Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 言葉はいらなかった。フィフティはかつてシンに向かって照れくさそうに笑った顔を4色に染めていた。恐怖、絶望、焦慮、――そして決意。相手が誰であろうと、かつて同志であり先輩であり尊敬する戦士だった男であろうと、殺して逃げるしかない、フィフティの瞳にはそれが輝いていた。
 双眼に奇跡(おうごん)が宿る。
 交錯する視線がシンに直感させる。フィフティはすでに壊れている。まだやつはアイスピースを飲んでいない(二人は暖を取っているようだった。待ち受けていたというのならシンはすでに倒されている)。だが、その眼は脳髄の覚醒を歌う。
 フィフティの左手が腰のグローブホルダーに伸びた。シンの左手も、時が停止したような鈍さで腰へと動いている。ピースバッグへと。一手遅い。殺される。だからシンは迷わなかった。コールド・ブレイク・コートの胸元に左手を差し込む。イリーナに渡された拳銃のグリップと握手する。これしかない。
 シンはシヴを撃った。
 乾いたあっけない銃声が洞窟に反響する。シンは霊気まじりの虚ろな視線を銃口の先に流す。どっちだろうと構わない。ターゲットの少女が死のうが、フィフティが身を挺して彼女を庇おうが、シンの安全は保証される。今すぐステージ9のパイロキネシスで焼き殺される結末さえ回避できればそれでいい。
 フィフティが生き残りたいのであれば、迷わずシンを殺せばいいだけだった。実験体にされかけた少女が一匹死ぬだけだ。誰だってそうする、誰だって忘れる、当然の身勝手。だがシンはフィフティがそれをできないことを知っていたし、フィフティも脳裏に浮かんだそれを最後まで選べなかった。

 誤算だったのは。
 フィフティが死ななかったこと。

 真夏の密林から履き抜いた歴戦のアーミーブーツが岩肌を蹴り、少年兵がターゲットの前に飛び出したまではよかった。
 弾丸はまっすぐにフィフティの左胸を狙っていた。かわせばシヴの眉間を撃ち抜くバレットライン。二人は抱き合えばきっと絵になる身長差だったろう。その未来が実現する可能性は、分厚いESPによってか細く繋がった。
 結露水が凍結していくような氷晶音が鳴り響き、フィフティの胸の前に氷の盾が張り巡らされる。
 アイスキネシス。
 だがそれはあまりにも盾に似ていた。ブラックボクサーを覆うべき真円は歪み、全面に展開すれば楕円になっているであろう弧を描く。フィフティの粉金色の瞳が氷盾に覆われて消える。
 弾丸は、その氷盾をわずかに抉って跳弾し、洞窟のどこかへと消えていった。
 やはりそうだ、とシンは思った。やつはアイスピースを飲んでいない。アイスキネシスを正常に展開できていない。もし今、大佐がこの状況を知ったら捕獲命令はシヴからフィフティへと変更されるだろう。実験体がここまで生き延びることは稀であり、そしてそこまで生き延びられたブラックボクサーは喉から手が出る即戦力だ。だが大佐はここにいない。判断するのはシンだった。
 生かして置けない。
 この場で殺す。
 右手でバッグから抜き取っていたアイスピースを口に放り込む。視線は敵から逸らさない。そのまま小さな氷の破片を噛み砕き、リーサル・ドーズ・ハンドレッドの赤き劇薬が舌の上に濃厚に広がる。そのさざなみさえ聞こえるような気がする。研ぎ澄まされる感覚。視界が柔らかくなる。触れれば押せそうなほどだ。フィフティの表情が幾重にも変幻して見える。恐怖、激昂、動揺、信念――おまえは正しい。だがここで死ね。ブラックボクサーにぶちまけられるのは絶望と苦痛だけであり、栄光でも救済でもなんでもない。馬鹿げた夢に踊らされたガキが、どこまで逃げようとおまえのために輝く太陽などない。
 シンは殺意で染まった。
 それが隙だったというのなら、フィフティの方がシンより一枚上手だったということだろう。
 ブラックボクサーはグローブホルダーを両腰に吊っている。銀色のリングに千切り易い軽量金属で束ねられた白と黒の手袋。それに脳の中の拳を転写して己の武器とする。
 ハンド、パイロ、エレキ、エアロ、シフト、そしてアイスの六つの異能。どれでも簡単にシヴを殺せた。どれでも簡単にフィフティを超えれた。だが、シンの右手は腰のホルダーに掛かったグローブを掴み取れなかった。
 ――凍結している。
 フィフティが「待て」とでも命令するかのごとく、薄く透明な氷の壁の奥から、掌をシンに向けていた。決然とした表情で。死を浴びてでも外敵を排除しようとする獣の冷たい表情で。アイスキネシスはブラックボクサーの周囲を真円に防御する氷の器。シンは舌打ちする。そんな飛び道具みたいな使い方、俺は教えていない――認めざるを得なかった。フィフティは強かった。
 ――西部劇の射撃主のように。
 フィフティの右手がグローブホルダーからブラックライト・ハンドを抜き取り、充填(マウント)した。薄っぺらな布切れでしかなかった手袋に隆々とした筋肉や骨格を思わせる膨らみが現れる。その甲には金色の抜字で『27』と書いてあった。仲間を皆殺しにするために消費した26のグローブたちの末弟が、フィフティの足元まで滑り落ち、そこからすくいあげるように、川魚を捕獲して飛び去るツバメのように綺麗な線を描いてシンの左胸を狙った。シンはそれを見た。凍結しているくだらない氷を叩き割って自分のハンドを充填する時はシンには残されていない。
 黒き死のフック・パンチが迫る。
 直撃すれば重傷では済まない。鉄筋建築でさえ破壊する拳の幻影。まともに触れれば骨ごと殴爆される。だがもう避けきれない。だからシンは――
 シンは――




               ――そのフックを、右掌で受け止めた。



 骨が砕ける音がする。視界が無意味な色になる。 
 過集中。誰かが怯えている。誰だ? シンか? それともシヴか? 解らない、解るのは、今この瞬間に、フィフティのハンドはシンの手(ハンド)の中にある。掴んでいる。感じている。解っている。この手の中にすべてがある。シンの命も、死も。フィフティのハンド? 違う。
 ――――俺の拳だ。
 ハンドキネシスにハンドキネシスを叩き込む。二人の奇跡が火花を散らせる。プリズムのような七色の光が洞窟を照らし出した。シヴの怯えた表情、フィフティの驚愕の相貌、そしてシンの己が死にも気づかぬ本気の眼光――
 拳は2つの脳を許さない。
 爆発するほどの精神感応を充満させられたグローブが一筋の亀裂を生み、淡い音を立てて弾けた。その瞬間、フィフティの脳は視覚から送られてきたその情報から、それを“手”と認識するのをやめた。それはあまりにも割れた風船に過ぎなかった。フィフティはすぐに新しいグローブに手を伸ばした。まだ状況は改悪されていない。依然としてシンはグローブを一つも持っておらず、そして今のフィフティのブラックライトを掴み取るという暴挙で、右手の指は五本ともぐちゃぐちゃの方向に折れ曲がっていた。衝撃を喰らってたたらを踏んでいるかつての先輩にフィフティはほんのわずかな同情を覚えた。一緒に笑った過去を感じた。殺さずに済んだ未来を想った。
 それが甘さでしかなかった。
 この近距離戦ではハンドを制した者が命を掴む。だからフィフティは最後まで拘泥するべきだった。自分自身が創り上げた拳に。
 シンは使い物にならなくなった自分の右などとうに見捨てて、左で弾けた黒の27番を追いかけた。飛び去ろうとする黒鳥に縋った。確かにそれはもう手には見えない、だがそんなもの、見方次第でどうにでもなる。たとえばこんなふうに。
 岩壁に、左掌ごと破れた手袋を押し当てた。解れた傷跡が圧縮され、解らなくなる。感じなくなる。掴めなくなる。
 脳が騙される。
 充填(マウント)。
 二人の異能が炸裂したあの七色の閃光から、フィフティは眼を覆い、シンは眼を見開いた。その一瞬がすべてを分けた。シンは弾けた手袋の傷が掌に当たる部分だと気づいた。そして思った。
 拳で握れば隠せる。
 軌道は決めている。シンの顎ギリギリを掠めるようにアングルを調整されたフックの到達地点はあの氷壁。そこに全身全霊の一撃を叩き込む。シンにはフィフティと違って護るべきものなどない。ゆえにこの密空でサンダーボルト・ライトを撃ち込むことに躊躇いなどない。せめて二人仲良くまとめて肉塊にしてやる。だがふと、本当に自分が願っているのはそれなのだろうかと、そんな惰弱が脳裏をよぎった。勝利の美酒はすぐに回る。よぎった時には遅いのだ。





 衝撃。





 ぱらぱらと。
 アイスの破片(ピース)が、フィフティの足元に散らばる。悪霊の血のように。ちゃらりちゃらりと。きらきらと。
 乗っ取ったシンの黒の27番は、フィフティの氷壁を叩き、ながらも、そこで停止していた。その手首から、一振りの刃が覗いていた。フィフティは息を止めて、自分が黒の27番をダガーナイフで刺殺した現実を認識しようとしていた。
 ほんの一瞬だった。
 シンを掠めるようにして奔った黒の拳の軌道が読めた気がした。それがいよいよ膨れ上がったステージ9の見せた幻だったのか、それとも孤独な神の導きか。フィフティは生まれて初めて、後者の選択肢を信じた。本気で信じた。
 氷の盾が思い出したように一勢に砕け散った瞬間、フィフティはZの軌閃で今度こそ完膚なきまでに黒の27番を殺した。それはもはや手袋でさえなかった。ただの布切れ、奇跡の死骸だ。ウェイトがわりに持たせたのかシンのハンドガンがグローブの残骸と一緒に足元に落ちていくのをフィフティは視外に感じた。
 少年兵は唇を引き結び、そして壁際に背中を貼り付けて震えているシヴの顔を見やり、決意を新たに腰のホルダーに手を伸ばした。今度こそ決着をつけてやる。シン、おまえが僕の敵だというのなら――そしてフィフティは見た。ゆっくりと拳銃を握り締める腕のない手が、眼前に生首のようにゆらゆらと揺れていた。あっ、と声を上げる隙もなかった。彼は最期に見た。
 少女のあかぎれした雪国育ちの手。苦労ばかりしてきたかわいそうな手。
 そんな彼女の手から外した、




 ――――――――毛皮の、手袋。









                   シンが撃った。









 銃声が鳴り響き、暴力の直線を宿らせた弾丸が正確にフィフティの喉を撃ち抜いた。こひゅ、と破壊された喉から血と呼気(それは暖気で白かった)が溢れ、フィフティは何かを掴もうとするかのように右手を伸ばしたが、空を切り、そしてそのままシヴの手袋に充填されたシンの殺意による射撃をさらに3発、眉間と左目と頬に浴びた。溶けた氷で滑ったブーツが舞い上がり、そのままフィフティは洞窟に倒れ伏した。
 もう動かなかった。
「――――え」
 シヴの呆けたような声。シンはそれを虚ろな目で眺める。
 なあ、フィフティ。
 おまえ本当に楽園なんてあると思ったのか?
 そんなものは俺達にはない。どこまでいっても戦いだけだ。おまえたちを守ってくれる優しい世界なんてどこにもない。
「ないんだよ……」
 シンはフィフティの死体を見下ろした。あとはこれを八つ裂きにすればいい。シヴの前で。
 両手から白と黒の手袋を歯で噛み外す。薄皮一枚先にあるスペアを脱ぐ暇さえなかった。オリジナルの拳にハンドキネシスは叩き込めない。
 ふとフィフティの右足に視線が絡まった。靴が脱げた爪先には、淡い桜色の靴下が、解れた跡を適当な黒糸で縫い合わされていた。そうか、と思う。彼女は世話焼きだったんだな。
 シンはシヴの目の前で、フィフティの右足をねじ切った。
 瞬間、水が沸騰したような悲鳴がシヴの口から漏れたが、それだけだった。この吹雪と共に現れた黒衣の死神に、もし何か言葉をかければ、今度は自分が殺されると理解していたのだろう。凍りついた岸壁にもたれかかり、少女がずるずるとその場にへたり込んだのが見えた。シンが充填した白の1番は、そんな少女など気にも留めずにフィフティの右足を放り投げ、黒の1番と共に他の部位の解体にのめり込んでいった。それを指揮しているはずのシンの表情だけが、拳の饗宴とは裏にして静かだった。解体ショーが続き、やがてシヴの、やめて、やめてよ、という嗚咽を耳にしても、シンはそれをやめなかった。いよいよフィフティの首を人形のようにへし折ったところで、シヴのひときわ高い悲鳴が洞窟に鳴り響いた。耳を塞いでしゃがみこみ、震えているシヴにシンは言った。
「楽園なんてない。どこまで逃げても、おまえは追われる」
 シヴはいやいやと赤子のように首を振って目を瞑っている。か細くすすり上げられる泣き声はシンのどんな感情も呼び起こさなかった。腕を掴み、耳を塞いでいた手を奪う。
「あいつは、おまえに逃げてもいいと言ったかもしれない。だがそんなものはまやかしだ。おまえが生きようとすれば、誰かが死ぬんだ。誰かが生き延びようとするから、おまえが殺されるんだ……」
「やめて……」
 シンは言われた通りに囁きをやめてやった。そして身を離し、じっと震える少女を見つめた。この少女を殺せば任務完了。死神の仕事は続いていく。そしてシンはフィフティの死骸だったものを振り返った。
 シンに似顔絵を描いてくれた気弱で優しい弟分。大したものだった。結局、フィフティは死ぬまでシヴを守り切った。だからこうして彼女はここで泣いている。生きているから泣いている。死ねばそれもできなくなる。束の間の夢。黒の1番が、フィフティの私物から漁ったアイスピースの山をちゃらちゃらと弄びながら、シンの決断を待っていた。
 シンは少女の胸元に、一欠片の氷菓を放り投げた。
「あっ……」
 少女は滑り落ちかけたそれをなんとか捕まえた。それには血と泥をブレンドしたような、穢れた赤の液体が封印されていた。
「行け」
「……え?」
「行くんだ。死にたくなければ、それを使ってでも生き延びろ」
 シヴは凍結したように動かなかった。シンは続ける。
「あいつはおまえに逃げろと言ったかもしれないが、俺は『戦え』と言ってやる。どこまで逃げたって出口もゴールもありはしない。……逃げ続けることこそが本当の苦しみなんだ。だから、行け。行けよ」
 だが、シヴは立ち上がらなかった。
 そして、
 ――もう、怯えてもいない。
 小さな、大人になり始めのあかぎれだらけの手で、放り投げられたアイスピースを握り締めながら、その眼には決意の萌芽が宿り始めていた。
 アイスピースを使って生き延びる。確かに今のシヴにはそれが可能だった。
 今ここでフィフティの復讐を果たすチャンスが、少女の手の中で握り締められていた。
「――――」
 シンはそれを知りながら、何も言わなかった。その昏い眼には、少女の表情だけが反射していた。激昂、憎悪、後悔、――そして何より、『生きたい』という願望が、呼吸する葉の揺らぎのように少女の相貌を彷徨っていた。
 そして少女の眼が、フィフティの死骸を捉える。透明な視線だった。
 少女の瞳に決意が満ちた。
 ――やる気だ。
 そうシンが覚悟した瞬間、シヴはまだわずかに燃えていた焚き火の灰殻を蹴飛ばしてシンの視界を奪った。咄嗟に腕で顔を庇ったシンだったが、最後の一撃は来なかった。
 顔を拭って、眼を開けるとそこにはもう、シヴの姿はなかった。
 吹雪の気配が、足音なんて聞かせてはくれなかった。
「戦えと言ったのに」
 シンはちらっと背後を振り返ってから、ふっと自嘲気味に笑った。
「だがこれで、逃げられないのは俺の方だな」
 足元に転がっていた、薄皮一枚で繋がっているフィフティの首を黒の1番で引き千切り、ほかの残骸のそばに転がした。すでに徹底的に引き裂かれたフィフティの亡骸は山と化している。オイルのように流れ出る粘度の高いESP中毒者の血液が、太古の滝の小さなジオラマのように流れている。ちゃらちゃらとアイスピースを蓄えている黒の1番から、シンはアイスピースを左手で一つ摘んだ。それとフィフティの死体を交互に見る。どうしても必要だった。奇跡を起こすには、フィフティの死体と、シンの死体と、
 彼女の死体が。
 シヴに殺されるわけにはいかなかった。『死なない男』の最後の仕事が、残っている。
 シンはアイスピースを口に含んだ。噛み砕く。たったひとりの死体の山を前にして、左手をかざす。
 2つ目のアイスピースを口に含んだ。わずかに顎に力を込め、噛み砕く。舌先に流れ出る劇薬。巨人の鎚に殴打されたような衝撃。よろめくが、まだ足りない。3つ目。七色の光幻が視界を染める。シンはフィフティの生首を見下ろした。フィフティ、おまえは奇跡を起こそうとしていた。死に際の奇跡、ステージ10のブラックボックスで現実を書き換えようとしていた。命と引き換えでもあの子を守りたかったんだろ? ならその願いを、俺が代わりに叶えてやる。おまえは俺という災厄からあの子を守り抜いた。そのせいで、俺の脳髄はステージ9に進行した。もう生きてこの氷の大地から帰ることはできない。命の使い方を決める日が来た――おまえのおかげで。
 口の中が微温いと思ったら吐血していた。そのまま垂れ流しにしておく。最期の過集中をフィフティの死体に注ぎ込む――肉片どもが生き返ろうとしているかのように蠕動している。シンはフィフティの首を見つめながら、心の中にあの気高い少女の面影を呼び起こしていた。脳を騙すんだ――シンは呟く――脳を――どっちだってよかったんだ。フィフティを逃がそうが、シヴを選ぼうが。俺はどっちだってよかった。皆殺しにして任務を完了させてしまっても、二人とも逃してしまっても。どうあがいても俺達は死ぬ。フィフティを生かしてもよかった。俺はあいつに似顔絵を描いてもらったことがある。俺がこの世に産まれてきて、死と戦闘以外に残せた数少ない物のひとつが、あいつが俺に描いてくれた絵だった。そんなあいつをどうして殺せる? そんなのおかしい――俺はフィフティを殺していない。殺したのは、シヴの方だ。任務はターゲットの抹殺。裏切者の生死なんて大した問題じゃない、特にステージ2で足踏みしていた未熟な少年兵の命なんてどうだっていい。だから俺はフィフティを逃し、それからシヴを殺して、本部から生存している可能性を破棄させるために徹底的に少女の死骸を破壊したのだ。そう、だから、いま俺の足元にシヴの生首が転がっていたって何も不思議じゃない。おかしなことは何もない。俺はシヴを殺したんだ。
 なあ、大佐?
 あんたが俺を信用していたように、俺もあんたを信用していた。
 大佐。あんたは俺を理解していた。二人を生かして逃がすような男じゃないと。その読みは当たっていたよ、だがあんたが本当に心から理解すべきだったのは、死ぬ目前に高鳴るこの胸のざわめきだ。命の使い道を決めなきゃいけなくなった瞬間の感情を、あんたは理解していなかった。だからあんたは俺を信じたまま、フィフティの死体と、シヴの死体と、そして俺の死体を発見して、その死地にどれほど違和感を覚えようが、不審な点が転がっていようが、そこで思考を停止するだろう。あんたにとっては俺は死を賭してまで誰かを助けたりしないキャラクターというわけだ。信用してくれてありがとう、大佐。俺もあんたの無能さを、実の父親のように敬愛していた。ミッション完了。これが俺の最期の任務だ。結末は俺が書き換える。現実ごと、真実ごと、――何もかも、思うがままに。
 8つ目のアイスピースを噛み砕いたところで、シンは膝から崩れ落ちた。すでに視界は鮮血に染まり、拭っても拭っても赤が終わらなかった。顔を上げると、シヴの生首と、そしてところどころ男で、ところどころ女のミンチの山があった。ちょうど半分くらいの。
 左手をかざす。追従して動いたハンドが黒なのか白なのか、もう赤に染まってわからない。シンはそれに最期の火弾を宿らせる。ほどよく手加減――洞窟の中で身を庇いながら放ったようなパイロを装いながら、シンはミンチの山を爆炎で吹き飛ばした。
 ――そして、
 ぱさり、と。
 グローブが地面に落ちる。身体が流れる。シンの身体がどさっと倒れ込む。呼吸がもうない。心臓も止まる。瞼の裏に映る最期の光景だけがやけにクリアだった。白銀の世界をシヴが走っている。見捨ててしまった悔しさと、死なれた憎しみの綯い交ぜになった絶叫が、シンの死んだ鼓膜にどこか心地よく響いた。
 あの真夏の夜のスラムで――あの女、枕木涼虎はシンに尋ねた。「なにを望む?」と。シンは答える。
 俺は奇跡が欲しかった。
 何もかも捻じ曲げてしまいたかった。






 ――それを目で追うだけでも、構わない。




       

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Neetsha