あとがき


 最強ってなんでしょう。
 恐らく最強といえば、『絶対に負けない』とか、『スペックが一番優秀』だとか、『敵になりうるものが誰もいない』、というのが一般的な定義だと思いますが、それは間違った定義だと思います。
 なぜなら仮に最強、誰にも負けない強さがある存在がいたとして、周囲の存在は彼を認めたり、あるいは雑魚な我が身を振り返って恥じ入ったりするかと言えば、絶対にしません。
『無視する』という、最強の上をいく切札があるからです。

 たとえば、麻雀で誰にも負けない男がいたとします。
 彼がジャン卓に座れば最後、ツモに次ぐツモ、ロンに重なるロンが卓を席巻し、点数点棒は雨あられ、働かなくってもいいしお金はカモが持ってきてくれるし、という美味しい話があったとします。
 そういう男がどうなるかといえば、誰からも相手にされず、一緒に卓に座ってもらえなくなるのがオチです。
 裏プロになればとか、暴力を背景にすればとか、そういう邪道を抜かせば、絶対に自分が負けるゲームに参加するプレイヤーはいません。
 そして最強の麻雀打ちは、麻雀が打てない限りはただの人です。
 この教訓を昔の人は身に染みてわかっていたようで、実際の鉄火場でカモを馬鹿にしたり虚仮にしたりする人はいなかったそうです。
 なぜならいつか、最強ではないからゲームに参加する資格を持った人たちは負ける運命にある身ですから、カモを痛罵することはいつかの未来の自分を痛罵することに等しく、そんなことをする人間はほぼ人格破綻、博打狂とは種類の違った自傷癖を持つ精神失調者だからです。

 じゃあ、最強ってなんだろう、と考えながら、俺は小説を書いてきた気がします。
 そして最近ようやく思うようになったのですが、最強の存在というのはきっと、
『プレイヤーの数を増やせるプレイヤー』
 ……ではないかと思うのです。
 スペックでは遥かに自分の上をいくプレイヤーがいようとも、プレイヤーを増やせるプレイヤーは決して勝負できなくなるということがありません。
 プレイヤーを増やせるのですから、対戦相手には事欠かないわけです。
 その代わりに最高のスペックを有することは出来ません。なぜならその手の最強者は決して他人を育てたり学ばせようとはしないからです。他人には理解できない論理で動いている確率がかなり高いですし、全てを教えたが最後、自分の絶対優位性を失う可能性もあります。つまり反逆される可能性が極めて高いのです。

 ではプレイヤーを増やせるプレイヤーは反逆されないかというと、恐らくされます。そして負けるでしょう。
 しかし、プレイヤーを増やせる限り、強者と同時に弱者も新規参入者として引き込めます。
 弱者をカモにし続ければ資源がなくなるので、時々は強者に負けつつ、弱者と取ったり取られたりを繰り返すプレイヤーが、最も長時間ゲームをプレイすることができる人間です。恐らく最強の存在よりも、長く遊べると思います。

 狩猟採集民族と農耕牧畜民族の比較にあるように、エサを奪うのではなく育てることが出来る人種が人口を圧倒的に増やせます。
 核戦争が起きれば生き残るのは獅子の赤ん坊ではなく夥しい羽虫です。
 それは恐らく、どう頑張っても覆らない事実です。
 ただ、それではあまりにロマンもへったくれもないので、俺はやっぱり男の子に産まれたからには、羽虫の群れよりは孤高の獅子に憧れてしまうのです。
 だから、仮に最強の存在があるとすれば、戦闘において絶対の優位性を誇るだけではなく、少なくてもいいから『自分の性質を受け継いだ存在』を残せれば、それはきっと強くて綺麗な存在なんじゃないか……と、思ったのです。


 この小説では楠春馬が何度か登場していますが、彼は『黒鉄鋼が増やしたプレイヤー』、という意味合いで登場させた人物です。
 鋼自身は、あまり人から羨ましがられるような生き方をした男とは言えないかもしれませんが、それでもその強さや誇りを理解し、覚えている人間がいれば、鋼の飽くなき戦闘にも意味があったのだと思います。
 八洲にしろ、殊村にしろ、あるいは美雷に至るまで、鋼はいろいろな人間に影響を与えたようですが、誰かに一歩を踏み出させることが出来ることこそが、戦闘者として最高の誉れのように思います。

 俺の書いてきた小説は、思い返せば『ギャンブラー』というよりもあくまで『プレイヤー』として闘おうとしてきた主人公が多くいたような気がします。
 ただ勝つ、どんな卑怯な手を使ってでも相手を打ちのめして屈服させる、というよりはあくまでゲームの参加者として、勝負に向かおうと彼らはしていました。
 あの世横丁の門倉いづるは「他者と触れ合うために勝負してきた気がする」と言っていましたが、あれも本質的には『自分以外のプレイヤーと接すること』を望んでいたから出てきたセリフだと思います。シマウマシリーズの嶋あやめも、馬場天馬や雨宮秀一をギャンブルの世界に巻き込みましたから、相手を滅ぼしながらも、心のどこかで自分と同じ存在を求めていたのでしょう。……たぶん。
 シマだけは、沢村シリーズの天ヶ峰のように俺のコントロールからすぐ外れる存在なので、何を言ってもにへらと笑って「全然違うし」とか言われそーな気がします。生意気なやつめ。

 そういうわけで、この『黄金の黒』は、俺が書いてきたシマウマやあの世横丁とは違い、ギャンブルを題材にした作品ではありませんでしたが、創作ゲームものとしては、地続きになっている作品だと個人的には思っています。
 もともとあの世横丁の競神を突き詰めて書き切れなかったことを悔やんで、あくまでオリジナル・ゲームで徹底的に追及した作品を作ろう……そう決心して書き始めたのがこの『黄金の黒』でした。
 総原稿量580kb強。
 文庫本換算で三冊ほどの作品になっており、終盤の戦闘だけでほぼ文庫一冊分です。

 や、ちょっと待ってください。俺にも言い分があるんです。確かに物凄く長くなりましたが、俺は元々ラノベ読みとして『戦闘を題材にしていながら戦闘がすぐ終わる小説』が大嫌いなのです。なんだかエロ本買ったのに水着で済まされたみたいな、凄く悔しい気持ちになるのです。そうじゃねえだろと。ちゃんと見せろと。
 そんなわけでちゃんと書いてみましたが、いやー死ぬかと思いました。凄く大変です、こういうのって。
 麻雀ならともかく、戦闘は一つ一つの描写にリズムと詩情を塗さないととても読めたものではないので、ほんと1シーンに1冊分くらいのプロットが必要になってきて、なんとも楽しい地獄でしたよ。
 ただその代わり、今後何が起ころうと、俺以上の密度で戦闘を書ける人間は出てこないだろうという自負もあります。
 文庫一冊まるまる戦闘シーンなんてのは商業では絶対に出来ないことですから(どや!)、俺としては苦しみながらも満足できた作品でした。
 たとえ理解は得られなくても、何度生まれ変わってもこういう馬鹿をまたやりたいと思います。
 アイライク馬鹿! いぇい。


 最後になりましたが、ここまで読んでくれた皆様、本当にありがとうございました。
 ちょっと凄まじく読み難い小説になってしまいまして、大変だったとは思いますが、でも『書いてあるべきことが書いていない小説』にはしなかったつもりです。
 軽く書けば失速を起こした戦闘機のようにバラバラになってしまう小説でして、これ以上の軽量化は不可能なのです。申し訳。
 ただまァ細かいところは飛ばしても、なんとなく雰囲気で楽しんで頂けるだけで作者としては充分かなとも思います。
 簡単に言ってしまえば超能力ぶっぱしまくってると白衣の女の子がちゅっちゅしてくれて、よし、がんばろって思うだけの小説ですので、やっぱり白衣って凄いなって思いました。

 あと、この小説は俺にしては珍しく、いろんな人に推敲してもらって出来上がった作品です。
 くそ我侭野郎の俺のことなので、意見してもらいながらそれを蹴ってばっかいましたが、それでも俺一人ではこの小説を書き切ることは出来なかったと思います。
 みんなありがとう。おかげで完結させられました。



 それではまたどこかで。