Neetel Inside 文芸新都
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俺は非常口の階段を降りるとそのフロアにある美術室を目指した。部屋のドアを開けると予想通り、グリグリ眼鏡でおさげを下げた女の子がひとり、彫刻を前にして座っていた。

彼女は俺の姿を見つけるとぼーっとしていた意識を取り戻し、俺にぺこっと頭を下げた。俺は社交辞令である笑顔を返さずにその女に近づく。

「今から外でライブを演る」俺が告げると「あ、ああ。そうですか...そうなんだ...」と女は眼鏡を手の甲で押し上げる。あまり時間のない俺はすぐに本題を切り出す。

「観に来てくれないか?そうしてくれるとあいつも喜ぶ」「え、えっと」女が顔を赤くしてきょろきょろと視線を外す。「ちょっと、あなたの言ってる事がわからないです...」

「じれったいな」俺は彼女の椅子の背もたれに手をかけて言った。

「好きなんだろ?平野の事」「え!?」

女が声を裏返してその場を飛び退く。「気付かなかったとでも思うのか?」俺は頭を掻きながらここ数日の彼女の行動を振り返った。

用もなく第二音楽室を覗きに来たり、壁の影から平野の後ろ姿を見つめている様子を俺は何度か目撃していた。可愛らしい、子供じみた恋愛表現だと俺は思う。

「ちょっと、ちょっと...」

女が頭と口の間で言葉を繋げられないでいると俺が確信に迫る言葉を彼女にぶつける。

「やっぱりそうなんだな?」「は、はい...まぁ」

女がもじもじと下を向いた。「別に悪い事じゃない」俺は窓の外から風景を眺めた。学生服のカップルが松の木の下でキスをした。その二人から視線を外すと俺は彼女に告げた。

「あいつが欲してるのは理解者だ。音楽的な事じゃなく、自分を肯定してくれる存在。認めてくれる人間。君がそうなってくれればあいつもアーティストとしての幅も広がると思うんだ」

女の子は俺を疑うような眼差しを向けた。「道具、ってわけですか?私は?」「すまん。言い方が悪かった」

俺は頭の中でうまいワードを組み合わせる。しかし彼女の恋を後押ししてやる言葉がなかなか見つからなかった。

「とにかくだ、」俺は彼女に向かって声を発する。「あいつを好きだと思っているんなら、自分の気持ちを伝える事だ。それが原理として一番正しい」

「そ、そんな事が出来れば苦労はしないですよ!」女の声が上擦った。俺は驚いてその娘に目を向ける。想いを振り絞るように彼女は続けた。

「彼は町の人気もので、ロックスターで、私はただのしがない漫画家志望の女なんですよ!?そんな二人が結ばれるわけないじゃないですか!?」
「結ばれないな、現状だと」

あえて厳しい言葉を俺は彼女にぶつける。「今の状態だとそうだ。あいつは君の気持ちに気づくのに時間がかかるだろう。その間にあいつを好きになる女も出てくるかもしれない。
恋愛ってのは早いもの勝ちだ。レジに並ばないと買い物は出来ない。そうだろ?」

俺の言い回しが伝わったのか、彼女は言葉と想いを反芻(はんすう)するようにうなづいた。「でも、そんなの無理」うつむくとあざけるように彼女は笑った。

「私、恋愛するのが初めてで、恋っていうのがよくわからないんですよ。でも家に居る時や寝る前に考えるの。あの人の隣にいたいって思う。あの人の恋人になりたい、って思うの。
原理とか、原則とかあの人の前に立ったらそんなの吹き飛んじゃう」

俺はそれを聞いてふっと笑った。「な、なんなんですか!馬鹿にして!!」顔から湯気を出しながら彼女が俺を咎めた。

「それはひどい症状だ。ウイルスだ。熱病だ。でも、世界はそれを、」「愛と呼ぶんだぜ、ですか?」「そう!」俺がピン、と指を弾くと彼女もにっ、と笑った。しばらく笑い合うと俺は彼女に尋ねた。

「君の名前を教えてくれないか?」眼鏡の美術部員が俺に視線を返した。女性を君とか女とか抽象名詞で呼ぶのは気が引ける。

「小豆平美雪です」「あずきだいら、さんか。ユニークで素敵なお名前だ」そう言うと小豆平さんは俺をみてにこっと笑った。

「ライブ、観にいきます。想いを伝える事が出来るかわからないけど」それを聞くと俺はドアに向かって歩いた。「鈴木和樹さん、」声をかけられて俺は振り返る。

「あなたの恋も叶うといいですね」それを聞いて俺はふっと笑顔を返す。見透かされていたのか。照れ隠しで頭を掻きながらドアを閉めると俺は後ろの通路を振り返った。

「居るんだろ?そこに?」俺が問いかけると黒い影がヒュ、と後ろに引いた。「隠れてないで出てこい、アイコ」

俺が呼びかけると寂しそうな目をしたアイコが俺の前に姿を現した。「お兄ちゃん、行っちゃうの?」俺にとって辛い妹との別れが始まった。

       

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