Neetel Inside 文芸新都
表紙

ティラノクション
ACTION 2 始動

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俺が軽音楽部に面接を受けに行った次の日、俺は美術室へ部活の見学に行った。

美術部の部長が俺に部の活動を教えてくれる。夏に全国に向けての地区大会があるだの、イベントの度に校門の前に飾る壁画を描くだの、
事細かに、親切に説明してくれたが俺の耳にはなかなか部長の言葉は届かなかった。昨日のライブの失敗が尾を引いていた。

いや、あれはライブと呼べる規模のものじゃなかったのかもしれないが。

「今は放課後にみんなで石膏のデッサンをしています」

美術部の部員たちは部屋の中心で女性の石膏を囲んでスケッチブックに線を描きこんでいた。

「鈴木君もすぐあのくらい描けるようになりますよ」

部長がそういうのを聞いて俺は笑顔を作った。新入部員らしき女の子が俺の姿を見てぺこ、と頭を下げる。

それを見て俺は好感を抱かれるよう、爽やかな微笑みを浮かべる。

「へ~インテリ君はこんなのを見てシコってんのか~」

後ろで声がし、振り返るとそこにはルノワールの『裸婦』が表紙の画集を眺めている平野洋一がいた。

「困りますよ!勝手に棚から持ち出されちゃ!」

部長が平野から本を取り上げようとするがひょい、ひょいと上下させ、その手を避ける。俺が横からそれをかすめ取った。

「何やってんだ、お前は」

呆れて俺が聞くと平野は要件を思い出したように手を叩いた。「おお、鈴木君!キミに用があったんだ」そう言うと平野は猿のような跳躍でみんなが描いている石膏に抱きついた。

「きゃあ!」「何なんですか!あんたは!」石膏の膨らんだ胸を撫で回しながら平野が俺に言う。

「追試だ。昨日の面接の」

平野は制服の内ポケットをあさり、俺に向かって何かを投げつけた。俺はそれが地面に落ちる前にキャッチする。「これはCD‐Rか?」「そう」

「すずきかずき用」と見出しのついたケースを眺めると机の上の平野が告げた。

「来週の金曜までにその曲にベースをつけてきてくれ。それが面接官のボクとあつし君による追試だ」

「つまり、二次試験って事か?」

昨日のライブは失敗したと思っていた。それがこうやってチャンスをもらい、自分が認めてもらったようで正直少し嬉しかった。しかし、平野は機械的な声で俺に言い返した。

「繰り返す。これは追試だ。昨日のアレを観たけど、今のキミの実力じゃボクのバックは任せられない。
キミに周りを活かして自分もアピール出来る力があるかをみたい。期限は10日だ。10日後の放課後に第二音楽室にて最終面接を行う。CDにベースを入れたモノを聴かせてくれてもいいし、
ボクらと一緒に演奏してくれても構わない。ボクらのイメージを超える音楽を聴かせてくれ」

「ずいぶん上からモノを言うんだな」俺は能力不足だとはっきり言われて少し傷ついた。せっかく面接を受けにいってやったのに追試?

人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。

「おっぱいってこんなに硬いのかよ~ありえん」

胸を撫で回すのに飽きた平野が机から飛び降りた。そして部員達全員に聞こえるよう叫んだ。

「おまえら、みんなインテリぶってるけどこういうの見たりヌード画描いたりして家に帰ってオナニーばっかしてんだろ!お前も!お前も!!お前も!!!
勉強も運動も出来ないのに仲間内でスカしやがって。サブカル気取ってんじゃねぇよ!ファックオフ!エブリシング!!」

「な!?」「オイ、ちょっと何言ってんだアンタ!」

男子部員が平野に言い返すと平野は入口のドアに向かって歩き出した。奴は俺の横を通る時にぼそっとこう呟いた。

「あー、スッキリした。ボク去年美術の成績ずっと1だったんだよね。所詮田舎町の頭の硬い連中にボクの美的センスはわからん」

なるほど、平野が荒ぶっていた理由が分かった。「何あの人!最低!」さっきの女の子が怒りで身を震わせていた。

「鈴木君」部長が俺に声をかけた。「我々は彼と関係を持ちたくない。彼は下品で不潔だ。彼が今後ここを出入りするようなら今回の話はなかった事にしてもらう」

「いいですよ。別に」「え?」驚いた顔を向ける部長に対し俺は言葉を繋いだ。

「ここに来たのも平野のバンドの滑り止めですし。それに俺、」

裸婦の画集を棚に戻してドアを開いた。「印象派の画家の絵は好きじゃないんですよ。自己主張が強すぎる」

その言葉を残すと俺は平野と出くわさないように遠回りで階段を降り、下校するために玄関に向かった。


「楽しそうね」

いつの間にか部屋に入ってきたアイコが俺に言った。「楽しそうに見えるかい?」俺は机のパソコンを前にして頭を抱えていた。耳からイヤホンを外しアイコを見上げるとベッドに座った妹はふっと笑った。

「最近のあなたはとても楽しそう」俺が自虐的に笑うとアイコが俺の瞳を覗き込んだ。

「チェインソゥは見つかった?」真っ直ぐな瑠璃色の瞳から俺は目をそらす。「それはまだ」俺は椅子を回しパソコンに向き直った。

アイコが立ち上がって机の上の奴が書いた曲の歌詞カードを取り上げた。「おい」俺が声をかけると妹は背を向けてしゃがみこんだ。

「まぁ!なんてひどい歌詞!」「だろ?」俺は額に手を当てた。妹よ。それがお兄ちゃんが今度入ろうとしているバンドのフロントマンが書いた歌詞だ。

「か、かはんしんが、止まらない、、、ですって」

顔を真っ赤にしてアイコが俺にカードを差し出した。悪く思わないでくれ。つっても無理か。俺はパソコンからイヤホンを引き抜き、CDプレーヤーを起動させた。

平野の歌う曲が部屋中に広がる。おそらく山崎が叩いているであろうドラムのリズムがつき、ジャカジャカとコード弾きのギターが響き、低俗な歌詞が早口で吐き捨てられるように歌われていた。

「こんな音楽を聴いているなんて、軽蔑してくれるかい?」俺がアイコに向き直ると彼女はベッドに座り俺に顔を見られないように顔を横から手で押さえつけている。俺はアイコに事情を説明する事にした。

そしてこの一見つかみどころがない、性のはけ口のような曲の分析を始める事にした。

     

下半身が止マラない 歌詞:平野洋一

<サビ>

いけない?イかない?そんなんじゃ不感症!ヤるときゃやんなきゃいかんでしょ!

3、2、1でぶっ放そうぜ!時代はもう来た ミサイルは北

ヤらない?ヤれない?そーんなんじゃ意味ないじゃん!日本が大好きアンジョンファン!

A、B、Cでやり直そうぜ!時代はもう来た。シャクレは秋田

下半身が止マラない haaa!

<Aメロ>

性欲が止まんない フルスロットルマシンガン 

煩悩 本能 欲望 一個とばしてまた煩悩

<Bメロ>

空いたパンツの穴から世界が見えた

二次と三次を繋ぐ ボクの時計の秒針

<サビ>

見てない?知らない?そんなんは認知症 病室から出ちゃいかんでしょ!

アン、デュゥ、トロワでバックれようぜ!先生もう来た 日直牧田

打てない?守れない?そいつは去年の中田翔 明るい未来にノーベル賞

序、破、Qで撮り直そうぜ 舞台は大分 ザビエル食べた?

今夜の晩飯が決マラない show U!

<Aメロ>

4時間後にはトブよ 底なしだし ピー袋

ヤベっ 赤玉 生理痛 早く返せよ ロマサガ2

<Bメロ>

めくれたスカートに不安が消えた

虹が惨事を告げる ボクはきっと世界の中心

<サビ>

いけない?イかない?そんなんじゃ不感症!ヤるときゃやんなきゃいかんでしょ!

3、2、1でぶっ放そうぜ!時代はもう来た ミサイルは北

ヤらない?ヤれない?そーんなんじゃ意味ないじゃん!日本が大好きアンジョンファン!

A、B、Cでやり直そうぜ!時代はもう来た。シャレもう飽きた?

下半身が止マラない yooo!

<Cメロ>

ムラッムラしてる欲棒 角度あっあっあっ UP!

ギラッギラしてる太陽 温度アッツ!アッツ UP!

こするだけで気持ちいいなんて アガっちゃうなんて これってなにげにヤバくね?

<大サビ>

いけない?イかない?そんなんじゃ不感症!ヤるときゃやんなきゃいかんでしょ!

3、2、1でぶっ放そうぜ!時代はもう来た ミサイルは北

ヤらない?ヤれない?そーんなんじゃ意味ないじゃん!日本が大好きアンジョンファン!

A、B、Cでやり直そうぜ!時代はもう来た。シャレもう飽きた?

<半音上げ>

いけない?イかない?そんなんじゃ不感症!ヤるときゃやんなきゃいかんでしょ!

3、2、1でぶっ放そうぜ!時代はもう来た ミサイルは北

(ヤらない?ヤれない?)そーんなんじゃ意味ないじゃん!とっても大好きあん、アン、an!

A、B、Cでもっかいスタンバイ!時代はもう来た。そうさ、僕達!


下半身がとまらない


「馬鹿か、こいつは」

パソコンの内蔵スピーカーから流れる曲を聞きながら俺はメモ帳を起動し、正確な歌詞を解読して曲をブロック毎に分けた。

とはいえ、この曲にどうやってベースをつければいいのだ。一体俺にどうしろというのだ。俺は頭を抱えた。

「どうすればいいのだ、って顔してる」妹のアイコが俺の顔を覗き込んだ。「その通りだよ」心情を見透かされた俺は椅子の背にもたれかかった。

生徒会役員の板野やよいがあいつをマークする理由がよくわかった。平野洋一は異常性欲者だ。直接的というか、ダイレクトな表現はないがこの曲で奴が歌っているのは自慰行為に対する衝動と情熱。

いや、これを情熱を呼んでいいのかわからないがあいつが性行為に対し憧れ、その欲求が満たされず暴力的にこの曲を書いたという事はわかった。


「今夜の晩飯が決・ま・ら・な・い! しょーゆー」

アイコが曲に合わせて奴の歌を口ずさむ。虫唾が走った。兄として「こんな歌を歌うのは止めなさい」と注意すべきか悩んだ。こいつの曲はなんなのだ。

2番の歌詞に関しては明らかにやっつけ仕事だ。集中力が持続しない性格なのだろうか?どうしてこんなに韻を踏む事に対して必死というか、貪欲なのか。

こういうのが最近の流行りなのかもしれない。とにかく歌詞に対してはどんなに時間があっても突っ込みどころがなくならないので俺はCD音源を音楽編集ソフトに入れ、
パート毎に分け、ボーカルの音をミュートした。最近のフリーソフトは便利だ。音域で自動にボーカル、ギター、ドラムと分けてくれる。


「何?もっと聴いていたかったのに」

アイコが読んでいた歌詞カードを机の上に置く。「時間がないんだ。期限は10日間。それまでにこの曲にベースをつけて返さなきゃならないんだ」

それを聞いてアイコがふっと笑う。「仕事ね。あなたにとって初めての」「そう、俺にとって初めての仕事。アーティストとして」

自分の口からアーティストという言葉が出て少し気恥ずかしかったが、自分が音楽的活動をしているという認識が出来て少し満足した。

歌詞とは対照的に曲の構成はシンプルでわかりやすかった。平野のギターはカッティングやミュート、短いながらも印象的なソロを使い分け、山崎のドラムはシンプルで力強かった。

伊達にバンドバトルを勝ち抜いた実力者ではないという訳か。理論くらいは理解しているようだ。俺はブラウザを起動しこの曲のコード進行を叩き、検索をかけた。

するとアニメの画像がたくさん貼られたページがヒットした。アニメ嫌いな俺は思わず「うわっ」と声を発する。

こいつ、こんな所からパクってやがったのか。「けいおん」という軽音楽部の女の子が主人公のアニメのオープニング曲とこの曲の展開が酷似していた。

平野がこのアニメのような女の子と出会いたくて音楽を始めたのかもしれない、と考えたら笑いがこみ上げてきた。

アイコがベットから立ち上がった。「晩飯の時間よ。母さんが呼んでる」「ばんめしじゃなくてゆうはん、だ」妹の言葉使いを正すと俺は立ち上がってエンターキーを叩いた。

「解読と分析は終わった。次は対策と傾向をたてる」俺はドアを開け、一人きり、階段を降りた。

     

ひどく疲れていた。

校舎を灰色の空が包み込む。俺は窓から外を眺めながら空が落ちてきやしないかと見張っていたがその様子は無く、本日の授業終了のチャイムが鳴った。

今日は金曜日。平野洋一の新バンドのメンバー募集面接の二次試験の日だ。待ちわびた決戦の金曜日。俺は3日前からほとんど寝ずに家にいる大部分の時間をベースを弾く時間に割いた。

事情を知った母はやけに協力的で深夜にベースを弾く事を許可してくれた(さぞ低音が響いて眠りづらかっただろうに)。

真っ白な手のひらには指先にマメが出来始めている。俺はその手を握り締め、第二音楽室を通り過ぎ、美術室へ向かった。


「鈴木先輩ですね?大丈夫、ちゃんと管理してあります」

入口で自分の名を告げるとこの間のおさげの女の子が現れて俺を中に案内した。そして美術部の奥にある貯蔵庫を開け、その中から俺のベースが入ったケースを取り出した。

ベースを学校に持ってきた事で不良に目をつけられるのを恐れた俺は早めに登校し、この女の子に事情を話し、相棒をかくまってもらう事を承諾させた。

秘密を共有している女の子は俺がケースを受け取ると少し口元を緩めた。俺も好感を抱かれるような爽やかなスマイルを彼女に向ける。

あまり好みのタイプではないが好かれるにこした事はない。女の子が眼鏡越しに視線を外すと、その子の手があたり、ノートが床の上に広がって落ちた。

ノートのページには裸の男が抱き合う絵が書かれていた。そのなかには小太りの男、おそらく平野と思われる男子も描かれていた。

「ちょ、返してください!」俺が拾ったノートを乱暴に奪い取ると女の子は顔を真っ赤にしてしゃがみ込み、ぽかぽかと自分の頭を叩き始めた。俺はこの女の子がどういう嗜好を持った女かを理解した。

「よし、じゃあいまから平野の奴に一発ぶち込んでくるか」「!?」女が両手で口を抑えると「ありがとう」と言って俺は彼女に背を向けた。

「こちらこそ!ご褒美、ありがとうございます!」意味のわからない言葉が背中に飛ぶと俺は美術室の扉を閉め、ベースの入ったケースを手に第二音楽室を目指した。


「よし、4時!はじめるか!って...おいおい」

俺が第二音楽室のドアを開けると平野が俺を見て指をさした。「金曜日の16時だっていったろ?」「ああ、時間ぴったりだ」俺が壁の時計を見ると時計は午後4時ちょうどを指している。

部室の後ろにはには清川を含む1年生4人。それに生徒会の板野やよいがギャラリーのように座っていた。

「まぁいい...1年!椅子を出してやれ!」「あ…ハイ!」坊主頭の一年が椅子を引っ張り出し椅子にすわる女生徒の横に置いた。

俺と目があった彼女は「どうも」と小声で挨拶をした。椅子に座り俺も挨拶を返す。教壇に立った平野が偉そうに教鞭を振り回す。

「第二試験!参加人数、わずか3人!!せっかくCD―Rを焼いて20人に配ったのにこりゃなんたる事態だ!!みんな口だけの冷やかしヤローだったって事かよ!なぁ!あつし君!!」

話を振られ逆にした椅子の背もたれの上で腕組をしていた軽音楽部部長の山崎あつしが顔をあげた。

「そりゃぁそういうヤツもいるだろうけど...今日は金曜だし忙しいっていう人もいるんじゃないかな」「そんなの関係ねぇよ!」「!?」

平野が教壇で地団駄を踏んだ。「花金だろうがそんなの関係ねぇ!俺たちのバンドに入りたいんだったら這ってでもやってくるだろ!真剣味が足りんのですよ!そんなの関係ねぇ!!」

お笑い芸人のギャグに見えてきたのか端に座る男子がぷっと笑いを吹き出した。それを見て満足したのか平野は教卓の上に乗った資料に目を落とし、試験の進行を始めた。

「えっと、1年の筧ノブ夫君」「はい!」端に座る男子が立ち上がった。資料と彼を見比べ平野が口を開いた。

「なんかキミ、いかにもモブキャラって感じだなぁ。志望の動機を聞かせてください」
「ハイ!向陽ライオットで勝ち抜く先輩達を見て普通っぽい僕でもバンドが出来るんだと思って応募しました!」「やれやれ...」

伊達メガネを外すと平野が男子に聞いた。「それで?アレンジはCD?それともライブ?」「ライブでお願いします」

それを聞いて1年生部員達がおー、と声を上げる。「ちょっと待て。ライブって言うのはお前たちと演奏するって事でいいんだよな?」

面接者である俺は試験官の平野に聞いた。すると当たり前だろ、という顔を俺に向けたので俺は怒りを噛み殺した。

「高橋、楽器を貸してやれ!あつし君、スタンバイ」

3人は部室の隅にあるステージに向い、楽器のセッテングを始めた。「センパーイ、なんて曲演るんでしたっけー?」

清川がエフェクターのサウンドチェックをする平野を見て冷やかす。「下半身が止マラない、だ」ドラムキットの前に座った山崎部長がマイクチェックがてらに声を返した。

それを聞いて清川がひっくり返って笑う。馬鹿な奴。この間の件からなにも学習していない。「ほんっと最低のタイトル。苦労して作った曲になんでそんなふざけたタイトル付けるんだか」

やよいが腕組をして平野を睨む。それには俺も同意した。準備が整ったらしく、山崎が筧に歌いだしを確認させると平野が急に声を出した。

「あ、そうだ。こいつじゃなくてアレを使おう」そういうと平野は赤いストラトキャスターをスタンドに立て、ギターケースから新たにギターを取り出した。

部員達の数人がおお、と声をあげる。レゲエマスターだ。光りで反射するピックガードを見て俺は息をのむ。ストラップを首からかけると平野はレゲエマスターを抱えて俺たちに向かって叫んだ。

「よーしお前ら。俺が今からホンモノのロックンロール聴かせてやる!イッツオーライ!あつし君、一発デカイのかましてやろうぜ!」「...おう!やるだけやってみるよ」

力強いスネアの音が響くと3人の演奏が始まった。遂に始まった。俺は強く手のひらを握り締めた。

     

演奏が始まると俺は同じ面接者であるベーシスト、筧ノブ夫のプレイに注目した。

筧のアレンジは直線的で1年生特有の勢いが感じられた。緊張からかリズムがよれたり、早いテンポに時々手が止まるが筧は最後までこの曲を演奏し終えた。

平野が決めのポーズを取り、ギターを弾き下ろすとしばしの残響の後、ギャラリーから拍手が鳴った。

ゆるいテンポで手を叩く隣の女子を見て俺も手を叩く。「なかなかやるじゃん」清川がステージの3人を見て足を組むのをやめた。

「ども、お粗末でした。ありがとうございます」

筧が1年の高橋にベースを返すと一緒に演奏した先輩部員の二人に頭を下げた。「途中ヒヤヒヤしたけど完走できて良かったよ」「いいガッツしてるじゃねぇか!」

ドラムを叩いていた山崎が筧に声をかけ平野が尻を叩く。それを見て俺は少し焦った。大丈夫、技術なら俺の方が上だ。

平野がエフェクターを足で踏むと俺たちに向かって声を発した。

「次、どっちが演る?」それを聞いて隣の女子が立ち上がった。

「3年の白井沙良砂(しらいさらさ)です。私が演ります」彼女はポーチからディスクを出してステージの二人に向けた。

「CDは持ってきてます」「そっか、じゃあCDアレンジを聴くって事でいいんですね、サラサさん!」

ギターをスタンドに置こうとする平野をサラサが呼び止めた。「待ってください。私もライブを演ります。曲はYUIの『HELLO』でお願いします」

「ハロー?」平野と山崎が顔を見合わせる。「課題曲は決まっていなかったはずです」サラサは椅子の横に置いてあった自分のケースから楽器を取り出した。

黄色いテレキャスターが姿を現した。

「新バンドではリードギター、メインボーカルを希望します」「おいおいおいおい...」平野が口元に手を当てる。この発言には教室のだれもが面食らった。

「確かベースの募集だったはずじゃ、」「いや、いいんだ。YUIの『HELLO』だったら俺も叩けるからさ。オーケー、オーケー」「ちょっとあつし君!」

平野が山崎の肩を抱いてステージ後ろで打ち合わせを始めた。ステージのマイクがところどころ彼らの会話を拾う。

「...いいじゃん。ティラノだってその方がいいだろ」「...だって、そんなの...バンドを乗っ取られるかもしれないんだぞ!」

サラサはギターのチューニングを始めてステージの上の二人を見つめた。

「平野君は弾かなくてもいいですよ。私はバックメンバーが欲しいんで」「ほらみろ!」平野が苛立ったように自分の膝を叩いた。


話を整理するために俺はひとつの仮説を立てた。彼女は恐らくシンガーソングライターとして一人で活動していてバンドメンバーを探しにここに来たのだろう。

それも自分が中心となって活動するためのバックメンバー。つまり山崎をドラムとして迎え自分がギターボーカルをとる。平野はリズムギターか下手したら解雇。

そうなったらまた新しいメンバーを入れればいい。俺は彼女の覚悟と恐ろしさに体が震えた。そんな事を企んでいる人間がこんなところにやってくるなんて思いもしなかった。

「あつし君はいいっていうかもしれないけど」準備が終わってステージに向かって歩くサラサにステージから降りた平野がすれ違い様に言った。

「ボクはキミをメンバーとして迎えないかもしれないよ?」「いいですよ。それで」彼女は高圧的に髪をかきあげた。

「私が欲しいのは向陽ライオットを優勝したキミのネームバリューだから」サラサの言葉を受け、平野は俺の横の椅子にどかっと座った。

「どうして女っていつもこうなんだろうな。対して才能もねぇくせに自分が特別だってしゃしゃり出てくる。自意識過剰だと思わないかい?中ニ病君!」
「その中ニ病っていうのをやめろ」

不機嫌そうに呟く平野をたしなめるとステージに上がったサラサが山崎と打ち合わせを始めた。すぐにそれが終わり、山崎のドラムが鳴ると
サラサはマイクに口を近づけ、歌い始めた。高音がややきつそうだが、透き通るような細く、よく通る声に俺たちは聞き惚れていた。

「ふん。いつからここはカラオケボックスになったんだ」唯一平野だけが不機嫌そうに腕組をしていたが演奏が終わるとみんながステージの彼女に向けて拍手をした。

「白井センパイ、素敵っス!バックメンバーだったら俺が担当してもいいっスよ!」調子のいい事をいう清川を一瞥するとサラサはギターを背負ってステージを降りた。

「ガン無視素敵っス!」清川の切ない声に教室のあちらこちらで笑いが起こる。

「ほら、次」平野が俺の椅子の背をつついた。「キミの番だけど。どうする?」「どうするもない」平野の声を受けて俺は立ち上がった。

手の中にはびっしり汗をかいている。心拍数はさっきから上がったまんまだ。そして空になったステージを見上げた。

「やるしかないんだ」

俺は椅子から立ち上がりステージに向かって歩を進めた。

     

「キミ、ちょっと待った」

ステージに歩き出した俺を平野が呼び止めた。振り返ると奴は机の上にあった面接者資料を取り出して俺に言った。

「鈴木和樹君。2年A組出席番号13番。突発的にキレ易い性格で1年の時に電動刃物を持って暴れ、停学処分を受けている。
他にも学校内外で些細なトラブルを引き起こしている」

それを聞いて俺は平野を睨んだ。「調べたんだ。ボクなりのネットワークでね」ぴん、と書類を指で弾き平野は続けた。

「座右の銘は平穏無事で将来の夢は公務員。安定した生活を得てトラブルのない人生を過ごす事。なんだこれ、吉良吉影かなんかかよ」

「ティラノのアニキは公務員志望なんだ」ステージの椅子に座る山崎が俺に言った。「余計な事いうなよ。あつし君」大きく息を吐き出すと面倒くさそうに平野が椅子から立ち上がった。

「こんなものはパー、だ!」平野が書類を天井に向かって投げた。A4用紙数枚が空中に舞う。

その隙間から目が合った恐竜が俺に問う。

「キミがしようとしているのはこの紙切れにかいてあることとはまったく別の事だ。このドアを開けたらもう平穏な生活には戻れない。
それでも演るかい?」

俺は震えを押し殺して手のひらを握った。人差し指にできた生まれたてのマメが中指にあたって擦れる。痛い。それでも俺はベースを弾くことを止めなかった。

答えは出ている。「何度も同じ事を言わせるな」目線を外し、尖った目をした平野に背を向けると俺はベースケースを担いでステージに上がった。

「ライブを演る」短くスタンドマイクに告げると「おお、そうかい」と言って平野が俺に向けて笑みを作った。ドラムを前にした山崎が俺に聞く。

「下半身が止マラない、でいいんだよね?」「ああ、それでいい」なんとも気が抜ける名前だ。深くため息をついてケースからベースを取り出す。

それを見て1年生の何人かがおおー、と声をあげる。「Fenderのプレベか。いいの使ってるじゃん」清川が椅子を傾けて後ろの生徒に耳打ちするのが聞こえた。

「高橋、伊藤。おまえら楽器始めたばっかりだろ。センパイらの動き、ちゃんと見とけよ」「うん」「わかった」
「ま、お前らじゃボクのコピーすら無理だろうけどな~」

平野がその間を横切ってステージにあがった。スタンドにかけてあった愛用のギターを手に取ると清川が平野に嫌味を言った。

「お言葉ですけど平野センパイ。そんな曲を演ってるようじゃいつまで経っても売れるようにはなりませんよ。
青春パンクが流行ったのってもう10年以上前じゃないっスか。それに中学生が思いつくような低俗な歌詞とアニソンのパクリみたいなメロディ。
今時そんなんが世の中にうけると思ってるんスか?」

「こら清川」生徒会役員のやよいが清川をたしなめる。目で威嚇する彼女をみてあまり育ちがよくないんだな、と俺はふっと笑った。

「あんなのはガン無視だ。いくら一般論を語ってもボクの心には響かない」詩的な表現で悪口を受け流す平野を見てタフな男だなと俺は思った。

「準備はオーケー?」「それはまだ」山崎に聞かれ、俺はベースのジャックにケーブルを繋ぎ、見知らぬメーカーのベースアンプにケーブルを繋いだ。チューナーは使わない。

その後サウンドチェックをし、ベース前のスタンドマイクの位置を確認してピックを握り締めるとひと呼吸置いて、俺はギターボーカルの平野とドラムスの山崎に準備オーケーの意味を表すために小さく手を上げた。

平野がスタンドマイクに唇をくっつけた。

「よし、イクぜ!面接最後の曲、『下半身が止マラない』!」

一瞬の静寂が起こると部室の空気が張り詰め、俺の体中を緊張が駆け巡る。頭の上でスティックを4回鳴らすと山崎が右手のスティックをスネアに打ち付けた。

直後のタイミングで俺は自分で編み出した地を這うようなフレーズを弾き始める。オーディエンスの俺への目線が一気に変わった事を感じ、背筋に鳥肌が走る。

キンキンしたサウンドの平野のギターが鳴りイントロが終わると平野はマイクに口をつけ、低俗だと言われる歌詞を歌い始めた。

「下半身が止マラない! ハァ!!」

ギターから指を離し、ポーズをつくる平野を横目に俺は耳に残る印象的なフレーズを弾き込む。これは前にプレーした筧を見て直前にこのフレーズを入れる事を決めた。

演奏が一時的に俺のベースと山崎のドラムだけになると1年生部員が俺たちのプレーに刮目した。山崎はシンプルだが堅実にひとつひとつのタイコを叩いていく。

俺も短く音をきりながら単音のフレーズを聴かせる。俺の方を見て少しだけ笑うと平野はマイクに向き直りAメロを歌いだした。

エフェクトをかけたように声を揺らしながら歌う平野を見てやよいが顔をほころばせる。Bメロに入ると平野がじゃーん、じゃーんとギターを弾きおろす。

和音の間を埋めるように俺が動きのあるリズムをつける。短いブリッジの後、この曲は2回目のサビを迎える。意味不明な歌詞を平野がまくし立てる。

「今夜の晩飯が決マラない! show U!」

平野がマイクから顔を離し、じゃかじゃかギターを弾き始めた。間奏が終わるとギターをミュートし、カッティングを始めて2番の歌詞を歌い始めた。

俺は1番と同じにならないよう注意深く印象に残るフレーズを探してこの日を迎えたため、平野のちょっとしたアドリブにも対応する事ができた。

予想していた問題がテストに出た。例えるならそんなところだろう。2番のサビが始まり、平野が高音を振り絞る。

「下半身が止マラない! ヤァ!!」

ここで平野の単音フレーズによるギターソロが始まるはずだ。しかし平野はギターから手を離し俺の方を見つめた。さぁどうする?という表情を浮かべながら。

「嫌がらせかよ」額に沸いた汗を振り払うと俺は低音を強調したベースにしか弾けない音域のフレーズを弾き始める。山崎がそれに合わせてタムを回すと力強くシンバルを叩き出す。

俺たち二人に1年生が拍手を送る。一瞬、山崎の方を振り返ると彼も汗をかき、このBPM180を超えるアップビートに体を揺らしていた。

しかしとても楽しそうな、充実した笑みを浮かべていた。平野がギターに手をかけ、エフェクターを踏むと聞いた事もない歪んだソロを弾き始めた。

やれやれ、俺は半ばヤケになってハイフレットに手を伸ばしコードから外れた独自のフレーズを弾く事にした。山崎のシンバルが鳴る回数が増える。

耳が聞こえなくなる。意識が曖昧になる。走っているような、眠っているような。そんな満足感。俺たちは長い間、曲の流れを無視して爆音でお互いの技術を確かめ合っていた。

もうこれ以上叩けないという山崎の顔を見ると平野が思い出したように曲を締めくくった。

「そうさ、ボク達!」

「下半身が止まらない、だろ?」

マイクに向かって叫ぶ平野を見て呟くと山崎が腰を浮かせ、シンバルをミュートした。ひとりだけ空間に音を残した俺は照れ隠しの笑みを浮かべながらベースの弦をミュートした。

「ナイスプレー!」山崎がとっさに俺に手を伸ばした。手の汗を拭いて俺はその手を握りしめる。「まぁまぁの出来ってとこかな」平野が腰に手を当ててにっとした笑みを俺たちに向ける。

しばらくして俺たちの周りを拍手を包み込んだ。たった6人の拍手だったが、その拍手の音は俺がいままでの人生で浴びてきた拍手の中で一番大きなものだった。

「よし、決めた」声を発した平野の方を全員が見つめる。顔の汗を拭うと平野は俺を指さしてこう告げた。

「平野洋一の新バンドのベーシストはキミに決定!」それを聞いて俺は息を吸って深く息を吐く。遂に平野が俺を認めてバンドのメンバーとして加入することを決めてくれた。

「その言葉を聞きたかった」手塚治虫のブラックジャック医師のような台詞を吐くと気が緩んだのか膝が地面に沈み込んだ。

そうだ、俺はひどく疲れていたのだった。この日、俺は新しいドアを開けた。そのドアがどこに繋がっているのかは誰にもわからない。

けど俺の心は強く跳ね、熱く燃えていた。予定調和から外れた人生。予想のつかない明日に俺の胸は震えていた。

     

ゴールデンウィークが明け、登校日が始まった。授業が終わると俺は下校する生徒とすれ違うように階段を上り、屋上のドアを開けた。

強い風が吹き曇天で気温も低いため周りには誰もいない。俺は制服の内ポケットからタバコを取り出すと口にくわえ、ケースに入れていたライターで火をつけた。

数回口をつけ、白い息を吐きながら俺は蟻かなにかの虫のようにちいさく見える校庭の生徒達を見つめていた。

平野は去年、ここから自分の裸が印刷されたプリントをバラまかれたらしい。気が狂ってる。悪魔の所業としか思えない。そんな事を考えていると俺の背に大きな影が迫っている事に気がついた。

「お前にタバコを吸う習慣があるとは思わなかったな」振り返るとそこには向陽高校の番長、桜田薫がいた。俺が見上げると桜田は言った。

「期限はもう過ぎた。やりたい事は見つかったか」俺は口から煙を吐くと手すりに押し付けて火を消し、ポケットから取り出した携帯灰皿にそれを投げ込んだ。

「真面目な性格なんでね」俺が微笑むと風で漂う煙の流れを見ながら桜田が繰り返した。「やりたい事は見つかったか、と聞いている」それを聞いて俺は唾を飲み込んだ。

「平野洋一のバンドに入った」「ほう、それで?」桜田が隣に来て手すりに手をかけて聞いた。「これがやりたい事、じゃいけないのか?」

「ただやる、だけじゃダメだ」桜田は俺にタバコを1本要求した。俺がケースごと桜田に手渡すとタバコに火をつけて桜田が言った。

「やるからには何か形に残る結果を残さなければダメだ。端から見たら俺から逃げたようにしか見えん」「ただバンドを始めただけじゃあんたからは逃げられない、か」

観念したように俺は笑った。「タバコは好かん」数回口を付けると桜田はタバコを床に投げつけた。「俺もタバコを吸う習慣は、ない」足でそれをもみ消す桜田を見て俺は景色に目を移した。

授業が終わった後、桜田の手下に呼ばれた時、平野の面接を受けに行く時、俺は心を落ち着けるためにここで一服していた。すると気持ちがリセット出来て目の前の難題に挑む事が出来るのだった。

タバコは依然吸っていた母の電子カードで買っていた。きっかけはどっかのミュージシャンがくわえながら楽器を弾いていたとかそんな理由で、とっくに臭いで気づいているはずなのに母はなんとも言わなかった。

俺が2本目のタバコに火をつけると桜田が俺に宣告した。

「とりあえず4月中にやりたい事を見つけるという課題はクリアした。しかし、そうやって斜に構えた態度をとっているとまた俺達に目を付けられる事になるぞ」
「いや、あんたはもう、俺に暴力を振るったりなんて事はしないだろう」

俺は煙を吐き出して桜田の坊主頭を見て微笑んだ。「気づいてるんだろ?そんな事しても不毛なだけだって。虚しいだけだって」

それを聞いて桜田がはっはっはと笑った。いつもとは違う、覇気のない笑い方だった。「まぁ、せいぜい頑張れや」

そういうと桜田は俺に背をむけて入口に向かって歩きだした。「あんたも見つかるといいな。やりたい事」それを聞いて一度桜田は立ち止まったが気にしないように非常口のドアを開けた。


「それでボクは言ってやったんだ。アンタ、本当に音楽好きなんですか?ってね」
「その話聞くの、もう72回目よ」

俺が第二音楽室のドアを開けると平野の奴がやよいに武勇伝を語っていた。カバンとベースケースを空いている椅子の横に置くと俺に気づいた平野が驚いたように声を出した。

「あれ?キミどうしてここに?」「おまえが俺をバンドメンバーに入れたんだろ」呆れて言葉を返して椅子に座ると思い出したように平野が舌を出して頭を小突いた。

「そうだった。少し間が空いたから忘れちゃったよ~」おいおい、それはないだろ。俺がため息をつくとやよいが席から立ち上がり俺にA4サイズのプリントを渡した。

「これ入部届。ここに名前と住所と連絡先、書いて」俺がやよいを見上げると軽音楽部部長の山崎がやってきたので彼に話を聞くことにした。

「俺は平野のバンドに入りたいと言ったが軽音楽部入りたいといった覚えはないんだが」「え?そうなの?」山崎が鼻を膨らまして俺に聞き返した。

やよいが場を仕切るように俺に告げた。「同じ事よ。平野君のバンドに入るには軽音楽部に入部する必要があるわ」「どういう事だ?」

腕を組んでやよいが言った。「今後、部の活動として他校との合同練習、つまり、あなた達で言う対バンを予定してるの。他校でライブするには自分の立場を証明出来る物が必要。
あなたがどうしても入部したくないって言うなら他に手立てはあるけど?」

俺はやよいの話を聞いていぶかしがった。「どうしてそこまでしてくれる?」「どうしてって...」言葉に詰まったやよいを見て椅子に座った山崎が言った。

「板野は生徒会役員でこの部の副部長なんだ」なるほど。そういう事か。「まぁ、ほとんど平野君のマークと部費が正しく使われているかの監査が私の仕事だけどね」

「で、おれは3年だし成り行きで部長になったってわけ」山崎が俺にこの軽音楽部の成り立ちを教えてくれた。「わかった。そこまで言うなら」

俺はカバンから筆記用具を取り出し入部届にペンを突き立てた。ドアが開いて清川達、1年生が顔を出す。

「やよい先輩、今日もお綺麗で。ぱっとしないセンパイ達もお疲れっス!」後ろを通るそいつらをやり過ごすと俺はやよいに記入した入部届を提出した。

「これでやっと鈴木君もおれ達の仲間って事だね!」声をあげる山崎を見て俺はむずがゆい気持ちになり、その違和感を正すためこう伝えた。

「鈴木君、はやめてもらえますか?なんか、距離があるような気がして...」「なるほど、そうか」平野が椅子から立ち上がった。

「ニックネームが欲しいって事だろ?そうだな...見た目からして...フーミンか、ゲロしゃぶだな」「どうしてそうなる」

俺が平野に突っかかると山崎が間を取り持った。「普段はなんて呼ばれてる?」俺は口元に手を当てて考えた。「苗字と名前の最後をとって『キキ』って呼ばれている」

「ダメだ。それじゃ、カッコ良過ぎる」俺がネットで使っているハンドルネームを平野がダメ出しした。「面接の時から考えていたんだが、鈴木和樹だろ?ワッキってのはどう?」

「いいね、それ。言い易いし」「はぁ?!」「これから、よろしくね。ワッキ」「ちょっと」気軽にあだ名で呼び始めたやよいを見て俺は焦った。もちろんそんなあだ名で呼ばれた事は初めてだ。

山崎が俺を見て微笑んだ。「おれ、部長で先輩だけどタメ語でいいから。ティラノもそうしてるし」それを聞いて俺は安心して声をかけた。

「じゃあ、山崎。いまから練習がしたいんだけど付き合ってくれるか?」「はは...待ってました、って感じだね」

ベースを持ってステージに上がると俺と山崎はビートルズの『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ』と『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』を演奏した。

どちらもベースとドラムだけでは単調な音楽で、平野は「ヘイ・ジュードなら出来るよ」と言ったが今度は俺がそのコード進行を覚えていなかったため、結局2人で何度もその2曲を演奏する事になった。


「よーし、モンハンしよーぜ」俺の前で清川が立ち上がって他の1年生部員達に声を上げた。部員達がカバンから携帯ゲーム機を取り出す。

「伊藤、お前肉持ってくんの忘れんじゃねーよ」ケラケラ笑い出す清川を見て俺はベースを弾くのを止めてマイク越しに1年に声を向けた。

「なぁ、初めておまえらと会話する内容がこんな事で申し訳ないんだが、」「あ、なんスか?」清川他3名が俺に振り返る。

「練習しないなら出て行ってくれないか。邪魔だ」「あァ!?」「ちょっと、ワッキ君!」山崎がドラムキットから立ち上がって俺達の間に割って入った。

「あんた、ちょっとベースが弾けるからって調子に乗ってんじゃないっスか?」「てめぇ!」「やめろって!」山崎が後ろから俺の体を抑える。

「ちょっと、あんた達またここでトラブル起こそうってんじゃないでしょうね?」やよいが俺と清川を睨みつける。

「やだなぁ。やよい先輩の前でそんな事するわけないじゃないっスか」

清川が呆れたような顔を俺に向けた。それが俺の神経を逆なでして山崎の力が緩んだ瞬間に俺は清川の襟首に手を伸ばした。

「はい!そこまで!」一部始終を見ていた平野が声を張り上げた。「ラブ、アンド、ピース!」平野は俺達にVサインを贈ると教壇にあがりひとつの提案を出した。

「どうだろう?軽音楽部が部として立ち上がって1ヶ月。1年が4人入部して今日ワッキも入部した。ここらで1年対平野バンドで対バンをするってのは。
勝った方は負けた方のいう事を聞く」

俺が清川の首から手を離すと清川が平野に向き直った。「センパイ。それ、まじで言ってんスか?」「ああ、おおまじだ。男に二言はない」

「おい、おまえら聞いたか?」清川が他の1年を見渡して笑った。「入部して早々、この部屋乗っ取れるってよ!これで女連れ込み放題って訳よ!」

それを聞いて他の1年達が微妙な笑みを向ける。平野が話をまとめた。「対決の日は1週間後。演奏曲はカバー曲1曲。それでいいか、清川」

「ええ。いいっスよ。負けたら上級生はやよい先輩以外全員引退してくださいよ!」「いい加減にしろよおまえ」「だから止めろって!」

山崎が再び俺の腕を掴む。「いいわ。負けたらあんたと付き合ってあげてもいい」やよいが清川を見つめて言うと飛び上がって清川はやよいに告げた。

「い、いや!俺はこのセンパイらと違ってちゃんと嫁がいるんで!でもキープって手もあるかな...」顔を赤らめる清川を見て俺は言葉を投げつけた。

「俺達が勝ったらお前ら1年は1ヶ月この部屋に立ち入り禁止だ」「おい、ワッキ。勝手に決めるな」「いいっスよ。それで」平野が呼び止めたが清川が俺の提案を受け入れた。

カバンとギターケースを持つと清川と他の1年生部員達は帰り支度をした。「それじゃ、1週間後、楽しみにしてるっスよ。せーんぱい♪」ドアが閉じると山崎がああー、と嘆きながら頭を抱えた。

「せっかく部としてうまく活動しだしてたのに、どうしてこんな事になっちまうんだよ...」「あれで上手く活動してたと思うのか?どうみても遊んでただけだろ」

「ワッキ」平野が俺に声をかけた。「キミ、不良によく絡まれるだろ?」それを聞いて俺は笑った。その通りだよ。俺は自分の言動を振り返ってこの場から逃げ出したくなった。

タバコが吸いたい。勝手に暴走して他の誰かに責任を転嫁しようとしている自分にとても腹が立っていた。

「1年坊主に振られちゃった」少し悲しげに、小馬鹿にしたようにやよいが達観したような口調でつぶやいた。

     

「で、どうするの?」

髪をかきあげてやよいが俺達に聞いた。「勝てる見込みはあるの?あなた達一度も合わせて練習やった事ないんでしょ?」

「ティラノ!」山崎が平野に泣きついた。「どうするんだよ!せっかく命懸けでこの部を取り返したのに!」「あつし君」

平野が山崎の手を振りほどいて言った。「いいかい?勝てば負けない!清川が部室でギター弾いてるとこ見ただろ?あれじゃいくらなんでも勝負にならないだろ」

椅子に座り呼吸を整えた俺は平野に訪ねた。「その、清川はギターが上手いのか?」「いーや、全然」平野が両手を広げて教壇から降りた。

「FどころかGすらろくに鳴らせないレベル。とーぜんオリジナル曲なんか持ってないだろうからカバー曲で勝負をうけてやったのさ」

山崎が安心したように息を吐いた。「じゃあ、練習すれば勝つ見込みはあるって事ね」「そう」「よし!今から練習しようか!」

声を上げる山崎を見て平野は壁の時計を睨んだ。「ごめん、今からボク、らーめん屋のバイト行かなきゃ。カバー曲何演るか二人で決めといてくれ」

そういうと平野はカバンを持って教室を出て行った。「まったく、クビがかかってるのに気楽なもんね」やよいが腰に手を当ててため息をついた。


その後、俺と山崎は再びステージに上がりビートルズの曲を演奏した。中途半端に間があく『カムトゥギャザー』を数回演奏し終えると俺達はステージ脇で休憩をとった。ペットボトルに口をつける山崎に聞いた。

「どうしてティラノなんだ?」俺の言葉を聞いて「ああ、」と理解したように山崎が口を外す。

「なんであいつがティラノって呼ばれてるかって事でしょ?」うなづくと山崎は続けた。

「簡単な理由だよ。平野がなまってティラノに聞こえたのをクラスメイトが広めたんだってさ」「子供じみた理由だ」俺が笑うと山崎が感慨深げにドラムキットを眺めた。

「あれは山崎の自前か?」「うん、1年間青木田達に取り上げられてたけどね」それを聞いて俺はさっき山崎が命懸けでこの部を取り返したという言葉を思い出した。

「おれの先輩達、青木田達が暴れた責任を押し付けられて退部になっちゃったんだ」それを聞いて俺は視線を下に落とす。山崎が昔を思い出すような顔で俺に語り始めた。

「一昨年の学祭で青木田達が大暴れしてさ。おれも怪我をして重傷者も何人か出た。でもそれを青木田の親父が何事もなかったように揉み消した。
怪我をした生徒の親が怒鳴り込んでくると軽音楽部の奴らのせいだって言いがかりをつけて先輩達全員がクビになった。プロを目指してた人、向陽ライオットに出たがっていた人もいた。
おれはそういう不幸を人達を増やしたくないんだ」

山崎の目に涙が浮かんだ。「平野が言ってただろ。勝てば負けないって」俺は立ち上がってステージに向かった。この慈悲深い軽音楽部部長を引退させる訳にはいかない。

来週の対バン、絶対に勝たなくては。練習を再開すると俺は弦を弾く指の力をいっそう強めた。


「あなたらしくないわ。馴れ合いで軽音楽部に入るなんて」

部屋に入ってきたアイコが俺の背中に言葉を発した。俺はパソコンの画面から目を離さずにアイコに答える。

「仕方がないだろ。それが平野のバンドに入る絶対条件だって言うんだから」ベットに座ったアイコがそれを聞いてふっと吹き出す。

「なんの能力もない連中が群れて馴れ合ってる様を見て滑稽だと笑っていた人は誰だったかしら?」俺はアイコの声を受け流し、キーボードを叩く。

「何を見ているの?」俺はイヤホンを片方外しアイコに答える。「ユーチューブ。今度の対バンで演奏する曲を探してるんだ」

それを聞いてアイコがふっと笑う。「この間の曲を演ればいいじゃない。お醤油の歌」「おまえはあれが晩飯の歌にでも聞こえたのか?」

俺は髪をかきあげてディスプレイを睨んだ。あの英語力からして平野は洋楽を歌えない。すると必然的に曲は絞られてくる。アニメのアイコンを見て俺はそれを鼻で笑い飛ばす。

「ロキノン系か。くだらないカテゴライズだ」見出しをスクロールしながら俺は平野の声質にあった曲を探す。

「この曲はどう?」アイコが俺の肩に顔を載せ、ディスプレイを指さした。顔にかかった妹の髪を除けると俺はディスプレイの見出しを眺めた。

「ダメだ。この曲はロックじゃない」「いいから聞いてみましょうよ」アイコがマウスを操作し、見出しにアイコンを持ってきてダブルクリックした。

俺のイヤホンにサイケデリックな音色と独特の歌声が絡みつく。これなら行けるかもしれない。

「でかした。妹よ」俺がアイコの肩に手を回すと「やめてよ、お兄ちゃん」と腕を払いアイコは部屋から出て行った。

妹に冷たい態度を取られて少しショックだったが演奏する曲は見つかった。

一段落ついた俺は窓を開け、夜空を見上げながらタバコに火をつけた。

     

次の日の放課後、俺は美術部に預けていたベースを担ぎ、第二音楽室のドアを開けた。教室には平野と山崎とやよいが円を組むように話し合っていた。

どうやら話の内容は来週やる対バンでの曲についての事らしかった。やよいが呆れたように平野に言葉を返す。

「だからアニメソングを演ったってしょうがないでしょ。あいつらに舐められるだけだってば」
「そんなのやってみないとわからないだろ!世界に羽ばたけ!オタクカルチャー!あつし君もそう思うよな!?」

山崎が愛想笑いを平野に返す。ラチがあかないと思った平野はカバンを置いた俺に声をかけた。

「ワッキ、来週演る曲はアイロニーとゴーゴーマニアック、どっちがいい?」「それはプログレバンドの曲か何かか?」

俺が平野に向き直ると山崎が俺に説明した。「ああ、アニメの歌。気にしなくていいから」手を横に振る山崎を見て「じゃあ、他に演るような曲あるのかよ!」と平野が開き直った。

「ある」俺が3人の輪に加わりその曲名を伝えた。「えっ?何それ?ずいぶん古臭い曲だなぁ」ふてくされる平野を横目に山崎がiPhoneを取り出しブラウザを開いてその曲を検索し始めた。

「もっと大きなのがあるわよ」やよいがiPadを取り出しその曲を検索した。

内蔵スピーカーから流れる音楽に山崎がリズムを刻む。「へぇ、ちゃんと聴いた事なかったけどこういう歌なんだ」新たな発見をしたやよいがうなづいた。

「でもさ、これ、アレンジするの大変なんじゃないの~?」いちゃもんを付ける平野を見て俺はこう告げた。「既に他のバンドがカバーした音源がある」

やよいのiPadを操作し、その曲を流すと「ああ~」と山崎が感嘆符をあげた。「なるほど、これだったらキーボードを除けばいいだけね」

「平野、これくらいのソロだったら弾けるだろ?」「簡単に言ってくれるなぁ...」輪の中から外れた平野が苦笑いを浮かべた。すると教室のドアがノックされた。

「すいませーん、失礼します」坊主頭の高橋を先頭に1年生4人が教室に入ってきた。「楽器取りにきたんスよ。俺ら家の地下スタジオで練習するんで」

清川が俺達にそう告げると他の1年生に備品ロッカーの鍵を開けさせた。中から楽器の入ったケースを取り出すと、清川はおもむろに机の上に置きジッパーを引き上げた。

「見てくださいよ!プロモデルのレスポールに、リッケンバッカー。こっちは62年製のストラトキャスターだ!」

革のケースから出されたまばゆい楽器群に山崎が息をのむ。ヘラヘラした笑みを向けると清川は俺達に向かってこう言った。

「センパーイ。世の中ってのは金を費やした方が勝てるシステムになってるんスよ。ヨーロッパのサッカーや野球、ソーシャルゲームでもなんだってそうじゃないっスか」

「それで勝った気になれるなんておめでたい奴だな」「やめろって」山崎が俺と清川の間に入る。

楽器のケースをしまい、他の1年に担ぐように指示を出すと清川は俺の方を見てニヤついた笑みを浮かべた。

「来週、楽しみにしてるっスよ」そう言葉を残すと清川と1年達は去っていった。「まったく、貿易商の息子だかなんだか知らないが...」

椅子の上で平野が足を組んだ。「あんなにいいギター何本も持ってるんだったら何本か部に寄付してもいいと思うんだけどなぁ!」それを見てやよいが平野をたしなめる。

「ダメよ。あんな高価な楽器、こんな所じゃ管理できないわ」空になったロッカーを見て俺は山崎に聞いた。

「ここに俺のベースを置いてもいいか?」「あ、別にいいよ」良かった。毎日重いベースを背負って朝早く登校するのは面倒だったのだ。

「とりあえず演奏する曲はそれでいいよ」平野が椅子から飛び上がって俺に言った。「とにかく時間がないしね。ボクもバイトがあるし。ちょっと練習すればあいつらには勝てるだろ」

平野はかったるそうにカバンを抱えバイトに向かうため教室を出た。何かが引っかかる。残された俺と山崎はその曲のリズム練習を繰り返した。

     

「遂にきたっスね。決戦の時が」

放課後の第二音楽室、清川が俺達を見て言い放った。今日は約束の1年対2年の対決の日。「正々堂々、勝負しような」山崎が清川に手を差し出す。

どかどかと他の1年生達が楽器を担いで教室に入ってきた。最後にやよいが入口をまたぐと俺達に向かってこう告げた。

「今回の立会い人を無作為に選んできたわ。どうぞ」

すると5人の男女生徒が教室に入ってきた。俺はその中にいた美術部の女の子と目が合い、慌てて視線を外す。清川が俺達に向かって啖呵を切る。

「この間も言いましたけど先輩たちは俺たちにとって俺らを気持ちよく勝たせるための存在なんスよ。ゲームで言うところの雑魚キャラ。マリオで言うところのクリボー。ドラクエで言うところのスライム。
詰まる所、金かけた人間が勝つんスよ。なんだってね」
「は、それはどうかな?世間知らずのおぼっちゃまにホンモノのロックンロール、魅せつけてやるよ」
「ほぅ、それは楽しみっスね~時代遅れのおんぼろロック、期待してるっスよ!センパイ!」

両手を広げて馬鹿にしたように話す清川を平野が余裕の態度で受け流す。

「おっと、エキサイトするのはステージの上だけにしてちょうだい!」

やよいが場を仕切るように割って入り、山崎と清川に聞いた。

「始めるわよ。どっちのバンドが先に演奏する?」「おれ達が演るよ」「いやいや、オレらの方が先っスよ」言い合いをする二人を見て平野が控えめに手を挙げた。

「じゃ、じゃあ、ボクが」「どうぞどうぞ」「なんでだよ!こういう時のオチはあつし君の役目だろ!」

二人の間に入る平野を見て5人の観客が満足そうに笑い、手を叩いた。呆れた俺はやよいに500円玉を差し出した。

「ほら、コインで決めてくれ」500円玉を渡したのは500円玉が他の小銭と違って重さがあって偽造やすり替えなどの不正がしにくいからだ。

「さぁ、どっち?」コインを握り、やる気満々のやよいがバンドリーダー二人に尋ねる。「表」「裏っス」二人が予想を決めると審判のやよいがコインをトスした。

手を開くとコインは表をむいていた。「えっと、」「俺達は後攻で頼む」迷う山崎を見て俺がやよいにそう答える。こういう発表対決の場合、審査員の心象から言って圧倒的に後攻めが有利だ。
こういった特異な対決は審査員が場の空気に馴染むまで時間がかかるのだ。


俺の予想、立ち回りはこの時までは完璧だった。そうこの時までは...


異変は1年バンドがセッテングしていた時に起こった。眼鏡をかけた伊藤が、持ってきたバスドラムをステージの上に置いた。

「へぇ、1年は2バスでくるか」山崎がその様子を見て呟くと清川が椅子に座り、ドラムの鳴りを確かめるようにチューニングを始めた。

「まぁ、あのバスドラはあいつの自前らしいからな」俺がそんな事を呟いていると他のメンバーが楽器を抱え始めた。

伊藤がギター、高橋がベース、渡辺がギターを下げてセンターポジションに立った。「ちょ、ちょっと待った!」平野が慌てて立ち上がった。

「清川、お前ギターだろ!いつまでチューニングやってんだよ!」その言葉を受けて清川が飲んでいたペットボトルから口を外す。

「はぁ?俺は最初っからドラムっスけど?」なんとなんと、平野がギターが下手だと揶揄した清川はドラムだったのだ。それが俺達の最大の大誤算。

清川は左手のスティックを回すと部屋中に響き渡るような大音量でドラムを叩き始めた。重低音で窓がびりびり震え始める。余裕がなくなった平野が立ち上がって渡辺を指さした。

「そんな、おい清川!どう見ても体型的にこいつがドラムだろ!」指を刺された小太りの渡辺が憤慨して平野に言い返した。

「俺は最初っからボーカル志望ですよ!サッカーの時間にキーパーをやらせたり、野球のキャッチャーやらせるの、やめてください!」
「そこまで言ってねぇよ!」

「こら!上級生!1年相手に口撃しない!」平野の様子を見てやよいが止めに入った。この1週間、余裕たっぷりでバイトを4日入れた平野は頭を掻きむしって虚空に叫んだ。

「なんて日だ!」それを見て審査員席に座った美術部の女の子が吹き出す。1年バンドの準備が整うと代表してギターボーカルの渡辺が今から演る曲名を読み上げた。

「聴いてください。キューミリ・パラベラム・バレットのカバーで『ザ・レボリューショナリー』」

場が静まると清川のカウントで音楽がスタートした。猛烈な勢いのドラムをバックに伊藤がやや詰まりながらギターのイントロを奏でる。

清川の高速タム回しに審査員が驚きの声をあげる。渡辺が声量のある声でボーカルをとると慌てて山崎が立ち上がった。「やばい!やばいって!」

「高橋、失敗しろ!渡辺、音外せ!」平野が1年相手に汚い野次を飛ばす。堪えきれなくなった俺は二人の肩に手を置いて言った。

「落ち着けお前ら!...あいつらの演奏をちゃんと見てみろ」

二人に椅子に座るよう促すと俺はボーカルをとる渡辺と伊藤を交互に指さした。何度も「世界を変えるのさ」、と歌う二人を見て冷静な口調で俺は言った。

「平野、あんなので世界を変えられると思うか?」2番に入るとボーカルに熱が入った渡辺はギターを弾く行為を放棄し、伊藤は自分が弾いている所がわからなくなったのか、自信無さげに手元を見ながら演奏していた。

「山崎、音のバランス、どう思う?」ベースの高橋が演奏の手を止め、何度も自分が弾くパートを楽譜を見て確認していた。清川が必要以上の手数で騒音を響かせている。

「清川のドラムのせいでみんなの演ってる事がバラバラだ」俺がそう言うと納得したように横の二人がうなづいた。

「俺達が演る時はああいう事にならないようにしようぜ」伊藤が気が狂ったフリをしてギターを抱えたまま床に倒れ込むと、清川が最後に叩いたシンバルの音を残して1年バンドの演奏が終わった。

2秒の間があり、審査員がぱらぱらと拍手をした。「皆さん、もっと大きな拍手をお願いします!」やよいに促され、5人が慌てて手を叩く。

「よし、本日の主役の登場だ」調子良く平野が椅子から飛び上がってステージを目指して歩いた。それを見て俺と山崎も椅子から立ち上がった。

演奏を終えた1年とすれ違い様に山崎が清川にぼそっと呟いた。「ドラムの音が軽い」それを聞いて清川が言い返す。「ハッ!センパイ、負け惜しみっスか?」

清川の演奏が生のドラムではなく、ゲームで培った技術である事を山崎は気づいていた。俺は同じリズム隊の山崎の懐が知れた気がして少し嬉しくなった。

ステージに上がりセッテングをする。俺はケーブルをアンプにジャックするとイコライザーの高音と低音を強調した音作りを始めた。いわゆる“ドンシャリ系”の音が出来上がると俺は平野と山崎にOKサインを出した。

キットからバスドラムを外した山崎が少し手間取っていたがセッテングが終わり、レゲエマスターのストラップを首から下げた平野がスタンドマイクを握りしめて審査員に向けてMCを始めた。

「さぁ皆さん、長らくお待たせしました~、平野洋一新バンド記念すべく1曲目~、今回はあの歴史的名曲のカバーでお贈りします。カミングスーン...!」

意味不明な平野の仕切りに審査員席から笑いが起こる。

「センパーイ、そんなのいいから早くはじめちゃってくださいよー」目の前に座った清川がタオルで顔を拭きながら平野を急かす。それを見て平野が冷たい目で言い放った。

「そこで勝手に震えてろ。クソ1年が」「え、あの人なんて言ったんスか?」清川がやよいに今の暴言を確認する。平野は山崎とアイコンタクトを取るとマイクを握り演奏曲のタイトルを叫んだ。

「まいにっち!吹雪、吹雪、氷のせかウィー!!」山崎のドラムと平野の絶叫が教室中に響く。向陽ライオットを制した、Tーれっくすの咆哮が始まった。

     

演奏が始まると俺はすぐに印象的なベースのフレーズを弾き始めた。大げさ過ぎるほどエッジの効いた音質に審査員席の空気が変わった事を感じる。


俺達が今回カバーに選んだ演奏曲は井上陽水の『氷の世界』。

アイコがユーチューブで俺に聴かせたのがきっかけだが、歌詞の内容、楽曲の空気間が今の平野とよくマッチしていると思ったからこの楽曲を二人に提案した。

先に筋肉少女帯というバンドがカバーしていたのでアレンジは意外とすんなりいった。平野はバイトで一緒に練習する時間がなかなか取れなかったが
昼休みなど空いてる時間を使い演奏についての意見交換をした。ギターソロのフレーズを確認すると平野は俺に聞いた。

「ベースはどうするの?ずっと同じフレーズ?」「ああ」俺はバンドスコアを見て平野に答えた。

「それじゃあダメだ。ボクらはギターが二人いるわけでもないし、キーボードもいないんだぜ。楽譜通り演ってたら観てる人達に飽きられる」

ほほう、こいつそんな事考えてライブを演ってたんだな。嬉しくて含み笑いをする俺を見て平野は言った。

「ボク、2番からハンドマイクで歌うから。ワッキがギターの間を埋めてくれよ」「わかった」俺はその時何気なくこいつに返事を返した事を後悔した。

ドラムとベースだけで演奏していた場合、もし仮に演奏中にどちらかの音が消えてしまったら失敗した事が審査員側にすぐバレてしまう。

そのため俺は練習の際、常に頭の中で2番のフレーズを意識していなければならなかった。「ワッキ、手元ばっか見るなー」

音の隙間からやよいの声が聞こえると俺は慌てて視線を前に移した。平野がささくれだった歌詞を早口でまくし立てる。

「毎日、吹雪、吹雪、氷の世界~!」裏声をバッチリ決めると平野はポケットから昨日買ったハーモニカを取り出して口にくわえてメチャクチャに吹きだした。

それをみてロックンロールだと思ったのか、審査員席から歓声がとんだ。俺と山崎はヒヤヒヤした気持ちでその様を演奏しながら見守っていた。

案の定、尺が少し余ると平野は床にそれを叩きつけ、「ノートレーニング!!」と大声で叫んだ。その後スタンドからマイクを外すと髪をかきあげながら2番の歌詞を歌い始めた。

「ノートレーニングって!負けたら引退っスよセンパイ!」清川が俺達に向かって叫んだ。負けたら引退。その言葉が俺の頭の中でリフレインする。

その瞬間、俺は頭が真っ白になった。「おい、ワッキ!」後ろから山崎が呼ぶ声が聞こえるがもう手遅れだ。ミスった。リズムに乗り遅れて自分の弾いているパートを忘れてしまったのだった。

俺は未だにベースのフレーズを思い出せないでいる。「戻せ、ワッキ」山崎の声を聞いて俺は最初の反復フレーズを弾き直した。くそ、やってしまった。

平野が意識的に声を張って歌っていたがこれは大きな減点になったかもしれない。2番の歌詞が終わると平野は背中に回していたギターを抱え直し、床に跪いてソロを弾き始めた。

教室中に歓声が一気に巻き起こる。平野は複雑なフレーズを一度もミスすることなく弾きこなした。「奇跡だ」と1年の誰かが声をあげる。

立ち上がってスタンドマイクに向かう時、俺は平野と目が合った。その時の俺の感情はなんとも筆舌に尽くしがたかった。

俺は自信に満ち満ちた平野を見てとにかくこいつは俺とは違う生き物である、という事をまざまざと実感した。平野が最後のシャウトを客席に向かって決める。

「オウ!毎日、吹雪、吹雪、氷の世界!!」眠っていた氷漬けの恐竜が今、目を覚まし咆哮をあげた。ドラムの残響が止むと大きな拍手が俺達を包み込んだ。

俺はベースをスタンドに置くと、ステージを降りる際、平野と山崎に小さく手を上げて謝った。「格の違いを見せつけられちまったよ」

それを聞いて平野が呟く。「伊達に地獄は見てないんでね」俺達が1年バンドと並び合って座るとやよいが場を仕切って審査員達に聞いた。

「それでは結果発表!」審査員5人が①と②の数字の付いた札を挙げた。その結果を見て1年達が仰け反りかえる。

「①が2人で②が3人!...ということで対バン勝負は2年生が勝利!」

それを受けて平野が飛び上がってガッツポーズを取り、俺と山崎は大きく息を吐いて椅子からずり落ちた。やよいが②を挙げた審査員の一人にインタビューした。

「いや、とにかくすごいの一言に尽きます。拙者、音楽の事は良く分からんので...」聞く相手を間違えたので他に②を挙げた博識そうな女子に聞いた。

「1年生は清川君、2年生は平野君が中心になって周りを引っ張っているのがわかりました。でもそこは平野君の方がスター性があったかなって」

「でしょう!?」調子付いて立ち上がった平野をやよいが目で牽制する。①を挙げた美術部の女の子にやよいが理由を聞いた。

「2年生は途中でベースが止まったから...」それを聞いて俺の心臓が跳ね上がる。俺と目を合わせないようにしてやよいの顔を見ながらその女の子は答えた。

「いや、1年生もミスがあったと思うんだけど...2年生は演奏がストイックな分、ミスが目立っちゃったかなって」

俺が口元に手を当てると山崎が気にするな、という風に俺の肩に手を回した。全員の意見を聞くとやよいが含み笑いを浮かべ入口の方を向き直った。

「今日は、ここで特別ゲストをお迎えしています。どうぞ」

「お、リアム・ギャラガーか!?」椅子から立ち上がる平野を見て「来てくれる訳ないだろ」と俺が呟く。

ドアが開くと半袖のシャツを着た中年の男性が拍手をしながら部屋に入ってきた。「誰?このおっさん?」目を点にした平野を見て「やぁ、期待させてすまない」とポマードのついた頭髪を撫でながら中年が笑った。

「この方は光川女子の神崎先生よ」「え?光川女子って言ったらあの有名なお嬢様高校っスか!?」清川が鼻息荒く立ち上がった。それを見て笑うと神埼先生は目を輝かせて俺達に言った。

「君たちの演奏を隣の第1音楽室で聴かせてもらった。演奏の途中で部屋に入るのは失礼だと思って別室でモニタリングしていたんだよ」

貫禄のある中年太りを眺めながら俺達はうなづく。すると先生は本題を切り出した。

「いやー、平野君が新しくバンドを演るっていうから来てみたが、実に良い!是非ウチの軽音楽部と演奏してみないかね?
ウチの連中も喜ぶだろう!うん、それがいい!」

頬についた肉を揺らしながら先生が笑う。「それはお宅の高校と対バンすると捉えていいんですね?神崎先生」俺が聞くと「その通りだよ」と言葉が帰ってきた。

歓喜の表情で平野が拳を握り大声で叫んだ。

「よし!こうなったら決まりだ!女子高に殴り込んで花乙女達に俺のロックスピリットを注ぎ込んでやるぜ!イッツオーライ!やってやろうぜお前ら!」

「でも、俺ら対バンで負けたから1ヶ月活動禁止じゃ...」「何言ってんだ。そんなの取り消しだ。お前らにはもっと違う罰を与える」

「お、やったぜ」「違う罰ってなんスか?」

「明 日 、 放 課 後 全 員 中 庭 に 来 い」



「...今週末に光川女子と対バンやりまーす」「チケットオールフリーなんで観に来てくださいっス~」

下校する生徒達がバニースーツ姿でフライヤーを配る伊藤や清川を見て笑う。屋上で双眼鏡を構えてその姿を眺めて笑い転げる平野を見て俺は言った。

「ちょっとやりすぎなんじゃないのか。対バンで負けたくらいで」笑いが収まった平野が俺を見て声をあげる。「ワッキ、いいとこに来た。ほれ、これ」

平野が青い毛のかつらと女性物の洋服を俺に向けた。「なんだこれは?」「いや、女装グッズ」俺は呆れて踵を返した。「いや、俺は絶対やらない」

「やれよ!誰のせいでこんな面倒臭い事になったと思ってんだ!」「やらねぇって言ってんだろ!」小一時間平野と小競り合いをした後、結局折れた俺は下校者が少ない時間を見計らって
頭にヅラをかぶりブラウスに腕を通し、宣伝用のフライヤーを持って中庭に向かって歩きだした。気づいた1年たちが俺を見て手を叩いて笑う。

「見ろよ!綾波レイだ!」「白いブラウスが超絶似合わねー!」頭にきた俺はアイドルの衣装を着た渡辺を指さして言った。

「俺よりこいつの方が似合ってないだろ!カチューシャ外してもポニーテール揺らしてもブスだ!」「あー!なんて事言うんすかセンパイ!」
「ナベはこう見えても傷つき易い性格なんスよ。謝ってくださいっス」「うるせぇ!気持ち悪いんだよお前ら!!」

俺は1年に混じってもみくちゃになって言い争いをした。アイコが見たら卒倒しそうな光景だが俺はいがみ合っていた1年達と本音を打ち明ける事が出来てとても楽しかった。

草場の影から山崎がこれでよし、という風に俺達に優しく微笑んでいた。校庭に暖かい風が吹き抜けていった。

       

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