Neetel Inside 文芸新都
表紙

ニッポニア
ゴルディオンの結び目

 テレビ番組制作会社の休憩所。白かった壁紙はタールで黄色く汚れ、部屋の中はもうもうと煙があふれていた。ひとつしかない灰皿には吸い殻の山ができあがっている。
 高は職場の休憩所でテレビを見ていた。テレビ番組制作の下請け会社だからなのか、よその番組がよほど気になるらしい。同僚たちはブラウン管式の分厚いテレビを食い入るように見ている。
 耳目を引くように虚飾された事件や忘れ去られていく行方不明者。毎日のように痛ましい事件が繰り返されニュースになる。特に耳を疑ったのは新宿御苑のゴミ箱から人間の遺体の一部が発見されたというニュースだ。これだけ異様な事件でもニュースの中で扱う時間が短く、次々と移り変わる話題に流されていく。ドバイ日航機ハイジャック事件だとか、ブルース・リーが亡くなっただとか。
 こういう大事件を隠れみのにしているならば、あの結び目を作った犯人は動くだろうか。
 高は烏丸の言った言葉が気になって、席を立つ。いてもたってもいられない。休憩時間が終わる前に烏丸と連絡をとることにした。
 新都新聞社。関東地方を地盤とする地方紙で、その本社は巨大なビル群の谷間にうずくまるように建っている。六階建ての小さな社屋ではあるが、都心に自社ビルを持っているだけマシだろう。
 高はエレベーターで六階まで上がり、そこから階段を伝って屋上へ出た。
 この時代は屋上に簡単に出ることができた。自殺防止のために施錠されるようになるのはずっと後のことである。
 待ち合わせ場所である屋上へ来てみたものの、烏丸はまだ来ていないようだった。
 ただ朝方のハトの鳴き声と羽音だけが聞こえていた。
 周りは高いビルばかりで眺めはあまりよくない。それよりは屋上の鳩小屋で飼われているハトを見ている方がよほど退屈しなかった。
 高はかつて鳩を飼っていたことがある。
 1964年、高が13歳の時のことだ。
 巣から落ちた雛を保護したからか、高によくなついていた。だから唐突に訪れた別れは今でも尾を引いていた。
 東京オリンピックで聖火ランナーがこの村も通るというのだ。それでランナーが通過していくときに、平和の象徴であるハトを飛ばそうと村長が言い出したのだ。ハトを飼っている者は提供するようにという強制に、高は反対した。それでもハトには帰巣本能があるから戻ってくると大人たちに言いくるめられて、高は泣く泣く従った。東京オリンピックのあの年、聖火ランナーのが村を通過するその一瞬に、多くのハトが空へと放たれた。それきり高のハトはいまだ帰って来ない。成鳥になったのだから自然に帰したほうがいいんだ。そうやって自分の心を納得させた。
「そんなにそのハトが気に入ったのなら、くれてやろうか?」
 長いことハトを見ていて気が付かなかったが、烏丸はもう屋上に来ていたようだ。烏丸は白いボサボサの羽毛のハトを鳩舎から取り出すと、話を続けた。
「このハトは伝書鳩で少し前まではちゃんと使われていたんだ。現場に連れて行って、この筒に記事のメモや写真のネガを入れて放つ。すると帰巣本能で鳩舎に戻って来るから、特ダネを本社にすぐに持ち帰ってくれるっていう寸法だ」
 烏丸はハトの足に小さな筒をビニールひもで結び付けて高に手渡した。
 高は「…帰巣本能」と言葉を繰り返し、烏丸に言われるままに白いボサボサのハトを受け取った。
「今は伝書鳩は使わないんだ。だからやるよ」
「ありがとう」
 高がめずらしく素直に礼を言うので、烏丸は少し面食らったようだ。
 調子を取り戻すように本題である事件について話し始めた。
「また新たに事件が起きてしまったぞ。御苑のゴミ箱から遺体の一部が発見されたらしい。報道規制があって記事にはなっていないが、遺体の一部が入っていたゴミ袋には2本の深緑色のひもがむすんであったということだ。そのうち一本には片結びがしてあったらしい」
 ズキリと痛みが走る首筋を右手で押さえながら、高は反論する。
「そもそも一連の事件事故は本当に関連があるのか? ただ遺留品の片結びが共通しているからといって、俺たちが勝手に結び付けたにすぎない。上野の吸血鬼の事件は8重の片結びだったよな、確か。俺はやぐら倒壊事故の後始末をしたときに数えてみたんだが、やぐらに結び付けられていたひものほうは9重の片結びだった。微妙に違う結び方なんだ。それで今回の新宿の事件は何重の片結びなんだ?」
「なるほど一理あるな」
 烏丸は結び方を口で説明する代わりに、以前やったように高の両手首にビニールひもで片結びした。1重、というより普通の片結びだ。
「やめてくれよ。前にお前がほどいていかなかったから、美砂にほどいてもらったんだからな。変な趣味を持ってると誤解されて大変だったんだぞ」
 烏丸は聞いているのかいないのか、ぶつぶつと独り言をつぶやきながら頭を整理している。  
「ただの片結びでは一連の事件にこじつけるには弱いか。模倣犯の可能性だってある。他に事件の共通点はないだろうか? 例えば猟奇的であることも共通点とはいえる。ニュースでは遺体の一部という言い方で濁していたが、新宿の件はもっと異様な事件なんだ」
 自分の反論が烏丸に影響を与えたのが見てとれて、高は気分を良くしていた。調子に乗って、遺体の一部についても推理して見せた。
「体の一部分が見つかって、それが遺体のものであると断定できるってことは……遺体の一部分っていうのは生首なんじゃないか。どうだ、当たっただろ」
「惜しい。ゴミ袋の中に入っていたのは、生首じゃなくて脳みそだ。大脳、小脳、脳幹とワンセットそろっていたそうだ」
 これではテレビで伝えられないはずだ。高も気分が悪くなってきて、ビニールひもで拘束された手で白いハトをなでて気をまぎらわした。
「そもそも、なんだって犯人は結び目を残す? まるでゴルディオンの結び目だな」
 また烏丸が難しいことを言う。意味深で興味をそそる言葉を投げかけて、説明を省くのはこの秀才の悪い癖だ。高が説明を促すと烏丸は言葉を継ぎ足して補足する。
「史上初めて世界にまたがる大帝国を築いたアレクサンダー大王が、遠征の途上ゴルディオンという町に立ち寄ったときの逸話だ。ゴルディオンにはいまだかつてなんぴとも解くことが出来なかった巨大なひもの結び目があった。血気に盛るアレクサンダー大王は我こそはとゴルディオンの結び目を解こうとするんだ」
 マケドニアのアレクサンダー大王は知ってはいたが、このエピソードは初めて聞いた。高は話に食いつく。
「それでアレクサンダーはどうやって解いたんだ」
「こうだ!」
 烏丸はたちまち高の手首を縛る戒めを、胸ポケットから取り出したカッターナイフで一刀両断した。
「アレクサンダー大王は剣を抜き結び目を断ち切ったんだ」
「なんだ。答えを聞いてしまえば拍子抜けだな」
「多くの謎だって解けてしまえばそんなものさ。」
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