Neetel Inside 文芸新都
表紙

ニッポニア
八丁堀の七不思議

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「ちょっと一度中断してもらおう」
 技師長が話を遮った。
「いつまでたっても人類が滅亡しないが、いったい今から何年前の話をしているんだ」
「私の先祖の話ですから、かれこれ200年ほど前の話です」
「なぜそんな昔話を聞かせるんだ。人類滅亡の原因だけ簡潔に述べたまえ」
「200年前にすでに滅亡の遠因はあった。まだ話のさわりですよ。聞く気がないのならば、もう話はやめだ」
「少々失礼するよ」
 速記を終え清書に取り掛かっていた私を、技師長が指揮所に引っぱっていく。技師長は顎から伸びる触手(ニッポニアがいうには我々の体と人類の体は外形がよく似ているらしく、この触手はヒゲという部位に相当するらしい)をくゆらせながら、いまいましげに呟いた。
「どうもおかしい。あの男は本当に人類滅亡の原因について話すつもりがあるのか」
「しかし、技師長。嘘をついたところでニッポニアにメリットはないわけですし、長話がしたいだけかも知れません」
 私の説得により、もう少し話しを聞いてみることになった。ニッポニアの方がへそを曲げてやしないか心配だったが、三人で遅めの朝食を食べながら自然と話の続きを語ってくれた。
「君達がそこまでいうのなら、少しかいつまんで話そう。文久3年4月13日(1863年5月30日)上中下之介が江戸の裏長屋にいたところからだ」
「エド? 下之介の故郷に帰る話でしたよ」
「そう。ところがその故郷の肥前佐賀藩に入れなかったんだ。肥前佐賀はあの薩摩藩よりも藩士以外の人間の流入にきびしかったんだ。この時代まで日本は鎖国という海外の人や物、文化を日本に流入させない政策をとっていたから、二重に鎖国をしていたようなものだ。どうも下之介の士籍がなくなっていたらしい。士籍というのは武士にとっての戸籍にあたるもので、菩提寺の寺が人別帳で管理していた。だから檀家が寺の機嫌を損なえば人別帳から士籍を消されてしまうこともあった」



 三畳一間の天井を眺めながら考える。昨日も江戸の佐賀藩邸に赴いたのはいいが、誰も取り合ってくれなかった。無理もない。下之介が寺にいれられたのは五つ(満年齢で4歳)のときだ。顔を覚えている者がいるはずもない。きっと食い詰めた浪人と思われたのだろう。
 貧乏徳利を傾けて寝酒をする。一番鶏はすでに鳴き終え、代ってホトトギスが鳴いている。テッペンカケタカという鳴き声に思わず頭を撫でる。あと数年先ならば散切り頭は流行の最先端だったが、この頃ではただの破戒僧にしか見られない。2センチほどの長さではまだ髷を結うことは不可能だ。
 表から棒手振ぼてふりの売り文句が聞こえる。豆腐屋、惣菜売り、野菜売り、魚売りなどの棒手振ぼてふりが長屋の路地に入ってくるのは京も江戸も変わらない。違う点は江戸には納豆売りがこれに加わることだろう。下之介は朝食を少し奮発して納豆汁にしようと、土間に出て戸を開けた。鰹の表皮のような派手な模様が目に入り、あわてて戸をしめる。寝ぼけた頭が、ようやく活動を始める。あの鰹縞の柄の着物は、大家の奥さんだ。
 引き戸が閉まりきるよりも早く駒下駄(一つの木材から作ったくりぬき下駄)をはいた足を挟んで、大家の奥さんが強引に入ってきた。
「朝から酒かい、いい身分だねぃ。あたしの紹介した仕事はどうしたんだい」
「口入屋(日雇いの仕事を斡旋する仲介業者)に新しい仕事が入ってないんだ。しょうがねえよ」
「だったら風呂にでも行っといで。朝からごろごろと見苦しいったらありゃしない。このままじゃ、あんた宿無しのころに逆戻りだよ。せっかく長屋の皆もあんたに気を置かなくなったのに」
 この口の悪い世話好きな鰹縞の奥さんに、下之介はまったく頭が上がらない。というのも路銀がつき浮浪者同然のなりで辺りをうろついていた下之介に、住む場所から仕事の面倒まで見てくれたのはこの奥さんだったからだ。大家は親、店子(長屋の住人)は子。この言葉に何度助けられたことか。会うたび見合い話を持ってくるのには閉口したが。
「それじゃあ、風呂にでも行ってくるかな。朝風呂だって十分いい身分って奴だけど」
 減らず口を叩いて下之介は家を出た。
 木戸をくぐり、遅咲きの椿の咲く小道をぬけ、喧騒の表通りを往く。地面がかすかに濡れ、雨上がりの埃っぽい匂いがする。狐の嫁入りでもあったのだろうか。春霞の空には虹が架かって、初春の終わりを告げていた。
 地価が高い表通りは二階建ての商家が立ち並んでいる。裏に蔵をいくつも抱える老舗の大商人の店が軒を連ねる。それでもこの八丁堀界隈は武家屋敷が多く、商家は少ないほうだ。江戸の町は江戸城を中心として西の山の手に武士の居住区が密集し、東の埋立地に商家が集中していた。それは江戸の町に限らず城下町全般にいえることで、住む場所ひとつとっても厳しい身分制度が敷かれていた。
 しかしこの身分制度の外にある治外法権の場所もある。そのひとつがこの湯屋だ。江戸の町は一部の例外を除けば、どんなに位の高い大旗本でもどんなに金持ちの大商人でも家風呂がない。従って武士でも商人でも同じ湯屋に通っていた。江戸時代の封建制度はけしてアパルトヘイトではないのである。
 今でもそうだが江戸の町は細い路地で家々が隣接し、火事と喧嘩は江戸の華といわれるくらい火災が頻発していた。そのため出火元となった家は厳罰に処せられ、過失がなくても死罪は免れなかった。江戸で家風呂持つということは死のリスクを背負うことに他ならない。武士でも商人でも同じ湯屋に通うのは、そういう事情によるものである。
 湯屋ののれんをくぐって、番台の婆に八文(約200円)渡す。男湯は朝方だからだいぶ空いている。爺と大工ぐらいしかいない。大工は汗をかく仕事だから朝と仕事終わりと一日二回風呂に入る。爺はなんだろう。隠居して暇なのだろうか。
 着物を脱いで柳行李に放り込む。柳行李とは柳の枝で編まれた背の低い多目的容器で、ここではロッカー用に使っている。
 かけ湯して、洗い場で前と後ろをぬか袋でよく洗う。ぬか袋とは名前通り手の平ほどの小袋に、ボディソープの役割の米ぬかを入れて使う。泡立ちは悪いが肌はすべすべになる。美肌に良いとされるウグイスの糞を米ぬかに混ぜて使うおなごもいたそうな。時代がかわっても女性の美への追究は変わらないらしい。
「はあ、極楽極楽」
 どんぶりと湯船に入ると、隣から聞き知った声が聞こえる。このしゃがれ声は同じ長屋の熊さんの声だ。この熊さんも下之介にとっての恩人である。なかなか長屋の仲間になじめなかった下之介によく話しかけてくれた。熊さん本人がどう思ってるか知らないが、下之介にはその一言がありがたかった。
「いい湯ですね。熊さん」
「おおよ、げのちゃん。八丁堀の湯は江戸一番よ。しかし、昔はもっといい湯じゃったぁ。なんせ入れ込み(混浴)だったからのぉ」
 江戸時代の銭湯はもともと混浴だったが、幕府は改革のときに風紀のみだれとしてたびたび禁止していた。初代アメリカ領事のタウンゼント・ハリスも混浴の銭湯を見学し、日記にこの忌まわしい風習を何としても止めさせるべきと書いている。旧約聖書で知恵の実を食べたアダムとイヴが自分達が裸であることを恥ずかしいと思うようになったように、西洋のカトリック的な禁欲主義の流入が混浴を野蛮なものとして排除する一因だったのかも知れない。話がそれた。
「いいなあ。熊さんは混浴に入ってたのか。昔の人が羨ましいよ」
「おおよ、あれはいい目の保養じゃったわい。昔といえば八丁堀の湯はもともと十手持ちの足洗いの湯じゃったんじゃよ」
「へえ、盗人やたかり強請ゆすりを捕まえて、足洗わせる同心が足洗う湯か。面白いねえ」
「今じゃ誰でも肩まで入れるからドブ湯と呼ばれてるがね」
 そういわれて下之介は慌てて湯船から飛び出した。
「はっはっはっ。そのドブじゃないから安心せぃ。どんぶり入るからドブ湯じゃ」
「ドブ湯?七不思議の話でもしとるんけぃ」
 下之介と入れ違いに筋骨隆々の大男が湯船に浸かる。一樽分ぐらいの湯があふれた。
「げのちゃんよぉ。こいつははっつぁんてんだ。大工をやってる」
「そうかい。よろしくな、はっつぁん。ところでさっきの七不思議ってのはなんだい」
「知らねぇのか。八丁堀には七つの不思議があってな。ドブ湯はその一つだ」
「他にはどんなのがあるんだい」
「奥様あって殿様なし、とかな」
「それのどこが不思議なんだい」
「与力の妻は奥様と敬語を使うのに主人を旦那様といって、殿様とは呼ばないからねぇ」
 殿様というのは御目見以上を呼ぶ敬称なので御目見以下の与力は殿様と呼ばれない。さらに補足するならば、江戸時代では人物の敬称に住んでいる建物を使っていた。御殿に住むから殿様と呼ばれ、奥に住まうから奥様なのである。普通、与力格の妻は奥に住むため玄関に出たり、外部の者と接触しなかったが、町奉行所与力の妻は例外だった。与力は今でいう警察幹部なので家にいなかったからだ。来客は頼みごとが多く、いかめしい男よりも女性のほうが訪問しやすくて、頼みごともしやすい、ということで妻が活躍するようになったのだ。
「鬼の住居に幽霊が出るってのもあるな。幽霊横町ってあるだろ。そこの鬼ってのは与力同心のことさ」
 負けじと熊さんも他の七不思議を語りだす。
「血染めの玄関というのがあってだな。かの由比正雪の子分に丸橋中弥ってのがいたが、これを見事召し捕った同心間米藤十郎が町奉行から褒美は何がいいか聞かれたんじゃ。間米藤十郎は是非とも与力になりたかったが、大それたことだったから言い出せなかった。そこで玄関を構えたいといったそうな。玄関を構えることができるのは与力以上と決まっていたから、何をいいたいか分かるじゃろ。ところが玄関を構えることは許されたが間米藤十郎はいつになっても与力にはなれず、表に玄関を構えることは恥ずかしいので、そっと裏に玄関を構えたということじゃ」
「そいつは面白い笑い話だ」
 下之介が手を叩いて喜んでいると、洗い場の方から冷や水をあびせる一言が響いた。
「毎日ぶらぶらして、朝風呂浴びてんだったら、お前さんも気の利いた話一つぐらいないのかぃ」
 目をやるとしまった体の男が三助に体を洗わせている。三助とは人名ではなく湯屋で人の世話をする職業のことだ。
 下之介はこの男のことを知っている。同じ長屋に住んでいて何かとつっかかってくる嫌な奴だ。
「何だ、福ちゃんか」
「てめぇに福ちゃん呼ばわりされる筋合いはねぇ」
「そんなら福郎さんよ。あんただってぶらぶらして、朝風呂浴びてんじゃねえか。気の利いた話の一つぐらいあるんだろうな」
「あるともさ。八丁堀の女湯には刀掛けがあるんだとよ。刀を持たないはずの女の風呂に刀掛けがある。これが一番の不思議だろ」
「いやもっと不思議なことがあるね。なんで女湯に刀掛けがあることをあんたは知ってるんだよ」
「いや、人から聞いた話だ」
「どうだかな。妖しいもんだぜ」
 福郎は言い負けて、すごすごと退散した。追撃を加えるべく下之介も風呂からあがる。熊さんはっつぁんも続々と風呂を出て、手ぬぐいで体を拭いて着物を着る。福郎を追っかけまわしていた下之介に熊さんが仲裁に入った。
「げのちゃんよぉ。もう勘弁してやれ。福ちゃんはよそ者が嫌いなんじゃ。さ、二階で茶でも飲みながら七不思議の話の続きをしよう」
 下之介はしぶしぶ熊さんの言に従い矛を収めた。
 銭湯の二階に入ることができるのは男だけである。休息所になっていて、茶代(八文)を払えば一日中将棋や囲碁を楽しむことができた。今ならありえないが、女湯を覗ける窓があるところもあったそうだ。
 地蔵の像なくして地蔵橋がある、金で首がつなげる、地獄の中の極楽橋などの七不思議を紹介されたが、数えてみたら七つ以上ある。七つ以上あるのに七不思議という新たな不思議が付け加えられたところで、下之介は飽きてきたので湯屋を出て長屋に帰ることにした。熊さんは囲碁を打ってから帰るらしいのでここで別れた。
「げのちゃんはちょっと喧嘩っぱやすぎるから気をつけなさいよ」
 去り際に熊さんが一声かけた。
 下之介はしずしずと腰を落として往来を歩く。これが武士らしい歩き方ということを、町を行く武士を観察して発見した下之介は、以来こうして実践している。しかし、武士が必ず往来の片側しか通らないことを見落としていた。武士は往来を歩くとき自動車と同じ左側通行である。これには理由がある。
 往来の右側を歩いていた下之介は、前から笠を深く被った侍が近付いてくるのに気付いた。右側によってかわそうとしたが、向こうも同じ方向にかわす。間一髪体をひねってすれ違う。
正面衝突は避けられたが、互いの刀の鞘がぶつかり合う。
 武士に左側通行の暗黙のルールがあるのは、このように左の腰に差した刀がぶつかることを避けるためである。刀は武士の魂、ぶつかれば流血ざたになることもしばしばあった。喧嘩のことを鞘あてという由縁である。
 「どこ目えつけてやがる」ととっさに叫ぼうとしたが、下之介は熊さんの去り際の一言がまだ耳に残っていたので思いとどまった。しかし相手はすでに笠を脱ぎ捨て、白刃を正眼に構えている。

       

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