Neetel Inside 文芸新都
表紙

電装少女の恋と空。
【5】intermission

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【Time_Re_CODE】四月十日、午前六時三十分
【Place_CODE】伊播磨市・中央区・集合住宅街15階

 日曜日。祝日。
 まっくらな視界の向こう側。窓の外から聞こえてくる小鳥の囀りが耳に届き、いつもの時刻であることを理解した。
「……ん」
 蒼月沙夜は目覚まし時計を使わない。使わずとも、きっかりこの時刻に目が覚める。ただ、今日はできればもう少し、眠っていたかった。
「……んー……」
 一度、開いた瞼を閉ざしかける。
 寝具の上で漏らした吐息は、まだいくらも睡眠を求めていた。

 *

 四日前。『学園』が『鋼の鳥』に襲われた日。
 伊播磨市に現れるバグの数が急増した。それとは別に『学園』へ、報道関係者が押し寄せていた。

『一体どうなってるんですかー? 莫大な資金を注ぎ込んで、数多くの権利を主張しているにも関わらず、外部からこのような被害を受けて、上層部はどのような責任を取られるおつもりですかー?』

 彼らは声高に問いかけた。
 現実側の『学園』で発生した改竄行為(ハッキング)により、最新の絶対論理防壁【untithesis_CODE.attacking】を施している拠点が、ハッカーに操作されていた(であろうと推測される)異端【bug_CODE】の襲撃を受けたとはいえ、相手はたったの一体。
 ハッカーは無事に撃退いたしました、ご安心ください。という宣言よりも、被害が出ちゃいました。という方向性に話題を持っていくほうが、話題を作る側は「美味しかった」わけで。
 とりわけ、倭国外に本社を持つ「統合企業」の長たちもまた「イッタイ、ドウオトシマエツケテクレルンデスカネー? シャッチョサァン?」とばかりに追求の嵐。
 『学園』関係者は記者会見を開き、現状と今後の状況改善を並び立てて説明。
 特に急務としたのは、主要電糸構造【Main_CODE】の復旧だった。
 十数年も昔の構造体【CODE】に上書きされてしまった文脈(.text)を、急ぎ最新版に書き換え再発を防止する。でなくば電装少女たちが扱う「魔法【spell_CODE】」の詠唱に、多大な時間を要してしまう。
 しかしそこへ、まるで狙ったかの様に、バグが急増したわけである。
 『学園』はこれ以上の信頼性を損なわぬよう、学園の中でも成績優秀な、合計六名の『ランカー』と呼ばれるプレイヤー達に対応を命じた。
 「全日制」のランカーが三名、「定時制」のランカーが三名。「準ランカー」と呼ばれるプレイヤー達を率いて出動シフトを組みあげ、教師陣の補佐の下、二十四時間体制で「第一種・警戒態勢」にあたった。その間、通常の授業は休みとなったが、代わりにバグと命のやりとりをする「実施試験」が、丸三日に近い時間行われた。
 
 ――と、そんなことがあって。
 沙夜はこの三日の間に、あらゆる下層倭国【World_CODE.(Another)】の蒼穹を翔んだ。
 バグと対峙すれば、それがハッカーに操作されているか否かを確かめることもなく、確実に『結晶』へと還元させた。
 そして昨日、学園の主要電糸構造【Main_CODE】の更新【update】が終わり、魔法【spell_CODE】の力を取り戻した。襲撃の頻度もひとまず落ちついてきたらしく、昨日の深夜、自宅に帰る許可が降りたのだった。
「ふあ……」
 沙夜は、彼女のオペレーターと共に家に帰った。二人でシャワーを浴びて、すぐにベッドに入って眠った。にゃんにゃんする元気は残念ながら無かった。なので、
「……みーちゃん……」
 電糸素子のなか、緊急の依頼要請がないことを確かめた後。沙夜は寝返りを打って、自分専用の抱き枕を求めた。しかし手がかりは見つからず、変わりに扉の向こうから、断続する小さな音を捉える。
「あれ、珍しい。もう起きてるんだ」
 一人呟いてから、沙夜は裸体を持ちあげた。昨晩にまどろみながら抱きあった心地は、どこかへと消えている。
「……」
 まぶたを開く。けれど沙夜の瞳には、カーテンの隙間からこぼれる光は宿らない。
「――生体用微細流動電糸機構【cybernetics nano appri_CODE.】……」
 起動【ON】と言いかけ、閉ざす。
 なにも見えないまま。そろりと上体を持ちあげた。静かにベッドから両足を下ろした。そして小さく二歩進み、壁際へ。常の場所にかけてあるはずの衣類に手を伸ばすと、抱き枕とは違って、ちゃんとそこに掛かっていた。

 服に袖を通した後は、ひや、とした感触を八歩続けた。手を伸ばした先には正確にドアノブが存在し、左に回せば開く。
 人の気配。焼いてない食パン、果物、駄菓子、それと紙パックに入った珈琲牛乳の香り。
「ん、起きたのか」
 だいぶ疲れているらしい声。
 目が見えずとも感じる、ヒトの感覚器による情報。
「うん、おはよう、みーちゃん」
 続けて、電糸知覚が明瞭に与えてくる構造体。八メートル先の机に、自分と同じ電装少女【ID:Misono_Mirei】が座っている。彼女は情報素糸窓【windows】を複数紡ぎ上げており、並列的に情報【news】を検索している。自己作業領域を更新【update】している。
「腹減ったから、メシ先に食ったから」
「なにしてたの?」
 あえて応えず近づいた。眼を開いている時よりも、あるいはよほど鮮明に視える。
「沙耶、生体アプリ起動してないのか?」
「余計なものが視えないぶん、みーちゃんの事、強く感じることができるから」
 言って、隣の椅子を引いて座った。視線は瑞麗の方を向いたまま、ただ微笑んだ。相手の一挙一動を見逃さぬ。
 ――浮気調査の構え。くんくん。
「みーちゃん、日曜日にこんなに早く起きて。なにしてたんですか~?」
「……なに突っかかって来てんだよ。別に、怪しいファイルとか検索してるわけじゃねーぞ」
「そうですか。では例の『鋼の鳥』の情報でも収集してたんですか?」
「んだよ、なんか悪ぃのかよ……ってかなんで分かんだよ……」
 瑞麗がイライラした声で応えた。沙夜は静かに答える。
「四日前の戦闘のこと、まだ気にしてるんでしょう」
 気配が変わる。短く息を飲み込む音。
「赤城さんが危うく消失【LOST】しかけた時、みーちゃん、悲鳴あげてましたよね」
「あ、あげてねぇよ! 泣いてもねぇし!」
「泣いたんですか」
 バンッと、机が勢いよく叩かれた。真正面から苛立ちと焦りが迫る。
「言っとくけどな、あたしは鳴海のことなんざ、これっぽっちも、ぜんっぜん、心配なんざしてねぇからな。か、勘違いすんなよ!」
「はいはい。じゃあなんで、日曜日は基本的に昼過ぎまで寝ている〝駄みーちゃん、かっこクズかっことし〟が、今日に限っては例のハッカーの情報なんて集めてるんでしょうね? みーちゃんこそ、ずっと〝私の〟オペレートしてて、疲れてるはずでしょう?」
「だから単なる興味本位だっつてんだろっ」
「ふーん。じゃあ赤城さんのことなんて、どーでもいいんですね?」
「どーでもいいね」
「赤城さんのことなんて、大嫌い?」
「だ……」
 言いかけるも、続かず消えた。もごもごと中途半端に体裁を入れ替えて。
「決まってんだろ……。大体あいつ、あたしとパートナー解消してから、家に入れてくれないんだぞ……」
「EXEC.気持ちはわかります。赤城さんの」
「んだよ、なにが分かるっていうんだよ」
「これは噂ですが。一年前、諸事情によりすっかりふて腐れたみーちゃんは、赤城さんと大喧嘩した後、勝手に家の通帳を持ちだして無断で散財しましたね?」
「……な」
「しかも二日後、ヤケクソになった感じで酒臭を漂わせながら『帰ったぞぉ~、ダンナ~、メシぃ~!』なんてほざいて玄関を潜りましたね?」
「っ!?」
「そんな事をされたら赤城さんでなくても『二度と我が家の敷居を跨ぐなこのクズがッ!』と怒鳴られたって、仕方ありませんよね?」
 ――さらり、と言ってしまえば。
 正面の苛立ちと焦りは、瞬時に羞恥に変わっていく。きっと、顔を真っ赤にして、背中の方はだらだらと冷や汗が流れているに違いなく。
「なっ、なんっ、なんでっ、それっ、知って!!」
「大体みんな知ってます。当時、その様子を隠し撮りした映像がバカ売れして、今でも学園の【PC】に流出して残ってますし」
「虎子かああぁーーっっ!!!」
 ブチ切れるも、すでに去年のことだった。
「――で、その後は雨に打たれて一人、俯いて路上をとぼとぼ歩いていたところを、私に拾われちゃったわけですね。実は、すぐに傘持って後を追いかけてきた赤城さんに現場を見られてたなんてオチもつくわけですが」
「う、ウソだッ!?」
「はい、これは嘘です」
 さらりと言って。
「あはは。みーちゃんってほんと、頭いいけどバカですよね」
「っ、の!!」
 ただでさえ長くない理性の糸が、ぷっちん、と切れた時。
 両腕が伸びて、正面の細首を掴んでいた。
「絞め殺すつもりなら、どうぞ。みーちゃんになら本望ですよ」
「……」
 光を宿さない両瞳が笑む。
「みーちゃんは、私に〝光〟をくれましたからね」
 反映しない。写らない。
「だから、私はみーちゃんに惹かれるんです。使い捨てでも、都合のいい消耗品でも、なんだって構いませんけれど。せめてこの家に居る間は、どうか、私のことだけ考えてくださいね。私だけの手を取って、腕を絡ませて、私だけに覆われてください」
「……すっげぇおもてぇよ……」
 ものすごく厭そうな声をあげ、両手に込められた力が消える。それから、苛立ったように、相手の椅子を蹴り倒して、身体を自分の方に抱き寄せる。
「なぁ、沙夜」
「なんですか?」
「本当に、お前はあたしの事好きなのか?」
「疑ってるんですか? ――【ON】」
 生体素糸が起動する。瑞麗がきつく抱きしめた腕のなか、暗黒色に彩られた表情の中に、ぱちりと、透き通る瞳が瑞麗を写した。
「みーちゃん、もし、私が貴女のことを嫌いなら」
「嫌いなら?」
「家賃、要求しますので」
「え?」
「あと、光熱費ですかね。今月から、回収はじめてもいいんですよ?」
「…………」
 
 間。

「……ムリデス(-x-;)」
「ですよねー(^-^)。みーちゃんは親から支援も切られた癖に、働かない、無一文で、ヒモで、クズな女ですもんねー(^-^)」
「そこまで言うなよぉっ!!」
「えっ、事実でしょ? 違うんですか? えぇ~?」
「ぐ……そりゃ、まぁ……クソババァにカード止められたから、手持ちは、ねーけど……」
「はいはい。みーちゃんはほんと、ダメですねぇ」
 沙夜はするりと、瑞麗の頬を両手で囲んだ。
「だったら、そういう時、どうすればいいんでしたっけ?」
「……代払い」
「正解です」
 やわらかな視線。瞳を閉ざす。たっぷり重たいため息が続いた後に、二人の熱が交わった。

     

 ――【SHOW-> text.data_Garden_dormitory】――

 電装少女たちは二十歳になると、没入【Dive】能力を失い、コネクタも機能しなくなる。必然、卒業と相成り、その後の人生も大きく二つに分かれる。
 成人した後も『学園』に残り、教職や、ゆりかごの整備技師、新しい電糸世界の構文作成等の専属職に赴くか、外部に出て一般職に就くか。
 現在、発展の一途をほこる伊播磨市の『学園』側としてはもちろん、前者の道を示してくれた方がよいわけだ。そこで成人式を迎え「一般人」となった彼女らのため、立場や身分を考慮した場所を用意した。
 故に『学園寮』は、三つの種類に分かれている。

 ――「独身寮」
 これは言葉の通り。まだパートナーのいない、新米の電装少女たちがそれぞれの個室を持ち、運命のお相手が見つかるまで、生活を営む場所だ。
 中にはすっかり、一人暮らしが板についてしまった「おひとりさま」が居られたり、諸事情があってこの寮に戻ってくる女子もいる。
 とはいえ、コネクタを失った二十歳以上は、例外なく寮を追い出されてしまう運命だ。そのため、成人を間近に迎えた電装少女の中には、毎年必死に「ねぇねぇ! お姉さんと結婚して赤ちゃん作ろう!!」と、所構わず声をかけてくる変質者も現れはじめるので、要注意だ。

 ――「姉妹寮」
 これは正式な「パートナー」と認められた二人の電装少女に用意された部屋であり、一室辺りの面積は独身寮よりもずっと広い。
 しかしこの部屋もどちらかが二十歳になると追い出されてしまうので、子供ができるまでの間、雄型と雌型の二人組みは〝頑張る〟。
 補足をすると壁が分厚いので、イロイロできる。

 ――「既婚者寮」
 これは電装少女が女児を産んだ後に移る「家」だ。両親である二人の年齢が二十歳を超えても、唯一に滞在許可が許される。
 ただしここに移るには、両親のどちらかが『学園』でなんらかの職種に付いていることが必須である。

 *

【Time_Re_CODE】四月十日、午前九時。
【Place_CODE】伊播磨市・中央区学園・「姉妹寮」。

 フィノとエリスの二人は「姉妹寮」で生活している。十五歳と十二歳の時、欧羅国からの転入生としてやってきて以来、ずっとここで暮らしていた。

 朝の九時。
 居間の流しに立つのは「エリス、倭国の文化だぁいすき」な少女だった。今日の気分は巫女さんらしく、巫女服を着て炊事場に立つも、それは一般的な巫女装束とはだいぶ異なった。
 少女のやや灰色味を帯びた髪は、赤くて大きなリボンで結い上げられており、上衣の袖は肩口まで。白い袴の部分は二股に分かれ、厚みのあるズボンのような形状をしている。ついでに帯には何故か、意匠をこしらえた小太刀が挿されてあった。
「ふふん、ふん、ふふん、ふん、ふふ~ん♪」
 まっとうな神社にお勤めの巫女さんが見れば、大層お怒りになられるかもしれない。
 そもそも、装束の上に前掛けを重ねるぐらいなら着替えなさい。とか言われるかもしれなかったが。本人はいたって上機嫌なので気にしない。
「本日はぁ~♪ クロサワのぉ~♪ 秘蔵フィルム公開デイ~♪ 一時から~♪ 映画館~♪」
 誰が見ているわけでもないのに、即興の歌をこぼす。そしてぺたぺたと、朝食用のサンドイッチにバターを塗って、頃良い大きさに切った野菜や生ハムをはさんでいく。
 大皿二つに十分乗る数を作り、飲み物は珈琲と、果実の入ったジュースを用意。
「さてと。そろそろ起こしに参りましょうか」
 前掛けを外した巫女さんもどきが行く。廊下を挟んだ先にある、二人の寝室に通ずる扉を開いた。
「お嬢様、起きてくださいませ」
「ん、ん……」
 すでに窓に掛けた布は開いている。
 日光のよく当たる部屋、寝具の上でぐっすり眠るのは少女の義姉だ。すっかり昇った太陽にも遜色のない、きらびやかな金髪。顔立ちの線も細く、とても美しい。
「むぁう~むぁう~」
 しかし奇妙な寝息だけが、とりわけ残念だった。昨日までの過酷な連戦を耐え抜き、ようやく得られた安息を、心ゆくまで楽しもうという気構えだった。
「牛の分際で人様のベッドで惰眠を貪るいい度胸の女ですね」
「むぁう~」
「とっとと起きやがってください。駄牛」
「むぁう~ん……」
「ちょっと悲しそうな寝言出しても、許しませんよ」
 エリスは早速、フィノの上体からベッドシーツをひっぺがす。薄い寝巻のしたに、とても良く目立つ双丘が現れて、
「起きなさいと言っているのです。この牛がっ、この牛がっ」
 ぺしっ、ぺしんっと平手した。主に義姉の乳だけを狙い澄まし、連続で往復にひっぱたくと、牛は「ひぅ~ん」とか鳴いて、いやいやする様に横向きに寝返る。両手足をぎゅっと縮め、無意識に防御の体制に移行。
「むあ~~~う!」
 余は寝るぞ! お昼まで寝続けるのだモー! と主張。
「ホント面倒くさい牛ですね」
 一言告げて、エリスはフィノの背中に両手をおいた。全体重を用いて「よーいしょぉ!」と前に押す。
 枕を抱いた牛を、ごろんと一回転させる。さらにもう一回転「よーいしょぉ!」すると、いい音がして床に落ちた。
「お嬢様、おはようございま、」
「むぁう~、むぁう~」
「まだ寝るんかいっ!!」
 びしっと裏平手【tukkomi】をかまし、続けてけだるげな吐息と一緒に、白い靴下で顔を踏みつけてやった。
 ――睥睨す。
「起きなさいと言っているのです」
「むぁ、う、んっ! むぁあんっ!!?」
「まだ抵抗しますか」
 ゆらぁり。と近づいた。剣呑な雰囲気を醸しつつ、せぇの、と馬乗り。
「最終手段を実行いたします」
 手術【ope】をはじめます。とばかりに両手の指をわしゃわしゃ。十本の指が近づいたのは左の乳。囲み覆って、ぎゅっと力を込めた。
「参ります」
「むぁうん?」
「はあああああぁぁぁぁ……!」
 エリスは大きく息を吸い込んだ。裂帛の気合いを込めた一声は、

「もげろぉおお!!」

 茶巾絞り。
 悲鳴が木霊した。

     

【Time_Re_CODE】四月十日 午前六時五分。
【Place_CODE】伊播磨市・中央区・赤城家。

 『学園』での騒動が起きてから、当日を含めて四日が経った。
 二人が家に帰った時にはすでに日付が変わっており、床につけた時間も長くはなかった。それでも変わらず、鳴海は五時半に目を覚まし、いつもの様に支度をして走りに出た。
 中間点と決めた児童公園。厄介者、あるいは〝元嫁〟の存在は見当たらず。水場で湿らす程度に口をすすいだら、すぐに来た道を引き返した。
 合計六キロ。一分弱の休憩をはさんで、二十分をかけて戻ってくる。
 最後の五十メートル余りで速度を落とした。心拍数を落ちつかせ、呼吸を整える時間に使う。
「……」
 ふと、仰ぎみれば。
 晴れ渡った蒼穹が映る。しかし胸の内は憂鬱だった。
 今日と明日は例の『依頼』の日。いつもの様に異端【bug_CODE】を排除するのではなく、電装少女たちの『学園』、およびこの伊播磨市を案内し、護衛するという内容だ。
「午前十時から、中央駅の北口だったな……」
 表門を通りぬけ、中庭へ。歩きに移る。
 相手は『天帝』と呼ばれる、倭国の頂点に立つ人間の一族だ。倭国民の認識としては「天帝陛下の血を引いておられるだけで、下々の者はお目どおりなど叶わぬ」と言えるほどの存在だった。
 だというのに、相手は一人で来るらしい。従者は花粉症で来れなくなったとのこと。
 明らかに『普通』ではない。空気に劣る牛にも分かるこの依頼を、担当教師は断ろうとしなかった。そうすると、身に覚えのない脅迫をでっちあげるとまで言い切った。
「……まったく、無茶苦茶だ……」
 はぁ。ため息をこぼしてから足を止める。 
 土くれの地面から目を逸らし、息を整え、玄関の格子戸を横に開いた。

 玄関の格子戸を開くと、朝餉の匂いが漂ってきた。食欲を誘う味噌汁の香りと、じゅわあぁ、という音も聞こえてくる。
「卵かな」
 冷蔵庫の中身を想い返し、呟いた。
 三日前に『学園』で待機命令を受けた際、愛花が気にかけたのは「室内で干した洗濯物」と「冷蔵庫に残った食材」だった。
『卵はギリギリ、今週末までなら持ちますね! 牛乳は残念ですが捨てましょう!』とか言うのを聞いたとき、あぁ、私とは別の方向性で図太いのだなこの嫁は。とか想わされた。
「……少なくとも姉の方は、そんなことを気に留める性格ではなかったな」
 くつりと、口元に物寂しげな笑みが浮く。だが、すぐに頭を振って廊下を進んだ。じゅわじゅわ、と油の音が聞こえる部屋に進むと、
「あ、おかえりなさい。鳴海さん」
「ただいま。愛花」
 白い割烹着を身につけた嫁が調理をしていた。鳴海が予想したとおり、片手に菜箸を持ち、四角い卵焼き用の鍋で、ふっくらとした形を作っていく。

 *

 ――【Iharima_garden_news_topics-> ALL.cybernetics_GIRLS_CODE】――
 皆さま、おはようございます。
 四月六日、伊播磨市の『学園』で起きた『鋼の鳥 襲撃事件』ですが、
 本日、学園職員一同と、電装少女の『ランカー』プレイヤーの協力により、
 新たな論理防壁構造が完成。パッチを当て、主要構造体に更新【update -> MAIN_CODE】しました。
 直接的改竄行為を受けた部室棟の修復も、外部企業様のお力添えにより修復しております。
 月曜日からは、通常通りの時間割で授業が再開いたします。
 ――以上。ではなく、追伸がございました。
 
 現在「百合漫画研究部」では、緊急で作業要員を募集しているとのことです。
 旧世界暦の【PC】にて『画像編集道具【illustrate_soft】』が扱える人材を急募しております。
 筆入れをはじめ、画像【CG】の着色ができれば上々【GOOD!】
 背景も書ければさらに上々【BETTER!!】
 あとは、体力と気力と根気と不屈の闘魂が必要不可欠です。
 皆様、振るってご志望ください。――以上。

     

【Time_Re_CODE】四月十日 午前八時五十七分。
【Place_CODE】赤城家・玄関先。

 鳴海は玄関先に立って、携帯端末から『学園』の情報を検索していた。身支度も私服ではなく、赤と紺の色合いをした常の制服を纏っている。
「月曜から通常授業か……」
 コネクタが思案気に揺れた時、ぱたぱたと、玄関を軽く駆けてくる音が聞こえてきた。
「鳴海さん、お待たせしましたっ」
 同じように『学園』の制服を着て愛花がやってくる。靴を履き、格子扉を抜けると、コネクタを玄関先に伸ばしてカチリと嵌めた。
 玄関を閉錠【LOCK】し、すぐに開錠【UNLOCK】。
「どうした?」
「台所の火元っ、ちゃんと消えてるか、もう一度確認してきますっ」

 ――だだだだだ。
「……」
 しばし待つ。帰ってきた。
「鳴海さん、お待たせしましたっ」
「それじゃ行こうか」
「はいっ、玄関の鍵、閉めますね~」
 玄関を閉錠【LOCK】し、すぐに開錠【UNLOCK】
「今度はどうした?」
「二階の窓っ、ちゃんと閉めてきたか、もう一度確認してきますっ」

 ――だだだだだ。
「……」
 しばし待つ。帰ってきた。
「鳴海さん、お待たせしましたっ」
「それじゃ行こうか」
「はいっ、玄関の鍵、閉めま、あっ!?」
「……居間と、トイレと、風呂場を含めた電気系統は既に電源が切れていることを確認済みだ。および、水道関連の漏らしもなし。一階から侵入可能と思わしき窓の鍵も、すべて閉鎖済みを確認。他に気になる要素は?」
「ありませんっ!」
「よし、それじゃ行こうか」
 鳴海は素早く宣言して、さっさと玄関の扉を閉めきった。
 嫁のこういう神経質なところが、鳴海はちょっと、苦手だったりする。

 *

 ――【SHOW-> text.data_the_town_of_Iharima_city(Aria12)】――
 伊播磨市の北側には、他国との窓口になる空港が配備されている。付近には高級な宿泊施設や飲食店も多く、東側に寄れば県境となる高速道路が続いた。そして南にある中央駅と三点で結んだ範囲が、伊播磨市でもっとも人が賑わう場所だった。
 今朝もすでに大勢の人が行き来しているも、店先にはまだ開店の準備をしている場所も多い。それもあと少し待てば、もっと多くの人がやってくるだろう。

 【Time_Re_CODE】四月十日 午前九時十七分。
 【Place_CODE】伊播磨市・中央駅。

 二人は余裕を持って現地についた。
 近場の駐輪場に自転車を預け、それから駅の構内へと向かう。
「来年は、車の免許を取りたいところだ」
 赤信号で止まっている間に鳴海が言うと、隣に立つ愛花も「いいですね」と笑った。
「鳴海さんが免許取ってくれたら、お休みの日の買出し、楽になりそうです」
「あぁ。少しばかり遠出するにも便利だろう。積載量が許せば、大型自動二輪でもいいんだが」
「バイクですか?」
「昔に〝ばあちゃん〟が乗ってたからな。それと内緒だが、実は私も運転できる」
「できるって……でも、無免許ですよね?」
「確かに無免許だが、正確に言うなれば電糸世界での運転だから問題ない」
「あっ、なるほど。訓練用の疑似体験ですか」
「いいや。ランカーの権限を使い、没入深度【Dive_Lev】を実戦と同様に引き上げ、こっそり乗り回してた」
「え」
 愛花が両目を見開く。口をぱくぱく、酸素を継ぎ足す魚の様にして。
「じ、実戦と同様って……下手すると大怪我しちゃいますよっ!?」
「もう慣れた」
「どこが問題ないんですか!?」
「大丈夫だ。死にはしない」
 平然と言いきる。鳴海にしては珍しく、悪戯めいた表情が浮かんでいた。
「あの~……鳴海さんのお婆様って、バイクなんて乗ってましたっけ?」
「私が七つに上がるまでな。腰を悪くして乗る機会は無くなってしまったが、それまでは普通に乗り回してたぞ、あの老骨は」
「へぇ~」
 どこか嬉しげな鳴海を見て、愛花が瞬きし、
「その頃って私が四歳ですよね。ちょうど、鳴海さんと出会った頃です?」
「そうだな。おまえと瑞麗も一回だけ、ウチのばあちゃんの後ろに乗せてもらったの、覚えてないか?」
「後ろって……大型二輪の後ろにですか?」
「もちろんだ」
「えーとぉ……。四歳の子供を乗せるのってどうなんですか」
「ウチの祖母に常識は通用しない」
 平然と言い切った。昔を懐かしむように。うんうん、頷いた。
「現在、私がとっさの時にも冷静さを保っていられるのは、幼い頃、ばあちゃんの後ろに乗ってたからだろう」
「……それ、どーゆー意味、で……」
 なにかを思い出しかけたように。愛花が突然、ブワッと鳥肌を浮かばせる。
「え……あれ、れ……?」
 鳥肌から身を守るように、我が身を両手で覆う。
「石峰の峠は急だったよなぁ」
「はわわわわっ!? 鳴海さんの発言から、生死の分岐点とゆーか、走馬灯の別物版【Arrangement】みたいのが浮き上がってきたんですけど! なにこれなにこれぇっ!?」
 これから夏に向かっていく陽気な春先。この場所のみ、時が逆流する。
「懐かしいな。『速度落とせ』の標識があると。何故か速度を上げたがるんだよな。っていうか上げるんだよな、ばあちゃんは」
「いやその理屈はおかしいですよね鳴海さんっ!?」
「ははは。ウチの祖母に常識は通用しないと何度言わせる気だ?」
 対して鳴海は笑顔を絶やさず、あくまで静かに、悟りきっている。
「ばあちゃんは、迅速かった」
「ひぃっ!?」
 暗転する。愛花の中から過去の一部が復旧した。

 ――【flashback】――
 急勾配の峠道、鋭角に折れた路面、届くのは、思えば明らかに出力違法だった排気音。
 片道は崖、視界が斜めに傾いた。ほぼ減速せぬままに直進突入。正面には人の背中が二つぶん。小さい方から声。
『愛花、もっとしっかりくっつけ。手が離れたら、死ぬぞ?』
「きゃわああああああぁ!!?」
 少女の頭は頑丈な防具で護られているが、四肢を含めた全身は、そのまま普段着だった。
 遊園地の絶叫系と異なり、安全設計など微塵も施されていない。操手がほんの少し力の配分を間違えれば、大惨事。
 つまり死ぬ。とても痛い想いをして、泣き叫びながら死ぬ。かもしれない。
「ひにゃああああああぁ!?」
 全身に当たる風がビシビシ痛い。
「ウチのばあちゃんは。二輪に乗ると性格が豹変するというか、地が出るというか」
「やーめーてーっ!! おーろーしーてー!!?」
 恐怖のあまり、魂が彼方へと吹っ飛んでいく。四歳の少女が、短い自分の走馬灯を垣間見てしばらく、速度はいつのまにか消えていた。
「愛花? おい、どうした、信号が青に変わったぞ」
「わたっ! わたひっ! だいじょぶですよね!?」
「うむ。今見る限り、割と大丈夫じゃないかもな」
「でも五体満足ですよねっ!? 生きてますよねっ!? 崖から落ちてませんよね!? 両足っ、地面と接触してますよねっ!?」
「現実はこっちだぞ。帰ってこい」
 よしよしと頭をなでると、愛花はようやく落ちついた様に、こくんと頷いた。
「だ、大丈夫です。ありがとう、鳴海お姉ちゃん……」
「うん?」
「そうです、私は大丈夫なんですぅ……。あ、あれ? 私のお姉ちゃんは……? 峠の中腹で、私と一緒に〝生きてて良かった!〟って抱き合うお姉ちゃんは何処ですか? 
 あとそんな私たちを見て〝怖かったなら、怖いと想うのをやめればいいんだぞ〟とか平然と無茶ぶりする美人のお姉ちゃんは? それから〝この写真『学園』の連中にいくらで売れるかなーって嘲笑う外道のお姉ちゃんは……?」
「愛花。そろそろ現実に戻って来ないと、また信号変わるぞ」
 頭をもう一度、撫でて。
 それから周りを見回したあと。ぎゅっと抱きしめてみた。
 嫁のこういう神経質なところが、鳴海はちょっと、好きだったりもする。

     

【Time_Re_CODE】四月十日 午前九時三十五分。
【Place_CODE】伊播磨市・中央駅・北口。

 駅の待ち合わせ場所へ訪れた時、ピピピと携帯に応答要請が入った。あて先は『学園』から。
「そっちもか。共有化して応答しよう」
「はい」
 鳴海と愛花は目線を交わし、それぞれ制服の内から長方形の携帯端末を取りだした。
 側面にある電源を入れると、黒い液晶に【Stand_by】の表示が浮かび、少女たちのコネクタに僅かな振動がはしる。

 ――【CONNECION_With_Garden_Place】――
 
【Message:】『学園教師』より電装通信。
       パートナー『01』の共有域より送受信を要請。
       双方からの許可【EXEC】を確認しました。情報素糸窓展開。

 ――【Open_WINDOWS】――
 二人の正面に「ふぉん」と半透明の『窓』が表示された。
「おはよう。突然に連絡を入れてすまないね。今、大丈夫かい?」
「はい、どうぞ」
 凜とした声。窓の向こうに浮かんだのは、教師リーアヒルデによく似た、すらりとした細身の女性。ほんのりと輝く金髪をわけて、尖った耳先が横を向いていた。
「愚妹から、キミたちが要人の案内と警護をする話は聞いている。そのことに関して報告がある」
 眼光はするどく、銀縁の眼鏡と、そもそも色気など微塵もない白衣が、するどさだけを増していた。
「悪いが、愚妹は本日、そちらに赴くことができなくなった」
 右下に表示された『名前』は「ジグムンド=フォン=フラウヒルデ」。リーアヒルデの双子の姉だった。
「キミ達、今どこにいる?」
「中央区の駅前、北口です。理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「あぁ。実はついさっき、学園内で倒れてね。嘔吐もした」
「えぇっ!?」
 愛花が驚愕の声をあげる。鳴海も少し、目を見開いた。
「なにかあったのですかっ!?」
「なに、心配することはない。ただの過労だ。例の騒動のおかげで七十時間ていど、連続で働いたのがきっかけだろう」
「リーア先生、お仕事のしすぎで倒れちゃったんですかっ!?」
「いや、むしろトドメは私が刺したかな」
「……はにゃ?」
 嫁が小首を傾げ、旦那を見つめる。
 同じように「あぁ、ちょっと意味がわからないな」という表情を返すと、相手が補足した。
「いや、なに。ようやく下層領域の構造【CODE】が安定して来たんでね。私たち徹夜組も、ひとまず帰ろうかという話になった時、私の愚妹はあろうことか、

『行かなきゃ! 私は行かなきゃ!
 給料三ヶ月ぶんの指輪と花束も買ったし、後は告白するだけなのよ! 
 もう誰にも私を止められない! 婚期を逃した姉さんの二の舞だけには、ならないッ!』

 などとほざきやがったのでね。私は「妹死すべし」と応え、超姉権限(姉より優れた妹など存在しない)を発動し、仮想・超必殺値【cho-hitu_point】を100%消費して、睡眠不足で生じた過剰な欲求不満【stress】を解消したところだ。
 まぁ、顔面とボディに、跡が残らないギリギリの物理的制裁をブチ込んで、最後に同じく後遺症が残らないギリギリの関節決めて気絶させたのでな。大事ない。ついさっき、泡を吹いたまま意識を失ったので、適当に車のトランクに放り込んだところだ。わはははは。あぁ眠い」
 長い言葉を発し、女性は「ふぅ」と一息ついた。
「フフフ。まぁそんなわけで。悪いが依頼に関しては、君たちの方で適当にやってくれ」
「て、適当にって……そんなぁ!」
「なぁに、大丈夫だ。全責任は愚妹が取る。煮るなり焼くなり好きにして、経費も好きなだけ使いなさい。姉が許す。では諸君、――EXEC?」
 鳴海が短く応える。
「EXEC.了解しました」
「おぉ、赤城鳴海。キミは相変わらず覚悟の呑み込みが迅速くて助かるな。どうだ、定時・通信制の方に転学しないか」
「申し訳ありませんが、私の嫁が全日制の方に通っていますので」
「キミは愛妻家だな。まぁいい、ついでに私もそろそろ眠気がヤバくて栄養ドリンクをリットル単位で取得していたのがそろそろ尽きたらしく身体がぷるぷる震えてきておりこういうのも禁断症状というのだろうか考えるもとにかくもう眠いので目を閉じ――」
 ふらぁり。窓の向こうに写る女性が後ろに倒れていく。

 ――【CONNECTION.ERROR】――
 画面に何も映らなくなって、通信が切断された。
「……鳴海さん、どうしましょう」
「やることは変わらんさ。予定どおり、今日は『学園』を案内させていただこう」
「で、でもっ、相手は……天帝の一族……なんですよ?」
 周囲を見回して、愛花が小声で呟いた。小動物よろしく、不安そうに震えていた。
「不安したところで仕方ない。元より、相手も大雑把な条件を提示してきたんだ。腹を括ってあきらめろ」
「はうぅ……。鳴海さんのそういうところ……羨ましいよーな、羨ましくないよーな……」

「――こんにちは。その制服『学園』のものですよね?」

 愛花が大きなため息をこぼした時、ちりりん、と。軽やかな鈴の音が響いた。
 二人が同時に振りかえる。一台の自転車がこっちに向かっていた。電糸機構で走るものではなく、昔ながらの、両足でペダルを踏みつけ、前後二輪を回転させる旧式だった。
「依頼、引き受けてくれた生徒さんかしら?」
 そして操手もまた、ごくごく普通の倭国人だ。眼鏡をかけた黒髪の女性で、まだ若い。
 黒髪は綺麗な簪で結い上げているものの、その他は欧羅から伝わった白の上服【T-shirt】・橙色の上掛け【cardigan】・紺色の下服【denim】・白い靴【sneaker】という出で立ちだ。
 どれも珍しいものではなく、そこいらで売っているだろう量産品。
「久しぶりの街中で、どうなるかなと思ったけれど、無事に辿りつけたみたい」
 自転車の速度が落ちる。前輪の上に取りつけられた荷物カゴには手製らしい鞄を載せていた。後輪の上にも籠は存在し、そこには粉雪のように、真っ白な髪を結い上げた女児が座っている。
 その光景は、いわゆる世の母親たちの『最終兵器日常』だった。自転車も俗に「ママチャリ」と呼ばれるもの。美人ではあるが、ぶっちゃけると「若くて綺麗な、普通のお母さん」と呼べる具合だった。
「貴女が……『学園』への依頼主の方ですか?」
「えぇ、初めまして」
 女性は、ママチャリから足を下ろして補助をかける。
「〝空海〟光(ヒカル)と申します。本日はご無理を聞いてくださり、ありがとうございます」
 簡単な偽名を使ったのみで。
 倭国・最上位階級の一人である天宮光は、両手をジーンズの前にそろえ、ていねいにお辞儀した。
「こちらの方こそ、よろしくお願いいたします」
「よっ、よろしくお願いいたしますっ!」
 呆気に取られていた二人が、一拍おいて礼を返す。
「それとご挨拶が遅れ、大変申しわけありませんでした。私は赤城鳴海と申します。こちらは私のパートナー、御園愛花です」
「あらあら。とってもカワイイ奥さんね」
「あ、ありがと、ございますっ!」
 奥さんと言われて、愛花が素直に喜んだ。それから揃ってもう一度、頭を下げあう。
「本日はこちらの家内と共に、『学園』の案内をさせて頂きます。不肖な身の上ではありますが、よろしくお願い致します」
「まぁまぁ。ご丁寧にありがとう。お若いのにしっかりされてるのね」
「はいっ! 鳴海さんは、私の自慢の旦那様ですっ」
「愛花」
 さすがに気安すぎだぞと、視線に注意を込めて伝える。
「〝空海〟様、本日はもう一名、私たちの教師である方がいらっしゃる予定だったのですが」
「えぇ、そうね。リーア先生には一日、養生してもらいましょう」
「……ご存知だったのですか? その……」
 名前か。あるいは〝現状〟か。
「うふふ。〝どちらも〟よ」
 まるで、浮かんだ疑問を先読みしたかのように。さらりと言われ。
「……承知しました。では、失礼ながらこちらも一つ、お尋ねしたいのですが」
「えぇ。なんでも聞いてね。あっ、年齢だけは誤魔化すけどね。なーんて」
「いえ、その、本日は……後ろのお嬢様と、お二人で?」
「そうそう。紹介させてもらうわね」
 振りかえる。白い肌の少女は、まだ自転車の後部座席に座っていた。頭には麦わら帽子をかぶっており、まだ風も涼しい春先に、夏にでも着るような、萌黄色のワンピースを着ていた。
「斑鳩、降りていらっしゃい」
「……」
 麦わら帽子の下で、なびく銀髪は透明に近く。瞳の色は血よりも紅く。
 おおよそ色素と呼ばれるものに乏しい銀の少女は、歳を推定するなら片手の指で足りるかどうか。
「あらあら、斑鳩ったら。聞いてるのかしら?」
「やだ。おりん」
 両腕を組んで、ふんぞり返る。綺麗な形のあごを上向きに突き出して、正面にいる三人のうち、鳴海のところで視線を止めた。
「いかる、が」
「……?」
「なるみ、だい、っきらい!」
 言った。目のしたに指を添えたあとで「べーっ」と舌を見せつけた。
「鳴海さん、もしかしてあの子とお知り合いですか?」
「いや……」
 二人が顔を見合わせた時「あらあら、ごめんなさいね」と光が言った。
「斑鳩、そんな態度を取ってはいけませんよ。ちゃんとそこから降りて、お姉ちゃんたちにご挨拶なさい」
「やだ」
 両腕を組んで、つーんとそっぽを向く。するとヒカルが笑顔のままに。
「降りなさい」
 ずばんっ! と。
 存外に鋭い音がした。ヒカルの手が、斑鳩の麦わら帽子の上に勢いよく落ちたのだ。
「な、なんで!? なんでっ、いかる、の、あたま、たたくのっ!?」
「貴女がとても無礼だからよ」
 表情は優しげなまま変わらず、語調はいくらも強まった。
「降りなさい」
「……ひかる、も、きらいっ!」
「私も、礼を返さない者は嫌いよ。恥を重ねる前に降りなさい。斑鳩」
「う、う、ううぅぅぅっっ!」
 斑鳩はしばらく、動物のように唸っていたが、意を決したように地面に降りた。同じ高さに立てば、鳴海の腰元ほどにしか背丈はなく、けれど怒りと悔しさに満ちた顔をぐっと持ち上げ、粗雑に言った。
「……いかる、が……で、す!」
「斑鳩様ですね。本日はよろしくお願いいたします。……どこかでお会いしましたか?」
「いえま、せん!」
 ぷい。と顔を背けると、その前に屈んで、にっこりと笑顔を向ける顔があった。
「御園愛花です。よろしくね。斑鳩ちゃん」
「……よろし、く……」
 ちらりと横目で見てから、斑鳩はヒカルの裾を掴んだ。半身だけ出して、後ろに隠れる。
「ごめんなさいね。うちの子は人見知りだから」
 微笑んで。
「それじゃ、そろそろ行きましょう。皆で仲良く、自転車でね」

       

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Neetsha