Neetel Inside 文芸新都
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平野に次のライブの日程を告げられたその日の夕方、俺は繁華街にある雑居ビルの4階にある教室で数学教師によるゼミを受けていた。

先週から週3回、俺はこの北条ゼミナールという塾に通う事になった。バンドを始めてから成績が上がり始めた俺を見て

「あんたなら今から都会の大学、推薦で狙えるかもしれないわ」と母が少ない稼ぎを切り崩し、この特進塾に通う事を勧めたのだ
(もともと学校の授業は解っていたし桜田に発破をかけられて真剣に中間テストを受けた結果だ)。

俺は去年の学校成績があまりよくなかったのでこの選抜コースでも一番下のHランクだったが授業の内容を把握し、学習塾特有の授業スピードについていく事はできた。

若い現役T大生の教師が口角泡を飛ばしながらこの公式を暗記するように、と声を荒立てる。俺は勉強をする事が苦ではなかったので、効率的な学習方法を身につけるとみるみる成績が上がり
偏差値45の底辺高校では学年トップ10に手が届きそうな所まできていた(塾長に来年の入校希望者に対してのネタにしたいとまで言われたくらいだ)。

配られた教材のページをめくると教師が今から10分間でその問題集を解くように、とストップウオッチを握り締めた。始め!と号令がかかると俺達特進コースの受講者達は本にペンを走らせた。

教室が静かになり、ペンの音が乾いた部屋に響く。みんな国公立の大学を目指しているとの事でちらっと周りを見渡すとどいつもこいつも必死に公式を駆使しながら数学ドリルを解き始めている。

みんな自分の事しか頭にないエゴイスト連中で俺はまともに会話出来る人間がこの教室にはいなかった(進路がかかった戦場で仲間を探す、というのが難しいといえば当然なのかもしれないが)。

俺は問題を解きながら耳をすませた。ペン音の間からシャカシャカと多足甲虫が蠢くような音色が聞こえる。デスメタルだ。俺は高速でリズムを刻むツーバスの音色でジャンルを察知した。音の発信源は後ろだ。

闇が染める窓ガラスを使って後ろの席を見ると金髪でおかっぱ頭の男が椅子の上で体育座りをし、耳にヘッドホンをあてペシペシと鉛筆を高速で机に叩きつけている。

細かくは確認できないが、小声で「ファック、ファック、ファック」と何度も呟いているように聞こえた。その様子を見て講師が近づいてくる。

「キミ、」講師がその男に声をかけるとみんながペンを走らせるのを止めた。「そのファック、ファック言うのを止めなさい」

それを聞いて隣の席の女子がぷっ、と吹き出す。注意された男はヘッドホンを外してこう弁明した。「スイませぇん、ちょっと入っちゃってて。マイワールドにィ」

「マイワールド?」独特のアクセントの彼の言葉を聞いてクラスのみんなが笑い出す。「それと、」ずれた眼鏡を中指で上げて講師は話を続けた。

「椅子の上で体育座りをするのも止めなさい。みっともない」「はいはーい、わかりまぁシター」男が足を崩し、素足を床に置いてあったスリッパに引っ掛けると「なにあれー?」「デスノート気取り~?」と近くにいた女子二人が小声で彼を冷やかした。

賑やかになるクラスの受講者達をみて「はい、集中!」と講師がパン、と手を叩く。

それを見て俺達は再び問題集に目線を落とす。机の角に引っ掛けられた、主を失ったヘッドホンがジャカジャカとデスメタを熱演していた。


授業が終わり、俺がカバンに教材を仕舞い込んでいるとちょいちょい、と肩が指で突かれた。「ハロー、ワールド」俺が振り返るとおかっぱの男が小さく手を振りながら、ニカっと口を三日月に開いた。

態度が顔に出たのか、「アレ?アナタ今、嫌な奴に絡まれたって心の中でおもいませんデシタ?」とその男が俺に聞いた。

「ああ、その通りだよ」隠しても無駄だ、と思い開き直ってそいつに答えると「ヒヒっ!それはオモシロイ!!」とのけぞってそいつは両足のスリッパで拍手?をした。

俺は席を立ち上がった。「ああー、スイマセン。授業中にセンセェに注意されちゃって。ご迷惑だったデショウ?」両手を合わせるそいつを見て俺は立ち止まった。

反動をつけて椅子から起き上がるとそいつは胸に手を当てて自己紹介を始めた。

「ワタシの名前は平賀正太郎。苗字と名前から一文字づつとって『ガショー』と呼ばれてイマース。
あなたは向陽高校の2年A組の鈴木和樹くんデェスネ?エイティーズのロックが好きで、英単語を覚えるときに体を上下に揺らすのがクセ。
志望校はW大学ですが、滑り止めのH大でもいいと思っている。てゆーか、ホントは大学受験にさして興味はない、と言ったところでしょうか。
それと大柄の生物講師に『クマリカ』というあだ名をつけている」
「ちょ、ちょっと待った」

突然印字を始めたタイプライターのようにそいつが無機質な声で話し始めたので俺は一旦言葉を遮った。まだ教室には数人受講者が残っている。このままだとあることないことこいつに言いふらされそうだ。

「なんで俺の事をそんなに知っている?」俺が尋ねるとそいつは口をまた三日月に開いて笑った。

「知ィってマスヨ!クラスの友達の事は顔と名前と性格とクセ、ガショー、小学2年生の時、センセェに全部覚えておけ、って言われマシタ!」

ケタケタと木製の玩具のように頭を揺らすそいつを見て俺は恐怖と尊敬の念を抱いた。「2コマ目の3曲目に聴いていたのがslipknotだったってのは分かった」

話題を変えようとして俺はそいつの机のヘッドホンを指さした。「デスメタルが好きなのか?」そう言うとガショーはさらに口をひしゃげて笑った。

それを肯定のしるしと受け取って俺は話を続けた。「バンドかなにか、演ってるのか?」それを聞いてガショーは嬉しそうな顔をして机をパシーンと叩いた。

「はいー!バンド、演ってマスヨー!ニホンで一番ブッ飛んでて、エキエントリックでエキサイティングなバンドデェス!!」

それを聞いて「はは、よかった」と会話を終わらせたいという気持ちもあったが、俺は不思議とこのガショーという男に興味が湧いたため会話を続けた。

「ドラムを演ってるのか?」受講中の鉛筆さばきを見て俺が予想すると「チッチッチ。違いマース!ガショーはディージェーデース!」と指を振りながらそいつは答えた。

「DJ?」意外なパート名が口をついて出たので俺は思わず吹き出してしまった。俺は日本の音楽グループ「ファンキーモンキーベイビーズ」の真ん中で手を叩いて何も演奏をしない男を思い出した。

それを察知したのかガショーが再び指を横に振った。「チッチッチ。違いマース!ガショーはMac で楽曲制作してイマース!今度のライブで披露して演るデース!」

思考を読み取られた俺は頭を掻きながらそいつに尋ねた。「そのライブっていうのは何時演るんだ?」「7月1日! CLUB861 でオンステージデース!」

「7月1日...」俺は平野が言った事を思い出した。「その日、俺もそのライブに出る」「へ?そうなんでスカ?『キグウ』デスネェ!驚きまシタ!」

ガショーが全然驚いていないという顔で俺に言った。「本番で一緒のステージに立てるのを楽しみにしてマスヨ。それじゃ、また来週~」そういうとガショーはカバンを持って教室の入口に向かって駆けていった。

「あ、痛っ!」廊下で他の受講者にぶつかるガショーの声が響く。おかしな奴と会っちまったな。俺はビルを降りるエレベーターのタイミングをずらし入口の自販機で缶コーヒーを一本買うとため息をひとつついて雑居ビルを出た。

       

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