Neetel Inside ニートノベル
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「あー……ん、お姉さまー」
 千代さんの後ろに回り、両肩を掴んでちとせから引き離すと、少々情けない声をあげた。
 ちとせの方を見ると、目が点になっているようであった。それほど衝撃的な出来事であったのだろう。普段はわりと冷静になんでも対処する彼女ではあるが、今回の場合はそうもいかなかった様子である。
「まあ、二人共こっちに座って」
 千代さんの両肩を掴んだまま、部屋の中央に置いてある、さほど大きくはないがテーブルの前に移動し、そこに座らせる。
 ちとせの方はというと、まだ硬直したままだ。
「ちとせー、ほらお前も」
 自分の名前が呼ばれたことによって我に帰ったのか「は、はい」と突然敬語になり、ぎこちない動きをしながらテーブルの前に座る。
 ちょうど配置的には僕の両端に二人が座る形だ。今の千代さんの状況では、ちとせを隣に座らせるとまた抱きつきそうな気もしたので、その辺はちとせの事も思い向かい会う形にて座らせる。
「ひとまず落ち着いたところで……千代さん?」
 彼女の方を見ると、悦に浸った表情をしていた。ちとせに抱きついた時の感覚をいまだに堪能しているかのようであった。
「千代さん!」
 部屋に軽く響く程度の声で名前を呼ぶ。
「あ、はい! ごめんなさい!」
 別に謝る必要もないのだが。そんな事よりも色々聞きたい事がある。
「千代さん、お姉さまっていうのは何かな?」
 僕がそう聞くと、軽く自分の頭を掻きながら、照れる様に少し笑った。
「ごめんなさい。そのですね、そちらの女性が私のお姉さまにとても似ていたので……つい……」
「つい……?」
 返事を催促するようにして僕が聞くと、少々顔を赤らめながら「抱きついちゃいました」と彼女は言った。
「それでだね、千代さんとちとせは知り合いとか親戚という事ではないのかな?」
 今までで一番確認したかった事を率直に問いかける。この場合、どちらかというよりも、両者に対しての質問であった。
「うーん、残念ながら違うと思います」
 千代さんからの返答は素直な物であった。
「お姉さまそっくりではありますけど。あっ、でももしかしたら……」
 もしかしたらという事は、親戚か何かの可能性があるという事であろうか?
「私かお姉さまのご息女……ではないですね、年齢が違い過ぎるので、ひ孫に当たるかもしれませんね」
 推測の割りには千代さんの表情は自信満々にといったところであった。
 ちとせの方を見てみると、完全に呆気に取られているようであった。この感じでは頭の上にハテナマークが3つは付いている状態であろう。完全に話しの流れに付いて行けていない様子である。
「ちとせにも一応確認を取って置くけど、知り合いや親戚である可能性は?」
 僕の言葉に反応して我に帰る。顎に手を当て、少々考える様な仕草をして結論が出たのか、僕の方を見る。
「いや、多分そういった可能性は無いとは思うのだけど」
 うむ、流石である。これほど困惑させられた状況の中、だいぶ冷静差を取り戻している様だ。
「それにしても、まさかここまで自分にそっくりな人間が居るなんて、驚きかな」
 ちとせの視線は僕から千代さんへと変わった。
「うーん?そうでもないですよ、どちらかというとお姉さまに近いです」
 僕から見たら、ちとせも彼女も相当似ている様に見えるのだが、千代さんからしたら「そうでもない」らしい。
「ところでその『お姉さま』というのはどういう人なの?」
 まだまだ色々と聞きたい事はあるが、まずは一つずつ解決していくことにしようと思う。
「そうですねえ、私のお姉さまはとてもすごい人です」
 そこから彼女は自身の「お姉さま」について語り始めた。その概要は、まず一つにとても自由な人であると。そして常に冷静であり、周囲の状況をすばやく判断し実行する事が出来る。その上人当たりもよく、気配り上手で周囲からの人気は絶大であったそうだ。
 その「お姉さま」の説明を聞く限り、僕の知る限りでは該当する人間が一人だけ居た。
「へえ、世の中すごい人もいるもんなのね」
 自身の説明をされているとは露知らず、当の本人は関心しながら聞いていた。今更ながら、ちとせは若干天然が入っているのかもしれない。というよりも、本人はまったく意識せずに普段から先ほど千代さんが説明していた行動をしていると言った方が正しい表現であろうか。
「はい! だから私はそんなお姉さまが大好きなんです!」
 そう言い、彼女はさらに続ける。
「私に無い全てをお姉さまは持っています、そんなお姉さまは私の憧れなんです!」
 彼女は目を輝かせながらおもむろに立ち上がってそう言った。彼女のこれまでの言葉を聴く限り、本当にその「お姉さま」の事が大好きでしょうがないといった風であった。
 一通り言いたい事を言い終えたのか、千代さんはちとせの方を見て頭を下げる。
「ごめんなさい。えーっと、ちとせさんでしたか。あまりにもお姉さまに似ていらっしゃったので、先ほどは飛んだ無礼を」
 それを聞いたちとせは「そんな事ないです」と言って立ち上がり、千代さんに近づく。
「突然の事だったから、ちょっとびっくりしただけ、気にしないで下さい」
 優しげな笑みで千代さんに語りかける。
「ごめんなさい。ありがとうございます」
 千代さんはそう言いながら、顔を上げる。
 そのまま二人は隣同士に座った。何かよくわからない状況ではあるが、部屋の雰囲気はだいぶよろしくなったように思える。
 と思ったのも束の間であった。
「おね、ちとせさん。一つお願いがあるのですが」
 この時ほど空気を読まずに二人の間に入ればよかったと思った事はなかった。
「うん? 何ですか?」
 だいぶ困惑も解けたのか、いつものちとせに戻りつつある。だがそれも一瞬であった。
「もう一度、抱きついてもいいですか?」
 ちとせの表情、さらには体が硬直していくのがこちらからでも手に取るように分かる。
「え、あっとね、ダ、わあ!」
 全てを言い終える前にちとせの体は床と平行になっていた。抱きつく、というよりもどちらかというと抱き倒すの方が表現としては正しい。さながらアメフトやラグビーで相手にタックルを喰らわせる様であったのは言うまでもない。
「うーん、この感覚。やっぱりお姉さまそっくりです」
 千代さんはそう言い、ちとせの胸元に顔をうずめる。ちとせの胸はさほど大きくもないが、小さいと言うほどでもないと、僕の目には見える。果たしてそのサイズで気持ちいい物かどうかはわからないが、千代さんからすると「お姉さま」に似ているというだけで大分心地良い物なのかもしれない。
 千代さんからちとせの方へ視線を移すと、必死に僕の方を見て目で助けを訴えているようであった。哀れかなちとせよ、達者でな。と心の中でつぶやきちとせに向けてまぶたを閉じ合掌のポーズを取る。
 そして数秒の沈黙の後、ゆっくりとまぶたを開けると、そこにはかつて見たこともない鬼の形相で僕を睨み付けるちとせの姿があった。
 これは流石に冗談が過ぎたか、もとい自らの命が危ないと思い、先ほどと同じ様に千代さんの後ろに回り、両肩を掴んでちとせから引き離す。
「あー……ん、お姉さまー」
 その台詞はさっきも聞いた。

       

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