Neetel Inside 文芸新都
表紙

ティラノクション
ACTION 3 結託

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よく晴れた日の週末、俺は近所にあるパン屋に立ち寄った。

鈴のついたドアを開けると焼きあがったパンの匂いが俺を出迎える。背負ったベースケースのヘッドがぶつからないように入口をくぐると
「いらっしゃいませー」と女の声がカウンターの奥から聞こえる。声の主は俺の顔を見ると少し驚いたように顔をほころばせた。

「和樹じゃない。久しぶり!」

そう言われて俺は好感を持たれるスマイルNO.6あたりを店員に向ける。この女性店員は俺の幼馴染の泉あずみだ。

俺が中学の時、都会からこの向陽町に戻ってきたタイミングで再開し、俺はことあるごとにこの店を訪れていた。

「今日も買ってくの?クロワッサンとメロンパン」「いや、そうじゃないんだ」笑顔を向ける泉に俺は店のパンを見渡して答えた。

「これから学校のみんなで食べる分、パンが欲しいんだが」「え、そうなの?」泉がびっくりした顔を俺に向けた。

俺が誰かとパンを食べるだなんて言って驚いただろうか?泉がカウンターの奥の調理場に向かって声をあげる。

「お母さん、菓子パンまだ在庫ある?何人分?」振り返った泉に俺は声を返す。「えっと、8人いるから1人2個として味の違う菓子パンを16個欲しい」

「味はなんでもいいの?」「ああ、ひとつ180円以内で頼む」「えへへ、分かってるって!」

泉が忙しそうにショーケースのパンをトングでトレーに取り出す。

ドーナッツやカレーパンにチョココロネ。様々なパンが長箱に取り分けられていく。会計を支払うと泉は俺を見て和やかに微笑んだ。

「やりたいことは見つかった?」

俺は背中に背負ったベースケースを担ぎ直し「ああ」と答える。泉が安心したように息を吐き出す。

「よかった。和樹、こっちに帰ってきてから家にこもりがちだったじゃない?こう見えても心配してたんだよ?
あのままだったら社会に出てもロクな大人にならないんじゃないかっておばさん達にも言われてた所なんだから」

気を悪くした俺は泉から視線をはずして咳払いをふたつほどした。泉が悪気はなかったのよ、という風にトングをやや乱暴に置く。

「で、何?やりたいことって?」

カウンターに腕をついて泉が俺に聞く。衛生上、そして営業員という立場上、客の前でそういう態度をとるのはどうかと思ったが飲み込んで泉に俺は答えた。

「部活でバンドを演ってるんだ。俺がベース担当で今日が他校との対バン試合」「すごーい!ホント?まじで!?」

泉が飛び上がって俺に顔を近づける。おい、近いって。俺は小学生ぐらいからこいつの高気圧的なテンションが苦手だった。

でも泉も高校2年になり、背は低いがスタイルの良い一人の女に成長していた(要するに出る所は出ているって事だ)。

俺は泉を女として意識してからまともに顔を見ることは出来なくなっていた。いや、前々から人と目を合わすのは苦手だが。

「あたしのお父さんも昔はバンドマンだったんだ。じゃー、和樹高校入ってモテモテなんだー?スミにおけないな、この~」

泉がふざけて俺の胸を肘でつく。「いや、バンドを始めたのはつい最近なんだ。それにモテモテじゃない」

それを聞いて泉が笑う。「和樹って本当小さい時から全然変わらないよね~いちいち真面目に冗談を返す所とか!」

俺がまた視線を外すと泉は駄々っ子を諭すような口調で俺に言った。

「知ってるよ。毎週来てくれてるんだから」俺は顔を上げた。「バンドは楽しい?」

泉にそう聞かれて俺は少し躊躇した。この間の1年との対バンでの失敗が尾を引いていた。今日ももしかしたら大事な所で失敗するかもしれない。

色々な考えが頭を巡ったが俺は泉に「ああ」と短く返した。「良かった」泉がにっこり笑う。

俺の作り物のスマイルNO.6とは違う、多くの人に囲まれて生まれた1番の笑顔だった。それを見て俺の胸がアンダンテで鼓動をうつ。

「ひとつおまけしといたよ」長箱を受け取ると泉が店の奥に居る母親に聞こえないよう、小声で言った。「ありがとう」そういって俺は店のドアに向かって歩き出した。

「また来てね。新米バンドマンさん」それを聞いて「また来る」と俺は短く返す。店から出てふぅ、と息をつくと俺はさっきから無音で鳴りまくりの携帯の着信履歴をチェックした。


「遅い!」「もー、いつまで待たせるんスかー」

待ち合わせ場所の私立光川女子高等学校のバス亭前に俺が姿を表すとやよいと軽音楽部員一行が俺を出迎えた。いや、正確に言うと俺に待たされていた、といった方が正しい。

「もう、最初の出演バンドの演奏が始まる時間ですよ」手に持った今日のライブのタイムスケジュール表を見ながら伊藤が眼鏡を指で押し上げる。

俺はみんなに合流すると「すまん」と言って小さく手をあげた。「大物ぶってんじゃねぇぞ!新入りがぁ!!」平野がふざけて啖呵を切るとそれを見て1年達が笑う(平野は本当に怒っていたのかもしれないが)。

しばらくして清川がくんくん、と鼻を動かす。「センパーイ、なんか良い匂いがしないっスかー?」「ああ、パンを買ってきた」

俺がパンの入った箱を向けると「いや、そういう匂いじゃなくてー」と清川が校庭の方を向いた。なるほど、そういう事か。平野も清川に便乗して鼻を動かす。

「このかぐわしきアロマの香り。クリーナーやフィンガースムーザーとは無縁の花の匂い...この中に数人、生娘がいる!!」
「...そりゃ、女子校なんだから何人かはいるだろ...」

校舎に向かって指をさす平野を見て部長の山崎が呆れたように突っ込みを入れる。「あんた達、自分達が今から行くところ、わかってるんでしょうね?」やよいが俺達を牽制するように先制パンチを撃つ。

「あんた達は出演時間まで楽屋で待機。こんな血に飢えた野獣共を女の園にあげる訳にはいかないわ。一歩でも外に出たらその場で射殺。他校の生徒とは一切接触禁止よ。わかった?」
「いつからこの国は銃社会になったんだよ...」「あんたがしっかりしないからいけないんでしょ、この三点リーダー!!私が受付を済ませてくるからそこでしっかり恐竜どもを見張ってなさいよ!」

やよいが憤慨しながら守衛所で俺達、向陽高校軽音楽部の出演確認をとると俺達は校門とは別の入口から入校し、警備員に連れられエアーシャワーのあるクリーンルーム室を通るよう指示された。

「まるで害虫扱いだな」エアーの噴出口に尻を向けながら平野が言う。「すげぇ!TMレボリューションみたいだぜ!」小太りの渡辺が頭の上に両手をかざしてはしゃぐ。

強い風に吹かれながら腹を出して歌うナベを見て1年達が笑う。それを見て警備員が「早く出なさい!」と急かす。


俺達は口々に文句を言い、発表の場となっている体育館のステージ横の6畳ほどの個室に入れられ、出演時間まで待機するようと警備員に告げられた。

椅子に座った高橋がテーブルに置いたあったパンフレットを見て坊主頭をさすった。「暇っすねー。俺達のライブまであと2時間近くある」

それを聞いて部長の山崎が同じパンフレットを眺めながら尋ねる。「おまえら、何てバンド名?」「ベレッタM92です」それを聞いて平野がニヤける。

「ほほう、自動式拳銃か」「そーいうセンパイ達のバンド名はなんて言うんスか?」清川が平野に聞くのを見て嫌な予感がした。

山崎からパンフレットを受け取り、おっ、という顔を俺達に浮かべると平野は椅子に腰掛け直した。

「なんてバンド名なんだ?」俺もパンフレットを手に取り演者項目を確認する。「一番下にあるだろ。よかったな、大トリだ」「こ、これって!?」

俺はパンフレットのタイムスケジュールの一番下の列を探した。そこにはこう記してあった。


14:20~14:40 THE TEMPOS


俺は唾を飲み込むと意を決して平野に向かって声を出した。「これ、何て読むんだ?」「そのまんまだよ。ザ・テンポス」


「ザ・テンポス!!」

俺と山崎が立ち上がって同じ名詞を叫んだ。「なんだよそれ!」山崎が平野に突っかかる。俺はめまいを堪えながら椅子に座った。

「...終わった。俺の初めてのバンドだったのに」それを見ていた1年達が手を叩いて俺達を冷やかす。

「決めるんなら相談くらいしてくれても良かっただろ!」「いや、昨日の帰りにやよいさんに急に聞かれたんだよ。出演登録するのにバンド名が必要だって。あつし君だってワッキとテンポが合うって言ってただろ」
「そりゃ、『THE』と『ズ』は入れてくれって言ったけどさ...」「もういい。切り替えろ。俺達はもう『ザ・テンポス』なんだよ」

額に手を置き俺は諦めたように山崎を制止した。決まってしまった以上、仕方がない。「ザ・テンポス...ザ・テンポス...」

笑い転げる1年連中を見ながら俺と山崎はうなだれて何度も自分のバンド名を復唱していた。

     

「清川、お前あの中でどの娘がタイプ?」「そーっスね。キーボードの娘っスかね~」
「お前、どー見てもベースの黒髪ロングの娘に決まってるだろ」「いや、あの娘は多分サセ子っスね。センパイ、女と付き合った事ないでしょ?」
「あんだと、どうしてバレたんだ!この野郎、表に出ろ!」

「おい、お前ら何やってるんだ」

俺達向陽高校軽音楽部の面々が先に体育館で他の女子バンドの演奏を見ていた平野と清川に声をかけた。清川が振り返って俺に声を返す。

「せっかく女子高に来たんだから他の演者のステージも観ていかなきゃ損っしょ?」「それにこの匂い」平野が薄暗がりの会場で鼻を動かした。

「女子高の空気を吸うだけでボクは高くトベるような気がするよ」「本当、おめでたい奴だな、お前は」俺が呆れて後ろを振り向いて山崎に聞いた。

「そう言えば板野はどこ行ったんだ?」「ああ、招待してくれた神崎先生のところ」ああ、俺はこの間部室に訪ねてきた眼鏡をかけた中年の教師を思い出した。

「ボク達みたいな創設間もない軽音楽部をこんな閉鎖空間に誘ってくれるんだもんな~。やよいさん今頃、あのタヌキ親父の汚いアレでもしゃぶってんだろ」
「やよいはそんな事しない!」

床にあぐらをかいた平野に向かって山崎が声をあげた。突然の大声に周りの女子が振り返る。

「すみません。なんでもありません」俺が周りに小さく手をかざすと観客たちは再びステージに視線を戻した。「急に大声を出すな」「ごめん、ティラノが変な事言うから」

落ち着きがない平野はキョロキョロ頭を動かすと斜め2列前を指さして声を出した。「あ!司くんと岡崎じゃん!」そう言うと平野は立ち上がり知り合いと思わしき人物の方に向かった。

やれやれ、こいつと来たらまるで大型デパートに来た子供みたいだ。「紹介するよ!ワッキは会うの初めてだろ?」

手招きするあいつを見て俺は渋々とそちらに向かった。


「彼はバイト先の先輩の一ノ瀬司(いちのせつかさ)くん。で、こっちが呑み友達の岡崎慎太郎」

平野が二人が紹介すると彼らは「ども」「うぃっす」と言い握手を求めてきた。ガラが悪そうで俺が普段避けて通るタイプの人種だ。

俺は手の汗を制服の裾で拭うと一ノ瀬という短髪の男の手を握った。その後、金と黒の混ざった長髪の岡崎という男の手を握った。

俺はその出会いの儀式が終わると二人に気付かれない様に小さく息を吐いた。

こういう連中はどうして対して仲良くなりもしない人物にこんなに簡単にスキンシップをとってこようとするのだろう。「おー、山崎じゃねーか」

岡崎が俺の後ろに居た山崎に向かって声をあげ、手を差し出した。山崎はその手を見ると視線を外し、唇を噛み締めた。

「大丈夫だよ、あつし君。岡崎は変わったんだ」平野が振り返って山崎に言う。

「岡崎は今、塀の中にいる親父を救い出すためにバイトに明け暮れてるんだ。もうボク達をいじめていた岡崎とは違うんだよ」
「そんな事言われてもなぁ...」

山崎が不機嫌そうに腕組をした。俺は山崎が以前部室を青木田達に乗っ取られたという話をしたのを思い出した。岡崎が咳払いをひとつして俺達に答える。

「まぁ、俺が働いたって1日に稼げる金なんてタカが知れてってけどさ。馬鹿やって無駄にした時間を取り戻してぇんだよ。
俺がお前らにした事だった悪いと思ってる。俺達も怖くて青木田に言い返せなかったんだよ。わかってくれ。もう時効だろ?」
「そうだよ、あつし君。新しい岡崎にアップデートしなって」

平野が言うのを聞いて山崎は踵を返した。「ごめん、おれ楽屋に戻ってる」そう言い残すと山崎は体育館の入口を開け去っていった。

以前こいつらにいじめられていた身、新軽音楽部の部長としての立場上、急に受け入れる事は出来ないんだろう。「まぁ、そうだよな」

岡崎が少しがっかりしたようにため息をついた。すると正面のステージに向かって大きな歓声が鳴った。

「ちょっと、先輩あれ!」高橋がステージの女生徒に向かって指をさす。「ああ、可愛いなあの娘」一ノ瀬が顎ヒゲをいじりながらニヤける。

「新メンバー募集の時に来てた人じゃないっスか?」俺がセンターマイク前に立つ少女に目のピントを絞るとその女生徒はマイクに向かって言った。

「白井サラサ with ハートブレーカーズです。よろしく」それを聞いて平野が飛び上がる。

「ちょ、あの女!ボクが面接で落としたら他の学校の奴とバンド組やがった!」演奏を始めた面々を見て伊藤が言う。

「仕方ありませんよ。彼女も同性とバンドを組んだ方がコミュニケーションが取りやすいでしょうし」「そんな事言われてもなぁ~!」

悔しそうに平野が爪を噛む。それを見て「俺じゃ不十分か?」と尋ねたかったがライブ前という事もありその言葉を飲み込んだ。

「そういえば渡辺はどうしたんだ?」「ああ、楽屋でセンパイが持ってきたパンの余りを食ってますよ、多分」高橋が俺に答えると伊藤が腕時計に目を落とした。

「もうそろそろ戻った方がいい。この次の次が俺達の番だ」それを聞いて座っていた清川が立ち上がる。

「やれやれ、ようやく出番っスね~。乙女のハートを俺達『ベレッタM92』が打ち抜いてやるっスよ~」「おう、お前らも出るのか」

一ノ瀬と岡崎が振り返って1年生4人を眺めた。「俺達の分まで楽しんで来いよ」岡崎は憂いのこもった眼差しで清川を見つめた。

「...ガンバルっス!」少し緊張した面持ちで体の前でガッツポーズを取ると1年たちは体育館のドアを開けた。

     

「はぁあああ~!失敗したっス~!!」

俺が楽屋でベースのチューニングを合わせていると先にステージで演奏した『ベレッタM92』の清川他3名が部屋に転がり込んできた。

「やぁ、お前ら。ひどい演奏だったな」俺が声を返すと清川が渡辺を指さした。「こいつが半音下げチューニングに手こずるからいけないんっスよ~」

すると渡辺が高橋の方を見た。「タカがあの曲演るって言わないからいけないんじゃないか。直前に言われても困るよ」そう言われて高橋が清川を指さした。

「ジローが楽器貸してくれるって言うから予備で家で弾いてる奴持ってきたのにどうして忘れてくるんだよ?」「はぁ!?俺が悪いっていうのかよ!」

清川が高橋に掴みかかる。取っ組み合いをする二人を見て呆れたように伊藤が今回のライブを総括した。

「お前ら女子高だからって良い所見せようとしすぎだ。演奏に全然身が入ってなかった」

それを聞いて清川と高橋が伊藤を指さす。「お前だって1曲目から玉置浩二ばりにステージゴロゴロ転がってじゃねぇか!」「真面目ぶって俺達を出し抜こうとしてんじゃねぇよ!」
「なんだと、この!」「もういい、たくさんだ」

俺は置いてあったミニアンプに自前のヘッドホンを繋ぎ、自分のベースの音をひとつ、ひとつ確認しながら弦を爪弾いた。

自分の弾く楽器の低音の間から連中が口争いをするのが聞こえる。自分には特別な才能はありません、と予防線を張っていざ失敗したら他人のせい。

こうやって世界中の名も無きアマチュアバンド達は解散に向かって急スピードで転がり落ちてゆくのだろう。「ワッキ、ワッキ」自分の世界に浸る俺の肩を叩く声が聞こえる。

頭からヘッドホンを外して振り返ると山崎が居て、その後ろに勝手に部屋から出て女子にちょっかいを出そうとしていた所を現行犯でやよいに目撃され、エアガンで蜂の巣にされた平野が顔を腫らして立っていた。

「これから本番だってのにひどいことするなぁ」「約束を守らないあんたが悪いんでしょ!」

入口のドアに手をかけてやよいが平野を睨みつけた。俺は壁の時計に目をやった。演奏時間の2時20分が近づいている。弦を弾きながら俺は自分の心臓の音を整える。大丈夫だ。練習通りやれば必ずうまくいく。


「時間です。『ザ・テンポス』の皆さん、ステージに向かってください」

俺が再びヘッドホンを頭から外すとこのライブの実行員らしき女生徒が入口に立っていた。平野が俺達を見渡して息を吸い込んで言った。

「遂に新生平野バンドお披露目の時がやってきたぜ!これまで色々あったけどなんとか初ライブまでたどり着いた!ここまできた事うぉ~称えましょう~」

「あなたとさ、私でさ!」「明日のために!」「バンザぁーイ!!」




「...は?」

だいぶ間があり、バンザイをした平野と山崎を部員達が見つめる。「スベったな」「ああ」山崎が平野のみぞおちを裏拳で小突く。

「突然二人で漫才始めないでくれる?」やよいが腕組をして呆れたように息を吐く。「もしかしてB'zっスか?」「だろうな」

俺が言うと追い詰められたように二人は続けた。「でも、気にしない!しっかり演奏して女子のハートを掴んでみせるぜ!」「そして輝く?」「ウルトラソゥ!!」




シィーン。沈黙を部屋が包み込むと俺は堪えきれなくなって言った。「...本番ではこうならないようにしようぜ」「...おう」「ったくノリわりぃなお前ら。音楽向いてねぇんじゃねぇの?」

後輩に毒を吐く平野を先頭に俺達は体育館のステージ裏につながる通路を通り、暗幕の袖で待たされるとその間に今回のライブで演る楽曲の確認をした。

俺達の前のバンドの演奏が終わり実行員が無言でステージに上がるよう促すと俺の心音は跳ね上がった。「あ、ちょっとまっておねぇさん」

平野が実行員に声をかけた。「ボーカルのスタンド、寝かせといてもらえる?」「は、はぁ...」

「何を企んでる?」首を傾げながら舞台のマイクスタンドを倒す実行員を見ながら俺は平野に聞いた。平野がニヤリとした笑みを俺に返すと開演を知らせるブザーが耳元で鳴った。

驚いて仰け反る山崎の背中を叩き、大きく息を吐き出して俺はステージにつながる小さな階段を駆け上がった。


「本日のライブの大トリが登場です!皆さん向陽高校から来てくれた男子バンドに大きな拍手を!」

途中からMCをとっていた女生徒がマイク越しに声をあげると観客席から大きな歓声があがった。俺が舞台の上から客席を見渡すと薄暗がりの中から野生動物のもののようにたくさんの目が光り輝いた。

楽器を抱えて体育座りをする軽音楽部員と思わしき女の目は獲物を狩る女豹の瞳だ。ここは私たちのテリトリー。あなた達がくる所ではないわ。

清川達が失敗した理由がなんとなく解った気がした。優しく手拍子なんかしているが心は完全に舌を出している。ここは完全なるアウェー空間だ。

それに気づかずに平野は女子の声援に手を振り返している。つくづくおめでたい奴だ。俺がスタンドからベースをとり、山崎が椅子に腰を下ろすと
平野がムーンウォークで倒れているスタンドに近づいた。「おお~」と小馬鹿にしたように女子の歓声が床を伝う。

「ポゥ!」平野がスタンドの足につま先を載せ、そのまま一気に体の重さでスタンドを引き起こした。その姿、まるで全盛期のマイケル・ジャクソンの様!

すると起き上がったマイクが平野の額に当たり、「ゴン!」という音がマイクを伝って体育館中に響いた。後ろにひっくり返る平野をみて大きな嘲笑がステージを包み込む。

それを見て慌てて俺と山崎が平野を引き上げる。「いい加減にしろよ!頼むからいつもどおりやってくれ!」俺が平野の耳元で大声を張り上げるが奴の目の前にはひよこしか映っていなさそうだった。

「き、気を取り直して!」立ち上がるとマイクスタンドを掴んで平野がMCを始める。

「皆さん、どうもはじめまして!向陽高校からやってきた平野洋一です!ボクとオトモダチになりたい人はこちらの番号までどうぞ!」

まるで目の前に自分の携帯番号のテロップでも出ているように平野が空中を指さすと女子の馬鹿にしたような笑いがいっそう強くなる。その間から「くだらねぇ事、やってんじゃねーよ」と女の声で野次が飛ぶのが聞こえた。

俺は我慢が出来なくなり平野に早くギターを構えるよう指示した。俺達はお笑い芸人じゃない。これ以上針のむしろのような視線には耐え切れない。

準備が整い平野がギターを抱えると俺はとりあえず大きく深呼吸をした。平野の小芝居のおかげで場の空気にも少し慣れてきた。「皆さん、今日は最後まで楽しんでいってください!ヨロシク!!」

MCを締めくくると平野は俺に向かって目で合図をした。ひとつ、ふたつ。間をおいて俺は自分のタイミングでベースのフレーズを弾き始めた。

低音が場の空気を支配する。山崎のドラムが俺のフレーズにリズムをつける。


俺達がバンド結成初ライブの1曲目に選んだのはビートルズの『カムトゥギャザー』。すまない。また『カムトゥギャザー』だ。

この曲を選んだのは今日の時点で俺と山崎が一番練習した曲であり、演奏に自信があった曲だったからだ。

平野との合同練習の時間があまり取れなかったが平野は持ち前の音楽センス(自称)とやらでギターを爪弾きながらカタカナ英語ではあるが一つ一つの歌詞を丁寧に歌っていった。よし、出だしは快調。

「カムトゥギャザー、ライなう、ふぉみー」

俺のソロになると会場が少しずつざわめき始めた。わかってる。オーディエンスが求めているのは古典的でこんな辛気臭い音楽ではないのだ。


「おい、お前らちゃんとやれよー」「平野クーン、去年の学祭でなんて曲演ってたっけー?」「ボクの童貞をキミに捧ぐぅー」「はは、なにそれー、ちょーウケる!」

前の方にいた女子グループの戯言を俺のスタンドマイクが拾う。それを聞いて会場に大きな笑いが起こる。俺達の演奏をかき消して。

「まずい」危機を察した俺は思わず目の前のマイクに向かって呟いていた。

     

「まずい」1曲目が終わるタイミングで俺はマイク越しにそう呟いていた。会場から拍手と、演奏の物足りなさからかブーイングが起こる。

「おーい、真面目ぶってビートルズ、カバーしてんじゃねーよ」「大体テンポスってなんだよー」「ハウステンボスー?」

前の方から冷やかしの声が飛ぶ。俺達『ザ・テンポス』は次の演奏曲にビートルズの『ヤー・ブルース』を予定している。

平野と山崎に演奏曲の変更を提案するか?しかし、今更何を演奏する?俺は思考を巡らせた。この間演奏した井上陽水の『氷の世界』はどうだろう?

山崎も俺と同じ考えだったようでドラムキットの後ろで立ち上がった。ボーカルの平野に立ち寄る俺達を見て会場から中傷的な声援が飛ぶ。


「チーンポズ!チーンポズ!」繰り返す。この会場は女子校の体育館だ。およそ17歳前後の女子が口走るとは思えない低俗な言葉が俺達を包み込む。

「おい、次の演奏曲、どうする?」「どうする、って」平野が呆れたような顔で俺の顔を見た。「『ヤー・ブルース』じゃ満足しないよ。こいつら」

山崎が客席の方をちらっと見る。先に演奏を終えた白井サラサが俺の方をみて憎らしく笑う。「あなたにはその下品なお友達がお似合いよ」という風に。

その間にも観客たちの罵声が大きくなっていく。「チーンポズ!チーンポズ!」やれやれ、まいったね。俺が諦めて『ヤー・ブルース』を演奏するため
元のポジションに戻ると照明のライトを照らしている2階席の放送部ブースが騒がしい。ガシャン!という音ともに俺の網膜に光が焼き付くと観客の女共が悲鳴と歓声を上げた。

「おいおい。一体なんだってんだ...アッ!」

平野が振り返って喉を引き上げる。俺達の後ろのスクリーンには平野が裸で飛び回っている映像が映し出されていた。

「何だこれは!?」「去年の学祭の映像だよ!」驚愕する俺に山崎が声をあげた。スクリーンの平野はなんともチンケな性器を露わにして観客に向かってホースで水をばらまいている。

するとその平野はホースを投げ捨て、最前席の浅黒い顔の女子に向かって性器をしごき始めた。

「ヤバイ!それはヤバイって!!」平野がステージでひざまづいて悲鳴をあげる。それを見ていた女子がこの日一番の歓声をあげる。

「ティラノ!」2階席の放送部ブースから声が聞こえる。俺がそちらを見上げると岡崎が映写機のハンドルを握り、一ノ瀬が放送部員を押さえつけている。

岡崎が平野に向かって叫んだ。

「おまえが俺達に見せてくれたのはそんな根暗なイギリス人の音楽じゃねぇだろ!お前にしか出来ないロックをこいつらに見せつけてやってくれ!」

照明の明かりに反射して岡崎のただれた顔の皮膚が映る。「ブチかませ!Tーれっくす!」

するとスクリーンの平野が絶頂を迎えた。女子達が嬉しい悲鳴をあげるとゆっくりと平野が立ち上がって2階席を睨んだ。

「岡崎のヤツ...2年連続で俺のちんぽ晒しやがって...うぉぉおおおお!!!」

平野は体から発射された精液のように猛烈な勢いでスタンドマイクに飛びついた。「ファアアックッツ!!」派手に中指を立てるとその恐竜は観客達に向かって叫んだ。

「もーブチ切れた!てめぇら、人を舐めんのはいい加減にしろ!予定調和はもう止めだ!おまえらにホンモノのロックンロール、見せつけてやるぜ!!」

背中に回していたギターを体の正面に持ってくると平野はスタンドマイクに告げた。

「聞いてくれ!新曲、『 King of virgin 』!!」

平野は足元のエフェクターを踏み込み、大きく歪んだノイズ寸前の音色でギミギミしたリフを弾き始めた。

おいおいおい。なんだその曲は。当然一度も練習した事のない曲に俺と山崎が顔を見合わせる。混乱する俺達を見て平野がマイク越しに叫ぶ。

「付いてこいよ!中ニ病新メンバーと寝取られドラマー!」「な!」「寝取られって!」

煽られてハートに火がついた俺と山崎は追いかけるように平野の曲にリズムを付ける。ハウス調のダンスビートだ。平野は中学生並みの英詞で吐き捨てるようにこの歌を歌った。

「I don't know how to kiss!
I don't know how to hug!
I don't know how to petting!
I don't know how to sex!

イエェェエ!!キングオブバージン!!」

なんてさみしい歌詞だ。口元を緩ませながら俺は顔の汗を振り払い、即興でその曲にフレーズを付ける。山崎がめちゃくちゃにシンバルを叩き始める。

客席から徐々に歓声が上がり始める。はっ、これがお前らの満足するロックンロールか。俺は自分達の姿をあざ笑いながらそれでも演奏する自分を滑稽に思いながらもベースの弦を弾き続ける。

「I don't know how to girl!
I don't know how to date!
I don't know how to betting!
I don't know how to sex!

イエェェエ!!キングオブバージン!!」

「指にマメが出来ちまった!!」

山崎がヘルタースケルターのリンゴ・スターのように絶叫をあげる。平野がピックを弾く右手を上げると客席から盛大な拍手が鳴る。

これだ。俺がみたかったのはこの光景だ。高台から見下ろすまばゆい憧憬の目が光る絶景。前後の演奏者が僻みと憧れの感情を抱き、観覧者が興奮と感動で涙を流す。

俺はこの景色が見たくてこいつらのバンドに入ったのだ。目の前が眩しいの照明のせいじゃない。目の前のマイクに向かって叫ぶ平野、汗だくになって狂ったようにドラムを叩く山崎、

ちょっと前まで俺達を小馬鹿にしていたのに曲が始まった途端、曲のクオリティを感じ取り、とっさにメロディに体を預ける観客達。

様々な感情が交錯し、背骨を電流が走る。俺は天井に吊るされたバスケットゴールを見て絶叫した。肩からストラップを外し、ベースをその天井めがけて放り投げた。

俺はその時、人生で一番大きいであろう悲鳴と怒号を同時に上げた。こんな気持ちになったのは初めてだ。しばらくして角膜に白い固まりが向かってくる。

あっ、と一瞬の間があり、客席から悲鳴があがる。「ちょっと、キミ!大丈夫!?」舞台袖を演奏を見ていた実行員が俺に声をかける。

俺は自分が放り投げたベースが顔にあたり、その場に倒れ込んでいた。「大丈夫です!まだ出来ます!」平静をアピールするためにその女子に敬語で返すと真っ赤にぬめった白いベースのネックを掴んだ。

心配そうに俺を見ながらリフを刻む平野に「止めるな!音楽を止めるな!ティラノ!」と無意識に叫ぶ。

俺の顔を見て力強くうなづくとティラノは再びマイクに向かって歌い始めた。俺は手をかけたアンプのフェーダーをいじって『ドンシャリ系』の音色を作る。

「イエェェエ!!キングオブバージン!!イェア!!」

ティラノがギターをミュートし、あつしがシンバルを掴む。サスティーンの残っているベースを見て俺はジャックからケーブルを引き抜く。

しばらくの沈黙が俺達を包み込み、平野が顔を作ってマイクに言い放った。


「どーだい?最低だろぉ?」

お笑い芸人の真似をする平野を暖かい拍手と歓声が包み込む。俺の顔を見上げると実行員は急いでステージの幕をひいた。舞台進行の女学生が歓声鳴り止まぬ客席をみてマイク越しに告げる。

「本日の他校合同光川女子軽音楽部発表会は以上の演目を持ちまして終了とさせて頂きます。ご静聴、ありがとうございました」


「だいじょぶ?ワッキ!」山崎が俺の容体を心配して声をかけた。「ああ、問題ない」俺は側頭部に手をやった。ドーパミンが出まくっていて感覚が鈍っているが動脈がうつたびに激しい痛みが体中に駆け巡る。

手の平をみるとべっとりと赤い血が濡らしていた。

「どーやらアンコールは出来なさそうだな」

平野が目の前の赤い緞帳を見ながら満足気に呟く。こいつと来たら100人以上の女子の前で自分の全裸映像を公開されたというのにいい気なもんだ。

「とにかく!すぐに保健室に来て!必要なら救急車も呼んであげるから!」やれやれ、大げさな連中だな。

バンドメンバーが見守る中、俺はその場を後にして手をひく実行員に連れられ女子校の保健室を目指して歩いていた。

     

俺は結局その後、病院に救急車で運ばれ、側頭部を4針縫う怪我を負った。俺を診てくれた小柄な医者が呆れたように目の前に座る俺に言った。

「何かに熱中するのはいい事だけど、我を忘れて暴力に訴えるのだけは止めた方がいい」

「はい」「君の未来の為にいっている」俺が適当に生返事を返すと医者は真剣な顔をしていった。

「まぁ、キミのような無茶な若者をもう一人、私は知っているがね」「はぁ、どうも」俺は頭に巻かれた包帯の位置と厚さを確認しながら診察室から出た。

ロビーでは平野が親しげに大柄の女医と話している。「なんだ、もう終わったのか」包帯を巻いた俺を見て、特に驚いた様子もなく平野が言った。

「知り合いか?」俺が尋ねると大柄の女医が俺を見てにこやかに話始めた。

「あなたがティラノ君と一緒にバンド演ってる鈴木君?」「そうです」「ワッキって言うんだ」ティラノが自販機に向かって歩いた。

「ライブ中にテンションが上がってベース放り投げちゃったですって?」いたずらっぽく俺に聞く女医を見て俺は気恥かしく視線を落とした。

「まるでクリス・ノヴォセリックみたいだったよ、ニルヴァーナの」通話コーナーにいた山崎が携帯電話をしまいながらこっちに近づいてきて笑った。

それを聞いて俺が鼻で笑う。「怪我の方はどう?」「大丈夫だ。このまま帰っても問題なさそうだ」「よかった」「おーい、ティラノ、帰ろうよ。疲れただろ?」

山崎がベンチに座って買ったジュースを飲む平野に呼び掛けた。俺達の分も奢ってくれればいいのに、とも少し思ったのが平野がそこまで気のきく人間にも思えなかった。

俺はベンチに腰かけて平野に謝った。

「すまんな。迷惑かけて」「迷惑なんてかかってない」

平野がテレビのバラエティ番組を見ながら言葉を返した。外はもう暗くなり、時計は午後の7時を少し回った所だった。「そんな事ない」

俺は自分を咎めるように平野に聞いた。「俺が居ないおかげでアンコール、出来なかっただろ?」


俺は体育館での演奏後、実行員に手を引かれて同じフロアの保健室に担ぎ込まれた。女の養護教諭が制服を血で濡らした俺を見て驚愕した。

教諭は俺を椅子に座らせて止血を試みたが、傷口が大きく裂傷しているらしく中々血が止まらなかった。その間には地響きのような拍手の音が廊下に響いて、入口の木製のドアを揺らしていた。

俺達のアンコールを望む手拍子だ。しかし『ザ・テンポス』は再び客の前に姿を表す事なく光川女子高を後にしてしまった。俺の流血状態を客観的に見てとてもライブが出来る状態ではないと運営員、及び実行員が下した結果だった。


1年生4人とやよいは先に帰宅し、俺はこの中央向陽病院に運ばれ、同じバンドメンバーの2人が立会い人として一緒に病院に来てくれたのだ(平野は救急車に乗ってみたかったと言っていたが)。

「でもさ、」山崎が俺の横に座って言った。

「ワッキにあんな熱い所があるなんて思わなかったよ」俺を挟んで平野がニヤける。「ああ、てっきりラノベに出てくる『やれやれ系主人公』みたいな奴だと思ってたよ」

「参ったな」二人に囲まれて俺は照れ隠しで目線を落とす。「あの時は気が動転して自分でも何をやっているかわかんなくなっちまった。自分をなくしちまった」

「それは例の停学になった時の事?」「ティラノ」平野が何気なく言った一言が俺の心に波紋を立てた。「気にすんなよ。こいつ、まともに会話出来ないヤツなんだよ」

山崎が平野の言葉を失言だっとと言う風に弁解する。ジュースを飲み干した平野が立ち上がって缶をカゴに投げ入れた。

「その怒りやテンションをライブでぶつけてくれれば全然オッケーだ!終わった事は仕方ない。切り替えて行こうぜ!ブラザー!」

「うし!3点シュート!」缶がカゴの中に入ると平野が大げさにガッツポーズをとる。「...こっちは『ビン』のカゴでしょ」

俺達を見ていた大柄の女医が今投げられた缶を取り出して『カン』のカゴに入れる。「もうそろそろ帰ろうよ。やよいには連絡しておいたから。立てる?」

山崎が俺に手を貸した。俺は気持ちが落ち着いてから頭痛がひどかったが、薬の効果もあり現状では痛みが鎮んでいた。「帰りに牛丼屋行こうぜ」

平野が振り返って立ち上がる俺達に言った。「牛丼屋?」俺が言葉を返すと「うん、そうだけど?」と平野が復唱する。「俺、牛丼屋行った事ない」

「まじで!?」となりに居た山崎が笑い声をあげる。「ワッキ、どんだけブルジョアなんだよ!」二人に冷やかされて俺もなんとなく笑う。

「それじゃ!ジュンさん仕事頑張ってね!」平野が大柄の女医に手をあげると「また馬鹿な事やって入院するんじゃないわよ」と女医が小さく手を振りかえした。

「ティラノは去年の秋、ここで入院してたんだ」俺達が患者のことなんて一切考えて作られていない回転ドアを通ると山崎が言った。

「右足首を骨折して。それにさぁ、こいつ、ここでライブ演ったんだ」「ライブを?ここで?」「うん、そう」俺が聞き返すと話の中心人物の平野が答えた。

玄関横のロビーを感慨深げに見つめて平野は言った。

「そこでビートルズの『レット・イット・ビー』と親戚のアニキが作った曲を演った」「病院で演奏するとかメチャクチャだなおまえ」

俺に言われて笑うと平野は病棟を眺めて呟いた。

「病院っていうのはさ、もの凄く暗くて怖い所なんだよ。病気や寿命で毎日誰かが死んでる。そういうふんいきを吹き飛ばそうとしてライブをしたのかもしれないな。去年のボクは」

俺は入口で病院を振り返った。確かにそうかもしれないな。「まぁ、とにかく軽傷で済んでよかったよ」山崎が話をまとめると俺達は繁華街にある牛丼屋に入った。


「ワッキ!食券は入口で買うんだよ!」カウンターの席に座った俺に山崎が声をかける。「え?そうなのか?」ベースケースを担ぎ直し自販機のような機械の前に向かうと「まったくもう」と平野が呆れてように息を吐く。

その態度に少しイラついたので「仕方がないだろ。初めてなんだから」と俺は「口答え」をした。

機械に1000円札を入れて食券を買い、席に着くと定員がオーダーを復唱して忙しそうに厨房に戻っていった。スピーカーからは耳障りなJ‐popが流れている。

平野が端の席に座り山崎が俺と平野の間に座った。


「ワッキ、俺達のバンドはどう?」店員から水の入ったコップを受け取ると山崎が唐突に俺に聞いた。俺は頭がぼーっとしていたので山崎に何と返したか忘れた(多分、悪くはない、とかそんな内容だったと思う)。

「あ~あ!今週もロックスターの求人は無しかよ!」平野が読んでいた求人雑誌をテーブルに放り投げた。それを見て俺は可笑しくて平野に言った。

「あるわけないだろ。そんなもん」「なんで無いって言い切れるんだよ?」平野が憤慨したように俺に言い返した。「おまえなぁ、」俺は平野に説明した。

芸能関係の仕事は気軽に求人雑誌で募集していない事。不況や需要の問題で音楽業界の市場が冷え切っている事などを話したが、平野は納得出来ないように首を傾げていた。

山崎が俺達の間を取り持って言った。「ロックスターになりたかったら自分でその椅子を奪いとれって事だよ」その言葉を聞いて納得したのか、平野は「よし!じゃあ100万枚売れるラブソングでも書くとするか!」と調子良く声をあげた。

すると頼んだ料理をテーブルの上に店員が運んできた。「ワッキ、それで足りる?」サラダを自前の箸で食べる俺に山崎が聞いた。

「肉は食べれないんだ」「まじで!?」山崎の声で店に居た客達が俺の方を見る。「出ました!中ニ病発言!」平野が俺に指をさして冷やかす。

「本当だ。まじで肉は食べられない」「おいおい、牛丼屋に来てそれはねぇだろ~俺の肉が食えねぇのかよ」平野がふざけて牛肉を掴んで俺のトレイの上に載せようとしてきた。

「やめろって」間にいた山崎がその手を阻止する。有線の曲が切り替わった。店内のスピーカーから徳永英明の「レイニー・ブルー」が流れた。しかし歌っているのは別の歌手のようだった。

「カバー曲ばっかりだな」俺は少し語気を強めて言った。「あ、これの事?」山崎が天井を指さした。「最近の邦楽ヒットチャートはカバー曲ばっかりだな。まるでビレッジ・バンガードで買い物でもしてるみたいだ」

俺は皿に箸を置いて呟いた。「いつから音楽市場は女優や俳優くずれのカラオケボックスになったんだ?」「面白い事いうなー、ワッキ」

平野が俺を冷やかした。「あれ~確かキミ、ヒットチャートは見ないんじゃなかったっけ?」「うるさい。黙ってても目に入る。耳に入る」

俺は普段抱えている邦楽に対しての怒りを吐き出した。「どうして努力して歌手になりたい奴より顔が良い奴が優先される?どうして新しい物を作って世の中にだそうとしない?
そんなに昔を懐古してどうする?音楽業界の人間は頭の悪い連中ばかりだ」
「ワッキ、落ち着けって」

牛丼を食べ終わった山崎が俺の言葉を遮る。「俺は冷静だ。落ち着いてる。ただ今の業界の現状が許せない」

気が立っていた俺は言葉を続けた。「対して実力もないのに舞台に上げられた人間が適当に昔の曲を歌いやがって。こっちは聞きたくもない音楽をばらまかれてイライラするんだよ」

「あー、わかるよワッキ。ボクもついこの間までキミと同じ意見だった」平野が飯を頬張りながら俺に言った。「でもな、ワッキ」平野が俺に諭すように告げた。

「その舞台でダンスを踊っている人間は必死なんだよ。演者は自分が受け入れられる為に最善を尽くすんだ。どうやったら多くの人に自分の姿を見てもらえるか、
どうやったらもっと自分の曲を聴いてもらえるか。この間向陽ライオットのステージに立った時、わかったんだ。本気で音楽をやってる人間はそんな事言わないって」

俺はその場を立ち上がった。「悪い。俺、先に帰るわ」「自分の意見を否定されて気分を害したかい?」平野がコップに口をつけて俺に聞いた。「でもホントの事さ。キミが馬鹿にしてる歌手、みんなそうだと思うよ」

「こいつ、ムカつく!」俺は口の中でそう呟いた。

俺は自分より背が低く、正直すこし見下していた平野が自分よりたくさんの経験を積んでいたり、たくさんの歓声をもらう姿を思い出して強い嫉妬心が芽生えていた。

「俺は、その景色を見てねぇから」荷物を抱えると俺は平野と山崎に言った。

「俺はおまえらとそのステージに立ってねぇから、わかんねぇよ」「ワッキ!」

呼び止める山崎の声に振り返らず、俺は自動ドアの外に出て駅に向かって歩き出した。

平野、お前はなんで立ち向かって歩いて行けるんだよ。この夢も希望もない道の上を。俺は平野の器の大きさを知ると同時に自分の小ささを思い知った。

     

光川女子との対バンの後、俺はバンドに対する気持ちが弱くなってしまって放課後に部室に通う事は無くなっていた。

代わりに図書室で本を読む時間が増えた。俺は昼休みに隅の席を確保すると今日は夏目漱石の『こころ』を読み始めた。

私に自分の事を話す先生は確実に死に向かって歩みだしている。古き良き文学の世界に浸っているとガラガラ!と無神経に入口のドアが開いた。

「うへーい、どーも」「うわ、見事にマジメ君ばっか」

俺は読んでいた本をぱん、と閉じてふとどきな連中を見上げた。平野を先頭にガラの悪そうな連中が部屋に入ってきた。

「みんな、世界の終わりみたいな辛気臭い顔してら」平野がペタンペタン、とつま先で穿いた靴を鳴らしながら歩く。彼らを見て近くに座っていた女子が声を出した。

「室内」「え?」平野の横にいた短髪の男子が女子を睨みつけた。女子は分厚い本から目を離さずに同じ言葉を復唱した。

「室内」「あ、なんだオメー?漢字二文字で説教してんじゃねーよ!長門有希ちゃんかよ、オメーはよ!」「あーあー、ちょっと待った」いきり立つ男子を見て平野が止めた。

「山内、女性に対してその態度はないだろ?驚かしてすいません...山内!テメー、1年のクセに調子のってんじゃねーっての!!」

平野が飛び上がって長身の山内という男子の頭を叩く。「すいません。平野さん」「平野さんはやめろ!ボクがダブったのがみんなにバレるだろ!」


「高校1年生2年目の平野洋一君」俺が椅子から立ち上がって平野に嫌味を言った。「おお、ワッキ!久しぶりじゃん!生きてた?元気してた?」

俺は脳天気なバンドメンバーの様子を見て顔の前で指を一本立てた。「場所を考えろ。図書室では静かに」それを見て平野が両隣にいた2人に俺と同じように指を立てる。

「そうだぞ!図書室では静かにしろ!」「うるさい。意味ないだろ、それじゃ」俺は昨日包帯の外れた頭を撫でて呆れた。「で?何を借りに来た?」「ああ...そっか!」

俺の言葉を聞いて連中はここに来た本来の目的を思い出したようだった。「ジブリ!トトロの載ってる本、置いてある!?」大声で呼びかける平野を見て慌てて図書委員が駆け寄ってくる。

「学祭のパレードでジブリの仮装をするんだ」平野が左に居た一人に本を借りにいかせた。

向陽高校は毎年7月の学祭で生徒が仮装して町を練り歩くパレードというイベントがある(俺は去年停学になっていて学祭に参加する事が出来なかった)。そうだ、その事を思い出して俺は頭が痛くなった。

そんな事をして何が楽しいというのか。若さゆえの恥を撒き散らして傷つくだけの意味のないイベントだ。平野が鼻をいじりながら俺に言う。

「神輿は大きいトトロのやつを作るんだ。ボクは多分もののけ姫のアシタカの仮装をすると思う」

「平野クンは紅の豚でしょ?」「うっせ!」「すいません!」さっきのリプレイのように平野が飛び上がって山内を叩く。それを見て俺は自分が居た席に戻った。

「なんでもいいから早く去ってくれ」図書室で本を呼んでいる全員がそう願っていた。


「...よし!これで全部だな!」平野がオトモの二人に本を数冊持たせると学生証を受付の生徒に向かって突きつけた。

「エレファント貸出し!」「...は?」「だから、エレファント貸出し!」やれやれ。意味を理解出来ず、パニックになる図書委員を見て俺は再び席を立ち上がり平野に図書カードを突き出した。

「貸してやるよ」「ホント?」「ああ、これがないと貸出しできない。期限は2週間だ。それと、」

俺は後ろを振り返って本を読んでいた生徒達を見渡した。みんな村からモンスターを追い払う勇者を見るような眼差しで俺を見つめている。

背筋に電流が走ると俺は言葉を続けた。「みんなの迷惑だから、もうしばらく来るんじゃないぞ。問題児共」

「ありがとーございましたー」「サンキューワッキ」「ども、また来ます」本を抱えると連中は口々に俺に礼を言い、図書室を出て行った。

ドアが閉まり、足音が遠くなると生徒たちから俺に向かって大きな拍手が贈られた。俺はアメリカのディスカッション番組に出てくる演者のように両手を広げてその好意を受け取った。

最高の気分だった。最初に連中に声をかけた女子が不機嫌そうに耳にイヤホンを差し、「室内」ともう一度呟いた。



放課後、俺は1週間ぶりに第二音楽室の軽音楽部に顔を出した。昼休みに図書館に迷い込んだ魔物を退治し、気分が少し高揚していたという事もあったが自分が所属する部の現状を知りたいという事もあった。

部室には平野と山崎、やよいと1年の高橋と伊藤がいた。ドアを開けた俺に気づくと1年ふたりが「ちーす」と俺に声を出す。

俺は開けたドアの手前でちいさく頭を下げると部屋に入り、隅にカバンを置いた。ベースは家に置いてある。やよいが俺を見て「あら、ワッキ、久しぶりじゃない。怪我はもう治ったの?」と聞いてきた。

俺は自分の容体を簡単に伝えると部屋の隅にあるステージの上で椅子に座ってギターを弾いていた平野が立ち上がった。ベリーン、と歪んだ6弦の音を鳴らすと平野は俺に言い放った。

「7月1日!ボク達『ザ・テンポス』の初のライブハウスLive が決まったぜ!場所は向陽山駒ヶ岳のすぐ近くにあるCLUB861だ!うちのマネージャーと同じ861(やよい)だ!覚えやすいだろう!」

「私はあんた達のマネージャーになった覚えはないわよ」「ちょ、ちょっと待った!」俺はステージの平野に向かって歩いていた。

「そんな事聞いてない。勝手に決めるな」「ごめん、ワッキ。もう決まっちゃったんだよ」途中にいた山崎が俺に謝った。やよいがいつものように腕組をして俺に事態を説明した。

「この間のライブの後、色んな所から出演オファーがあってね。それで1件、招待受けちゃった。再来週の日曜日だから都合つくでしょ?」

「あのなぁ...」俺は頭を抱えた。「すぐ連絡しようと思ったけどみんなワッキの携帯アドレス知らなくてさ。連絡するの、遅くなっちった」

部長の山崎が頭を掻いた。浮かない俺の顔を見てバリーン!と平野がまた弦を弾き下ろした。顔をあげると平野がピックを握った手で俺を指さした。

「えー、あー」平野がマイクに向かって咳払いをした。名言めいた事を言うつもりだ。1年がペンライトで平野の後ろを照らす。準備が出来ると俺の瞳を覗き込むように『ザ・テンポス』のフロントマンはこう言い放った。

「ヘイ!ブラザー!!この間のライブの後のアンコールの声を思い出してみろ!!それまで散々ボク達の事を馬鹿にしてた奴らが2曲目が始まった途端、
手のひらを返したように踊り狂ってただろ?人の心を動かすのにコードや理論なんて関係ないんだ!キミが動けば世界も変わるんだ!
あの時の感触、再び味わってみたくはないか?少年!」

俺はさかむけが治りかけている自分の手の平を見つめた。あの日、女子校での体育館のライブを思い出して心臓が強く脈を打ち始めた。

手の平を握ると俺はステージの上でポーズをとるロックスターに尋ねた。「ライブで演る曲はあるのか?」「ない!」平野の即答にやよいと山崎が椅子からずり落ちる。

「これから作る!あ、でもボクこれからバイトがあるから!それじゃ!高橋、ちゃんとレゲマス、倉庫に閉まっとけよ!」

後輩の高橋にそう告げると平野はギターをスタンドに立てかけて飛び上がった。そして椅子からカバンを掴んで「じゃ、そーいう事で~」と言葉を残して去っていった。

やれやれ、なんて勝手な奴だ。俺は後ろに居た山崎に振り返って聞いた。「本当に演るのか?」それを聞いて山崎がちいさくうなづいた。

「わかったよ。演ればいいんだろ」俺は近くにあった椅子に座ってため息をついた。平野に仕事を押し付けられた高橋が目の前で先輩のギターを大事そうに抱えていた。

     

平野に次のライブの日程を告げられたその日の夕方、俺は繁華街にある雑居ビルの4階にある教室で数学教師によるゼミを受けていた。

先週から週3回、俺はこの北条ゼミナールという塾に通う事になった。バンドを始めてから成績が上がり始めた俺を見て

「あんたなら今から都会の大学、推薦で狙えるかもしれないわ」と母が少ない稼ぎを切り崩し、この特進塾に通う事を勧めたのだ
(もともと学校の授業は解っていたし桜田に発破をかけられて真剣に中間テストを受けた結果だ)。

俺は去年の学校成績があまりよくなかったのでこの選抜コースでも一番下のHランクだったが授業の内容を把握し、学習塾特有の授業スピードについていく事はできた。

若い現役T大生の教師が口角泡を飛ばしながらこの公式を暗記するように、と声を荒立てる。俺は勉強をする事が苦ではなかったので、効率的な学習方法を身につけるとみるみる成績が上がり
偏差値45の底辺高校では学年トップ10に手が届きそうな所まできていた(塾長に来年の入校希望者に対してのネタにしたいとまで言われたくらいだ)。

配られた教材のページをめくると教師が今から10分間でその問題集を解くように、とストップウオッチを握り締めた。始め!と号令がかかると俺達特進コースの受講者達は本にペンを走らせた。

教室が静かになり、ペンの音が乾いた部屋に響く。みんな国公立の大学を目指しているとの事でちらっと周りを見渡すとどいつもこいつも必死に公式を駆使しながら数学ドリルを解き始めている。

みんな自分の事しか頭にないエゴイスト連中で俺はまともに会話出来る人間がこの教室にはいなかった(進路がかかった戦場で仲間を探す、というのが難しいといえば当然なのかもしれないが)。

俺は問題を解きながら耳をすませた。ペン音の間からシャカシャカと多足甲虫が蠢くような音色が聞こえる。デスメタルだ。俺は高速でリズムを刻むツーバスの音色でジャンルを察知した。音の発信源は後ろだ。

闇が染める窓ガラスを使って後ろの席を見ると金髪でおかっぱ頭の男が椅子の上で体育座りをし、耳にヘッドホンをあてペシペシと鉛筆を高速で机に叩きつけている。

細かくは確認できないが、小声で「ファック、ファック、ファック」と何度も呟いているように聞こえた。その様子を見て講師が近づいてくる。

「キミ、」講師がその男に声をかけるとみんながペンを走らせるのを止めた。「そのファック、ファック言うのを止めなさい」

それを聞いて隣の席の女子がぷっ、と吹き出す。注意された男はヘッドホンを外してこう弁明した。「スイませぇん、ちょっと入っちゃってて。マイワールドにィ」

「マイワールド?」独特のアクセントの彼の言葉を聞いてクラスのみんなが笑い出す。「それと、」ずれた眼鏡を中指で上げて講師は話を続けた。

「椅子の上で体育座りをするのも止めなさい。みっともない」「はいはーい、わかりまぁシター」男が足を崩し、素足を床に置いてあったスリッパに引っ掛けると「なにあれー?」「デスノート気取り~?」と近くにいた女子二人が小声で彼を冷やかした。

賑やかになるクラスの受講者達をみて「はい、集中!」と講師がパン、と手を叩く。

それを見て俺達は再び問題集に目線を落とす。机の角に引っ掛けられた、主を失ったヘッドホンがジャカジャカとデスメタを熱演していた。


授業が終わり、俺がカバンに教材を仕舞い込んでいるとちょいちょい、と肩が指で突かれた。「ハロー、ワールド」俺が振り返るとおかっぱの男が小さく手を振りながら、ニカっと口を三日月に開いた。

態度が顔に出たのか、「アレ?アナタ今、嫌な奴に絡まれたって心の中でおもいませんデシタ?」とその男が俺に聞いた。

「ああ、その通りだよ」隠しても無駄だ、と思い開き直ってそいつに答えると「ヒヒっ!それはオモシロイ!!」とのけぞってそいつは両足のスリッパで拍手?をした。

俺は席を立ち上がった。「ああー、スイマセン。授業中にセンセェに注意されちゃって。ご迷惑だったデショウ?」両手を合わせるそいつを見て俺は立ち止まった。

反動をつけて椅子から起き上がるとそいつは胸に手を当てて自己紹介を始めた。

「ワタシの名前は平賀正太郎。苗字と名前から一文字づつとって『ガショー』と呼ばれてイマース。
あなたは向陽高校の2年A組の鈴木和樹くんデェスネ?エイティーズのロックが好きで、英単語を覚えるときに体を上下に揺らすのがクセ。
志望校はW大学ですが、滑り止めのH大でもいいと思っている。てゆーか、ホントは大学受験にさして興味はない、と言ったところでしょうか。
それと大柄の生物講師に『クマリカ』というあだ名をつけている」
「ちょ、ちょっと待った」

突然印字を始めたタイプライターのようにそいつが無機質な声で話し始めたので俺は一旦言葉を遮った。まだ教室には数人受講者が残っている。このままだとあることないことこいつに言いふらされそうだ。

「なんで俺の事をそんなに知っている?」俺が尋ねるとそいつは口をまた三日月に開いて笑った。

「知ィってマスヨ!クラスの友達の事は顔と名前と性格とクセ、ガショー、小学2年生の時、センセェに全部覚えておけ、って言われマシタ!」

ケタケタと木製の玩具のように頭を揺らすそいつを見て俺は恐怖と尊敬の念を抱いた。「2コマ目の3曲目に聴いていたのがslipknotだったってのは分かった」

話題を変えようとして俺はそいつの机のヘッドホンを指さした。「デスメタルが好きなのか?」そう言うとガショーはさらに口をひしゃげて笑った。

それを肯定のしるしと受け取って俺は話を続けた。「バンドかなにか、演ってるのか?」それを聞いてガショーは嬉しそうな顔をして机をパシーンと叩いた。

「はいー!バンド、演ってマスヨー!ニホンで一番ブッ飛んでて、エキエントリックでエキサイティングなバンドデェス!!」

それを聞いて「はは、よかった」と会話を終わらせたいという気持ちもあったが、俺は不思議とこのガショーという男に興味が湧いたため会話を続けた。

「ドラムを演ってるのか?」受講中の鉛筆さばきを見て俺が予想すると「チッチッチ。違いマース!ガショーはディージェーデース!」と指を振りながらそいつは答えた。

「DJ?」意外なパート名が口をついて出たので俺は思わず吹き出してしまった。俺は日本の音楽グループ「ファンキーモンキーベイビーズ」の真ん中で手を叩いて何も演奏をしない男を思い出した。

それを察知したのかガショーが再び指を横に振った。「チッチッチ。違いマース!ガショーはMac で楽曲制作してイマース!今度のライブで披露して演るデース!」

思考を読み取られた俺は頭を掻きながらそいつに尋ねた。「そのライブっていうのは何時演るんだ?」「7月1日! CLUB861 でオンステージデース!」

「7月1日...」俺は平野が言った事を思い出した。「その日、俺もそのライブに出る」「へ?そうなんでスカ?『キグウ』デスネェ!驚きまシタ!」

ガショーが全然驚いていないという顔で俺に言った。「本番で一緒のステージに立てるのを楽しみにしてマスヨ。それじゃ、また来週~」そういうとガショーはカバンを持って教室の入口に向かって駆けていった。

「あ、痛っ!」廊下で他の受講者にぶつかるガショーの声が響く。おかしな奴と会っちまったな。俺はビルを降りるエレベーターのタイミングをずらし入口の自販機で缶コーヒーを一本買うとため息をひとつついて雑居ビルを出た。

     

「おにぃーさーん!遊んでかない?特別にいちまんでいぃーよ!」

うらぶれたネオン街の路地、水商売をしていると見られる派手な化粧をした女が俺の前を歩いていたサラリーマンに声をかけた。

銀縁眼鏡をかけ、頭髪をきれいに後ろで固めた真面目そうなその男は目の前の女の声を聞くと急スピードでその女を追い抜いた。

「もー、なんなのあれ、気持ちワルイ!」

女が悪態をつくと俺はその女とばったり目が合った。女はニヤリと笑顔を作ると制服を着て学習カバンを抱える俺を見てさっきの台詞を繰り返した。

「ハァイ、おにぃーさん、私と遊ばない?特別に今日は1万でいいよ?」「...夜鷹、か」

俺は下世話な週刊誌のくだらないコラムを思い出した。ネオン街に若い女に声をかけられ、ついていったら老婆が一室で待ち構えていて「冥土の土産じゃぁ!」と飛びかかられ、性行為を施されるという内容だ。

女が俺の顔を覗き込んで笑った。

「...よだか、か。だって!オマエ何時代の生まれだよ、ってハナシ!
てかキミ、その様子だとまだ、でしょ?おねーさんがスーパーウルトラ絶頂テクを仕込んであげてもいいんだけど、どうするぅ?」

「はっ?」女の話を聞いて俺は密かに股間が膨れ上がった。そして頭の中で財布の残高を思い出した。いやいや、待て!俺はただの塾帰りの普通の高校2年生だ。

こんな所で不純不正交遊をして輝ける未来を消してしまう訳にはいかない。俺は頭を振ってその女に答えた。

「俺、高校2年なんで。こんな所で遊んでると親に怒られるんで帰ります」「はっはっは!」夜鷹の女が手を叩いて俺を笑った。下品な女だ、と俺はその女を睨みつけた。

「キミ、真面目なんだね。普通の人はそんな事言わずに無視して通り過ぎちゃってくよ」俺は街灯に照らされる彼女を見つめた。

大きく胸元の空いた安物のドレスを着て8cmはあろうかと思われる高いヒールの靴を履いている。彼女は携帯電話を取り出すと俺に聞いた。

「キミ、いくつ?」「17歳」「そう、私も17歳」

それを聞いて俺は少し驚いた。「その制服、向陽高校でしょ?」俺がうなづくと彼女が話し始めた。

「あたしも去年の夏まで通ってたよ。向陽高校。2学期直前に金ヅルにしてた男連中がいなくなっちゃって。金の切れ目が縁の切れ目、って事で
こーやって学校辞めて風俗嬢として働いてるっちゅーワケよ」

ユーロビートのワンフレーズが彼女の携帯電話から響く。メールが来たらしく、その場にしゃがみこんで長いネイルで女は文章を打ち込んだ。

「向陽高校って言ったら、平野って奴知ってる?野ブタみたいな奴」鼻で笑い「ああ、知ってる」と俺は答える。メールを書き終わると彼女は立ち上がった。

「こないだ仕事前になんとなくテレビつけたらそいつがギター持って向陽公園で歌ってんの。たくさんの人がそいつを取り囲んであれよ、あれよという間に優勝候補倒して優勝しちゃった。
てか、見てた?」

そう聞かれて「ああ、観てた」と俺は答える。何か、楽しい思い出を思い出したように彼女は笑い出した。

「あいつったらあたしに5千円突きつけてしゃぶってくれって言ったり童貞捨てたい、って襲いかかってきたりで超ウケてさー。
あいつと一緒にライブ演ってた鱒浦っていたじゃん?知らない?今有名なバンドでベース弾いてる人。彼とも体育館倉庫で一発パコったんだけどさー、ガチ包茎で超ウケてー。
今はそのネタで食ってる部分もあるかな。「有名人と寝た女!」つって!ネタと寝たをかけるメイサのダジャレセンス!あ、ちょっと待っておにーさーん!」

俺は話の途中で馬鹿らしくなって歩き始めた。彼女が俺の背中に向かって台詞を投げかける。

「5千円!おにーさんだったら特別に5千でいい!素股に飲尿にマングリ返し!なんでもやるよー!メイサ、ここでガッチリ稼いで絶対、幸せなお嫁さんになってみせるんだからー!!」

俺は彼女の覚悟と熱意に心を打たれたが学生という自分の立場を思い出し、その場を去った。残念ながら彼女が幸せな家庭を持てる可能性はとても低いだろう。

ネオン街の出口で俺は同い年の水商売で働く少女に背中で「頑張れよ」と言った。

     

「よう、鈴木じゃないか。久しぶり」

繁華街を越えると学生服を着た男に声をかけられた。今日はよく声をかけられる日だ。バンドを組んでからこういう事が増えたかもしれない。

俺は声をかけたその男の顔を見た。残念だが面識がない。俺が頭の隅の記憶を辿っていると6月だと言うのにマフラーを巻いた小柄な学生は俺に言った。

「僕だよ。お前の近所に住んでた大橋照之」「おおはしてるゆき...」

名前を呼ばれても俺は彼の事を思い出せなかった。「もー、じれったいなぁ」歩道を歩く俺の隣に来て彼は笑みを作った。

「覚えてるよ。お前の親父さんの事件の事」

それを聞いて俺は街灯の下で足を止める。「なんで知っている?」俺はその男を見下ろした。

「お前は誰だ?」「だから幼馴染のテルだって。忘れたのか?幼稚園の同組で僕とお前と泉さんの3人で一緒に向こうの駒ヶ岳にハイキングに行ったじゃないか」

テルと名乗った男が闇夜に沈む山々を指さした。「泉の事も知っているのか?」それを聞いてテルは呆れたように両手を広げた。

「3年ぶりにあった友人に完全に忘れられてるなんて、泣けてくるぜー」テルは頭を振って俺に答えた。

「今年に春に親の都合でこっちに戻って来たんだ。僕の場合はお前んとこと違って父親の転勤だけどな」

俺達は再び歩き出した。「お前とは都会の中学校で2年間一緒のクラスだった。クラスメイトと馴染もうとしないお前はいつも一人で空とばかり話していた」

忘れかけていた黒い記憶を掘り起こされ、俺は「やめろ」と呟く。にひひ、といやらしい笑いを浮かべるとテルは続けた。

「で、親父さんの事件がきっかけでその街には居られなくなり、お前ら一家はおふくろの実家のあるこの向陽町に戻ってきた。
時が経ちお前は高校生になりあの事件の事をなんとも思わずに過ごしている。それを知って僕は我慢ができなくてね。今日、お前の前に姿を現した」

威圧的なテルの言葉を受けて俺は視線を下に落とす。「親父の件は悪いと思っている。だけどあれは事故だ。親父のせいじゃない」

「いいや。あれはお前の親父の過失だね。国がそれを証明してるじゃないか。お前は父が用意するはずだった安定した出世コースから転落。
僕は一生心に傷を負って生きていく事になった」

信号待ちで俺達は立ち止まった。「バンド、演ってるんだって?」対向車線のトラックのハイビームがテルが顔を照らす。微笑みの中に狂気をたたえていた。

俺が静かにうなづくとテルは信号を先に渡りラインの終際で振り返って俺にこう宣言した。

「前からお前の事気に入らなかったんだよね。人見下してるような目つきで自分がなんだって出来ると思っている。
だから潰してあげるよ。お前が一番好きで得意な音楽でね」

そう言い残すとテルは細い路地の先へ消えていった。俺は自分がひどく震えている事に気がついた。握った手のひらを見つめるとびっしりと汗をかいていた。

次の瞬間、大きなクラクションと同時に大型トラックがこっちに向かって突っ込んできた。俺は悲鳴をあげながら体を前に放り出した。

「あぶねーぞ!このガキ!ちゃんと信号見やがれ!!」窓から捨てセリフを放るとトラックは大きな音を立てて右折していった。

俺は十字路の出口で尻餅をついた。危なかった。大きく息をつくと自分に宣戦布告したテルという同級生の事を思い出そうとした。

でも恐怖で頭が働かない。あの日の事を思い出すと体から汗が吹き出して、目の前がぐるぐる回りだして、震えが止まらなくなる。

「あんた、大丈夫かい?」杖をついた老人が心配そうに俺に声をかけた。「大丈夫です。ちゃんと立てます」俺は老人に言葉を返すと立ち上がって急ぎ足で家に向かって歩き出した。


夕飯を胃にかっこんで風呂に入ると俺はベッドに潜って震えをやり過ごしていた。妹のアイコがいつの間にか俺の部屋に入ってきた。

「かわいそうなお兄ちゃん」毛布を被ってる俺の隣に腰を降ろし、アイコが俺の頭を撫でる。「とても怖い思いをしたんでしょう?」

妹の優しい声を聞いて俺は目から涙を零した。「あの日の事を思い出したの?」アイコが横になって俺の体を抱く。冷たい腕と柔らかいぬくもりが俺の体を締め付ける。

「大丈夫、大丈夫だから」俺が声を振り絞るとアイコが俺の下腹部に手を伸ばした。「おまえ...」「いいの、お兄ちゃん」アイコが耳元で呟く。

アイコが俺の陰茎を撫でると俺は恥ずかしい事に妹の前で勃起させられた。制御セヨと信号を流すシナプスとは逆に俺の陰茎はどんどん反り返っていった。

アイコがそれを握るとそいつは妹の手の中で完全に姿を現した。陰茎を上下にさすりながらアイコが俺に体を擦り付ける。俺は様々の感情が頭を巡り、言葉を発する事が出来なかった。

「今日だけ、特別」毛布を被った俺の耳元でアイコ呟く。「私が妹だって事、忘れて?」アイコが手を動かすスピードを早める。

快楽に身を預け頭を空にするとしばらくして俺は妹の手の中に射精した。心がぶっ壊れそうだった。

       

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