Neetel Inside ニートノベル
表紙

コメディ短編集
じゃんがりあんよーこ!(コメディ・連打バトル)

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 ―――20× × 年。アメリカ合衆国。ニューヨーク州。

 東京ドームより数倍は広いかと思われる会場で、『それ』は行われていた。
「うぃんなぁぁぁぁぁーーーーー!!!!! ヨーコ!!」
 審判の声がマイクを通して会場中に響き渡った。一瞬の空白の後、周囲のざわめきが怒号となって会場に響き渡った。
『準決勝 勝者 じゃんがりあん ようこ』
 会場の上部から吊り下げられている超大型モニターに表示された文字を見て、チップをかけた多くのものはうなだれてしまった。無理もあるまい。他の参加者は全て体重100kgは超えようかという頑強な男達である。ヨーコのような女の子がここまで勝ち抜いて来ることなど、この場にいる誰一人として予測できなかったのだ。
プロレスのようなリングの上、対角線上に設置された二つの『球体』の入口から二人が出てくる。敗者の男は汗だくになっているのに対し、もう片方から出てきた茶髪でラフな格好をした少女、ヨーコは汗一つかいていなかった。そしてつまらなそうな顔で前髪を整えてからひと言、
「たいした事ないのね。家でカップラーメン作ってるよりも簡単だったわ」
 司会者と解説者も興奮し、思わず熱が入る。
「ななななぬぁんんとぉぉぉぉ準決勝を勝ち抜いたのはぁぁぁぁ!! 初参加のヨーコ・ジャンガリアンだあああああ!! 偉大なチャンプに挑む挑戦者はッ! あまりにもか弱いッ! 一人のおにゃのこだああああぁぁぁッッ!! 身長ちっこいバストそこそこウェストほっそりお尻グッド顔すごいかわいいッッッ!! あ、司会は引き続き私ピーポサンがお送りします!どうですか、解説のトラマニャさん」
「え~~~。いいもん持ってますよヨーコは。睫毛が長いのもいいですね。性格がちょっときついのもいいですね。今までノーチェックだったのが惜しまれます。ただ、視力がいいのが唯一の欠点ですかね。眼鏡があれば~さらに良かった。まあ我々一同『彼女に叱って欲しい』と素直に思えるのは稀有な才能としか言いようがないでしょう。おっと! 今後ろの手で目立たないようにスカートの位置を調整しましたね。これは一瞬たりとも見逃せませんね」
「バカじゃないのアンタたち!? くだらない事しか言ってないわ! 全然解説になってないわっ!!」
 ヨーコが指差して叫んでも、解説者達の耳に届く事はない。
 それもそのはず、彼らは自分の妄想に忙しくてしょうがないのである。
 阿呆なのである。

 ステージが暗くなったかと思うと、会場の選手入り口の方にスポットライトが当てられた。
 ―――そこには、濃密な空気をまとった一人の戦士がいた。2mはあろうかという巨体。野生的なドレッドヘアー。盛り上がった、しかし無駄のない筋肉。薄汚れたジーパン。それらは日々の凄まじいまでの鍛錬を思わせ、見るものを圧倒させる。司会のピーポサンが叫ぶ。
「チャンプの入場ですッッッ!!! ああゥッ!! あれほどシャツを着ろと忠告したのにやはりまた上半身裸だぁッッッ!! ありませンッッッ! 品がありませンッッッ! どうですか、解説のトラマニャさん!!」
「え~~~。というか前にインタビューしたんですがチャンプはシャツを持っていないそーです。本人いわく~『強いから必要ない』だそ~です。子供は風の子と言う事でしょうか~?ちょっと頭が悪そうな所がじ~つ~に頼もしいですねー。『球体』のシートを掃除する人の事を全然考えてない。まるで駄々っ子のようなこの男は強いですよ。ヨーコは少しでも対抗する事ができるんでしょうか~~~ッッッ!?」

 リングに向かって歩み寄るチャンプと、堂々とバトルフィールドの中心でそれを待つヨーコ。小柄と大柄。男と女。30代と10代。
 何もかもが対極的な二人が並び立ち、相手を真正面から見据える。頭2個分ほどの身長差があるが、ヨーコは特にそれに臆した様子もない。
「ほう……よーくここまで来たなでーす。ニパーでーす」
「アンタもね」
 にやりと笑ってヨーコも返す。
「いや俺はチャンプだから最後まで戦わなくていいんですよでーす」
「え?」
 デイビッドが少し嫌そうな顔をする。
「あんた参加者のくせにルール把握してなかったんですかでーす。チャンプは一番偉いから最後まで戦わないんで―す」
「つかアンタ誰?」
 ヨーコが不思議そうな顔で言う。
「だからチャンプだよッッッ!! 何で全然人の話聞いてないんですか!!ほら、ラスボスだよ!! それっぽい感じするでしょ!? 最強って事だよ!……でーす!!」
「ああ分かったわ。ラスボスね。最初からそういいなさいよ」
「ふー。200カロリー消費したでーす……」
「チャンプって面じゃないわね。『ファイナルファイト』の雑魚っぽい」
「うるせぇよ!!……でーす!! 何にも知らないようだから教えて上げまーす。わたしの名前は」
「審判、『球体』に入っていい?」
「いいから最後まで言わせろよチクショウでーす。ゲームはみんなでやるもんでーす。これはネトゲでもファミコンでもねぇんですよでーす。『りある・ありてぃ』でーす。家にこもって一人で勝手にスタートボタン押してオープニング飛ばした気分になってんじゃねぇよでーす。わたしの名前は『デイビッド・ゴハン・シュトラウス1世』でーす」
「ふざけた名前で頭に来たわ。しかも名前にご飯が入ってるせいでおなか減ってきちゃったじゃない」
「これを食べるでーす。ただでさえ体重差がありすぎるのにさらにハンデをつけてはカワイソ、カワイソでーす」
 デイビッドはパツンパツンのズボンのポケットに手を入れてごそごそとしたかと思うと、何かを取り出した。
 ―――魚肉ソーセージである。栄養価が非常に高い食品として名が知れている。
「きったないわね。どこから取り出したのよ。あとアンタがそんな口癖使っても腹立つだけだわ」
「ここに来る最中に道路に落ちてたから拾いましたでーす。大丈夫食べられますよでーす」
 デイビッドは魚肉ソーセージの上にくっついたよくわかんねぇ留め金を親指でビシィッと弾き飛ばすと、そのままむしゃむしゃと食いだした。
「ああうめぇ。ぐっど」
「ええ!? アンタ何で道端に落っこちてたもん食わせようとするのよ!!思わず呆然としちゃったわよ! っていうか人に勧めといて何自分で食ってるの!? いや別に全然欲しくないけど意味わかんない!!!」
 魚肉ソーセージを食い終わると、ヨーコを見下ろしてデイビッドは高らかに笑った。
「げらげら。分かりましたか? これがチャンプの強さでーす」
「……そう。少しは骨がありそうじゃない。魚肉ソーセージ」
「魚肉ソーセージじゃなくてデイビッドでーす。まあ何言っても無駄みたいだからもういいでーす」
 チャンプは満足そうにすると、球体の中に入った。ヨーコも続いて向かい合う別の球体に入る。

 リングに存在する、鈍い光沢を放つ銀色の球体。―――通称『りある・りありてぃ』。大型モニターには、オッズの他に、初めて見物をしに来た人の為のルール説明が掲載されている。
『説明しよう! 『りある・りありてぃ』とは、ある一人の天才が作った、量子力学的理論に基づいた重力変換装置の事である!
見かけは独特なぬめりがある特殊な金属球直径約2500mm!
カメラの三脚のように3点でしっかりと固定されているその球体の中には、コックピットが設置されている!
元々は宇宙飛行士の訓練用に用いられてきたもの、あるいは宇宙から飛来した物体をそのまま利用したと様々な噂があるッッッ!!
特殊なシステムにより可能重力変換指数は、最大で地球の1/6。月の表面の重力にまで変換可能ッッッ!!
球体の中で故意にトランス状態に入った生物は、自己意識を内的に分散させる事により体中の様々な種類の分子結合を振動させる事ができるッッ!!
その身体の異常なまでの発熱量全てを人差し指のみに移し、人知を超えた異常速度で目の前に設置された『某ボタン』を連射できるのだッッッ!!
人生においてまったく何の役にも立たないこのゲームがいつから開始されたのかッッ!
どうして生まれたのかッ!
詳しく知るものは誰もいないッ!
だがこのりあるありてぃ、発見されてから利用方法が分かると直ぐに人々を熱狂の渦に巻き込んでしまったのであるッッッ!!
難しいルールなどそこには存在しない。
あるのはただ連射して相手を叩き潰すという『原始的本能』のみッッ!!
そう!!
人間は本能に飢えているッッ!!』

 観客達が決勝戦に沸き立つ。
「「sit!!(デイビッドお願い!! やっちまえ!! ヨーコさんお願いしますいい加減負けてくださいよ!)」
「「sit!!(ちくしょう!! くすぐらせてください! 困った顔してください!! 笑ってくださいよ!!!)」」
「「gande-mu!!(こいつ、動くぞ!?)」」
 様々な野次が飛び交っている。それもそのはず、ここはアメリカ合衆国非公式の『りある・りありてぃ』賭場。賭けの他に、敗者に対しての罰ゲームも行われているのである。ルールは毎年くじで決められる。今年のルールは、『敗者は観客によるくすぐり地獄の刑』というものであった。負けるヤツ負けるヤツ全員マッチョな男達だったのでいい加減みんな嫌だったのである。ヨーコが勝ち抜いてしまったせいで、すっからかんになった人も多いが、帰らずにその場に残ってヨーコが負けるのだけをひたすら待ち続けている。
 ―――まさに阿呆の集団である。全員の魂の叫びがデイビッドの応援に集中する。
「「デイビッド!! デイビッド!! デイビッド!! デイビッド!! 勝って脱がしてくすぐって!」」
 リング上で、やたらと気合の入った審判が叫ぶ。
「Are You Ready!?(てめぇら準備はいいかクソッタレ!!)」
 球体の中から反響音を含んだ不透明な返事が聞こえる。
「鮎がどうしたのよ。知らないわよそんな事」
「わたしももーまんたいでーす。観客みんなの魂の声を感じまーす。生意気な女の子は必ず泣かせた後に笑わせながら泣かせて最後は笑顔でーす。大丈夫、お前達の感じてる感情は精神的疾患の一種じゃないでーす。単なる本能でーす。俺に任せろでーす」
 観客達はますます盛り上がる。
「「うおおおおおおおおおおおお!! デイビッド!! デイビッド!! デイビッド!!」
 審判はフラッグを上げると同時に気の抜ける笛を鳴らした。
「ぴょりりりりりりぃっ!!(はじめぇッッ)」
 制限時間は、60秒、1本勝負。『球体』の中で全生命エネルギーを全て連打行動に向ける二人。戦いの火蓋が切って落とされた。

 数秒で、観客が静まり返る。
 ―――差は明白だった。わずかな時間で圧倒的な連打差をつけたのは……チャンプではなくヨーコだった。モニターの数値の差に一同は一瞬呆けたようにしている。

 開始から5秒時点。表示された値は、
『じゃんがりあんようこ 27万2546回
           VS
デイビッド・ゴハン・シュトラウス1世 12万387回』。

 『球体』内にも、前方にブラウン管のモニタは設置されている。体育座りをして連打に集中していたデイビッドは、現在連打回数を見て戦慄した。
「……ッッッ!? オウ、ノウッッ(懊悩ッッッ)」
 ―――じゃんがりあんようこは、只者ではない。
 そう判断したデイビッドは、即座に自らの連打方式を切り替える。
 『垂直人差し指落下方式』から『並行人差し指振動方式』に。
 『並行人差し指振動方式』とは、人差し指の腹を使わずに、親指で人差し指の安定を図りつつ、爪の先で擦り付けるようにして某ボタンを振動させ連射数を稼ぐ荒技である。上下の振動では往復ごとに1回しか某ボタンは押せないが、指先を並行に移動させることにより一往復で2回の回数を稼ぐことが可能なのであるッッッ! ……しかしこの技は『りある・りありてぃ』の正式ルールでは禁止されている。何故なら並行に人差し指を振動させることにより、自らの人差指を傷つけると同時に、某ボタンをヘコませてぶっ壊してしまうという諸刃の技だからである。
 しかしデイビッドは、賭場場でのチャンプ。チャンプとは……誰よりも強いからチャンプなのである。負ける事など許されない。見る見るうちに二人の連打回数が均衡していく。

「「うおおおおおおおお!! デイビッド! デイビッド! デイビッド!デイビッド!」」
 観客の歓声が会場内に響きわたる。

 10秒経過時点において、モニターの数値は
『じゃんがりあんようこ 53万1853回
           VS
 デイビッド・ゴハン・シュトラウス1世 54万81回』。

 ヨーコと互いの『球体』越しに、デイビッドの方から響く某ボタンの異音に気づく。金属と爪が猛スピードで擦れるような、通常ではありえないような『下品なガチャガチャ音』である。ヨーコは直ぐに思い当たる。
「(アイツ、並行人差し指振動方式に変えたわね。反則じゃない!審判は何やってるのよっ!!)
審判!? 反則じゃないの!?」
 球体の中にあるマイク越しに、審判に手短に叫ぶ。
「ノーノー脳みそ。日本語わかんねぇ」
 球体の外側で審判は首を振る。それもそのはず。審判もヨーコをくすぐるのを心待ちにしているのだ。というか、審判はくすぐる権利はないのだけどすっかりそんな事は忘れているのである。そのくらい阿呆なのである。球体の内側にいるヨーコは舌打ちする。
「(バカじゃないの!? 何が脳みそよ! アンタそれ日本語じゃないの!!)
くッッ!!」
 反則もカウントされなければ意味がない。ここには最低限のルールはあるとは言え、あくまでも戦場なのだ。ヨーコもさらに意識を指先のみに向け、某ボタンを連打する。超スピードで上下にピストン運動を続ける指は、まるで某レオパルドンの燃え盛る突進力の如き輝きを見せている。

 さらに5秒経過。15秒経過時点においてモニターの数値は
『じゃんがりあんようこ 80万6832回
           VS
 デイビッド・ゴハン・シュトラウス1世 97万2457回』。

 観客の盛り上がり具合も絶好調である。
「「うおおおおおお!! デイビッド! デイビッド! じゃんがりあ  ん!! くすぐりたい!!」」
 急に言葉が変わってもみんなの気持ちは一心同体。一同揃ってウェーブなんかしちゃったりしている。パフォーマンスも怠らない漢達なのである。
「そろそろとどめでーす!!」
 デイビッドは力をためて、開脚前転をする直前のようにぐぐっと身体を縮めた。うす気味の悪い光景である。
「わたしの美しい曲線美を食らうがいいでーす!! 『外サイクロイド曲 線』ッッッ!!」
 ―――外サイクロイド曲線とはッ!
 デイビッド・ゴハン・シュトラウス1世が最近滝にうたれた修行により編み出した必殺技である!! 10本の手の指、10本の足の指。計20本の全ての指を使い、某ボタンに沿って花マルを作るように連打をするのだ! ちなみに某ボタンの半径をrc、20本の指が作る動円の半径をrm、回転角をθとした場合の媒介変数表示は
 x=(rc+rm)cosθ-rmcos((rc+rm/rm)θ),y=(rc+rm)sinθ-rmsin((rc+rm/rm)θ)となる!!
 デイビッドの指20本が作る動円の半径は5rm=rc!!
 連打速度は『垂直人差し指落下方式』の20倍!!
 その奇妙すぎる姿ゆえ、連打している所は誰にも見せることはできない!!
 形容する事すら許されない! まさに狂気の花マルであるッッッ!!
 ヨーコの背すじに冷や汗が伝う。
「(足の指まで使うなんてきたないわ! っつか、物理的な意味でもきたないわ!! その後使う人かわいそうじゃない!?)
審判っ!? 反則じゃないの!?」
「蟻の一生ってみじけえなあ……」
 思い切りモニターにはデイビッドが足の指まで使っている事が晒されているにも関わらず、審判は悠久の時を待つことが出来ずに幼児退行を起こしてしまった。彼にとって30秒はあまりにも長すぎたのだ……。
「(バカじゃないの!? 何で蟻の巣いじくってるのよ!! 意味わかんない!! 全然審判でも何でもないじゃないっ!! ただの阿呆じゃない!)
くっ!!」
 審判も役に立たなければ意味がない。ここには最低限のルールすらもうないのだ。ヨーコもさらに意識を指先のみに向け、某ボタンを連打する。ヨーコのような可愛らしい女の子が超スピードで頑張って連打をしている姿は何だか見ていて微笑ましい光景といえるかもしれない。だが、数字は残酷である。外サイクロイド曲線を放ったチャンプに追いつく事は至難の業だ。

 20秒経過時点においてモニターの数値は
『じゃんがりあんようこ 107万3573回
           VS
 デイビッド・ゴハン・シュトラウス1世 370万8924回』。

「「デイビッド!! デイビッド!! デイビッド!!」」
「強いぃぃいっぃいっっッ!! 圧倒的に強いぞチャンプッッッ!!! やはり上半身裸は伊達じゃなかったッッ!! このままヨーコを畳み込んでくれるのか!! 我々にあのつきたてのおもちみたいなやーらかそうな身体をふにふにしちゃったりするチャンスは訪れるんでしょうかッッッ!? どうですか、解説のトラマニャさん!!」
「ええ。必ず~やってくれますよ、チャンプは。何せ女の子と戦う事なんて初めてですからね。トーナメント予選にヨーコが組み込まれているのを見て張り切り過ぎて滝に打たれて訳の分からん必殺技まで開発してきたとか嬉しそうに話してましたからね。おっとこれは口止めされていました」
『球体』の中で窮屈そうな体勢を取り、両手両足で連打を続けながらデイビッドは言い返す。
「トラマニャ、てめぇ余計なこと言ってんじゃねぇでーす!! 何でお前は漢同士の約束を直ぐに破るんですかでーす!!」
 トラマニャは特に気にした様子もなく、
「さー言い返す余裕があるくらいですからチャンプの余力も十分。稼いだ連打回数は約270万回。このアドバンテージは大きいですよーーー。どう するのかヨーコ。ん? どうしたんでしょう」
 モニターの半分を使用してでかでかと表示された連打回数表示の隣に、『球体』内の二人の様子はモニターされている。
 ヨーコは目を閉じて、連打をやめてしまっている。
「お~~っとぉっ!! 一体何をやっているんだヨーコはーーー!!」
「ax^2+bx+c……」
「何と、ヨーコがブツブツつぶやいているのは二次方程式だッ!! 連打とまったく関係ないぞぉぉぉッ!? 何をしようというのかッッッ!! どういう事なんでしょう、解説のとらまにゃさん!!」
「分かりません!! 二次方程式だけにここまで着た甲斐なしということか~!?」
 思わずヨーコががくっとなる。
「何でアンタ達ってそんなギャグセンスないの!? っていうか突っ込んだせいで集中力が落ちちゃったじゃない! いくわよ! 『じゃんがりあん超加速記憶すっ飛ばしサイクロトロンα!!』」
 ヨーコの指の速度が少しずつ速くなっていく。
 加速しているのだ。2倍、3倍、4倍。
 そう!
 じゃんがりあん記憶すっ飛ばしサイクロトロンαとはッッッ!
 極限まで集中する事により脳のシナプスを自覚的に操り、ヨーコの代謝を数倍に上げる必殺技であるッッッ!
 但しその代償としてヨーコの記憶、先週1週間分が飛んでしまう諸刃の剣なのだッッッ!

 25秒経過時点においてモニターの数値は
『じゃんがりあんようこ 430万7486回
           VS
 デイビッド・ゴハン・シュトラウス1世 640万1359回』。

「これは分からなくなってきたーーーー!! どうですか解説のトラマニャさん!」
 興奮して司会のピーポサンが叫ぶ。急に真剣な顔になったトラマニャが応える。
「ええ。訳の分からない原理はともかく、ヨーコが本気になったという事だけは間違いありませんね。代謝が急激に良くなるという事はですよ~~~ッッッ! これはもう目が離せませんッッッ! いいですか皆さんッッッ!ヨーコに注目していてくださいッッッ」
「おぉーっとこれは気になる発言だーーーーッッッ! どういう事なんでしょう! 我々はとにかくヨーコにしか興味……、くすぐり……? はだける……? ごくり。いや、注目するだけですッッッ!」
 皆が注目する中で超大型モニターに表示されたヨーコがだらだらと汗をかきはじめた。半そでのYシャツに見る見るうちに染みていく。
「これはッッッ……!!」
 ピーポサンがはっとして隣を見ると、トラマニャがにやりと笑った。
「ええ、そうです。うっすらと見えるでしょう?」
「ッッッ!! ……透けブラだーーーーーーーッッッ!! 代謝が良くなる事により汗をかきはじめたヨーコのシャツからブラが透けているぞーーー ッッッ!!
畜生ッ! どうして眼鏡をかけていないんでしょう彼女はッッッ!!!  一生の不覚です!」
「「うおーーーーーーっ!」」
「「すーけぶら! すーけぶら!」」
 会場もカルシウムの炎色反応のように燃え上がり、熱狂は天井知らずにつき上がって行く。記念に携帯カメラで写真を撮っている男達も見受けられる。全員が己の弱さと戦うことすらなく、本能のままに生きていた。

(……ったく!!)
 ヨーコは文句を言おうと思ったが、その余裕もない。
 一方の球体に入っているデイビッドも、両手両足に魂を込めて全力連打である。
(負けるわけにはいかないでーす!!)
 デイビッドの脳裏に走馬灯のように家族の映像が走ってくる。
「お兄ちゃん」
「あにぃ」
「おにいたま」
「お兄様」
「兄上様」
「にいさま」
「アニキ」
「兄くん」
「兄様」
「兄君さま」
「兄チャマ」
「兄や」
(妹達よ……ッッッ!)
 それはかつて貧困街でも有名な荒くれ者だったデイビッド・ゴハン・シュトラウス1世に光を与えてくれた12人の妹。
(そう! あれから! あれからは、全てが変わっていったんでーす!!)
 それは妄想と現実の交錯。自分の呪われた過去を粉々に打ち砕いてくれたもう一つの物語。
 ビキビキ……
 デイビッドの全身の筋肉が軋みとなって球体の中に響き渡る。狭苦しい球体の中で、猛る。
「しゃーーーす! ぷるうううぁぁぁあああああァッッ!(運命に打ち勝つッ)」
「負けないわッッ! このじゃんがりあん魂(すぴりっつ)にかけても!」
 双方が激しい連打を続けるうちに、三脚でがっしりと固定されたはずの二つの球体が特殊な光を放ち、光沢が薄赤色を帯び始める。
「これは……!!」
 解説者が思わずつぶやく。それに応えるトラマニャ。
「ええ。所謂『共振』ですね。二人の常軌を逸した高速連打により、『球体』自体が熱を持ち始め、振動している。私もこの領域は久しぶりに見ました」

 振動は徐々に大きくなり、二つの球体は三脚の上で音を立てて高波に翻弄される船のように激しく揺れていく。堰を切ったかのように、二つの球体は三脚の支点外すと、そのままごろんと転がりだした。
 そしてそのまま引き合うようにして、リング中央で激しく衝突する。
「なんとぉ! 半分も時間を残した時点でッッ! 球体が衝突してしまったァァァァッッ!」
 球体の内部の二人も悲鳴をあげる。
「うおーーーーーーーーーーーっ!」
「うぎゃっ! あいた!」
 回転した球体の内部で激しくもみくちゃにされた二人は、更に球体の入口が開いてしまい二人が外に投げ出されてしまった。
 そしてそのままロープに叩きつけられる二人。
 同時に蟻を観察していた審判の背筋に電撃が走る!
(やッべ!! そういやさっき安全点検するの忘れてた! 整備の野郎も昨日結構飲んでたからなあ……ひょっとして責任問題? やだそんなの絶対やだ!)
 そして叫んだ。
「有効……ッッ! 続行……ッッ! ルールは審判……! 審判が決めるから!」
「なんと言う勝手な審判! なんと言う危険な遊戯ッッッ! なんと言う危険なスポーツ ッッッ! 皆さんッ! これが『りあるありてぃ』です!!これが本当のかの有名な万人の万人による闘争状態! リバイアサンが吼えるッッッ! 我が国ではいつ訴訟を起こされてもおかしくないッッッ! だがそれがいい! ちょっと詩人だった俺! どうですか解説のトラマニャさん!」
「全然詩人じゃねーよ! 知識も間違ってるっていうかお前興奮しすぎ。落ち着け!」

 30秒経過時点においてモニターの数値は
『じゃんがりあんようこ 850万11回
           VS
 デイビッド・ゴハン・シュトラウス1世 920万885回』。

 残り時間が半分を切った。
 投げ出された二人は気がついて、リング中央で衝突してくっ付いてしまっている各々の球体に駆け寄る。しかし、出入り口が丁度二つの内側に位置してしまい、片方の入り口を開ければもう片方の入り口が開けない状態である。
 ぎゅうぎゅうと少女と半裸の大男がおしくらまんじゅう状態になる。
「どきなさいよ!」
「どくのはソッチでーす!」
「アンタどっちみちその図体じゃこの隙間には入れないわよ!」
「入口をブチ壊せば入れるでーす!! ん!? クンクン。なんかいい匂い するでーす。シャンプー?」
「キモッッッ! 死ねえッ!」
「~~~~~~~~ッッッッ!!!」
「決まったッッ!! ヨーコの鮮やかな金的~~~ッッッ!!!」
 球体の隙間で呻くデイビッド。
「じんばんんううううう!! 反則じゃないんですかでーす! 明らかに死ねとか言ったよこの子!」
「うるさいわね。死んだ方が良いと思ったからそう言ったの。てか倒れても邪魔ね。ほら、かかってきなさいよ」
 デイビッドを見下し、挑発するヨーコ。
「何もおかしくないわよ。吹っ飛んだのは偶然。でもどっちかしか入れないんだから、ここでアンタをぶっ飛ばすのは必然。残りの時間で球体に戻って私だけ連打すればいい。そうでしょッ! 阿呆審判ッ!」
 ヨーコが振り向いて叫ぶ。審判は首をかしげながら、
「多分……?」
 デイビッドも悶えながら叫ぶ。
「おかしいだろでーす! 本来連打するゲームでいきなり金的とか! このおにゃのこは 即失格にするべきでーす!」
「そうかな?」
「審判の自信がないぞぉーーーーーー!! どうして彼は審判なんだーー ー!? 彼に存在価値はあるんでしょうかッ! 解説のトラマニャさん!」
「ないだろ。コネで就職したらしいし」
「審判はコネ就職だーーーーーー!!」
「うぜーな! コネだって実力があればいいじゃん! 社会に尽くせばいいじゃん! 恵まれた環境に元々生まれついて、それを利用して何がわりーんだよ! 誰だってそうするって!」
「キレる若者だーーーー!! あると思っているーーーーー!! 彼は自分に審判としての資質があると思っているぞーーーーー!! どうですか、解説のトラマニャさん!」
「どうですかって……ピーポサン、お前も真面目に司会しろよ」
 でいびっどがゆらりと起き上がり、両手を広く持ち上げるような構えを取る。
 対するヨーコは三戦(サンチン)の構えを取った。
「ぬううううう! 負ける訳にはいかねえんでーす! 小娘は引っ込んでろでーす! 必殺大人ハンド!」
「ッ!?」
 ヨーコに勢い良く襲い掛かろうと、猛突進する見えたデイビッドだったが、大振りにがしっと掴んだのは、ヨーコの肢体ではなく自らが先ほどまで入っていた球体だった。
「うおおおおおおおおおお!!」
 重さ1tはあろうかという球体を、勢いよく持ち上げる。
「どんなにどうしようもなくっても……!! 何があっても……!! おにゃのこは傷つけたくねーでーーーーーーーーーす! ウラァッ!」
 大きな音を立てて巨大な球体を自らの脇に放り投げるデイビッド。勢い良く球体がリングにめり込む。

 一同驚愕……ッ!!
「「……うおおおおおーーーー!! いいよいいよーーー!! しーーんーーしーー!しーーんーーしーー! デイビッド! デイビッド! デイビッド!」」
「紳士だーーーー!! 紳士コールがかかりました!! デイビッド、見た目は莫迦でも 中身は紳士だったーーーー!! これで二人は再び球体の中に入れるようになりましたーーーー!!」
「観客の皆さーん。いいですかー? おにゃのこは愛でるものなんでーす!大の大人がおにゃのこを傷つけるなんて事は、世界に何があっても許される事ではありませーん! あーゆー桶狭間!?」
「「ひゃっはーーーーーーーーー! 我理解! 賛成ッ! 女の子! 愛恋!」」
 胸を張って観客に応えるパフォーマンスも十分だ。
 ヨーコは確保できた入口に素早くすぽりと入りこむが、閉める直前に顔だけを出して、
「つか……それで負けても、言い訳しないでよね」
 ちょっと困ったような顔をして言った。
 こちらも入り込む最中であるデイビッドが、不敵に笑う。
「大丈夫。私には12人の妹達がいます。彼女達を感じている限り、必ず勝利し、王者の栄光を持ち帰るでーす!」
「12人? 多くね? まあいいけど」
「さあーーーーー!! 二人とも! 話している時間などないぞ! 残り時間、10秒を切っている!!」
 再び球体内に入った二人がトランスモードに入り、数値を確認する。

 残り5秒強。モニターの数値は、
『じゃんがりあんようこ 850万11回
           VS
 デイビッド・ゴハン・シュトラウス1世 920万885回』。

 その差、約70万回。
「(ちょっとギリギリかしら……? 5秒の差だと60万回しか詰められな いわ)
え?」
「12人の魂よ! 我に集え! でーす! 召還ッ! 妹十二式憑依術(シスタートランスッ!)」
「出た!脳内で展開した擬似宇宙により、純粋に宇宙と一体化するというデイビッドの絶技ッ!! これが発動してからの彼の実力は皆さんも知っている通り圧倒的です! まさにアストロノゥッッ! 彼はさながら未来を見定める宇宙飛行士なのかッッ!?」
「いや! それはかなり言い過ぎだと思うがな! 単に興奮してるだけじゃないの? はっはっは」

 ―――ヨーコは思わず舌打ちした。
(あの半裸、またやってくれた!)

 デイビッドが球体内で小さく呟く。
「……勿論、おにゃのこには手を出さない、手を出さないとはいいましたでーす。だが、泣かせるのはありでーす。何故なら、泣かせてから笑わせるからでーす。真剣勝負で道具使っちゃいけないなんて、『私のファン』は誰も言ってませーん。誰にも分かりませーん。『私のファン』には、何も見えませーん」
 デイビッドの球体のボタンの下の壁面が外され回路が直接晒されている。その基盤に直接取り付けられているのは、とあるコントローラー状の物体。
 ―――通称、連射パッド。
 デイビッドがNASAに依頼し特注で作らせた、宇宙空間でも一秒50万回の連打回数を誇る極上のパッドである。
「ここからのデイビッドは安定して強いですよ~~。どうですか、解説のトラマニャさん」
「ふは。結局の所、チャンプが負けるわけないしな! 俺のおかげだぞ俺 の」
 ヨーコが少し驚く。そして無言になる。
(……結局全員グルって訳ね……)
「おっと! 諦めてしまったのかヨーコは! うつむいてしまったぞーーーーー!!」
「あーあ。デイビッドは女泣かせなやつだよ全く」

 ―――今回も余裕でしたでーす。アトラクションを盛り上げるのにも一苦労でーす。
にやりとするデイビッド。残りは5秒弱程度。連射パッドに追いつける人間等存在するはずがないからすっかり気分は伊豆の温泉状態である。
「このまま残り5秒眠っちまうかでーす。全く長い5秒でーす。ははは」
 その時、聞き逃すほどの小さい音量でヨーコの方から通信が入っている事に気づいた。
「……」
「え?聞き取れないでーす」
「デイビッド。アンタは12人の妹達を信じてるって言うけど、本当にそれは現実なの」
「!? な、何を言ってるんですかでーす。現実……。現実に決まってるでーす」
「まあいいわ。信じるものって人それぞれよね。アンタが信じているもの は、その妹達なんでしょ」
「そうでーす」
「……私って見た目より、少しだけ怒りっぽいの」
「っていうか、見た目通り短気に見えるでーす」
「うるさいわね。とにかくアンタ達、たった1分で随分と色々やってくれたじゃない。一言お礼を言っておこうと思ってね」
「……!? あまりの点差にねじが飛んだかでーす」
「ふふ。女の子ってね、人より少しだけ複雑に出来てるの。私今、物凄く怒ってるけど、嬉しいのよ」
「……」
「そして悲しい。だってアンタは『りある・ありてぃ』を、信じていない事がはっきり分かったから。アンタじゃ、私に勝てないから!」
「ほざくのも程々にするでーす」
「アンタはどうしてこの競技を始めたの?」
「どうして?」
 ―――地獄のような貧民街。咽返るような吐瀉物と、そこいらに死体が転がる日常。忘れたくても忘れられない、魂に刻まれた過去。
 デイビッドはここに来て初めて真剣な顔をして呟く。
「ヨーコ。日本から来た少女よ。人には触れちゃいけない領域ってモンがあるんでーす。金の為に決まってるでーす。鍛え上げたこの腕で、観客を喜ばせて、満足させる。その報酬を受け取る。これはそういう商売なんでーす。あんたは十分強いけど、アウェイでは絶対に勝てない。諦めてくすぐりの刑を受けて日本にお帰りお帰りでーす」
「ふふ。アンタは一流のエンターテイナーって訳ね。そういうのも、いいと思うの」
「何が言いたいんですかでーす」
「……あのね。私はね、ゲームをやりたくてやってるんじゃない。やらされてるの。やらざるを得ない。アンタみたいに『りある・ありてぃ』の中に入って、人と夢を見たいんじゃない。『りある・ありてぃ』が織り成す宇宙に憧れているんじゃない。……私自身が宇宙なの」
「訳わかんねーでーす。ハッ! 第二次性徴期ですかでーす! 大丈夫でーす。あんたの感じている感情は正常な感情でーす。大人になる前の一時的な不安感に過ぎないのでーす」
「ま、いいわ。別に分かり合いたい訳じゃないから。とりあえずアンタに勝つ。それだけよ。もう色々な感情がぐちゃぐちゃに混ざって、もうどうしようもないの。この気持ち、ぶつけさせてもらうわ」
 そして、デイビッドの通信機には何も聞こえなくなった。

 デイビッドは今まで及びもしなかった事を、ふと考える。何故この少女はわざわざこの国に来たのだろうか。
 ―――金の為?わざわざこの国へ? あの年で? 一人で?
 それでもなお、連射パッドを押しこむ指は絶対緩めない。それは、この国でチャンプである為に必要な事。元より地獄を生き抜いてきたデイビッドにとって、日本から来た少女にかける情など、ある筈がなかった。

 一方で、ヨーコは目を閉じて耳を済ませていた。
 聞こえるのはゆったりとした琴の音。
 黒く光るのは慣性力を奪われた光子。
 白く光るのは放射線状に揃えられた光の三原色。
「使うわ。宇宙の力。自然の力! ゲームの神様!!」
 精神を集中と同時に分散。内的世界と外的世界のリンク。
 指先に全ての想いを託し、自我を崩壊させて光の速さに持ち込むのだ。
「いくわよーーー! じゃんがりあん魂(スピリッツ)!!」
 自分の全存在をかけて、少女が叫んだ。

 異変は直ぐに起きた。モニターが急にブレ始めたのだ。
「おおーーーっと! どうした事でしょう」
「……液晶の応答速度がついていけなくなったんだ。だが、これは……」
 解説のトラマニャが思案する。
「「うおおおおおっ! ……連打数値の桁が……!?」」
 観客がざわめく。モニターの画面が動かなくなったのだ。
 トラマニャが身を乗り出して叫ぶ。
「故障ですか……?」
「やはりこれはッ!? まさか打ち勝つというのかッ!? 人間が連射パッ ドに打ち勝つというのか!?」
「ど、どういう事です! 解説をお願いしますトラマニャさん!」
「うッせぇ! 素人は黙ってろ! カルマ! おい、カルマいるか!」
 携帯を取り出して誰かに急いで連絡するトラマニャだった。

 ―――それからの勝負は一瞬だった。
 ヨーコの球体から情報が何も伝わってこないのは、あまりにも早いから。
 光速に近い連打回数をこなすヨーコの指先があまりに早い為音が伝わってこないのだ。
 それに気づいたデイビッドは、装置の前のヨーコの数値を見て驚愕する。
「1千万……2千万……3千万……!? 何だとお!? まだ上がって行 く! でーす」
「ふふ。こんなもんじゃないわよ」
 通信機から少しだけ聞こえる。
「そんな莫迦な!? ありえないでーす! どんな摩訶不思議だよッ! 4千万、5千万 を越えた!? この私が、この私は……!? 負ける!? 負けるのかでーす!?」
「私には明確に聞こえるの。『ほしのおと』! 悩んだけど、結局誰だっていいじゃない ! 私、ただのにんげんだもの! そしてしんじている!!『りある・りありてぃ』をだれよりもしんじている! 『りある・りありてぃ』とは『げんじつ(りある)のありてい(ありてい)』! 連綿と続く自然の世界の事! 本能に従わない、『にんげん』だけが見えない本当の現実の事よッ!!」
「最後まで意味わかんねーしチクショオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ! でーす!」
 連射パッドを投げ出して連打するデイビッド。最後の最後に彼が信じたのは鍛え上げた己の肉体だった。
「それでいいのよ! 道具なんか使ってんじゃないわよ! 結局は全て自分次第!」
「黙れ黙れ黙れでーす! チャンプは絶対に負けないからチャンプなのでーす!」


 ぴょりりりりりりりりりッッ!
 審判のだらしのない笛の音がした。
 阿呆審判が気ままに吹いたのではない。正式な試合終了の笛だ。
 二人が球体の中から出てくる。
「……」
「……」
 消耗しきったのか、それともまた別の理由か。二人とも無言だった。
「決着。決着ですが……」
 司会のピーポサンが独り言のように言ったが、観客も静まりかえったままだ。何しろ、超速度の連打により焼け付いたモニターは、25秒時点から固まったまま何も表示されていなかったからだ。

 会場の扉が開くと、何物かがトラマニャの方へ向かっていった。
 後ろで髪をしばった、綺麗な女性だ。
「速報入りましたーーーー!!」
 とは言っても、トラマニャに近い方の入口でも数百メートル以上あるので、結構長い距離だった。数分程したのち、漸くトラマニャの元にたどり着く。
「ぜえぜえ……」
「おせえよッ! 速報なのに5分以上かかってるじゃねえかッッ!」
 トラマニャが叫ぶ。
「そんなぁ! 十分急ぎましたよー!」
「何で電話しねぇんだよ!」
「ああっ!? 駆け出してきちゃいました! 私っていつもこうなんです。気が利かないって言うか……」
 てへっとか言って可愛いらしい仕草をした。
「今この瞬間が一番気が利いてねぇよ! スゲェ腹立つ! いいから速報出せや!」
「はひー」
 トラマニャが紙切れを奪い取る。
「……何だと。本当にいるのか。こんな化け物が」
 呆れた様にして、ピーポサンに紙切れを渡す。
「………………!?」
 ピーポサンは一息深呼吸をして、一気に叫んだ。


「完ッ全ッ決ッ着ァァァァーーーーーーーーーーく!! なんとおぉぉぉぉぉぉ!! 勝利したのは極東の島国の少女! ヨーコ・ジャンガリアンだああああああああ!! いやはやどうして、この少女とてつもなく圧倒的だぁあああああああああああ!!! 結果はヨーコ約1億3千万VSデイビッド約2千万! 圧倒的! 圧倒的過ぎるうううううううう!! 圧倒的! 圧倒的です!」
 再び呆れたようにしてトラマニャが呟いた。
「ピーポサン、お前も語彙力ねえなあ……それで良く司会者になれたな」
「ええ。実は父がこの大会の運営会社の専務でして」
「てめーもコネじゃねーかぁぁぁ!!」


 リングの上で体育座りをしてうなだれるデイビッド。
「まあ、結構楽しかったわ」
 ぽん、とデイビッドの肩に手を置いてやるヨーコ。
「俺はどうして負けたんですかでーす」
「教えてあげる。簡単な事よ。……アンタは私よりも『りある・りありてぃ』を信じていなかった。それだけよ」
「何言ってんですかでーす。わたしの力が足りなかっただけでーす」
「まあそれも事実だけど。あとシャツ着なさい。ぶっちゃけ見苦しいわよ」
「ヨーコさん……」
「それと空想の妹なんか信じてないで、現実を生きなさい」
「ゴパァッ! げげげげげ現実だって。ダヨ! でーす!」
「ならいいけど」
「ヨーコさん」
 しんみりした様子で、デイビッドはGパンに手をかけた。
「ちょっ……!? はぁ!? 莫迦じゃないの!? 服着ろってアドバイスしたのに何で脱いでるの!? 頭大丈夫!?」
「勝者への礼儀でーす」
 至極真面目な顔をして言う。
「無礼極まりないけど!」
「チャンピオンベルトではなく、王者のGパンなのでーす。賞金は全てGパンのシックさやレトロさに注がれているのでーす」
「何それ!? 全然いらないわ!! 欲しくない! いつ洗ったのそれ!?」
「大丈夫。かつて私が元チャンプから受け取った時に、既に十分色落ちして、古品としての美術的な価値がありまーす」
「いや洗いなさいよ! そんなもん近づけるなあああ! うああッッ!」

 結局無理やり持たされたGパンにヨーコは嫌そうな顔をする。
「こんなもの持ち帰らなきゃいけないのね……災難だわ。まあ帰る。今日は楽しかったわ皆。バイ」
 静まり返ったままのリングを降りるヨーコ。
 同じく帰ろうとしたデイビッドの前に、審判が立ちふさがる。
「何? 通せよでーす」
 両腕を広げてデイビッドを通せんぼしているのだ。そして一言言った。
「忘れもの」

 それを見たピーポサンが不思議そうに言う。
「おや? 阿呆審判が? これは一体どうしたことでしょう」
「まあ、我々は覚悟しなければならないって事ですよ」
「は? 何をです?」
「だから……何であんたらすぐにそう忘れるんだ。くすぐりの刑ですよ。 我々は彼をくすぐらなければならない」
 トラマニャがだるそうに言う。
「ヒッッ!?」

 ―――そして日本語の文字通り『パンツ一丁』になったデイビッドは連れて行かれた。 会場の人々のウェーブに乗せられて、終わりなくどこまでも運ばれて行くのだ。寄せては返す、さざなみのように。
「うおおおおおおおおおおお! はひゃほうううううッ! ひッぐるぅぅううううう!? あぎっ! 痛ェェッ! 今誰かつねったでしょ! 何!? これが愛!? 愛の形なのォ!?」
「「………………………………」」
 会場全体にデイビッドの笑い泣きの声がこだました。
 辺り一面、観客も既に眼が死んでいる。
 お葬式のような、暗い雰囲気が陰鬱な漂ったまま、デイビッドは夜中まで揺られ続けるのだ。

「やれやれ。これが本当の地獄ってヤツね」
 一言言い残して、ヨーコは会場を去っていった。


 翌日、ヨーコは既に飛行機で雲の上を移動中。また別の国に向かい、様々な制約で行われる『りある・ありてぃ』に勝ち続けなければならないからだ。それが彼女の目的でもあるし、存在意義だからである。
 窓の外を眺めて、一人呟く。
「アメリカか。何だか良く分からない所だったけど、意外と楽しかったわね」
「それは何よりでーす」
 振り向いたヨーコの隣の席に座っていたのは、デイビッドその人である。
「!? えええ!? あああアンタなんでついて来てるの!? 飛び立つ前は違う人だったのに!」
「ちょっと頼んだら代わってくれましたでーす」
「脅迫でしょそれ!?」
「いいから。ヨーコさーん。聞いてくださーい」
「……何よ。あのGパンなら捨てたわよ」
「えええええええええええええええええええ!?」
「当たり前でしょ。で?」
「私も、あんたと同じ景色を見てみたくなったんでーす。……私は感じたんでーす。あんたに空想の妹以上の可能性を。今までとは異なった新しい景色を見せてくれるんじゃないかって、そう思ったんでーす」
「……あっそ。勝手にすれば」
「ありがとありがとでーす。ところで実はチャンプをやめたので、飛行機代で全部すっからかんなんでーす。どうしたらいいと思うですかでーす」
「死ねばいいんじゃない?」
「ええっ!? 辛辣ゥッ!!」


 そうして、ヨーコの一人旅は二人旅になった。
 飛行機は次の国に向かって飛んでいく。

       

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