Neetel Inside 文芸新都
表紙

みなそこにいる
午前七時二十四分の彼女



 午前七時二十四分発の電車がプラットホームに滑り込む。
 降りてゆく人を見送ってから座席を立って、側扉脇に身体を押し込み、肩掛けのスクールバッグからカバーのついた文庫本を取り出す。今日は先客がいてひやひやしたけれど、どうにかなったと内心とてもホッとしていた。
 開いた文庫本の隙間から窓の外をちらりと見る。今日も向かいの電車は、予定より少し早くに停まっていたようだ。僕は腕時計を見て、あと数分早かったら、きっと行ってしまっていただろうなと、小さな声で呟く。
 僕は側扉の窓越しに、盗み見るように隣に停まる車両に目を向ける。午前七時二十四分発の八両編成。前から三両目の側扉脇にいつも寄り掛かる彼女の姿を見つけて、良かった、と思った。
 あまり見すぎて気付かれてもな、と思って、カモフラージュ用の文庫本に目を落とす。正直、適当に読んでいるふりをしているだけで、内容なんて全然頭に入ってこない。だってガン見するなんて気持ち悪いじゃないか。この一瞬だけしか出会えない彼女に一目惚れしてしまって、こんなストーカー紛いのことをかれこれ一ヶ月もしているなんて知られたくない。
 彼女、マフラー変えたんだな。前よりも明るい色になった。それに髪も少し巻いてあって、印象が大分変わった気がする。血色も大分良くなったというか、頬と唇が紅くなっているところを見るに、化粧が変わったのかもしれない。
 いつも彼女は必ず同じ時間、同じ車両に乗って、ぼんやりと外を眺めていた。座席は空いているのに、座ろうとする気配は無い。座るのが好きじゃないのかもしれない。ああやって寄りかかって外を眺めているのが好きなのかもしれない。
 彼女をじっと見つめたい、何か合図でも掛けたら反応してくれないだろうか、なんて考えて、でも偶然向かいの電車に乗っている男がそんなことをしても不審に思われるだけだろうからできない。ずっと君が見たくてこの車両に乗っていたなんて、そんなの気味悪がられるだけだろうし……。
 アナウンスと共に扉が閉まった。
 駆動音がして、隣の車両の彼女が離れていく。僕は視線を上げて、離れていく彼女の姿に目をやった。
 一瞬だけ、目が合った気がした。
 でも多分、気のせいだ。
 確認しようにも、もう彼女の電車は行ってしまったし、僕の電車も次の目的地に向けて走りだしてしまっている。彼女は彼方に消え去って、窓越しに見えるのはレールと、ビルの立ち並ぶオフィス街だけになった。
 文庫本を閉じて鞄にしまってから、僕は暫くレールを眺めていた。どこまでも続く二本の線。僕とは決して交わらない二本の線。向かう先も真逆で、このたった一瞬すれ違うだけで、それ以上互いに干渉しあうことはない。
 たった一歩踏み出せば、隣の線に乗り込んだら、僕と彼女の線は交じり合うだろうか。そう考えるたびに、そんな都合のいいことは起きないだろうと首を振ってしまう。もっと度胸のある奴だったら、こんな平行線ひとっ飛びしてしまうんだろうな。
 溜息しか出ない。臆病で、窓越しにしか見ていられない自分が、情けない。
 彼女が実は僕を見ていて、そのうちやって来てくれるんじゃないかって、他人任せな妄想を続けて、気が付けばもう一月だった。
「本当に、馬鹿だよな……」
 奇跡とか、偶然とか、彼女が気づいてくれたら、なんて……。
 臆病な自分に嫌悪しながら、それでも僕はきっと明日もこの車両に乗ってしまうのだろう。
 午前七時二十四分発八両編成、後ろから三番目に乗る彼女が見える、この車両に。

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