Neetel Inside ニートノベル
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先生! 2人余ります
二章『球児の汗』

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 四月九日火曜日。さっそく、新しく生まれ変わったサッカー部の、いや、野球部として生まれ変わった元サッカー部達の活動が始まる。
「ほんじゃ、さっさと着替ええよ。グラウンド集合や」
 競技は変わっても、部活動自体は今の三年生が中心となってから半年以上やっているだけあり、慣れたものである。まだ野球用の練習着など持ってはいないので、サッカー部時代のプラクティスシャツとストッキングを身につけ、下は、膝を露出するサッカー用のパンツだと怪我の恐れがあるということで、体育の授業用のジャージを履いた。
「サッカー用のスパイクなんか、腹立ち紛れに捨てるとこやったわ」
 野球用スパイクの代用品としてサッカー部時代のものを履き、これで準備万端。結局、格好はサッカー部時代の時とまったく変わらないのだ。下からスパイク、ストッキング、ジャージ、シャツ。
 しかし、五厘刈り。
 顔を見合わせる度に、お互い笑った。
 一口に坊主頭と言っても、バリカンに刈り高さアタッチメントを付けることで仕上がりの長さは色々と調節できる。2~3ミリから、長く残したければ15ミリくらいの長さに調節することもできるのだが、今回は悪ノリと言えばいいのかその場の勢いというか、どうせ坊主にさせられるならということで、限界まで短くやってくれと日羽に頼んだのだ。五厘刈りというのは、バリカンにアタッチメントを付けずに刈ってしまうやり方で、ようするに、スキンヘッドの一歩手前だ。
 走る風が、髪のない頭を撫でていく感覚は全員初めてであった。気恥かしくて、寒いけど、もはやなんだか面白い。
「かわいい」
 そう言って五日市が気持ちよさそうに頭をさすると、男共はきまって照れ臭そうに喜んだ。
「よー、ガネ。よく来たの。もしかしたら練習サボるんちゃうか思ったわ」
 スパイクの紐を結んでいる中兼の頭を、門馬がからかいながらさすった。さらっ、と、早くも懐かしいような感覚が手に残る。
 中兼は、結局坊主にはしなかった。
「まったく、意固地なやっちゃ。お前も俺らと一緒にやっちまや良かったのによ」
 門馬が心地良さ気に自分の頭をさする。
「うう~ん、気持ちええ~」
「やかましい、人の勝手やろが。髪型まであの女に決められてたまるかい」
 スパイクの紐ををぎゅっと強く結ぶと、よっこらしょとわざとらしく立ち上がった。
「さて、みんな揃ったかな」
 円になった十二人の中心で、腕を組んで堂々と立つ。ちんちくりんで童顔の彼女が野球部の監督だとは、まさか誰も思うまい。“花弁和歌山”とジャージの背中に刻まれた高校名が、これまた誇らしげだ。
「とりあえず今日は、みんなに野球で自由に遊んでもらおうと思います」
 当然のように、部員達はどよめいた。遊ぶ?
「だって、みんなはまだ野球の楽しさすら知らないじゃない。そんな時に走り込みやトレーニングばっかやったってしょうがないでしょ? とにかく、メニューは自由! バッティングやってもピッチングやっても何してもいいから、今日は一日、野球の楽しさを知りなさい。私は口出ししないわ。もちろん、バッティングピッチャーでもノッカーでも、言ってくれれば何でもするけどね」
 ざわざわと戸惑う部員達の中で、佐久間は頼もしさを感じながら日羽を眺めていた。
「はい! それじゃ始めましょ!」
 パンパン、と二度手を叩き、練習は始まった。

「あの女監督、妙なこと言うやん」
 門馬はそんな風に言いながらも、顔はワクワクを隠しきれずにいる。日羽が学校の倉庫から引っ張りだしてきた野球道具の中から古ぼけたグローブを一つ選ぶと、「これがグローブかい。よう考えたら、俺、グローブはめんの初めてやわ」と興味深そうにしていた。
「お前、グローブもはめたことないんかい! だっさいやっちゃー!」
 中舎桔平(なかしゃ きっぺい)が門馬に向かって吼えた。門馬が声のした方を振り返ると、中舎は既にマウンドに上がっている。
「シャッキー。なんやお前、野球やったことあるんか」
「あたぼうよ! ビラ小の怪腕シャッキーとは俺のことじゃい!」
 誰も聞いたことのない二つ名を叫びながら、中舎は大きく振りかぶった。振りかぶったエネルギーを全て一度リセットしてしまうめちゃくちゃなワインドアップから、三塁方向へ思いっきり踏み込んだ左足。それにより体は閉じ、かなり窮屈で投げにくそうな体勢から、しかし力ずくに右腕を振りぬいて見せた。
 おおっ。
 一瞬、門馬が感心したのも束の間、ボールはキャッチャーのミットを遥かに越えてバックネットをけたたましく鳴らした。
「ふっ」
 ない髪の毛をかき上げながら、中舎は不敵に笑った。
「仕上がりは二分といったところやな」
「ヘタクソ。さっさとマウンドどけんかい」
 後ろで見ていた中兼がぼそりと吐き捨てた。
「いや、これ難しいんやって! ほんまに!!」
 しかし、慌てて弁明している中舎とは裏腹に、中舎の投げたボールのそのスピードには日羽も目を見張った。しかも、これだけめちゃくちゃなフォームで投げたにも関わらず、だ。恐らくは球の握り方だって壊滅的なのだろう。
(良い肩してる子もいるじゃない。まあ、ピッチャーとしては使えないかもしれないけど……)
 初心者とはいえあまりにも酷過ぎるコントロールに苦笑いしながらも、楽しそうにボールを投げる中舎の姿に日羽は手応えのようなものを感じていた。

「これがバットか」
 佐久間が、一本の金属バットを拾い上げた。
「なんや、意外に軽いんやな」
 拍子抜けしたように、片手で得意気に振り回してみせる。
「そりゃあ、ダンベルみたいに重くはないわよ」
「げっ、先生」
 野球を舐めたともとれる発言を咎められるのかと佐久間は身構えたが、まるでそんなことはなく、日羽は足元に転がっているボールを一つ拾った。
「でも、そのバットを自分の体の一部のように操って、こーんなに小っちゃいボールを捉えるのは、そんなに簡単なことじゃないんだから」
 そういう言い方をされれば、なんだか打てない気もするし、でもあっさり打ててしまいそうな気もする。やってみなければ、こればかりは分からない。そんな佐久間の心情を、日羽が察したのかどうなのか。
「ま、そんじゃいっちょ、いっときますか?」
 中舎達が“ピッチャーごっこ”をやめたのを確認すると、日羽は親指でバッターボックスを指してそう言った。

     

「おっと。おもろいことが始まりそうやな」
 外野で中兼とキャッチボールをしていた門馬が、その手を止めて言った。マウンドに立つ日羽を、打席の佐久間は戸惑い半分といった表情で迎え撃つ。
「さ、準備が良ければいつでも行くわよ」
 日羽にそう言われ、佐久間は慌てて構えを確認する。ホームベースに対して平行に立ち、バットを握る。右打者の場合は左手が下、右手が上――。そんな確認から始まる、人生で初めての“野球”。
「よ、よっしゃ。お願いします」
 構えの整った佐久間がバットを日羽に向ける。その姿を見て、日羽は少し感心した。
 試合で敵校の選手と相対した時、選手は、そのデータや打順・ポジションからのみ実力の程を察する訳ではない。その立ち振る舞い、体格、雰囲気。野球で――いや野球に限らずどんなスポーツでも、一目見てその実力をある程度察するというのは、そのスポーツを長くやってきた人間なら誰もが持ついわば能力のようなものである。
(良く分からないけど雰囲気出てるじゃない)
 日羽は嬉しそうに微笑んで、ゆっくりと振りかぶった。
(もしかしたらこの子はセンスがあるかもね!)
 “女投げ”だなんて言わせやしない綺麗なフォームから放たれた直球。白球目がけたはずの佐久間のバットは虚しく空を切り、ボールはそのままバックネットを揺らした。
「ワンストライーク」
 マウンド上の日羽が誇らしげに指を鳴らした。
 続く二球目も佐久間は豪快に空振りし、少し恥ずかしそうにその顔を歪めた。
(なんで……。ボールは大して速くないのに)
 不思議そうにバットを見つめる佐久間。そんな様子を、日羽は楽しそうに眺めていた。
「三球目、行くわよ」
 最後も半速球のど真ん中。日羽はもしかしたら打たれるかもとも思ったが、結局、佐久間のバットが快音を鳴らすことは無かった。クエスチョンマークを頭上に浮かべながらバットをまじまじと見定める。そんな佐久間に日羽は歩み寄って声をかけた。
「どう? なかなか難しいでしょ」
「…………。球二つ分」
 悔しそうにそう呟いた。
「どう甘く見積もっても三つ分は離れてたわよ」日羽は笑いながら言った。「このボールが、実戦ではもっと速い。横から投げたり下から投げたり。あっちこっちに曲がりもする。それを、この小さな“真芯”で捉えなければヒットにはならない」
 まあ実際には金属バットだからアレだけど、と日羽は心の中で呟いた。
「“全競技中、最も難しい動作”。バッティングのことを、そんな風に表現する人もいるわ」
 その言葉はキャプテンである佐久間の胸に突き刺さった。野球部移行に反対する部員をもまとめて引き込んだ、キャプテンとしての責任感と罪悪感。
「これくらいでめげちゃダメよ。期待してるわ」
 最後にそう言って佐久間の肩をポンと叩き、日羽はマウンドへと戻って行った。
(他の子はまだ遊び間隔で良いけど、あの子は早いところ野球に目覚めててもらわなきゃ困るのよねー。……ふふふ。決して、引退までのお遊びなんかじゃ終わらせないわよ~)

       

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