Neetel Inside 文芸新都
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「それでさぁ、マッスの奴、なんて言ったと思う!?」

放課後の第二音楽室。昨日『バイオレットフィズ』のライブを観にいった平野の声が響く。1年生の伊藤と高橋があまり興味なさそうにその話に付き合っている。

平野はそんな二人の態度を気にしない口調で昨夜の親友との邂逅を振り返っていた。「鱒浦先輩はなんて言ったんですか?」眼鏡を指で押し上げながら伊藤が平野に聞く。

「はまちょんが『息子がキミのファンやからサインくれや』って言ったんだけど『いや、自分はまだまだ半人前ですからサインは出来ません』って断わったんだってよォー!!
マッス、超カッコいいィー!!な、高橋!マッス、カッコ良くね!?」
「は、はぁ...カッコいいっす。とても...」

高橋は答えづらそうに坊主頭を撫でる。平野の奴ときたら今日一日ずっと鱒浦の事ばかり話してる。部屋の奥でノートパソコンのキーボードを叩きながらやよいが言った。

「ティラノ君、『バイオ』の事は分かったから。あなた達のライブの事はどうなったの?」

「それで、マッスの奴が...」「ティラノ君!!」「は、はひ!?」

やよいが机を叩いて勢い良く立ち上がった。その姿を見て部屋にいた部員達全員がたじろぐ。周りを見渡すとゆっくりと席に座ってやよいが話しだした。

「しっかりしてよね。私が今回のライブの告知やらフライヤー制作やらをやってあげてるんだから。ちゃんと新曲は書いてるんでしょうね?」
「は、はい!睡眠不足が続く日でもライブ出れるなら書いてるっス!!問題ないから、問題ないから~」

芸人のギャグのように手を動かしながら平野は部屋の隅のステージに向かって歩き出した。

「よ、よし!!ワッキにあつし君、再来週に迫ったライブに向けて練習しよう!追いつけ、追い越せ『バイオレットフィズ』!イッツオーライ!やってやろうぜ!!」

「よし、じゃあやろうか」「期限まで残り少ない。急ピッチで仕上げよう」

山崎と俺も立ち上がってステージへ向かった。今日は平野が新しく書いてきた曲、『アイドルヘイト』と『電脳少女みゆきちゃん』という曲の練習をした。

どちらも奇天烈な歌詞が印象的だがノリの良いリズムにはっきりとした主張のある曲で俺はそれらの曲を演る事に抵抗はなかった。

練習が一段落し、帰り支度をすると缶ジュースを飲み終えた平野が俺に言った。

「あ、ワッキ、今度のライブの事だけど」

俺が振り返ると平野はチケットを3枚、俺の方に突きつけた。

「今度のライブは店側のはからいで演者ひとりにつき3人だけ無料で招待する事が出来るんだ。友達や彼女、誰を連れてきてもオッケー。
知り合いに自慢のグリグリベースを魅せつけてやってくれ」

「呼ぶ人が決まったら教えてね。ゲストリストに登録するから」

部屋に残っていたやよいが俺に声をかけた。チケットを受け取ると俺はある人物の姿を思い浮かべた。


「いらっしゃいませ~...あ、和樹!久しぶり!」

カランコロン。週末の午後、鈴のついたパン屋のドアを開けると幼馴染の泉あずみが俺に声を返す。

「久しぶり」俺はポケットの中身を確認しながらカウンターに向かって歩く。泉が明るい笑顔で俺を出迎える。

緊張している事を悟られないよう、ショーケースに目を落とすと俺は店員である泉に注文をした。

「メロンパンとクロワッサンをひとつずつ」

それを聞いて泉が長いまつげのついた目を細める。「好きですね。メロンパンとクロワッサン」

泉の言葉を聞いて俺の口元がほころぶ。俺がこの店に来るたび毎回メロンパンとクロワッサンを頼むのを泉は覚えていた。

トレイにパンを載せながら泉が冗談を言い始める。

「当店のパンは一切動物性油を使用しておりませんのでベジタリアンの鈴木様でも安心してご賞味頂けます」それを聞いて俺はハン、と鼻をならす。

「バターを使わないパンだけを売って精算のとれるパン屋がいるならお目にかかりたいね」「もー、馬鹿にしてー」

泉がトレイにパンを取り終えると俺は意を決してこう切り出した。

「話があるんだ。ちょっとの間、店を抜けられないか?」

きょとん、とした顔を俺に向けると泉は振り返って店の奥に向かって声を出した。

「お母さーん。あたしお昼の休憩まだだから行ってきていい?店番お願いねー」

店の奥から「はい、わかったよ」と声が帰ってくると泉はカウンターに手をつけて俺に顔を近づけた。

「なになに?デートのお誘い?それとも愛の告白?和樹もずいぶんおませさんになったもんだ。あたしは嬉しいよー」
「からかうな」

泉の顔から視線を外すと俺は呼吸を整えて胸の鼓動を抑えた。当たらずとも遠からず、だ。


俺は買ったパンの箱を店の前に停めてあった自転車のカゴに入れ、湾外沿いの歩道を自転車を押しながら泉と歩き出した。

強い風がポニーテールの泉のうなじをすり抜けていく。

「寒いね、今日」
「低気圧が発達して西高東低の気圧になったんだろ」

目線を前に固定して俺は泉に言い返す。「もー、そういう事じゃないってばー」期待通りの言葉が返って来なかった事に泉が腹を立てる。

サーフボードを乗せたバンの二人組が俺達を指さして冷やかすと俺は咳払いをひとつし、バンが通り過ぎるタイミングで泉に本題を切り出した。

「7月1日、CLUB861 というライブハウスでライブを演る」「え?なんだって」

排気ガスを手で払いながら泉が聞き返す。俺は同じ言葉を泉に返した。

「こんど俺が組んだバンドがライブを演るんだ」歩みを止めて泉に振り返る。

「来て欲しいんだ。そのライブに、そこに俺の生きる理由があると思うから」

言った。遂に言った。「ほら、これ」俺は目線を外し、ポケットに手を突っ込みチケットを泉の前に突き出す。少しの間があって泉の薄いくちびるが開いた。

「あ、ありがとう」

泉がチケットを受け取ると俺は小さく息を吐いた。「生きる理由があるだなんてずいぶん大げさね」

照れ隠しのように泉が呟く。「俺にとっては大事なライブなんだ」俺は交差点で大橋照之が言った言葉を思い出した。あいつもこのライブに出場する。

俺はあいつと、そして自分の運命に立ち向かわなければならない。未来の行く末がこのライブにはあるんだ。俺の決心とは対照的に泉は顔をほころばせた。

「自転車、一緒に乗ろうか?」
「はぁ?」

裏返った声を俺が出すと泉が自転車の荷台を両手で掴んだ。

「ね、いいでしょ?それとも、もしかして和樹、二人乗り未経験?」
「馬鹿にするな」

泉が荷台にまたがると俺は自転車のペダルに足を置いた。すると泉が俺の腹に手を回した。

「おい...」
「いいでしょ。こっちは女の子なんだから。怪我したら責任とってもらうから!」

「へいへい」

泉の言葉を受け流し俺はペダルを漕ぐ。ひとつの物質に合わさった自転車に乾いた風が通り抜けていく。

ビュウビュウという北風が二人の間にBGMとして流れていく。並走するように低い位置を飛ぶカモメが俺達を羨むように称えるように飛び去っていった。

立ち漕ぎの背中に暖かな鼓動を感じながら俺は前に向かって進み出す。この時がずっと続けばいい。大きな青空の下で柔らかなかりそめの幸福をゆっくりと噛み締めていた。

       

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