Neetel Inside 文芸新都
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 ほぼ最終らしき列車で生野(いくの)駅に到着したのはかなり夜が更けてからであった。
 下車したのは私だけ。乗客も私だけである。夜風に晒され痛む右拳を庇いながら、空箱になった播但(ばんたん)線を見送った。そうして今日何度目かわからない溜息を落とした。
 こじんまりとした駅構内に入り、蒸しあがったばかりの桜饅頭に似た初老の駅員に切符を渡して表へ出てみると、それはもう愕然としたものだ。
 見た事もない夜が広がっているではないか。夏の湿気た匂いを含む闇の塊がそこにべったり張り付いているようで、目を凝らせば凝らすほどに恐ろしくなった。夜はこんなにも暗いものなのか。
 私のすぐ後ろ、かろうじて灯された駅改札の文明光が強烈に愛しくなって振り返った途端、最後の灯りが消えて旨そうな桜饅頭が事務所の扉をパタンと閉めた。そして颯爽と自転車に跨り去って行った。
 私は一人、暗闇に没した。
 腹が減ってたまらなかった。さっきの駅員の所為(せい)だろう。桜饅頭なんかに似ていやがったから余計腹が減ったじゃないか。腹の中心でぐるぐると熱い何かが動いているのがわかる。とにかく何でもいいので胃に入ってきたものを消化しようとしているのだ。
 そしてさっきから皮膚に貼り付く衣類が汗を吸って香水と混ざり合い、なんとも濃厚で幾何学的な香気を醸し出している。暑い。暑くてたまらない。冷房の効いていない鈍行列車に長時間揺られたおかげで眩暈も感じる。クソ、こんな田舎に香水なんて振ってくるんじゃなかった。
 兎にも角にも、この現状がたまらなく不快だった。気持ち悪いし、臭いし、暗い。腹が減って、腹も立つ。
 迎えが来る予定の時刻は当に過ぎているらしかったが、列車の中で携帯をいじりすぎたおかげで電池が切れてしまい時刻を確認する事ができない。駅内の時計を確認しようにもドアが閉められ奥にある掛け時計はこの暗がりでは全く見えずである。私は凝然としたまま、パンパンに膨れたボストンバッグを放り出し入口の階段で膝を抱えた。憎き高槻茜を貫いた英拳が思い出したようにまたピリピリと痛み始めた。

       

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