Neetel Inside 文芸新都
表紙

ニッポニア
骨折した角材か失敗した割り箸

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 病み上がりの上中高の最初の仕事は挨拶回りだった。自分の事故で仕事が滞り、関係各社に多大な迷惑をかけたからだそうだ。なぜ被害者が謝って回らなければならないのだろう。
 紺の背広は入社式以来着ていなかったせいか新品どうぜんで、着心地が悪い。ラフな格好が許されるのがテレビ業界の良いところだったはずだが、こういうときばかりは謝罪会見でお馴染みの服装になる。
 ひと段落ついて局の廊下の長椅子で休憩していると、今更ながら腹が立ってきた。露骨にいやな顔をしている高を少しは気遣っているつもりなのか、隣に座っていたカメラマンの先輩が良いニュースを教えてくれた。
「そう、クサるなって。お前、今度海外に連れて行ってやるからさ」
「海外旅行に? ありがとうございます!」
「バーカ、仕事だよ。いまや空前のパンダブームだからな。本場の中国まで取材に行くんだってよ」
 仕事だろうと海外へ行くことができると思うと胸が弾む。妄想は膨らむ。先輩の厳しい一言が高を現実へと引き戻した。
「事故で壊したやぐらの修理、お前が済ませた後の話だがな」
 いまだに後を引いているやぐら倒壊事故の残務処理に追われ、高はたいして休めぬまま本社の大道具部屋へと向かった。
 やぐらの残骸は死を待つだけの巨大な生物のように無残な姿をさらしている。角材を留め金とネジだけで繋いだ簡素な造り。こんな強度の足りないものを足場に使うこと自体、どだい間違っている。
 真っ二つに折れ、ささくれた角材が事故の生々しさを嫌でも思い出させた。被害者がやる仕事ではないと、高はまったくやる気が起きず、しばらく角材をいたわるように触ったりして無為の時間をすごす。
 こっちは複雑骨折だ。こっちは粉砕骨折だ。角材を骨に見立てて遊んでいると、どうにも見立ての難しい患者が現れた。金具のネジが意図的に外されていた。角材の折れた切り口も水平に切られていて、あきらかに人の手が加わっているのが分かる。手術した跡のようにきれいな断面を触ると細かいぎざぎざがあり、手には木の粉が付いた。切断面は8割がた水平だったが、途中からいびつに割れている。
 直感的に割るのに失敗した割りばしを連想してしまう。
 角材にもともと切れ込みが入っていたとでもいうのか。
 これはあきらかにノコギリで切った跡だ。それを隠すように木の粉をつめた跡も残っていた。
 とてもイヤな感じがする。
 前にも事故があって、修理して使い回した跡。そう思い込もうとしたが、それは許されなかった。もっと不自然なものを見つけてしまったから。
 水平の切り口の木材にキーホルダーのようにブラブラと垂れさがっているひもがある。黒いひも、いや深い緑だ。正確に言えばオリーブディープグリーンのロープだ。別に何か用途があるわけでもなく、ただ意味もなくロープの切れ端が結ばれている。結び目はごつごつとして大きく、にぎりこぶしを彷彿させる見たこともない結び方だった。
「そうだ、そんなことはありえない。他殺の可能性がある。首吊りにつかった登山用のロープには不思議な結び方の結び目があったらしい。これは犯人の手がかりになる」
 頭の中の片隅に烏丸の言葉が残っている。
 高は必死でその言葉を打ち消した。たまたまだ。偶然だ。4年前の首吊り事件とは何も関係ない。 
 無関係な間は推理の真似事をして楽しんでいたが、いざ自分の身に降りかかってくるとそんな気分にはなれない。高は無理に体を動かし、やぐらを分解し始めた。働いている間はイヤなことを考えなくてすむ。早く忘れてしまいたい。折れた角材を取り替え、留め金にネジを締め直した。


 2月21日、リチャード・ニクソンがアメリカの大統領としては初の訪中。7月7日、佐藤栄作首相が退陣し第一次田中内閣が発足すると、9月29日、田中角栄首相も訪中。日中国交正常化を記念して中国から上野動物園にパンダが寄贈された。人気のパンダを一目見ようと、毎日大勢の観光客が動物園を訪れている。
 高の番組制作会社も中国ロケを敢行すべく、一路北京へ。
 初めて海外へ来たスタッフは皆浮足立っていたが、高の顔色はさえない。見かねたカメラマンの先輩が「ロケ地を選定してきます」とプロデューサーに断って、高を連れ出した。
 先輩は北京動物園とは反対方向の繁華街へと歩を進める。
 粗末な屋台がひしめき合い、見慣れない食材が所せましと並んでいる。戦後間もないころのヤミ市のようだ。この国もまた成長の途中にあるのだろう。
 ほかほかの中華まんやギョーザにシュウマイ。日本でもなじみのある食べ物が大皿に盛り付けられている。熊の手やカエルなどちょっと何に使うか分からない食材もある。値札の漢字を読めばだいたい分かるかと思ったが、中国語の漢字は省略され過ぎていて解読不能だった。
 高は事件と事故を繋ぐ結び目のことが頭から離れない。考えたくはないのに、結局はそのことばかりを考えている。雑念をかき消そうともがいてみても無駄だ。
 だから、目の前に老酒が運ばれてくるまで、先輩に連れられるままに飲み屋の屋台に座らされていることに気が付かなかった。
「仕事中ですよ! 昼間っから酒を飲むなんて」
「まあまあ、周りを見てみろよ」
 言われるままに見渡すと、赤い顔した中国人のおじさんが杯を傾けている。気分よく鼻歌混じりに。
 笑い上戸と泣き上戸がまったくかみ合わない会話を交わしている。
「昼間から酒を飲んでいる連中はたまたま休みなんですか、暇人なんですかね。はたまた酒飲んで仕事するつもりなのか」
 日本語が通じるわけでもないのに高はひそひそと話す。
「そんなことはどうだっていい。せっかく中国に来たんだ、中国式で行こうじゃないか」
 こうなったら、酒を飲んで忘れてしまおう。腹を決めると高は一息に老酒をあおった。
 カエルの丸焼きが運ばれてくる。誰が頼んだのかと思っていたら、高の席の前に差し出された。隣に座る先輩が爆笑している。
 酔っていなかったら一口だって食べようとはしないだろう。高が構わずにほおばると、先輩は「お前は大物になるな」とあきれたように言った。
 食べてしまえばなんてことはない。味や食感は鶏肉みたいだ。
 飲み、かつ食べる。また飲む。
 高はすっかり夢心地になって、イヤなことは忘れてしまった。「仕事だけは忘れるなよ」と先輩に引っ張られ、いよいよ北京動物園へと向かった。
 

 動物園の入り口は日本とあまり変わり映えしない、コンクリート造りの門だった。門の柱に北京動物園と大書された題字の看板がかけてある。これが唯一の違いだろう。
 門の前にはすでに他のスタッフが待っていて、あわてて合流する。
「くさっ、酒くさっ。お前、下見に行くとか言って酒飲んだな!」
「いやだなあ、これが中国流というものですよ」
 高はチビのプロデューサーにどつかれ、ようやく酔いが醒めた。
 コンクリートの門をくぐると、中国風の建築物や、バロック式の二階建ての建物が目に入る。しかしこれは仕事だから、建物や他の動物は見ている時間はない。高たちはパンダがいる東エリアへまっすぐ向かった。
 やはり入り口と同じようにコンクリート製の建物に熊猫館と大書された看板がかけられている。
 撮影クルーは別にアポを取っていたわけでもないので、一般客に混じって撮影を始めた。
 パンダの檻の前には長蛇の列ができていて、押し合いへし合いしながら人の波に飲み込まれる。
 それもそのはずで、パンダが発見されてからまだ100年しかたっていない。さらに野生のパンダの数は現時点で2500頭ほどしかおらず、保護しなければ絶滅のおそれがある貴重な動物である。パンダは中国でも珍しくて人気を集めているようだ。
 カメラマンが前へ進もうとするも次々とやってくる観光客に流されて、カメラを回せたのは1分30秒ほどの間だけだった。
 パンダ館から出てきたカメラマンにプロデューサーが駆け寄る。
「どうだ。撮れたか」
 テープを再生しチェックすると、後ろを向いて笹を食べるパンダの背中しか映っていなかった。

       

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