Neetel Inside 文芸新都
表紙

ニッポニア
上野の吸血鬼

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 よく晴れた日だった。
 余りにも明るく、かえって現実味が乏しい。雲ひとつない澄み切った空にピカっとともった火は、瞬く間にあふれて光の洪水となる。とうとう恐れていたことが起きた。
 まぶしすぎる太陽に目を焼かれ、怪物のうなり声に耳をつんざかれ、荒れ狂う暴風に体を削り取られる。
 何度も見た夢だから、夢をみていることにすぐに気付く。このあとどうなるのか知っている。早く目を覚ましたいのに、夢は覚めてくれない。
 起きろ、起きろ、起きろと念じる。


「起きろ、起きろ、起きろ」
 誰かが揺すりながら、声をかけている。薄目を開けると、病院の天井と眼鏡の奥から怜悧れいりな目で見降ろす青年の顔があった。高を悪夢から助けてくれたのは、見舞いにきた友人だ。
 同郷の友人、烏丸久からすまひさしは村一番の秀才。高がこっそり村を出るとき、烏丸からすまは惜しまれながらも村から見送られた。高が番組制作会社でへとへとになるまで働き始めたころ、烏丸からすまは金の卵ともてはやされて新都新聞に入社。村にいるときはそこまで仲が良くなかったが、東京にいる数少ない友人として重宝するようになった。
 烏丸からすまは首にギプスを巻く高をからかう。
「首つりに失敗でもしたのか」
 顔を赤くさせてうなされる姿は、冗談抜きにそう見えたかも知れない。
「最近、繰り返し原爆の夢にうなされるんだ」
 何でこんな夢ばかりみるのか。事故にあったショックのせいなのか。
「そりゃ、君。アレだよ。こんな世界情勢だ。潜在意識に眠っている核戦争に対する不安が、夢という形で顕現してるんだろうよ」
 烏丸からすまは高が理解できないような言葉も容赦なく使う。高は負けず嫌いなものだから、話を合わせようと食らいつく。
「でも俺は戦後生まれだぜ。実際に原爆を見たわけでもないのに、なんでそんな夢を見るんだろう」
「テレビや新聞、映画。それに親世代の体験談を聞いて僕たちは育った。意識しないだけで、原爆に対する恐怖心は日本人なら誰しも持っているはずだ」
 最も核戦争の可能性が高まったのは10年前、1962年のキューバ危機のときである。それ以後アメリカ合衆国とソビエト連邦の衝突は回避され続けているが、冷戦状態は継続されていた。米ソは互いに銃口を突き付けあう危うい均衡を保っている。
「そんなものだろうか」
 それで、この話はそれきりになった。
 広い病室にはベッドが6床あり、申し訳程度にカーテンで仕切られている。ベッドはすべて埋まっていて、両隣と通路を挟んで向かい側に寝たきり老人という配置だ。祝日だというのに見舞いに来るものがいないところを見ると、身寄りのない年寄りたちなのだろう。それとも身内にとってせっかくの休みを病院で過ごしたくないからか。高は無暗に干渉してこない都会の空気に馴染んでいたが、それでも田舎の情の深さを恋しく思うこともあった。
「しかし、お前も薄情な奴だな。今ごろのこのこ見舞いに来たりして」
 高が入院してから2ヶ月もとうに過ぎている。
「ところで、君の命の恩人はどこにいるんだい」
 烏丸からすまはパイプ椅子に腰を下ろしながら話をすり替えた。
「奥間美砂さんはこの病院にいないよ。まだ看護学校の学生だからね」
「じゃあ、どうやって会うんだよ」
「なんで?」
「お礼に食事でもどうですかって誘うんだよ」
「なるほど」
「美人だったんだろ。あーあ、千載一遇のチャンスを逃したな」


 高は事故直後さして痛みがなかったので、こんなに長く入院することになるとは思わなかった。しかし、病院に搬送された後思い出したように首が痛み始める。痛みを紛らわせるため、テレビを見てしのいだ。最初は浅間山荘事件の中継をワクワクしながら見ていたが、これが1週間も続くとさすがに飽きた。
「食べたいものはないか、買ってきてやる」
「何か知らんが無償にカップラーメンが食べたい」
 浅間山荘事件のニュース映像には、カップラーメンをすする待機中の機動隊員がたびたび登場した。カップラーメンが世に広まる契機となったのは浅間山荘事件という説まである。
「道民がそんなもの食うなよ。北海道はラーメン発祥の地だぞ」
「ラーメン発祥は中国だろ」
 烏丸からすまによれば、料理自体は中央アジアが発祥だという話だ。手延べ麺のラグマンという料理が中国に伝わり湯麺となり、湯麺が日本に伝わり中華そばとなった。
 ラーメンという言葉が初めて登場するのは大正11年の札幌の食堂だという。初め、お品書きでは肉絲麺ロゥスーメンとなっていた。中国人の料理人が客に出すときに「好了ハオラー(お待ちどう)」と言って出していたそうだ。店主がラーという音を気に入り、ラーメンと呼ばれるようになってお品書きもラーメンに変えた。
「なんだよ、ラーメンという名前の発祥が札幌ってことか」
「日本で最初に中華そばを出したのだって明治43年の函館だぞ。北海道が発祥と言ってもいいだろ」
 高は最初に中華そばを出した店は横浜の中華街にあるという説も、初めて中華そばを食べたのが水戸黄門という話も知っていたがあえて言わない。
 烏丸からすまのような学生運動に身を投じた人間も、愛郷心的ナショナリズムがあることに高は安心した。
「しかし。よくもまあ、いろいろなことを知っているな」
 駆け出しとはいえ、新聞記者の知識というものに高は舌を巻く思いだった。もっといろいろな知識をつけなければ、到底太刀打ちできない。


 今日は本当に客が多い。今度は見舞いではなく、斜向かいの病室に入院中のごま塩頭の男が訪ねてきた。いっしょに事故に巻き込まれた、映画監督だ。
「ちょっくら、お邪魔するよ」
 ベッドから体を起こして、姿勢を正す。
「監督」
 高はギプスの首でぎこちなくお辞儀した。
「今日退院なんで挨拶しにきたよ」
 高は烏丸からすまをどかし、監督に椅子を勧めた。立たされた烏丸からすまに監督を紹介する。
「こちら仕事先で世話になっている映画監督の荒泉信さん」
 病室の中にずっと缶詰で精神のほうが病んでしまいそうだった高は、自由に動けるようになるとすぐに病室を飛び出した。
 同じ病院に入院していた監督と再会し、毎日会いにいってすっかり打ち解けている。高は人の話を聞くのが好きで、映画の裏話を聞いたりした。
「で、事故のときに撮っていたのはなんてタイトルなんです」
「上野の吸血鬼」
「B級映画ですか」
 烏丸からすまは初対面だろうが、年上だろうが容赦がない。
「実際にあった事件をもとにした映画だぞ」
 高は映画の概要を簡単に説明する。
 4年前の1968年12月11日未明、上野公園の桜の木に吊るされた変死体が発見された。首筋に動脈に達するほどの刺し傷が2ヶ所あり、死体からはほとんど血液が抜き取られていたとされる。被害者の老女の名前は荒泉スミ、荒泉信氏の叔母だ。
 捜査は早急に打ち切られ、自殺で片づけられた。荒泉スミの両親、兄弟とも他界していたこともあり、文句を言うものはない。ただひとり荒泉信氏のみが、事件を風化させまいと映画を撮り始めた。
 明るく優しかった叔母がなぜ、こんな無残な死に方をしなければならなかったのか。叔母を語るとき、いつも監督の語調は強くなる。 
「聞いたことないな。そんなショッキングな事件があったら、絶対に覚えてそうなものだけどな」
 確かに高も聞いた覚えのない事件だった。
 烏丸からすまは記者らしく胸ポケットから黒い手帳を取り出すと、赤ボールペンでメモした。
「時間があればこちらでも調べてみよう。だからお前も進展があれば報告しろよ」
 てっきり4年前の事件のことかと思ったが、違うらしい。烏丸からすまは高のギプスに「奥間美砂を食事に誘う」と赤字でメモを書き残した。
 

 監督は退院し、烏丸からすまはカップラーメンを買いに売店に行ったきり。病室は再び病院らしい静けさを取り戻す。高はまた暇になり、眠くもないのに横になった。
 病室のドアが開く。烏丸からすまが帰って来たのだろう。高はそのままの体勢で薄目を開いた。
「こんにちは」
 アイボリーのシャツにインディゴブルーのスカートが目に映る。奇跡が起きた。奥間美砂が目の前に立っている。
「こんにちは」
 あわてて起き上がった高の首に激痛が走る。ふたりのやりとりをニヤニヤしながら見守る者がいた。いつ、売店から帰って来たのだろう。戸口に立つ烏丸からすまが自分の首を指さす。
 高はあわててギプスの赤文字を手で隠した。

       

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