Neetel Inside ニートノベル
表紙

明治の君と
「自称」明治から来た人

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 今まで「自称」という言葉をあまり意識した事は無かった。何故ならばそれが本当か嘘であるかを確かめるのは見るなり質問するなりすれば、判別出来てしまうからだ。。
 しかし、あまりにも自然な「自称」であったとしたら、それを嘘だとは思わず、もしかしたら本当なのかもしれないと思ってしまう事も出てくるかもしれない。
 今、僕の目の前にいる彼女がその一人である。
「ハヤトさん、今日もこの箱すごいです!」
 目をキラキラさせながらその箱に向かって話しかけている彼女は「自称」明治時代から来た人らしい。
「それは箱じゃなくてテレビって言うんだよ千代さん」
 自称明治時代人である彼女はテレビに映る映像に興味津々な様だ。
「ハヤトさん、この食べ物おいしそうです!」
 時刻は調度正午に差し掛かる手前、テレビの内容は短い時間で料理を作り紹介するという物だった。
「ハヤトさん、これ作りましょう!」
 今日の紹介されている料理は……エッグタルトと言う物だそうだ。
「千代さん料理の経験は?」
 僕がそう言うと、彼女は頭を軽く掻きながら「無いかも」とぼそりとつぶやいた。
「でも大丈夫です、ハヤトさんと二人でならきっと作れます!」
「ムリムリムリムリムリ」
 手を横に振りながら思わず同じ言葉を連呼する。彼女が少し落胆する様子を見てさらに僕は続ける。
「ごめん言い方間違えた。ヤダヤダヤダヤダヤダ」
「そんな……」とがっかりしている彼女を見て思わず笑みがこぼれる。彼女の反応は実に素直な物で、本当に心の中の感情をそのまま表面に表しているかのように見える。それを見るのが楽しくてしょうがない。
「ハヤトさん、大丈夫です!」
 がっかりしていたかと思うと、顔をずいっと近づけ、テレビを見ていた時と同じ様に目をキラキラさせながら彼女は続ける。
「私、勘は鋭いのです。だからきっと大丈夫です!」
「さあ」と言って僕に手を差し伸べる。これは今まさにこのエッグタルトという物を一緒に作りましょうという事なのか?
「はいはい、二人とも、そろそろご飯ですよ」
 台所から出てきた母が両手に何かの乗った皿を持って来る。
「えっぐたるとですか!」
 どうあっても彼女はエッグタルトを食べたい様だ。
「残念、今日は焼きそばです」
 母は少し笑いながら、それでも冷静にお皿の中身を彼女に見せ、テレビの前にあるテーブルの上に置いた。
「千代ちゃんは焼きそば食べた事ある?」
 彼女の方を見ると、エッグタルトではなくて残念そうにしているのかと思ったら、そうでもなかった。恐らく初めて見るであろう料理に既に興味津々の様子であった。
「ないです! でもこれもおいしそうです!」
「そう、よかった。お口に合うといいのだけれど」
 母はそう言いながら彼女に箸を渡す。
「ハヤトさん! 後でさっきの作りましょう!」
 てっきりエッグタルトの事は初めて見る焼きそばのインパクトで消え去った物かと思ったが、まったくそんな事はなかったようだ。
「今度作り方調べておくから、また今度にしようよ千代さん」
 彼女は少し不服そうに頷く。
「わかりました。そこまで言うならば、また今度にしましょう」
 何がそこまでなのかはよく分からないが、目の前の料理のおかげで多少は落ち着いてくれたらしい。

     

 実際に彼女が焼きそばを一口食べてみると、それだけで相当気に入ったのか「すごくおいしいです!」とグルメ番組で見かける程のオーバーなリアクションを取る。その反応に母は驚きつつも、嬉しかったのか「おかわりもあるから一杯食べてね」微笑みながら言った。
 結局余分に作っておいてあったであろう分、おおよそ3人前程はあったであろうか、それを彼女一人で平らげてしまい、母も彼女も非常に満足そうな顔で本日の昼食は終わりを告げた。
 母は食後のお茶を僕と彼女に出し、洗い物をしに足早に台所に戻る。
 湯気立つお茶に、彼女は何度も息を吹きかけ必死に冷まそうとしている。どうやら相当な猫舌なようだ。ようやく一口目をつけたところを確認し、一息ついたところで事の発端を確かめる事にする。
「ところで千代さん、なんで昨日は家の前で倒れてたの?」
 彼女がこの家に居る理由、それが昨日の夕方頃、なぜか丸一日、いや、それどころかここ数日雨が降っていないにも関わらず、一人だけバケツをひっくり返したかのごとくずぶぬれの状態で倒れていたからである。それも、テレビくらいでしか見たことのない、上は赤茶色、下は紺の袴のいわゆる『明治の女学生』の格好で。
「それがですね、私にもよく分からないんです」
 昨日、倒れていた彼女を学校帰りの僕とちょうど隣にいた友達とで家の中に運び込んだ時とはまるで違い、今日は冷静である様に見える。本来ならば救急車でも呼ぶところではあったが、倒れていた様子を見た限りでは、さほどの問題もなさそうに見えたからである。意識はもちろんあったし、倒れていた理由がどうやら『お腹が減りすぎて動けない』だからだ。一応、それ以外にも一つ理由はあるが。
「気づいたらこのお家の前にいました。世の中不思議な事もある物ですねー」
 彼女はあっけらかんにそう言う。昨日家に運びいれ、パン等の手ごろな食べ物を渡し、一通り食べ終えた後の様子と、今の様子がほぼ一緒である。
 しかし、その後が少々大変であった、一息ついたと思うや否や、自身の状況に気づいたのか軽くパニック状態に陥ったからである。ここがどこなのか分からない様子で、辺りをキョロキョロと見回した後に、僕にしがみつき「ここはどこですか!」と何度も声を荒げた、仕舞いの果てには泣き始めてしまったからである。
「それじゃあ、ここに来る前はどこに居たの?」
 僕がそう聞くと彼女は少しうつむき、頬に手を当て考える様な仕草を始めた。
「私のお家を出たところまでは覚えているのですが、その後は……」
 少しの沈黙が訪れた後に、彼女は「どこに行こうとしてたんでしょうね?」と僕の方を見て問いかける。その彼女の様子を見る限り、本当に自分がどうして家の前で倒れていたのかが、分かっていない様に見える。
 最初は、突然知らない家に上がりこんだせいでパニック状態になっている物だと思っていた。しかし、泣き止んだ後の彼女の様子を見ていたら、どうやらそれだけが理由な訳ではなさそうであった。
 彼女曰く「見たことも無い物が一杯」だそうだ。家の中を物色し始めた彼女に付いていたが、その間ひたすら質問攻めだったのは一生涯の記憶に残る事であろう。まさか一般家庭に普及されている電化製品について「これは何ですか」と何度も質問されるというのはそうそう無いことだと思う。
 彼女が『自称』明治時代から来た人というのは、一通り物色し終わった後に「明治の時代にこんな物があったなんて」と、この時の彼女に一言による物だ。
 その時思わず僕はこの人は何を言っているんだと思い「明治?」と聞き返してしまった。それを聞いた彼女は一瞬、時間が止まったかのごとく僕に視線を向けたまま動かなくなった、かと思いきや急に笑顔になり僕に向かって「今は西暦何年ですか!」と問いただし始めた。あまりにも急に様子が変わりそれに驚きつつも「2013年だけど……」と僕が言うと、事は急速に進んで行った。
 彼女は目を輝かせ「私は明治の時代から来ました」だの「これから楽しみですね」などと若干意味不明の事を言い始めたからである。
 そしてスーパーの袋を両手に持ち帰宅した母に「不束者ですが、これからよろしくお願いします」と言い放ったのである。最初は母も当然困惑した様子であったが、彼女の姿を見て何か少し納得したかの様子で了承していた。
 そしてその後は現代の事に関する質問攻めをくらい、彼女が疲れ果てながらも満足した表情で眠りに落ちたところで昨日は終わりを告げた。
 そして今の状況にいたる。
 少々ぬるくなり始めたお茶を一口すすり、テレビに視線を移したところで「……行く場所なんてないのに」と、彼女がぼそりとつぶやくのが聞こえた。

     

 思わず彼女に声をかけようとした時、玄関のチャイムが鳴る音が聞こえた。それまでうつむき加減であった彼女は顔を上げ、不思議そうな表情で僕を見る。
「この音はなんでしょう?」
 来客の知らせを告げる音ではあるが、それを説明する前に僕は腰を上げ玄関に向かうことにする。
「千代さんちょっと上行ってて」
 そう言いながらリビングから二階に繋がる階段に指を差し、彼女に背を向け玄関へと向かう。母も玄関へと着ていたが、来客が誰なのかをおおよそ理解していた僕は「ああ、大丈夫」とだけ言い母を台所へ戻す。
 玄関の扉を開けると、外の熱気が全身を覆った。その熱気の中、昨日千代さんが寝た後に、今日来てもらうように連絡を入れておいた、身長は僕より少し低い程度の女性が一人そこにたたずんでいる。夏の暑さに合った、上は白地のシャツに下は青のショートパンツという至極シンプルな格好で彼女は来たようだ。
「おお、来たか」
 僕がそう言うと「お邪魔します」と一言だけ言い、足早に玄関の中に足を踏み入れた。
「あー、涼しい」
 彼女は肩にかかる程度の長さの髪を少し掻き分けるようにしてそう言う。季節はちょうど夏まっさかり、外と室内とでは雲泥の差である。目の前にいる彼女も、外の暑さにはうんざりしているのか、気だるそうな表情をしている。
「まあ、上がってくれ。とりあえず部屋まで行こう」
 そう言い、彼女を家の中に招き入れる。なるべくならばさっさと部屋に招き入れたかったのだが、そうも行かない。
「こんにちはー、お邪魔しまーす」
 家に上がるや否や、彼女は家の中に居る人ならば誰でも気づくかのような声量で挨拶を始めたからである。そうなると当然母も台所から出てきて挨拶をし始めた。
「こんにちは、ちとせちゃん。お久しぶりねー」
 まだ洗い物の途中であったのか、エプロンのすそで手を拭きながら母は言う。
「お久しぶりです。今日もまた暑いですねー」
 この挨拶を皮切りに、長い長い雑談が始まるのは目に見えていた。初対面ならばすぐに終わったであろうが、この「ちとせ」という女性は僕が小学校に入る前からの付き合いであり、いわゆる幼馴染のポジションに当たる人だからである。
 当然、母とも何度も面識があり、中学校に上がった頃から、滅多に家に来ることはなくなった物の、それでも幼馴染というポジションに変わりはなかった。
「ちとせちゃんにはお姉ちゃんが居たのね」
 そう言われた彼女の方を見ると、頭の上にハテナマークでも付いていそうな程の呆気に取られた様子であった。
「お姉ちゃん……ですか?」
「おばさんもうびっくり。それにちょっとだけ……複雑かな」
 彼女は何を言われているのかまったく理解出来ていない様子であった。このままではいつまでたっても部屋に招き入れる事が出来ないと判断した僕は「そんなのいいから」と二人の間に割って入り、話を中断させる。
 困惑した表情の彼女の腕を少し引っ張り、多少乱暴に階段を上がり僕の部屋の前まで連れてくる。
 彼女の方を見ると、まだ呆気にとられた表情をしており、母が何を言っていたのか分かっていない様子であった。
 無理もない。僕の知る限りでは彼女に姉どころか妹さえもいないのだから。突然そんな事を言われても、当の本人は何がなんだか見当もつかないであろう。
「よく分からないんだけど、結局何の用で私を呼んだの?」
 昨晩、彼女に電話を入れた時、用件を伝えずに「とりあえず来てくれ」とだけ言い、来てもらった為、何も知らない状態である。
「まあ、とりあえず入ってくれ」
 そう言い部屋の戸を開けて彼女を部屋に招き入れる。わざわざ部屋の外で説明する物でもないと思い、実際に見てもらってから、その際に説明をする。というよりも彼女にしてもらうと言った方が正しいであろうか。
「ハヤトさん?」
 僕の部屋の中にすでに居た彼女は、戸を開けると同時に僕の名前を呼ぶ。
 彼女の方を見ると、部屋の戸から対角線上に置かれている僕の机のイスに座り、至極退屈そうにしていた。
 彼女は僕の方を見て気づいた様だ。僕以外にも人が居るという事に。
 僕とちとせが部屋に一歩踏み入れるや否や、千代さんからは「お姉さま!?」という言葉、ちとせからは「なんで!?」という疑問の言葉が同時に部屋に響いた。
 気づいたのは千代さんだけではなく、ちとせも同様であったようだ。
 千代さんの「お姉さま!?」という言葉は若干分からないが。ちとせの「なんで!?」という言葉はおおよそ見当が付く。
 何故ならば千代さんとちとせの外見が瓜二つだからである。雰囲気こそ違えど、二人が横並びになれば、それこそ双子と言われてもなんら違和感のない程である。
 昨日、わざわざ救急車を呼んだりせずに、我が家に千代さんを招き入れた理由の一つがこれだ。
 千代さんを一目見たとき、顔もおおよその体型もちとせに近く、一瞬彼女かとも思ったが、長年の付き合いがある故に、雰囲気が違うから、別の人だろうと思ったからである。第一、ちとせが「明治の女学生」の格好をしたところなど今の一度も見たことがない。
 ちとせに姉や妹がいない事は既に知っていたが、恐らく何かしらの関係のある人物ではないかと思い、千代さんを家に運び入れた次第である。
「なんで、という言葉を出すという事は、ちとせの知り合いという事でいいのかな?」
 僕がそう隣にいたちとせに聞くと、彼女は必死に首と手を横に振り始めた。
「いや……なんで私がいるのかとびっくりして」
 昔からの付き合いであるが故に、彼女の言っている事が嘘ではないという事が分かってしまうのが残念である。これが嘘であるならば大分楽ではあったのだが。
 気づいた時には、千代さんが僕とちとせの目の前まで来ていた。なにやらちとせの事を観察しているようである。
「うーん……?」と少し唸る様に言いながら、ちとせを上から下へと舐め回す様に見ている。ちとせとはまた違った意味で驚いている様だ。
「千代さん、お姉さまって何?」
 僕がそう聞くと一度僕に視線を戻した後「ええっと……ですね?」とだけ答えて、またちとせの観察に戻った。
 ちとせは今どういう表情をしているのかと思い彼女の顔を見てみると、非常に困惑した表情をしていた。彼女との付き合いはだいぶ長い方だと思うが、こういった表情をしているのは初めて見たと思う。まるで「ヘビに睨まれたカエル」かのごとく身動き一つしないで観察されているようだった。
「ひっ……」
 ちとせが声にならない声をあげる。
 何を思ったのか千代さんが突然ちとせに抱きつき始めた。ちとせの方は完全に思考が停止しているのか、両手を上げ、降参のポーズを取っている。
 千代さんの方はというと、抱きつきながら満面の笑みでちとせの匂いを嗅いでいた。ちとせの表情はこちらからでは見えないが……どういった様子なのかを見てみたい気もする。
「うーん、お姉さまそっくりです」
 千代さんはそう言いながらもちとせから離れようとしない。それどころか、すりすりと頬擦りをし始めた。
「はい、千代さんそこまでストップ、タイム、スケベ」
 これ以上はまずい事に、いや、今の時点でも相当まずい事になってはいそうであるが、この続きを若干見たい気もするが仲裁に入る。

     

「あー……ん、お姉さまー」
 千代さんの後ろに回り、両肩を掴んでちとせから引き離すと、少々情けない声をあげた。
 ちとせの方を見ると、目が点になっているようであった。それほど衝撃的な出来事であったのだろう。普段はわりと冷静になんでも対処する彼女ではあるが、今回の場合はそうもいかなかった様子である。
「まあ、二人共こっちに座って」
 千代さんの両肩を掴んだまま、部屋の中央に置いてある、さほど大きくはないがテーブルの前に移動し、そこに座らせる。
 ちとせの方はというと、まだ硬直したままだ。
「ちとせー、ほらお前も」
 自分の名前が呼ばれたことによって我に帰ったのか「は、はい」と突然敬語になり、ぎこちない動きをしながらテーブルの前に座る。
 ちょうど配置的には僕の両端に二人が座る形だ。今の千代さんの状況では、ちとせを隣に座らせるとまた抱きつきそうな気もしたので、その辺はちとせの事も思い向かい会う形にて座らせる。
「ひとまず落ち着いたところで……千代さん?」
 彼女の方を見ると、悦に浸った表情をしていた。ちとせに抱きついた時の感覚をいまだに堪能しているかのようであった。
「千代さん!」
 部屋に軽く響く程度の声で名前を呼ぶ。
「あ、はい! ごめんなさい!」
 別に謝る必要もないのだが。そんな事よりも色々聞きたい事がある。
「千代さん、お姉さまっていうのは何かな?」
 僕がそう聞くと、軽く自分の頭を掻きながら、照れる様に少し笑った。
「ごめんなさい。そのですね、そちらの女性が私のお姉さまにとても似ていたので……つい……」
「つい……?」
 返事を催促するようにして僕が聞くと、少々顔を赤らめながら「抱きついちゃいました」と彼女は言った。
「それでだね、千代さんとちとせは知り合いとか親戚という事ではないのかな?」
 今までで一番確認したかった事を率直に問いかける。この場合、どちらかというよりも、両者に対しての質問であった。
「うーん、残念ながら違うと思います」
 千代さんからの返答は素直な物であった。
「お姉さまそっくりではありますけど。あっ、でももしかしたら……」
 もしかしたらという事は、親戚か何かの可能性があるという事であろうか?
「私かお姉さまのご息女……ではないですね、年齢が違い過ぎるので、ひ孫に当たるかもしれませんね」
 推測の割りには千代さんの表情は自信満々にといったところであった。
 ちとせの方を見てみると、完全に呆気に取られているようであった。この感じでは頭の上にハテナマークが3つは付いている状態であろう。完全に話しの流れに付いて行けていない様子である。
「ちとせにも一応確認を取って置くけど、知り合いや親戚である可能性は?」
 僕の言葉に反応して我に帰る。顎に手を当て、少々考える様な仕草をして結論が出たのか、僕の方を見る。
「いや、多分そういった可能性は無いとは思うのだけど」
 うむ、流石である。これほど困惑させられた状況の中、だいぶ冷静差を取り戻している様だ。
「それにしても、まさかここまで自分にそっくりな人間が居るなんて、驚きかな」
 ちとせの視線は僕から千代さんへと変わった。
「うーん?そうでもないですよ、どちらかというとお姉さまに近いです」
 僕から見たら、ちとせも彼女も相当似ている様に見えるのだが、千代さんからしたら「そうでもない」らしい。
「ところでその『お姉さま』というのはどういう人なの?」
 まだまだ色々と聞きたい事はあるが、まずは一つずつ解決していくことにしようと思う。
「そうですねえ、私のお姉さまはとてもすごい人です」
 そこから彼女は自身の「お姉さま」について語り始めた。その概要は、まず一つにとても自由な人であると。そして常に冷静であり、周囲の状況をすばやく判断し実行する事が出来る。その上人当たりもよく、気配り上手で周囲からの人気は絶大であったそうだ。
 その「お姉さま」の説明を聞く限り、僕の知る限りでは該当する人間が一人だけ居た。
「へえ、世の中すごい人もいるもんなのね」
 自身の説明をされているとは露知らず、当の本人は関心しながら聞いていた。今更ながら、ちとせは若干天然が入っているのかもしれない。というよりも、本人はまったく意識せずに普段から先ほど千代さんが説明していた行動をしていると言った方が正しい表現であろうか。
「はい! だから私はそんなお姉さまが大好きなんです!」
 そう言い、彼女はさらに続ける。
「私に無い全てをお姉さまは持っています、そんなお姉さまは私の憧れなんです!」
 彼女は目を輝かせながらおもむろに立ち上がってそう言った。彼女のこれまでの言葉を聴く限り、本当にその「お姉さま」の事が大好きでしょうがないといった風であった。
 一通り言いたい事を言い終えたのか、千代さんはちとせの方を見て頭を下げる。
「ごめんなさい。えーっと、ちとせさんでしたか。あまりにもお姉さまに似ていらっしゃったので、先ほどは飛んだ無礼を」
 それを聞いたちとせは「そんな事ないです」と言って立ち上がり、千代さんに近づく。
「突然の事だったから、ちょっとびっくりしただけ、気にしないで下さい」
 優しげな笑みで千代さんに語りかける。
「ごめんなさい。ありがとうございます」
 千代さんはそう言いながら、顔を上げる。
 そのまま二人は隣同士に座った。何かよくわからない状況ではあるが、部屋の雰囲気はだいぶよろしくなったように思える。
 と思ったのも束の間であった。
「おね、ちとせさん。一つお願いがあるのですが」
 この時ほど空気を読まずに二人の間に入ればよかったと思った事はなかった。
「うん? 何ですか?」
 だいぶ困惑も解けたのか、いつものちとせに戻りつつある。だがそれも一瞬であった。
「もう一度、抱きついてもいいですか?」
 ちとせの表情、さらには体が硬直していくのがこちらからでも手に取るように分かる。
「え、あっとね、ダ、わあ!」
 全てを言い終える前にちとせの体は床と平行になっていた。抱きつく、というよりもどちらかというと抱き倒すの方が表現としては正しい。さながらアメフトやラグビーで相手にタックルを喰らわせる様であったのは言うまでもない。
「うーん、この感覚。やっぱりお姉さまそっくりです」
 千代さんはそう言い、ちとせの胸元に顔をうずめる。ちとせの胸はさほど大きくもないが、小さいと言うほどでもないと、僕の目には見える。果たしてそのサイズで気持ちいい物かどうかはわからないが、千代さんからすると「お姉さま」に似ているというだけで大分心地良い物なのかもしれない。
 千代さんからちとせの方へ視線を移すと、必死に僕の方を見て目で助けを訴えているようであった。哀れかなちとせよ、達者でな。と心の中でつぶやきちとせに向けてまぶたを閉じ合掌のポーズを取る。
 そして数秒の沈黙の後、ゆっくりとまぶたを開けると、そこにはかつて見たこともない鬼の形相で僕を睨み付けるちとせの姿があった。
 これは流石に冗談が過ぎたか、もとい自らの命が危ないと思い、先ほどと同じ様に千代さんの後ろに回り、両肩を掴んでちとせから引き離す。
「あー……ん、お姉さまー」
 その台詞はさっきも聞いた。

       

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Neetsha