「ワッキ!」誰かが俺の肩を叩く。俺が仮想現実に別れを告げてゆっくり目を開くと目の前に山崎あつしが立っていた。
その姿を見て俺は「ああ、」と声を返す。
「ティラノは?」「ちゃんと会場に入った。ウジウジと相当悩んでたみたいだけどな」
そういうと山崎も俺と同じように体育館の壁に頭を押し付けた。ライブも中盤を迎え、スローテンポのドラムのスネアの音が会場に響いている。
「平野の奴、後数分で会場に入れなくなる所だったんだ。せっかくこの日のために金を稼いだのに馬鹿な奴だよな」
俺が呟くと山崎が独り言のように口を開いた。
「マッス、新しいバンドでうまくやっていけてるかな。三月さんと...うまく暮らしていけてるのかな...」
声を震わせる山崎を見て俺は何も言い返せなかった。山崎と平野。そして鱒浦の間には俺の知らない様々なドラマがあったに違いない。
「話してくれないか?お前たちと鱒浦の事」
涙を浮かべて山崎が俺の顔を見上げた。今まで俺達の間で鱒浦の事を話題に上げるのはタブーだった。でもこの日、俺はそのルールを破った。
いつまでもメンバーの過去に背を向けてバンドを続けてはいけないと思ったからだ。
「俺の率直な気持ちを言おう」咳払いをひとつして俺は山崎に自分の想いを伝えた。
「確かに俺は鱒浦のような華のあるベーシストじゃないし、うまく人間関係も築けない。でもお前らのライブを見たときに感じたんだ。変わらなきゃいけないって。
陽のあたる場所に出て俺はここにいる、何かが出来るんだって証明したい」
山崎は少し考える仕草を見せると俺に向けて笑みを浮かべた。
「それを聞いたらティラノもきっと喜ぶと思うよ」「おーい、ワッキ、あつし君」
「ティラノ!?」
遠くから手を振る若者を見て山崎の声が裏返った。「もう観なくていいのか?」俺が言葉を投げかけると平野がパーカーの袖をまくって笑った。
「いやー、売れ線の単調な曲ばっか演ってるから飽きてきちゃってさー。もういいかな、って会場出て来ちゃった」
「なんだよそれー、せっかく何万もするチケット買ってそれはないだろー」
山崎が平野を茶化す。平野の顔にできた涙の跡を見て嘘だ、と俺は思った。
きっとこいつはステージの上でたくさんの歓声をもらう鱒浦の姿を見て感涙しその場にいられなくなったのだろう。
「どうだった?マッスは?」
山崎に聞かれうーん、と平野は口元に手をやった。
「全然ダメだったよ。曲は途中で間違えるし、歓声もらって半泣きするし、MC振られても何も答えられなくなるし...」
顔から雫をこぼしながら笑顔で平野は俺達に答える。
「全然、ボク達の知ってるマッスのまんまだったよ」
山崎が無言で平野を抱きしめた。そして頭を手のひらで何度も叩いた。頑張った。もういいよ。という風に。
「さっきも山崎に言ったんだがな、」
二人の美しい友情を目の当たりにしながら俺は言葉を吐き出した。
「俺にも話してくれないか?お前たちと鱒浦にどんな思い出や武勇伝や冒険があったのかを。相互理解。俺達が次に進むにはそれが一番早いと思うんだ」
平野と山崎が泣き終わると俺達は駐車場に座りこんで色々な話をした。中学の時に平野が鱒浦と出会った時の事、平野がバンドを組もうと思った日の事、3人で向陽ライオットに出場し、優勝を勝ち取った事。
話は盛り上がり、飲みかけの缶ジュースをアスファルトに置くと平野が俺にこんな事を聞いた。
「でさぁ、前々から気になってたんだけどワッキはどうしてボク達のバンドに入ろうと思ったの?たまたま偶然?」
山崎も俺の方に視線を向ける。「いや、前からお前らのバンドが気になってたんだよ。ティーマスだっけ?」「うんそう」
「お前らが楽しそうにバンド演ってみんなに認められていく姿を見て羨ましいと思ったんだよ。俺もあの輪の中に加わりたいってな。
そう思ってたら鱒浦が脱退した。チャンスだと思った。だから第二音楽室の扉を叩いた。これが俺がテンポスに入った経緯だよ」
「へぇーそうかぁ」
嘘はない。俺は初めて本音で自分が新バンドメンバー募集の面接を受けに行った理由を話した。桜田に脅かされたのはただのきっかけに過ぎない。
「俺達は最初っからバンドを組む運命だったんだよ」「おー!」「もう!ワッキったら!」
自分でも恥ずかしくなるような台詞を吐くと二人が俺を冷やかした。すると入口の方からたくさんの人並みがぞろぞろとこっちに向かって歩いてくる。
「ライブが終わったのかな」山崎がそう言うと平野が感慨深げにその列を見つめた。みんな満足気な表情を浮かべ、幸せそうに今日のライブを振り返っている。
「おれ達もみんなに笑顔をプレゼント出来るように頑張ろうな!」山崎が俺達に言うとキイ、という音と共に後ろの非常口の扉が開いた。
「どうした平野?」「マッス...!?マッスなのか!!」
ぼうっと口を開ける平野に尋ねると幽霊を見るような目で平野は非常口から出てきたフードを被った男を指さした。
「よう、久しぶり」「マッス!!」平野と山崎がその男に駆け寄った。少し気まずそうに、だが優しそうな笑顔を浮かべその男は話し始めた。
「ステージの上から見てたよ。ティラノが観に来てくれたって」「この野郎!このライブのチケットとるのにいくらかかったと思ってるんだ!」
平野が鱒浦の肩を小突いた。それを見て微笑むと鱒浦は言葉を続けた。
「立ち話もなんだからよ。俺の楽屋に案内するよ。それにここじゃ目立つ...そこの彼は?」
鱒浦が俺の顔を見つめた。鱒浦は整った顔立ちをし、眼鏡の奥のまつげがワイパーのように伸びている。美男子だと俺は思った。
「ワッキだよ。新しいバンドのベーシスト」「ああ!そうか!!」鱒浦が納得したように手を叩く。そして俺の方に歩み寄り、手を差し出した。
「ティラノをよろしく頼む」俺はその手を握り返す。固まったマメの多いゴツゴツとした手が彼の血がにじむような努力と不条理な世界で闘う厳しさを物語っていた。
「鈴木和樹だ。あんたの代わりにベースを担当してる」「俺の代わり、か」手を解くと鱒浦は虚空を見つめて呟いた。
ティラノが俺達の間に割って入った。
「ワッキはマッスの代わりなんかじゃないぜ。マッスには出来ないようなグリグリしたフレーズを弾けるんだ。はっきり言ってマッス以上のスーパーベーシストだ!
それに下ネタの曲だから演りたくない、って誰かさんみたいに駄々こねたりしないしね」
「おまえ、それ言わないお約束だろ...」
鱒浦が言い返すと3人がニカっとした顔で笑う。それを見て俺はこの場には必要のない人間に思えた。
悪い意味ではなく、この3人は他の人間が簡単に介入できないような太い絆で結ばれているのだ。
「それじゃ、俺はこの辺で失礼するよ」「え、ワッキ帰っちゃうの!?」「芸能人のサインもらっとけよ~」
山崎と平野の言葉を振り切って俺は人ごみの中を走り出した。これでいい。今日一日だけは元バンドメンバーとの邂逅に酔いしれてくれ。
悔しさと満足感が混じり合った気持ちで俺は夜空を見上げた。手の届きそうな場所で星達がまたたいていた。