Neetel Inside 文芸新都
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ニッポニア
廃仏毀釈

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 徳川宗家そうけを相続していた一橋慶喜が十五代将軍に就任し、徳川慶喜となった。これまでの複数の老中による合議制から改め、家康、吉宗以来の将軍による専制を敷く。当初英明な君主として期待されたが、将軍の器ではなかった。部下や諸藩に対しては居丈高に、外国に対しては腰砕けに、その行動はブレまくる。慶応三年十月十四日(1867年11月9日)追い詰められ、政権を投げ出した。翌十五日、明治天皇が勅許し大政奉還が成立。同年十二月九日(1868年1月3日)王政復古の大号令が出され、薩摩藩と長州藩が中心となって新政府が樹立されることになる。



 函館港より降り立った下之介とちるーは、北上して渡島おしま駒ヶ岳のふもとの山道を下っていた。土砂崩れの跡が11年前の噴火の傷跡を生々しく伝えている。まだ11月だというのに小雪がぱらつき、日が落ちた途端に刺すように寒い。北海道の長い冬が始まっていた。
 今ごろ京では水仙の花が咲き、匂い起つたちばなの実が色づいていることだろう。二人は木枯らしに吹かれながら、凍てついた大地を踏みしめる。
 振り返って険しく荒々しい駒ヶ岳を見ると、よくぞここまで来たもんだと感傷がこみ上げてきた。渡島おしま富士と言うだけあって、そのシルエットは富士山そのものである。本土から見ていた富士山を思い出しながら、下之介は見知らぬ土地でのこれからの暮らしに不安と心細さを感じていた。隣にちるーがいなかったら泣いていたかも知れない。
 向き直ると目の前に漁村が見えてきた。今晩泊まる予定の鷲ノ木村だ。どんな寒村かと思ったが、小藩の漁村と思えないほど栄えていた。噴火湾の暗い沖合に烏賊いか釣り漁船の漁火いさりびがぽつりぽつりと輝いている。
 松前藩は北海道の南端にあるため、三百諸藩の中で唯一米が取れない藩である。日本の主産物であり、貨幣の代わりとしても流通していた米。その米が取れない松前藩が裕福だった理由の一つは、北海道アイヌとの交易を独占的に認められていたからである。しかしアイヌから見れば交易のレートは不平等であり、実質的には松前藩の植民地だった。この点は薩摩藩と琉球王国の関係と似ている。
 もう一つは地引網漁法の発達によってイワシが大量に取れたためである。食料を賄って余りあるイワシは干鰯ほしかにした。これが稲作にはなくてはならない肥料となり、本土の農民は自分たちの作った米を一生食えないほど貧しかったが、松前の漁民は白い飯を毎日食べられるほど裕福だった。
 下之介は未開の地だと思っていた場所に人が住んでいることに驚いた。150戸程の家々が立ち並び、人口は800人ぐらいだろうか。農村では見られない瓦葺かわらぶきの屋根がちらほらあり、蔵屋敷が軒を連ねている。村の中心地には立派な寺まであった。
 今日はあの寺に泊まろうということになり、下之介は交渉しに鷲ノ木寺と立て札に書かれた本堂へ入ろうとする。すると本堂の奥から阿弥陀如来が右に傾き、左に傾き、大きく歩いてくる。下之介は大層驚いて入口から飛びのいた。
 松明たいまつに火が点けられ、仏像を本堂の入口から外に運び出す群衆に気がつく。罪人のように巻かれた腰ひもにつないだ二本の綱を、村人たちが右に引っ張り左に引っ張り運んでいく。
 やがて独裁者の銅像のごとく、仏像は引き倒された。
「なんてことを。」
 元仏教者として下之介は黙っていられなかった。
 村人たちも本意ではないのか口をくぐもらせる。
「仕方なかろう。」
「天朝様(天皇陛下)の世になったから。」
「わしら言われるままやっとるだけで……。」
 下之介は村人たちに詰め寄る。
「誰じゃ、そんなことを言ったのは。」
 村人たちは指こそ差さないが、視線の先が示していた。
 下之介は烏帽子を被り神主の格好をした男に近づいた。神主はなぜか顔をそむける。年は下之介と変わらず三十路に見えるのに、襟足がつるりとしてまるで毛がない。もしやと思い、顔を覗き込む。見知った顔だ。
「ご同輩、いつ宗旨替えしたんじゃ。拙僧を憶えておいでか。ともに比叡山で修業した。」
「知らん、お前なぞ知らん。」
 そう言って神主はあきらめ悪く顔を隠した。
 下之介が神主の烏帽子をはしっこく奪い取ると、坊主頭があらわになる。
「どこかで見た顔だと思ったら、やはりな。拙僧も苦労しましたよ。なかなか伸びないもので。」
 エセ神主は顔を隠していた手で、今度は頭を隠した。
 村人たちがエセ神主に松明たいまつを近づけ、急に手のひらを返す。
「あっ、こいつ、鷲ノ木寺の住職じゃねえか。」
「本当だ。」
「なんで神主の格好してるんだ。」
「危うくだまされるとこだった。」
 エセ神主は観念したのか、開き直ったのか、正直に話す。
「御一新で世の中がひっくり返ったんだ。仏教は外国から来た邪教とみなされる。」
 これは、エセ神主だけが異常なのではない。まったくの妄信というわけでもなく、根拠があった。
 そもそも尊王攘夷をスローガンに始まった討幕運動は、いつの間にか海外と貿易して国を興すべしという思想にすり替わっていった。インテリ思想家たちは輸入した武器のおかげで幕府軍に勝てたことで外国の力を認め始めていたが、下っ端の運動家たちはついていけず不満だけが残った。
 このガス抜きのためにインドから来た宗教である仏教がやり玉にあげられた。まだ神仏分離令は出されていなかったが、空気を読んで過剰に反応する村もあったそうだ。政府の顔色をうかがう日和見主義は今に始まったことではない。
「お上を忖度そんたくして、誰よりも率先して仏像を壊そうとしたのか。仏に罪はないだろうに。」
 エセ神主は自分に言い聞かせるように、「私は悪くない」と言い続ける。
「お前も京にいたなら攘夷志士どもの凶暴さは知っておるだろう。逆らえば何をされることか。寺なんぞやっていたら、こちらがホトケになっちまう。」
「だったら拙僧がこの寺の住職になる。」
 ちるーが目を丸くして止める。
「いいのかい、あんた。侍になりたいんじゃなかったのか。」
「侍はもう、うんざりじゃ。拙僧は坊主に戻る。」
 そう言うと下之介は脇差でまげを切り落とした。
 エセ神主はよほど新政府ににらまれたくないのか、あっさりと寺の沽券(権利書)と住職の地位を下之介に譲り渡す。下之介は口先三寸で家と仕事を手に入れた。

       

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