて、右手の親指で『ぐっじょぶ』というような仕草をしてみせる。
 すると、香保は少し笑って言う。
「これの他には、カセットコンロとか電子マッチとかがリュックのほうに」
 こともなげに。
 俺って、どれだけ部屋を片付けられないと思われていたのだろう。
「俺の部屋でキャンプでもするつもりだったんすか」
 思わず突っ込んでしまう。
「いいもんいいもん、お菓子たべるもん。飲み物ちょうだい、紙コップで!」
 香保が、なんか拗ねた。両手を伸ばしてレジ袋を取ろうとしている。
 俺は思わず香保からレジ袋を遠ざけ、香保の手の届かない俺の右側の位置にレジ袋を置く。
 香保は、なんだかジタバタしてる。
「香保さん、なんか可愛いっすね」
 動きが止まる。
「まだ熱あるんじゃないの」
 香保は右手を俺の額に伸ばし、熱を確認する。
「たぶんそうっすね」
 そう、たぶん。たぶんだけど、確実に。でもそれは、風邪の熱ではなく。
 そして、数瞬の間。
「食べないの?」
 香保が先に折れた。
 そして、そう言いながら立ち上がり、俺の背後の方へ歩き出す。レジ袋が目的だろう。
「猫舌なんすよ」
 言ってくれたら渡すのに、と思いつつ。
 背後から。
「咳をしてもぴっとり」
「え?」
 香保が抱きついてきた。
「『一人』じゃないよ、って」
 ──『一人じゃないよ』、か。
 確かにね。てきぱきと動く香保は普段どおりの頼もしい香保でもあり。風邪をひいて弱っているせいではなく、そして、元々好意を抱いているという贔屓目を差し引いても。
「尾崎放哉っすか」
 気付けば、自然と、そう返していた。
「そ。おざきほうさい。っすよ」
 香保は、俺に抱きついたまま、そう返事をした。
 疲れかけのポニーテールが、彼女の首越しに俺のうなじをくすぐり揺れる。
 そして、このままずっと。
 このポニーテールに惹かれ続けそうな、なんとなく、そんな気がするんだ。


       

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Neetsha