Neetel Inside ニートノベル
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病学院のキトクな僕ら。
カルテ「七五三ちとせ」

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 1

 七五三(しめ)ちとせ。
 彼女は。
 僕の奇特なクラスメートで。
 危篤な存在である僕の病人仲間だった。
 とにかく奇々怪々であった僕の高校三年生の出来事を語るとき、話をできるだけ分かりやすく整理して話すのなら、彼女のことより先に話すべきことが他にいくらでもあるように思う。だが僕はまず彼女のことをなによりも先に話しておきたい。ややもすれば大仰な言い方になってしまうが、何故なら彼女との出会いは僕にとって自分の考え方――ひいては生き方すらをも変えたと自信を持って断言できる出来事だったからだ。
 だから、僕は話したい。
 僕が高校生活最後の一年間を過ごしたアミ病学院ではじめて友達になった――奇特な彼女と危篤な僕の物語。
 僕にとって彼女との出会いはパラダイムシフトで。
 彼女においてもそれは僕と同じだったろう。
 これはきっと、そういう物語だ。

 □ □ □

「お近づきの印に何か奢るよ」
 思い返すと、七五三ちとせと僕の関係性はおそらく僕のこの言葉で確実なものになったのだと思う。
 お近づきの印に何か奢るよ。
 なんて自分でも恥ずかしいくらいにキザな台詞だから、僕はその時もっとマイルドな言葉を使っていたかもしれないし、考えるだけでもおぞましいことだけど、当時対人経験がほとんどない純然たるコミュニケーション障害――コミュ障だった僕はもっと痛々しいとんがった台詞を吐いていたかもしれない。
 ただ意味合いでは恐らくそんなことを僕が七五三に言ったのは間違いない。
 その結果としてその日確かに僕は七五三に昼食を奢ったのを覚えているし、そして奢られた七五三はピクルスを齧った。
 ピクルスだけを、一口だけ。
 いや、ちょっと待とう。
 これでは僕が女の子にピクルスしか奢らなかったクズみたいじゃないか!
 それは事実とは全くもって異なる。僕の名誉にかけてそんな悪質なイメージは払拭しないといけない。
 そのために話はさらに少し遡る必要がある。
 五月の初めの頃だった。
 僕はその頃、高校三年生になったばかりで。
 丁度、アミ病学院に転入してきた転校生だった。
 病学院。
 といっても普通の人はなんのことだがわからないだろう。
 簡単に言うと、アミ病学院は病人たちが共同生活をしながら勉強を学ぶ病院だ。病人が病気を治しながら通う学校とも言い換えられる。
 それは病院であり。
 そして学院である。
 通常、それなりに重い病を患う病人は学校に行くことは叶わない。何故なら健常者の「当たり前」に病人は着いていけないからだ。絶対的多数である健常者の中で、完全な少数派である病人が健常者と同じように生活するのが不可能であることは深く考えなくてもわかるだろう。
 ではどうしたら病人が「当たり前」に暮らせるのか。
 じゃあ病人側に、ここでチェス盤をひっくり返す。
 健常者の「当たり前」に病人が苦しむのなら、病人の「当たり前」がまかり通るようにすれば良い。
 仮に世界が病人だけで構成されていたなら、健常者の都合なんてそもそも存在せず、病人の都合が無論、通るだろう。
 つまり病人だけの世界を創ればいい。
 そしてアミ病学院では全員が病人だ。
 医者も。
 患者も。
 教師も。
 生徒も。
 全ての人が等しく何らかの病を患っている。
 全員が病人だからこそ健常者の「当たり前」に晒されることなく皆が安心して暮らせて。
 全員が病人だからこそ病人にとってのみ「当たり前」の複雑な問題をお互いに理解し合える。
 アミ病学院が病人たちで構成されている限り、そこでは普通なら不自然とされてしまう病人たちだけの「当たり前」が本当の意味で当たり前となる。
 だから、アミ病学院は病学院といってもその規模は病院や学校だけに留まらず、生活のおよそ全てを病人だけで回すことができるような――様々なお店もある小さな街のようになっていて、余程のことがない限り病人以外がこの病学院に入ることは固く禁じられている。
 つまり病人しか入ることの許されないこの病学院への転入は入院で、病学院からの転出は退院だ。
 そして四月に転入してきた僕は、そのご多分に漏れずアミ病学院にやってきた新たな入院患者というわけだった。
 ただ僕が病人なのかというと微妙なところで、正確には僕自身そのものが病気といったほうが正しいかもしれない。僕の病気は、健常者というマジョリティの中でマイノリティとなってしまう病学院の病人たちの中でも、限りなくイレギュラーなものだから。僕が物心ついたときには既に抱えていたその問題はそれくらい奇っ怪で不思議なもので、僕に深く根付いている。
 閑話休題。
 ともかく僕は四月当初、自分で言うのも難なけど、今までとは百八十度異なる環境にいきなり独り放り込まれた可哀想な転校生だった。更に病人だけの自治体として実験的に作られたアミ病学院の人口は少なく、僕が編入された高等部三年A組(症状軽度学生クラス)も学級人数二十人前後の高校にしては規模の小さいクラスだ。そして病学院に暮らす人たちは比較的昔から住んでいる人ばかりだ。
 つまりは。
 その……、クラスメートみんなの身内感がものすごい。
 加えて僕は、病気が発覚してからその病気のせいで(自分のコミュニケーション能力の欠如を病気のせいにするのは気が進まないが、実際に僕の病気は健常者とのコミュニケーションを著しく阻害するものだ)、高校三年生になる今までこれといってまともな対人経験がなく、まあ、有り体に言ってしまえば、純粋培養のコミュ障の僕にとってアミ病学院での友達作りはハードルが高すぎた。
 というか絶望的だった。
 もうぼっちまっしぐらだった。
 幾千のぼっち飯を超えて一ヶ月。
 いつものようにトイレで便所飯に洒落こむべく購買で昼食を確保しようと思っていたその最中、僕と同じように独りぼっちで廊下を歩く同じA組のクラスメート――七五三ちとせの後ろ姿を長い長い廊下の先に僕は見たのだった。

     


 2

「七五三、ちとせ……」
 肩につくかつかないかぐらいの長さのボブカット。
 そして、遠くから見てもはっきりとわかる――驚くほどに線の細いシルエット。
 お昼休みの廊下で見覚えのあるその姿を目にしたとき、僕はチャンスだと思った。
 四月にこの病学院に転校してきて以来、友達のいない僕は、昼休みになるたびに和気藹々としたクラスに居づらくて――時に屋上へと続く階段の踊り場、またある時にはオーソドックスにトイレで――学校のありとあらゆる目立たぬ場所でぼっち飯を余儀なくされていたが、そんな境遇にいるのが僕だけではないことを僕は知っている。
 少なくともクラスに若干名の存在が確認されているぼっち飯ニスト。
 その一人が彼女――七五三ちとせだった。
 出来合いのグループに新しく入るのは難しい。
 だが、ぼっち同士でくっつくのなら割かしハードルが低いんじゃないか。
 なんて至極情けない、ひどく後ろ向きな目算が僕にはあった。
 この病学院に来てから早一ヶ月。僕はいつまでもぼっちでいるわけにはいかない!
 できるだけ不自然にならないよう七五三に話しかける。
「七五三さん、だよな? こんな所で何してんだ?」
 我ながらそれはすごく。 
 すごく不自然な言葉だった。
 顔にはぎこちない笑みが張り付いていた。
 声なんてうわずって普段より一音ほど高かった。
 即、話しかけたことに僕は後悔した――あぁ、もうなんだか泣きたい。
「あなたは確か……、転校生の」
 一応、表面上は笑いながらもどう見ても内心あっぷあっぷなコミュ障同級生――つまり僕――に突如話しかけられた七五三は無表情でこちらを見た。
 良かった! 無視されなかった! しかも、僕のことを覚えてくれてるみたいだ!
 さすがに名前まではすぐに出てこないようだけど、それでも僕は充分に嬉しかった。
 実際に僕の名前、覚えられてなくてもしょうがないくらいややこしくて覚えづらいし。
 神疾――と書いて「じんやまい」と読む。「じん」が苗字で、「やまい」が名前。
 それが僕の忌々しい名前だ。
 僕の名前を思い出そうとしてくれていたのか、しばらく記憶を手繰っていた様子の七五三がしばらくしてから口を開いた。
「夜神君」
「惜しいような気がするけど全然違う! 僕は神疾だ!」
 記憶の回収にはどうやら失敗したらしい。
「確かに神とは書くけど! 読み方は『かみ』じゃなくて飽くまでも『じん』ですから!」
 自己紹介の時に黒板に『神』とは書いたけど、さすがに僕だって自ら神を名乗るほど痛々しくないし、デスノートだって持っていないし、新世界の神になる気なんてさらさらない。
 だけど、もし七五三にでは死神のほうかと後ろ指をさされていたら、きっと僕はそれを否定できなかったかもしれない。
「あら、ごめんなさい。私、あなたのこと――転校早々、自ら神を名乗りだす痛い子だと勘違いしていたのだけど、それも歴とした名前だったのね」
「そう思われていたのは甚だ心外だけど、これを機に覚えてくれたようで重畳だよ」
「ええ。私、もう間違わないわ」
 ひょっとすると、七五三の他にも僕をそんな痛い奴だと勘違いしてる人がまだいるんじゃないか? と心配になる。
「それでこんな忙しいお昼時に、まいちゃんは私に何の用かしら?」
「まいちゃん?」
「あら? じんや、まい――ではなくって?」
「七五三、お前全然僕の名前覚えてないじゃないか! よりにもよってなんで『まいちゃん』になるんだ! どこからどう見たって僕は男じゃないか!」
 ちなみに僕は、中肉中背。
 女性に見えるような整った顔立ちをしている訳でもなく、ようするに――そして残念なことに、普通の顔立ち。
「私としては」
 七五三はそう、区切り。
 蔑むような目で僕を見てから一気にまくしたてた。
「早一ヶ月以上続くぼっち飯状態……、このまま卒業までずっとぼっち飯は嫌だ! ああ! でも教室の人たち一緒にお昼ご飯を食べよと誘うのは怖くてできない! ――そう考えた貴方は、差し当たり自分と同じぼっちである私なら、ある程度誘いやすいだろうと踏んだでしょうけど……。そんな男らしさの欠片もない情けない考え――女々しすぎて貴方のこと女の子と勘違いしちゃったわ」
 僕は、七五三が言う――クラスメートにろくすっぽ話かけられないコミュ障女々しい系男子――つまり僕――への辛辣な言葉の数々に圧倒されながら、なんでほぼ初対面の女の子にここまで罵詈雑言を浴びせられてるんだろう? と呆然としていた。
 七五三にはどうやら僕の浅薄な考えは全て見え透いているらしく、言うこと全てが図星だったので、この遣る瀬が無い理不尽さを痛感しながらも僕には返す言葉がなかった。
 それにしても七五三ちとせ。
 さりげなく自分がぼっちであることを認めている。
 僕、多分こいつがぼっちな理由、わかる気がする……。
「ちょっと待て! 確かにお前の言うことは全部正解だけど! 僕はぼっち飯しまくりだけど! なんで初対面のお前にここまで侮辱されないといけないんだ!」
「あら、これは私の優しさよ。……まいちゃん」
「さっきの台詞の! どこに優しさがあった! それともなにか? 僕はドMか? 現役女子校生に悪口言われて興奮する変態ドM野郎なのか!? それからまいちゃんっていうな!」
「七五三のSはドSのS。まいちゃんのMはドMのM。それにあなた、そんなに声を荒げて十分に興奮してるじゃない」
「こいつちゃっかりうまいこと言いやがった! というか僕、まいちゃんじゃないし! それにこれは性的興奮じゃないから! それからもうボケ倒すのやめろ! もういい加減僕だってツッコミきれない!」
「それはさておき」
 といきなり七五三は勝手に話のトーンを下げる。
「私の優しさ、というのは本当のことよ」
 この女、この期に及んでまだふざけたことを言いやがる。
 お前いい加減にしろよと言いかけた瞬間、かぶせるようにして七五三は続けた。
「だって貴方、もう緊張していないでしょう?」
 確かに。
 そうだった。
 もう僕は緊張してない。
 変に力が入って声がうわずるということももうないし、不自然な固い笑みが張り付いていた僕の顔は、寧ろ今は七五三に対する憎悪で醜く歪んでいる。コミュ障の僕には普通有り得ないことに、相手のことをお前呼ばわりしている始末だ。
「まさか七五三、お前。僕の緊張を、ぼぐすために……」
「ええ、勿論そうよ。自分の目論見ばかり考えて自己中心的に行動する神くんのようなぼっちとは違って、私くらいのぼっちともなれば相手のことを考えて行動できるの。例え、孤独なぼっちだとしてもね。つまり貴方と私では、大前提としてぼっちレベルが違うのよ」
 差詰、私がボッテストで、神くん――貴方はボッターといったところね。
 と七五三は締めくくる。
 Botti.
 Botter.
 Bottest.
 英語の比較級か。それにしたってわかりづらいわ。
 若干、七五三にそう指摘されて自分の器の小ささを恥じ、対して七五三の懐の深さに尊敬の念を抱きかけていたが、すぐに幻滅する。
「それに、私は神くんみたいに『ぼっち飯する』――なんて下賤な言葉は使わないわ」
「じゃあ、七五三は一体なんて言うんだよ……」
「孤独のグルメを楽しみます」
「孤独のグルメ! そういうのもあるのか」
 かっこいい。不覚にもそう思ってしまった。
「それで僕の考えが七五三には全部バレてるから言っちゃうんだけど」
「何かしら? ボッターの神くん?」
「今日、お昼一緒にどうかな?」
 相手に自分の思惑がもう既に知られているとわかっていても、やはり人を誘うというのは僕にとって緊張する。
「私が! ボッテストであるこの私が! ボッターの神くんと一緒に孤独のグルメを楽しめと?」
「そこをなんとか……」
「あら、ボッターの神くん。完全無欠なボッテストの私としてはこんな不手際、自分で自分が許せないのだけど」
「と言いますと?」
「私、今日お財布を忘れたわ」
「奢ります! 勿論、昼食代は僕が奢りますとも!」
 気がついたら、必死こいて同級生の女の子に胡麻を摺りながら奢らせてくださいと拝み倒す男子生徒――やはりそれは僕――の姿があった。
 思い返すとこれはかなり僕にとって屈辱的な光景なので、近い将来、ひょっとすると故意的な記憶の消去や改竄があるかもしれない。
「しょうがないわね。孤独のグルメ――ご一緒してあげましょう」
 僕たちはその時、まだ気づいていなかった。
 今日のお昼ご飯が、もうぼっち飯でも孤独のグルメではないことを。

       

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Neetsha