Neetel Inside 文芸新都
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ニッポニア
オイルショック

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「聞いてくれ、大ニュースだ」
「聞いてくれ、大ニュースだ」
 電話口で上中高と通話先の烏丸は、開口一番双子みたいに声を合わせた。
「僕と同じニュースだろうな」と烏丸は言うがぜんぜん違う。高の大ニュースは自分だけの大ニュースなのだから。
「良いニュースだぞ」
「良いニュースだぞ」
「やはり僕と同じニュースなんじゃないのか? 上から圧力かけてきたってニュース。上司がこれ以上タブーの事件を嗅ぎまわるなってさ。僕も手を引くことにする。君の言う通りこれで探偵ごっこは終わりだ」
 何を言ってるんだ。高は黒電話のぐるぐると巻いたコードを指に巻き付けながら、何の気なしに聞いていたが面食らって反発した。
「それのどこが良いニュースなんだ。ジャーナリストが真実から目を背けるのか。お前はこないだ俺に何と言った。事件の話をネタにしなけりゃ、美砂と話すこともままならないとさんざん馬鹿にしたじゃないか。その舌の根も乾かぬうちに手を引くって言うのか」
 絶句。高は烏丸を言い負かしてしまったらしい。こんな形で勝つなんて不本意だが。
「悪かったよ。それで君のほうの良いニュースは何だったんだ」
 烏丸は思い出したように言葉を見つけ、高の怒りの矛先を巧みにかわそうとする。
「ああ。美砂にプロポーズすることにした。それを親に話したら俺が外国人と結婚するって大騒ぎだったよ。世間知らずはヤダねー」
 高は照れ隠しにふざける。
 沖縄は戦後、アメリカの統治下にあった。実際、美砂が沖縄から東京に来たときにはパスポートが必要だった。1972年に日本に復帰したが、国民の中から偏見が消えるにはもう少し時間がかかるだろう。
「そうか。おめでとう。だったらなおさら事件を嗅ぎまわるのは止めたほうがいい。君子危うきに近寄らず。自分と美砂さんの幸せのことだけ考えろよ」
 高は乱暴に電話を切るとボロアパートを飛び出した。
 プロポーズのためのアドバイスを聞けなくなってしまったから、事件もプロポーズもいったんおいておこう。
 会社だ、会社。会社に行くぞ。高はこんなに勤労意欲が高かっただろうか?
 と言っても今日は外回りの仕事だ。会社に顔出す必要もない。
 高の会社の製作している番組に出演する手品師と顔合わせする。アポを取ったときに一度話してるし、まあ大丈夫だろう。
 千代田線で揺られながら、新聞を広げる。10月6日のユダヤ教の祭日を狙って、シリアとエジプトがイスラエルに奇襲攻撃をかけたという記事。後に第四次中東戦争と呼ばれる戦いの始まりである。あまり高に無関係の記事だったが、どういうわけか興味を引かれた。
 社長が言っていた今アメリカでキテいる超能力者が、イスラエル生まれのユダヤ系という話を聞かせられたからだろう。それでその超能力者の出演交渉がダメだったらしく、代わりに日本の手品師に出演を打診したわけだ。超能力者と手品師ではだいぶ違うだろうに。
 しかし翌年、件の超能力者が来日してオカルトブームが起こるのだから、社長も先見の明はあったのだろう。
 赤坂駅で降りてテレビ局の受付で社員証を見せ、別番組収録中の手品師の楽屋にお邪魔した。
 芸能人に会うのは初めてではないがいつも緊張する。尊大な態度のヤツや気難しいヤツの多いこと多いこと。今日の相手はどうだろうか。
「こんにちは、ハチコーポレーションの上中高です。打ち合わせに来たのですが」
 楽屋の戸を開き、とぼけた顔したおじさんが中に招き入れてくれた。
「そこ寒いでしょ。入って入って」
 高は勧められるままにパイプ椅子に座り対面する。
 楽屋の中は鳥かごやらシルクハットやら手品道具が散乱し雑然としていた。
「さっそくですが、ご参考までにひとつの演目にかかる時間を教えて欲しいのですが」
「あのね。お茶飲む? あったかいお茶あるけど」
 なんともマイペースな人らしい。
 手品師は高にお茶を入れると、手品道具のロープを取り出した。
 良く言って、芸能界擦れしていない。悪く言って、芸能人なのにどこか垢抜けていない。
 手品師がロープを真ん中からハサミでちょん切る。
 あれ? これもしかして手品始まってる? なんで? もしかして自分の演目の時間把握してない? それで実際に見てもらおうってこと?
 高は慌てて腕時計で時間を測り始めた。
 手品師が切り離されたロープを真ん中で結ぶ。ロープの両端を握り、ぴんと張ったり緩めたりを繰り返していると、あら不思議。結び目がなくなりロープが一本に繋がった。
 そうだ。このひとなら。あの事件の結び目の謎も解いてくれるかもしれない。手品師ならばロープの結び方に詳しいはずだ。高は興奮ぎみに教えを乞う。
「これタネはどうなってるんですか!?」
 しまった。手品師が飯のタネである手品のしかけを教えるわけないじゃないか。
 手品師は生まれつきの困り顔をさらに困らせる。
「あのね。タネは教えられないんだけどね。この手品道具を売ってるお店なら教えてあげるから。地図書いてあげるね。これ買ったら誰でも手品できるようになるから」
 どうも事件の結び目は解けそうにない。事件のことはいったんおいておこう。
 しかし収穫はあった。この手品道具はプロポーズに使えるかもしれない。
 高は帰りにでも手品道具を見に行くことにした。
 お礼を言って楽屋を出たが、時間を計っていたことをすっかり忘れている。頭の中はプロポーズのことでいっぱいだった。
 教えてもらった店でしかけ付きのシルクハットを買い、この道具でできる手品を考える。シルクハットの中からハトを出す手品だ。ちょうどハトもある。前に烏丸から譲ってもらったハトだ。シルクハットの中からハトを出して、ハトの足にくくりつけた筒から婚約指輪を出す。きっと美砂は驚くことだろう。高は貧乏だが婚約指輪だけは奮発した。給料の三か月分というやつだ。とはいえ給料自体が少ないのだが、そこは演出でカバーしよう。いつもの照明係ではない。演出家の心意気だ。
 何度も何度も練習を重ね、来る10月29日ついに決行することにした。
 折も折、第四次中東戦争は新たな局面を迎えている。かつてセブンシスターズと呼ばれるロックフェラー系の5社とBP(英国石油)、ロイヤルダッチシェルの七つの国際石油資本によって中東の国際石油価格は決められてきた。そこで中東諸国は自分たちで国際石油価格を決定するためにOPEC(石油輸出国機構)やOAPEC(アラブ石油輸出国機構)を組織し自分たちで石油の価格を決め始めた。当然のことながらOAPECはイスラエルに味方する国にはいっさい石油を売らない。OPECは国際石油価格をつり上げた。
 誰もかも日本には関係ないと思っていた。しかし日本の石油は8割を中東からの輸入に頼っており、石油の高騰は狂乱物価をもたらす。憶測や怪しげな流言飛語から集団パニックが起こった。いわゆるオイルショックである。
 石油が無くなれば製造業が滞るという認識からだろう。人々は商店に買いだめに走り、トイレットペーパーの買占めが起こった。足りていた商品までが買占めにより足りなくなり、悪質な便乗値上げが横行する。翌年、戦後初めてのマイナスの実質経済成長率を記録することになった。
 みどりまち駅の大クスノキ前で待ち合わせる。またも早く来すぎてしまった。
 時間があるといろいろなことを考えてしまう。
 こんな時にプロポーズなんてして良いのだろうか。いや、こんなときだからこそだ。日を改めたほうがいいんじゃないか。オイルショックで簡単に日常は壊れてしまった。明日どうなっているかなんてわからないじゃないか。
 高は駅の銀色の電話機の前に行き、烏丸の電話番号を押した。初デートのときもこうして烏丸に電話かけたっけな。
「聞いてくれ、烏丸。今からプロポーズするぞ」
「僕にか? やめてくれよ」
 前に電話口でどなってしまったことを気にしていたので、烏丸がいつも通りの憎まれ口がありがたい。
「美砂に決まってるだろ」
「幸せにするんだぞ。大事な時期なんだろ。これ以上例の事件を嗅ぎまわるな」
「また、その話か。わかったわかった。今はおとなしくしとくよ。事件については結婚して生活も安定してからにでも調べてみることにするよ」
 正直プロポーズのことで頭がいっぱいだったし、せっかくの烏丸との友人関係も壊したくなかった。少し意地になっていたようだ。
「まだわかっていないようだな。今だけおとなしくとかじゃないんだ。事件のことは忘れろ。あの映画監督、荒泉信が行方不明になったんだぞ。君まで…」
 高は驚きのあまり電話を切ってしまった。
 行方不明とか言っていたが、聞き違いじゃないのか。
 再び電話をかけて聞きなおす勇気はなかった。
 気を取り直そう。高は準備してきたシルクハットをかぶる。いつものジーパンによれよれのTシャツ。あまり着慣れないが背広のほうがまだシルクハットに合っていたかもしれない。
 待ち合わせ場所の大クスノキの前に戻ると美砂が待っている。電話してる間に待たしてしまったと正直に言うと美砂は笑って許してくれた。
 研修期間を終えた美砂は看護婦の仕事が本格的に始まり忙しい。今日だって仕事なのに
昼休憩に抜け出してくれた。貴重な時間を無駄にしてはいけない。
 高は珍しく積極的に美砂の手を引いて、イチョウ並木を歩き出した。
 落ち葉舞う並木道。黄色いじゅうたんがどこまでも続いている。
 オイルショックの影響か並木道は昼でも人気がなく、車道を走る車もまばらだ。二人を邪魔するものは何もない。
 さあ言え。言うんだ。プロポーズの言葉が喉まで出かかって、弱気な心が顔を出す。
 タイミングは今日でいいのかな。世間はオイルショックで沈んでいるのに。監督が行方不明と知りながら。
「前に来たときの新緑のイチョウもいいけど、色づいたイチョウ綺麗ね。あなたとまた見に来れて良かった」
 美砂はいつも背中を押してくれる。
 高は話を切り出した。
「実は最近手品に凝っているんだ」
「そうなんだ。今出来たりする?」
 舞台は整った。あとは手品を披露して指輪を出すだけ。何度もシルクハットからハトを出す練習をしたんだ。大丈夫。
 高はハンカチを取り出す。薄い木綿のハンカチだったので真ん中から破くことができた。違う、そうじゃない。二つになったハンカチを片結びでつなぎ、真ん中に結び目のあるひも状にする。その手品じゃないだろ。
「ワン、ツー、スリー」
 高のかけ声でハンカチを引っ張ると、結び目が解けハンカチは元の一枚に。
「すごーい。結構本格的だね」
 そこから話題はひもの結び方に移ってしまった。沖縄にはひもの結び目の数を数字の代わりにする古い風習があるらしい。そんな他愛ない話をした。
「ごめん。時間だから帰るね」
 ああ、美砂が仕事に戻ってしまう。
「じゃあ、またね」
 これ以上美砂の貴重な時間は奪えない。高は見送ることしかできなかった。
 大丈夫。次のチャンスがあるさといいわけして。
 赤や青のテントウムシのようにカラフルな自動車が通り過ぎていく。あとから黄色いカブトムシもやってきて高の真横に止まった。
 後部座席のドアが開き、伸びた手が高の口に猿ぐつわをする。驚きで声が出ない。遠くにまだ美砂の背中が見えているのに。
 ようやく「んーんー」と声を上げるが届かない。高は後部座席にひきづり込まれると、後ろ手にロープで縛られた。目隠しをされ、状況が分らない。
 ドアが閉まる音がして車が揺れ始めた。
 頭が追いつかない。もしかして俺は殺されるのか。
 もがいてみたがロープが食い込んで痛いだけだ。手探りでロープを触るとロープの端に片結びがひとつと二重の結び目がついている。
 結び目は固く、解くことは出来ない。だが今になって結び目の謎のほうが解ける。
 美砂と最後にした会話が頭の片隅に残っていた。結び目が数字を表していたら。監督の叔母、荒泉スミが自殺にみせかけて殺された事件には八重の片結びが残されていた。監督と高が映画撮影中に巻き込まれた倒壊したやぐらには九重の片結び。遺体の一部が遺棄された事件の片結びのひもと結び目の無いひもはそれぞれ1と0で10ということかも知れない。ということは今回の片結びと二重の片結びは12。8、9、10、12。事件が起こるたびに数字は増えている。11がないのはおそらく行方不明の監督の分。
 冷静さを取り戻し、高は危機を脱する手を考え始めた。プロポーズもせずに死んでたまるか。

       

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